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夫婦岩
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2025.11.24〜(48週)
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伊勢旅行(りひろむ、たじくん、たけちー)行った場所メモ✍🏻
伊勢神宮(内宮)
おかげ横丁
夫婦岩
横山展望台
TAOYA志摩(ホテル)
#INI https://t.co/Ay1ubEH1eU December 12, 2025
3RP
ただいま放送で紹介中📻
「50歳の棚卸し」にも登場した
例のひどい彼と一緒に行った夫婦岩📸
#TOKYOFM #BlueOcean https://t.co/4j8cHGgOv2 December 12, 2025
2RP
きんちゃく岩/日向神社29奈良県奈良市柳生町岩戸谷 天乃石立神社球状の岩石。昭和28年、豪雨によって神社横の崖から転落してきたものを天照大御神の日向神社としてまつった。A近代以降の命名
奈良県突如出現した岩石
一刀石29奈良県奈良市柳生町岩戸谷 天乃石立神社長さ8m、幅7m、高さ2mの饅頭形の花崗岩で、縦に亀裂が走り岩石が真っ二つに割れている。柳生宗厳がある夜修行していると天狗が現れたので対決し、この天狗を一刀両断した感触があったので戦いを止めたが、翌日その場に見に行ってみると、そこには真っ二つに裂けた大岩があるだけだったという。EC偉人が敵を退治したら石だったという伝承
奈良県偉人が真っ二つに割った岩石
都介野岳 岩石群29奈良県奈良市都祁南之庄町かつては山頂の竜王社横に磐座とされる岩石群が存在したが、近年すべて麓に降ろしたという。詳細の経緯は情報収集不足につき不明。原位置から移動伝承
白石29奈良県奈良市都祁南之庄町 国津神社白石と呼ばれる霊石を伊勢から河内へ運んでいると突然この場所で動かなくなったので、これを神意と見てここに国津神社を建てたという。A可動的性質霊石を遠方から運んで途中で動かなくなる。
白石29奈良県奈良市都祁白石町 国津神社南之庄国津神社から分霊して霊石を運んでいたところこの地で動かなくなったため、ここに神社を建ててまつった。A可動的性質霊石を遠方から運んで途中で動かなくなる。
御社尾の神石29奈良県奈良市都祁小山戸町 都祁山口神社元慶3年(880年)、水分神が白龍の姿で降臨した磐座。近くから古墳時代の管玉が2点発見されている。BABA
奈良県CA
都祁直霊石29奈良県奈良市都祁小山戸町 都祁山口神社都祁山口神社から御社尾の神石に向かう途中にある石碑。
八柱神社 岩石群29奈良県山辺郡山添村遅瀬社殿の東隣から上方斜面に岩石の露頭が複数分布。いわれはなし。
十三磨崖仏29奈良県山辺郡山添村遅瀬室町時代後期の磨崖仏。自然石の表面を平滑に加工した上で、6体の地蔵、13種の菩薩を26体彫刻し、それぞれに梵字を添えている。A
乞食岩29奈良県山辺郡山添村遅瀬この川辺に住み着いていた乞食が、岩石の上面に開いた穴に水をため、川魚のいけすとして使用していた。EA
奈良県EC
東山の天狗岩29奈良県山辺郡山添村遅瀬天狗が積み重ねたという、4畳半の岩を3重に積み重ねた形の巨岩。所在特定できず。今現在確認がとれていない岩石
鏡石29奈良県山辺郡山添村中峰山 神波多神社拝殿と向かい合うように残る三角形状の岩石。
山神29奈良県山辺郡山添村中峰山 神波多神社山神をまつる石碑。BAA
庚申29奈良県山辺郡山添村中峰山 神波多神社庚申をまつる石碑。BBC
奈良県A
舟岩29奈良県山辺郡山添村中峰山字オクヤデ高さ3m、幅10mの舟形の岩石の集積。名張川の上流から船で下ってきた素戔嗚命が、この地で船から降り、その船が石化したもの。あるいは、神功皇后が三韓征伐を行なった時、乗っていた船が石化したもの。C物品が石化したもの
山之神29奈良県山辺郡山添村中峰山山神をまつる石碑。BAA
地蔵岩29奈良県山辺郡山添村中峰山
十市姫の岩29奈良県山辺郡山添村中峰山
大師岩29奈良県山辺郡山添村中峰山
大亀石29奈良県山辺郡山添村中峰山横から見た姿が亀に似ているということから名付けられた岩石。岩に5mの亀裂空間があり、神波多神社の祭神(素戔鳴尊/牛頭天王)が出てきたという言い伝えが残る。BAC岩穴・窟
奈良県C
大川遺跡対岸磨崖仏29奈良県山辺郡山添村中峰山川沿いの広い平坦面をもつ岩壁に仏の姿が彫刻されている。A
長持石29奈良県山辺郡山添村吉田 岩尾神社吉田集落の人々が遠方から氏神を迎えようと祭祀をしたところ、轟音と共に伊賀から神が婿入りに来て、その時の神の婿入り道具である長持が石化したもの。C物品が石化したもの集落の氏神を外から迎えたところ、遠方の神が婿入り道具と共にやって来る。
奈良県突如出現した岩石
つづら石29奈良県山辺郡山添村吉田 岩尾神社神の婿入り道具であるつづらが石化したもの。岩石の表面に十字架状の長石の層があり、つづらに見立てられたものと推測される。また、岩石の上面には神が降臨した時に乗っていた馬の蹄跡が残るという。C物品が石化したもの婿入り道具の荷物に祭神の馬の蹄跡が残る。
奈良県BABA突如出現した岩石
奈良県岩石表面に印・痕・模様が残る
鏡台29奈良県山辺郡山添村吉田 岩尾神社神の婿入り道具である鏡台が石化したもの。C物品が石化したもの
奈良県突如出現した岩石
ハサミ29奈良県山辺郡山添村吉田 岩尾神社神の婿入り道具であるハサミが石化したもの。C物品が石化したもの
奈良県突如出現した岩石
石の水鉢29奈良県山辺郡山添村吉田 岩尾神社神が休憩の際に水を飲んだという水鉢。C
箪笥石29奈良県山辺郡山添村吉田 岩尾神社神の婿入り道具である箪笥が石化したもの。C物品が石化したもの
奈良県突如出現した岩石
葛石29奈良県山辺郡山添村吉田 岩尾神社
石売り行事29奈良県山辺郡山添村吉田 岩尾神社16歳以下の少年が川原で拾った小石を参拝者が買い求め、その小石を岩尾神社に供える。BBC可動的性質子供から石を買い、それを神前に供える。
庚申さん29奈良県山辺郡山添村吉田寺院の裏山中腹にある自然石を庚申として信仰したもの。A
八柱神社 滝29奈良県山辺郡山添村片平 八柱神社社殿の背後に高さ約6mの岩盤があり、そこを流れる滝を御神体にしていたという。地震で崖崩れがあったため、現在、八柱神社は付近に遷座している。BCA今現在確認がとれていない岩石
大師石/豆腐岩29奈良県山辺郡山添村広代 愛宕山愛宕山の峰続きの道近くにある、高さ約3m、直径約2mの岩石。弘法大師が担いできた岩石で、表面にはタスキのような跡があるという。C岩石表面に印・痕・模様が残る
三枚岩29奈良県山辺郡山添村菅生土に覆われた巨大な岩石の露頭の頂上部に、板状の岩石が3重に並んで立っている。小祠が隣接してまつられているが詳細のいわれは不明。
烏帽子岩29奈良県山辺郡山添村菅生河内川の上流にある七淵の岸にある岩石。詳細不明。
釜淵29奈良県山辺郡山添村葛尾 名張川名張川の淵の中に、上部が円状に陥没した岩盤があり、神波多の天王さんが最初に出現した場所という。BAC岩穴・窟
奈良県C
天王さん29奈良県山辺郡山添村葛尾神波多の天王さんが名張川を渡ってきた時に休憩をした岩石。C休み石・腰掛石
オニ岩29奈良県山辺郡山添村下津吉備津彦命をまつるという岩石。詳細不明。
芋紡ぎ岩29奈良県山辺郡山添村下津おばあさんが芋を紡いでいたという岩石。EC
吉備津神社 岩石祭祀事例29奈良県山辺郡山添村下津 吉備津神社高さ約6m、幅約10mの巨岩をまつる神社。A磐座と石神の性格が混在している事例
奈良県BA
山之神29奈良県山辺郡山添村下津 吉備津神社山神をまつる石碑。木製祭具を供える。BAA
カラブロ29奈良県山辺郡山添村下津水をかけると温かくなる岩石。元は下津川の真ん中にあったが、上流に上津ダムを建設したことでカラブロが沈下する可能性が出てきたので、カラブロを川の縁の方へ少し移動したという。まつられてはいない。EB原位置から移動伝承
奈良県熱を持つ岩石
狐岩29奈良県山辺郡山添村上津字ハジカミこの岩石の上に古狐が座っていて、村に異変があると村人に事前に知らせてくれたという。上津ダム建設などの開発の中で消滅した。BABA今は存在しない岩石
奈良県EC
六体地蔵29奈良県山辺郡山添村毛原 毛原廃寺室町時代後期の製作とされる磨崖仏。自然石に平坦な磨きを入れた上で、6体の地蔵を横並びに浮き彫りさせたもの。A
大師の硯石29奈良県山辺郡山添村大塩弘法大師が杖で岩石を叩いたところ、窪みができて海水が湧き出てきたという。この海水は決して涸れることがなく、いつも同じ量を保っているという。伊勢湾の塩の満ち引きが分かったり、人の生き死にも占えるという。CC岩石表面に印・痕・模様が残る岩石に溜まった水で塩の満ち引きや人の生き死にを占う。
奈良県BBD岩石に付随して恩恵の水・湯が存在する
奈良県岩石に溜まった水が枯れない
鍋倉渓29奈良県山辺郡山添村 神野山幅10m、長さ650mに渡り、大小の岩石が寄り集まり重なった景観。神野山の烏天狗と伊賀青葉山の烏天狗が喧嘩をした時、青葉山の烏天狗が投げつけてきた岩石の集積という。また、父をなくした息子が鍋倉渓の上で「父に会いたい」と泣いたところ、突然石が動き、岩石群の下を流れる水に亡き父の笑顔が映ったという。C神々の力比べ・喧嘩
奈良県EB岩石が動く
竜王岩29奈良県山辺郡山添村 神野山なべくら分教会がまつる岩石。A
天狗岩29奈良県山辺郡山添村 神野山神野山の烏天狗にちなむ岩石群。C
八畳岩29奈良県山辺郡山添村 神野山高さ約7m、幅約10mの岩崖状の巨岩。頂部には数本の溝があり、神野山の烏天狗の足の爪による引っ掻き跡という。C岩石表面に印・痕・模様が残る
スフィンクス岩29奈良県山辺郡山添村 神野山スフィンクスに似た形状ということで名付けられた岩石。EC近代以降の命名
王塚29奈良県山辺郡山添村 神野山漢速日命の墳墓といわれるマウンド。マウンドには葺石状の岩石が散見され、古墳・磐境・経塚などの諸説がある。
六所神社 岩石祭祀事例29奈良県山辺郡山添村峰寺 六所神社山裾の岩塊の上に本殿が建てられている。六所神社は延喜式内の天乃石吸神社の論社で、石吸は石据えの転訛と見る解釈がある。BABC
毘沙門天像29奈良県山辺郡山添村峰寺 六所神社六所神社境内の磨崖仏。A
金毘羅碑29奈良県山辺郡山添村峰寺 六所神社六所神社境内の石神。A
行者石像29奈良県山辺郡山添村峰寺 六所神社六所神社境内の石仏。A
不動磨崖仏29奈良県山辺郡山添村峰寺 六所神社六所神社境内の石仏。A
観音石仏29奈良県山辺郡山添村峰寺 六所神社六所神社境内の石仏。A
地蔵石仏29奈良県山辺郡山添村峰寺 六所神社六所神社境内の石仏。A
窯の焚き口29奈良県山辺郡山添村峰寺村の石橋を造った力持ちが風呂に入るため使っていた窯。EC
天王の森29奈良県山辺郡山添村峰寺小山の頂上に岩石群があり、牛頭天王をまつり禁忌が厳しく守られていたという。A禁忌が厳しい
首切り地蔵29奈良県山辺郡山添村峰寺道の往来の安全を祈念して造られた石仏。後に首部と胴部に亀裂が入ってしまい、この名称で呼ばれるようになる。A岩石表面に印・痕・模様が残る道の安全を祈念して地蔵仏をまつる。
奈良県BBB
水神の森29奈良県山辺郡山添村峰寺布目側の中洲に隆起する森。大小の川原石が群集する。BCA禁足地
八丈岩29奈良県山辺郡山添村峰寺約17㎡の巨岩。水神の森の遥拝所。BA
奈良県BBA
明星岩29奈良県山辺郡山添村北野 天神社天御中主尊が降臨したという岩石。麓に天神社が建てられる以前はここで祭祀が行なわれていたという。BA
奈良県C
腰越ウチカタビロ土塚29奈良県山辺郡山添村北野字ウチカタビロ直径3mほどのマウンドに、大小の自然石や数体の石仏を集積している塚。北野天神社で旧五社巡りという祭礼が行なわれる際、この塚の前に御幣を供え、田楽を奏上したという。BCA塚の前に御幣を立てて田楽を奏上する。
岩屋29奈良県山辺郡山添村北野高さ6m、幅13m、奥行き6mの内部を有する自然の岩窟。弘法大師が天井石に大日如来を刻し本尊として、岩窟の中に不動明王、入口に善女龍王をまつり、近世まで岩屋寺として栄えた。A岩穴・窟岩窟寺院の天井石に本尊を刻む。
奈良県BCA
奈良県BAC
枡形岩29奈良県山辺郡山添村北野弘法大師が岩屋に大日如来を彫った後、上方斜面にあった別の巨岩に枡形の刳り抜きを作り、その刳り抜きの中にノミとツチを収めたという。本来は木製の御正躰を収納する石厨子だったと考えられている。C岩石の表面をくりぬき、中に仏などを納める岩石に枡をくりぬいて御正体や祭具を収める。
奈良県BCA
奈良県BAC
牛ヶ峰ミヤマ洞穴遺跡29奈良県山辺郡山添村北野全長13m、最大幅5mの花崗岩の自然の集積による洞穴。禁忌の場所とされ、布目ダム建設により水没するため発掘調査を行なったところ、中世の土器片や近世~現代までの日常雑器が見つかった。BCA禁忌が厳しい
奈良県岩穴・窟
津越の磨崖仏29奈良県山辺郡山添村津越山の岩肌を利用して数体の仏を刻んだ磨崖仏。A
フジノミ禊斎場29奈良県山辺郡山添村津越江戸中期、灌漑用水路を造る作業の無事を祈り、僧侶が岩石に不動明王の梵字を刻んで祈り続けたという。元来は北野字フジノミにあったが、布目ダム建設による水没を免れるため現在地に移設された。A
烏ヶ淵阿弥陀地蔵二尊磨崖仏29奈良県山辺郡山添村桐山淵の中にあった自然岩に阿弥陀仏・地蔵仏の像を彫りこんだ磨崖仏。寛政年間の製作で、烏ヶ淵の堰の工人の供養や水害の鎮めとして彫られたものと考えられている。元来は烏ヶ淵にあり、布目ダム建設に現在地に移転。A
奈良県BBB
桐山阿弥陀磨崖仏29奈良県山辺郡山添村桐山鎌倉~南北朝期の製作とされている磨崖仏A
弁天岩29奈良県山辺郡山添村桐山字カナヤケ巨岩の上に弁天をまつる瓦質の祠がある。周辺の遺跡調査の結果、弁天岩の周辺を意図的に平坦にしたような形跡が検出されたという。BABC
八幡神社 阿弥陀仏29奈良県山辺郡山添村的野1253年製作の村内最古の阿弥陀仏。A
送り狼石/室津のオーカミ石29奈良県山辺郡山添村室津字池神旅人が道を通る時、この岩石の上に食物などの奉げ物を置くと、後ろから狼が追いかけてこなくなるという。BCD岩石の上に捧げ物を置くことで、狼などの災禍を免れることができる。
奈良県BBB
室津の磨崖仏29奈良県山辺郡山添村室津山の岩肌に刻まれている磨崖仏。A
賽の河原29奈良県宇陀市室生区室生 室生寺山中の岩陰に設けられた水子供養の積石群BBB可動的性質
BBC
諸仏出現岩29奈良県宇陀市室生区室生 室生寺室生寺奥の院の横に隆起する露岩。ここから諸仏が現れ出たといういわれを持つ。BA
C
龍穴/吉祥龍穴/奥宮29奈良県宇陀市室生区室生 龍穴神社龍神が棲むといわれる岩穴。雨乞いの祭祀対象として信仰された。BAC岩穴・窟
奈良県BCA
天の岩戸29奈良県宇陀市室生区室生 龍穴神社天岩戸に擬せられた岩石の亀裂。C
どん亀石29奈良県室生区黒岩この岩石の下に金の仏像が眠るという。EC黄金の何かが隠されているという伝説
霊宝石/天の瓊矛29奈良県宇陀市大宇陀区 春日神社
神楽石29奈良県宇陀市大宇陀区 阿貴山
白石/白石明神29奈良県宇陀市大宇陀区 劔主神社裏山の奥の院の巨岩の一部を打ち欠いて麓の劔主神社に持ってきて分霊・勧請したという岩石群。江戸末期までは社殿を持たずこの白石群を祭祀対象としていた。A岩石に損傷を加える行為山の巨岩の一部を打ち欠いて麓の神社の分霊石とする。
奈良県BA可動的性質
奈良県磐座と石神の性格が混在している事例
劔主神社例祭29奈良県宇陀市大宇陀区 劔主神社例祭日、吉野川から持ってきた小石を川に沈めて禊をし、その小石を劔主神社奥の院の巨岩の前に供える。BBC可動的性質
奈良県水をかける・水に漬かる
奥の院/白石さん29奈良県宇陀市大宇陀区劔主神社の奥の院といわれる石灰岩の露頭で、劔主神社後方の山頂にあるという。A磐座と石神の性格が混在している事例
奈良県BA
奈良県C
月輪石29奈良県橿原市東池尻町 御厨子神社境内にある亀裂の入って2つに分かれた岩石。由来不詳。
光明不動29奈良県橿原市東池尻町 御厨子山妙法寺妙法寺の入口路傍に岩肌を見せる小さな自然石。この岩肌に不動明王の姿が見えれば眼病が治るといわれる。A岩石表面に印・痕・模様が残る
天香山神社 岩石群29奈良県橿原市南浦町 天香山神社社殿背後の山斜面の露岩群を磐座跡とみなす見方があるが確証はない。
天岩戸29奈良県橿原市南浦町 天岩戸神社拝殿の裏に4体の岩の集積があって岩室状の空間を形成しており、これを天岩戸としてまつったもの。玉垣内に真竹が自生し、毎年7本ずつ生え変わることから「七本竹」と呼んでいる。C
月の誕生石29奈良県橿原市南浦町 天香久山月を産んだ岩石。その産湯と足跡が岩石に残るという。EB岩石表面に印・痕・模様が残る
奈良県岩石が満ち欠け・増減・出産する
蛇つなぎ石29奈良県橿原市南浦町 天香久山蛇が巻きついているかのような石のシワが残るという岩石。EC岩石表面に印・痕・模様が残る
豊浦の立石29奈良県高市郡明日香村豊浦 甘樫坐神社飛鳥京の条理の地割り石だったという説や、寺域を示していたという説があるが確定していない。現在は明神探湯神事の時に甘樫の神を憑依させる立石として機能している。BAA
明神探湯神事の炉29奈良県高市郡明日香村豊浦 甘樫坐神社明神探湯神事の時に、熱湯をたぎらす釜を据えるための炉石。BE火が絡む祭祀
奈良県BCD
須弥山石29奈良県高市郡明日香村飛鳥内部に導水構造を有し、配水施設と組み合わせれば噴水が出る岩石構造物。『倭国書紀』に斉明天皇が須弥山石のもとで饗宴を催したという記述があり、これに該当するのではないかと考えられている。水落遺跡のすぐ近くから出土したが、現在は飛鳥資料館の館内に移設展示されている。原位置から移動伝承岩石に水を通して饗宴の施設とする。
石人像29奈良県高市郡明日香村飛鳥内部に導水構造を有し、配水施設と組み合わせれば噴水が出る構造となる石像。須弥山石と同様の性格の石像物と目される。水落遺跡のすぐ近くから出土したが、現在は飛鳥資料館の館内に移設展示されている。原位置から移動伝承岩石に水を通して饗宴の施設とする。
弥勒石29奈良県高市郡明日香村飛鳥胴体はずんぐりと長く屹立し、目鼻立ちは摩滅してしまっているがしっかりとした頭部を持つ石造物。下半身の病に霊験ありという。A
飛鳥坐神社の陽石祭祀29奈良県高市郡明日香村飛鳥 飛鳥坐神社人々が諸願を果たすために奉納された陽石群。BBC
力石29奈良県高市郡明日香村飛鳥 飛鳥坐神社男性は左手で力石を持ち上げる。女性は右手で力石を持ち上げる。持ち上がったら幸福をつかめるという。BBD岩石を持ち上げられるか、軽くなるか重くなるか
奈良県力石
むすびの神石29奈良県高市郡明日香村飛鳥 飛鳥坐神社一対になって並んでいる陽石と陰石。A
恵比須石29奈良県高市郡明日香村飛鳥 飛鳥坐神社高さ30cm程の小さめの岩石。恵比須様の頭部に似ていることから名付けられて信仰された。A
奥の大石29奈良県高市郡明日香村飛鳥 飛鳥坐神社高皇産霊神が宿る陽石。A
小原の立石29奈良県高市郡明日香村小原現在は場所が特定できず行方不明。
亀形石造物29奈良県高市郡明日香村岡亀形石造物とその手前に接する小判形石造物を中心に、その周囲から敷石遺構、配水遺構などが出土した。石造物自体も水を溜め込み次に導水するという配置構造を持っている。
岡の酒船石29奈良県高市郡明日香村岡岩石の表面に円形の窪みと直線状の溝が幾何学的に配置された石造物で、石の左右端は削り取られている。現在は酒船石と亀形石造物を含む周辺一帯が大規模な導水施設として機能していたのではないかという説が有力になっている。岩石が改変されている
出水の酒船石29奈良県高市郡明日香村出水岡の酒船石と類似した溝を持つ石造物。実物は京都市南禅寺の碧雲荘に移設されているが、レプリカを飛鳥資料館で見ることができる。原位置から移動伝承
岡寺奥の院彌勒堂29奈良県高市郡明日香村岡 岡寺弥勒仏をまつっている人工の石窟。BCA岩穴・窟
奈良県BAC
岡の立石29奈良県高市郡明日香村岡 岡寺高さ約3mの立石。
上居の立石29奈良県高市郡明日香村上居高さ1.9mの立石。
マラ石29奈良県高市郡明日香村祝戸考古学者の石田茂作によって命名された斜めに立てられた立石。近代以降の命名
フグリ山/ミワ山 岩石群29奈良県高市郡明日香村祝戸山頂尾根上に岩石の露頭が群集し、神聖視されていた磐座ではないかという説があるが、そのことを裏付ける資料に欠ける。
くつな石29奈良県高市郡明日香村阪田昔、ある石屋がこの岩石にノミを一打ちしたところ赤い血が噴出し、傷ついた蛇が現れたので、石屋は恐ろしくなって逃げ帰った。しかしその夜から熱と腹痛に冒され、やがて亡くなってしまった。村人は神の祟りだと畏れ、神の宿る岩石としてまつったという。A祟り伝承岩石から血と蛇が出て石屋が死んだので、岩石をまつった。
奈良県岩石から血が出る
二面石29奈良県高市郡明日香村橘 橘寺高さ1mほどの岩石の裏表両面に顔が彫られた石像物。人間の善悪両面を岩石に表現したものだといわれている。
三光石29奈良県高市郡明日香村橘 橘寺3つの石が凝り固まったかのような形状の岩石。聖徳太子が経講を行なった際、この石が光輝き、日の光、月の光、星の光が放たれたといわれる。C岩石から煙・光・火・気などが出る
立部の立石29奈良県高市郡明日香村立部定林寺跡にあり、立石というが地表からちょっと顔を出す程度の岩石だという。
川原の立石29奈良県高市郡明日香村川原出水の酒船石から飛鳥川を挟んだ向い側に存在。現在は地中に埋められている。
亀石29奈良県高市郡明日香村川原亀の形状をした石像物。昔、大和湖を巡って川原のナマズと当麻のヘビが争い、ナマズが負けたため川原の亀が枯死してしまった。これを哀れに思った村人が供養のために作ったのが亀石という。亀石はかつて東を向いていたが、少しずつ西に向いており、西の当麻方向を向いた時には大和一帯が泥の海になると言い伝えられている。BBB岩石が動く干からびて死んだ亀を供養するため亀石を造る。
奈良県祟り伝承
鬼の俎29奈良県高市郡明日香村村野口道行く人々を鬼が襲い、捕食に用いたという俎。元は横穴式石槨の底石。EA遺物・遺構の再利用
奈良県EC
鬼の雪隠/鬼の厠29奈良県高市郡明日香村平田鬼が用を足したという雪隠。元は横穴式石槨の蓋石。EA遺物・遺構の再利用
奈良県EC
女(猿石)29奈良県高市郡明日香村平田元禄2年(1702年)に田んぼの中から見つかり、明治時代になって現在地に移設されたという石像。原位置から移動伝承
山王権現(猿石)29奈良県高市郡明日香村平田元禄2年(1703年)に田んぼの中から見つかり、明治時代になって現在地に移設されたという石像。原位置から移動伝承
僧(猿石)29奈良県高市郡明日香村平田元禄2年(1704年)に田んぼの中から見つかり、明治時代になって現在地に移設されたという石像。原位置から移動伝承
男(猿石)29奈良県高市郡明日香村平田元禄2年(1705年)に田んぼの中から見つかり、明治時代になって現在地に移設されたという石像。原位置から移動伝承
益田の岩船29奈良県高市郡明日香村益田高さ5~6m、総重量900tに達するという石造物。石の表面に格子状の線刻があり、頂面に2つの方形穴とそれをつなぐ浅い直線の彫りが見られる。2基の横口式石槨の未完成姿という説があるが確定していない。
人頭石/顔石29奈良県高市郡高取町観覚寺 光永寺猿石と同時に見つかったといわれる独特な風貌の人面石。現在、光永寺で手水石として使用。BCB遺物・遺構の再利用
奈良県BE原位置から移動伝承
天津石門別神社 岩石祭祀事例29奈良県高市郡高取町大字越智 天津石門別神社榊の周りを板石で囲んだ施設を本殿としている。榊を神霊の宿る神籬とし、周囲の板石は磐境としての役割を負っている。BCA榊の周囲を板石で囲んで神社の本殿とする。
高取の猿石29奈良県高市郡高取町 高取城高取城の登山道途中にある。前述の猿石4体と同時に出土したという話がある。原位置から移動伝承
纏向遺跡 辻土坑29奈良県桜井市辻数十基見つかった土抗の内、数基の土抗内から岩石群・祭祀遺物・湧水跡・焼土のセットが検出。岩石群は雑然とも整然ともしない配置で、様々な解釈ができる。磐境説・磐座説・土坑側面補強材説・祭祀施設廃棄跡説がある。BCA今は存在しない岩石土坑に岩石群・祭祀遺物・湧水・炎を用いる行為。
奈良県BA火が絡む祭祀
奈良県BE
奈良県DB
「陰陽石」29奈良県桜井市 九日社横並びに高さ50cmほどの2体の岩塊がまつられており、「陰陽石」と仮称されるが詳細沿革不明。
「磐座」29奈良県桜井市 綱越神社神社境内の一角にまつられている岩石。「磐座」と仮称されるが岩石の名称やいわれなど詳細は不明。
夫婦岩/回り石29奈良県桜井市 素佐男神社2体の丸石。この石の周りを3度回る儀礼がある。岩石の周りを3度回る。
「磐境」29奈良県桜井市 志貴御県坐神社4個の丸石が横並びにまつられたもの。「磐境」と仮称されるが詳細沿革不明。
岩屋不動29奈良県桜井市 平等寺人工的に切り石を組んだ石窟。内部に、不動明王の石仏と梵字「ア」を刻んだ石碑と立石を安置している。A岩穴・窟
奈良県BAC
奈良県BCA
磐座/影向石29奈良県桜井市 平等寺地主神をまつる岩石。A磐座と石神の性格が混在している事例
奈良県BA
神饌石29奈良県桜井市 大直禰子神社正月元旦の神火祭の時、久延彦神社に対する神饌を置く岩石。久延彦神社を遥拝する時はこの石の地点から遥拝するようにといわれている。BCD
奈良県BBA
安産岩29奈良県桜井市 大直禰子神社母を亡くした神子が日々この岩石にすがりながら泣いていたという。C
夫婦岩/影向岩/聖天岩29奈良県桜井市 大神神社2個の草履状の岩石。江戸時代までは参道中央にあり影向岩・聖天岩の名称だったが、今は参道脇に移り夫婦岩と呼ばれ縁結び・安産の霊験を持つという。CC原位置から移動伝承
奈良県近代以降の命名
磐座神社/三穂神社/石神皇后神社/岩上皇后社/岩倉社/岩倉祠/岩上宮/石上社29奈良県桜井市 磐座神社人頭大ほどの岩石を置いてまつる形式の神社。現在、少彦名命を祭神とするが、かつては三穂神社・皇后神社の名を持つように大物主命の后である三穂津姫命をまつっていた。磐座が神社に変遷したものと推測される。BA
奈良県A
山ノ神遺跡29奈良県桜井市 大神神社古墳時代中期初~後期初(4世紀後半~6世紀初頭)の祭祀遺物が出土した遺跡。主石となる巨石の周りを5体の小ぶりの岩石が取り囲む形で見つかり、それらの岩石の一帯には割石が敷き詰められ、人工的に地固めされていた。現在は配置状態が原位置と異なり整備されている。BA原位置から移動伝承当初は碧玉製勾玉・剣形鉄製品・小形素文鏡など玉・剣・鏡の実物に近い遺物構成だったが、後代はそれぞれの模造品に変わっていく。
奥垣内遺跡29奈良県桜井市 大神神社大小の露岩の傍らから古墳時代中期末~後期初頭(5世紀後半~6世紀初頭)を中心とする祭祀遺物が出土した遺跡。現在一部の岩石を残して整備。BA原位置から移動伝承露岩の1つに接して須恵器の大甕が下半分を土中に埋めた状態で置かれ、大甕の中には杯・高杯・壺などの須恵器と多数の滑石製の玉もが収納されていた。
神籬29奈良県桜井市 檜原神社小ぶりの岩石を配置して神社としたもの。BAA
奈良県BAC
辺津磐座29奈良県桜井市 三輪山嘉禄2年(1226年)『大三輪神三社鎮座次第』によると大物主命をまつる磐座。山裾の岩石群を総称して指す名称と思われる。CA禁足地
中津磐座29奈良県桜井市 三輪山嘉禄2年(1226年)『大三輪神三社鎮座次第』によると大巳貴命をまつる磐座。山腹の岩石群を総称して指す名称と思われる。CA禁足地
奥津磐座29奈良県桜井市 三輪山嘉禄2年(1226年)『大三輪神三社鎮座次第』によると少彦名命をまつる磐座。山頂に大小無数の黒光りした斑糲岩が群集しており、これを総称して指す名称と思われる。CA禁足地
禁足地裏磐座群29奈良県桜井市 三輪山大神神社の社殿裏の禁足地(山腹斜面)に分布するという岩石群。文化財上のグルーピングで、6世紀代の新式の子持勾玉が発見されている。禁足地内につき詳細不明。禁足地
奈良県近代以降の命名
オーカミ谷磐座群A群29奈良県桜井市 三輪山樋口清之氏グルーピングによる玄賓庵南側丘陵上の岩石群。後世の石材利用などにより原状をとどめていないとされている。禁足地内につき詳細不明。禁足地
奈良県近代以降の命名
オーカミ谷磐座群B群29奈良県桜井市 三輪山樋口清之氏グルーピングによる玄賓庵北側丘陵上の岩石群。後世の石材利用などにより原状をとどめていないとされている。禁足地内につき詳細不明。禁足地
奈良県近代以降の命名
オーカミ谷磐座群C群29奈良県桜井市 三輪山樋口清之氏グルーピングによる玄賓庵裏の岩石群。大規模な岩群で、人為的に列石を構築したような規則的な配置も見られるという。禁足地内につき詳細不明。禁足地
奈良県近代以降の命名 December 12, 2025
2RP
【ハイウェイパイロットの呟き】
御福餅本家で「お福 包み餅・きな粉」を買ってみました!
数年ぶりにこの辺りを歩いたけど、リニューアルしたのか、こんなキレイなお店有ったかな?
#伊勢シーパラダイス、#ホテルキャッスルイン伊勢夫婦岩 から徒歩圏内です♪
#御福餅本家
#二見浦
#willer
#BE951 https://t.co/NfbcpUSRvZ December 12, 2025
2RP
伊勢講山26京都府宇治市志津川龍ケ壺 神女神社神女神社の背後にそびえる岩壁状の岩山。詳細由来は調査不足につき不明。頂上が岩山
龍ケ壺/竜ケ壺26京都府宇治市志津川龍ケ壺 神女神社喜撰法師が行をしたとされる渓谷。BCE
天降石/岩神さん26京都府宇治市宇治又振 宇治上神社由来不詳。名称から推測して磐座と石神の両方の性格が入っていると思われる。岩塊の上に無数の礫石が積まれている。A磐座と石神の性格が混在している事例
京都府BA
神牛石26京都府久世郡久御山町佐山双置 神牛石神社池中から掘り出したといわれる牛の形をした黒石。天下に凶事ある時は必ず汗を流すという。かつて三福寺にあったが明治の神仏分離で神社にまつられた。神牛石は他に上野国・琵琶湖中にあるという。A原位置から移動伝承
京都府BBD岩石から煙・光・火・気などが出る
説法石26京都府向日市日蓮の孫弟子である日像上人が、この岩石の上で人々に教えを広めたという。BCC
京都府C
白石神社26京都府京都市山科区小山社殿に隣接する高さ約4m、幅約9mの岩石。由来不詳だが、境内で最も目立つ自然石のため、神社の前身の祭祀対象だったと考えられる。CA
蛙岩26京都府京都市山科区川の守り役だった蛙が石化したという岩石。C生き物が石化したもの
経岩26京都府京都市山科区修行僧がこの岩石の上で経を読んだという。道路工事を請けて一部損壊したという。BCE岩石が改変されている仏僧が岩石の上で読経する。
陰岩(陰陽岩/岩屋殿/奥之院)26京都府京都市山科区大宅中小路町 岩屋神社岩屋神社信仰の発祥といわれる石座。麓に社殿が建てられるまで栲幡千々姫命をまつっていた。陰岩の窪みにたまる水は霊水として信仰されたが、現在この水は枯れている。BA岩石に付随して恩恵の水・湯が存在する
京都府CA
陽岩(陰陽岩/岩屋殿/奥之院)26京都府京都市山科区大宅中小路町 岩屋神社岩屋神社信仰の発祥といわれる石座。麓に社殿が建てられるまで天忍穂耳命をまつっていた。BA
京都府CA
琵琶石26京都府京都市山科区四ノ宮在地町 諸羽神社人康親王が琵琶を弾きながら座っていた岩石。隣接する岩坐には注連縄と賽銭箱がある一方、琵琶石には全くないため祭祀・神聖視の段階には入っていないと考えられる。EC
岩坐26京都府京都市山科区四ノ宮在地町 諸羽神社立板状の岩石。由来不詳。C
影向石26京都府京都市山科区日ノ岡夷谷町 日向大神宮高さ約1mの立石。由来不詳。
天の岩戸26京都府京都市山科区日ノ岡夷谷町 日向大神宮人工的に穴を掘った洞穴。内部には戸隠神社の祠がまつられており、岩戸くぐりをすれば開運厄除という。CB胎内くぐり
京都府BBD
京都府BAC
かへし石/力石26京都府京都市伏見区深草鳥居崎町 藤森神社3個の岩石。京都所司代の巡検時に、この岩石をひっくり返しながら拝殿から鳥居まで転がした。氏子が持ち上げて力自慢をしたともいう。BBD可動的性質重い岩石を持ち上げたり転がしたりして、その力を誇示する。
京都府力石
京都府岩石を持ち上げられるか、軽くなるか重くなるか
大岩26京都府京都市伏見区深草向ヶ原町 大岩神社男女二人の神がそれぞれが重い病気にかかった際に、互いの献身的な看病によって病を治したことから、土地の者がその徳をたたえて神社を造り、大岩を男の神としてまつったという。A神々が偉業を成し遂げたので、村人が神社を造ってまつる。
小岩26京都府京都市伏見区深草向ヶ原町 小岩神社男女二人の神がそれぞれが重い病気にかかった際に、互いの献身的な看病によって病を治したことから、土地の者がその徳をたたえて神社を造り、小岩を女の神としてまつったという。A神々が偉業を成し遂げたので、村人が神社を造ってまつる。
奥社 立石26京都府京都市伏見区深草 伏見稲荷大社稲荷山を遥拝するための奉拝所とされる立石。BAA
京都府BBA
おもかる石26京都府京都市伏見区深草 伏見稲荷大社2基の石灯籠の頂部に乗る空輪。石灯籠の前で祈願をして、その後におもかる石を持ち上げた時、予想していたより重ければ願いは叶わず、予想よりも軽ければ願いは叶うという。BBD岩石を持ち上げられるか、軽くなるか重くなるか岩石を持ち上げて、予想よりも重いか軽いかで占う。
京都府可動的性質
御饌石26京都府京都市伏見区深草 稲荷山酒を注いだ素焼き土器70枚を御饌石の上に供え、神に生産豊穣を祈るという「山上の儀」が行なわれる。御饌石の前には、祭祀を行なう神職者専用の台座石が設置されている。BCD台座石の上に神職が座り、酒を注いだ素焼き土器70枚を御饌石の上に供える。
京都府BCC
剱石26京都府京都市伏見区深草 稲荷山人の丈より高いもので、緑がかった剱状の岩石。御剱社の社殿内にあり、剣に似た形状なので、鍛冶・金物関連の霊験を持つ岩石として信仰される。A秘匿されている岩石
雷石26京都府京都市伏見区深草 稲荷山昔ここで激しい雷が落ち、神が呪文を唱えこの岩石に雷を縛り封じたという。古くからの神跡として神聖視される。BBB聖者が与えた霊石神が雷を岩石に封じ込める。
力お大明神26京都府京都市伏見区深草 稲荷山祠の横に露岩あり。詳細は調査不足につき不明。
大岩大神26京都府京都市伏見区深草 稲荷山岩盤を大岩大神としてまつる社。A
稲荷下社神蹟26京都府京都市伏見区深草 稲荷山かつて、神を迎えて祭りを行なったとされる場で、伏見稲荷大社が定める正式なお塚。現在、神蹟であることを示す標石が設置されている。BCA古来の神蹟であることを明示するために標石を置く。
稲荷中社神蹟26京都府京都市伏見区深草 稲荷山かつて、神を迎えて祭りを行なったとされる場で、伏見稲荷大社が定める正式なお塚。現在、神蹟であることを示す標石が設置されている。BCA古来の神蹟であることを明示するために標石を置く。
稲荷上社神蹟26京都府京都市伏見区深草 稲荷山かつて、神を迎えて祭りを行なったとされる場で、伏見稲荷大社が定める正式なお塚。現在、神蹟であることを示す標石が設置されている。BCA古来の神蹟であることを明示するために標石を置く。
長者社神蹟26京都府京都市伏見区深草 稲荷山かつて、神を迎えて祭りを行なったとされる場で、伏見稲荷大社が定める正式なお塚。現在、神蹟であることを示す標石が設置されている。BCA古来の神蹟であることを明示するために標石を置く。
荷田社神蹟26京都府京都市伏見区深草 稲荷山かつて、神を迎えて祭りを行なったとされる場で、伏見稲荷大社が定める正式なお塚。現在、神蹟であることを示す標石が設置されている。BCA古来の神蹟であることを明示するために標石を置く。
田中社神蹟26京都府京都市伏見区深草 稲荷山かつて、神を迎えて祭りを行なったとされる場で、伏見稲荷大社が定める正式なお塚。現在、神蹟であることを示す標石が設置されている。BCA古来の神蹟であることを明示するために標石を置く。
御膳谷神蹟26京都府京都市伏見区深草 稲荷山かつて、神を迎えて祭りを行なったとされる場で、伏見稲荷大社が定める正式なお塚。現在、神蹟であることを示す標石が設置されている。BCA古来の神蹟であることを明示するために標石を置く。
お塚26京都府京都市伏見区深草 稲荷山岩石に神名を刻み山中に立てることで、神と参拝者の交流場としたもので、幕末・明治以降に参拝者個々人が設けた。山中に約1万基存在。BAA山中に、神名を刻した岩石を置き、自分だけの神を迎える場とする。
冠石26京都府京都市伏見区竹田浄菩提院町鳥羽上皇が鳥羽離宮を整備した時、この岩石の上に冠を置き、これを中心に設備を整えたという。EC
雷石26京都府京都市南区東九条札辻町 宇賀神社天から降ってきた岩石。あるいは、神から怒られた雷が、2度と雷を起こさないために石化したという岩石。BBB生き物が石化したもの雷を落とすなと神に怒られたので、石化する。
寛算石26京都府京都市南区西九条蔵王町筑紫国安楽寺の僧・寛算が、死後雷と化して京に禍をもたらした後、この地に落ちて石化したという岩石。後世、歯の治癒に霊験があり「歯神さま」としてまつられる。EA生き物が石化したもの神前に竹箸を供え、その箸で食事をすると歯の病に効果があり、お礼に代わりの竹箸を供える。
京都府BBB祟り伝承
京都府A
仙遊石26京都府京都市東山区 来迎院山仙人が降臨してここで遊んだという。数個の自然石からなり、その前に供物台を置いている。宮内庁陵墓管理地につき立入禁止という。C禁足地
恋占いの石/めくら石26京都府京都市東山区清水 地主神社同じ形状をした2つの岩石が距離を離して置かれている。目をつぶり、片方からもう片方までうまく辿り着いたら恋愛成就するという。岩石表面に銘板を埋め込んでいる。BBD岩石が改変されている目をつぶって、ある岩石から別の岩石へ歩いて占う。
子授け石26京都府京都市東山区 三島神社約150年前に地中から出てきた2つの岩石。陰陽の形状をしており、これを撫でた手でお腹をさすると安産という。BBDなでたりさすったり抱きついたりする岩石をなでた後に、自分の体をさする。
念仏石/鐘代わり石/カンカン石26京都府京都市東山区 青龍寺/伽羅観音本堂前に大小2つの岩石があり、天から降ってきた隕石という。勤行に際して鐘の替わりにこの石を叩いて念仏の調子をとったという。金属音が鳴る。諸願成就の霊石としての信仰もある。BE岩石に損傷を加える行為岩石を念仏の鐘代わりに叩く。
京都府BBD岩石から音声が聞こえる
縁切り・縁結び祈願石26京都府京都市東山区 安井金毘羅宮中央に亀裂が入り、下部に円形の穴を持つ岩石。縁結び・縁切りの願いを書いた形代を岩石に貼り付けて願掛けする。BBD岩穴・窟岩石に願い事を書いた形代を貼り付ける。
瓜生石26京都府京都市東山区林下町 知恩院知恩院が作られる以前から存在していたという岩石。一夜にして瓜生石に瓜のつるが繁り、実がなったという。これは祇園の牛頭天王が瓜生石の上にも降臨したからだとも、感神院新宮の神札が置かれていたのでその神威によるともいう。瓜生石の地中には、二条城への抜け道が隠されているという。BABAどこか遠い場所とつながっている岩石に一夜にして瓜の実がなる。それは岩石の上に牛頭天王が降りたとも、神札が置かれたともいう。9/14の丑の刻に、神列が瓜生石の周りを三回回る「れいけん」という祭祀が行なわれる。
京都府BABB岩石の周囲を回る
影向石26京都府京都市東山区林下町 知恩院勢至堂向かって右側の崖下の岩盤。法然が臨終を迎えた時、加茂明神がこの石の上に降臨したと伝えられる。BABA聖者が亡くなった場所
慈鎮石/慈鎮坐禅石/和尚石26京都府京都市東山区林下町 知恩院慈鎮(慈円)和尚の座禅石。元々は山門の前にあったが天和年間(1681~1684)に現在地へ移され、庭園の一角を彩る庭石となった。BCC原位置から移動伝承和尚の座禅石を庭石に転用する。
京都府C
京都府EC
二十五菩薩の庭26京都府京都市東山区林下町 知恩院知恩院所蔵「阿弥陀如来二十五菩薩来迎の図」をモチーフに作られた石庭で、石が仏菩薩、植え込みが来迎雲を表している。EC
三尊石26京都府京都市東山区林下町 知恩院方丈庭園の奥にある山亭庭園の北西隅に配された庭石。阿弥陀三尊を表現するという。EC
仏足石26京都府京都市東山区林下町 知恩院大理石の仏足石で、直立してある。C
修学院守禅庵遺跡/修学院磐座26京都府京都市左京区修学院守禅庵比叡山の登山口に存在する岩石。岩石の手前から359点の18世紀の土師器皿片を採集。一部には煤が付いていたという。現在、岩石手前には竹に紙垂が付けられた玉串が立てられている。火が絡む祭祀山裾の岩石の手前に、一部煤の付いた土師器皿を置く。
熊谷直実腰掛石26京都府京都市左京区大原勝林院町武士で法然の弟子となった熊谷直実が腰掛けた岩石。EC休み石・腰掛石
紫雲石26京都府京都市左京区黒谷町 黒谷金戒光明寺霊地を求めていた法然がこの岩石の上で念仏を唱えると、紫雲が広がり光が差し込んだことから、この地に寺を開基した。BCC
京都府C
白川子安観世音26京都府京都市左京区北白川鎌倉時代製作の巨大な石仏。白川女が商いを行なう時は、事前にここに花を供えるという。A女商人が商いを行なう前に石仏に花を供える。
弁慶背競石26京都府京都市左京区八瀬秋元町八瀬天満宮の石鳥居南側に立つ高さ2.4mの立石。弁慶が比叡山西塔より持ってきて、下山の度にこの岩石と背比べをしたという。EC原位置から移動伝承
菅公腰掛石26京都府京都市左京区八瀬秋元町 八瀬天満宮祭神である菅原道真が腰掛けた岩石。C休み石・腰掛石
義朝駒飛石26京都府京都市左京区八瀬源義朝が平治の乱に敗れ東国に敗走中、馬に乗ったまま飛び越えたという岩石。EC
真守鉄盤石26京都府京都市左京区大原野村町平安後期の刀工である大原真守が、この岩石と傍にある井泉を使って刀剣鍛冶を行なったという。EC
獅子飛石26京都府京都市左京区来迎院町 来迎院獅子がうずくまったような形状の岩石。聖応大師良忍が文殊の秘法を修していた時、この岩石が獅子となって飛び回ったという。C生き物が石化したもの
袈裟かけ石26京都府京都市左京区来迎院町 勝林院童子が阿闍梨の袈裟を洗濯し、それを乾かすためにこの岩石の上にかけた。BE聖者の装束を洗濯して、岩石の上で乾かす。
京都府EC
法然腰掛石26京都府京都市左京区来迎院町 勝林院法然が腰掛けて休んだ岩石。C
岩上神社26京都府京都市北区松ヶ崎町兵庫県明石の海中で霊光を発していた岩石。当地に持ってきて神社をまつったという。A岩石から煙・光・火・気などが出る
京都府原位置から移動伝承
京都府可動的性質
山住神社/岩倉/北岩倉/石座/石蔵26京都府京都市左京区岩倉西河原町 山住神社石座神社の旧社地で御旅所とされる山裾の露岩。桓武天皇が平安京の東西南北に一切経を埋納したという四岩倉の内の北岩倉と考えられている。BA
京都府BCD
京都府CA
翔雲台 経塚石材26京都府京都市左京区鞍馬本町 鞍馬山本殿金堂裏から発見された平安時代の経塚の蓋石。BCD原位置から移動伝承
京都府経塚関係
背比べ石26京都府京都市左京区鞍馬本町 鞍馬山遮那王尊(源義経)が頼朝に追われ奥州に逃れる時、若き日を過ごした鞍馬に名残を惜しみ、この石と自分の背丈を比べたという岩石。C
魔王殿 岩石群26京都府京都市左京区鞍馬本町 鞍馬山護法魔王尊が降臨した磐座とされる多数の石灰岩の露頭。BCA
京都府C
船形石26京都府京都市左京区鞍馬貴船町 貴船山玉依姫命が貴船川を上る時に乗っていた船を石積で覆って秘匿したもの。船形石の小石を持って帰れば交通安全の霊験がある。CC祭神の乗っていた船を石を積んで隠す。その石を持って帰れば霊験がある。
鏡岩26京都府京都市左京区鞍馬貴船町 貴船山貴船山の中腹にあり、貴船神社祭神のタカオカミノカミが降臨したという磐座。BA禁足地
京都府C秘匿されている岩石
つづみが岩26京都府京都市左京区鞍馬貴船町 貴船山鼓の形状に似ていることから名付けられた名石。EC
天の磐船26京都府京都市左京区鞍馬貴船町 貴船山近くの山奥から採出された船形の自然石を、神社の信奉者が奉献してこの名を付けた。BBC近くで採れた形の良い岩石を奉納する。
石庭「天津磐境」26京都府京都市左京区鞍馬貴船町 貴船山作庭家である重森三玲氏が作った石庭。EC
蛍岩26京都府京都市左京区鞍馬貴船町 貴船山和泉式部がこの場所で蛍を見て、和歌を詠んだという。EC
烏帽子岩26京都府京都市左京区鞍馬貴船町 貴船山大宮人が烏帽子を下ろして休息した岩石。参拝者がここで冷水を浴びて身を清めた場所ともいう。EC休み石・腰掛石
京都府BCB
弁慶石26京都府京都市中京区弁慶石町弁慶が生前大切にしていた岩石。弁慶の死後、奥州高館にあったが岩石が「三条京極に行きたい」と発声鳴動し、付近に熱病が蔓延したため、享徳3年(1454年)、この石を三条京極に安置した。EC原位置から移動伝承偉人が大切にしていた岩石が祟りをなすので、希望通り場所を移す。
京都府EA祟り伝承
京都府岩石から音声が聞こえる
京都府岩石が動く
猿田彦大神御神石/御石さん26京都府京都市上京区大倭国最初御降臨旧跡地とされる岩石。霊験のある岩石だが触れると祟りがあるという。平安京の鬼門を鎮める塞神の性格も有すると考えられる。BAA
京都府BBB
京都府CC
岩神さん/禿童石26京都府京都市上京区大黒町菅原道真の死後、道真の乳母がこの岩石を抱いて泣いたといい、その度に落雷が起こったという。元々は二条城の南辺りにあり、別の場所に移したところ岩石が吠えたり子供に化けたりしたので、仏僧が現在地に移して岩神寺の本尊としてまつった。現在は授乳の神として信仰される。EA祟り伝承祟りのある岩石を仏僧がまつる。落雷を落とす→子供に化ける→授乳の神と変遷する。
京都府A岩石から音声が聞こえる
京都府原位置から移動伝承
京都府可動的性質
登天石26京都府京都市上京区扇町 水火天満宮菅原道真の祟りで雷雨・氾濫が起こった時、法性坊尊意僧正が数珠(神剣)をかざすと、氾濫した川水が下がりその中から、岩石の上に立つ道真が現れた。雷雨が止み、道真は昇天していった。岩石は尊意によって供養をされた後、現在地に安置された。BABA原位置から移動伝承岩石の上に霊が立ち、そして昇天する。
京都府C
出世石26京都府京都市上京区扇町 水火天満宮出世した人が寄進した岩石。BBC
玉子石26京都府京都市上京区扇町 水火天満宮妊娠5ヶ月目に拝むと安産になるという岩石。BBD
蛇の枕/雨石26京都府京都市北区上賀茂本山 大田神社蛇が枕としていたという岩石。農具などでこの岩石を叩くと蛇が怒って雨を降らせるという。BBD信仰対象の荒ぶりを恩恵に変える祭祀農具などで岩石を叩くと雨が降る。
岩上26京都府京都市北区上賀茂本山 賀茂別雷神社葵祭の時、宮司がこの岩の上に座して、賀茂神が宮司の体を通して返祝詞(神の意思)を発する。BABB祭祀執行者であり信仰対象岩石に司祭者が座ると、神が司祭者に憑依して託宣をする。
京都府BCC
岩本社26京都府京都市北区上賀茂本山 賀茂別雷神社川辺の露岩の上に祠を建て、祓えの神であると同時に海上安全守護の神である住吉三神をまつる。BABC
京都府BCB
八嶋龍神26京都府京都市北区上賀茂本山 賀茂別雷神社祠内に高さ50cm強の岩石が注連縄をかけられている。A磐座と石神の性格が混在している事例
京都府BA
立砂26京都府京都市北区上賀茂本山 賀茂別雷神社細殿前にある2体の三角錐の砂山。神山を模したもので、元は神の憑依する依り代として造られたものだったが、これは清めの結界として機能している。この砂を持ち帰れば清めの砂として利用される。BCA砂
京都府BBB可動的性質
御阿礼神事の盛り砂26京都府京都市北区上賀茂本山 賀茂別雷神社砂を盛り、その上に依り代である阿礼木を立てる。砂は依り代の座としての役割を担っている。BABB砂砂で依り代を造る。
降臨石26京都府京都市北区上賀茂神山 神山禁足地の神山の山頂にあり、賀茂別雷神が降臨したといわれる岩石。BA禁足地
京都府CA秘匿されている岩石
貴布禰26京都府京都市北区上賀茂神山 貴船神社京名石と銘打たれている岩石。詳細は調査不足につき不明。
立砂26京都府京都市北区上賀茂神山 貴船神社清めの結界として盛られた砂山。BCA砂
女夫岩26京都府北区上賀茂女夫岩町昔、鴨川が氾濫を起こした後に現れた2つの岩石。外見が伊勢の夫婦岩に似ていることから名付けられたという。当初は注連縄をして信仰対象にしていたが、今はまつられておらず小学校の校庭内で子供達の遊び場となっている。柊野ダムにある岩石と女夫岩は、地中で1つの岩としてつながっているという。A岩石が地下で広範囲に根を張っている伝承
京都府EC
霊巌26京都府北区西賀茂 船山 霊巌寺寺の門前にあったという巨岩。人が通れるほどの穴を下部に持ち、信仰対象だったという。天皇が行幸する時に邪魔だと思った寺の別当が岩を破壊したが、結局行幸はなく寺も衰滅したという。A今は存在しない岩石岩石を破壊したら廃寺となった。
神降窟/降神岩/香水窟26京都府京都市北区雲ヶ畑 岩屋山志明院延喜式内の天津石門別稚姫神社がまつられていたとされる岩窟。菅原道真が製作したという眼力不動をまつる。岩窟内からは鴨川の水源となる水が湧き出て、これは難病を治す香水と称して神聖視されている。C岩石に付随して恩恵の水・湯が存在する
京都府BAC
護摩洞窟26京都府京都市北区雲ヶ畑 岩屋山志明院弘法大師が護摩を焚いたという岩窟。BCE
船岡山 岩石群26京都府京都市北区紫野北舟岡町 船岡山平安宮の北を守護する玄武の磐座と目される山頂の露岩。それを証明する明確な記録はない。周辺から歴史時代の土師器片が散布。
大平和敬神 神石26京都府京都市北区紫野北舟岡町 船岡山大本教関係の修養団捧誠会という団体が昭和45年に立てた石碑。世界平和の神の神石とされる。A近代以降の命名
力石26京都府京都市北区紫野 今宮神社力比べで持ち上げられた岩石。BBD力石
京都府BBC可動的性質
阿呆賢さん/神占石/重軽石26京都府京都市北区紫野 今宮神社この石を手でなでて、自分の体の悪い部分をさすれば、その悪い部分が治癒されるという。また、この石を3回叩いて持ち上げると重くなり、祈願して優しく石を3度さすって石が軽くなったら成就という。BBD岩石を持ち上げられるか、軽くなるか重くなるか石をなでて自分をさすると病気が治る。石を持ち上げて予想より軽くなったら祈願成就。
京都府可動的性質
京都府なでたりさすったり抱きついたりする
鏡石26京都府京都市北区衣笠鏡石町『鹿苑日録』の中で、天文5年(1536年)に鏡石が出現し、貴賎男女が競って参詣したといい、これに該当するとされる岩石。これを鏡にして女性が髪をといたとか、街道を通る牛が、鏡石に映った自分の姿に驚いて角で突いたとか、源義経が自分の姿を映したとか、紀貫之がこれをモチーフに和歌を詠んだという。昭和30年代に道路工事が行われた際に大部分が取り壊された。A岩石が改変されている
京都府EC突如出現した岩石
京都府鏡面を持つ岩石
衣笠山遺跡26京都府京都市北区衣笠衣笠山町山頂に岩盤が露出しており、平安時代の土器片が採集された遺物散布地。相関性は不明。
力石大神/力石大明神26京都府京都市北区等持院町 六請神社祈願した後に持ち上げることができれば成就という岩石。現在は持ち上げられることなく、祈願対象となっている。BBD岩石を持ち上げられるか、軽くなるか重くなるか持ち上げられたら祈願成就の霊石。
京都府A力石
京都府可動的性質
六請神社の小石奉納26京都府京都市北区等持院町 六請神社力石大神は重いため、現在は小石に性別・年齢・祈願内容を記して神前に奉納しても成就するという。BBC可動的性質石に祈願内容を書いて神に奉納する。
京都府BBA
京都府BBD
神輿岩26京都府京都市北区小野中ノ町船形の平石で、かつてここに岩戸社が鎮座していたという。
岩戸社・落葉社 岩壁26京都府京都市北区小野中ノ町社殿の背後に大きな岩壁が存在するが、神聖視の有無は不明。
双ヶ岡 岩石群26京都府京都市右京区 双ヶ岡南側の峰の山腹に露出する岩盤群。古墳が近接
足跡石26京都府京都市右京区山ノ内宮脇町 山王神社親鸞の足跡が残る岩石。C休み石・腰掛石
座石26京都府京都市右京区山ノ内宮脇町 山王神社親鸞が座った岩石。C休み石・腰掛石
男岩(夫婦岩)26京都府京都市右京区山ノ内宮脇町 山王神社女岩とセット関係。夫婦和合・子宝安産の霊験を有する岩石。夫婦岩をなでて子宝を祈願し、夫婦岩の周囲を3度左回りして安産を祈願する。初宮詣の際は梅干を供えた後に幼児の鼻を梅干の皮でつまむ。元来は本殿付近にあったものを移設したという。Aなでたりさすったり抱きついたりする岩石をなでて、周囲を3度回る。梅干を供えて幼児の鼻をつまむ。
京都府BBD岩石の周囲を回る
京都府原位置から移動伝承
女岩(夫婦岩)26京都府京都市右京区山ノ内宮脇町 山王神社男岩とセット関係。夫婦和合・子宝安産の霊験を有する岩石。夫婦岩をなでて子宝を祈願し、夫婦岩の周囲を3度左回りして安産を祈願する。初宮詣の際は梅干を供えた後に幼児の鼻を梅干の皮でつまむ。梅干の種は女岩の中央の窪みに供えて子孫繁栄を祈願する。元来は本殿付近にあったものを移設したという。Aなでたりさすったり抱きついたりする岩石をなでて、周囲を3度回る。梅干を供えて幼児の鼻をつまむ。梅干の種を女岩の窪みに供える。
京都府BBD岩石の周囲を回る
京都府原位置から移動伝承
京都府置銭・投銭祭祀
京都府岩穴・窟
大酒神社 岩石祭祀事例26京都府京都市右京区太秦蜂岡町 大酒神社大酒神社が元来まつっていたという岩石。現存含め詳細不明。今現在確認がとれていない岩石
祈念神石26京都府京都市右京区嵯峨朝日町 車折神社境内の石を家に持ち帰り日夜祈願し続けると祈願成就。成就の際はお礼の言葉を書いた石をもう1個添えて社頭に供え、その集積が石塚となり神威を示す場所となる。BBD可動的性質岩石を家に持ち帰って祈りの道具にする。石に文字を書く。奉納物の集積が石塚となる。
京都府BBC岩石が満ち欠け・増減・出産する
京都府BBA
京都府CA
またげ石26京都府京都市右京区梅津フケノ川町 梅宮大社境内の2個の岩石。嵯峨天皇妃の檀林皇后がこの岩石をまたいだところ子を授かったことから、同様のまたぎを行なうと子授け利益があるという。BBD岩石をまたいで子宝祈願。
京都府CC
産砂26京都府京都市右京区梅津フケノ川町 梅宮大社檀林皇后が出産の際に敷いたとされる神社の白砂。安産のお守りとして授けられる。BCA砂砂を敷いて安産する。
京都府CC可動的性質
影向石/熊野影向石/三石26京都府京都市右京区梅津フケノ川町 梅宮大社熊野から飛来してきた3羽の鳥が石化したという岩石。C生き物が石化したもの
猿田彦大神27京都府京都市右京区梅津フケノ川町 梅宮大社猿田彦大神の石神A
宇壽女命28京都府京都市右京区梅津フケノ川町 梅宮大社宇壽女命の石神A
源雅信墓26京都府京都市右京区御室 成就山宇多源氏の始祖である源雅信の墓とされる自然岩。BCA聖者が亡くなった場所自然石を墓標とする。
梅ヶ畑銅鐸出土地26京都府京都市右京区梅ヶ畑町山腹の「巨巌」裾の地表下から、弥生時代の銅鐸4点が入れ子になって2組状態で埋納されている状態で見つかった。御堂ヶ池群集墳が近接。「巨巌」は都市開発で消滅。古墳が近接巨岩の裾に銅鐸を入れ子にして埋納する。
京都府今は存在しない岩石
梅ヶ畑遺跡 岩塊26京都府京都市右京区梅ヶ畑町丘陵頂部に高さ1.5mの岩塊があり、その南に敷石平坦部が作られ、周囲から8世紀中葉~9世紀後葉の土器群、仏画線刻石製品1点が出土。敷石遺構は修験道の護摩壇と推測され、岩塊を祭祀対象にした平安京守護のための祭祀遺跡と考えられている。御堂ヶ池群集墳が近接。A古墳が近接山頂の自然の岩塊の前で石敷きの護摩壇を設けて都城守護の祭祀を行なう。
京都府BA磐座と石神の性格が混在している事例
梅ヶ畑遺跡 敷石遺構26京都府京都市右京区梅ヶ畑町丘陵頂部に高さ1.5mの岩塊があり、その南に敷石平坦部が作られ、周囲から8世紀中葉~9世紀後葉の土器群、仏画線刻石製品1点が出土。敷石遺構は修験道の護摩壇と推測され、岩塊を祭祀対象にした平安京守護のための祭祀遺跡と考えられている。御堂ヶ池群集墳が近接。BCD古墳が近接山頂の自然の岩塊の前で石敷きの護摩壇を設けて都城守護の祭祀を行なう。
さざれ石26京都府京都市右京区音戸山町 さざれ石山嵯峨天皇が好んで鑑賞したというさざれ石。EC
石椅子26京都府京都市右京区広沢町 児神社寛朝大僧正が広沢池のほとりで座禅をしていた時、傍らにいた子供(児神社祭神)が腰掛けていたという岩石。寿命・安産・縁結びに霊験があるという。CC休み石・腰掛石
児神社 岩石祭祀事例26京都府京都市右京区広沢町 児神社玉垣に囲われ、七福神が供えられている岩石。
広沢古墳 横穴式石室26京都府京都市右京区広沢町古墳時代の土器のほか、平安時代以降の素焼き土器や古銭などが見つかった。古墳石室を聖域空間として後世再利用したことが分かる。BCA遺物・遺構の再利用古墳の石室を中世の祭祀空間に再利用する。
広沢古墳 人面石/石神26京都府京都市右京区広沢町石室の横に建てられた木祠にまつられた石像。人面が彫られており、石室石材の転用ともいわれるが詳細沿革不明。A遺物・遺構の再利用
座禅石26京都府京都市右京区広沢町 遍照寺山寛朝大僧正がいつも座禅していた山腹の巨石。BCC
京都府C December 12, 2025
2RP
オーカミ谷磐座群D群29奈良県桜井市 三輪山樋口清之氏グルーピングによる山腹登山道近くの岩石群。露岩点数はやや少なめで小規模に属すという。禁足地内につき詳細不明。禁足地
奈良県近代以降の命名
オーカミ谷磐座群E群29奈良県桜井市 三輪山樋口清之氏グルーピングによる山頂やや西斜面下の岩石群。大規模な岩群で、人為的に列石を構築したような規則的な配置も見られるという。禁足地内につき詳細不明。禁足地
奈良県近代以降の命名
奥津磐座F群29奈良県桜井市 三輪山樋口清之氏グルーピングによる高宮神社の南西方向の岩石群。環状列石のような配置を見せる好資料という。禁足地内につき詳細不明。禁足地
奈良県近代以降の命名
奥津磐座G群29奈良県桜井市 三輪山樋口清之氏グルーピングによる高宮神社の北西方向の岩石群。環状列石のような配置を見せる好資料という。禁足地内につき詳細不明。禁足地
奈良県近代以降の命名
百目石29奈良県桜井市 三輪山月山谷にある名前の付く岩石。大神神社神地課が「典型的なものとして折紙をつけた磐座」の内の1つ。禁足地内につき詳細不明。禁足地
鏡石29奈良県桜井市 三輪山オーカミ谷中腹にある名前の付く岩石。大神神社神地課が「典型的なものとして折紙をつけた磐座」の内の1つ。禁足地内につき詳細不明。禁足地
登拝道磐座(1)29奈良県桜井市 三輪山登拝口と山ノ神遺跡と三光の滝の3ポイントのほぼ中間に立地。三光谷の入口に位置し、登拝口から徒歩約10分の地点。禁足地
登拝道磐座(2)29奈良県桜井市 三輪山三光の滝から尾根を約15分登った山腹に、杉の巨木と共に注連縄の結界が張られた岩石群が存在。中津磐座に相当するものか。禁足地
登拝道磐座(3)29奈良県桜井市 三輪山(2)地点から5分ほど登った路傍にあり、人工的に小石を配して磐境状に仕立てた祭り場。賽銭が捧げられている。置銭・投銭祭祀
奈良県禁足地
登拝道磐座(4)29奈良県桜井市 三輪山視界の開けた広めの尾根を登り、傾斜がやや急になる坂の途中に露岩群があり、注連縄を張られている。禁足地
登拝道磐座(5)29奈良県桜井市 三輪山坂を登りきって、山頂やや下方の登拝道に注連縄の巻かれた磐座。二重に注連縄が巻かれている。(5)(6)(7)は互いに近接。禁足地
登拝道磐座(6)29奈良県桜井市 三輪山坂を登りきって、山頂やや下方の登拝道に注連縄の巻かれた磐座。(5)(6)(7)は互いに近接。禁足地
登拝道磐座(7)29奈良県桜井市 三輪山坂を登りきって、山頂やや下方の登拝道に注連縄の巻かれた磐座。(5)(6)(7)は互いに近接。禁足地
白山29奈良県桜井市辻眞言律宗巻向山奥不動寺のすぐ北にそびえる岩山。一面が岩盤露出していることから白山の名が付いたものと思われるが、神聖視・祭祀の痕跡は見られない。頂上が岩山
ダンノダイラの「磐座」29奈良県桜井市出雲ダンノダイラ急斜面の山肌に露出する岩崖を主体とし、岩崖の上にある2~3体の岩にも供献皿や注連縄が残されている。麓の出雲村の十二柱神社にはかつて社殿がなく、この「磐座」を拝む場だったという。年に一度出雲村の人々がダンノダイラへ登り飲み食いや相撲をして遊ぶという風習があったという、
天壇29奈良県桜井市出雲ダンノダイラマウンド頂部に集石が存在。冬至の日に天帝をまつるために設けた祭壇という説があるが真相不明。近代以降の命名
素盞鳴神社 岩石群29奈良県桜井市慈恩寺 素盞鳴神社本殿背後に露岩があり「磐座」ではないかとされるが由来不詳。
石神29奈良県桜井市忍坂 忍坂坐生根神社背後にある神体山の宮山に「石神」と呼ばれる約20個の自然石が存在するという。A
金剛寶磐石/磐座/大磐石29奈良県桜井市初瀬 長谷寺長谷寺本尊の十一面観音菩薩の土台に使われている岩石。天平元年(729年)8月15日の夜、突如「金剛寶磐石」が土の中から現れ、磐石には仏像をしつらえるにふさわしい足跡形の穴があったことから、ここに十一面観音菩薩を立てたといわれる。BABC突如出現した岩石仏菩薩を安置するにふさわしい自然石が突如出現する。
奈良県岩石表面に印・痕・模様が残る
ふく石29奈良県桜井市初瀬 長谷寺長谷寺本願院が江戸時代に製作した「初瀬山之図」に記載された岩石。所在未特定。今現在確認がとれていない岩石
気比神29奈良県桜井市初瀬 長谷寺『長谷寺密奏記 裏付』(13世紀頃成立)に「十一面堂東北石座御」とある。所在未特定。今現在確認がとれていない岩石
気多神29奈良県桜井市初瀬 長谷寺『長谷寺密奏記 裏付』(13世紀頃成立)に「同方南石座御」とある。所在未特定。今現在確認がとれていない岩石
宝幢神29奈良県桜井市初瀬 長谷寺『長谷寺密奏記 裏付』(13世紀頃成立)に「十一面堂西南石座御」とある。所在未特定。今現在確認がとれていない岩石
宝語神29奈良県桜井市初瀬 長谷寺『長谷寺密奏記 裏付』(13世紀頃成立)に「同方北石座御」とある。所在未特定。今現在確認がとれていない岩石
見廻不動尊29奈良県桜井市初瀬岩崖。弘法大師が長谷寺の参籠を終えて笠山へ向かう途上ここで見かえり、ここは金剛界・胎蔵界の深理が顕現した霊場であるから、入山する者は心を定め清めなければならないと述べ、山の守り神である須彌山王の上に不動明王の御形を彫ったという。A山の入口に不動明王をまつり結界とする。
奈良県BCA
菅原道真の腰掛石29奈良県桜井市初瀬与喜天満神社の御旅所。菅原道真扮する狩衣装束の老人が腰掛けていたという岩石。切石のような形状で後世創設された可能性がある。CB休み石・腰掛石
泊瀬石29奈良県桜井市初瀬かつて滝蔵神社の近くに毘沙門天を祀る祠があり、ある時この上に雷が落ちて毘沙門天の宝塔が初瀬川に流れ落ちたが、この岩石に引っかかって止まったので、この岩石を泊瀬石と呼んだという。EC
女岩(女男岩)29奈良県桜井市初瀬 与喜天満神社愛しく撫でると心のかどがとれるという岩石。BBDなでたりさすったり抱きついたりする
男岩(女男岩)29奈良県桜井市初瀬 与喜天満神社愛しく撫でると心のかどがとれるという岩石。BBDなでたりさすったり抱きついたりする
山神遥拝所29奈良県桜井市初瀬 与喜天満神社与喜山・与喜天満神社の遥拝所とされる岩石。BA
奈良県BBA
八王子社29奈良県桜井市初瀬 与喜天満神社八王子社の祠の下に存在する岩石。BABC
鵝形石29奈良県桜井市初瀬 与喜天満神社天照大神が降臨したという岩石。BABA
奈良県C
沓形石29奈良県桜井市初瀬 与喜天満神社春日大明神あるいは天児屋根命が降臨したという岩石。BABA
奈良県C
掌石29奈良県桜井市初瀬 与喜天満神社太玉命が降臨したという岩石。BABA
奈良県C
千度まいり石29奈良県桜井市初瀬 与喜天満神社千度参りの際の礼拝石。BBA
与喜山 A地点北西岩石群/磐座29奈良県桜井市初瀬 与喜山/天神山2基の石灯籠を従えて玉垣の後ろに控える岩石。塔のように大きく三段から構成される岩石で、高さ3.1mを測る。
与喜山 A地点南東岩石群29奈良県桜井市初瀬 与喜山/天神山A地点北西岩石群から南東へ10mほど進むと、急斜面に高さ2~3mの岩々が多く露出している。
与喜山 B地点下方岩石群29奈良県桜井市初瀬 与喜山/天神山1962年に杉髙講が奉献した鳥居・灯籠・狛犬などが残る尾根先端の露岩群。
与喜山 B地点上方岩石群29奈良県桜井市初瀬 与喜山/天神山B地点下方岩石群から尾根を少し登るとスパッと鋭角的な輪郭を持つ立石が存在。
与喜山 C地点岩石29奈良県桜井市初瀬 与喜山/天神山天神山北側から登る登山道の入口東側に立地。石祠がまつられている背後に露岩がある。
与喜山 D地点岩石群29奈良県桜井市初瀬 与喜山/天神山山頂尾根の南端に立地する東西隣り合わせの2体の岩石。西側の巨岩は高さ2~3m、幅5mほどの単体の横長石。東側の巨岩は、小さめの岩石が2個横並びになっていて、その上に支石墓の掌石のごとく高さ2m・幅5mほどの巨石が乗っかかっている構造を有する。
陽神29奈良県桜井市初瀬 与喜山/天神山『長谷寺密奏記 裏付』(13世紀頃成立)に「伊弉諾尊也。東山腰石座御。南。」とある。所在未特定だが、A地点南東岩石群の可能性がある。BAB今現在確認がとれていない岩石
陰神29奈良県桜井市初瀬 与喜山/天神山『長谷寺密奏記 裏付』(13世紀頃成立)に「伊弉冉尊也。東山腰石座御。北。」とある。所在未特定だが、A地点北西岩石群の可能性がある。BAB今現在確認がとれていない岩石
光神29奈良県桜井市初瀬 与喜山/天神山『長谷寺密奏記 裏付』(13世紀頃成立)に「月弓尊也。東山北谷石座御。上。」とある。所在未特定だが、B地点上方岩石群の可能性がある。BAB今現在確認がとれていない岩石
雨神29奈良県桜井市初瀬 与喜山/天神山『長谷寺密奏記 裏付』(13世紀頃成立)に「同谷石座御。下。」とある。所在未特定だが、B地点下方岩石群の可能性がある。BAB今現在確認がとれていない岩石
賀茂大明神29奈良県桜井市初瀬落神『長谷寺密奏記 裏付』(13世紀頃成立)に「河中大石座御」とある。賀茂の雷神が瀧蔵権現から毘沙門天の宝塔を奪い取り去る途中でこの川中の岩石に落ちたという。下の屏風岩と同一物の可能性もある。初瀬ダム建設により水没。BABA今は存在しない岩石別の神から宝塔を奪い取った雷神が落ちた岩石。
奈良県BABC
屏風岩29奈良県桜井市初瀬落神高さ4.8mの三角形状の岩石に宝篋印塔と梵字の線刻がなされ、頂部に祠をまつっていたという。天落神六社権現の1つ。戦の時に塀代わりに使われたともいう。初瀬ダム建設により水没。BABC今は存在しない岩石
奈良県BAC
落神 山側斜面の岩盤29奈良県桜井市初瀬落神高さ97cmの宝篋印塔を刻んだ岩盤で、天落神六社権現の1つ。初瀬ダム建設により水没。BAC今は存在しない岩石
天落神六社権現 岩石祭祀事例29奈良県桜井市和田 天落神六社権現初瀬ダム建設により水没した岩石群を偲び、和田地区に遷座した天落神六社権現の境内に新たにまつられた宝篋印塔を刻んだ岩石。CB水没した岩石祭祀の場を偲んで、新たに清浄な岩石に宝篋印塔を刻んで遷座先にまつる。
弥勒菩薩石仏29奈良県桜井市瀧倉 瀧蔵神社境内にまつられた弥勒菩薩の石仏。A
観音屋敷29奈良県桜井市瀧倉 瀧蔵神社大小の岩石群が散在している場所。神聖視有無不明。
中谷休憩所 岩石祭祀事例29奈良県桜井市瀧倉 瀧蔵神社中谷休憩所という鞍部に存在する、注連縄の巻かれた岩石の割れ目から樹木が生えた事例。詳細由来不明。岩石割れ目から樹木、またはその逆
瀧蔵神社 岩石祭祀事例29奈良県桜井市瀧倉 瀧蔵神社拝殿の前に注連縄を巻かれた岩石。詳細由来不明。
猿田彦之命29奈良県桜井市小夫猿田彦之命の神名が表面に刻まれた岩石。人工的に築かれた石檀の上に置かれており神聖視されたことは確かだが、詳細由来不明。
八つ岩/八ッ岩/八箇岩/八龍王八箇石29奈良県天理市長滝町日の谷素戔男尊に斬られた八伎大蛇が八つの蛇となって天に昇り、水雷神となって聚雲の神剣に付き従って降臨した際の岩石という。朱鳥元年(686年)6月、石上神宮神主の布留宿邑智が「東の高山に神剣が発光して八つの竜が座す」という夢を見たので翌日に現地へ行ったところ、霊石八箇があり、傍らに現れた小童の口から「この地に降臨して人々を守ろうと思う」という神託があったため、出雲建雄神社を造ってまつった。BAA生き物が石化したもの八岐大蛇が八つに分裂して降臨した姿とも、八岐大蛇が降臨した岩石ともいう。
奈良県BABA突如出現した岩石
奈良県CA最初の一回だけ磐座機能
天狗岩29奈良県天理市長滝町日の谷八つ岩の近くに残るという地名。今現在確認がとれていない岩石
九頭神社 岩石29奈良県天理市長滝町 九頭神社本殿の背後にある岩石。神聖視有無不明。
八龍王八箇石29奈良県天理市 大国見山八伎大蛇が素盞鳴命に八つ裂きされたのが天から落ちてきた名残の岩石群。日の谷の八つ岩との関連性は不明。
大阪山口神社 岩石群29奈良県香芝市穴虫 大阪山口神社本殿の背後にある露岩群。神聖視有無不明。
石光山 岩石群29奈良県御所市元町 石光山触ると火が出るといわれている巨岩群。隣接して祠がまつられている。山名の由来の可能性もある。石組・石室状の構造を持つものもあるが自然・人為含めて不明点が多い。石光山古墳群の群集墳の合間に存在する。祟り伝承
奈良県岩石から煙・光・火・気などが出る
奈良県古墳が近接
唐笠山 十一面観音29奈良県御所市朝町 唐笠山大穴持神社の鎮座する唐笠山の山頂近くにある露岩。岩石表面に十一面観音が線刻されているという。A
平群石床神社/岩神29奈良県生駒郡平群町越木塚 平群石床神社旧社地里山の裾に露出する岩壁。石床という名と立地から元は磐座だった可能性があり、江戸時代の絵図には岩神と書かれていることから、後世に石神に変化したと考えられる。陰石として女性の病や下半身の病に霊験がある。BABA磐座から石神に変化し、社殿なしのまま神社としてまつる。
奈良県A
神籠石/神護石29奈良県生駒郡平群町越木塚 石床神社拝殿の奥に置かれている岩石。詳細由来不明。
舟石/船石29奈良県生駒郡平群町三里 宮山延喜式内船山神社の祭神が降臨した時に乗った船とされる3体の船形石。CA物品が石化したもの
陽石29奈良県生駒郡平群町三里 船山神社麓の現・船山神社境内に置かれた立石。宮山中腹の中ノ宮(船山神社旧社地)から移設したものという。原位置から移動伝承
夫婦岩/天狗岩/三間石山巨石遺構29奈良県生駒郡平群町櫟原字三石3体の巨岩を中心に大小の岩石群が群集。現在、3体の内の2体に、多数の木の枝が岩に立てかけられている。『住吉大社神代記』の中の、住吉大神が母木里(東大阪市豊浦町付近)と高安国(大阪府八尾市付近)の境に置いた「諍石」に該当するという説がある。岩石に多数の木の枝を立てかける。
十三塚 祭壇状石組29奈良県生駒郡平群町福貴畑塚の手前に、岩石を用いて方形に囲った遺構。区画内に何らかの祭祀具を置いたものと推測されるが確証はない。築造時期は江戸中期以前といわれるが特定できていない。
十三峠地蔵菩薩29奈良県生駒郡平群町福貴畑峠の道標の横に立てられ、明和2年(1765年)の製作の石仏。A
両童子岩29奈良県吉野郡天川村 大峯山高さ約10mの2体の立岩。修験者が一方に登り、その後もう一方に飛び移る修行をする場。BCE巨岩に登り、別の巨岩に飛び移る修行。
子安石30和歌山県新宮市阿須賀 阿須賀神社子安社としてまつられる岩石。子宝安産を祈願する人々が、王子が浜から白石を拾い子安石に奉納して願掛けをする。A可動的性質
和歌山県BBC
蓬莱山遺跡30和歌山県新宮市阿須賀 蓬莱山山中の上オンビ・下オンビと称する場所から、自然石を壁として利用し、その前面三方に石を組み合わせた石室遺構が見つかり、そこから平安~室町時代の御正体194枚や経塚関係遺物(経筒片・経石など)が出土。他に弥生時代の土器、古墳時代の手づくね土器・滑石製模造品も出土。BCD経塚関係山中の自然石を利用して石室を作り、それを経塚とする。
千引岩/千引の岩/宮井戸遺跡30和歌山県新宮市蓬莱かつて海岸の小島だったとされる場所で、飛鳥行人が祭祀していた場所ともいい、黄泉道守命をまつる宮井戸社があった。弥生土器と一字一石経が出土し、千引岩の表面には鎌倉時代あるいは室町時代の「キリーク(大威徳明王)」「カーンマーン(不動明王)」の梵字が刻まれている。A
白玉稲荷神社30和歌山県新宮市蓬莱社殿に接して3体の球状の巨岩が存在。
ゴトビキ岩/琴引岩/神倉山遺跡30和歌山県新宮市神倉 神倉山神倭国磐余彦が熊野に上陸して最初に祈願した霊地「天磐盾」の上部、あるいは、高倉下命が高甕雷神から神剣を授かった場所、さらには熊野三所大神が最初に地上に降臨した場所といわれる巨岩。岩の裾部から中世の経塚群や弥生時代の銅鐸などが出土した。BCC経塚関係司祭者が座す場所でありながら、神が降臨する場所でもある。銅鐸と経塚の伴出。
和歌山県BABA
和歌山県BCD
鏡石(那智の七石)30和歌山県東牟婁郡那智勝浦町 熊野那智大社大門坂に所在。七石
唐斗石(那智の七石)30和歌山県東牟婁郡那智勝浦町 熊野那智大社大門坂に所在。七石
平石(那智の七石)30和歌山県東牟婁郡那智勝浦町 熊野那智大社実方院跡に所在。七石
三ッ石(那智の七石)30和歌山県東牟婁郡那智勝浦町 熊野那智大社珍重庵右横に所在。七石
烏石(那智の七石)30和歌山県東牟婁郡那智勝浦町 熊野那智大社熊野那智大社の遥拝所奥にある岩石。神倭国磐余彦の道案内をした八咫鳥が石化したというもの。C七石
和歌山県生き物が石化したもの
和歌山県秘匿されている岩石
笈掛石(那智の七石)30和歌山県東牟婁郡那智勝浦町熊野那智大社と青岸渡寺の間に所在。七石
降石(那智の七石)30和歌山県東牟婁郡那智勝浦町 青岸渡寺宿坊の尊勝院の裏庭に所在。天から落ちてきたという岩石。七石
和歌山県可動的性質
河内様/河内神社/清暑島30和歌山県東牟婁郡古座川町古座川に浮かぶ小島で、島全体が河内神社としてまつられている。島頂に一枚岩が存在。古座川の川神をまつる場所。BABC禁足地7月の河内祭では、河内様に古座川の清水(潮)を奉納する。
西の倉30和歌山県東牟婁郡古座川町河内様の上流にそびえる岩山。EC
重畳山30和歌山県東牟婁郡串本町橋杭岩と同じ成因による岩脈が残る山。山内に重畳山神社・神王寺と石仏群が存在。EC
橋杭岩30和歌山県東牟婁郡串本町串本の沖から紀伊大島に向かって立ち並ぶ岩の列。太古のマグマによって形成された岩脈が、黒潮の浸食で削られたもの。弘法大師あるいは太吉という村の正直者が一晩で架けようとした橋脚の跡と伝えられる。C
和歌山県EC
高塚の森30和歌山県東牟婁郡串本町潮岬潮御崎神社の神域とされる森。マウンドと露岩群があり、応神天皇の侍従の墓と伝えられ、かつて小祠があったという。マウンド南西に列石・土堤・平坦地形が指摘され、測量調査が実施される。また、夏至に平坦地形からマウンドを望むと、露岩群から太陽が上ってくることが確認され、高塚の森は太陽祭祀の場だったとする説が出されたが、そのことを裏付ける文献記録や遺物の存在に欠ける。夏至の日に、平坦地からマウンドの露岩の頭上に日の出の太陽を望む太陽祭祀の可能性が指摘されている。
盃岩30和歌山県東牟婁郡串本町潮岬 旭之森神功皇后が酒宴を催した際に杯を置いたという岩石。C
阪田山遺跡 環状配石遺構30和歌山県西牟婁郡白浜町阪田山腹斜面に自然露出の岩盤が広がり、その下方に弧状列石、焚火址2ヶ所・環状配石を検出。環状配石遺構は、大小の砂岩16個を直径約1mの環状に配置され、配石の内側からは臼玉約2000点の他、包含層上部からは有孔円板・剣形製品・勾玉・管玉が偏って出土した。環状配石は祭祀具配置空間を明示する遺構あるいは祭祀終了後の廃棄場所を区画する遺構だった可能性がある。BCD環状配石の内外で土砂の種類、遺物の出土点数に差がある。配石内に遺物があまりに多量ということと、臼玉とそれ以外の遺物に出土位置の差が見られるため、祭祀具配置・埋納・廃棄跡など様々な機能が推測される。
和歌山県DB
阪田山遺跡 弧状列石30和歌山県西牟婁郡白浜町阪田岩盤の下方斜面に弧状・壇状に配された岩石群。自然の露岩の可能性もある。
阪田山遺跡 岩盤30和歌山県西牟婁郡白浜町阪田遺跡における祭祀対象と推測されている岩盤。遺跡中最も最高所の斜面に立地。
かろと石30和歌山県田辺市秋津川僧が石を煮て食べ、行をしてから岩石の中に入り、そのまま出なかった。これをかろと石と呼ぶ。BCE岩石の中に籠る
和歌山県BAC
白山 岩石群30和歌山県有田郡有田川町 白山田殿丹生神社の裏山である白山の中腹に、数十mはあろうかという巨岩が屹立し麓から仰ぐことができる。磐座ではないかという説があるが、歴史的に裏付ける明確な資料が確認できない。白山自体は神聖視されており、山頂に白山神社が鎮座。
タテリ岩/一の宮(岸宮遺跡)30和歌山県紀の川市貴志川町岸宮山頂にある高さ5.5mの蛇紋岩。康平6年(1063年)、ここに最初に宮を建てて一の宮と称したとの貴志川八幡宮の社伝がある。CA
中宮/中の宮/上の宮(岸宮遺跡)30和歌山県紀の川市貴志川町岸宮康平6年(1063年)に一の宮を設けた30年後、山腹に遷座して上の宮と称したといわれる場所で、多くの自然石が群集している。周辺一帯の自然石の上面や岩陰から奈良時代~平安時代の和鏡・鐸形銅製品が見つかっている。CA
岸宮中宮遺跡 環状配石遺構(岸宮遺跡)30和歌山県紀の川市貴志川町岸宮中宮の自然石の群れの西に隣接。20数個の角礫を直径約1.5mの環状に巡らせた遺構で、石同士は粘土で固定され、配石内部は石敷きがされていた。1mほど東からは常時湧水を溜めていた井戸遺構を検出。周辺一帯から奈良時代~平安時代の和鏡・鐸形銅製品・魚形銅器・滑石製有孔石製品・土師器・須恵器・黒色土器・瓦器・緑柚陶器などの遺物が出土。
岸宮中宮遺跡 敷石遺構(岸宮遺跡)30和歌山県紀の川市貴志川町岸宮環状配石遺構の西に隣接。周辺一帯から奈良時代~平安時代の和鏡・鐸形銅製品・魚形銅器・滑石製有孔石製品・土師器・須恵器・黒色土器・瓦器・緑柚陶器などの遺物が出土。
前庭/庭園/石組(岸宮遺跡)30和歌山県紀の川市貴志川町岸宮 貴志川八幡宮社殿前の石段脇にある岩石群。安土桃山時代の製作の庭園とされているが、山裾の磐座に手を加えたものとする説もある。EC
七福の庭30和歌山県和歌山市 和歌山城紀州徳川藩祖の徳川頼宣が、紀州藩の隆盛を祈念して1621年(元和7年)に作った石庭。七福神が船に乗っている様子を岩石に擬して配置したもの。かつて本丸御殿の中央にあったが1923年に現在地に移転した。BBC原位置から移動伝承人工的に信仰対象の岩石を製作・奉献して守護神にする。
和歌山県A
弁財天山30和歌山県和歌山市 和歌山城南かつて和歌山城敷地内にあったとされる岩山。麓には紀州徳川勧請神社・子供観音があるほか、山の神の石碑が残されている。頂上が岩山
後醍醐天皇お腰掛けの岩31鳥取県西伯郡大山町御来屋後醍醐天皇が腰掛けた岩石。この岩石に船をつないでおくと流されることはないという。CC休み石・腰掛石
産石31鳥取県米子市橋本 阿陀萱神社天から落ちてきた岩石で、産石神社を建ててまつったという。A可動的性質
金鶏石31鳥取県米子市上新印 圓福寺箱と蓋の2つから構成される岩石構造物で、中には金の鶏(鳩とも)が入っており、元旦に泣いて福を与えてくれたという。かつて別の場所の寺にあり、小僧が開けてしまい金鶏は逃げてしまったので、和尚は逃げてしまった現在地に寺と金鶏石ごと移転したという。BAC黄金の何かが隠されているという伝説
鳥取県EC原位置から移動伝承
赤猪岩31鳥取県西伯郡南部町寺内 赤猪岩神社倭国神話で大国主命を焼き殺した猪岩を土中に封印し、その上に大きな蓋石と玉垣を施し禁忌とした。EA可動的性質不敬の岩石を土中に埋め、蓋石で封じ込める。
鳥取県BBB禁忌が厳しい
越路遺跡31鳥取県鳥取市越路宮丸山立地は麓近くの丘陵斜面。地表下約0.5-1mの辺りで、大ぶりの板石の下から銅鐸1出土。今は存在しない岩石
影石31鳥取県鳥取市用瀬町 三角山三角山頂上の三角山神社周辺に存在する自然石。
重石31鳥取県鳥取市用瀬町 三角山三角山頂上の三角山神社周辺に存在する自然石。
富士石31鳥取県鳥取市用瀬町 三角山三角山頂上の三角山神社周辺に存在する自然石。
天狗石31鳥取県鳥取市用瀬町 三角山三角山頂上の三角山神社周辺に存在する自然石。
万灯石31鳥取県鳥取市用瀬町 三角山三角山頂上の三角山神社周辺に存在する自然石。
双履石31鳥取県鳥取市国府町宮下 宇倍神社武内宿禰が亡くなる前に残したといわれる草履の石化したもの。地中に竪穴式石槨が眠っていることが分かり、古墳石材の一部ということが判明した。C物品が石化したもの
鳥取県遺物・遺構の再利用
岡益の石堂31鳥取県鳥取市国府町岡益安徳天皇陵と伝えられる石造遺構。石檀の上に板石で側壁を造り、中心にエンタシス調の石塔を立てた構造物。製作年代、元来の用途共に不明。聖者が亡くなった場所
羽衣石31鳥取県東伯郡湯梨浜町 羽衣石山天女が水浴びをするため自らの羽衣をかけていた岩石。裾に天女をまつる祠を設けている。C
安産岩31鳥取県東伯郡東郷町宮内 宮内倭文神社難産に苦しんだ妊婦が宮内倭文神社に祈願したところ、この岩石の前で安産したという。以降、安産の霊験を持つ岩石として信仰される。A
春日シヌン谷遺跡32島根県八束郡東出雲町春日シヌン谷露岩群の裾から手捏土器など出土。平野部からかなり奥まった丘陵斜面に位置するが、露岩群の近くに住居址状のテラス4ヶ所検出。今は存在しない岩石
座王さん32島根県松江市鹿島町佐陀本郷 恵曇神社恵曇神社祭神の磐坂日子命が腰掛けたという岩石。C休み石・腰掛石
志谷奥遺跡32島根県松江市鹿島町佐陀本郷字志谷奥高さ1.5mほどの2体の巨石の1.5mほど離れた場所の地中の下層から銅鐸2点、上層から銅剣6点が整然と出土。今は存在しない岩石
元宮/磐座32島根県松江市八雲町熊野 天狗山出雲国一宮熊野大社の元宮と伝えられる山頂付近の露岩群。現在は毎年5月に供物を捧げる元宮祭が行なわれている。BA
島根県CA
犬石32島根県松江市宍道町 石宮神社大国主命が狩りをしていた犬が石化したもの。C生き物が石化したもの
猪石32島根県松江市宍道町 石宮神社大国主命が狩りをしていた猪が石化したもの。C生き物が石化したもの
女夫岩さん/宍岩さん/女夫岩遺跡32島根県松江市宍道町白石2体の巨岩を中心とし、手前に石壇を有する遺跡。古墳時代中期・後期の土器、近世・近代の遺物が出土。石壇も近世・近代のものと推測される。『出雲国風土記』の猪石の候補地。
真玉/真玉さん/願い石32島根県松江市玉湯町 玉作湯神社湯山主之大神(大己貴命)としてまつられてきた自然の丸石。近年「願い石」と呼ばれ、「叶い石」を使った信仰が生まれる。A近代以降の命名願い石に水をかけて、その後、叶い石を願い石に当てると、願い石の霊力が叶い石に分け与えられ、お守りの石になるという。
島根県BBD
叶い石32島根県松江市玉湯町 玉作湯神社神社で販売している小石。この小石を願い石に当てると、願い石の霊力が叶い石に移り、自分のお守りになるという。近年考案された祭祀。BBD近代以降の命名願い石に水をかけて、その後、叶い石を願い石に当てると、願い石の霊力が叶い石に分け与えられ、お守りの石になるという。
御守石32島根県松江市玉湯町 玉作湯神社勾玉の原石。別の場所に保管されていたが、近年の「願い石」信仰を受けて境内に移設されて名付けられる。BD近代以降の命名
夫婦岩32島根県雲南市大東町須賀 八雲山山腹に立地する、須賀神社の奥宮とされる3体の巨岩を中心とする岩石群。それぞれ須佐之男命・奇稲田比売命・清之湯山主三名狭漏彦八島野命をまつる。BAC
島根県CA
大岩32島根県雲南市加茂町岩倉大岩の下には金鶏がおり、大晦日にだけ鳴き声を出し、それを聞いた者は巨万の富を得ることができるという。EC黄金の何かが隠されているという伝説
矢櫃神社 岩石群32島根県雲南市加茂町岩倉矢櫃神社の旧社地の背後に露出する岩石群。岩倉の地名の元ともいわれるが詳細由来不明。
成長石32島根県雲南市三刀屋町多久和 飯石神社ある日突然天から落ちてきた岩石といい、日に日に岩石が大きくなるので、村人達が神様として神社を建ててまつったのが飯石神社の始まりという。明治時代の遷宮工事の際、この岩石の周辺から古墳時代の須恵器片が出土した。A突如出現した岩石
島根県岩石が満ち欠け・増減・出産する
島根県可動的性質
岩坪/岩坪さん/岩坪明神32島根県出雲市東神西町 那売佐神社川床の岩盤に甌穴が開いたもの。神が生まれた時に産湯に使ったという。甌穴は普段砂で埋まっているが、旱魃の時に砂を掘り出して雨乞いすると雨が降るという。C岩穴・窟甌穴に埋まった砂を掘り出すと雨が降る。
島根県BBD
烏帽子岩/石神32島根県出雲市多久町 大船山『出雲国風土記』に記載された楯縫郡神名樋山の石神。日照りの時に雨乞いをすると必ず雨が降るという。A
小石神32島根県出雲市多久町 大船山『出雲国風土記』に記載された、楯縫郡神名樋山の石神の周囲に群集する百余の小石神。この一帯及び付近の滝壺から古墳時代の土師器片が発見されている。A石神の周囲に付き従って百余の小石神の存在が記載される。
島根県BD
命主神社遺跡32島根県出雲市大社町 出雲大社命主神社は出雲大社の境内摂社。江戸時代の社殿改修時、社殿背後の大岩の下から弥生時代の銅戈4点、ヒスイ製勾玉が出土した。今は存在しない岩石 December 12, 2025
2RP
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三重県伊賀市の全体と、周辺一帯。
三重県伊賀市阿保1555にある大村神社と、西隣にある要石社(水かけなまず)と、要石そのもの。
三重県伊賀市阿保1532−1にある伊賀市上下水道部水道施設課青山事業所(今すぐ強制停止シャットダウンさせて、地下深くを奥の奥まで焼いて焼いて焼き滅ぼせや!!!!!)
三重県伊賀市別府536番地にある心和総業と、東南方向隣に在る中部電力パワーグリッド青山変電所(今すぐ強制停止シャットダウンさせて、地下深くを奥の奥まで焼いて焼いて焼き滅ぼしまくれや!!!!)。
三重県伊賀市阿保885−11にある聖武天皇阿保頓宮跡と、西へ約120メートルに位置する西法花寺古墳(垂仁天皇皇子息速別命墓)と、これら周辺一帯広めで。
三重県伊賀市阿保956にある七つ塚(龍神石碑群)と、周辺一帯。
また、近隣の名張市の下比奈知には、地震の神であるなゐの神を祀っていたとされている名居神社が存在する[21]。
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三重県名張市の全体と、周辺一帯。
三重県名張市下比奈知2092にある名居神社と、西南方向へ約250メートルに位置する無名のため池と、更に南へ約250メートルに位置する広大なる小山の森林地帯。
三重県名張市つつじが丘北9番町234にある近畿環境サービス株式会社社員寮と、その西隣に建つ無名の不気味な建物と、これら周辺一帯。
三重県名張市春日丘2番町159にある名張市上水道 春日丘ポンプ所(今すぐ強制停止シャットダウンさせて、地下深くを奥の奥まで焼いて焼いて焼き滅ぼしまくれや!!!!)と、東隣に在る近畿大学工業高等専門学校と、北隣を流れる名張川と、これら周辺一帯。
【鹿島神社】
鹿島神社(愛媛県松山市北条鹿島)の要石(写真あり)
この地方では、地底にいる大鯰の頭を鹿島神がこの石で押さえ地震を防いるので地震が少ないと言い伝えられていた。傍らの石に「ゆるぐともよもやぬけじな要石 鹿島の神のおわすかぎりは」が刻まれている。
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愛媛県松山市の全体と、周辺一帯。
愛媛県松山市北条辻1595にある鹿嶋神社(鹿島神社)と、鹿島の山頂と、鹿島の島全体と、北に伸びている北条港鹿島神洗防波堤灯台と、西へ約400メートル、600メートル、700メートル(玉理島、寒戸島の夫婦岩)に点在する岩礁と、これら周辺一帯海底広めで。
愛媛県松山市八反地にある國津比古命神社と、周辺一帯。
愛媛県松山市上難波311にある愛媛県農林水産研究所と、東隣に在る雪幸園と、愛媛県農林水産研究所から東南方向へ約200メートルに位置する難波奥谷古墳と、更に東南方向に約120メートルに位置する金比羅宮と、これら周辺一帯広めで。
鹿島神社(宮城県加美町)
宮城県加美町の鹿島神社にも要石があり、風土記によれば鹿島神宮のものを模したものだという。
1973年にはまた別の要石が奉納され埋められた[22]。
この鹿島神社は鹿島神宮と祭神は同じだが、他の多くの「鹿島神社」と違い、鹿島神宮ではなく塩竈神社からの勧請である[23]。
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宮城県加美郡(加美町、色麻町)の全体と、周辺一帯。
宮城県加美郡加美町赤塚八番14にある鹿島神社の境内全部(埋められた方の要石の方が危険であろう)!!!と、展示されている要石と、これら周辺一帯。
宮城県加美郡色麻町四かま南川原にある河童川ポンプ場(今すぐ強制停止シャットダウンさせて、地下深くを焼いて焼いて焼き滅ぼせや!!!!!)
宮城県加美郡色麻町四竈官林にある念南寺古墳群(県指定史跡、古墳時代)と、周辺の史跡群名所群聖地群水辺群山岳群山頂と、それ等周辺一帯。
宮城県塩竃市の全体と、周辺一帯。
宮城県塩竈市一森山1番1号にある志波彦神社鹽竈神社と、周辺の広大な森林と境内と、南隣に在る塩竃公園と、これら周辺一帯。
宮城県塩竈市権現堂9−30にある権現堂 PC(隠蔽されているが、浄水場!!!。今すぐ強制停止シャットダウンさせて、地下深くを奥の奥まで焼いて焼いて焼き滅ぼせや!!!!!!)
宮城県塩竈市権現堂2−43にある権現堂浄水場及び配水池(今すぐ強制停止シャットダウンさせて、地下深くを奥の奥まで焼いて焼いて焼き滅ぼせや!!!!!!)
東京都八王子市の全体と、周辺一帯。
東京都八王子市椚田町549−8にある椚田遺跡公園と、園内の東南の隅にある要石らしき平べったい巨石と、傍に建てられた公衆トイレと、これら周辺一帯。
東京都東大和市の全体と、周辺一帯。
東京都東大和市芋窪3丁目1603にある蓮華寺と、西隣にある要石(豊鹿嶋神社)と、これら周辺一帯広めで。
東京都東大和市芋窪1丁目2067にある豊鹿嶋神社と、周辺一帯広めで。
東京都東大和市多摩湖町3丁目にある村山下ダムと、ダム湖である多摩湖(村山貯水池)と、これら周辺一帯広めで。
埼玉県所沢市の全体と、周辺一帯。
埼玉県所沢市上山口にある山口ダムと、ダム湖である狭山湖と、これら周辺一帯広めで。
島根県出雲市の全体と、周辺一帯。
島根県出雲市武志町673にある鹿島神社と、出雲市武志町地区の全体と、周辺一帯。
島根県出雲市中野町7−3にある「いずも電装」と、西北方向隣に在る要石(危険度最高レベル!!!)と、これら周辺一帯広めで。
石川県羽咋市の全体と、周辺一帯。
石川県羽咋市寺家町ケ1にある大穴持像石神社の境内にある地震石と、周辺一帯広めで。
石川県羽咋市寺家町リ128−1にある北部高台送水場(浄水場らしい・・・今すぐ強制停止シャットダウンさせて、地下深くを奥の奥まで焼いて焼いて焼き滅ぼせや!!!!!)
石川県羽咋市寺家町ク1−1にある能登國一宮 氣多大社と、北隣に在る「氣多大社社叢入らずの森」と、更に北に在る無名の池と森林地帯と、これら周辺一帯広めで。
滋賀県長浜市の全体と、周辺一帯。
滋賀県長浜市早崎町にある琵琶湖の中に在る竹生島の全体(島そのものが要石であり、琵琶湖の大鯰が七重に取り囲んでいるらしい)と、周辺の琵琶湖一帯広めで。
滋賀県長浜市早崎町1664−1にある竹生島 宝厳寺と、北北東方向へ約200メートルに位置する竹生島の山頂と、これら周辺一帯。
滋賀県長浜市早崎町1665にある都久夫須麻神社(竹生島神社)と、東隣に在る弘法大師庵跡と、南隣に在る竜神拝所(八大龍王拝所)と、宮崎鳥居と、これら周辺一帯。
滋賀県長浜市早崎町865にある五社神社と、北北東方向へ約200メートルに位置する竹生島一の鳥居と、これら周辺一帯。
滋賀県長浜市早崎町1821にある竹生島神社辺津宮と、南隣の道路の南にある無名の変電所らしき施設(今すぐ強制停止シャットダウンさせて、地下深くを焼いて焼いて焼き滅ぼせや!!!!!)と、これら周辺一帯。
滋賀県長浜市早崎町389にある奥びわスポーツの森と巨大な池と、これら周辺一帯広めで。
滋賀県長浜市湖北町海老江1073にある湖北会 湖北まこも(障害者向けサービス&支援組織)と、西隣にある無名の浄水場らしき外観施設(今すぐ強制停止シャットダウンさせて、地下深くを奥の奥まで焼いて焼いて焼き滅ぼせや!!!)と、南隣に在る早崎ビオトープと、これら周辺一帯広めで。
https://t.co/RqM9lZgNE3
高千穂神社の「鎮石(しずめいし)」
社用で高千穂神社へ出かけたので、久しぶりに境内を散策してきました。
深い緑に囲まれ鎮守の杜は、心を穏やかにしてくれます。
神社には「鎮石」というパワーストーンが祀られています。
強い気をもった方が前に立つと、仰け反るというお話も聞きました。
すごいですね。
(現地案内板より)
第十一代垂仁天皇の勅命により我国で始めて伊勢神宮と当高千穂宮が、 創建せられた際用いられた鎮石と伝えられます。(高千穂宮の鎮石→鹿島神宮創建時に用いられる→高千穂宮に返却された鎮石らしい?鹿島神宮にも要石現存してるので、2つ送ったのかな)
尚住吉、関東鹿島神宮御社殿御造営の際高千穂宮より鎮石が贈られ同宮神域に要石として現存しています。
またこの石に祈ると人の悩みや世の乱れが鎮められると言われています。
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鎮石の場所は、下記リンクで表示されます。(宮崎県西臼杵郡高千穂町向山1にある高千穂峡淡水魚水族館から西へ約100メートルの位置に在ります。32°42'06.5"N 131°17'56.3"E)
https://t.co/4P5FY7kdUX
宮崎県西臼杵郡高千穂町三田井983にある鬼八(きはち)の力石
宮崎県西臼杵郡高千穂町にある仙人の屏風岩と、高千穂峡柱状節理と、真名井の滝と、周辺一帯広めで。
宮崎県西臼杵郡高千穂町三田井1037にある高千穂神社と、本殿の東後方向隣に在る「高千穂宮鎮石」と、これら周辺一帯。
宮崎県西臼杵郡高千穂町の全体と、周辺一帯。
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大阪府大阪市の全体と、周辺一帯。
大阪府大阪市住吉区住吉2丁目 9-89にある住吉大社と、境内にある誕生石と、境内に在るはずの「住吉大社創建時に高千穂宮から贈られた鎮石」(=誕生石かも?おもかる石かも?)と、これら周辺一帯。
大阪府大阪市住吉区墨江1丁目5にある「おいとしぼし社」と、その北隣に在る大歳神社(住吉大社境外末社)にある大歳社で祀られている「おもかる石3つ」の事も・・・・
https://t.co/4zhCFPHNms
住吉大社の境内案内マップは上掲リンクです。
https://t.co/kv6orrflSu
摂津国一之宮
住吉神社の総本社
古くは摂津国 (せっつのくに=大阪府北西部と兵庫県南東部を占める旧国名) の中でも、由緒が深く、信仰が篤い神社として、「一之宮」という社格がつけられ、人々に親しまれてきました。
昭和21年までは官幣大社であり、全国約2300社余の住吉神社の総本社でもあります。
鎮座 神功皇后摂政11年(西暦211年)
祭神(三ツ星=オリオン信仰=エジプト系かな。住友銀行が平家系なので、住吉神社も平家系ペルシャ系だと予想しておりますが、ペルシャ系である更に前は、オリオン信仰エジプト古代王家系なのかも・・・・住吉大社オリオン三筒三星信仰・・・・)
第一本宮底筒男命
第二本宮中筒男命
第三本宮表筒男命
第四本宮息長足姫命(神功皇后)
祭神の由緒
住吉大社の祭神は、伊弉諾尊が禊祓を行われた際に海中より出現された底筒男命・中筒男命・表筒男命の三神、そして当社鎮斎の神功皇后を祭神とします。
仁徳天皇の住吉津の開港以来、遣隋使・遣唐使に代表される航海の守護神として崇敬をあつめ、また、王朝時代には和歌・文学の神として、あるいは現実に姿を現される神としての信仰もあり、禊祓・産業・貿易・外交の祖神と仰がれています。
「倭国書紀」や「古事記」の神代の巻での言い伝え
伊邪那岐命 (いざなぎのみこと) は、火神の出産で亡くなられた妻・伊邪那美命 (いざなみのみこと) を追い求め、黄泉の国(死者の世界)に行きますが、妻を連れて戻ってくるという望みを達することができず、ケガレを受けてしまいます。
そのケガレを清めるために海に入って禊祓いしたとき、住吉大神である底筒男命 (そこつつのおのみこと) 、中筒男命 (なかつつのおのみこと) 、表筒男命 (うわつつのおのみこと) が生まれました。
鎮座の由緒
住吉大社は、第十四代仲哀天皇の后である神功皇后 (じんぐうこうごう) の新羅遠征(三韓遠征)と深い関わりがあります。
神功皇后は、住吉大神の加護を得て強大な新羅を平定せられ無事帰還を果たされます。
この凱旋の途中、住吉大神の神託によって現在の住吉の地に鎮斎されました。
のちに、神功皇后も併せ祀られ、住吉四社大明神として称えられ、延喜の制では名神大社、二十二社の一社、摂津国一之宮、官幣大社に列せられています。
https://t.co/CWhwIQtKqT
全国の『鹿島神社』《神社総数は530社》の全地点と、それぞれの由緒関係地点群と、それ等周辺の聖地群史跡群水辺群山岳群山頂と、それ等周辺の地下深くが、今の危険予想地点です。
https://t.co/6hRz2WriMK
全国の『鹿嶋神社』【79社】の全地点と、それぞれの由緒関係地点群と、それ等周辺の聖地群史跡群水辺群山岳群山頂と、それ等周辺の地下深くが、今の危険予想地点です。
https://t.co/U0tZIdUdbo
全国の『香取神社』(神社総数は420社)の全地点と、それぞれの由緒関係地点群と、それ等周辺の聖地群史跡群水辺群山岳群山頂と、それ等周辺の地下深くが、今の危険予想地点です。
https://t.co/dWaZF18xyh
全国の『厳島神社』《134社》の全地点と、それぞれの由緒関係地点群と、それ等周辺の聖地群史跡群水辺群山岳群山頂と、それ等周辺の地下深くが、今の危険予想地点です。
https://t.co/RMEpDwfw9F
全国の『嚴島神社』《神社総数は328社》の全地点と、それぞれの由緒関係地点群と、それ等周辺の聖地群史跡群水辺群山岳群山頂と、それ等周辺の地下深くが、今の危険予想地点です。
https://t.co/HnqeoUtdYS
東倭国大震災14年に考える『すずめの戸締まり』の「後ろ戸」と「要石」が持つ意味
2025/03/12 15:00 読売新聞社記事
上掲記事によると、
上の絵は左が江戸初期の寛永元年(1624年)に描かれた「大倭国国地震之図」、真ん中が寛文13年(1673年)から貞享2年(1685年)まで発行された 仮名版暦かなはんこよみ の表紙、そして右は安政2年(1855年)の安政江戸地震の後に出された瓦版だ。
いずれの絵でもタケミカヅチが刺した刀のような要石で頭と尾を貫かれた竜が倭国を取り囲み、左と真ん中の絵の右上には
「ゆるぐとも よもやぬけじのかなめ石 かしまの神のあらんかぎりは」
と地震を鎮める呪い歌が添えられている。
・・・・・
上掲に基づき、「鹿島神社」「鹿嶋神社」が、強制大地震発生担当の超悪魔八咫烏五龍会マフィア宗教施設なのであろう・・・・
さとっぴ軍全軍は今すぐ、倭国全国に在る鹿島神社530社と、鹿嶋神社79社について、最も警戒し、これらの所在地と由緒関係地点群と、それ等周辺の聖地群史跡群水辺群山岳群山頂へ、攻撃大部隊を急派し包囲し、地下深くを焼いて焼いて焼き滅ぼしまくれや!!!!!!
更に、要石や鎮石らしき岩が祀られていないか高速調査特定し、見つけ次第に可能性のある岩全て!!!!!に対して総攻撃をかけて必ず完全破壊し、且つ即時殲滅消去せよ!!!!!!!
結界の起点でもあり、強制大地震を起こす能力がある可能性が高い!!!!!!
従って、全ての要石や鎮石の類(できれば力石も。万を超える数らしいが・・・・)を完全破壊し、即時殲滅消去せよ!!!!!!
※※※※※※※
倭国国内に在るビオトープ&ビオランドの全地点と、それら周辺一帯が、今の危険予想地点です。
さとっぴ軍全軍は今すぐ、下記の全地点の地下深くを先制総攻撃して、奥の奥まで焼いて焼いて焼き滅ぼしまくれや!!!!!!!徹底的にヤレ!!!!!!
https://t.co/McFT0Q15lW
北海道
永山新川 - 人工的な水路であるが、河川管理者の北海道開発局がなるべく自然に近いものにしようとビオトープなどの水辺の環境整備に取り組んでいる
岩手県
岩手阿部製粉本社工場 - 「パークファクトリー」の一環として敷地内に整備した。地域に開放され、「ビオトープ芽吹き屋」というレストランに隣接する[2]
宮城県
スポパーク松森 - 仙台市のごみ処理施設松森工場が隣接し、その余熱を再利用したビオトープがある
福島県
ムシテックワールド - 屋外にビオトープが整備されている
三春ダム - 生態系に配慮した新たな水質浄化手法の研究にも取り組むとともにビオトープや人工浮島も整備されている
茨城県
豊里の杜 - ビオトープ・フロント街区中に整備されている
JERA常陸那珂火力発電所 - 敷地内にはビオトープ緑地が整備されている
埼玉県
三ツ又沼 - 荒川河川敷の開平橋付近にあり、希少な動植物が生息している[3]
中落堀川 - 久喜市久喜北にビオトープがある
千葉県
JERA千葉火力発電所 - 自然復元型公園の「ビオトープそが」を同発電所の隣に整備した
手賀沼ビオトープ - 手賀沼総合浄化計画の一環として水生植物を利用して水をきれいにするために設置された[4]
利根川ゆうゆう公園 - 自然観察ゾーンに、窪地の小丘のビオトープ、流れの草地ビオトープ、流路型ビオトープの3つの異なったビオトープが整備されている。人の立ち入りを制限した保全エリアも設けている[5]
東京都
吹上御苑 - 昭和天皇が自然のまま残すように希望し、以後手つかずとなった吹上御苑は、植生を形成、さながらビオトープの様になっている
江古田の森公園 - ビオトープ池が整備されている。自然保護のために江古田の森公園運営協議会で検討して決めた利用ルールがある[6]
桑袋ビオトープ公園 - 元々あった自然を取り戻そうと整備され、環境を整えることで、生物が自然と集まり暮らすことをめざしている[7]
六町エコプチテラス事業 - 足立区が区画整理事業用に取得した土地を利用して農園やビオトープを整備した。2006年土地活用モデル大賞土地活用特別賞受賞[8]
新宿中央公園 - 園内の片隅に設けられている。高層ビル街から徒歩5分という位置[9]
世田谷区 - 区域内を流れる主要河川を暗渠化した後に緑道や親水公園、ビオトープが整備されている
日野市 - 市内の用水路が、水環境の保全や防火用水、ヒートアイランド現象の抑制など、都市に潤いを与えるものと見直され、親水公園やビオトープとして、再整備が進められている
神奈川県
境川遊水地公園 - 遊水地を利用したビオトープで水辺の動植物の観察ができる。一部では化石の採集もできる場所がある(要許可)
浮島町公園
長井海の手公園 ソレイユの丘 - 「ビオトープの小川」として、渓谷風の自然あふれる清らかなせせらぎが再現されている
新潟県
ベルナティオ - 周辺地域の自然保護のためビオトープを整備している
石川県
いしかわ動物園 - 「エコ」に積極的に取り組み、調整池をできるだけ自然の形に近づけるようビオトープ化を図っている
長野県
杉の木貯水池 - 東京電力が貯水池周辺を公園として整備し、池内には人工の浮島が浮かべられている
岐阜県
大安寺川 - 流域の一部沿岸に、大安寺川ホタルの里としてビオトープが整備され、ゲンジボタルの生息地として保護されている
鵜沼駅 - 水と緑をイメージし、ロータリーの中央にビオトープ池が設置されている
ハートピア安八 - 施設の地下水を利用したビオトープが整備されている[10]
万場駅 - ホタルが生息するビオトープ水路が整備されている
静岡県
小笠山総合運動公園 - 自然環境がそのまま維持され、小笠山の自然風景を観察できる
静岡ファクトリーパーク - 敷地内の排水がビオトープに使用されている
愛知県
ノリタケの森 - ビオトープを作り、生態系を回復させている
浅井山公園 - 岸や人工の浮島に水生植物を植えているビオトープがある
エコハウス小牧 - プラザハウスの雨水を利用したビオトープが整備されている[11]
わくわく体験広場 - 施設内には田んぼや畑とともに、ビオトープがある
あいち海上の森センター ムーアカデミー - 施設の周りの小河川にビオトープを整備し、ホタルの育成などを行っている
東邦ガス知多緑浜工場 - 地域の環境保全、生物多様性保全への取り組みの一環として建設時に工場内にビオトープが設置された[12]
下山バークパーク - 中に整備されたビオトープは倭国ビオトープ協会・第1回自然創出部門受賞
東三河ふるさと公園 - 東三河地域の植物をビオトープで紹介する「三河郷土の谷」が設置されている
朝倉川 - 倭国ホタルの会が協力して川の再生を実現するための指針「朝倉川流域ビジョン」を策定し、蛍の生息地となる「ビオトープ」を設けている
ビオトープ(出沢銭亀) - 住民が整備するビオトープ 休耕田を活用している。[13]
三重県
松阪農業公園ベルファーム - 自然と触れ合える自然の3つの池とビオトープが整備されている
滋賀県
愛荘町立愛知川図書館 - 周囲にはビオトープが設置されている
河辺の森駅 - 駅前にビオトープが整備されている
京都府
井ノ奥公園 - 鳥のさえずりや生き物の観察に適した環境のビオトープ池が整備されている
大阪府
鴻池水路 - 大阪府と東大阪市による親水事業[14]。元々農業用水路として使われていたが、下水道処理施設としてリニューアルに当り、ビオトープとして整備、国土交通大臣いきいき下水道賞(2004年度)を受賞
兵庫県
キリンビール神戸工場 - カワバタモロコなどの希少種の保護育成に取り組んでいる[15]
天満大池公園 - ビオトーププランにより、本来の自然の水辺を復活させる試みが行われている
なか・やちよの森公園 - 湖畔の広場にビオトープ池が設置されている
姫路市立水族館 - 屋上にある旧市民プール跡をビオトープに改修した
豊岡市 - 拠点となる一定規模の湿地帯と休耕田等を活用した小規模ビオトープのネットワークで、面的に湿地環境を創出している
和歌山県
道の駅紀州備長炭記念公園 - ビオトープ施設「水辺の森」がある
皆地いきものふれあいの里 - 耕作放棄された水田がふけ田と呼ばれる湿地帯に転じ、水棲生物に富むことで注目され、専門の業者によって自然観察のためのビオトープとしての整備事業が行われた。しかし、これによって豊富な生物相が失われたと批判する声もある。
天神崎 - 内陸側の小さな谷にある水田跡の一つは現在では少し掘り下げられて田んぼビオトープ施設として整備されている
岡山県
キリンビール岡山工場 - アユモドキなどの希少種の保護育成に取り組んでいる[15]
山口県
山口県セミナーパーク - 自然ふれあいゾーン内にビオトープが設置されている
福岡県
響灘ビオトープ - 北九州市若松区にある廃棄物処分場跡地に自然発生した倭国最大級の広さ41haのビオトープ
長崎県
長崎ペンギン水族館 - 駐車場から水族館までは約250mの遊歩道に雑木林や田などを模したビオトープが整備されている
【学校のビオトープ例】
学校によっては、ビオトープという言葉の代わりに、「ビオランド」という言葉を用いていることもある。
ビオランドの名称を使っている学校には、杉並区立第九小学校杉九ビオランド、香川県東かがわ市立相生小学校や東京都武蔵野市立第三小学校、神戸市立雲中小学校、名古屋市立清水小学校 などがある。
そのほか、特定非営利活動法人で新潟県東蒲原郡阿賀町中ノ沢の「お山の森の木の学校」でも、ビオランドという言葉を使っている。
千葉県立小金高等学校
久喜市立本町小学校 …
久喜市立久喜北小学校 … 2003年(平成15年)、ビオトープが完成
久喜市立久喜小学校 … 2004年(平成16年)、ビオトープが完成
久喜市立青葉小学校 … 2005年(平成17年)、ビオトープが完成
久喜市立青毛小学校 … 1998年(平成10年)、ビオトープを造成
久喜市立太田小学校 …
蟹江町立学戸小学校#ビオトープ
流山市立西初石小学校 … 2004年(平成16年)に、学校ビオトープ設置
神戸市立神の谷小学校 … 2000年、ビオトープ(自然ランド)完成
大垣市立小野小学校#ビオトープ整備
静岡市立城山中学校 … 1995年(平成7年)、ビオトープ「めだか池」誕生
静岡大学教育学部附属島田中学校 … 太陽光発電と風力発電による電気を使った循環式のビオトープが作られている
磐田市立向笠小学校 … 全国学校ビオトープ・コンクール 2005年 受賞校
静岡県立浜松城北工業高等学校 … 2002年、ビオトープ「城北の森」が完成
浜松市立北浜北小学校 … 2004年、ビオトープ完成
岬町立深日小学校 … 泉州地域では初めてビオトープが設置された
加古川市立別府西小学校 … 中庭にビオトープがある
岡崎市立羽根小学校 …
大津市立真野中学校 … 2008年、ビオトープ設置
沼津市立香貫小学校 … 2004年、体育館裏に、児童の手作りビオトープが完成
岡崎市立秦梨小学校 …
奈良市立朱雀小学校 … 「教育の森(ビオトープ)」
千葉県立千葉中学校・高等学校 … 2003年創立125周年記念、ビオトープ竣工
実践学園中学・高等学校 … 屋上に「武蔵野の自然」をテーマにしたビオトープ(実践の森)がある
枚方市立招提小学校 … 2002年、ビオトープ完成
目黒区立緑ヶ丘小学校 .. 畑のほかにビオトープが
各務原市立蘇原第二小学校 … 2008年全国学校ビオトープ・コンクール
豊中市立桜井谷東小学校 … 2004年、ビオトープ完成
豊中市立千成小学校 … 1992年、ビオトープが完成山池
豊中市立第十五中学校 … 2008年、ビオトープ再生事業完成
練馬区立大泉小学校 … 近年ビオトープができた
川越市立川越西小学校 … 体育館裏にビオトープが設置されている
新城市立舟着小学校 … 2000年、「わくわくランド」ビオトープ完成
富山市立大広田小学校 … ビオトープも
さいたま市立土呂中学校 … 学校ビオトープ
神戸市立向洋中学校 … 2001年(平成13年)ビオトープ改修完了
中野区立若宮小学校 … 校庭脇に池やビオトープがあり多くの生き物を観察することが出来る
岩国市立由宇小学校 … 2002年、ビオトープ完成
渋川市立渋川南小学校 … 太陽光発電設備やビオトープなど環境教育を考慮した学校施設となっている
桐光学園中学校・高等学校
昭和女子大学 … 構内のビオトープにはゲンジホタルが生息
多治見市立北栄小学校 … 2007年、観察池をビオトープに改修
宮崎市立江南小学校 … 2000年(平成12年) 全国学校教育ビオトープコンクール奨励賞受賞
姫路市立的形小学校 … 2007年(平成19年)、ビオトープ完成
獨協中学校・高等学校 … ビオトープラボが
上越教育大学附属中学校 … 敷地内にビオトープ。現在も魚などが住んでいる
倉敷市立赤崎小学校 … 2005年(平成17年)、ビオトープ完成
姫路短期大学 … 現在では、環境人間学部における研究用のビオトープとして整備されている
神戸市立住吉小学校 … 1999年、ビオトープ完成
堺市立上神谷小学校 … 2007年、ビオトープが完成
東京都立戸山高等学校 … 校舎改築を記念して城北会(同窓会)より寄贈されたビオトープがある
四條畷市立田原小学校 … 2002年、ビオトープが完成
京都市立勧修小学校 … 2003年(平成15年)、水辺のビオトープを新設
草津市立渋川小学校 … 学校ビオトープを2004年に完成。「再生、復元が主目的」を活動テーマに掲げ、地域ぐるみで活動する渋川ビオトープの会がある。[16] December 12, 2025
2RP
竜宝石/鯛寄せの石38愛媛県四国中央市三島中央1丁目 三島神社元々は沖合いにあった岩石でここから毎日鯛が釣れるため、神秘的な岩石と思った庄屋が自宅の庭に岩石を運搬してきたところ不幸が相次いだ。毎日海水を岩石にかけて海の神を拝んだところ災いは収まった。明治時代になって庄屋の子孫が三島神社に奉納した。A祟り伝承鯛が寄ってくる岩石を欲しいと思って自宅に持ち込んだ人に対して祟りを起こす。祟りを鎮めるため岩石に海水をかける。その後神社に奉納する。
愛媛県BBC水をかける・水に漬かる
愛媛県原位置から移動伝承
愛媛県可動的性質
立石遺跡38愛媛県四国中央市土居町津根字立石巨石下から銅矛先端1点出土。
天狗岳38愛媛県西条市 石槌山石鎚毘古命そのものを表す岩山。A頂上が岩山
天柱石38愛媛県西条市 石槌山
牛石/入日滝遺跡38愛媛県今治市大三島町台入日滝安神山南麓の台川上流入日滝にある「牛石」という岩石の中から集中して手捏土器約20点・土師器約1000点出土。
甑石38愛媛県松山市北条除夜に炊事の湯気が立ち上るという高さ6mの白石。甑石を砕いた石片を火打石にする風習があり、その代替に別の小石を乗せておくと甑石と一体化して甑石が損傷することはないという。EB岩石に損傷を加える行為岩石を欠く代わりに別の岩石を乗せておく。
愛媛県岩石が満ち欠け・増減・出産する
愛媛県岩石から煙・光・火・気などが出る
弥勒様38愛媛県大洲市 神南山女神南の頂上にある2体の立石を中心とする岩石群。雨乞いの霊験があるという。A
オショウブ岩38愛媛県大洲市 神南山山頂にあり、下部に洞穴状の岩屋を有する岩石。
ドンビ岩38愛媛県大洲市 神南山卵形の岩石。
八畳岩38愛媛県大洲市 神南山ドンビ岩の直下十数町の位置にある扁平楕円形の緑泥片岩。この岩石の下には金の茶釜が眠っていると伝えられている。EC黄金の何かが隠されているという伝説
盤珪禅師の座禅石/如法寺山頂巨石遺跡38愛媛県大洲市 冨士山/如法寺山山頂にある机状の岩石。盤珪禅師の座禅石。C休み石・腰掛石
仏岩/高山メンヒル38愛媛県大洲市高山ニシノミヤ 高山寺山/高山高さ4.75mの立石。岩石の表側は仏菩薩で、岩石の裏側は神が宿るとされる。かつて石材として麓に運び出されたが、翌日には元の場所に戻っていたという。眼の病に霊験がある。鳥居龍蔵によりメンヒル認定された代表例としても有名。A岩石が動く
愛媛県眼病に効く
愛媛県近代以降の命名
疣岩38愛媛県大洲市高山ニシノミヤ 高山寺山/高山高さ約2mの岩石。
神石38愛媛県大洲市高山ニシノミヤ 高山寺山/高山神田神社の下にあるドルメン状の岩石。神石として畏敬されているという。A
通仙岳38愛媛県大洲市高山ニシノミヤ 高山寺山/高山信仰対象としての霊石。A
高地イラズ38愛媛県大洲市高山ニシノミヤ 高山寺山/高山通仙岳の上部の山頂に広がる岩石群。地元の人が近づかなかった場所。BCA禁足地
朝立台遺跡38愛媛県西予市三瓶町朝立山腹にある巨石の周辺と山麓から古墳後期の土師器出土。
覗き石39高知県高岡郡檮原町-愛媛県上浮穴郡久万高原町 地芳峠峠にあり穴が貫通した岩石が立つ。高知側の永野・峰の段集落の人々が6/28に石槌山を遥拝する場所。BBA石に開いた穴を通して遠くの山を遥拝する。
灯明巌39高知県安芸郡安田町唐浜岬に屹立する岩石。夜や異変の前触れには岩が発光するという。EB岩石から煙・光・火・気などが出る
礫石39高知県高知市一宮町 土佐神社別の場所に鎮まっていた神が、新しい鎮座地を求めて放り投げて落ちた岩石。土佐神社鎮座の起源を物語る神跡。C
禊岩39高知県高知市一宮町 土佐神社禊神事を行なう斎場にあり、祓の神徳がある岩石。河川工事に伴い現在地に移転された。BCB可動的性質
高知県Aここで自らを整える・清める
大山祇神社の岩39高知県高知市天神町 潮江天満宮本殿の裏にある岩石。岩石の上に石祠がまつられている。BABC
八畳岩39高知県高知市柴巻麓・太平洋の眺望が良い平たい岩場。EC
ゴトゴト石39高知県高知市土佐山押すとゴトゴト揺れ動くことから名付けられた岩石。EC岩石が動く
お菱岩39高知県高知市春野町甲殿高さ約20mの菱形の岩石。詳しい由来は伝わっていない。EC
屏風岩39高知県高知市春野町甲殿住吉神社の奥の院の裏に控える屏風状の岩石。EC
烏帽子岩39高知県高知市春野町甲殿お菱岩の近くにあったという奇岩怪石。戦後破壊されたという。今は存在しない岩石
お亀岩39高知県高知市春野町甲殿お菱岩の近くにあったという奇岩怪石。戦後破壊されたという。今は存在しない岩石
蝙蝠岩39高知県高知市春野町甲殿お菱岩の近くにあったという奇岩怪石。戦後破壊されたという。今は存在しない岩石
鳩岩39高知県高知市春野町甲殿お菱岩の近くにあったという奇岩怪石。戦後破壊されたという。今は存在しない岩石
お舟岩39高知県高知市春野町甲殿お菱岩の近くにあったという奇岩怪石。戦後破壊されたという。今は存在しない岩石
唐人駄馬遺跡39高知県土佐清水市奇岩怪石の群れがあり、縄文時代の石器が採集されているが、祭祀場として機能していたかは不明。
おなで石40福岡県北九州市門司区奥田 淡島神社体の悪い所をこれでなでると快方に向かったり、お腹をさすると子宝安産になるという小石の群れ。BBDなでたりさすったり抱きついたりする
福岡県可動的性質
蛇の枕石/夜泣き石40福岡県北九州市小倉北区篠崎 篠崎八幡宮恋仲の女蛇に会えない男蛇が夜毎この岩石を枕にして泣き続けたという。八雲の神が哀れに思って男蛇を竜神に変えて女蛇のいる場所へ導いたという。子供の夜泣き、恋愛成就に霊験があるという。CC
恋占い石40福岡県北九州市八幡東区祇園 仲宿八幡宮目をつぶり、この岩石に辿り着くことができたら恋愛成就という占い石。BBD
女郎岩/上﨟岩/日峯山遺跡40福岡県北九州市八幡西区浅川日の峯 日峯山山頂直下の斜面上に立地していた立石。周辺は岩場。玉依毘売命由縁の岩石という。手前から古墳時代中期以降の土師器群が出土。発掘調査後、倒壊の危険があるため麓の日峯神社境内に移設された。山頂で祭祀を行なわず、山頂直下の岩石を磐境・磐座に見立てて祭祀を行なったと推測される事例。C原位置から移動伝承山頂で祭祀をせず、山頂直下の岩石の手前で祭祀を行なう。
福岡県BCA
福岡県BA
国見岩40福岡県北九州市八幡西区浅川日の峯 日峯山隠岐国焼火神社祭神の大日孁貴尊がこの岩石の上に腰掛けて隠岐島を偲んだという。C
琵琶岩40福岡県北九州市八幡西区浅川日の峯 日峯山隠岐国焼火神社祭神の大日孁貴尊がこの岩石の上で琵琶を弾いて四方を鎮めていたという。C神が岩石の上で琵琶を弾いて国土を鎮める。
福岡県BCC
古代祭場跡/磐境40福岡県北九州市八幡西区山寺町 一宮神社神武天皇が東遷の折に、この地で天神地祇を奉祭したといわれる場所。奥に方形の敷石施設、手前に円形の敷石施設を配し、敷石の中心に常磐木を立てる。C石を方形・円形に敷き詰めて、中央に常磐木を立てて祭祀する。
福岡県BCA
福岡県BABB
高宮40福岡県宗像市田島 宗像大社辺津宮宗像大神の降臨を迎えていたという社殿祭祀以前の祭祀場。列石を持って祭場を区画した施設。BCA
福岡県C
沖ノ島 1号遺跡40福岡県宗像市 沖ノ島露天祭祀の遺跡。東南隅に大石があり、その周囲平坦面一帯を石塁で祭壇状に構築した遺構。8-10世紀初頭の各種祭祀遺物が出土。BCA
沖ノ島 3号遺跡40福岡県宗像市 沖ノ島露天祭祀の遺跡。巨岩の横に接しているが露天上であり、巨岩との関連性は不明。
沖ノ島 4号遺跡/御金蔵40福岡県宗像市 沖ノ島岩陰祭祀の遺跡。巨岩と巨岩が積み重なり、巨岩下に洞穴状の隙間が形成された遺跡。古墳時代の遺物も見つかっているが、中世以降も様々な用途で再利用された空間と見られる。BCA
沖ノ島 5号遺跡40福岡県宗像市 沖ノ島半岩陰・半露天祭祀の遺跡。複数の巨岩が折り重なって形成された岩陰から露天上にかけて、土器を中心とした祭祀遺物の出土。BCA
沖ノ島 6号遺跡40福岡県宗像市 沖ノ島岩陰祭祀の遺跡。巨岩岩陰で列石を以て祭祀空間を区画している遺構。6-7世紀代の各種祭祀遺物が出土。BCA
沖ノ島 7号遺跡40福岡県宗像市 沖ノ島岩陰祭祀の遺跡。巨岩の岩陰床面を石英斑岩の剥片で若干整えた痕跡が見られる。中央に玉類、東側に武器類、西側に馬具類という規則的な遺物配置が確認されている。BCA
沖ノ島 8号遺跡40福岡県宗像市 沖ノ島岩陰祭祀の遺跡。7号遺跡と同じ巨岩の岩陰で、7号遺跡とは背中合わせの位置。岩陰の奥方中央に大石があり、そこから玉類が大量に見つかったため大石を祭祀対象とした可能性が高いと考えられている。BCA
福岡県BAA
沖ノ島 9号遺跡40福岡県宗像市 沖ノ島岩陰祭祀の遺跡。
沖ノ島 10号遺跡40福岡県宗像市 沖ノ島岩陰祭祀の遺跡。
沖ノ島 11号遺跡40福岡県宗像市 沖ノ島岩陰祭祀の遺跡。
沖ノ島 12号遺跡40福岡県宗像市 沖ノ島岩陰祭祀の遺跡。
沖ノ島 13号遺跡40福岡県宗像市 沖ノ島岩陰祭祀の遺跡。
沖ノ島 14号遺跡40福岡県宗像市 沖ノ島半岩陰・半露天祭祀の遺跡。
沖ノ島 15号遺跡40福岡県宗像市 沖ノ島岩陰祭祀の遺跡。
沖ノ島 16号遺跡40福岡県宗像市 沖ノ島岩上祭祀の遺跡。東にさらに高い巨岩(18号遺跡)が望める位置。礫石を敷いて上に祭祀具を配置していたと推測され、遺物は5-6世紀代で新旧あり岩上祭祀でも最終段階に属す遺跡と考えられている。BCA
福岡県BCC
福岡県BCD
沖ノ島 17号遺跡40福岡県宗像市 沖ノ島岩上祭祀の遺跡。北にさらに高い巨岩(18号遺跡)が望める位置。表面を上にして鏡を積み重ね、鏡と鏡の間には車輪石や礫石を挟んで固定し、それら遺物の上から石を積んで蓋をしている。BCC祭祀具を礫石などで挟んで固定し、さらに祭祀具の上から石を積んで蓋をする。
福岡県BCD
沖ノ島 18号遺跡40福岡県宗像市 沖ノ島岩上祭祀の遺跡。周辺一帯で最高所の位置にある岩上にて、原形をとどめていないが複数の石組状遺構が確認されている。三角縁神獣鏡・石釧・玉類など4世紀後半に遡る遺物が出土し、沖ノ島最古級の祭祀遺跡と見られる。また、18号遺跡の巨岩は16・17・19号の祭祀対象だったと推測されている。BCC
福岡県BCD
福岡県BA
沖ノ島 19号遺跡40福岡県宗像市 沖ノ島岩上祭祀の遺跡。南にさらに高い巨岩(18号遺跡)が望める位置。岩上において、赤土・歴史床面を整え、列石で区画して壇を作り、壇上に石を敷いて祭壇状にしている。一帯からは滑石製玉類が多めの各種祭祀遺物が出土。BCA
福岡県BCC
福岡県BCD
沖ノ島 20号遺跡40福岡県宗像市 沖ノ島半岩陰・半露天祭祀の遺跡。中央に金属製品、左側に滑石製品、右側に土器類を配置した様子が確認される。BCA
沖ノ島 21号遺跡40福岡県宗像市 沖ノ島岩上祭祀の遺跡。巨岩の頂部平坦面において方形区画の列石を配し、区画内に岩塊を置いた遺構。岩塊周囲から5世紀前-中の各種祭祀遺物出土。BAA自然の巨岩の上で、方形区画の列石内に岩塊を置いて祭祀対象とする。
福岡県BCA
福岡県BABB
福岡県BCC
福岡県BCD
沖ノ島 22号遺跡40福岡県宗像市 沖ノ島岩陰祭祀の遺跡。巨岩の庇岩陰部分に列石が構築され祭祀場を区画しており、6-7世紀代の各種祭祀遺物が出土。BCA自然の巨岩が織り成す庇岩陰部分を天井面に利用して、地表面には列石で区画して祭祀空間を形成する。
沖ノ島 23号遺跡40福岡県宗像市 沖ノ島岩陰祭祀の遺跡。巨岩が折り重なる洞穴状空間から各種祭祀遺物が出土。BCA
鎭懐石40福岡県糸島市二丈深江 鎭懐石八幡宮神功皇后が三韓征伐の際、2個の卵石を腰に巻いて陣痛を鎮めた。帰還後、当地に2個の卵石を奉献したことから鎭懐石八幡宮がまつられた。BBB秘匿されている岩石2個の岩石を腰に巻いて陣痛を鎮める。
福岡県BBD可動的性質
福岡県BBC
福岡県C
香合石/神籠石40福岡県糸島市前原町 雷山雷神が三種の神器を中に収納したといわれる香箱形の岩石。BCD
福岡県C
亀石40福岡県福岡市東区志賀島 志賀海神社神功皇后が三韓征伐の際、阿曇磯良が亀に乗ってやって来た伝承にちなんで、後世に奉納された岩石。BBC
俎石/俎岩40福岡県嘉麻市田島大隈 鮭神社鮭神社祭礼の際、豊玉姫が鮭を使いに向かわせ、鮭神社祭神であり息子である葺不合尊に対して、鮭がこの岩石から礼拝する。また、その鮭をこの岩石の上で清めて神社に奉納する。BBA神の使いである鮭が拝礼するポイントであり、さらにその鮭を清めて奉納する場でもある。
福岡県BCD
古大間池遺跡40福岡県糟屋郡粕屋町滑石の露頭があり、滑石製模造品など滑石製品の原産地・採掘地として利用された。DA
礫石40福岡県糟屋郡篠栗町 若杉山麓香椎の神が若杉山から無断で杉を持っていこうとしたため、若杉山の神が怒って香椎の神に投げつけた2個の岩石の名残。C神々の力比べ・喧嘩
王墓の上石40福岡県春日市須玖 須玖岡本遺跡弥生時代の甕棺墓の直上地表面に置かれていた細長い岩石。墓標・蓋石などの役割を担っていたと考えられている。原位置から移動伝承
カマト石/鼎石/仙竃石/竃門岳40福岡県太宰府市 宝満山トライアングル上に立つ3体の岩石。その様子が鼎の脚部に見立てられこの名が付いた。天神地祇が湯浴みをするために釜湯を沸かせた場所という。C
釜石40福岡県太宰府市 宝満山カマト石の上に乗せた釜が石化したもの。貞享年間(1684-87)『竃門山旧記』に記載があるが実物は所在不明。C今現在確認がとれていない岩石
釜ノ蓋石40福岡県太宰府市 宝満山カマト石の上に乗せた釜の蓋が石化したもの。貞享年間(1684-87)『竃門山旧記』に記載があるが実物は所在不明。C今現在確認がとれていない岩石
針ノ耳戸/石門40福岡県太宰府市 宝満山心蓮上人と玉依姫命(金剛神)が出会った場所。C
馬蹄石40福岡県太宰府市 宝満山上宮の直下に存在。金剛神の竜馬の蹄の跡が残った岩石。C岩石表面に印・痕・模様が残る
宝城窟40福岡県太宰府市 宝満山役小角が修行していたという岩屋の1つ。窟内に湧水源があり、窟内から多数の土師器と少数の瓦器・陶器片が出土。窟外からは遺物出土なし。BCE岩穴・窟
福岡県C
福城窟40福岡県太宰府市 宝満山役小角が修行していたという岩屋の1つ。BCE岩穴・窟
福岡県C
釼窟40福岡県太宰府市 宝満山役小角が修行していたという岩屋の1つ。BCE岩穴・窟
福岡県C
大南窟40福岡県太宰府市 宝満山役小角が修行していたという岩屋の1つ。8世紀末-13世紀前半の土師器・須恵器・瓦器・陶磁器出土。BCE岩穴・窟
福岡県C
藤窟40福岡県太宰府市 宝満山役小角が修行していたという岩屋の1つ。BCE岩穴・窟
福岡県C
宝塔窟40福岡県太宰府市 宝満山役小角が修行していたという岩屋の1つ。BCE岩穴・窟
福岡県C
釜蓋窟40福岡県太宰府市 宝満山役小角が修行していたという岩屋の1つ。BCE岩穴・窟
福岡県C
宝ノ岩屋/雨宝ノ岩屋40福岡県太宰府市 宝満山役小角がにわか雨をしのいだ場所。後に雨宝童子が安置される。C岩穴・窟
福岡県BCA
福岡県BAC
笠窟40福岡県太宰府市 宝満山
行者堂跡40福岡県太宰府市 宝満山文保2年(1318年)銘の梵字が刻まれた岩石。
上宮遺跡/上宮裏遺跡/岩棚遺跡40福岡県太宰府市 宝満山上宮社殿の背後に断崖絶壁があり、崖下10mに平坦面を持つ岩棚があり、ここから8世紀後半-9世紀代の土師器・須恵器・灰釉陶器が出土。崖の上から投げ込まれたものと類推される。DB土師器杯には油煙の付着したものが多く、灯明皿として用いられた可能性が高い。土器の中には穿孔したものもあった。
普池窟40福岡県太宰府市 宝満山
袖すり岩40福岡県太宰府市 宝満山馬蹄石の下方にある岩石。袖を擦るほどの隙間を進む場所。EC
遠見岩40福岡県太宰府市 宝満山眺望の良い場所にある岩石。EC
座頭墓40福岡県太宰府市大字北谷字大黒字昔から手を触れることが禁じられている石積。畑地内にある。EA禁忌が厳しい
岩間40福岡県筑紫野市大字武蔵字池上 天拝山荒穂神社山腹の神社の背後に存在する露岩群。荒穂明神が鎮座したといわれる岩石群。BA
福岡県C
馬蹄石/神籠石40福岡県久留米市御井町 高良山高良大菩薩がこの地に降臨した時、乗っていた馬の蹄が付いた岩石。この馬蹄跡を踏んで山を登ると足が軽くなるという。BABA岩石表面に印・痕・模様が残る
福岡県C
八葉之石畳/蓮花石40福岡県久留米市御井町 高良山高良大菩薩が一夜の内に築いた列石。現在、一般的に高良山神籠石と呼ばれている遺構のことを指す。C
大日窟40福岡県豊前市 求菩提山修験行者が修行していたという求菩提山の5つの窟の内の1つ。BCE岩穴・窟
普賢窟40福岡県豊前市 求菩提山修験行者が修行していたという求菩提山の5つの窟の内の1つ。BCE岩穴・窟
多聞窟40福岡県豊前市 求菩提山修験行者が修行していたという求菩提山の5つの窟の内の1つ。BCE岩穴・窟
吉祥窟40福岡県豊前市 求菩提山修験行者が修行していたという求菩提山の5つの窟の内の1つ。BCE岩穴・窟
阿弥陀窟40福岡県豊前市 求菩提山修験行者が修行していたという求菩提山の5つの窟の内の1つ。BCE岩穴・窟
求菩提山山頂岩石群40福岡県豊前市 求菩提山山頂の自然の露岩群。修験道以前の信仰の場ともいわれている。
タマタマ石/霊霊石/玉玉石41佐賀県三養基郡基山町大字宮浦 基山山頂にある岩石。五十猛命が腰掛けて四方の国土を眺めていたという場所。岩石手前の平坦地は荒穂神社の旧社地といわれる。C休み石・腰掛石
右の石/子宝石41佐賀県三養基郡基山町大字宮浦 荒穂神社腰掛けると安産になるという岩石。BBD休み石・腰掛石
中の石41佐賀県三養基郡基山町大字宮浦 荒穂神社荒穂明神と高良明神が石を投げあい、高良明神が投げた方の石。高良明神の指の跡が表面に残るという。C神々の力比べ・喧嘩
佐賀県岩石表面に印・痕・模様が残る
左の石41佐賀県三養基郡基山町大字宮浦 荒穂神社荒穂明神が馬に乗って基山から降臨した時、馬の蹄跡が付いた岩石。BABA岩石表面に印・痕・模様が残る
佐賀県C
神頭石41佐賀県佐賀市大和町 下田山/肥前大和巨石パーク神様の頭に形が似ている岩石。ずっと見つめていると自分の先祖の顔が浮かんでくるという。EC
道祖神石41佐賀県佐賀市大和町 下田山/肥前大和巨石パーク3つの岩石が集積して若干の室状空間を形成している。ここにやってきた人の道中安全の守護神という。A岩穴・窟
兜石41佐賀県佐賀市大和町 下田山/肥前大和巨石パーク武将の兜に形が似ていることから名付けられた岩石。EC
御舟石41佐賀県佐賀市大和町 下田山/肥前大和巨石パーク下田山の石神が航海に使用した船といわれる岩石。C
龍の石41佐賀県佐賀市大和町 下田山/肥前大和巨石パーク天に昇っていく龍の様子に似ていることから名付けられたという岩石。大願成就の神。A
佐賀県EC
石神/世田姫/造化大明神41佐賀県佐賀市大和町 下田山/肥前大和巨石パーク『肥前国風土記』佐嘉郡条に登場する世田姫と呼ばれる石神。女神石と男神石という2体の岩石からなる重岩で、下部は通り抜けが可能な岩窟状の空間がある。明治時代の中頃まで、麓の與止日女神社の上宮として毎年11月20日に祭りが行なわれていた。A岩穴・窟
イナリ石41佐賀県佐賀市大和町 下田山/肥前大和巨石パーク倉稲魂(稲荷神)の石神。オニギリの形をしているからイナリ石と名付けたともいう。A
佐賀県EC
誕生石41佐賀県佐賀市大和町 下田山/肥前大和巨石パークここから全ての動物が生まれたという岩石。子孫繁栄・夫婦和合・腹ごみ(子宝)の霊験がある神。麓の眺望が良い。A岩石が満ち欠け・増減・出産する
屏風石41佐賀県佐賀市大和町 下田山/肥前大和巨石パーク屏風のような形をした岩石。EC
烏帽子石41佐賀県佐賀市大和町 下田山/肥前大和巨石パーク烏帽子に似た形状の岩石。下部には狭い室状空間が形成されている。EC岩穴・窟
御座石41佐賀県佐賀市大和町 下田山/肥前大和巨石パーク神様が佐賀平野を眺める時に座っていたとされる岩石。あるいは、悟りを開くための場所。C
佐賀県BCE
天神石41佐賀県佐賀市大和町 下田山/肥前大和巨石パーク天神さま(菅原道真)をまつる岩石。A
雄神石41佐賀県佐賀市大和町 下田山/肥前大和巨石パーク男子としての面目を立たせるように強気をくじき弱きを助け、仁義を重んじるように指導した神様といわれている。A
神籠石41佐賀県佐賀市大和町 下田山/肥前大和巨石パーク神を守る岩石。重岩状になっており、下部には僅かな洞穴状の隙間があるが、狭いので通り抜けは不可能。BD岩穴・窟
天の岩門41佐賀県佐賀市大和町 下田山/肥前大和巨石パーク岩でできた門のように形成されている重岩。高千穂の天岩戸に似ていることから命名された。EC
蛙石/コウジンドック41佐賀県佐賀市大和町 下田山/肥前大和巨石パーク弘法大師を上に勧請したという岩石。蛙のような形状をしていることから名付けられたともいう。BABA
佐賀県EC
たもと石41佐賀県佐賀市大和町 下田山/肥前大和巨石パーク近くの寺の修行僧達が、自分達の服の袂に石を入れて振り回し飛ばし合いをしたところ、その内の1個がここまで飛んできたのだという。EC
金精さん41佐賀県佐賀市大和町 與止日女神社石棒。與止日女命がこの石に触れて子宝を願ったところ健やかな赤ん坊が生まれたという。性神・生産神・塞の神として信仰された。河上神社から移設。BBD原位置から移動伝承
佐賀県Aなでたりさすったり抱きついたりする
石壁神社/石壁社41佐賀県鹿島市古枝 祐徳稲荷神社萬子媛が入定したほこらを明治時代に神社としてまつったもの。萬子媛が80歳の時に神社裏山の石壁に穴を開けたものという。BAC聖者が亡くなった場所
佐賀県岩穴・窟
水鏡41佐賀県鹿島市古枝 祐徳稲荷神社岩石の窪みに溜まった水。萬子姫が生前、物事の吉凶や予知を水に映る姿を見て占っていたという。BBD
石壁山 岩石祭祀事例(1)41佐賀県鹿島市古枝 祐徳稲荷神社祠の中に注連縄の巻かれた岩石があり、その岩石上に石祠がまつられる。BABC
石壁山 岩石祭祀事例(2)41佐賀県鹿島市古枝 祐徳稲荷神社素組みの建屋内に岩壁があり、手前に小鳥居が捧げられている。
石壁山 岩石祭祀事例(3)41佐賀県鹿島市古枝 祐徳稲荷神社祠の中に注連縄の巻かれた岩石があり、その岩石上に石祠がまつられる。(1)と同様の構造。BABC
石壁山 岩石祭祀事例(4)41佐賀県鹿島市古枝 祐徳稲荷神社岩石を基部に置いて木造祠が建つ。石祠が岩石上に建つのと同原理。BABC
岩本社41佐賀県鹿島市古枝 祐徳稲荷神社岩本大神をまつる社。岩石の存在が見当たらないが、神名から考えて社殿内に存在する可能性もある。
岩崎社41佐賀県鹿島市古枝 祐徳稲荷神社岩崎大神をまつる社で、縁結びの神とされる。祠の背後に単体の岩塊が控えている。
鹿島市浜新方 岩石祭祀事例41佐賀県鹿島市浜新方民家の敷地内。石壇の上に1個の岩塊が置かれ、注連縄が巻かれている。岩石の上には皿が置かれている。
男岩(立神岩/夫婦岩)41佐賀県唐津市湊玄界灘に面する海岸沿いに形成された、高さ約40mを誇る玄武岩の立岩。立岩群の狭間に人工的に岩窟が形成されており、内部には仏像を収めた石祠がまつられている。A岩穴・窟
女岩(立神岩/夫婦岩)41佐賀県唐津市湊玄界灘に面する海岸沿いに形成された、高さ約40mを誇る玄武岩の立岩。立岩群の狭間に人工的に岩窟が形成されており、内部には仏像を収めた石祠がまつられている。A岩穴・窟
望夫石41佐賀県唐津市呼子町 田島神社松浦佐用姫が、新羅へ出征する夫との別離を悲しみ泣き続けた挙句石化したもの。後世、秀吉が腰掛けると岩石が熱を持ちむくむくと動き、小便をかけたら大波が来て小便を洗い流したため、恐れて神領百石を寄進した。C生き物が石化したもの
佐賀県熱を持つ岩石
佐賀県岩石が動く
太閤祈念石41佐賀県唐津市呼子町 田島神社秀吉が祈願成就するなら2つに割れよと念じて槍を突いたら2つに割れた岩石。BBD偉人が真っ二つに割った岩石祈願成就の是非を念じて石を2つに割る
佐賀県C
岩戸神社42長崎県雲仙市瑞穂町西郷丁岩戸神社の本殿は自然岩壁の裾に形成された洞穴内にまつられている。BCA岩穴・窟
景華園遺跡42長崎県島原市景華園弥生~鎌倉の複合遺跡。重量20t前後の巨大な掌石を用いた支石墓が出土。
カンゴ石42長崎県島原半島体調を崩した殿様をこの石の上で休ませたら回復したことからまつられるようになったという岩石。BBD休み石・腰掛石
長崎県A
原山支石墓群/原山ドルメン42長崎県南島原市北有馬町原山縄文時代最晩期に築かれた現存46基の支石墓。
天ヶ原遺跡/セジョウガミ42長崎県壱岐市勝本町天ヶ原東触菖蒲坂セジョウガミと呼ばれる石祠の基壇に巨石が使われており、この巨石下から銅矛3点出土。BABC
大野台遺跡42長崎県佐世保市鹿町町大形の岩石数体が集在する地点の南に接して土坑が掘り込まれ、その中から銅鐸袋部・土器・玉が出土。本遺跡は支石墓が多いので、構造から見て支石墓の可能性もあり。今は存在しない岩石
王位石/生石/湧き出し大明神42長崎県北松浦郡小値賀町 野崎島慶雲元年(704年)勧請の沖ノ神島神社の背後にそびえる高さ約24mの石組状構造物。2本の石柱の上に平石が横渡しされており、人工・自然によるものかは不明。地中から湧き出した鳥居といい、年に米粒1粒分ずつ大きくなっているという。沖ノ神島神社大明神が平石の上に降臨したと伝えられる。A岩石が満ち欠け・増減・出産する
長崎県BABA突如出現した岩石
長崎県BCA
腹痛石42長崎県対馬市豆酘 海岸神功皇后と武内宿禰がそれそれ腰かけたという2個の岩石。この岩石を踏んだり、2個の間を通ると腹痛になるといわれた。現在は消失。C休み石・腰掛石
長崎県祟り伝承
長崎県今は存在しない岩石
押戸石/押戸岩/押戸ノ石43熊本県阿蘇郡南小国町中原 押戸石山鬼がお手玉をして遊んでいたという岩石群。足で踏むと雨が降るので登ってはいけないという。近年ペトログリフがあるということで注目されているが真相は不明。EC岩石を踏むと雨が降るので雨乞い儀礼に使えそうだが、雨乞いを伝える祭祀記録は残っていない。
前不動岩(不動岩)43熊本県山鹿市蒲生山腹に屹立する岩峰状の巨岩。中世、行者が山中に不動明王をまつりその行場として用いられたという。BCE
中不動岩(不動岩)43熊本県山鹿市蒲生山腹に屹立する岩峰状の巨岩。中世、行者が山中に不動明王をまつりその行場として用いられたという。BCE
奥不動岩(不動岩)43熊本県山鹿市蒲生山腹に屹立する岩峰状の巨岩。中世、行者が山中に不動明王をまつりその行場として用いられたという。BCE
岩倉さん/米原岩倉遺跡43熊本県山鹿市菊鹿町大字米原丘陵先端部に高さ8m程の巨岩が数体存在。「岩倉さん」と呼ばれ、かつては雨乞いの祭祀対象だったという。付近から瓦片・五輪塔片が見つかったことから、堂宇が存在した可能性もある。A磐座と石神の性格が混在している事例
熊本県BA
鹿央岩倉遺跡43熊本県山鹿市鹿央町大字岩倉標高185mの山頂に、一昔前まで正月などに参拝する者も多かったという巨岩。1940年前後、鳥居龍蔵によって刀剣1点が発見されているという。1976年には江戸時代の寛永通宝が発見された。A磐座と石神の性格が混在している事例
熊本県BA
夫婦石43熊本県合志市合生・灰塚合生と灰塚の二地区にある岩石を総称して夫婦石という。農作業の邪魔なので合生の大石を割ろうとしたら、灰塚の大石がうなったので割るのを止めた。EA岩石から音声が聞こえる
おかミノ石/拝み石/拝石/夫婦石/拝ヶ石/拝ヶ石宗教遺跡/拝ヶ石巨石群43熊本県熊本市河内町東門寺拝ヶ石山(標高447m)の山頂から山腹にかけて露出する岩石群。弘法大師がこの岩石の上に登り太陽を拝したといわれ、その時の足跡が残るという。常人が岩石に登ると腹痛が起こるという。南西側に横たわっている岩石はかつて直立しており、その頃は夫婦石と呼んでいたが、昔の地震で折れ倒れてしまったという。ここから阿蘇の神を拝んでいたことから拝み石と呼ぶようになったという。また、菊池神社祭神の菊池武重がこの岩石の上に登り一ノ岳(金峰山最高峰)を拝んだから拝み石ともいう。鎌倉~足利時代のかわらけ、中世の土師器細片2点が見つかっている。BCC岩石表面に印・痕・模様が残る岩石の上に登り、太陽・阿蘇山・金峰山などを拝んだ。
熊本県BBA祟り伝承
熊本県C岩石が改変されている December 12, 2025
1RP
都介野岳 岩石群29奈良県奈良市都祁南之庄町かつては山頂の竜王社横に磐座とされる岩石群が存在したが、近年すべて麓に降ろしたという。詳細の経緯は情報収集不足につき不明。原位置から移動伝承
白石29奈良県奈良市都祁南之庄町 国津神社白石と呼ばれる霊石を伊勢から河内へ運んでいると突然この場所で動かなくなったので、これを神意と見てここに国津神社を建てたという。A可動的性質霊石を遠方から運んで途中で動かなくなる。
白石29奈良県奈良市都祁白石町 国津神社南之庄国津神社から分霊して霊石を運んでいたところこの地で動かなくなったため、ここに神社を建ててまつった。A可動的性質霊石を遠方から運んで途中で動かなくなる。
御社尾の神石29奈良県奈良市都祁小山戸町 都祁山口神社元慶3年(880年)、水分神が白龍の姿で降臨した磐座。近くから古墳時代の管玉が2点発見されている。BABA
奈良県CA
都祁直霊石29奈良県奈良市都祁小山戸町 都祁山口神社都祁山口神社から御社尾の神石に向かう途中にある石碑。
八柱神社 岩石群29奈良県山辺郡山添村遅瀬社殿の東隣から上方斜面に岩石の露頭が複数分布。いわれはなし。
十三磨崖仏29奈良県山辺郡山添村遅瀬室町時代後期の磨崖仏。自然石の表面を平滑に加工した上で、6体の地蔵、13種の菩薩を26体彫刻し、それぞれに梵字を添えている。A
乞食岩29奈良県山辺郡山添村遅瀬この川辺に住み着いていた乞食が、岩石の上面に開いた穴に水をため、川魚のいけすとして使用していた。EA
奈良県EC
東山の天狗岩29奈良県山辺郡山添村遅瀬天狗が積み重ねたという、4畳半の岩を3重に積み重ねた形の巨岩。所在特定できず。今現在確認がとれていない岩石
鏡石29奈良県山辺郡山添村中峰山 神波多神社拝殿と向かい合うように残る三角形状の岩石。
山神29奈良県山辺郡山添村中峰山 神波多神社山神をまつる石碑。BAA
庚申29奈良県山辺郡山添村中峰山 神波多神社庚申をまつる石碑。BBC
奈良県A
舟岩29奈良県山辺郡山添村中峰山字オクヤデ高さ3m、幅10mの舟形の岩石の集積。名張川の上流から船で下ってきた素戔嗚命が、この地で船から降り、その船が石化したもの。あるいは、神功皇后が三韓征伐を行なった時、乗っていた船が石化したもの。C物品が石化したもの
山之神29奈良県山辺郡山添村中峰山山神をまつる石碑。BAA
地蔵岩29奈良県山辺郡山添村中峰山
十市姫の岩29奈良県山辺郡山添村中峰山
大師岩29奈良県山辺郡山添村中峰山
大亀石29奈良県山辺郡山添村中峰山横から見た姿が亀に似ているということから名付けられた岩石。岩に5mの亀裂空間があり、神波多神社の祭神(素戔鳴尊/牛頭天王)が出てきたという言い伝えが残る。BAC岩穴・窟
奈良県C
大川遺跡対岸磨崖仏29奈良県山辺郡山添村中峰山川沿いの広い平坦面をもつ岩壁に仏の姿が彫刻されている。A
長持石29奈良県山辺郡山添村吉田 岩尾神社吉田集落の人々が遠方から氏神を迎えようと祭祀をしたところ、轟音と共に伊賀から神が婿入りに来て、その時の神の婿入り道具である長持が石化したもの。C物品が石化したもの集落の氏神を外から迎えたところ、遠方の神が婿入り道具と共にやって来る。
奈良県突如出現した岩石
つづら石29奈良県山辺郡山添村吉田 岩尾神社神の婿入り道具であるつづらが石化したもの。岩石の表面に十字架状の長石の層があり、つづらに見立てられたものと推測される。また、岩石の上面には神が降臨した時に乗っていた馬の蹄跡が残るという。C物品が石化したもの婿入り道具の荷物に祭神の馬の蹄跡が残る。
奈良県BABA突如出現した岩石
奈良県岩石表面に印・痕・模様が残る
鏡台29奈良県山辺郡山添村吉田 岩尾神社神の婿入り道具である鏡台が石化したもの。C物品が石化したもの
奈良県突如出現した岩石
ハサミ29奈良県山辺郡山添村吉田 岩尾神社神の婿入り道具であるハサミが石化したもの。C物品が石化したもの
奈良県突如出現した岩石
石の水鉢29奈良県山辺郡山添村吉田 岩尾神社神が休憩の際に水を飲んだという水鉢。C
箪笥石29奈良県山辺郡山添村吉田 岩尾神社神の婿入り道具である箪笥が石化したもの。C物品が石化したもの
奈良県突如出現した岩石
葛石29奈良県山辺郡山添村吉田 岩尾神社
石売り行事29奈良県山辺郡山添村吉田 岩尾神社16歳以下の少年が川原で拾った小石を参拝者が買い求め、その小石を岩尾神社に供える。BBC可動的性質子供から石を買い、それを神前に供える。
庚申さん29奈良県山辺郡山添村吉田寺院の裏山中腹にある自然石を庚申として信仰したもの。A
八柱神社 滝29奈良県山辺郡山添村片平 八柱神社社殿の背後に高さ約6mの岩盤があり、そこを流れる滝を御神体にしていたという。地震で崖崩れがあったため、現在、八柱神社は付近に遷座している。BCA今現在確認がとれていない岩石
大師石/豆腐岩29奈良県山辺郡山添村広代 愛宕山愛宕山の峰続きの道近くにある、高さ約3m、直径約2mの岩石。弘法大師が担いできた岩石で、表面にはタスキのような跡があるという。C岩石表面に印・痕・模様が残る
三枚岩29奈良県山辺郡山添村菅生土に覆われた巨大な岩石の露頭の頂上部に、板状の岩石が3重に並んで立っている。小祠が隣接してまつられているが詳細のいわれは不明。
烏帽子岩29奈良県山辺郡山添村菅生河内川の上流にある七淵の岸にある岩石。詳細不明。
釜淵29奈良県山辺郡山添村葛尾 名張川名張川の淵の中に、上部が円状に陥没した岩盤があり、神波多の天王さんが最初に出現した場所という。BAC岩穴・窟
奈良県C
天王さん29奈良県山辺郡山添村葛尾神波多の天王さんが名張川を渡ってきた時に休憩をした岩石。C休み石・腰掛石
オニ岩29奈良県山辺郡山添村下津吉備津彦命をまつるという岩石。詳細不明。
芋紡ぎ岩29奈良県山辺郡山添村下津おばあさんが芋を紡いでいたという岩石。EC
吉備津神社 岩石祭祀事例29奈良県山辺郡山添村下津 吉備津神社高さ約6m、幅約10mの巨岩をまつる神社。A磐座と石神の性格が混在している事例
奈良県BA
山之神29奈良県山辺郡山添村下津 吉備津神社山神をまつる石碑。木製祭具を供える。BAA
カラブロ29奈良県山辺郡山添村下津水をかけると温かくなる岩石。元は下津川の真ん中にあったが、上流に上津ダムを建設したことでカラブロが沈下する可能性が出てきたので、カラブロを川の縁の方へ少し移動したという。まつられてはいない。EB原位置から移動伝承
奈良県熱を持つ岩石
狐岩29奈良県山辺郡山添村上津字ハジカミこの岩石の上に古狐が座っていて、村に異変があると村人に事前に知らせてくれたという。上津ダム建設などの開発の中で消滅した。BABA今は存在しない岩石
奈良県EC
六体地蔵29奈良県山辺郡山添村毛原 毛原廃寺室町時代後期の製作とされる磨崖仏。自然石に平坦な磨きを入れた上で、6体の地蔵を横並びに浮き彫りさせたもの。A
大師の硯石29奈良県山辺郡山添村大塩弘法大師が杖で岩石を叩いたところ、窪みができて海水が湧き出てきたという。この海水は決して涸れることがなく、いつも同じ量を保っているという。伊勢湾の塩の満ち引きが分かったり、人の生き死にも占えるという。CC岩石表面に印・痕・模様が残る岩石に溜まった水で塩の満ち引きや人の生き死にを占う。
奈良県BBD岩石に付随して恩恵の水・湯が存在する
奈良県岩石に溜まった水が枯れない
鍋倉渓29奈良県山辺郡山添村 神野山幅10m、長さ650mに渡り、大小の岩石が寄り集まり重なった景観。神野山の烏天狗と伊賀青葉山の烏天狗が喧嘩をした時、青葉山の烏天狗が投げつけてきた岩石の集積という。また、父をなくした息子が鍋倉渓の上で「父に会いたい」と泣いたところ、突然石が動き、岩石群の下を流れる水に亡き父の笑顔が映ったという。C神々の力比べ・喧嘩
奈良県EB岩石が動く
竜王岩29奈良県山辺郡山添村 神野山なべくら分教会がまつる岩石。A
天狗岩29奈良県山辺郡山添村 神野山神野山の烏天狗にちなむ岩石群。C
八畳岩29奈良県山辺郡山添村 神野山高さ約7m、幅約10mの岩崖状の巨岩。頂部には数本の溝があり、神野山の烏天狗の足の爪による引っ掻き跡という。C岩石表面に印・痕・模様が残る
スフィンクス岩29奈良県山辺郡山添村 神野山スフィンクスに似た形状ということで名付けられた岩石。EC近代以降の命名
王塚29奈良県山辺郡山添村 神野山漢速日命の墳墓といわれるマウンド。マウンドには葺石状の岩石が散見され、古墳・磐境・経塚などの諸説がある。
六所神社 岩石祭祀事例29奈良県山辺郡山添村峰寺 六所神社山裾の岩塊の上に本殿が建てられている。六所神社は延喜式内の天乃石吸神社の論社で、石吸は石据えの転訛と見る解釈がある。BABC
毘沙門天像29奈良県山辺郡山添村峰寺 六所神社六所神社境内の磨崖仏。A
金毘羅碑29奈良県山辺郡山添村峰寺 六所神社六所神社境内の石神。A
行者石像29奈良県山辺郡山添村峰寺 六所神社六所神社境内の石仏。A
不動磨崖仏29奈良県山辺郡山添村峰寺 六所神社六所神社境内の石仏。A
観音石仏29奈良県山辺郡山添村峰寺 六所神社六所神社境内の石仏。A
地蔵石仏29奈良県山辺郡山添村峰寺 六所神社六所神社境内の石仏。A
窯の焚き口29奈良県山辺郡山添村峰寺村の石橋を造った力持ちが風呂に入るため使っていた窯。EC
天王の森29奈良県山辺郡山添村峰寺小山の頂上に岩石群があり、牛頭天王をまつり禁忌が厳しく守られていたという。A禁忌が厳しい
首切り地蔵29奈良県山辺郡山添村峰寺道の往来の安全を祈念して造られた石仏。後に首部と胴部に亀裂が入ってしまい、この名称で呼ばれるようになる。A岩石表面に印・痕・模様が残る道の安全を祈念して地蔵仏をまつる。
奈良県BBB
水神の森29奈良県山辺郡山添村峰寺布目側の中洲に隆起する森。大小の川原石が群集する。BCA禁足地
八丈岩29奈良県山辺郡山添村峰寺約17㎡の巨岩。水神の森の遥拝所。BA
奈良県BBA
明星岩29奈良県山辺郡山添村北野 天神社天御中主尊が降臨したという岩石。麓に天神社が建てられる以前はここで祭祀が行なわれていたという。BA
奈良県C
腰越ウチカタビロ土塚29奈良県山辺郡山添村北野字ウチカタビロ直径3mほどのマウンドに、大小の自然石や数体の石仏を集積している塚。北野天神社で旧五社巡りという祭礼が行なわれる際、この塚の前に御幣を供え、田楽を奏上したという。BCA塚の前に御幣を立てて田楽を奏上する。
岩屋29奈良県山辺郡山添村北野高さ6m、幅13m、奥行き6mの内部を有する自然の岩窟。弘法大師が天井石に大日如来を刻し本尊として、岩窟の中に不動明王、入口に善女龍王をまつり、近世まで岩屋寺として栄えた。A岩穴・窟岩窟寺院の天井石に本尊を刻む。
奈良県BCA
奈良県BAC
枡形岩29奈良県山辺郡山添村北野弘法大師が岩屋に大日如来を彫った後、上方斜面にあった別の巨岩に枡形の刳り抜きを作り、その刳り抜きの中にノミとツチを収めたという。本来は木製の御正躰を収納する石厨子だったと考えられている。C岩石の表面をくりぬき、中に仏などを納める岩石に枡をくりぬいて御正体や祭具を収める。
奈良県BCA
奈良県BAC
牛ヶ峰ミヤマ洞穴遺跡29奈良県山辺郡山添村北野全長13m、最大幅5mの花崗岩の自然の集積による洞穴。禁忌の場所とされ、布目ダム建設により水没するため発掘調査を行なったところ、中世の土器片や近世~現代までの日常雑器が見つかった。BCA禁忌が厳しい
奈良県岩穴・窟
津越の磨崖仏29奈良県山辺郡山添村津越山の岩肌を利用して数体の仏を刻んだ磨崖仏。A
フジノミ禊斎場29奈良県山辺郡山添村津越江戸中期、灌漑用水路を造る作業の無事を祈り、僧侶が岩石に不動明王の梵字を刻んで祈り続けたという。元来は北野字フジノミにあったが、布目ダム建設による水没を免れるため現在地に移設された。A
烏ヶ淵阿弥陀地蔵二尊磨崖仏29奈良県山辺郡山添村桐山淵の中にあった自然岩に阿弥陀仏・地蔵仏の像を彫りこんだ磨崖仏。寛政年間の製作で、烏ヶ淵の堰の工人の供養や水害の鎮めとして彫られたものと考えられている。元来は烏ヶ淵にあり、布目ダム建設に現在地に移転。A
奈良県BBB
桐山阿弥陀磨崖仏29奈良県山辺郡山添村桐山鎌倉~南北朝期の製作とされている磨崖仏A
弁天岩29奈良県山辺郡山添村桐山字カナヤケ巨岩の上に弁天をまつる瓦質の祠がある。周辺の遺跡調査の結果、弁天岩の周辺を意図的に平坦にしたような形跡が検出されたという。BABC
八幡神社 阿弥陀仏29奈良県山辺郡山添村的野1253年製作の村内最古の阿弥陀仏。A
送り狼石/室津のオーカミ石29奈良県山辺郡山添村室津字池神旅人が道を通る時、この岩石の上に食物などの奉げ物を置くと、後ろから狼が追いかけてこなくなるという。BCD岩石の上に捧げ物を置くことで、狼などの災禍を免れることができる。
奈良県BBB
室津の磨崖仏29奈良県山辺郡山添村室津山の岩肌に刻まれている磨崖仏。A
賽の河原29奈良県宇陀市室生区室生 室生寺山中の岩陰に設けられた水子供養の積石群BBB可動的性質
BBC
諸仏出現岩29奈良県宇陀市室生区室生 室生寺室生寺奥の院の横に隆起する露岩。ここから諸仏が現れ出たといういわれを持つ。BA
C
龍穴/吉祥龍穴/奥宮29奈良県宇陀市室生区室生 龍穴神社龍神が棲むといわれる岩穴。雨乞いの祭祀対象として信仰された。BAC岩穴・窟
奈良県BCA
天の岩戸29奈良県宇陀市室生区室生 龍穴神社天岩戸に擬せられた岩石の亀裂。C
どん亀石29奈良県室生区黒岩この岩石の下に金の仏像が眠るという。EC黄金の何かが隠されているという伝説
霊宝石/天の瓊矛29奈良県宇陀市大宇陀区 春日神社
神楽石29奈良県宇陀市大宇陀区 阿貴山
白石/白石明神29奈良県宇陀市大宇陀区 劔主神社裏山の奥の院の巨岩の一部を打ち欠いて麓の劔主神社に持ってきて分霊・勧請したという岩石群。江戸末期までは社殿を持たずこの白石群を祭祀対象としていた。A岩石に損傷を加える行為山の巨岩の一部を打ち欠いて麓の神社の分霊石とする。
奈良県BA可動的性質
奈良県磐座と石神の性格が混在している事例
劔主神社例祭29奈良県宇陀市大宇陀区 劔主神社例祭日、吉野川から持ってきた小石を川に沈めて禊をし、その小石を劔主神社奥の院の巨岩の前に供える。BBC可動的性質
奈良県水をかける・水に漬かる
奥の院/白石さん29奈良県宇陀市大宇陀区劔主神社の奥の院といわれる石灰岩の露頭で、劔主神社後方の山頂にあるという。A磐座と石神の性格が混在している事例
奈良県BA
奈良県C
月輪石29奈良県橿原市東池尻町 御厨子神社境内にある亀裂の入って2つに分かれた岩石。由来不詳。
光明不動29奈良県橿原市東池尻町 御厨子山妙法寺妙法寺の入口路傍に岩肌を見せる小さな自然石。この岩肌に不動明王の姿が見えれば眼病が治るといわれる。A岩石表面に印・痕・模様が残る
天香山神社 岩石群29奈良県橿原市南浦町 天香山神社社殿背後の山斜面の露岩群を磐座跡とみなす見方があるが確証はない。
天岩戸29奈良県橿原市南浦町 天岩戸神社拝殿の裏に4体の岩の集積があって岩室状の空間を形成しており、これを天岩戸としてまつったもの。玉垣内に真竹が自生し、毎年7本ずつ生え変わることから「七本竹」と呼んでいる。C
月の誕生石29奈良県橿原市南浦町 天香久山月を産んだ岩石。その産湯と足跡が岩石に残るという。EB岩石表面に印・痕・模様が残る
奈良県岩石が満ち欠け・増減・出産する
蛇つなぎ石29奈良県橿原市南浦町 天香久山蛇が巻きついているかのような石のシワが残るという岩石。EC岩石表面に印・痕・模様が残る
豊浦の立石29奈良県高市郡明日香村豊浦 甘樫坐神社飛鳥京の条理の地割り石だったという説や、寺域を示していたという説があるが確定していない。現在は明神探湯神事の時に甘樫の神を憑依させる立石として機能している。BAA
明神探湯神事の炉29奈良県高市郡明日香村豊浦 甘樫坐神社明神探湯神事の時に、熱湯をたぎらす釜を据えるための炉石。BE火が絡む祭祀
奈良県BCD
須弥山石29奈良県高市郡明日香村飛鳥内部に導水構造を有し、配水施設と組み合わせれば噴水が出る岩石構造物。『倭国書紀』に斉明天皇が須弥山石のもとで饗宴を催したという記述があり、これに該当するのではないかと考えられている。水落遺跡のすぐ近くから出土したが、現在は飛鳥資料館の館内に移設展示されている。原位置から移動伝承岩石に水を通して饗宴の施設とする。
石人像29奈良県高市郡明日香村飛鳥内部に導水構造を有し、配水施設と組み合わせれば噴水が出る構造となる石像。須弥山石と同様の性格の石像物と目される。水落遺跡のすぐ近くから出土したが、現在は飛鳥資料館の館内に移設展示されている。原位置から移動伝承岩石に水を通して饗宴の施設とする。
弥勒石29奈良県高市郡明日香村飛鳥胴体はずんぐりと長く屹立し、目鼻立ちは摩滅してしまっているがしっかりとした頭部を持つ石造物。下半身の病に霊験ありという。A
飛鳥坐神社の陽石祭祀29奈良県高市郡明日香村飛鳥 飛鳥坐神社人々が諸願を果たすために奉納された陽石群。BBC
力石29奈良県高市郡明日香村飛鳥 飛鳥坐神社男性は左手で力石を持ち上げる。女性は右手で力石を持ち上げる。持ち上がったら幸福をつかめるという。BBD岩石を持ち上げられるか、軽くなるか重くなるか
奈良県力石
むすびの神石29奈良県高市郡明日香村飛鳥 飛鳥坐神社一対になって並んでいる陽石と陰石。A
恵比須石29奈良県高市郡明日香村飛鳥 飛鳥坐神社高さ30cm程の小さめの岩石。恵比須様の頭部に似ていることから名付けられて信仰された。A
奥の大石29奈良県高市郡明日香村飛鳥 飛鳥坐神社高皇産霊神が宿る陽石。A
小原の立石29奈良県高市郡明日香村小原現在は場所が特定できず行方不明。
亀形石造物29奈良県高市郡明日香村岡亀形石造物とその手前に接する小判形石造物を中心に、その周囲から敷石遺構、配水遺構などが出土した。石造物自体も水を溜め込み次に導水するという配置構造を持っている。
岡の酒船石29奈良県高市郡明日香村岡岩石の表面に円形の窪みと直線状の溝が幾何学的に配置された石造物で、石の左右端は削り取られている。現在は酒船石と亀形石造物を含む周辺一帯が大規模な導水施設として機能していたのではないかという説が有力になっている。岩石が改変されている
出水の酒船石29奈良県高市郡明日香村出水岡の酒船石と類似した溝を持つ石造物。実物は京都市南禅寺の碧雲荘に移設されているが、レプリカを飛鳥資料館で見ることができる。原位置から移動伝承
岡寺奥の院彌勒堂29奈良県高市郡明日香村岡 岡寺弥勒仏をまつっている人工の石窟。BCA岩穴・窟
奈良県BAC
岡の立石29奈良県高市郡明日香村岡 岡寺高さ約3mの立石。
上居の立石29奈良県高市郡明日香村上居高さ1.9mの立石。
マラ石29奈良県高市郡明日香村祝戸考古学者の石田茂作によって命名された斜めに立てられた立石。近代以降の命名
フグリ山/ミワ山 岩石群29奈良県高市郡明日香村祝戸山頂尾根上に岩石の露頭が群集し、神聖視されていた磐座ではないかという説があるが、そのことを裏付ける資料に欠ける。
くつな石29奈良県高市郡明日香村阪田昔、ある石屋がこの岩石にノミを一打ちしたところ赤い血が噴出し、傷ついた蛇が現れたので、石屋は恐ろしくなって逃げ帰った。しかしその夜から熱と腹痛に冒され、やがて亡くなってしまった。村人は神の祟りだと畏れ、神の宿る岩石としてまつったという。A祟り伝承岩石から血と蛇が出て石屋が死んだので、岩石をまつった。
奈良県岩石から血が出る
二面石29奈良県高市郡明日香村橘 橘寺高さ1mほどの岩石の裏表両面に顔が彫られた石像物。人間の善悪両面を岩石に表現したものだといわれている。
三光石29奈良県高市郡明日香村橘 橘寺3つの石が凝り固まったかのような形状の岩石。聖徳太子が経講を行なった際、この石が光輝き、日の光、月の光、星の光が放たれたといわれる。C岩石から煙・光・火・気などが出る
立部の立石29奈良県高市郡明日香村立部定林寺跡にあり、立石というが地表からちょっと顔を出す程度の岩石だという。
川原の立石29奈良県高市郡明日香村川原出水の酒船石から飛鳥川を挟んだ向い側に存在。現在は地中に埋められている。
亀石29奈良県高市郡明日香村川原亀の形状をした石像物。昔、大和湖を巡って川原のナマズと当麻のヘビが争い、ナマズが負けたため川原の亀が枯死してしまった。これを哀れに思った村人が供養のために作ったのが亀石という。亀石はかつて東を向いていたが、少しずつ西に向いており、西の当麻方向を向いた時には大和一帯が泥の海になると言い伝えられている。BBB岩石が動く干からびて死んだ亀を供養するため亀石を造る。
奈良県祟り伝承
鬼の俎29奈良県高市郡明日香村村野口道行く人々を鬼が襲い、捕食に用いたという俎。元は横穴式石槨の底石。EA遺物・遺構の再利用
奈良県EC
鬼の雪隠/鬼の厠29奈良県高市郡明日香村平田鬼が用を足したという雪隠。元は横穴式石槨の蓋石。EA遺物・遺構の再利用
奈良県EC
女(猿石)29奈良県高市郡明日香村平田元禄2年(1702年)に田んぼの中から見つかり、明治時代になって現在地に移設されたという石像。原位置から移動伝承
山王権現(猿石)29奈良県高市郡明日香村平田元禄2年(1703年)に田んぼの中から見つかり、明治時代になって現在地に移設されたという石像。原位置から移動伝承
僧(猿石)29奈良県高市郡明日香村平田元禄2年(1704年)に田んぼの中から見つかり、明治時代になって現在地に移設されたという石像。原位置から移動伝承
男(猿石)29奈良県高市郡明日香村平田元禄2年(1705年)に田んぼの中から見つかり、明治時代になって現在地に移設されたという石像。原位置から移動伝承
益田の岩船29奈良県高市郡明日香村益田高さ5~6m、総重量900tに達するという石造物。石の表面に格子状の線刻があり、頂面に2つの方形穴とそれをつなぐ浅い直線の彫りが見られる。2基の横口式石槨の未完成姿という説があるが確定していない。
人頭石/顔石29奈良県高市郡高取町観覚寺 光永寺猿石と同時に見つかったといわれる独特な風貌の人面石。現在、光永寺で手水石として使用。BCB遺物・遺構の再利用
奈良県BE原位置から移動伝承
天津石門別神社 岩石祭祀事例29奈良県高市郡高取町大字越智 天津石門別神社榊の周りを板石で囲んだ施設を本殿としている。榊を神霊の宿る神籬とし、周囲の板石は磐境としての役割を負っている。BCA榊の周囲を板石で囲んで神社の本殿とする。
高取の猿石29奈良県高市郡高取町 高取城高取城の登山道途中にある。前述の猿石4体と同時に出土したという話がある。原位置から移動伝承
纏向遺跡 辻土坑29奈良県桜井市辻数十基見つかった土抗の内、数基の土抗内から岩石群・祭祀遺物・湧水跡・焼土のセットが検出。岩石群は雑然とも整然ともしない配置で、様々な解釈ができる。磐境説・磐座説・土坑側面補強材説・祭祀施設廃棄跡説がある。BCA今は存在しない岩石土坑に岩石群・祭祀遺物・湧水・炎を用いる行為。
奈良県BA火が絡む祭祀
奈良県BE
奈良県DB
「陰陽石」29奈良県桜井市 九日社横並びに高さ50cmほどの2体の岩塊がまつられており、「陰陽石」と仮称されるが詳細沿革不明。
「磐座」29奈良県桜井市 綱越神社神社境内の一角にまつられている岩石。「磐座」と仮称されるが岩石の名称やいわれなど詳細は不明。
夫婦岩/回り石29奈良県桜井市 素佐男神社2体の丸石。この石の周りを3度回る儀礼がある。岩石の周りを3度回る。
「磐境」29奈良県桜井市 志貴御県坐神社4個の丸石が横並びにまつられたもの。「磐境」と仮称されるが詳細沿革不明。
岩屋不動29奈良県桜井市 平等寺人工的に切り石を組んだ石窟。内部に、不動明王の石仏と梵字「ア」を刻んだ石碑と立石を安置している。A岩穴・窟
奈良県BAC
奈良県BCA
磐座/影向石29奈良県桜井市 平等寺地主神をまつる岩石。A磐座と石神の性格が混在している事例
奈良県BA
神饌石29奈良県桜井市 大直禰子神社正月元旦の神火祭の時、久延彦神社に対する神饌を置く岩石。久延彦神社を遥拝する時はこの石の地点から遥拝するようにといわれている。BCD
奈良県BBA
安産岩29奈良県桜井市 大直禰子神社母を亡くした神子が日々この岩石にすがりながら泣いていたという。C
夫婦岩/影向岩/聖天岩29奈良県桜井市 大神神社2個の草履状の岩石。江戸時代までは参道中央にあり影向岩・聖天岩の名称だったが、今は参道脇に移り夫婦岩と呼ばれ縁結び・安産の霊験を持つという。CC原位置から移動伝承
奈良県近代以降の命名
磐座神社/三穂神社/石神皇后神社/岩上皇后社/岩倉社/岩倉祠/岩上宮/石上社29奈良県桜井市 磐座神社人頭大ほどの岩石を置いてまつる形式の神社。現在、少彦名命を祭神とするが、かつては三穂神社・皇后神社の名を持つように大物主命の后である三穂津姫命をまつっていた。磐座が神社に変遷したものと推測される。BA
奈良県A
山ノ神遺跡29奈良県桜井市 大神神社古墳時代中期初~後期初(4世紀後半~6世紀初頭)の祭祀遺物が出土した遺跡。主石となる巨石の周りを5体の小ぶりの岩石が取り囲む形で見つかり、それらの岩石の一帯には割石が敷き詰められ、人工的に地固めされていた。現在は配置状態が原位置と異なり整備されている。BA原位置から移動伝承当初は碧玉製勾玉・剣形鉄製品・小形素文鏡など玉・剣・鏡の実物に近い遺物構成だったが、後代はそれぞれの模造品に変わっていく。
奥垣内遺跡29奈良県桜井市 大神神社大小の露岩の傍らから古墳時代中期末~後期初頭(5世紀後半~6世紀初頭)を中心とする祭祀遺物が出土した遺跡。現在一部の岩石を残して整備。BA原位置から移動伝承露岩の1つに接して須恵器の大甕が下半分を土中に埋めた状態で置かれ、大甕の中には杯・高杯・壺などの須恵器と多数の滑石製の玉もが収納されていた。
神籬29奈良県桜井市 檜原神社小ぶりの岩石を配置して神社としたもの。BAA
奈良県BAC
辺津磐座29奈良県桜井市 三輪山嘉禄2年(1226年)『大三輪神三社鎮座次第』によると大物主命をまつる磐座。山裾の岩石群を総称して指す名称と思われる。CA禁足地
中津磐座29奈良県桜井市 三輪山嘉禄2年(1226年)『大三輪神三社鎮座次第』によると大巳貴命をまつる磐座。山腹の岩石群を総称して指す名称と思われる。CA禁足地
奥津磐座29奈良県桜井市 三輪山嘉禄2年(1226年)『大三輪神三社鎮座次第』によると少彦名命をまつる磐座。山頂に大小無数の黒光りした斑糲岩が群集しており、これを総称して指す名称と思われる。CA禁足地
禁足地裏磐座群29奈良県桜井市 三輪山大神神社の社殿裏の禁足地(山腹斜面)に分布するという岩石群。文化財上のグルーピングで、6世紀代の新式の子持勾玉が発見されている。禁足地内につき詳細不明。禁足地
奈良県近代以降の命名
オーカミ谷磐座群A群29奈良県桜井市 三輪山樋口清之氏グルーピングによる玄賓庵南側丘陵上の岩石群。後世の石材利用などにより原状をとどめていないとされている。禁足地内につき詳細不明。禁足地
奈良県近代以降の命名
オーカミ谷磐座群B群29奈良県桜井市 三輪山樋口清之氏グルーピングによる玄賓庵北側丘陵上の岩石群。後世の石材利用などにより原状をとどめていないとされている。禁足地内につき詳細不明。禁足地
奈良県近代以降の命名
オーカミ谷磐座群C群29奈良県桜井市 三輪山樋口清之氏グルーピングによる玄賓庵裏の岩石群。大規模な岩群で、人為的に列石を構築したような規則的な配置も見られるという。禁足地内につき詳細不明。禁足地
奈良県近代以降の命名
オーカミ谷磐座群D群29奈良県桜井市 三輪山樋口清之氏グルーピングによる山腹登山道近くの岩石群。露岩点数はやや少なめで小規模に属すという。禁足地内につき詳細不明。禁足地
奈良県近代以降の命名
オーカミ谷磐座群E群29奈良県桜井市 三輪山樋口清之氏グルーピングによる山頂やや西斜面下の岩石群。大規模な岩群で、人為的に列石を構築したような規則的な配置も見られるという。禁足地内につき詳細不明。禁足地
奈良県近代以降の命名
奥津磐座F群29奈良県桜井市 三輪山樋口清之氏グルーピングによる高宮神社の南西方向の岩石群。環状列石のような配置を見せる好資料という。禁足地内につき詳細不明。禁足地
奈良県近代以降の命名 December 12, 2025
1RP
行者石像29奈良県山辺郡山添村峰寺 六所神社六所神社境内の石仏。A
不動磨崖仏29奈良県山辺郡山添村峰寺 六所神社六所神社境内の石仏。A
観音石仏29奈良県山辺郡山添村峰寺 六所神社六所神社境内の石仏。A
地蔵石仏29奈良県山辺郡山添村峰寺 六所神社六所神社境内の石仏。A
窯の焚き口29奈良県山辺郡山添村峰寺村の石橋を造った力持ちが風呂に入るため使っていた窯。EC
天王の森29奈良県山辺郡山添村峰寺小山の頂上に岩石群があり、牛頭天王をまつり禁忌が厳しく守られていたという。A禁忌が厳しい
首切り地蔵29奈良県山辺郡山添村峰寺道の往来の安全を祈念して造られた石仏。後に首部と胴部に亀裂が入ってしまい、この名称で呼ばれるようになる。A岩石表面に印・痕・模様が残る道の安全を祈念して地蔵仏をまつる。
奈良県BBB
水神の森29奈良県山辺郡山添村峰寺布目側の中洲に隆起する森。大小の川原石が群集する。BCA禁足地
八丈岩29奈良県山辺郡山添村峰寺約17㎡の巨岩。水神の森の遥拝所。BA
奈良県BBA
明星岩29奈良県山辺郡山添村北野 天神社天御中主尊が降臨したという岩石。麓に天神社が建てられる以前はここで祭祀が行なわれていたという。BA
奈良県C
腰越ウチカタビロ土塚29奈良県山辺郡山添村北野字ウチカタビロ直径3mほどのマウンドに、大小の自然石や数体の石仏を集積している塚。北野天神社で旧五社巡りという祭礼が行なわれる際、この塚の前に御幣を供え、田楽を奏上したという。BCA塚の前に御幣を立てて田楽を奏上する。
岩屋29奈良県山辺郡山添村北野高さ6m、幅13m、奥行き6mの内部を有する自然の岩窟。弘法大師が天井石に大日如来を刻し本尊として、岩窟の中に不動明王、入口に善女龍王をまつり、近世まで岩屋寺として栄えた。A岩穴・窟岩窟寺院の天井石に本尊を刻む。
奈良県BCA
奈良県BAC
枡形岩29奈良県山辺郡山添村北野弘法大師が岩屋に大日如来を彫った後、上方斜面にあった別の巨岩に枡形の刳り抜きを作り、その刳り抜きの中にノミとツチを収めたという。本来は木製の御正躰を収納する石厨子だったと考えられている。C岩石の表面をくりぬき、中に仏などを納める岩石に枡をくりぬいて御正体や祭具を収める。
奈良県BCA
奈良県BAC
牛ヶ峰ミヤマ洞穴遺跡29奈良県山辺郡山添村北野全長13m、最大幅5mの花崗岩の自然の集積による洞穴。禁忌の場所とされ、布目ダム建設により水没するため発掘調査を行なったところ、中世の土器片や近世~現代までの日常雑器が見つかった。BCA禁忌が厳しい
奈良県岩穴・窟
津越の磨崖仏29奈良県山辺郡山添村津越山の岩肌を利用して数体の仏を刻んだ磨崖仏。A
フジノミ禊斎場29奈良県山辺郡山添村津越江戸中期、灌漑用水路を造る作業の無事を祈り、僧侶が岩石に不動明王の梵字を刻んで祈り続けたという。元来は北野字フジノミにあったが、布目ダム建設による水没を免れるため現在地に移設された。A
烏ヶ淵阿弥陀地蔵二尊磨崖仏29奈良県山辺郡山添村桐山淵の中にあった自然岩に阿弥陀仏・地蔵仏の像を彫りこんだ磨崖仏。寛政年間の製作で、烏ヶ淵の堰の工人の供養や水害の鎮めとして彫られたものと考えられている。元来は烏ヶ淵にあり、布目ダム建設に現在地に移転。A
奈良県BBB
桐山阿弥陀磨崖仏29奈良県山辺郡山添村桐山鎌倉~南北朝期の製作とされている磨崖仏A
弁天岩29奈良県山辺郡山添村桐山字カナヤケ巨岩の上に弁天をまつる瓦質の祠がある。周辺の遺跡調査の結果、弁天岩の周辺を意図的に平坦にしたような形跡が検出されたという。BABC
八幡神社 阿弥陀仏29奈良県山辺郡山添村的野1253年製作の村内最古の阿弥陀仏。A
送り狼石/室津のオーカミ石29奈良県山辺郡山添村室津字池神旅人が道を通る時、この岩石の上に食物などの奉げ物を置くと、後ろから狼が追いかけてこなくなるという。BCD岩石の上に捧げ物を置くことで、狼などの災禍を免れることができる。
奈良県BBB
室津の磨崖仏29奈良県山辺郡山添村室津山の岩肌に刻まれている磨崖仏。A
賽の河原29奈良県宇陀市室生区室生 室生寺山中の岩陰に設けられた水子供養の積石群BBB可動的性質
BBC
諸仏出現岩29奈良県宇陀市室生区室生 室生寺室生寺奥の院の横に隆起する露岩。ここから諸仏が現れ出たといういわれを持つ。BA
C
龍穴/吉祥龍穴/奥宮29奈良県宇陀市室生区室生 龍穴神社龍神が棲むといわれる岩穴。雨乞いの祭祀対象として信仰された。BAC岩穴・窟
奈良県BCA
天の岩戸29奈良県宇陀市室生区室生 龍穴神社天岩戸に擬せられた岩石の亀裂。C
どん亀石29奈良県室生区黒岩この岩石の下に金の仏像が眠るという。EC黄金の何かが隠されているという伝説
霊宝石/天の瓊矛29奈良県宇陀市大宇陀区 春日神社
神楽石29奈良県宇陀市大宇陀区 阿貴山
白石/白石明神29奈良県宇陀市大宇陀区 劔主神社裏山の奥の院の巨岩の一部を打ち欠いて麓の劔主神社に持ってきて分霊・勧請したという岩石群。江戸末期までは社殿を持たずこの白石群を祭祀対象としていた。A岩石に損傷を加える行為山の巨岩の一部を打ち欠いて麓の神社の分霊石とする。
奈良県BA可動的性質
奈良県磐座と石神の性格が混在している事例
劔主神社例祭29奈良県宇陀市大宇陀区 劔主神社例祭日、吉野川から持ってきた小石を川に沈めて禊をし、その小石を劔主神社奥の院の巨岩の前に供える。BBC可動的性質
奈良県水をかける・水に漬かる
奥の院/白石さん29奈良県宇陀市大宇陀区劔主神社の奥の院といわれる石灰岩の露頭で、劔主神社後方の山頂にあるという。A磐座と石神の性格が混在している事例
奈良県BA
奈良県C
月輪石29奈良県橿原市東池尻町 御厨子神社境内にある亀裂の入って2つに分かれた岩石。由来不詳。
光明不動29奈良県橿原市東池尻町 御厨子山妙法寺妙法寺の入口路傍に岩肌を見せる小さな自然石。この岩肌に不動明王の姿が見えれば眼病が治るといわれる。A岩石表面に印・痕・模様が残る
天香山神社 岩石群29奈良県橿原市南浦町 天香山神社社殿背後の山斜面の露岩群を磐座跡とみなす見方があるが確証はない。
天岩戸29奈良県橿原市南浦町 天岩戸神社拝殿の裏に4体の岩の集積があって岩室状の空間を形成しており、これを天岩戸としてまつったもの。玉垣内に真竹が自生し、毎年7本ずつ生え変わることから「七本竹」と呼んでいる。C
月の誕生石29奈良県橿原市南浦町 天香久山月を産んだ岩石。その産湯と足跡が岩石に残るという。EB岩石表面に印・痕・模様が残る
奈良県岩石が満ち欠け・増減・出産する
蛇つなぎ石29奈良県橿原市南浦町 天香久山蛇が巻きついているかのような石のシワが残るという岩石。EC岩石表面に印・痕・模様が残る
豊浦の立石29奈良県高市郡明日香村豊浦 甘樫坐神社飛鳥京の条理の地割り石だったという説や、寺域を示していたという説があるが確定していない。現在は明神探湯神事の時に甘樫の神を憑依させる立石として機能している。BAA
明神探湯神事の炉29奈良県高市郡明日香村豊浦 甘樫坐神社明神探湯神事の時に、熱湯をたぎらす釜を据えるための炉石。BE火が絡む祭祀
奈良県BCD
須弥山石29奈良県高市郡明日香村飛鳥内部に導水構造を有し、配水施設と組み合わせれば噴水が出る岩石構造物。『倭国書紀』に斉明天皇が須弥山石のもとで饗宴を催したという記述があり、これに該当するのではないかと考えられている。水落遺跡のすぐ近くから出土したが、現在は飛鳥資料館の館内に移設展示されている。原位置から移動伝承岩石に水を通して饗宴の施設とする。
石人像29奈良県高市郡明日香村飛鳥内部に導水構造を有し、配水施設と組み合わせれば噴水が出る構造となる石像。須弥山石と同様の性格の石像物と目される。水落遺跡のすぐ近くから出土したが、現在は飛鳥資料館の館内に移設展示されている。原位置から移動伝承岩石に水を通して饗宴の施設とする。
弥勒石29奈良県高市郡明日香村飛鳥胴体はずんぐりと長く屹立し、目鼻立ちは摩滅してしまっているがしっかりとした頭部を持つ石造物。下半身の病に霊験ありという。A
飛鳥坐神社の陽石祭祀29奈良県高市郡明日香村飛鳥 飛鳥坐神社人々が諸願を果たすために奉納された陽石群。BBC
力石29奈良県高市郡明日香村飛鳥 飛鳥坐神社男性は左手で力石を持ち上げる。女性は右手で力石を持ち上げる。持ち上がったら幸福をつかめるという。BBD岩石を持ち上げられるか、軽くなるか重くなるか
奈良県力石
むすびの神石29奈良県高市郡明日香村飛鳥 飛鳥坐神社一対になって並んでいる陽石と陰石。A
恵比須石29奈良県高市郡明日香村飛鳥 飛鳥坐神社高さ30cm程の小さめの岩石。恵比須様の頭部に似ていることから名付けられて信仰された。A
奥の大石29奈良県高市郡明日香村飛鳥 飛鳥坐神社高皇産霊神が宿る陽石。A
小原の立石29奈良県高市郡明日香村小原現在は場所が特定できず行方不明。
亀形石造物29奈良県高市郡明日香村岡亀形石造物とその手前に接する小判形石造物を中心に、その周囲から敷石遺構、配水遺構などが出土した。石造物自体も水を溜め込み次に導水するという配置構造を持っている。
岡の酒船石29奈良県高市郡明日香村岡岩石の表面に円形の窪みと直線状の溝が幾何学的に配置された石造物で、石の左右端は削り取られている。現在は酒船石と亀形石造物を含む周辺一帯が大規模な導水施設として機能していたのではないかという説が有力になっている。岩石が改変されている
出水の酒船石29奈良県高市郡明日香村出水岡の酒船石と類似した溝を持つ石造物。実物は京都市南禅寺の碧雲荘に移設されているが、レプリカを飛鳥資料館で見ることができる。原位置から移動伝承
岡寺奥の院彌勒堂29奈良県高市郡明日香村岡 岡寺弥勒仏をまつっている人工の石窟。BCA岩穴・窟
奈良県BAC
岡の立石29奈良県高市郡明日香村岡 岡寺高さ約3mの立石。
上居の立石29奈良県高市郡明日香村上居高さ1.9mの立石。
マラ石29奈良県高市郡明日香村祝戸考古学者の石田茂作によって命名された斜めに立てられた立石。近代以降の命名
フグリ山/ミワ山 岩石群29奈良県高市郡明日香村祝戸山頂尾根上に岩石の露頭が群集し、神聖視されていた磐座ではないかという説があるが、そのことを裏付ける資料に欠ける。
くつな石29奈良県高市郡明日香村阪田昔、ある石屋がこの岩石にノミを一打ちしたところ赤い血が噴出し、傷ついた蛇が現れたので、石屋は恐ろしくなって逃げ帰った。しかしその夜から熱と腹痛に冒され、やがて亡くなってしまった。村人は神の祟りだと畏れ、神の宿る岩石としてまつったという。A祟り伝承岩石から血と蛇が出て石屋が死んだので、岩石をまつった。
奈良県岩石から血が出る
二面石29奈良県高市郡明日香村橘 橘寺高さ1mほどの岩石の裏表両面に顔が彫られた石像物。人間の善悪両面を岩石に表現したものだといわれている。
三光石29奈良県高市郡明日香村橘 橘寺3つの石が凝り固まったかのような形状の岩石。聖徳太子が経講を行なった際、この石が光輝き、日の光、月の光、星の光が放たれたといわれる。C岩石から煙・光・火・気などが出る
立部の立石29奈良県高市郡明日香村立部定林寺跡にあり、立石というが地表からちょっと顔を出す程度の岩石だという。
川原の立石29奈良県高市郡明日香村川原出水の酒船石から飛鳥川を挟んだ向い側に存在。現在は地中に埋められている。
亀石29奈良県高市郡明日香村川原亀の形状をした石像物。昔、大和湖を巡って川原のナマズと当麻のヘビが争い、ナマズが負けたため川原の亀が枯死してしまった。これを哀れに思った村人が供養のために作ったのが亀石という。亀石はかつて東を向いていたが、少しずつ西に向いており、西の当麻方向を向いた時には大和一帯が泥の海になると言い伝えられている。BBB岩石が動く干からびて死んだ亀を供養するため亀石を造る。
奈良県祟り伝承
鬼の俎29奈良県高市郡明日香村村野口道行く人々を鬼が襲い、捕食に用いたという俎。元は横穴式石槨の底石。EA遺物・遺構の再利用
奈良県EC
鬼の雪隠/鬼の厠29奈良県高市郡明日香村平田鬼が用を足したという雪隠。元は横穴式石槨の蓋石。EA遺物・遺構の再利用
奈良県EC
女(猿石)29奈良県高市郡明日香村平田元禄2年(1702年)に田んぼの中から見つかり、明治時代になって現在地に移設されたという石像。原位置から移動伝承
山王権現(猿石)29奈良県高市郡明日香村平田元禄2年(1703年)に田んぼの中から見つかり、明治時代になって現在地に移設されたという石像。原位置から移動伝承
僧(猿石)29奈良県高市郡明日香村平田元禄2年(1704年)に田んぼの中から見つかり、明治時代になって現在地に移設されたという石像。原位置から移動伝承
男(猿石)29奈良県高市郡明日香村平田元禄2年(1705年)に田んぼの中から見つかり、明治時代になって現在地に移設されたという石像。原位置から移動伝承
益田の岩船29奈良県高市郡明日香村益田高さ5~6m、総重量900tに達するという石造物。石の表面に格子状の線刻があり、頂面に2つの方形穴とそれをつなぐ浅い直線の彫りが見られる。2基の横口式石槨の未完成姿という説があるが確定していない。
人頭石/顔石29奈良県高市郡高取町観覚寺 光永寺猿石と同時に見つかったといわれる独特な風貌の人面石。現在、光永寺で手水石として使用。BCB遺物・遺構の再利用
奈良県BE原位置から移動伝承
天津石門別神社 岩石祭祀事例29奈良県高市郡高取町大字越智 天津石門別神社榊の周りを板石で囲んだ施設を本殿としている。榊を神霊の宿る神籬とし、周囲の板石は磐境としての役割を負っている。BCA榊の周囲を板石で囲んで神社の本殿とする。
高取の猿石29奈良県高市郡高取町 高取城高取城の登山道途中にある。前述の猿石4体と同時に出土したという話がある。原位置から移動伝承
纏向遺跡 辻土坑29奈良県桜井市辻数十基見つかった土抗の内、数基の土抗内から岩石群・祭祀遺物・湧水跡・焼土のセットが検出。岩石群は雑然とも整然ともしない配置で、様々な解釈ができる。磐境説・磐座説・土坑側面補強材説・祭祀施設廃棄跡説がある。BCA今は存在しない岩石土坑に岩石群・祭祀遺物・湧水・炎を用いる行為。
奈良県BA火が絡む祭祀
奈良県BE
奈良県DB
「陰陽石」29奈良県桜井市 九日社横並びに高さ50cmほどの2体の岩塊がまつられており、「陰陽石」と仮称されるが詳細沿革不明。
「磐座」29奈良県桜井市 綱越神社神社境内の一角にまつられている岩石。「磐座」と仮称されるが岩石の名称やいわれなど詳細は不明。
夫婦岩/回り石29奈良県桜井市 素佐男神社2体の丸石。この石の周りを3度回る儀礼がある。岩石の周りを3度回る。
「磐境」29奈良県桜井市 志貴御県坐神社4個の丸石が横並びにまつられたもの。「磐境」と仮称されるが詳細沿革不明。
岩屋不動29奈良県桜井市 平等寺人工的に切り石を組んだ石窟。内部に、不動明王の石仏と梵字「ア」を刻んだ石碑と立石を安置している。A岩穴・窟
奈良県BAC
奈良県BCA
磐座/影向石29奈良県桜井市 平等寺地主神をまつる岩石。A磐座と石神の性格が混在している事例
奈良県BA
神饌石29奈良県桜井市 大直禰子神社正月元旦の神火祭の時、久延彦神社に対する神饌を置く岩石。久延彦神社を遥拝する時はこの石の地点から遥拝するようにといわれている。BCD
奈良県BBA
安産岩29奈良県桜井市 大直禰子神社母を亡くした神子が日々この岩石にすがりながら泣いていたという。C
夫婦岩/影向岩/聖天岩29奈良県桜井市 大神神社2個の草履状の岩石。江戸時代までは参道中央にあり影向岩・聖天岩の名称だったが、今は参道脇に移り夫婦岩と呼ばれ縁結び・安産の霊験を持つという。CC原位置から移動伝承
奈良県近代以降の命名
磐座神社/三穂神社/石神皇后神社/岩上皇后社/岩倉社/岩倉祠/岩上宮/石上社29奈良県桜井市 磐座神社人頭大ほどの岩石を置いてまつる形式の神社。現在、少彦名命を祭神とするが、かつては三穂神社・皇后神社の名を持つように大物主命の后である三穂津姫命をまつっていた。磐座が神社に変遷したものと推測される。BA
奈良県A
山ノ神遺跡29奈良県桜井市 大神神社古墳時代中期初~後期初(4世紀後半~6世紀初頭)の祭祀遺物が出土した遺跡。主石となる巨石の周りを5体の小ぶりの岩石が取り囲む形で見つかり、それらの岩石の一帯には割石が敷き詰められ、人工的に地固めされていた。現在は配置状態が原位置と異なり整備されている。BA原位置から移動伝承当初は碧玉製勾玉・剣形鉄製品・小形素文鏡など玉・剣・鏡の実物に近い遺物構成だったが、後代はそれぞれの模造品に変わっていく。
奥垣内遺跡29奈良県桜井市 大神神社大小の露岩の傍らから古墳時代中期末~後期初頭(5世紀後半~6世紀初頭)を中心とする祭祀遺物が出土した遺跡。現在一部の岩石を残して整備。BA原位置から移動伝承露岩の1つに接して須恵器の大甕が下半分を土中に埋めた状態で置かれ、大甕の中には杯・高杯・壺などの須恵器と多数の滑石製の玉もが収納されていた。
神籬29奈良県桜井市 檜原神社小ぶりの岩石を配置して神社としたもの。BAA
奈良県BAC
辺津磐座29奈良県桜井市 三輪山嘉禄2年(1226年)『大三輪神三社鎮座次第』によると大物主命をまつる磐座。山裾の岩石群を総称して指す名称と思われる。CA禁足地
中津磐座29奈良県桜井市 三輪山嘉禄2年(1226年)『大三輪神三社鎮座次第』によると大巳貴命をまつる磐座。山腹の岩石群を総称して指す名称と思われる。CA禁足地
奥津磐座29奈良県桜井市 三輪山嘉禄2年(1226年)『大三輪神三社鎮座次第』によると少彦名命をまつる磐座。山頂に大小無数の黒光りした斑糲岩が群集しており、これを総称して指す名称と思われる。CA禁足地
禁足地裏磐座群29奈良県桜井市 三輪山大神神社の社殿裏の禁足地(山腹斜面)に分布するという岩石群。文化財上のグルーピングで、6世紀代の新式の子持勾玉が発見されている。禁足地内につき詳細不明。禁足地
奈良県近代以降の命名
オーカミ谷磐座群A群29奈良県桜井市 三輪山樋口清之氏グルーピングによる玄賓庵南側丘陵上の岩石群。後世の石材利用などにより原状をとどめていないとされている。禁足地内につき詳細不明。禁足地
奈良県近代以降の命名
オーカミ谷磐座群B群29奈良県桜井市 三輪山樋口清之氏グルーピングによる玄賓庵北側丘陵上の岩石群。後世の石材利用などにより原状をとどめていないとされている。禁足地内につき詳細不明。禁足地
奈良県近代以降の命名
オーカミ谷磐座群C群29奈良県桜井市 三輪山樋口清之氏グルーピングによる玄賓庵裏の岩石群。大規模な岩群で、人為的に列石を構築したような規則的な配置も見られるという。禁足地内につき詳細不明。禁足地
奈良県近代以降の命名
オーカミ谷磐座群D群29奈良県桜井市 三輪山樋口清之氏グルーピングによる山腹登山道近くの岩石群。露岩点数はやや少なめで小規模に属すという。禁足地内につき詳細不明。禁足地
奈良県近代以降の命名
オーカミ谷磐座群E群29奈良県桜井市 三輪山樋口清之氏グルーピングによる山頂やや西斜面下の岩石群。大規模な岩群で、人為的に列石を構築したような規則的な配置も見られるという。禁足地内につき詳細不明。禁足地
奈良県近代以降の命名
奥津磐座F群29奈良県桜井市 三輪山樋口清之氏グルーピングによる高宮神社の南西方向の岩石群。環状列石のような配置を見せる好資料という。禁足地内につき詳細不明。禁足地
奈良県近代以降の命名
奥津磐座G群29奈良県桜井市 三輪山樋口清之氏グルーピングによる高宮神社の北西方向の岩石群。環状列石のような配置を見せる好資料という。禁足地内につき詳細不明。禁足地
奈良県近代以降の命名
百目石29奈良県桜井市 三輪山月山谷にある名前の付く岩石。大神神社神地課が「典型的なものとして折紙をつけた磐座」の内の1つ。禁足地内につき詳細不明。禁足地
鏡石29奈良県桜井市 三輪山オーカミ谷中腹にある名前の付く岩石。大神神社神地課が「典型的なものとして折紙をつけた磐座」の内の1つ。禁足地内につき詳細不明。禁足地
登拝道磐座(1)29奈良県桜井市 三輪山登拝口と山ノ神遺跡と三光の滝の3ポイントのほぼ中間に立地。三光谷の入口に位置し、登拝口から徒歩約10分の地点。禁足地
登拝道磐座(2)29奈良県桜井市 三輪山三光の滝から尾根を約15分登った山腹に、杉の巨木と共に注連縄の結界が張られた岩石群が存在。中津磐座に相当するものか。禁足地
登拝道磐座(3)29奈良県桜井市 三輪山(2)地点から5分ほど登った路傍にあり、人工的に小石を配して磐境状に仕立てた祭り場。賽銭が捧げられている。置銭・投銭祭祀
奈良県禁足地
登拝道磐座(4)29奈良県桜井市 三輪山視界の開けた広めの尾根を登り、傾斜がやや急になる坂の途中に露岩群があり、注連縄を張られている。禁足地
登拝道磐座(5)29奈良県桜井市 三輪山坂を登りきって、山頂やや下方の登拝道に注連縄の巻かれた磐座。二重に注連縄が巻かれている。(5)(6)(7)は互いに近接。禁足地
登拝道磐座(6)29奈良県桜井市 三輪山坂を登りきって、山頂やや下方の登拝道に注連縄の巻かれた磐座。(5)(6)(7)は互いに近接。禁足地
登拝道磐座(7)29奈良県桜井市 三輪山坂を登りきって、山頂やや下方の登拝道に注連縄の巻かれた磐座。(5)(6)(7)は互いに近接。禁足地
白山29奈良県桜井市辻眞言律宗巻向山奥不動寺のすぐ北にそびえる岩山。一面が岩盤露出していることから白山の名が付いたものと思われるが、神聖視・祭祀の痕跡は見られない。頂上が岩山
ダンノダイラの「磐座」29奈良県桜井市出雲ダンノダイラ急斜面の山肌に露出する岩崖を主体とし、岩崖の上にある2~3体の岩にも供献皿や注連縄が残されている。麓の出雲村の十二柱神社にはかつて社殿がなく、この「磐座」を拝む場だったという。年に一度出雲村の人々がダンノダイラへ登り飲み食いや相撲をして遊ぶという風習があったという、
天壇29奈良県桜井市出雲ダンノダイラマウンド頂部に集石が存在。冬至の日に天帝をまつるために設けた祭壇という説があるが真相不明。近代以降の命名
素盞鳴神社 岩石群29奈良県桜井市慈恩寺 素盞鳴神社本殿背後に露岩があり「磐座」ではないかとされるが由来不詳。
石神29奈良県桜井市忍坂 忍坂坐生根神社背後にある神体山の宮山に「石神」と呼ばれる約20個の自然石が存在するという。A
金剛寶磐石/磐座/大磐石29奈良県桜井市初瀬 長谷寺長谷寺本尊の十一面観音菩薩の土台に使われている岩石。天平元年(729年)8月15日の夜、突如「金剛寶磐石」が土の中から現れ、磐石には仏像をしつらえるにふさわしい足跡形の穴があったことから、ここに十一面観音菩薩を立てたといわれる。BABC突如出現した岩石仏菩薩を安置するにふさわしい自然石が突如出現する。
奈良県岩石表面に印・痕・模様が残る
ふく石29奈良県桜井市初瀬 長谷寺長谷寺本願院が江戸時代に製作した「初瀬山之図」に記載された岩石。所在未特定。今現在確認がとれていない岩石
気比神29奈良県桜井市初瀬 長谷寺『長谷寺密奏記 裏付』(13世紀頃成立)に「十一面堂東北石座御」とある。所在未特定。今現在確認がとれていない岩石
気多神29奈良県桜井市初瀬 長谷寺『長谷寺密奏記 裏付』(13世紀頃成立)に「同方南石座御」とある。所在未特定。今現在確認がとれていない岩石
宝幢神29奈良県桜井市初瀬 長谷寺『長谷寺密奏記 裏付』(13世紀頃成立)に「十一面堂西南石座御」とある。所在未特定。今現在確認がとれていない岩石
宝語神29奈良県桜井市初瀬 長谷寺『長谷寺密奏記 裏付』(13世紀頃成立)に「同方北石座御」とある。所在未特定。今現在確認がとれていない岩石
見廻不動尊29奈良県桜井市初瀬岩崖。弘法大師が長谷寺の参籠を終えて笠山へ向かう途上ここで見かえり、ここは金剛界・胎蔵界の深理が顕現した霊場であるから、入山する者は心を定め清めなければならないと述べ、山の守り神である須彌山王の上に不動明王の御形を彫ったという。A山の入口に不動明王をまつり結界とする。
奈良県BCA
菅原道真の腰掛石29奈良県桜井市初瀬与喜天満神社の御旅所。菅原道真扮する狩衣装束の老人が腰掛けていたという岩石。切石のような形状で後世創設された可能性がある。CB休み石・腰掛石
泊瀬石29奈良県桜井市初瀬かつて滝蔵神社の近くに毘沙門天を祀る祠があり、ある時この上に雷が落ちて毘沙門天の宝塔が初瀬川に流れ落ちたが、この岩石に引っかかって止まったので、この岩石を泊瀬石と呼んだという。EC
女岩(女男岩)29奈良県桜井市初瀬 与喜天満神社愛しく撫でると心のかどがとれるという岩石。BBDなでたりさすったり抱きついたりする
男岩(女男岩)29奈良県桜井市初瀬 与喜天満神社愛しく撫でると心のかどがとれるという岩石。BBDなでたりさすったり抱きついたりする
山神遥拝所29奈良県桜井市初瀬 与喜天満神社与喜山・与喜天満神社の遥拝所とされる岩石。BA
奈良県BBA
八王子社29奈良県桜井市初瀬 与喜天満神社八王子社の祠の下に存在する岩石。BABC
鵝形石29奈良県桜井市初瀬 与喜天満神社天照大神が降臨したという岩石。BABA
奈良県C
沓形石29奈良県桜井市初瀬 与喜天満神社春日大明神あるいは天児屋根命が降臨したという岩石。BABA
奈良県C
掌石29奈良県桜井市初瀬 与喜天満神社太玉命が降臨したという岩石。BABA
奈良県C
千度まいり石29奈良県桜井市初瀬 与喜天満神社千度参りの際の礼拝石。BBA
与喜山 A地点北西岩石群/磐座29奈良県桜井市初瀬 与喜山/天神山2基の石灯籠を従えて玉垣の後ろに控える岩石。塔のように大きく三段から構成される岩石で、高さ3.1mを測る。
与喜山 A地点南東岩石群29奈良県桜井市初瀬 与喜山/天神山A地点北西岩石群から南東へ10mほど進むと、急斜面に高さ2~3mの岩々が多く露出している。
与喜山 B地点下方岩石群29奈良県桜井市初瀬 与喜山/天神山1962年に杉髙講が奉献した鳥居・灯籠・狛犬などが残る尾根先端の露岩群。
与喜山 B地点上方岩石群29奈良県桜井市初瀬 与喜山/天神山B地点下方岩石群から尾根を少し登るとスパッと鋭角的な輪郭を持つ立石が存在。
与喜山 C地点岩石29奈良県桜井市初瀬 与喜山/天神山天神山北側から登る登山道の入口東側に立地。石祠がまつられている背後に露岩がある。
与喜山 D地点岩石群29奈良県桜井市初瀬 与喜山/天神山山頂尾根の南端に立地する東西隣り合わせの2体の岩石。西側の巨岩は高さ2~3m、幅5mほどの単体の横長石。東側の巨岩は、小さめの岩石が2個横並びになっていて、その上に支石墓の掌石のごとく高さ2m・幅5mほどの巨石が乗っかかっている構造を有する。
陽神29奈良県桜井市初瀬 与喜山/天神山『長谷寺密奏記 裏付』(13世紀頃成立)に「伊弉諾尊也。東山腰石座御。南。」とある。所在未特定だが、A地点南東岩石群の可能性がある。BAB今現在確認がとれていない岩石
陰神29奈良県桜井市初瀬 与喜山/天神山『長谷寺密奏記 裏付』(13世紀頃成立)に「伊弉冉尊也。東山腰石座御。北。」とある。所在未特定だが、A地点北西岩石群の可能性がある。BAB今現在確認がとれていない岩石
光神29奈良県桜井市初瀬 与喜山/天神山『長谷寺密奏記 裏付』(13世紀頃成立)に「月弓尊也。東山北谷石座御。上。」とある。所在未特定だが、B地点上方岩石群の可能性がある。BAB今現在確認がとれていない岩石
雨神29奈良県桜井市初瀬 与喜山/天神山『長谷寺密奏記 裏付』(13世紀頃成立)に「同谷石座御。下。」とある。所在未特定だが、B地点下方岩石群の可能性がある。BAB今現在確認がとれていない岩石
賀茂大明神29奈良県桜井市初瀬落神『長谷寺密奏記 裏付』(13世紀頃成立)に「河中大石座御」とある。賀茂の雷神が瀧蔵権現から毘沙門天の宝塔を奪い取り去る途中でこの川中の岩石に落ちたという。下の屏風岩と同一物の可能性もある。初瀬ダム建設により水没。BABA今は存在しない岩石別の神から宝塔を奪い取った雷神が落ちた岩石。
奈良県BABC
屏風岩29奈良県桜井市初瀬落神高さ4.8mの三角形状の岩石に宝篋印塔と梵字の線刻がなされ、頂部に祠をまつっていたという。天落神六社権現の1つ。戦の時に塀代わりに使われたともいう。初瀬ダム建設により水没。BABC今は存在しない岩石
奈良県BAC
落神 山側斜面の岩盤29奈良県桜井市初瀬落神高さ97cmの宝篋印塔を刻んだ岩盤で、天落神六社権現の1つ。初瀬ダム建設により水没。BAC今は存在しない岩石 December 12, 2025
1RP
天落神六社権現 岩石祭祀事例29奈良県桜井市和田 天落神六社権現初瀬ダム建設により水没した岩石群を偲び、和田地区に遷座した天落神六社権現の境内に新たにまつられた宝篋印塔を刻んだ岩石。CB水没した岩石祭祀の場を偲んで、新たに清浄な岩石に宝篋印塔を刻んで遷座先にまつる。
弥勒菩薩石仏29奈良県桜井市瀧倉 瀧蔵神社境内にまつられた弥勒菩薩の石仏。A
観音屋敷29奈良県桜井市瀧倉 瀧蔵神社大小の岩石群が散在している場所。神聖視有無不明。
中谷休憩所 岩石祭祀事例29奈良県桜井市瀧倉 瀧蔵神社中谷休憩所という鞍部に存在する、注連縄の巻かれた岩石の割れ目から樹木が生えた事例。詳細由来不明。岩石割れ目から樹木、またはその逆
瀧蔵神社 岩石祭祀事例29奈良県桜井市瀧倉 瀧蔵神社拝殿の前に注連縄を巻かれた岩石。詳細由来不明。
猿田彦之命29奈良県桜井市小夫猿田彦之命の神名が表面に刻まれた岩石。人工的に築かれた石檀の上に置かれており神聖視されたことは確かだが、詳細由来不明。
八つ岩/八ッ岩/八箇岩/八龍王八箇石29奈良県天理市長滝町日の谷素戔男尊に斬られた八伎大蛇が八つの蛇となって天に昇り、水雷神となって聚雲の神剣に付き従って降臨した際の岩石という。朱鳥元年(686年)6月、石上神宮神主の布留宿邑智が「東の高山に神剣が発光して八つの竜が座す」という夢を見たので翌日に現地へ行ったところ、霊石八箇があり、傍らに現れた小童の口から「この地に降臨して人々を守ろうと思う」という神託があったため、出雲建雄神社を造ってまつった。BAA生き物が石化したもの八岐大蛇が八つに分裂して降臨した姿とも、八岐大蛇が降臨した岩石ともいう。
奈良県BABA突如出現した岩石
奈良県CA最初の一回だけ磐座機能
天狗岩29奈良県天理市長滝町日の谷八つ岩の近くに残るという地名。今現在確認がとれていない岩石
九頭神社 岩石29奈良県天理市長滝町 九頭神社本殿の背後にある岩石。神聖視有無不明。
八龍王八箇石29奈良県天理市 大国見山八伎大蛇が素盞鳴命に八つ裂きされたのが天から落ちてきた名残の岩石群。日の谷の八つ岩との関連性は不明。
大阪山口神社 岩石群29奈良県香芝市穴虫 大阪山口神社本殿の背後にある露岩群。神聖視有無不明。
石光山 岩石群29奈良県御所市元町 石光山触ると火が出るといわれている巨岩群。隣接して祠がまつられている。山名の由来の可能性もある。石組・石室状の構造を持つものもあるが自然・人為含めて不明点が多い。石光山古墳群の群集墳の合間に存在する。祟り伝承
奈良県岩石から煙・光・火・気などが出る
奈良県古墳が近接
唐笠山 十一面観音29奈良県御所市朝町 唐笠山大穴持神社の鎮座する唐笠山の山頂近くにある露岩。岩石表面に十一面観音が線刻されているという。A
平群石床神社/岩神29奈良県生駒郡平群町越木塚 平群石床神社旧社地里山の裾に露出する岩壁。石床という名と立地から元は磐座だった可能性があり、江戸時代の絵図には岩神と書かれていることから、後世に石神に変化したと考えられる。陰石として女性の病や下半身の病に霊験がある。BABA磐座から石神に変化し、社殿なしのまま神社としてまつる。
奈良県A
神籠石/神護石29奈良県生駒郡平群町越木塚 石床神社拝殿の奥に置かれている岩石。詳細由来不明。
舟石/船石29奈良県生駒郡平群町三里 宮山延喜式内船山神社の祭神が降臨した時に乗った船とされる3体の船形石。CA物品が石化したもの
陽石29奈良県生駒郡平群町三里 船山神社麓の現・船山神社境内に置かれた立石。宮山中腹の中ノ宮(船山神社旧社地)から移設したものという。原位置から移動伝承
夫婦岩/天狗岩/三間石山巨石遺構29奈良県生駒郡平群町櫟原字三石3体の巨岩を中心に大小の岩石群が群集。現在、3体の内の2体に、多数の木の枝が岩に立てかけられている。『住吉大社神代記』の中の、住吉大神が母木里(東大阪市豊浦町付近)と高安国(大阪府八尾市付近)の境に置いた「諍石」に該当するという説がある。岩石に多数の木の枝を立てかける。
十三塚 祭壇状石組29奈良県生駒郡平群町福貴畑塚の手前に、岩石を用いて方形に囲った遺構。区画内に何らかの祭祀具を置いたものと推測されるが確証はない。築造時期は江戸中期以前といわれるが特定できていない。
十三峠地蔵菩薩29奈良県生駒郡平群町福貴畑峠の道標の横に立てられ、明和2年(1765年)の製作の石仏。A
両童子岩29奈良県吉野郡天川村 大峯山高さ約10mの2体の立岩。修験者が一方に登り、その後もう一方に飛び移る修行をする場。BCE巨岩に登り、別の巨岩に飛び移る修行。
子安石30和歌山県新宮市阿須賀 阿須賀神社子安社としてまつられる岩石。子宝安産を祈願する人々が、王子が浜から白石を拾い子安石に奉納して願掛けをする。A可動的性質
和歌山県BBC
蓬莱山遺跡30和歌山県新宮市阿須賀 蓬莱山山中の上オンビ・下オンビと称する場所から、自然石を壁として利用し、その前面三方に石を組み合わせた石室遺構が見つかり、そこから平安~室町時代の御正体194枚や経塚関係遺物(経筒片・経石など)が出土。他に弥生時代の土器、古墳時代の手づくね土器・滑石製模造品も出土。BCD経塚関係山中の自然石を利用して石室を作り、それを経塚とする。
千引岩/千引の岩/宮井戸遺跡30和歌山県新宮市蓬莱かつて海岸の小島だったとされる場所で、飛鳥行人が祭祀していた場所ともいい、黄泉道守命をまつる宮井戸社があった。弥生土器と一字一石経が出土し、千引岩の表面には鎌倉時代あるいは室町時代の「キリーク(大威徳明王)」「カーンマーン(不動明王)」の梵字が刻まれている。A
白玉稲荷神社30和歌山県新宮市蓬莱社殿に接して3体の球状の巨岩が存在。
ゴトビキ岩/琴引岩/神倉山遺跡30和歌山県新宮市神倉 神倉山神倭国磐余彦が熊野に上陸して最初に祈願した霊地「天磐盾」の上部、あるいは、高倉下命が高甕雷神から神剣を授かった場所、さらには熊野三所大神が最初に地上に降臨した場所といわれる巨岩。岩の裾部から中世の経塚群や弥生時代の銅鐸などが出土した。BCC経塚関係司祭者が座す場所でありながら、神が降臨する場所でもある。銅鐸と経塚の伴出。
和歌山県BABA
和歌山県BCD
鏡石(那智の七石)30和歌山県東牟婁郡那智勝浦町 熊野那智大社大門坂に所在。七石
唐斗石(那智の七石)30和歌山県東牟婁郡那智勝浦町 熊野那智大社大門坂に所在。七石
平石(那智の七石)30和歌山県東牟婁郡那智勝浦町 熊野那智大社実方院跡に所在。七石
三ッ石(那智の七石)30和歌山県東牟婁郡那智勝浦町 熊野那智大社珍重庵右横に所在。七石
烏石(那智の七石)30和歌山県東牟婁郡那智勝浦町 熊野那智大社熊野那智大社の遥拝所奥にある岩石。神倭国磐余彦の道案内をした八咫鳥が石化したというもの。C七石
和歌山県生き物が石化したもの
和歌山県秘匿されている岩石
笈掛石(那智の七石)30和歌山県東牟婁郡那智勝浦町熊野那智大社と青岸渡寺の間に所在。七石
降石(那智の七石)30和歌山県東牟婁郡那智勝浦町 青岸渡寺宿坊の尊勝院の裏庭に所在。天から落ちてきたという岩石。七石
和歌山県可動的性質
河内様/河内神社/清暑島30和歌山県東牟婁郡古座川町古座川に浮かぶ小島で、島全体が河内神社としてまつられている。島頂に一枚岩が存在。古座川の川神をまつる場所。BABC禁足地7月の河内祭では、河内様に古座川の清水(潮)を奉納する。
西の倉30和歌山県東牟婁郡古座川町河内様の上流にそびえる岩山。EC
重畳山30和歌山県東牟婁郡串本町橋杭岩と同じ成因による岩脈が残る山。山内に重畳山神社・神王寺と石仏群が存在。EC
橋杭岩30和歌山県東牟婁郡串本町串本の沖から紀伊大島に向かって立ち並ぶ岩の列。太古のマグマによって形成された岩脈が、黒潮の浸食で削られたもの。弘法大師あるいは太吉という村の正直者が一晩で架けようとした橋脚の跡と伝えられる。C
和歌山県EC
高塚の森30和歌山県東牟婁郡串本町潮岬潮御崎神社の神域とされる森。マウンドと露岩群があり、応神天皇の侍従の墓と伝えられ、かつて小祠があったという。マウンド南西に列石・土堤・平坦地形が指摘され、測量調査が実施される。また、夏至に平坦地形からマウンドを望むと、露岩群から太陽が上ってくることが確認され、高塚の森は太陽祭祀の場だったとする説が出されたが、そのことを裏付ける文献記録や遺物の存在に欠ける。夏至の日に、平坦地からマウンドの露岩の頭上に日の出の太陽を望む太陽祭祀の可能性が指摘されている。
盃岩30和歌山県東牟婁郡串本町潮岬 旭之森神功皇后が酒宴を催した際に杯を置いたという岩石。C
阪田山遺跡 環状配石遺構30和歌山県西牟婁郡白浜町阪田山腹斜面に自然露出の岩盤が広がり、その下方に弧状列石、焚火址2ヶ所・環状配石を検出。環状配石遺構は、大小の砂岩16個を直径約1mの環状に配置され、配石の内側からは臼玉約2000点の他、包含層上部からは有孔円板・剣形製品・勾玉・管玉が偏って出土した。環状配石は祭祀具配置空間を明示する遺構あるいは祭祀終了後の廃棄場所を区画する遺構だった可能性がある。BCD環状配石の内外で土砂の種類、遺物の出土点数に差がある。配石内に遺物があまりに多量ということと、臼玉とそれ以外の遺物に出土位置の差が見られるため、祭祀具配置・埋納・廃棄跡など様々な機能が推測される。
和歌山県DB
阪田山遺跡 弧状列石30和歌山県西牟婁郡白浜町阪田岩盤の下方斜面に弧状・壇状に配された岩石群。自然の露岩の可能性もある。
阪田山遺跡 岩盤30和歌山県西牟婁郡白浜町阪田遺跡における祭祀対象と推測されている岩盤。遺跡中最も最高所の斜面に立地。
かろと石30和歌山県田辺市秋津川僧が石を煮て食べ、行をしてから岩石の中に入り、そのまま出なかった。これをかろと石と呼ぶ。BCE岩石の中に籠る
和歌山県BAC
白山 岩石群30和歌山県有田郡有田川町 白山田殿丹生神社の裏山である白山の中腹に、数十mはあろうかという巨岩が屹立し麓から仰ぐことができる。磐座ではないかという説があるが、歴史的に裏付ける明確な資料が確認できない。白山自体は神聖視されており、山頂に白山神社が鎮座。
タテリ岩/一の宮(岸宮遺跡)30和歌山県紀の川市貴志川町岸宮山頂にある高さ5.5mの蛇紋岩。康平6年(1063年)、ここに最初に宮を建てて一の宮と称したとの貴志川八幡宮の社伝がある。CA
中宮/中の宮/上の宮(岸宮遺跡)30和歌山県紀の川市貴志川町岸宮康平6年(1063年)に一の宮を設けた30年後、山腹に遷座して上の宮と称したといわれる場所で、多くの自然石が群集している。周辺一帯の自然石の上面や岩陰から奈良時代~平安時代の和鏡・鐸形銅製品が見つかっている。CA
岸宮中宮遺跡 環状配石遺構(岸宮遺跡)30和歌山県紀の川市貴志川町岸宮中宮の自然石の群れの西に隣接。20数個の角礫を直径約1.5mの環状に巡らせた遺構で、石同士は粘土で固定され、配石内部は石敷きがされていた。1mほど東からは常時湧水を溜めていた井戸遺構を検出。周辺一帯から奈良時代~平安時代の和鏡・鐸形銅製品・魚形銅器・滑石製有孔石製品・土師器・須恵器・黒色土器・瓦器・緑柚陶器などの遺物が出土。
岸宮中宮遺跡 敷石遺構(岸宮遺跡)30和歌山県紀の川市貴志川町岸宮環状配石遺構の西に隣接。周辺一帯から奈良時代~平安時代の和鏡・鐸形銅製品・魚形銅器・滑石製有孔石製品・土師器・須恵器・黒色土器・瓦器・緑柚陶器などの遺物が出土。
前庭/庭園/石組(岸宮遺跡)30和歌山県紀の川市貴志川町岸宮 貴志川八幡宮社殿前の石段脇にある岩石群。安土桃山時代の製作の庭園とされているが、山裾の磐座に手を加えたものとする説もある。EC
七福の庭30和歌山県和歌山市 和歌山城紀州徳川藩祖の徳川頼宣が、紀州藩の隆盛を祈念して1621年(元和7年)に作った石庭。七福神が船に乗っている様子を岩石に擬して配置したもの。かつて本丸御殿の中央にあったが1923年に現在地に移転した。BBC原位置から移動伝承人工的に信仰対象の岩石を製作・奉献して守護神にする。
和歌山県A
弁財天山30和歌山県和歌山市 和歌山城南かつて和歌山城敷地内にあったとされる岩山。麓には紀州徳川勧請神社・子供観音があるほか、山の神の石碑が残されている。頂上が岩山
後醍醐天皇お腰掛けの岩31鳥取県西伯郡大山町御来屋後醍醐天皇が腰掛けた岩石。この岩石に船をつないでおくと流されることはないという。CC休み石・腰掛石
産石31鳥取県米子市橋本 阿陀萱神社天から落ちてきた岩石で、産石神社を建ててまつったという。A可動的性質
金鶏石31鳥取県米子市上新印 圓福寺箱と蓋の2つから構成される岩石構造物で、中には金の鶏(鳩とも)が入っており、元旦に泣いて福を与えてくれたという。かつて別の場所の寺にあり、小僧が開けてしまい金鶏は逃げてしまったので、和尚は逃げてしまった現在地に寺と金鶏石ごと移転したという。BAC黄金の何かが隠されているという伝説
鳥取県EC原位置から移動伝承
赤猪岩31鳥取県西伯郡南部町寺内 赤猪岩神社倭国神話で大国主命を焼き殺した猪岩を土中に封印し、その上に大きな蓋石と玉垣を施し禁忌とした。EA可動的性質不敬の岩石を土中に埋め、蓋石で封じ込める。
鳥取県BBB禁忌が厳しい
越路遺跡31鳥取県鳥取市越路宮丸山立地は麓近くの丘陵斜面。地表下約0.5-1mの辺りで、大ぶりの板石の下から銅鐸1出土。今は存在しない岩石
影石31鳥取県鳥取市用瀬町 三角山三角山頂上の三角山神社周辺に存在する自然石。
重石31鳥取県鳥取市用瀬町 三角山三角山頂上の三角山神社周辺に存在する自然石。
富士石31鳥取県鳥取市用瀬町 三角山三角山頂上の三角山神社周辺に存在する自然石。
天狗石31鳥取県鳥取市用瀬町 三角山三角山頂上の三角山神社周辺に存在する自然石。
万灯石31鳥取県鳥取市用瀬町 三角山三角山頂上の三角山神社周辺に存在する自然石。
双履石31鳥取県鳥取市国府町宮下 宇倍神社武内宿禰が亡くなる前に残したといわれる草履の石化したもの。地中に竪穴式石槨が眠っていることが分かり、古墳石材の一部ということが判明した。C物品が石化したもの
鳥取県遺物・遺構の再利用
岡益の石堂31鳥取県鳥取市国府町岡益安徳天皇陵と伝えられる石造遺構。石檀の上に板石で側壁を造り、中心にエンタシス調の石塔を立てた構造物。製作年代、元来の用途共に不明。聖者が亡くなった場所
羽衣石31鳥取県東伯郡湯梨浜町 羽衣石山天女が水浴びをするため自らの羽衣をかけていた岩石。裾に天女をまつる祠を設けている。C
安産岩31鳥取県東伯郡東郷町宮内 宮内倭文神社難産に苦しんだ妊婦が宮内倭文神社に祈願したところ、この岩石の前で安産したという。以降、安産の霊験を持つ岩石として信仰される。A
春日シヌン谷遺跡32島根県八束郡東出雲町春日シヌン谷露岩群の裾から手捏土器など出土。平野部からかなり奥まった丘陵斜面に位置するが、露岩群の近くに住居址状のテラス4ヶ所検出。今は存在しない岩石
座王さん32島根県松江市鹿島町佐陀本郷 恵曇神社恵曇神社祭神の磐坂日子命が腰掛けたという岩石。C休み石・腰掛石
志谷奥遺跡32島根県松江市鹿島町佐陀本郷字志谷奥高さ1.5mほどの2体の巨石の1.5mほど離れた場所の地中の下層から銅鐸2点、上層から銅剣6点が整然と出土。今は存在しない岩石
元宮/磐座32島根県松江市八雲町熊野 天狗山出雲国一宮熊野大社の元宮と伝えられる山頂付近の露岩群。現在は毎年5月に供物を捧げる元宮祭が行なわれている。BA
島根県CA
犬石32島根県松江市宍道町 石宮神社大国主命が狩りをしていた犬が石化したもの。C生き物が石化したもの
猪石32島根県松江市宍道町 石宮神社大国主命が狩りをしていた猪が石化したもの。C生き物が石化したもの
女夫岩さん/宍岩さん/女夫岩遺跡32島根県松江市宍道町白石2体の巨岩を中心とし、手前に石壇を有する遺跡。古墳時代中期・後期の土器、近世・近代の遺物が出土。石壇も近世・近代のものと推測される。『出雲国風土記』の猪石の候補地。
真玉/真玉さん/願い石32島根県松江市玉湯町 玉作湯神社湯山主之大神(大己貴命)としてまつられてきた自然の丸石。近年「願い石」と呼ばれ、「叶い石」を使った信仰が生まれる。A近代以降の命名願い石に水をかけて、その後、叶い石を願い石に当てると、願い石の霊力が叶い石に分け与えられ、お守りの石になるという。
島根県BBD
叶い石32島根県松江市玉湯町 玉作湯神社神社で販売している小石。この小石を願い石に当てると、願い石の霊力が叶い石に移り、自分のお守りになるという。近年考案された祭祀。BBD近代以降の命名願い石に水をかけて、その後、叶い石を願い石に当てると、願い石の霊力が叶い石に分け与えられ、お守りの石になるという。
御守石32島根県松江市玉湯町 玉作湯神社勾玉の原石。別の場所に保管されていたが、近年の「願い石」信仰を受けて境内に移設されて名付けられる。BD近代以降の命名
夫婦岩32島根県雲南市大東町須賀 八雲山山腹に立地する、須賀神社の奥宮とされる3体の巨岩を中心とする岩石群。それぞれ須佐之男命・奇稲田比売命・清之湯山主三名狭漏彦八島野命をまつる。BAC
島根県CA
大岩32島根県雲南市加茂町岩倉大岩の下には金鶏がおり、大晦日にだけ鳴き声を出し、それを聞いた者は巨万の富を得ることができるという。EC黄金の何かが隠されているという伝説
矢櫃神社 岩石群32島根県雲南市加茂町岩倉矢櫃神社の旧社地の背後に露出する岩石群。岩倉の地名の元ともいわれるが詳細由来不明。
成長石32島根県雲南市三刀屋町多久和 飯石神社ある日突然天から落ちてきた岩石といい、日に日に岩石が大きくなるので、村人達が神様として神社を建ててまつったのが飯石神社の始まりという。明治時代の遷宮工事の際、この岩石の周辺から古墳時代の須恵器片が出土した。A突如出現した岩石
島根県岩石が満ち欠け・増減・出産する
島根県可動的性質
岩坪/岩坪さん/岩坪明神32島根県出雲市東神西町 那売佐神社川床の岩盤に甌穴が開いたもの。神が生まれた時に産湯に使ったという。甌穴は普段砂で埋まっているが、旱魃の時に砂を掘り出して雨乞いすると雨が降るという。C岩穴・窟甌穴に埋まった砂を掘り出すと雨が降る。
島根県BBD
烏帽子岩/石神32島根県出雲市多久町 大船山『出雲国風土記』に記載された楯縫郡神名樋山の石神。日照りの時に雨乞いをすると必ず雨が降るという。A
小石神32島根県出雲市多久町 大船山『出雲国風土記』に記載された、楯縫郡神名樋山の石神の周囲に群集する百余の小石神。この一帯及び付近の滝壺から古墳時代の土師器片が発見されている。A石神の周囲に付き従って百余の小石神の存在が記載される。
島根県BD
命主神社遺跡32島根県出雲市大社町 出雲大社命主神社は出雲大社の境内摂社。江戸時代の社殿改修時、社殿背後の大岩の下から弥生時代の銅戈4点、ヒスイ製勾玉が出土した。今は存在しない岩石
首岩32島根県出雲市佐田町反辺 多倍神社素盞鳴尊が退治した鬼の首を地中に埋め、地表に岩石で蓋をして封じたもの。この岩石に触れると鬼の血が付くといわれている。BBB岩石から血が出る鬼の首を埋めて岩石で蓋をして鎮める。
島根県C
上方林遺跡32島根県仁多郡奥出雲町下横田字上方林丘陵斜面において配石遺構が2ヶ所で出土し、近くに須恵器大甕・金銅製金具、土馬などが配置されていたと報告されている。今は存在しない岩石
大神岩/窟32島根県飯石郡飯南町 琴引山『出雲国風土記』に記載された飯石郡琴引山の窟。内部に所造天下大神の御琴と記載された石の亀裂がある。BCA岩穴・窟神の琴を納めた窟がある。
島根県BAC岩石表面に印・痕・模様が残る
烏帽子岩/石神32島根県飯石郡飯南町 琴引山『出雲国風土記』に記載された飯石郡琴引山の石神に比定されている巨岩。他にも周囲に巨岩があるため異説もある。A
婆石32島根県邑智郡邑南町作木下の爺石に毎年米一粒ずつ近づいており、爺石に接すると近くの江川が大海になるという。EC岩石が動く
爺石32島根県邑智郡邑南町江平下瀬上の婆石に毎年米一粒ずつ近づいており、婆石に接すると近くの江川が大海になるという。EC岩石が動く
水枕石33岡山県新見市大佐上刑部人が亡くなると、川から拾ってきた石を枕飯の横に置く。BBB可動的性質人が亡くなると、川から拾ってきた石を枕飯の横に置く。
岡山県BBC
鏡石33岡山県備前市八木山 鏡石神社広大な鏡肌の平滑面を持つ岩石。鏡石自体のいわれは残っていないが、池田輝政をまつる神社が創建当時から鏡石神社と名付けられていることから、すでに神社創建時において特別視以上の認識を受けていたことは間違いない。鏡面を持つ岩石鏡石が存在する場所に藩主をまつる神社を建てる。
たいち墓/太一墓/加三方磐座遺跡33岡山県和気郡和気町加三方台座石の上に立石を置いた組石があり、北に8個の細長い岩石が一列に並び、東には1個の丸石があり、周囲を細長い岩石で3個以上取り囲んだ列石構造が見られる。どこまで人工物かは不明。隣接して横穴式石室があり、一帯からは土器片と石包丁が発見されている。地元では元来たいち墓と呼ばれ雨乞いや花見の場所、マツタケが生えるため夜通し番をした場所という。近代以降の命名
岡山県古墳が近接
休み石33岡山県和気郡和気町加三方たいち墓の番をする人が道の途中で腰かけて休んだという岩石。EC休み石・腰掛石
石根依立神社 本殿玉垣33岡山県和気郡和気町 石根依立神社石根依立神社の本殿を取り囲む玉垣には一部自然石が用いられている。意図は不明。BCA自然石を玉垣に用いる。
イモリ岩33岡山県和気郡和気町石根依立神社の裏山の山頂近くに露出する巨岩。麓からも望むことができるが、神社との関連性は不明。
石上布都御魂神社 本宮33岡山県赤磐市石上 石上布都御魂神社大松山山頂に露出する岩盤。社殿祭祀以前の磐座跡とされる。BABC禁足地
岡山県CA
熊山遺跡33岡山県赤磐市奥吉原 熊山熊山山頂に建てられた階段状の石塔。諸説あるが奈良時代の仏塔説が有力。石塔には厨子と見られるし四角の凹み空間が設けられている。岩石の表面をくりぬき、中に仏などを納める
鉾立岩33岡山県玉野市番田八丈岩山の南腹支峰上に屹立する巨岩。麓や海岸からもよく見えるため海上交通の目印にもなったという。EC
由加神社/瑜伽大権現 岩石群33岡山県玉野市胸上 瑜伽山社殿の背後に群集する岩石群。磐座跡の説があるが由来は伝わっていない。
玉石/立石/霊岩33岡山県玉野市玉 玉比咩神社勾玉の形状から名付けられたという岩石。中世には立石とも呼ばれたという。あるとき、玉石から3つの火の玉が飛び出て3ヶ所に落ち、玉石には日輪状の跡が残ったという。かつては海岸の立地で満潮時には海水に洗われていたという。A岩石表面に印・痕・模様が残る
岡山県C水をかける・水に漬かる
岡山県岩石から煙・光・火・気などが出る
臥竜稲荷神社奥宮33岡山県玉野市 臥竜稲荷神社奥宮臥竜山中腹に立地。社の背後に岩壁が露出する。玉比咩神社の玉石から飛び出た火の玉が落ちた場所の1つといわれる。
高島遺跡33岡山県岡山市宮浦 高島山頂部の高さ3.7mの立石を中心とする岩石群から古墳時代後期の祭祀遺物が出土。岩石群からは牡蠣の殻が付着したものがあり、海岸から島頂部に運搬してきた石材であることが判明している。
磐境33岡山県岡山市北区京山 尾針神社本殿裏に集積する岩石群。社殿祭祀以前のまつり場といわれる。C
環状列石33岡山県岡山市北区一宮 吉備津彦神社平安時代まで遡りうるという人工庭園の五色島に配された、20個の岩石からなる環状列石。庭園施設化、祭祀用途のあるものかは不明。
八島殿 神座33岡山県岡山市北区一宮 吉備津彦神社『備前州一宮密記』によると、八島殿に神座と呼ばれる岩石があり、吉備津彦神社へお供えをする場合はまずこの岩石に供え物を置いて、霊烏がついばんでから吉備津彦神社に供えないといけなかったという。現在、八島殿の跡地に長さ約3m、巾約1m、高さ約1mの安山岩が存在しており、これが八島殿の神座だったのではないかと推測されている。BCD今現在確認がとれていない岩石
忠魂碑台石33岡山県岡山市北区一宮 吉備津彦神社忠魂碑の台石はかつて背後の一段高い場所から移設してきたといい、そこは『古代御社図』に描かれた元来の本殿の位置であることから、台石は古代のイワクラだったという説がある。原位置から移動伝承
岡山県岩石が改変されている
矢置岩/矢置石/箭置石33岡山県岡山市北区吉備津 吉備津神社大吉備津彦命が、この岩石の上に矢を置いてから弓を引き温羅を退治したという。箭祭の時、桜箭神社に奉納する2本の矢を最初に安置する岩石としても用いられる。C神前に奉納する矢を最初に置いておく岩石。
岡山県BCD
矢納宮石33岡山県岡山市北区吉備津 吉備津神社矢置岩の背後の山腹に存在するという2個の岩石。所在地不明の桜箭神社のことを指すといわれる。
岩山宮33岡山県岡山市北区吉備津 吉備津神社岩石をまつる神社。後世、岩石を覆うように社殿が造られ今は見えない。祭神は中山主命・建日方別命。A秘匿されている岩石
岡山県BABC磐座と石神の性格が混在している事例
金比羅宮跡 露岩33岡山県岡山市北区吉備津 吉備津神社江戸時代の絵図で、山腹に「金比羅」と書かれた祠と背後を屏風のごとく覆う岩が描かれており、現在も露岩が残る。吉備津宮の元宮ともいわれる。
穴観音33岡山県岡山市北区吉備津 吉備の中山中山茶臼山古墳の後円部東に5体ほどの岩石が群集しており、岩石の表面を窪ませて仏を彫刻していることから穴観音の名称がある。主石の左側面の穴に耳を当てると観音様の声が聞こえるという。A岩石から音声が聞こえる
鏡岩33岡山県岡山市北区吉備津 吉備の中山山頂からやや西に下った山頂直下にある岩石。斜面下側の岩肌は平らで、楕円形の鏡の形状を見せるが、表面には石のしわが大量に走っており、光沢面はない。
八畳岩/奥宮磐座33岡山県岡山市北区吉備津 吉備の中山ほぼ山頂に立地。奥宮磐座と総称される大小の岩石群があり、その中でひときわ大きいものを八畳岩と呼んでいる。八畳岩には岩陰状の窪みがあり、そこから土師器片が採集されている。C岩穴・窟
環状石籬33岡山県岡山市北区吉備津 吉備の中山山頂尾根に立地する岩石群。近代以降の命名
お休み岩33岡山県岡山市北区吉備津 吉備の中山環状石籬の近くに存在。人が休むのか神が休むのか由来不明。
元宮磐座33岡山県岡山市北区吉備津 吉備の中山龍王山の山頂直下に位置する単独の岩石。C
龍王山経塚33岡山県岡山市北区吉備津 吉備の中山龍王山山頂に立地。経筒を地中に埋納し、地表を小ぶりの石礫で覆った後、中心に若干大きめの石礫を寄せ固めた遺構。内部から出土した銅製経筒は鎌倉時代製作と推定されている。BCD経塚関係
岡山県BCA
八大龍王 石祠33岡山県岡山市北区吉備津 吉備の中山天明年間(1781~1789年)の寄進といわれる石祠。天明の大飢饉に対して、雨乞いの神を迎えるために奉納された神の座所か。BBC
岡山県BAC
盗人岩/天柱岩33岡山県岡山市北区吉備津 吉備の中山上部に「天柱」という字が刻まれた立石状の岩石。宗教法人福田海が刻んだ字で、以前は盗人岩と呼んでいた。盗人岩の名の由来は不明。岩石の根元からは鎌倉時代と推定される土師器片が採集されている。近代以降の命名
岡山県岩石表面に印・痕・模様が残る
夫婦岩33岡山県岡山市北区吉備津 吉備の中山吉備の中山の東側斜面に存在する2体の巨岩。
不動岩33岡山県岡山市北区吉備津 吉備の中山かつて有木神社の境内に位置していたと考えられる岩石。現在は福田海の敷地内にありまつられている。
内宮石33岡山県岡山市北区吉備津 吉備の中山江戸時代の吉備津神社境内絵図に描画された11個の岩石からなる環状列石。平安末期に「内の宮」があったとされる場所。現在跡地では環状列石を確認できず。今現在確認がとれていない岩石
影向石33岡山県岡山市北区吉備津 吉備の中山明治時代、本宮に合祀された新宮の旧社地に建てられた石碑。CB
「S山」山頂遺跡33岡山県岡山市北区吉備津 吉備の中山内宮石のほぼ真南に位置する峰の頂上にかつてあったとされる岩石群。鉄塔建設工事で破壊され、その時に弥生時代の分銅形土製品・石剣・弥生土器片が出土したという。今は存在しない岩石
矢喰岩33岡山県岡山市北区高塚 矢喰神社大吉備津彦命が放った矢に対して、温羅が負けじと投げた岩石がぶつかって落ちたもの。C神々の力比べ・喧嘩
血吸石33岡山県岡山市北区 血吸川大吉備津彦命に退治された温羅の血が付いた岩石。C December 12, 2025
1RP
笑い石37香川県三豊市仁尾町 大蔦島陰石状の岩石で姫岩神社とも呼ばれる。神楽石と一緒に参ると家庭円満という。A
桃太郎岩37香川県三豊市仁尾町 大蔦島桃太郎伝説になぞらえた岩石。C
烏帽子岩37香川県三豊市仁尾町 大蔦島烏帽子の形状に似た岩石。EC
ひき石37香川県三豊市仁尾町 大蔦島島の沿岸に集まる3個の岩石。人によって見えるものが違うという。
平石37香川県三豊市仁尾町 大蔦島島の沿岸に浮かぶ頂面平らの岩礁。EC
弁天岩/立石38愛媛県越智郡上島町 生名島高さ約5mの立石。生名島で採れない石材といわれるが原産地は不明。A
立石山遺跡38愛媛県越智郡上島町 生名島島頂に大小の岩石が群集しており、そこから弥生中期・古墳時代の遺物出土。弥生時代の遺物は祭祀用というよりも高地性集落説が高い。岩石群の合間から弥生土器・小型円筒形磨き石・石斧・石鏃・石包丁・ナイフ形石器・須恵器・土師器・貝殻類・川原石の出土。
磐座38愛媛県四国中央市三島中央1丁目 三島神社玉垣内に囲まれた空間内に大小の岩石群が存在。屋敷神の旧鎮座地といわれている。C
竜宝石/鯛寄せの石38愛媛県四国中央市三島中央1丁目 三島神社元々は沖合いにあった岩石でここから毎日鯛が釣れるため、神秘的な岩石と思った庄屋が自宅の庭に岩石を運搬してきたところ不幸が相次いだ。毎日海水を岩石にかけて海の神を拝んだところ災いは収まった。明治時代になって庄屋の子孫が三島神社に奉納した。A祟り伝承鯛が寄ってくる岩石を欲しいと思って自宅に持ち込んだ人に対して祟りを起こす。祟りを鎮めるため岩石に海水をかける。その後神社に奉納する。
愛媛県BBC水をかける・水に漬かる
愛媛県原位置から移動伝承
愛媛県可動的性質
立石遺跡38愛媛県四国中央市土居町津根字立石巨石下から銅矛先端1点出土。
天狗岳38愛媛県西条市 石槌山石鎚毘古命そのものを表す岩山。A頂上が岩山
天柱石38愛媛県西条市 石槌山
牛石/入日滝遺跡38愛媛県今治市大三島町台入日滝安神山南麓の台川上流入日滝にある「牛石」という岩石の中から集中して手捏土器約20点・土師器約1000点出土。
甑石38愛媛県松山市北条除夜に炊事の湯気が立ち上るという高さ6mの白石。甑石を砕いた石片を火打石にする風習があり、その代替に別の小石を乗せておくと甑石と一体化して甑石が損傷することはないという。EB岩石に損傷を加える行為岩石を欠く代わりに別の岩石を乗せておく。
愛媛県岩石が満ち欠け・増減・出産する
愛媛県岩石から煙・光・火・気などが出る
弥勒様38愛媛県大洲市 神南山女神南の頂上にある2体の立石を中心とする岩石群。雨乞いの霊験があるという。A
オショウブ岩38愛媛県大洲市 神南山山頂にあり、下部に洞穴状の岩屋を有する岩石。
ドンビ岩38愛媛県大洲市 神南山卵形の岩石。
八畳岩38愛媛県大洲市 神南山ドンビ岩の直下十数町の位置にある扁平楕円形の緑泥片岩。この岩石の下には金の茶釜が眠っていると伝えられている。EC黄金の何かが隠されているという伝説
盤珪禅師の座禅石/如法寺山頂巨石遺跡38愛媛県大洲市 冨士山/如法寺山山頂にある机状の岩石。盤珪禅師の座禅石。C休み石・腰掛石
仏岩/高山メンヒル38愛媛県大洲市高山ニシノミヤ 高山寺山/高山高さ4.75mの立石。岩石の表側は仏菩薩で、岩石の裏側は神が宿るとされる。かつて石材として麓に運び出されたが、翌日には元の場所に戻っていたという。眼の病に霊験がある。鳥居龍蔵によりメンヒル認定された代表例としても有名。A岩石が動く
愛媛県眼病に効く
愛媛県近代以降の命名
疣岩38愛媛県大洲市高山ニシノミヤ 高山寺山/高山高さ約2mの岩石。
神石38愛媛県大洲市高山ニシノミヤ 高山寺山/高山神田神社の下にあるドルメン状の岩石。神石として畏敬されているという。A
通仙岳38愛媛県大洲市高山ニシノミヤ 高山寺山/高山信仰対象としての霊石。A
高地イラズ38愛媛県大洲市高山ニシノミヤ 高山寺山/高山通仙岳の上部の山頂に広がる岩石群。地元の人が近づかなかった場所。BCA禁足地
朝立台遺跡38愛媛県西予市三瓶町朝立山腹にある巨石の周辺と山麓から古墳後期の土師器出土。
覗き石39高知県高岡郡檮原町-愛媛県上浮穴郡久万高原町 地芳峠峠にあり穴が貫通した岩石が立つ。高知側の永野・峰の段集落の人々が6/28に石槌山を遥拝する場所。BBA石に開いた穴を通して遠くの山を遥拝する。
灯明巌39高知県安芸郡安田町唐浜岬に屹立する岩石。夜や異変の前触れには岩が発光するという。EB岩石から煙・光・火・気などが出る
礫石39高知県高知市一宮町 土佐神社別の場所に鎮まっていた神が、新しい鎮座地を求めて放り投げて落ちた岩石。土佐神社鎮座の起源を物語る神跡。C
禊岩39高知県高知市一宮町 土佐神社禊神事を行なう斎場にあり、祓の神徳がある岩石。河川工事に伴い現在地に移転された。BCB可動的性質
高知県Aここで自らを整える・清める
大山祇神社の岩39高知県高知市天神町 潮江天満宮本殿の裏にある岩石。岩石の上に石祠がまつられている。BABC
八畳岩39高知県高知市柴巻麓・太平洋の眺望が良い平たい岩場。EC
ゴトゴト石39高知県高知市土佐山押すとゴトゴト揺れ動くことから名付けられた岩石。EC岩石が動く
お菱岩39高知県高知市春野町甲殿高さ約20mの菱形の岩石。詳しい由来は伝わっていない。EC
屏風岩39高知県高知市春野町甲殿住吉神社の奥の院の裏に控える屏風状の岩石。EC
烏帽子岩39高知県高知市春野町甲殿お菱岩の近くにあったという奇岩怪石。戦後破壊されたという。今は存在しない岩石
お亀岩39高知県高知市春野町甲殿お菱岩の近くにあったという奇岩怪石。戦後破壊されたという。今は存在しない岩石
蝙蝠岩39高知県高知市春野町甲殿お菱岩の近くにあったという奇岩怪石。戦後破壊されたという。今は存在しない岩石
鳩岩39高知県高知市春野町甲殿お菱岩の近くにあったという奇岩怪石。戦後破壊されたという。今は存在しない岩石
お舟岩39高知県高知市春野町甲殿お菱岩の近くにあったという奇岩怪石。戦後破壊されたという。今は存在しない岩石
唐人駄馬遺跡39高知県土佐清水市奇岩怪石の群れがあり、縄文時代の石器が採集されているが、祭祀場として機能していたかは不明。
おなで石40福岡県北九州市門司区奥田 淡島神社体の悪い所をこれでなでると快方に向かったり、お腹をさすると子宝安産になるという小石の群れ。BBDなでたりさすったり抱きついたりする
福岡県可動的性質
蛇の枕石/夜泣き石40福岡県北九州市小倉北区篠崎 篠崎八幡宮恋仲の女蛇に会えない男蛇が夜毎この岩石を枕にして泣き続けたという。八雲の神が哀れに思って男蛇を竜神に変えて女蛇のいる場所へ導いたという。子供の夜泣き、恋愛成就に霊験があるという。CC
恋占い石40福岡県北九州市八幡東区祇園 仲宿八幡宮目をつぶり、この岩石に辿り着くことができたら恋愛成就という占い石。BBD
女郎岩/上﨟岩/日峯山遺跡40福岡県北九州市八幡西区浅川日の峯 日峯山山頂直下の斜面上に立地していた立石。周辺は岩場。玉依毘売命由縁の岩石という。手前から古墳時代中期以降の土師器群が出土。発掘調査後、倒壊の危険があるため麓の日峯神社境内に移設された。山頂で祭祀を行なわず、山頂直下の岩石を磐境・磐座に見立てて祭祀を行なったと推測される事例。C原位置から移動伝承山頂で祭祀をせず、山頂直下の岩石の手前で祭祀を行なう。
福岡県BCA
福岡県BA
国見岩40福岡県北九州市八幡西区浅川日の峯 日峯山隠岐国焼火神社祭神の大日孁貴尊がこの岩石の上に腰掛けて隠岐島を偲んだという。C
琵琶岩40福岡県北九州市八幡西区浅川日の峯 日峯山隠岐国焼火神社祭神の大日孁貴尊がこの岩石の上で琵琶を弾いて四方を鎮めていたという。C神が岩石の上で琵琶を弾いて国土を鎮める。
福岡県BCC
古代祭場跡/磐境40福岡県北九州市八幡西区山寺町 一宮神社神武天皇が東遷の折に、この地で天神地祇を奉祭したといわれる場所。奥に方形の敷石施設、手前に円形の敷石施設を配し、敷石の中心に常磐木を立てる。C石を方形・円形に敷き詰めて、中央に常磐木を立てて祭祀する。
福岡県BCA
福岡県BABB
高宮40福岡県宗像市田島 宗像大社辺津宮宗像大神の降臨を迎えていたという社殿祭祀以前の祭祀場。列石を持って祭場を区画した施設。BCA
福岡県C
沖ノ島 1号遺跡40福岡県宗像市 沖ノ島露天祭祀の遺跡。東南隅に大石があり、その周囲平坦面一帯を石塁で祭壇状に構築した遺構。8-10世紀初頭の各種祭祀遺物が出土。BCA
沖ノ島 3号遺跡40福岡県宗像市 沖ノ島露天祭祀の遺跡。巨岩の横に接しているが露天上であり、巨岩との関連性は不明。
沖ノ島 4号遺跡/御金蔵40福岡県宗像市 沖ノ島岩陰祭祀の遺跡。巨岩と巨岩が積み重なり、巨岩下に洞穴状の隙間が形成された遺跡。古墳時代の遺物も見つかっているが、中世以降も様々な用途で再利用された空間と見られる。BCA
沖ノ島 5号遺跡40福岡県宗像市 沖ノ島半岩陰・半露天祭祀の遺跡。複数の巨岩が折り重なって形成された岩陰から露天上にかけて、土器を中心とした祭祀遺物の出土。BCA
沖ノ島 6号遺跡40福岡県宗像市 沖ノ島岩陰祭祀の遺跡。巨岩岩陰で列石を以て祭祀空間を区画している遺構。6-7世紀代の各種祭祀遺物が出土。BCA
沖ノ島 7号遺跡40福岡県宗像市 沖ノ島岩陰祭祀の遺跡。巨岩の岩陰床面を石英斑岩の剥片で若干整えた痕跡が見られる。中央に玉類、東側に武器類、西側に馬具類という規則的な遺物配置が確認されている。BCA
沖ノ島 8号遺跡40福岡県宗像市 沖ノ島岩陰祭祀の遺跡。7号遺跡と同じ巨岩の岩陰で、7号遺跡とは背中合わせの位置。岩陰の奥方中央に大石があり、そこから玉類が大量に見つかったため大石を祭祀対象とした可能性が高いと考えられている。BCA
福岡県BAA
沖ノ島 9号遺跡40福岡県宗像市 沖ノ島岩陰祭祀の遺跡。
沖ノ島 10号遺跡40福岡県宗像市 沖ノ島岩陰祭祀の遺跡。
沖ノ島 11号遺跡40福岡県宗像市 沖ノ島岩陰祭祀の遺跡。
沖ノ島 12号遺跡40福岡県宗像市 沖ノ島岩陰祭祀の遺跡。
沖ノ島 13号遺跡40福岡県宗像市 沖ノ島岩陰祭祀の遺跡。
沖ノ島 14号遺跡40福岡県宗像市 沖ノ島半岩陰・半露天祭祀の遺跡。
沖ノ島 15号遺跡40福岡県宗像市 沖ノ島岩陰祭祀の遺跡。
沖ノ島 16号遺跡40福岡県宗像市 沖ノ島岩上祭祀の遺跡。東にさらに高い巨岩(18号遺跡)が望める位置。礫石を敷いて上に祭祀具を配置していたと推測され、遺物は5-6世紀代で新旧あり岩上祭祀でも最終段階に属す遺跡と考えられている。BCA
福岡県BCC
福岡県BCD
沖ノ島 17号遺跡40福岡県宗像市 沖ノ島岩上祭祀の遺跡。北にさらに高い巨岩(18号遺跡)が望める位置。表面を上にして鏡を積み重ね、鏡と鏡の間には車輪石や礫石を挟んで固定し、それら遺物の上から石を積んで蓋をしている。BCC祭祀具を礫石などで挟んで固定し、さらに祭祀具の上から石を積んで蓋をする。
福岡県BCD
沖ノ島 18号遺跡40福岡県宗像市 沖ノ島岩上祭祀の遺跡。周辺一帯で最高所の位置にある岩上にて、原形をとどめていないが複数の石組状遺構が確認されている。三角縁神獣鏡・石釧・玉類など4世紀後半に遡る遺物が出土し、沖ノ島最古級の祭祀遺跡と見られる。また、18号遺跡の巨岩は16・17・19号の祭祀対象だったと推測されている。BCC
福岡県BCD
福岡県BA
沖ノ島 19号遺跡40福岡県宗像市 沖ノ島岩上祭祀の遺跡。南にさらに高い巨岩(18号遺跡)が望める位置。岩上において、赤土・歴史床面を整え、列石で区画して壇を作り、壇上に石を敷いて祭壇状にしている。一帯からは滑石製玉類が多めの各種祭祀遺物が出土。BCA
福岡県BCC
福岡県BCD
沖ノ島 20号遺跡40福岡県宗像市 沖ノ島半岩陰・半露天祭祀の遺跡。中央に金属製品、左側に滑石製品、右側に土器類を配置した様子が確認される。BCA
沖ノ島 21号遺跡40福岡県宗像市 沖ノ島岩上祭祀の遺跡。巨岩の頂部平坦面において方形区画の列石を配し、区画内に岩塊を置いた遺構。岩塊周囲から5世紀前-中の各種祭祀遺物出土。BAA自然の巨岩の上で、方形区画の列石内に岩塊を置いて祭祀対象とする。
福岡県BCA
福岡県BABB
福岡県BCC
福岡県BCD
沖ノ島 22号遺跡40福岡県宗像市 沖ノ島岩陰祭祀の遺跡。巨岩の庇岩陰部分に列石が構築され祭祀場を区画しており、6-7世紀代の各種祭祀遺物が出土。BCA自然の巨岩が織り成す庇岩陰部分を天井面に利用して、地表面には列石で区画して祭祀空間を形成する。
沖ノ島 23号遺跡40福岡県宗像市 沖ノ島岩陰祭祀の遺跡。巨岩が折り重なる洞穴状空間から各種祭祀遺物が出土。BCA
鎭懐石40福岡県糸島市二丈深江 鎭懐石八幡宮神功皇后が三韓征伐の際、2個の卵石を腰に巻いて陣痛を鎮めた。帰還後、当地に2個の卵石を奉献したことから鎭懐石八幡宮がまつられた。BBB秘匿されている岩石2個の岩石を腰に巻いて陣痛を鎮める。
福岡県BBD可動的性質
福岡県BBC
福岡県C
香合石/神籠石40福岡県糸島市前原町 雷山雷神が三種の神器を中に収納したといわれる香箱形の岩石。BCD
福岡県C
亀石40福岡県福岡市東区志賀島 志賀海神社神功皇后が三韓征伐の際、阿曇磯良が亀に乗ってやって来た伝承にちなんで、後世に奉納された岩石。BBC
俎石/俎岩40福岡県嘉麻市田島大隈 鮭神社鮭神社祭礼の際、豊玉姫が鮭を使いに向かわせ、鮭神社祭神であり息子である葺不合尊に対して、鮭がこの岩石から礼拝する。また、その鮭をこの岩石の上で清めて神社に奉納する。BBA神の使いである鮭が拝礼するポイントであり、さらにその鮭を清めて奉納する場でもある。
福岡県BCD
古大間池遺跡40福岡県糟屋郡粕屋町滑石の露頭があり、滑石製模造品など滑石製品の原産地・採掘地として利用された。DA
礫石40福岡県糟屋郡篠栗町 若杉山麓香椎の神が若杉山から無断で杉を持っていこうとしたため、若杉山の神が怒って香椎の神に投げつけた2個の岩石の名残。C神々の力比べ・喧嘩
王墓の上石40福岡県春日市須玖 須玖岡本遺跡弥生時代の甕棺墓の直上地表面に置かれていた細長い岩石。墓標・蓋石などの役割を担っていたと考えられている。原位置から移動伝承
カマト石/鼎石/仙竃石/竃門岳40福岡県太宰府市 宝満山トライアングル上に立つ3体の岩石。その様子が鼎の脚部に見立てられこの名が付いた。天神地祇が湯浴みをするために釜湯を沸かせた場所という。C
釜石40福岡県太宰府市 宝満山カマト石の上に乗せた釜が石化したもの。貞享年間(1684-87)『竃門山旧記』に記載があるが実物は所在不明。C今現在確認がとれていない岩石
釜ノ蓋石40福岡県太宰府市 宝満山カマト石の上に乗せた釜の蓋が石化したもの。貞享年間(1684-87)『竃門山旧記』に記載があるが実物は所在不明。C今現在確認がとれていない岩石
針ノ耳戸/石門40福岡県太宰府市 宝満山心蓮上人と玉依姫命(金剛神)が出会った場所。C
馬蹄石40福岡県太宰府市 宝満山上宮の直下に存在。金剛神の竜馬の蹄の跡が残った岩石。C岩石表面に印・痕・模様が残る
宝城窟40福岡県太宰府市 宝満山役小角が修行していたという岩屋の1つ。窟内に湧水源があり、窟内から多数の土師器と少数の瓦器・陶器片が出土。窟外からは遺物出土なし。BCE岩穴・窟
福岡県C
福城窟40福岡県太宰府市 宝満山役小角が修行していたという岩屋の1つ。BCE岩穴・窟
福岡県C
釼窟40福岡県太宰府市 宝満山役小角が修行していたという岩屋の1つ。BCE岩穴・窟
福岡県C
大南窟40福岡県太宰府市 宝満山役小角が修行していたという岩屋の1つ。8世紀末-13世紀前半の土師器・須恵器・瓦器・陶磁器出土。BCE岩穴・窟
福岡県C
藤窟40福岡県太宰府市 宝満山役小角が修行していたという岩屋の1つ。BCE岩穴・窟
福岡県C
宝塔窟40福岡県太宰府市 宝満山役小角が修行していたという岩屋の1つ。BCE岩穴・窟
福岡県C
釜蓋窟40福岡県太宰府市 宝満山役小角が修行していたという岩屋の1つ。BCE岩穴・窟
福岡県C
宝ノ岩屋/雨宝ノ岩屋40福岡県太宰府市 宝満山役小角がにわか雨をしのいだ場所。後に雨宝童子が安置される。C岩穴・窟
福岡県BCA
福岡県BAC
笠窟40福岡県太宰府市 宝満山
行者堂跡40福岡県太宰府市 宝満山文保2年(1318年)銘の梵字が刻まれた岩石。
上宮遺跡/上宮裏遺跡/岩棚遺跡40福岡県太宰府市 宝満山上宮社殿の背後に断崖絶壁があり、崖下10mに平坦面を持つ岩棚があり、ここから8世紀後半-9世紀代の土師器・須恵器・灰釉陶器が出土。崖の上から投げ込まれたものと類推される。DB土師器杯には油煙の付着したものが多く、灯明皿として用いられた可能性が高い。土器の中には穿孔したものもあった。
普池窟40福岡県太宰府市 宝満山
袖すり岩40福岡県太宰府市 宝満山馬蹄石の下方にある岩石。袖を擦るほどの隙間を進む場所。EC
遠見岩40福岡県太宰府市 宝満山眺望の良い場所にある岩石。EC
座頭墓40福岡県太宰府市大字北谷字大黒字昔から手を触れることが禁じられている石積。畑地内にある。EA禁忌が厳しい
岩間40福岡県筑紫野市大字武蔵字池上 天拝山荒穂神社山腹の神社の背後に存在する露岩群。荒穂明神が鎮座したといわれる岩石群。BA
福岡県C
馬蹄石/神籠石40福岡県久留米市御井町 高良山高良大菩薩がこの地に降臨した時、乗っていた馬の蹄が付いた岩石。この馬蹄跡を踏んで山を登ると足が軽くなるという。BABA岩石表面に印・痕・模様が残る
福岡県C
八葉之石畳/蓮花石40福岡県久留米市御井町 高良山高良大菩薩が一夜の内に築いた列石。現在、一般的に高良山神籠石と呼ばれている遺構のことを指す。C
大日窟40福岡県豊前市 求菩提山修験行者が修行していたという求菩提山の5つの窟の内の1つ。BCE岩穴・窟
普賢窟40福岡県豊前市 求菩提山修験行者が修行していたという求菩提山の5つの窟の内の1つ。BCE岩穴・窟
多聞窟40福岡県豊前市 求菩提山修験行者が修行していたという求菩提山の5つの窟の内の1つ。BCE岩穴・窟
吉祥窟40福岡県豊前市 求菩提山修験行者が修行していたという求菩提山の5つの窟の内の1つ。BCE岩穴・窟
阿弥陀窟40福岡県豊前市 求菩提山修験行者が修行していたという求菩提山の5つの窟の内の1つ。BCE岩穴・窟
求菩提山山頂岩石群40福岡県豊前市 求菩提山山頂の自然の露岩群。修験道以前の信仰の場ともいわれている。
タマタマ石/霊霊石/玉玉石41佐賀県三養基郡基山町大字宮浦 基山山頂にある岩石。五十猛命が腰掛けて四方の国土を眺めていたという場所。岩石手前の平坦地は荒穂神社の旧社地といわれる。C休み石・腰掛石
右の石/子宝石41佐賀県三養基郡基山町大字宮浦 荒穂神社腰掛けると安産になるという岩石。BBD休み石・腰掛石
中の石41佐賀県三養基郡基山町大字宮浦 荒穂神社荒穂明神と高良明神が石を投げあい、高良明神が投げた方の石。高良明神の指の跡が表面に残るという。C神々の力比べ・喧嘩
佐賀県岩石表面に印・痕・模様が残る
左の石41佐賀県三養基郡基山町大字宮浦 荒穂神社荒穂明神が馬に乗って基山から降臨した時、馬の蹄跡が付いた岩石。BABA岩石表面に印・痕・模様が残る
佐賀県C
神頭石41佐賀県佐賀市大和町 下田山/肥前大和巨石パーク神様の頭に形が似ている岩石。ずっと見つめていると自分の先祖の顔が浮かんでくるという。EC
道祖神石41佐賀県佐賀市大和町 下田山/肥前大和巨石パーク3つの岩石が集積して若干の室状空間を形成している。ここにやってきた人の道中安全の守護神という。A岩穴・窟
兜石41佐賀県佐賀市大和町 下田山/肥前大和巨石パーク武将の兜に形が似ていることから名付けられた岩石。EC
御舟石41佐賀県佐賀市大和町 下田山/肥前大和巨石パーク下田山の石神が航海に使用した船といわれる岩石。C
龍の石41佐賀県佐賀市大和町 下田山/肥前大和巨石パーク天に昇っていく龍の様子に似ていることから名付けられたという岩石。大願成就の神。A
佐賀県EC
石神/世田姫/造化大明神41佐賀県佐賀市大和町 下田山/肥前大和巨石パーク『肥前国風土記』佐嘉郡条に登場する世田姫と呼ばれる石神。女神石と男神石という2体の岩石からなる重岩で、下部は通り抜けが可能な岩窟状の空間がある。明治時代の中頃まで、麓の與止日女神社の上宮として毎年11月20日に祭りが行なわれていた。A岩穴・窟
イナリ石41佐賀県佐賀市大和町 下田山/肥前大和巨石パーク倉稲魂(稲荷神)の石神。オニギリの形をしているからイナリ石と名付けたともいう。A
佐賀県EC
誕生石41佐賀県佐賀市大和町 下田山/肥前大和巨石パークここから全ての動物が生まれたという岩石。子孫繁栄・夫婦和合・腹ごみ(子宝)の霊験がある神。麓の眺望が良い。A岩石が満ち欠け・増減・出産する
屏風石41佐賀県佐賀市大和町 下田山/肥前大和巨石パーク屏風のような形をした岩石。EC
烏帽子石41佐賀県佐賀市大和町 下田山/肥前大和巨石パーク烏帽子に似た形状の岩石。下部には狭い室状空間が形成されている。EC岩穴・窟
御座石41佐賀県佐賀市大和町 下田山/肥前大和巨石パーク神様が佐賀平野を眺める時に座っていたとされる岩石。あるいは、悟りを開くための場所。C
佐賀県BCE
天神石41佐賀県佐賀市大和町 下田山/肥前大和巨石パーク天神さま(菅原道真)をまつる岩石。A
雄神石41佐賀県佐賀市大和町 下田山/肥前大和巨石パーク男子としての面目を立たせるように強気をくじき弱きを助け、仁義を重んじるように指導した神様といわれている。A
神籠石41佐賀県佐賀市大和町 下田山/肥前大和巨石パーク神を守る岩石。重岩状になっており、下部には僅かな洞穴状の隙間があるが、狭いので通り抜けは不可能。BD岩穴・窟
天の岩門41佐賀県佐賀市大和町 下田山/肥前大和巨石パーク岩でできた門のように形成されている重岩。高千穂の天岩戸に似ていることから命名された。EC
蛙石/コウジンドック41佐賀県佐賀市大和町 下田山/肥前大和巨石パーク弘法大師を上に勧請したという岩石。蛙のような形状をしていることから名付けられたともいう。BABA
佐賀県EC
たもと石41佐賀県佐賀市大和町 下田山/肥前大和巨石パーク近くの寺の修行僧達が、自分達の服の袂に石を入れて振り回し飛ばし合いをしたところ、その内の1個がここまで飛んできたのだという。EC
金精さん41佐賀県佐賀市大和町 與止日女神社石棒。與止日女命がこの石に触れて子宝を願ったところ健やかな赤ん坊が生まれたという。性神・生産神・塞の神として信仰された。河上神社から移設。BBD原位置から移動伝承
佐賀県Aなでたりさすったり抱きついたりする
石壁神社/石壁社41佐賀県鹿島市古枝 祐徳稲荷神社萬子媛が入定したほこらを明治時代に神社としてまつったもの。萬子媛が80歳の時に神社裏山の石壁に穴を開けたものという。BAC聖者が亡くなった場所
佐賀県岩穴・窟
水鏡41佐賀県鹿島市古枝 祐徳稲荷神社岩石の窪みに溜まった水。萬子姫が生前、物事の吉凶や予知を水に映る姿を見て占っていたという。BBD
石壁山 岩石祭祀事例(1)41佐賀県鹿島市古枝 祐徳稲荷神社祠の中に注連縄の巻かれた岩石があり、その岩石上に石祠がまつられる。BABC
石壁山 岩石祭祀事例(2)41佐賀県鹿島市古枝 祐徳稲荷神社素組みの建屋内に岩壁があり、手前に小鳥居が捧げられている。
石壁山 岩石祭祀事例(3)41佐賀県鹿島市古枝 祐徳稲荷神社祠の中に注連縄の巻かれた岩石があり、その岩石上に石祠がまつられる。(1)と同様の構造。BABC
石壁山 岩石祭祀事例(4)41佐賀県鹿島市古枝 祐徳稲荷神社岩石を基部に置いて木造祠が建つ。石祠が岩石上に建つのと同原理。BABC
岩本社41佐賀県鹿島市古枝 祐徳稲荷神社岩本大神をまつる社。岩石の存在が見当たらないが、神名から考えて社殿内に存在する可能性もある。
岩崎社41佐賀県鹿島市古枝 祐徳稲荷神社岩崎大神をまつる社で、縁結びの神とされる。祠の背後に単体の岩塊が控えている。
鹿島市浜新方 岩石祭祀事例41佐賀県鹿島市浜新方民家の敷地内。石壇の上に1個の岩塊が置かれ、注連縄が巻かれている。岩石の上には皿が置かれている。
男岩(立神岩/夫婦岩)41佐賀県唐津市湊玄界灘に面する海岸沿いに形成された、高さ約40mを誇る玄武岩の立岩。立岩群の狭間に人工的に岩窟が形成されており、内部には仏像を収めた石祠がまつられている。A岩穴・窟
女岩(立神岩/夫婦岩)41佐賀県唐津市湊玄界灘に面する海岸沿いに形成された、高さ約40mを誇る玄武岩の立岩。立岩群の狭間に人工的に岩窟が形成されており、内部には仏像を収めた石祠がまつられている。A岩穴・窟
望夫石41佐賀県唐津市呼子町 田島神社松浦佐用姫が、新羅へ出征する夫との別離を悲しみ泣き続けた挙句石化したもの。後世、秀吉が腰掛けると岩石が熱を持ちむくむくと動き、小便をかけたら大波が来て小便を洗い流したため、恐れて神領百石を寄進した。C生き物が石化したもの
佐賀県熱を持つ岩石
佐賀県岩石が動く
太閤祈念石41佐賀県唐津市呼子町 田島神社秀吉が祈願成就するなら2つに割れよと念じて槍を突いたら2つに割れた岩石。BBD偉人が真っ二つに割った岩石祈願成就の是非を念じて石を2つに割る
佐賀県C
岩戸神社42長崎県雲仙市瑞穂町西郷丁岩戸神社の本殿は自然岩壁の裾に形成された洞穴内にまつられている。BCA岩穴・窟
景華園遺跡42長崎県島原市景華園弥生~鎌倉の複合遺跡。重量20t前後の巨大な掌石を用いた支石墓が出土。
カンゴ石42長崎県島原半島体調を崩した殿様をこの石の上で休ませたら回復したことからまつられるようになったという岩石。BBD休み石・腰掛石
長崎県A
原山支石墓群/原山ドルメン42長崎県南島原市北有馬町原山縄文時代最晩期に築かれた現存46基の支石墓。
天ヶ原遺跡/セジョウガミ42長崎県壱岐市勝本町天ヶ原東触菖蒲坂セジョウガミと呼ばれる石祠の基壇に巨石が使われており、この巨石下から銅矛3点出土。BABC
大野台遺跡42長崎県佐世保市鹿町町大形の岩石数体が集在する地点の南に接して土坑が掘り込まれ、その中から銅鐸袋部・土器・玉が出土。本遺跡は支石墓が多いので、構造から見て支石墓の可能性もあり。今は存在しない岩石
王位石/生石/湧き出し大明神42長崎県北松浦郡小値賀町 野崎島慶雲元年(704年)勧請の沖ノ神島神社の背後にそびえる高さ約24mの石組状構造物。2本の石柱の上に平石が横渡しされており、人工・自然によるものかは不明。地中から湧き出した鳥居といい、年に米粒1粒分ずつ大きくなっているという。沖ノ神島神社大明神が平石の上に降臨したと伝えられる。A岩石が満ち欠け・増減・出産する
長崎県BABA突如出現した岩石
長崎県BCA
腹痛石42長崎県対馬市豆酘 海岸神功皇后と武内宿禰がそれそれ腰かけたという2個の岩石。この岩石を踏んだり、2個の間を通ると腹痛になるといわれた。現在は消失。C休み石・腰掛石
長崎県祟り伝承
長崎県今は存在しない岩石
押戸石/押戸岩/押戸ノ石43熊本県阿蘇郡南小国町中原 押戸石山鬼がお手玉をして遊んでいたという岩石群。足で踏むと雨が降るので登ってはいけないという。近年ペトログリフがあるということで注目されているが真相は不明。EC岩石を踏むと雨が降るので雨乞い儀礼に使えそうだが、雨乞いを伝える祭祀記録は残っていない。
前不動岩(不動岩)43熊本県山鹿市蒲生山腹に屹立する岩峰状の巨岩。中世、行者が山中に不動明王をまつりその行場として用いられたという。BCE
中不動岩(不動岩)43熊本県山鹿市蒲生山腹に屹立する岩峰状の巨岩。中世、行者が山中に不動明王をまつりその行場として用いられたという。BCE
奥不動岩(不動岩)43熊本県山鹿市蒲生山腹に屹立する岩峰状の巨岩。中世、行者が山中に不動明王をまつりその行場として用いられたという。BCE
岩倉さん/米原岩倉遺跡43熊本県山鹿市菊鹿町大字米原丘陵先端部に高さ8m程の巨岩が数体存在。「岩倉さん」と呼ばれ、かつては雨乞いの祭祀対象だったという。付近から瓦片・五輪塔片が見つかったことから、堂宇が存在した可能性もある。A磐座と石神の性格が混在している事例
熊本県BA
鹿央岩倉遺跡43熊本県山鹿市鹿央町大字岩倉標高185mの山頂に、一昔前まで正月などに参拝する者も多かったという巨岩。1940年前後、鳥居龍蔵によって刀剣1点が発見されているという。1976年には江戸時代の寛永通宝が発見された。A磐座と石神の性格が混在している事例
熊本県BA December 12, 2025
1RP
八つ岩/八ッ岩/八箇岩/八龍王八箇石29奈良県天理市長滝町日の谷素戔男尊に斬られた八伎大蛇が八つの蛇となって天に昇り、水雷神となって聚雲の神剣に付き従って降臨した際の岩石という。朱鳥元年(686年)6月、石上神宮神主の布留宿邑智が「東の高山に神剣が発光して八つの竜が座す」という夢を見たので翌日に現地へ行ったところ、霊石八箇があり、傍らに現れた小童の口から「この地に降臨して人々を守ろうと思う」という神託があったため、出雲建雄神社を造ってまつった。BAA生き物が石化したもの八岐大蛇が八つに分裂して降臨した姿とも、八岐大蛇が降臨した岩石ともいう。
奈良県BABA突如出現した岩石
奈良県CA最初の一回だけ磐座機能
天狗岩29奈良県天理市長滝町日の谷八つ岩の近くに残るという地名。今現在確認がとれていない岩石
九頭神社 岩石29奈良県天理市長滝町 九頭神社本殿の背後にある岩石。神聖視有無不明。
八龍王八箇石29奈良県天理市 大国見山八伎大蛇が素盞鳴命に八つ裂きされたのが天から落ちてきた名残の岩石群。日の谷の八つ岩との関連性は不明。
大阪山口神社 岩石群29奈良県香芝市穴虫 大阪山口神社本殿の背後にある露岩群。神聖視有無不明。
石光山 岩石群29奈良県御所市元町 石光山触ると火が出るといわれている巨岩群。隣接して祠がまつられている。山名の由来の可能性もある。石組・石室状の構造を持つものもあるが自然・人為含めて不明点が多い。石光山古墳群の群集墳の合間に存在する。祟り伝承
奈良県岩石から煙・光・火・気などが出る
奈良県古墳が近接
唐笠山 十一面観音29奈良県御所市朝町 唐笠山大穴持神社の鎮座する唐笠山の山頂近くにある露岩。岩石表面に十一面観音が線刻されているという。A
平群石床神社/岩神29奈良県生駒郡平群町越木塚 平群石床神社旧社地里山の裾に露出する岩壁。石床という名と立地から元は磐座だった可能性があり、江戸時代の絵図には岩神と書かれていることから、後世に石神に変化したと考えられる。陰石として女性の病や下半身の病に霊験がある。BABA磐座から石神に変化し、社殿なしのまま神社としてまつる。
奈良県A
神籠石/神護石29奈良県生駒郡平群町越木塚 石床神社拝殿の奥に置かれている岩石。詳細由来不明。
舟石/船石29奈良県生駒郡平群町三里 宮山延喜式内船山神社の祭神が降臨した時に乗った船とされる3体の船形石。CA物品が石化したもの
陽石29奈良県生駒郡平群町三里 船山神社麓の現・船山神社境内に置かれた立石。宮山中腹の中ノ宮(船山神社旧社地)から移設したものという。原位置から移動伝承
夫婦岩/天狗岩/三間石山巨石遺構29奈良県生駒郡平群町櫟原字三石3体の巨岩を中心に大小の岩石群が群集。現在、3体の内の2体に、多数の木の枝が岩に立てかけられている。『住吉大社神代記』の中の、住吉大神が母木里(東大阪市豊浦町付近)と高安国(大阪府八尾市付近)の境に置いた「諍石」に該当するという説がある。岩石に多数の木の枝を立てかける。
十三塚 祭壇状石組29奈良県生駒郡平群町福貴畑塚の手前に、岩石を用いて方形に囲った遺構。区画内に何らかの祭祀具を置いたものと推測されるが確証はない。築造時期は江戸中期以前といわれるが特定できていない。
十三峠地蔵菩薩29奈良県生駒郡平群町福貴畑峠の道標の横に立てられ、明和2年(1765年)の製作の石仏。A
両童子岩29奈良県吉野郡天川村 大峯山高さ約10mの2体の立岩。修験者が一方に登り、その後もう一方に飛び移る修行をする場。BCE巨岩に登り、別の巨岩に飛び移る修行。
子安石30和歌山県新宮市阿須賀 阿須賀神社子安社としてまつられる岩石。子宝安産を祈願する人々が、王子が浜から白石を拾い子安石に奉納して願掛けをする。A可動的性質
和歌山県BBC
蓬莱山遺跡30和歌山県新宮市阿須賀 蓬莱山山中の上オンビ・下オンビと称する場所から、自然石を壁として利用し、その前面三方に石を組み合わせた石室遺構が見つかり、そこから平安~室町時代の御正体194枚や経塚関係遺物(経筒片・経石など)が出土。他に弥生時代の土器、古墳時代の手づくね土器・滑石製模造品も出土。BCD経塚関係山中の自然石を利用して石室を作り、それを経塚とする。
千引岩/千引の岩/宮井戸遺跡30和歌山県新宮市蓬莱かつて海岸の小島だったとされる場所で、飛鳥行人が祭祀していた場所ともいい、黄泉道守命をまつる宮井戸社があった。弥生土器と一字一石経が出土し、千引岩の表面には鎌倉時代あるいは室町時代の「キリーク(大威徳明王)」「カーンマーン(不動明王)」の梵字が刻まれている。A
白玉稲荷神社30和歌山県新宮市蓬莱社殿に接して3体の球状の巨岩が存在。
ゴトビキ岩/琴引岩/神倉山遺跡30和歌山県新宮市神倉 神倉山神倭国磐余彦が熊野に上陸して最初に祈願した霊地「天磐盾」の上部、あるいは、高倉下命が高甕雷神から神剣を授かった場所、さらには熊野三所大神が最初に地上に降臨した場所といわれる巨岩。岩の裾部から中世の経塚群や弥生時代の銅鐸などが出土した。BCC経塚関係司祭者が座す場所でありながら、神が降臨する場所でもある。銅鐸と経塚の伴出。
和歌山県BABA
和歌山県BCD
鏡石(那智の七石)30和歌山県東牟婁郡那智勝浦町 熊野那智大社大門坂に所在。七石
唐斗石(那智の七石)30和歌山県東牟婁郡那智勝浦町 熊野那智大社大門坂に所在。七石
平石(那智の七石)30和歌山県東牟婁郡那智勝浦町 熊野那智大社実方院跡に所在。七石
三ッ石(那智の七石)30和歌山県東牟婁郡那智勝浦町 熊野那智大社珍重庵右横に所在。七石
烏石(那智の七石)30和歌山県東牟婁郡那智勝浦町 熊野那智大社熊野那智大社の遥拝所奥にある岩石。神倭国磐余彦の道案内をした八咫鳥が石化したというもの。C七石
和歌山県生き物が石化したもの
和歌山県秘匿されている岩石
笈掛石(那智の七石)30和歌山県東牟婁郡那智勝浦町熊野那智大社と青岸渡寺の間に所在。七石
降石(那智の七石)30和歌山県東牟婁郡那智勝浦町 青岸渡寺宿坊の尊勝院の裏庭に所在。天から落ちてきたという岩石。七石
和歌山県可動的性質
河内様/河内神社/清暑島30和歌山県東牟婁郡古座川町古座川に浮かぶ小島で、島全体が河内神社としてまつられている。島頂に一枚岩が存在。古座川の川神をまつる場所。BABC禁足地7月の河内祭では、河内様に古座川の清水(潮)を奉納する。
西の倉30和歌山県東牟婁郡古座川町河内様の上流にそびえる岩山。EC
重畳山30和歌山県東牟婁郡串本町橋杭岩と同じ成因による岩脈が残る山。山内に重畳山神社・神王寺と石仏群が存在。EC
橋杭岩30和歌山県東牟婁郡串本町串本の沖から紀伊大島に向かって立ち並ぶ岩の列。太古のマグマによって形成された岩脈が、黒潮の浸食で削られたもの。弘法大師あるいは太吉という村の正直者が一晩で架けようとした橋脚の跡と伝えられる。C
和歌山県EC
高塚の森30和歌山県東牟婁郡串本町潮岬潮御崎神社の神域とされる森。マウンドと露岩群があり、応神天皇の侍従の墓と伝えられ、かつて小祠があったという。マウンド南西に列石・土堤・平坦地形が指摘され、測量調査が実施される。また、夏至に平坦地形からマウンドを望むと、露岩群から太陽が上ってくることが確認され、高塚の森は太陽祭祀の場だったとする説が出されたが、そのことを裏付ける文献記録や遺物の存在に欠ける。夏至の日に、平坦地からマウンドの露岩の頭上に日の出の太陽を望む太陽祭祀の可能性が指摘されている。
盃岩30和歌山県東牟婁郡串本町潮岬 旭之森神功皇后が酒宴を催した際に杯を置いたという岩石。C
阪田山遺跡 環状配石遺構30和歌山県西牟婁郡白浜町阪田山腹斜面に自然露出の岩盤が広がり、その下方に弧状列石、焚火址2ヶ所・環状配石を検出。環状配石遺構は、大小の砂岩16個を直径約1mの環状に配置され、配石の内側からは臼玉約2000点の他、包含層上部からは有孔円板・剣形製品・勾玉・管玉が偏って出土した。環状配石は祭祀具配置空間を明示する遺構あるいは祭祀終了後の廃棄場所を区画する遺構だった可能性がある。BCD環状配石の内外で土砂の種類、遺物の出土点数に差がある。配石内に遺物があまりに多量ということと、臼玉とそれ以外の遺物に出土位置の差が見られるため、祭祀具配置・埋納・廃棄跡など様々な機能が推測される。
和歌山県DB
阪田山遺跡 弧状列石30和歌山県西牟婁郡白浜町阪田岩盤の下方斜面に弧状・壇状に配された岩石群。自然の露岩の可能性もある。
阪田山遺跡 岩盤30和歌山県西牟婁郡白浜町阪田遺跡における祭祀対象と推測されている岩盤。遺跡中最も最高所の斜面に立地。
かろと石30和歌山県田辺市秋津川僧が石を煮て食べ、行をしてから岩石の中に入り、そのまま出なかった。これをかろと石と呼ぶ。BCE岩石の中に籠る
和歌山県BAC
白山 岩石群30和歌山県有田郡有田川町 白山田殿丹生神社の裏山である白山の中腹に、数十mはあろうかという巨岩が屹立し麓から仰ぐことができる。磐座ではないかという説があるが、歴史的に裏付ける明確な資料が確認できない。白山自体は神聖視されており、山頂に白山神社が鎮座。
タテリ岩/一の宮(岸宮遺跡)30和歌山県紀の川市貴志川町岸宮山頂にある高さ5.5mの蛇紋岩。康平6年(1063年)、ここに最初に宮を建てて一の宮と称したとの貴志川八幡宮の社伝がある。CA
中宮/中の宮/上の宮(岸宮遺跡)30和歌山県紀の川市貴志川町岸宮康平6年(1063年)に一の宮を設けた30年後、山腹に遷座して上の宮と称したといわれる場所で、多くの自然石が群集している。周辺一帯の自然石の上面や岩陰から奈良時代~平安時代の和鏡・鐸形銅製品が見つかっている。CA
岸宮中宮遺跡 環状配石遺構(岸宮遺跡)30和歌山県紀の川市貴志川町岸宮中宮の自然石の群れの西に隣接。20数個の角礫を直径約1.5mの環状に巡らせた遺構で、石同士は粘土で固定され、配石内部は石敷きがされていた。1mほど東からは常時湧水を溜めていた井戸遺構を検出。周辺一帯から奈良時代~平安時代の和鏡・鐸形銅製品・魚形銅器・滑石製有孔石製品・土師器・須恵器・黒色土器・瓦器・緑柚陶器などの遺物が出土。
岸宮中宮遺跡 敷石遺構(岸宮遺跡)30和歌山県紀の川市貴志川町岸宮環状配石遺構の西に隣接。周辺一帯から奈良時代~平安時代の和鏡・鐸形銅製品・魚形銅器・滑石製有孔石製品・土師器・須恵器・黒色土器・瓦器・緑柚陶器などの遺物が出土。
前庭/庭園/石組(岸宮遺跡)30和歌山県紀の川市貴志川町岸宮 貴志川八幡宮社殿前の石段脇にある岩石群。安土桃山時代の製作の庭園とされているが、山裾の磐座に手を加えたものとする説もある。EC
七福の庭30和歌山県和歌山市 和歌山城紀州徳川藩祖の徳川頼宣が、紀州藩の隆盛を祈念して1621年(元和7年)に作った石庭。七福神が船に乗っている様子を岩石に擬して配置したもの。かつて本丸御殿の中央にあったが1923年に現在地に移転した。BBC原位置から移動伝承人工的に信仰対象の岩石を製作・奉献して守護神にする。
和歌山県A
弁財天山30和歌山県和歌山市 和歌山城南かつて和歌山城敷地内にあったとされる岩山。麓には紀州徳川勧請神社・子供観音があるほか、山の神の石碑が残されている。頂上が岩山
後醍醐天皇お腰掛けの岩31鳥取県西伯郡大山町御来屋後醍醐天皇が腰掛けた岩石。この岩石に船をつないでおくと流されることはないという。CC休み石・腰掛石
産石31鳥取県米子市橋本 阿陀萱神社天から落ちてきた岩石で、産石神社を建ててまつったという。A可動的性質
金鶏石31鳥取県米子市上新印 圓福寺箱と蓋の2つから構成される岩石構造物で、中には金の鶏(鳩とも)が入っており、元旦に泣いて福を与えてくれたという。かつて別の場所の寺にあり、小僧が開けてしまい金鶏は逃げてしまったので、和尚は逃げてしまった現在地に寺と金鶏石ごと移転したという。BAC黄金の何かが隠されているという伝説
鳥取県EC原位置から移動伝承
赤猪岩31鳥取県西伯郡南部町寺内 赤猪岩神社倭国神話で大国主命を焼き殺した猪岩を土中に封印し、その上に大きな蓋石と玉垣を施し禁忌とした。EA可動的性質不敬の岩石を土中に埋め、蓋石で封じ込める。
鳥取県BBB禁忌が厳しい
越路遺跡31鳥取県鳥取市越路宮丸山立地は麓近くの丘陵斜面。地表下約0.5-1mの辺りで、大ぶりの板石の下から銅鐸1出土。今は存在しない岩石
影石31鳥取県鳥取市用瀬町 三角山三角山頂上の三角山神社周辺に存在する自然石。
重石31鳥取県鳥取市用瀬町 三角山三角山頂上の三角山神社周辺に存在する自然石。
富士石31鳥取県鳥取市用瀬町 三角山三角山頂上の三角山神社周辺に存在する自然石。
天狗石31鳥取県鳥取市用瀬町 三角山三角山頂上の三角山神社周辺に存在する自然石。
万灯石31鳥取県鳥取市用瀬町 三角山三角山頂上の三角山神社周辺に存在する自然石。
双履石31鳥取県鳥取市国府町宮下 宇倍神社武内宿禰が亡くなる前に残したといわれる草履の石化したもの。地中に竪穴式石槨が眠っていることが分かり、古墳石材の一部ということが判明した。C物品が石化したもの
鳥取県遺物・遺構の再利用
岡益の石堂31鳥取県鳥取市国府町岡益安徳天皇陵と伝えられる石造遺構。石檀の上に板石で側壁を造り、中心にエンタシス調の石塔を立てた構造物。製作年代、元来の用途共に不明。聖者が亡くなった場所
羽衣石31鳥取県東伯郡湯梨浜町 羽衣石山天女が水浴びをするため自らの羽衣をかけていた岩石。裾に天女をまつる祠を設けている。C
安産岩31鳥取県東伯郡東郷町宮内 宮内倭文神社難産に苦しんだ妊婦が宮内倭文神社に祈願したところ、この岩石の前で安産したという。以降、安産の霊験を持つ岩石として信仰される。A
春日シヌン谷遺跡32島根県八束郡東出雲町春日シヌン谷露岩群の裾から手捏土器など出土。平野部からかなり奥まった丘陵斜面に位置するが、露岩群の近くに住居址状のテラス4ヶ所検出。今は存在しない岩石
座王さん32島根県松江市鹿島町佐陀本郷 恵曇神社恵曇神社祭神の磐坂日子命が腰掛けたという岩石。C休み石・腰掛石
志谷奥遺跡32島根県松江市鹿島町佐陀本郷字志谷奥高さ1.5mほどの2体の巨石の1.5mほど離れた場所の地中の下層から銅鐸2点、上層から銅剣6点が整然と出土。今は存在しない岩石
元宮/磐座32島根県松江市八雲町熊野 天狗山出雲国一宮熊野大社の元宮と伝えられる山頂付近の露岩群。現在は毎年5月に供物を捧げる元宮祭が行なわれている。BA
島根県CA
犬石32島根県松江市宍道町 石宮神社大国主命が狩りをしていた犬が石化したもの。C生き物が石化したもの
猪石32島根県松江市宍道町 石宮神社大国主命が狩りをしていた猪が石化したもの。C生き物が石化したもの
女夫岩さん/宍岩さん/女夫岩遺跡32島根県松江市宍道町白石2体の巨岩を中心とし、手前に石壇を有する遺跡。古墳時代中期・後期の土器、近世・近代の遺物が出土。石壇も近世・近代のものと推測される。『出雲国風土記』の猪石の候補地。
真玉/真玉さん/願い石32島根県松江市玉湯町 玉作湯神社湯山主之大神(大己貴命)としてまつられてきた自然の丸石。近年「願い石」と呼ばれ、「叶い石」を使った信仰が生まれる。A近代以降の命名願い石に水をかけて、その後、叶い石を願い石に当てると、願い石の霊力が叶い石に分け与えられ、お守りの石になるという。
島根県BBD
叶い石32島根県松江市玉湯町 玉作湯神社神社で販売している小石。この小石を願い石に当てると、願い石の霊力が叶い石に移り、自分のお守りになるという。近年考案された祭祀。BBD近代以降の命名願い石に水をかけて、その後、叶い石を願い石に当てると、願い石の霊力が叶い石に分け与えられ、お守りの石になるという。
御守石32島根県松江市玉湯町 玉作湯神社勾玉の原石。別の場所に保管されていたが、近年の「願い石」信仰を受けて境内に移設されて名付けられる。BD近代以降の命名
夫婦岩32島根県雲南市大東町須賀 八雲山山腹に立地する、須賀神社の奥宮とされる3体の巨岩を中心とする岩石群。それぞれ須佐之男命・奇稲田比売命・清之湯山主三名狭漏彦八島野命をまつる。BAC
島根県CA
大岩32島根県雲南市加茂町岩倉大岩の下には金鶏がおり、大晦日にだけ鳴き声を出し、それを聞いた者は巨万の富を得ることができるという。EC黄金の何かが隠されているという伝説
矢櫃神社 岩石群32島根県雲南市加茂町岩倉矢櫃神社の旧社地の背後に露出する岩石群。岩倉の地名の元ともいわれるが詳細由来不明。
成長石32島根県雲南市三刀屋町多久和 飯石神社ある日突然天から落ちてきた岩石といい、日に日に岩石が大きくなるので、村人達が神様として神社を建ててまつったのが飯石神社の始まりという。明治時代の遷宮工事の際、この岩石の周辺から古墳時代の須恵器片が出土した。A突如出現した岩石
島根県岩石が満ち欠け・増減・出産する
島根県可動的性質
岩坪/岩坪さん/岩坪明神32島根県出雲市東神西町 那売佐神社川床の岩盤に甌穴が開いたもの。神が生まれた時に産湯に使ったという。甌穴は普段砂で埋まっているが、旱魃の時に砂を掘り出して雨乞いすると雨が降るという。C岩穴・窟甌穴に埋まった砂を掘り出すと雨が降る。
島根県BBD
烏帽子岩/石神32島根県出雲市多久町 大船山『出雲国風土記』に記載された楯縫郡神名樋山の石神。日照りの時に雨乞いをすると必ず雨が降るという。A
小石神32島根県出雲市多久町 大船山『出雲国風土記』に記載された、楯縫郡神名樋山の石神の周囲に群集する百余の小石神。この一帯及び付近の滝壺から古墳時代の土師器片が発見されている。A石神の周囲に付き従って百余の小石神の存在が記載される。
島根県BD
命主神社遺跡32島根県出雲市大社町 出雲大社命主神社は出雲大社の境内摂社。江戸時代の社殿改修時、社殿背後の大岩の下から弥生時代の銅戈4点、ヒスイ製勾玉が出土した。今は存在しない岩石
首岩32島根県出雲市佐田町反辺 多倍神社素盞鳴尊が退治した鬼の首を地中に埋め、地表に岩石で蓋をして封じたもの。この岩石に触れると鬼の血が付くといわれている。BBB岩石から血が出る鬼の首を埋めて岩石で蓋をして鎮める。
島根県C
上方林遺跡32島根県仁多郡奥出雲町下横田字上方林丘陵斜面において配石遺構が2ヶ所で出土し、近くに須恵器大甕・金銅製金具、土馬などが配置されていたと報告されている。今は存在しない岩石
大神岩/窟32島根県飯石郡飯南町 琴引山『出雲国風土記』に記載された飯石郡琴引山の窟。内部に所造天下大神の御琴と記載された石の亀裂がある。BCA岩穴・窟神の琴を納めた窟がある。
島根県BAC岩石表面に印・痕・模様が残る
烏帽子岩/石神32島根県飯石郡飯南町 琴引山『出雲国風土記』に記載された飯石郡琴引山の石神に比定されている巨岩。他にも周囲に巨岩があるため異説もある。A
婆石32島根県邑智郡邑南町作木下の爺石に毎年米一粒ずつ近づいており、爺石に接すると近くの江川が大海になるという。EC岩石が動く
爺石32島根県邑智郡邑南町江平下瀬上の婆石に毎年米一粒ずつ近づいており、婆石に接すると近くの江川が大海になるという。EC岩石が動く
水枕石33岡山県新見市大佐上刑部人が亡くなると、川から拾ってきた石を枕飯の横に置く。BBB可動的性質人が亡くなると、川から拾ってきた石を枕飯の横に置く。
岡山県BBC
鏡石33岡山県備前市八木山 鏡石神社広大な鏡肌の平滑面を持つ岩石。鏡石自体のいわれは残っていないが、池田輝政をまつる神社が創建当時から鏡石神社と名付けられていることから、すでに神社創建時において特別視以上の認識を受けていたことは間違いない。鏡面を持つ岩石鏡石が存在する場所に藩主をまつる神社を建てる。
たいち墓/太一墓/加三方磐座遺跡33岡山県和気郡和気町加三方台座石の上に立石を置いた組石があり、北に8個の細長い岩石が一列に並び、東には1個の丸石があり、周囲を細長い岩石で3個以上取り囲んだ列石構造が見られる。どこまで人工物かは不明。隣接して横穴式石室があり、一帯からは土器片と石包丁が発見されている。地元では元来たいち墓と呼ばれ雨乞いや花見の場所、マツタケが生えるため夜通し番をした場所という。近代以降の命名
岡山県古墳が近接
休み石33岡山県和気郡和気町加三方たいち墓の番をする人が道の途中で腰かけて休んだという岩石。EC休み石・腰掛石
石根依立神社 本殿玉垣33岡山県和気郡和気町 石根依立神社石根依立神社の本殿を取り囲む玉垣には一部自然石が用いられている。意図は不明。BCA自然石を玉垣に用いる。
イモリ岩33岡山県和気郡和気町石根依立神社の裏山の山頂近くに露出する巨岩。麓からも望むことができるが、神社との関連性は不明。
石上布都御魂神社 本宮33岡山県赤磐市石上 石上布都御魂神社大松山山頂に露出する岩盤。社殿祭祀以前の磐座跡とされる。BABC禁足地
岡山県CA
熊山遺跡33岡山県赤磐市奥吉原 熊山熊山山頂に建てられた階段状の石塔。諸説あるが奈良時代の仏塔説が有力。石塔には厨子と見られるし四角の凹み空間が設けられている。岩石の表面をくりぬき、中に仏などを納める
鉾立岩33岡山県玉野市番田八丈岩山の南腹支峰上に屹立する巨岩。麓や海岸からもよく見えるため海上交通の目印にもなったという。EC
由加神社/瑜伽大権現 岩石群33岡山県玉野市胸上 瑜伽山社殿の背後に群集する岩石群。磐座跡の説があるが由来は伝わっていない。
玉石/立石/霊岩33岡山県玉野市玉 玉比咩神社勾玉の形状から名付けられたという岩石。中世には立石とも呼ばれたという。あるとき、玉石から3つの火の玉が飛び出て3ヶ所に落ち、玉石には日輪状の跡が残ったという。かつては海岸の立地で満潮時には海水に洗われていたという。A岩石表面に印・痕・模様が残る
岡山県C水をかける・水に漬かる
岡山県岩石から煙・光・火・気などが出る
臥竜稲荷神社奥宮33岡山県玉野市 臥竜稲荷神社奥宮臥竜山中腹に立地。社の背後に岩壁が露出する。玉比咩神社の玉石から飛び出た火の玉が落ちた場所の1つといわれる。
高島遺跡33岡山県岡山市宮浦 高島山頂部の高さ3.7mの立石を中心とする岩石群から古墳時代後期の祭祀遺物が出土。岩石群からは牡蠣の殻が付着したものがあり、海岸から島頂部に運搬してきた石材であることが判明している。
磐境33岡山県岡山市北区京山 尾針神社本殿裏に集積する岩石群。社殿祭祀以前のまつり場といわれる。C
環状列石33岡山県岡山市北区一宮 吉備津彦神社平安時代まで遡りうるという人工庭園の五色島に配された、20個の岩石からなる環状列石。庭園施設化、祭祀用途のあるものかは不明。
八島殿 神座33岡山県岡山市北区一宮 吉備津彦神社『備前州一宮密記』によると、八島殿に神座と呼ばれる岩石があり、吉備津彦神社へお供えをする場合はまずこの岩石に供え物を置いて、霊烏がついばんでから吉備津彦神社に供えないといけなかったという。現在、八島殿の跡地に長さ約3m、巾約1m、高さ約1mの安山岩が存在しており、これが八島殿の神座だったのではないかと推測されている。BCD今現在確認がとれていない岩石
忠魂碑台石33岡山県岡山市北区一宮 吉備津彦神社忠魂碑の台石はかつて背後の一段高い場所から移設してきたといい、そこは『古代御社図』に描かれた元来の本殿の位置であることから、台石は古代のイワクラだったという説がある。原位置から移動伝承
岡山県岩石が改変されている
矢置岩/矢置石/箭置石33岡山県岡山市北区吉備津 吉備津神社大吉備津彦命が、この岩石の上に矢を置いてから弓を引き温羅を退治したという。箭祭の時、桜箭神社に奉納する2本の矢を最初に安置する岩石としても用いられる。C神前に奉納する矢を最初に置いておく岩石。
岡山県BCD
矢納宮石33岡山県岡山市北区吉備津 吉備津神社矢置岩の背後の山腹に存在するという2個の岩石。所在地不明の桜箭神社のことを指すといわれる。
岩山宮33岡山県岡山市北区吉備津 吉備津神社岩石をまつる神社。後世、岩石を覆うように社殿が造られ今は見えない。祭神は中山主命・建日方別命。A秘匿されている岩石
岡山県BABC磐座と石神の性格が混在している事例
金比羅宮跡 露岩33岡山県岡山市北区吉備津 吉備津神社江戸時代の絵図で、山腹に「金比羅」と書かれた祠と背後を屏風のごとく覆う岩が描かれており、現在も露岩が残る。吉備津宮の元宮ともいわれる。
穴観音33岡山県岡山市北区吉備津 吉備の中山中山茶臼山古墳の後円部東に5体ほどの岩石が群集しており、岩石の表面を窪ませて仏を彫刻していることから穴観音の名称がある。主石の左側面の穴に耳を当てると観音様の声が聞こえるという。A岩石から音声が聞こえる
鏡岩33岡山県岡山市北区吉備津 吉備の中山山頂からやや西に下った山頂直下にある岩石。斜面下側の岩肌は平らで、楕円形の鏡の形状を見せるが、表面には石のしわが大量に走っており、光沢面はない。
八畳岩/奥宮磐座33岡山県岡山市北区吉備津 吉備の中山ほぼ山頂に立地。奥宮磐座と総称される大小の岩石群があり、その中でひときわ大きいものを八畳岩と呼んでいる。八畳岩には岩陰状の窪みがあり、そこから土師器片が採集されている。C岩穴・窟
環状石籬33岡山県岡山市北区吉備津 吉備の中山山頂尾根に立地する岩石群。近代以降の命名
お休み岩33岡山県岡山市北区吉備津 吉備の中山環状石籬の近くに存在。人が休むのか神が休むのか由来不明。
元宮磐座33岡山県岡山市北区吉備津 吉備の中山龍王山の山頂直下に位置する単独の岩石。C
龍王山経塚33岡山県岡山市北区吉備津 吉備の中山龍王山山頂に立地。経筒を地中に埋納し、地表を小ぶりの石礫で覆った後、中心に若干大きめの石礫を寄せ固めた遺構。内部から出土した銅製経筒は鎌倉時代製作と推定されている。BCD経塚関係
岡山県BCA
八大龍王 石祠33岡山県岡山市北区吉備津 吉備の中山天明年間(1781~1789年)の寄進といわれる石祠。天明の大飢饉に対して、雨乞いの神を迎えるために奉納された神の座所か。BBC
岡山県BAC
盗人岩/天柱岩33岡山県岡山市北区吉備津 吉備の中山上部に「天柱」という字が刻まれた立石状の岩石。宗教法人福田海が刻んだ字で、以前は盗人岩と呼んでいた。盗人岩の名の由来は不明。岩石の根元からは鎌倉時代と推定される土師器片が採集されている。近代以降の命名
岡山県岩石表面に印・痕・模様が残る
夫婦岩33岡山県岡山市北区吉備津 吉備の中山吉備の中山の東側斜面に存在する2体の巨岩。
不動岩33岡山県岡山市北区吉備津 吉備の中山かつて有木神社の境内に位置していたと考えられる岩石。現在は福田海の敷地内にありまつられている。
内宮石33岡山県岡山市北区吉備津 吉備の中山江戸時代の吉備津神社境内絵図に描画された11個の岩石からなる環状列石。平安末期に「内の宮」があったとされる場所。現在跡地では環状列石を確認できず。今現在確認がとれていない岩石
影向石33岡山県岡山市北区吉備津 吉備の中山明治時代、本宮に合祀された新宮の旧社地に建てられた石碑。CB
「S山」山頂遺跡33岡山県岡山市北区吉備津 吉備の中山内宮石のほぼ真南に位置する峰の頂上にかつてあったとされる岩石群。鉄塔建設工事で破壊され、その時に弥生時代の分銅形土製品・石剣・弥生土器片が出土したという。今は存在しない岩石
矢喰岩33岡山県岡山市北区高塚 矢喰神社大吉備津彦命が放った矢に対して、温羅が負けじと投げた岩石がぶつかって落ちたもの。C神々の力比べ・喧嘩
血吸石33岡山県岡山市北区 血吸川大吉備津彦命に退治された温羅の血が付いた岩石。C
岩倉神社 岩石群33岡山県倉敷市日畑 岩倉神社田畑の中に集積する巨岩群の中に鎮座する神社。伝承ではかつてここは岬だったといわれる。岩倉の地名は稲倉の転訛と伝えられるが、さすがに磐座からの転訛と見るのが自然。ただ巨岩群自体のいわれは残っていない。
真宮神社 列石群33岡山県倉敷市西尾 真宮神社社殿の周囲を環状に巡る列石群。南側のみ石段が築かれているため列石は巡っていない。BCA古墳が近接社殿の周囲を環状に列石で区画する。
楯築遺跡 立石遺構33岡山県倉敷市矢部弥生墳丘墓上に直立する5体の立石。墳丘墓築造と同時期の遺構とも、後世の以降ともいい定かではない。
楯築遺跡 墳丘斜面列石遺構33岡山県倉敷市矢部墳丘を巡るように一定間隔で置かれた列石。
楯築遺跡 突出部列石遺構33岡山県倉敷市矢部墳丘の両端突出部裾に貼られた列石。密に貼り敷き詰められた形態のため、土留めとしての用途が色濃い。BE
楯築遺跡 弧帯文石33岡山県倉敷市矢部墳頂下の埋葬施設上方封土中から破砕された状態で出土した弧帯文様の岩石。
亀石33岡山県倉敷市矢部 楯築神社楯築神社の神体石で、楯築遺跡出土の弧帯文石と同形態。A遺物・遺構の再利用 December 12, 2025
1RP
行者石像29奈良県山辺郡山添村峰寺 六所神社六所神社境内の石仏。A
不動磨崖仏29奈良県山辺郡山添村峰寺 六所神社六所神社境内の石仏。A
観音石仏29奈良県山辺郡山添村峰寺 六所神社六所神社境内の石仏。A
地蔵石仏29奈良県山辺郡山添村峰寺 六所神社六所神社境内の石仏。A
窯の焚き口29奈良県山辺郡山添村峰寺村の石橋を造った力持ちが風呂に入るため使っていた窯。EC
天王の森29奈良県山辺郡山添村峰寺小山の頂上に岩石群があり、牛頭天王をまつり禁忌が厳しく守られていたという。A禁忌が厳しい
首切り地蔵29奈良県山辺郡山添村峰寺道の往来の安全を祈念して造られた石仏。後に首部と胴部に亀裂が入ってしまい、この名称で呼ばれるようになる。A岩石表面に印・痕・模様が残る道の安全を祈念して地蔵仏をまつる。
奈良県BBB
水神の森29奈良県山辺郡山添村峰寺布目側の中洲に隆起する森。大小の川原石が群集する。BCA禁足地
八丈岩29奈良県山辺郡山添村峰寺約17㎡の巨岩。水神の森の遥拝所。BA
奈良県BBA
明星岩29奈良県山辺郡山添村北野 天神社天御中主尊が降臨したという岩石。麓に天神社が建てられる以前はここで祭祀が行なわれていたという。BA
奈良県C
腰越ウチカタビロ土塚29奈良県山辺郡山添村北野字ウチカタビロ直径3mほどのマウンドに、大小の自然石や数体の石仏を集積している塚。北野天神社で旧五社巡りという祭礼が行なわれる際、この塚の前に御幣を供え、田楽を奏上したという。BCA塚の前に御幣を立てて田楽を奏上する。
岩屋29奈良県山辺郡山添村北野高さ6m、幅13m、奥行き6mの内部を有する自然の岩窟。弘法大師が天井石に大日如来を刻し本尊として、岩窟の中に不動明王、入口に善女龍王をまつり、近世まで岩屋寺として栄えた。A岩穴・窟岩窟寺院の天井石に本尊を刻む。
奈良県BCA
奈良県BAC
枡形岩29奈良県山辺郡山添村北野弘法大師が岩屋に大日如来を彫った後、上方斜面にあった別の巨岩に枡形の刳り抜きを作り、その刳り抜きの中にノミとツチを収めたという。本来は木製の御正躰を収納する石厨子だったと考えられている。C岩石の表面をくりぬき、中に仏などを納める岩石に枡をくりぬいて御正体や祭具を収める。
奈良県BCA
奈良県BAC
牛ヶ峰ミヤマ洞穴遺跡29奈良県山辺郡山添村北野全長13m、最大幅5mの花崗岩の自然の集積による洞穴。禁忌の場所とされ、布目ダム建設により水没するため発掘調査を行なったところ、中世の土器片や近世~現代までの日常雑器が見つかった。BCA禁忌が厳しい
奈良県岩穴・窟
津越の磨崖仏29奈良県山辺郡山添村津越山の岩肌を利用して数体の仏を刻んだ磨崖仏。A
フジノミ禊斎場29奈良県山辺郡山添村津越江戸中期、灌漑用水路を造る作業の無事を祈り、僧侶が岩石に不動明王の梵字を刻んで祈り続けたという。元来は北野字フジノミにあったが、布目ダム建設による水没を免れるため現在地に移設された。A
烏ヶ淵阿弥陀地蔵二尊磨崖仏29奈良県山辺郡山添村桐山淵の中にあった自然岩に阿弥陀仏・地蔵仏の像を彫りこんだ磨崖仏。寛政年間の製作で、烏ヶ淵の堰の工人の供養や水害の鎮めとして彫られたものと考えられている。元来は烏ヶ淵にあり、布目ダム建設に現在地に移転。A
奈良県BBB
桐山阿弥陀磨崖仏29奈良県山辺郡山添村桐山鎌倉~南北朝期の製作とされている磨崖仏A
弁天岩29奈良県山辺郡山添村桐山字カナヤケ巨岩の上に弁天をまつる瓦質の祠がある。周辺の遺跡調査の結果、弁天岩の周辺を意図的に平坦にしたような形跡が検出されたという。BABC
八幡神社 阿弥陀仏29奈良県山辺郡山添村的野1253年製作の村内最古の阿弥陀仏。A
送り狼石/室津のオーカミ石29奈良県山辺郡山添村室津字池神旅人が道を通る時、この岩石の上に食物などの奉げ物を置くと、後ろから狼が追いかけてこなくなるという。BCD岩石の上に捧げ物を置くことで、狼などの災禍を免れることができる。
奈良県BBB
室津の磨崖仏29奈良県山辺郡山添村室津山の岩肌に刻まれている磨崖仏。A
賽の河原29奈良県宇陀市室生区室生 室生寺山中の岩陰に設けられた水子供養の積石群BBB可動的性質
BBC
諸仏出現岩29奈良県宇陀市室生区室生 室生寺室生寺奥の院の横に隆起する露岩。ここから諸仏が現れ出たといういわれを持つ。BA
C
龍穴/吉祥龍穴/奥宮29奈良県宇陀市室生区室生 龍穴神社龍神が棲むといわれる岩穴。雨乞いの祭祀対象として信仰された。BAC岩穴・窟
奈良県BCA
天の岩戸29奈良県宇陀市室生区室生 龍穴神社天岩戸に擬せられた岩石の亀裂。C
どん亀石29奈良県室生区黒岩この岩石の下に金の仏像が眠るという。EC黄金の何かが隠されているという伝説
霊宝石/天の瓊矛29奈良県宇陀市大宇陀区 春日神社
神楽石29奈良県宇陀市大宇陀区 阿貴山
白石/白石明神29奈良県宇陀市大宇陀区 劔主神社裏山の奥の院の巨岩の一部を打ち欠いて麓の劔主神社に持ってきて分霊・勧請したという岩石群。江戸末期までは社殿を持たずこの白石群を祭祀対象としていた。A岩石に損傷を加える行為山の巨岩の一部を打ち欠いて麓の神社の分霊石とする。
奈良県BA可動的性質
奈良県磐座と石神の性格が混在している事例
劔主神社例祭29奈良県宇陀市大宇陀区 劔主神社例祭日、吉野川から持ってきた小石を川に沈めて禊をし、その小石を劔主神社奥の院の巨岩の前に供える。BBC可動的性質
奈良県水をかける・水に漬かる
奥の院/白石さん29奈良県宇陀市大宇陀区劔主神社の奥の院といわれる石灰岩の露頭で、劔主神社後方の山頂にあるという。A磐座と石神の性格が混在している事例
奈良県BA
奈良県C
月輪石29奈良県橿原市東池尻町 御厨子神社境内にある亀裂の入って2つに分かれた岩石。由来不詳。
光明不動29奈良県橿原市東池尻町 御厨子山妙法寺妙法寺の入口路傍に岩肌を見せる小さな自然石。この岩肌に不動明王の姿が見えれば眼病が治るといわれる。A岩石表面に印・痕・模様が残る
天香山神社 岩石群29奈良県橿原市南浦町 天香山神社社殿背後の山斜面の露岩群を磐座跡とみなす見方があるが確証はない。
天岩戸29奈良県橿原市南浦町 天岩戸神社拝殿の裏に4体の岩の集積があって岩室状の空間を形成しており、これを天岩戸としてまつったもの。玉垣内に真竹が自生し、毎年7本ずつ生え変わることから「七本竹」と呼んでいる。C
月の誕生石29奈良県橿原市南浦町 天香久山月を産んだ岩石。その産湯と足跡が岩石に残るという。EB岩石表面に印・痕・模様が残る
奈良県岩石が満ち欠け・増減・出産する
蛇つなぎ石29奈良県橿原市南浦町 天香久山蛇が巻きついているかのような石のシワが残るという岩石。EC岩石表面に印・痕・模様が残る
豊浦の立石29奈良県高市郡明日香村豊浦 甘樫坐神社飛鳥京の条理の地割り石だったという説や、寺域を示していたという説があるが確定していない。現在は明神探湯神事の時に甘樫の神を憑依させる立石として機能している。BAA
明神探湯神事の炉29奈良県高市郡明日香村豊浦 甘樫坐神社明神探湯神事の時に、熱湯をたぎらす釜を据えるための炉石。BE火が絡む祭祀
奈良県BCD
須弥山石29奈良県高市郡明日香村飛鳥内部に導水構造を有し、配水施設と組み合わせれば噴水が出る岩石構造物。『倭国書紀』に斉明天皇が須弥山石のもとで饗宴を催したという記述があり、これに該当するのではないかと考えられている。水落遺跡のすぐ近くから出土したが、現在は飛鳥資料館の館内に移設展示されている。原位置から移動伝承岩石に水を通して饗宴の施設とする。
石人像29奈良県高市郡明日香村飛鳥内部に導水構造を有し、配水施設と組み合わせれば噴水が出る構造となる石像。須弥山石と同様の性格の石像物と目される。水落遺跡のすぐ近くから出土したが、現在は飛鳥資料館の館内に移設展示されている。原位置から移動伝承岩石に水を通して饗宴の施設とする。
弥勒石29奈良県高市郡明日香村飛鳥胴体はずんぐりと長く屹立し、目鼻立ちは摩滅してしまっているがしっかりとした頭部を持つ石造物。下半身の病に霊験ありという。A
飛鳥坐神社の陽石祭祀29奈良県高市郡明日香村飛鳥 飛鳥坐神社人々が諸願を果たすために奉納された陽石群。BBC
力石29奈良県高市郡明日香村飛鳥 飛鳥坐神社男性は左手で力石を持ち上げる。女性は右手で力石を持ち上げる。持ち上がったら幸福をつかめるという。BBD岩石を持ち上げられるか、軽くなるか重くなるか
奈良県力石
むすびの神石29奈良県高市郡明日香村飛鳥 飛鳥坐神社一対になって並んでいる陽石と陰石。A
恵比須石29奈良県高市郡明日香村飛鳥 飛鳥坐神社高さ30cm程の小さめの岩石。恵比須様の頭部に似ていることから名付けられて信仰された。A
奥の大石29奈良県高市郡明日香村飛鳥 飛鳥坐神社高皇産霊神が宿る陽石。A
小原の立石29奈良県高市郡明日香村小原現在は場所が特定できず行方不明。
亀形石造物29奈良県高市郡明日香村岡亀形石造物とその手前に接する小判形石造物を中心に、その周囲から敷石遺構、配水遺構などが出土した。石造物自体も水を溜め込み次に導水するという配置構造を持っている。
岡の酒船石29奈良県高市郡明日香村岡岩石の表面に円形の窪みと直線状の溝が幾何学的に配置された石造物で、石の左右端は削り取られている。現在は酒船石と亀形石造物を含む周辺一帯が大規模な導水施設として機能していたのではないかという説が有力になっている。岩石が改変されている
出水の酒船石29奈良県高市郡明日香村出水岡の酒船石と類似した溝を持つ石造物。実物は京都市南禅寺の碧雲荘に移設されているが、レプリカを飛鳥資料館で見ることができる。原位置から移動伝承
岡寺奥の院彌勒堂29奈良県高市郡明日香村岡 岡寺弥勒仏をまつっている人工の石窟。BCA岩穴・窟
奈良県BAC
岡の立石29奈良県高市郡明日香村岡 岡寺高さ約3mの立石。
上居の立石29奈良県高市郡明日香村上居高さ1.9mの立石。
マラ石29奈良県高市郡明日香村祝戸考古学者の石田茂作によって命名された斜めに立てられた立石。近代以降の命名
フグリ山/ミワ山 岩石群29奈良県高市郡明日香村祝戸山頂尾根上に岩石の露頭が群集し、神聖視されていた磐座ではないかという説があるが、そのことを裏付ける資料に欠ける。
くつな石29奈良県高市郡明日香村阪田昔、ある石屋がこの岩石にノミを一打ちしたところ赤い血が噴出し、傷ついた蛇が現れたので、石屋は恐ろしくなって逃げ帰った。しかしその夜から熱と腹痛に冒され、やがて亡くなってしまった。村人は神の祟りだと畏れ、神の宿る岩石としてまつったという。A祟り伝承岩石から血と蛇が出て石屋が死んだので、岩石をまつった。
奈良県岩石から血が出る
二面石29奈良県高市郡明日香村橘 橘寺高さ1mほどの岩石の裏表両面に顔が彫られた石像物。人間の善悪両面を岩石に表現したものだといわれている。
三光石29奈良県高市郡明日香村橘 橘寺3つの石が凝り固まったかのような形状の岩石。聖徳太子が経講を行なった際、この石が光輝き、日の光、月の光、星の光が放たれたといわれる。C岩石から煙・光・火・気などが出る
立部の立石29奈良県高市郡明日香村立部定林寺跡にあり、立石というが地表からちょっと顔を出す程度の岩石だという。
川原の立石29奈良県高市郡明日香村川原出水の酒船石から飛鳥川を挟んだ向い側に存在。現在は地中に埋められている。
亀石29奈良県高市郡明日香村川原亀の形状をした石像物。昔、大和湖を巡って川原のナマズと当麻のヘビが争い、ナマズが負けたため川原の亀が枯死してしまった。これを哀れに思った村人が供養のために作ったのが亀石という。亀石はかつて東を向いていたが、少しずつ西に向いており、西の当麻方向を向いた時には大和一帯が泥の海になると言い伝えられている。BBB岩石が動く干からびて死んだ亀を供養するため亀石を造る。
奈良県祟り伝承
鬼の俎29奈良県高市郡明日香村村野口道行く人々を鬼が襲い、捕食に用いたという俎。元は横穴式石槨の底石。EA遺物・遺構の再利用
奈良県EC
鬼の雪隠/鬼の厠29奈良県高市郡明日香村平田鬼が用を足したという雪隠。元は横穴式石槨の蓋石。EA遺物・遺構の再利用
奈良県EC
女(猿石)29奈良県高市郡明日香村平田元禄2年(1702年)に田んぼの中から見つかり、明治時代になって現在地に移設されたという石像。原位置から移動伝承
山王権現(猿石)29奈良県高市郡明日香村平田元禄2年(1703年)に田んぼの中から見つかり、明治時代になって現在地に移設されたという石像。原位置から移動伝承
僧(猿石)29奈良県高市郡明日香村平田元禄2年(1704年)に田んぼの中から見つかり、明治時代になって現在地に移設されたという石像。原位置から移動伝承
男(猿石)29奈良県高市郡明日香村平田元禄2年(1705年)に田んぼの中から見つかり、明治時代になって現在地に移設されたという石像。原位置から移動伝承
益田の岩船29奈良県高市郡明日香村益田高さ5~6m、総重量900tに達するという石造物。石の表面に格子状の線刻があり、頂面に2つの方形穴とそれをつなぐ浅い直線の彫りが見られる。2基の横口式石槨の未完成姿という説があるが確定していない。
人頭石/顔石29奈良県高市郡高取町観覚寺 光永寺猿石と同時に見つかったといわれる独特な風貌の人面石。現在、光永寺で手水石として使用。BCB遺物・遺構の再利用
奈良県BE原位置から移動伝承
天津石門別神社 岩石祭祀事例29奈良県高市郡高取町大字越智 天津石門別神社榊の周りを板石で囲んだ施設を本殿としている。榊を神霊の宿る神籬とし、周囲の板石は磐境としての役割を負っている。BCA榊の周囲を板石で囲んで神社の本殿とする。
高取の猿石29奈良県高市郡高取町 高取城高取城の登山道途中にある。前述の猿石4体と同時に出土したという話がある。原位置から移動伝承
纏向遺跡 辻土坑29奈良県桜井市辻数十基見つかった土抗の内、数基の土抗内から岩石群・祭祀遺物・湧水跡・焼土のセットが検出。岩石群は雑然とも整然ともしない配置で、様々な解釈ができる。磐境説・磐座説・土坑側面補強材説・祭祀施設廃棄跡説がある。BCA今は存在しない岩石土坑に岩石群・祭祀遺物・湧水・炎を用いる行為。
奈良県BA火が絡む祭祀
奈良県BE
奈良県DB
「陰陽石」29奈良県桜井市 九日社横並びに高さ50cmほどの2体の岩塊がまつられており、「陰陽石」と仮称されるが詳細沿革不明。
「磐座」29奈良県桜井市 綱越神社神社境内の一角にまつられている岩石。「磐座」と仮称されるが岩石の名称やいわれなど詳細は不明。
夫婦岩/回り石29奈良県桜井市 素佐男神社2体の丸石。この石の周りを3度回る儀礼がある。岩石の周りを3度回る。
「磐境」29奈良県桜井市 志貴御県坐神社4個の丸石が横並びにまつられたもの。「磐境」と仮称されるが詳細沿革不明。
岩屋不動29奈良県桜井市 平等寺人工的に切り石を組んだ石窟。内部に、不動明王の石仏と梵字「ア」を刻んだ石碑と立石を安置している。A岩穴・窟
奈良県BAC
奈良県BCA
磐座/影向石29奈良県桜井市 平等寺地主神をまつる岩石。A磐座と石神の性格が混在している事例
奈良県BA
神饌石29奈良県桜井市 大直禰子神社正月元旦の神火祭の時、久延彦神社に対する神饌を置く岩石。久延彦神社を遥拝する時はこの石の地点から遥拝するようにといわれている。BCD
奈良県BBA
安産岩29奈良県桜井市 大直禰子神社母を亡くした神子が日々この岩石にすがりながら泣いていたという。C
夫婦岩/影向岩/聖天岩29奈良県桜井市 大神神社2個の草履状の岩石。江戸時代までは参道中央にあり影向岩・聖天岩の名称だったが、今は参道脇に移り夫婦岩と呼ばれ縁結び・安産の霊験を持つという。CC原位置から移動伝承
奈良県近代以降の命名
磐座神社/三穂神社/石神皇后神社/岩上皇后社/岩倉社/岩倉祠/岩上宮/石上社29奈良県桜井市 磐座神社人頭大ほどの岩石を置いてまつる形式の神社。現在、少彦名命を祭神とするが、かつては三穂神社・皇后神社の名を持つように大物主命の后である三穂津姫命をまつっていた。磐座が神社に変遷したものと推測される。BA
奈良県A
山ノ神遺跡29奈良県桜井市 大神神社古墳時代中期初~後期初(4世紀後半~6世紀初頭)の祭祀遺物が出土した遺跡。主石となる巨石の周りを5体の小ぶりの岩石が取り囲む形で見つかり、それらの岩石の一帯には割石が敷き詰められ、人工的に地固めされていた。現在は配置状態が原位置と異なり整備されている。BA原位置から移動伝承当初は碧玉製勾玉・剣形鉄製品・小形素文鏡など玉・剣・鏡の実物に近い遺物構成だったが、後代はそれぞれの模造品に変わっていく。
奥垣内遺跡29奈良県桜井市 大神神社大小の露岩の傍らから古墳時代中期末~後期初頭(5世紀後半~6世紀初頭)を中心とする祭祀遺物が出土した遺跡。現在一部の岩石を残して整備。BA原位置から移動伝承露岩の1つに接して須恵器の大甕が下半分を土中に埋めた状態で置かれ、大甕の中には杯・高杯・壺などの須恵器と多数の滑石製の玉もが収納されていた。
神籬29奈良県桜井市 檜原神社小ぶりの岩石を配置して神社としたもの。BAA
奈良県BAC
辺津磐座29奈良県桜井市 三輪山嘉禄2年(1226年)『大三輪神三社鎮座次第』によると大物主命をまつる磐座。山裾の岩石群を総称して指す名称と思われる。CA禁足地
中津磐座29奈良県桜井市 三輪山嘉禄2年(1226年)『大三輪神三社鎮座次第』によると大巳貴命をまつる磐座。山腹の岩石群を総称して指す名称と思われる。CA禁足地
奥津磐座29奈良県桜井市 三輪山嘉禄2年(1226年)『大三輪神三社鎮座次第』によると少彦名命をまつる磐座。山頂に大小無数の黒光りした斑糲岩が群集しており、これを総称して指す名称と思われる。CA禁足地
禁足地裏磐座群29奈良県桜井市 三輪山大神神社の社殿裏の禁足地(山腹斜面)に分布するという岩石群。文化財上のグルーピングで、6世紀代の新式の子持勾玉が発見されている。禁足地内につき詳細不明。禁足地
奈良県近代以降の命名
オーカミ谷磐座群A群29奈良県桜井市 三輪山樋口清之氏グルーピングによる玄賓庵南側丘陵上の岩石群。後世の石材利用などにより原状をとどめていないとされている。禁足地内につき詳細不明。禁足地
奈良県近代以降の命名
オーカミ谷磐座群B群29奈良県桜井市 三輪山樋口清之氏グルーピングによる玄賓庵北側丘陵上の岩石群。後世の石材利用などにより原状をとどめていないとされている。禁足地内につき詳細不明。禁足地
奈良県近代以降の命名
オーカミ谷磐座群C群29奈良県桜井市 三輪山樋口清之氏グルーピングによる玄賓庵裏の岩石群。大規模な岩群で、人為的に列石を構築したような規則的な配置も見られるという。禁足地内につき詳細不明。禁足地
奈良県近代以降の命名
オーカミ谷磐座群D群29奈良県桜井市 三輪山樋口清之氏グルーピングによる山腹登山道近くの岩石群。露岩点数はやや少なめで小規模に属すという。禁足地内につき詳細不明。禁足地
奈良県近代以降の命名
オーカミ谷磐座群E群29奈良県桜井市 三輪山樋口清之氏グルーピングによる山頂やや西斜面下の岩石群。大規模な岩群で、人為的に列石を構築したような規則的な配置も見られるという。禁足地内につき詳細不明。禁足地
奈良県近代以降の命名
奥津磐座F群29奈良県桜井市 三輪山樋口清之氏グルーピングによる高宮神社の南西方向の岩石群。環状列石のような配置を見せる好資料という。禁足地内につき詳細不明。禁足地
奈良県近代以降の命名
奥津磐座G群29奈良県桜井市 三輪山樋口清之氏グルーピングによる高宮神社の北西方向の岩石群。環状列石のような配置を見せる好資料という。禁足地内につき詳細不明。禁足地
奈良県近代以降の命名
百目石29奈良県桜井市 三輪山月山谷にある名前の付く岩石。大神神社神地課が「典型的なものとして折紙をつけた磐座」の内の1つ。禁足地内につき詳細不明。禁足地
鏡石29奈良県桜井市 三輪山オーカミ谷中腹にある名前の付く岩石。大神神社神地課が「典型的なものとして折紙をつけた磐座」の内の1つ。禁足地内につき詳細不明。禁足地
登拝道磐座(1)29奈良県桜井市 三輪山登拝口と山ノ神遺跡と三光の滝の3ポイントのほぼ中間に立地。三光谷の入口に位置し、登拝口から徒歩約10分の地点。禁足地
登拝道磐座(2)29奈良県桜井市 三輪山三光の滝から尾根を約15分登った山腹に、杉の巨木と共に注連縄の結界が張られた岩石群が存在。中津磐座に相当するものか。禁足地
登拝道磐座(3)29奈良県桜井市 三輪山(2)地点から5分ほど登った路傍にあり、人工的に小石を配して磐境状に仕立てた祭り場。賽銭が捧げられている。置銭・投銭祭祀
奈良県禁足地
登拝道磐座(4)29奈良県桜井市 三輪山視界の開けた広めの尾根を登り、傾斜がやや急になる坂の途中に露岩群があり、注連縄を張られている。禁足地
登拝道磐座(5)29奈良県桜井市 三輪山坂を登りきって、山頂やや下方の登拝道に注連縄の巻かれた磐座。二重に注連縄が巻かれている。(5)(6)(7)は互いに近接。禁足地
登拝道磐座(6)29奈良県桜井市 三輪山坂を登りきって、山頂やや下方の登拝道に注連縄の巻かれた磐座。(5)(6)(7)は互いに近接。禁足地
登拝道磐座(7)29奈良県桜井市 三輪山坂を登りきって、山頂やや下方の登拝道に注連縄の巻かれた磐座。(5)(6)(7)は互いに近接。禁足地
白山29奈良県桜井市辻眞言律宗巻向山奥不動寺のすぐ北にそびえる岩山。一面が岩盤露出していることから白山の名が付いたものと思われるが、神聖視・祭祀の痕跡は見られない。頂上が岩山
ダンノダイラの「磐座」29奈良県桜井市出雲ダンノダイラ急斜面の山肌に露出する岩崖を主体とし、岩崖の上にある2~3体の岩にも供献皿や注連縄が残されている。麓の出雲村の十二柱神社にはかつて社殿がなく、この「磐座」を拝む場だったという。年に一度出雲村の人々がダンノダイラへ登り飲み食いや相撲をして遊ぶという風習があったという、
天壇29奈良県桜井市出雲ダンノダイラマウンド頂部に集石が存在。冬至の日に天帝をまつるために設けた祭壇という説があるが真相不明。近代以降の命名
素盞鳴神社 岩石群29奈良県桜井市慈恩寺 素盞鳴神社本殿背後に露岩があり「磐座」ではないかとされるが由来不詳。
石神29奈良県桜井市忍坂 忍坂坐生根神社背後にある神体山の宮山に「石神」と呼ばれる約20個の自然石が存在するという。A
金剛寶磐石/磐座/大磐石29奈良県桜井市初瀬 長谷寺長谷寺本尊の十一面観音菩薩の土台に使われている岩石。天平元年(729年)8月15日の夜、突如「金剛寶磐石」が土の中から現れ、磐石には仏像をしつらえるにふさわしい足跡形の穴があったことから、ここに十一面観音菩薩を立てたといわれる。BABC突如出現した岩石仏菩薩を安置するにふさわしい自然石が突如出現する。
奈良県岩石表面に印・痕・模様が残る
ふく石29奈良県桜井市初瀬 長谷寺長谷寺本願院が江戸時代に製作した「初瀬山之図」に記載された岩石。所在未特定。今現在確認がとれていない岩石
気比神29奈良県桜井市初瀬 長谷寺『長谷寺密奏記 裏付』(13世紀頃成立)に「十一面堂東北石座御」とある。所在未特定。今現在確認がとれていない岩石
気多神29奈良県桜井市初瀬 長谷寺『長谷寺密奏記 裏付』(13世紀頃成立)に「同方南石座御」とある。所在未特定。今現在確認がとれていない岩石
宝幢神29奈良県桜井市初瀬 長谷寺『長谷寺密奏記 裏付』(13世紀頃成立)に「十一面堂西南石座御」とある。所在未特定。今現在確認がとれていない岩石
宝語神29奈良県桜井市初瀬 長谷寺『長谷寺密奏記 裏付』(13世紀頃成立)に「同方北石座御」とある。所在未特定。今現在確認がとれていない岩石
見廻不動尊29奈良県桜井市初瀬岩崖。弘法大師が長谷寺の参籠を終えて笠山へ向かう途上ここで見かえり、ここは金剛界・胎蔵界の深理が顕現した霊場であるから、入山する者は心を定め清めなければならないと述べ、山の守り神である須彌山王の上に不動明王の御形を彫ったという。A山の入口に不動明王をまつり結界とする。
奈良県BCA
菅原道真の腰掛石29奈良県桜井市初瀬与喜天満神社の御旅所。菅原道真扮する狩衣装束の老人が腰掛けていたという岩石。切石のような形状で後世創設された可能性がある。CB休み石・腰掛石
泊瀬石29奈良県桜井市初瀬かつて滝蔵神社の近くに毘沙門天を祀る祠があり、ある時この上に雷が落ちて毘沙門天の宝塔が初瀬川に流れ落ちたが、この岩石に引っかかって止まったので、この岩石を泊瀬石と呼んだという。EC
女岩(女男岩)29奈良県桜井市初瀬 与喜天満神社愛しく撫でると心のかどがとれるという岩石。BBDなでたりさすったり抱きついたりする
男岩(女男岩)29奈良県桜井市初瀬 与喜天満神社愛しく撫でると心のかどがとれるという岩石。BBDなでたりさすったり抱きついたりする
山神遥拝所29奈良県桜井市初瀬 与喜天満神社与喜山・与喜天満神社の遥拝所とされる岩石。BA
奈良県BBA
八王子社29奈良県桜井市初瀬 与喜天満神社八王子社の祠の下に存在する岩石。BABC
鵝形石29奈良県桜井市初瀬 与喜天満神社天照大神が降臨したという岩石。BABA
奈良県C
沓形石29奈良県桜井市初瀬 与喜天満神社春日大明神あるいは天児屋根命が降臨したという岩石。BABA
奈良県C
掌石29奈良県桜井市初瀬 与喜天満神社太玉命が降臨したという岩石。BABA
奈良県C
千度まいり石29奈良県桜井市初瀬 与喜天満神社千度参りの際の礼拝石。BBA
与喜山 A地点北西岩石群/磐座29奈良県桜井市初瀬 与喜山/天神山2基の石灯籠を従えて玉垣の後ろに控える岩石。塔のように大きく三段から構成される岩石で、高さ3.1mを測る。
与喜山 A地点南東岩石群29奈良県桜井市初瀬 与喜山/天神山A地点北西岩石群から南東へ10mほど進むと、急斜面に高さ2~3mの岩々が多く露出している。
与喜山 B地点下方岩石群29奈良県桜井市初瀬 与喜山/天神山1962年に杉髙講が奉献した鳥居・灯籠・狛犬などが残る尾根先端の露岩群。
与喜山 B地点上方岩石群29奈良県桜井市初瀬 与喜山/天神山B地点下方岩石群から尾根を少し登るとスパッと鋭角的な輪郭を持つ立石が存在。
与喜山 C地点岩石29奈良県桜井市初瀬 与喜山/天神山天神山北側から登る登山道の入口東側に立地。石祠がまつられている背後に露岩がある。
与喜山 D地点岩石群29奈良県桜井市初瀬 与喜山/天神山山頂尾根の南端に立地する東西隣り合わせの2体の岩石。西側の巨岩は高さ2~3m、幅5mほどの単体の横長石。東側の巨岩は、小さめの岩石が2個横並びになっていて、その上に支石墓の掌石のごとく高さ2m・幅5mほどの巨石が乗っかかっている構造を有する。
陽神29奈良県桜井市初瀬 与喜山/天神山『長谷寺密奏記 裏付』(13世紀頃成立)に「伊弉諾尊也。東山腰石座御。南。」とある。所在未特定だが、A地点南東岩石群の可能性がある。BAB今現在確認がとれていない岩石
陰神29奈良県桜井市初瀬 与喜山/天神山『長谷寺密奏記 裏付』(13世紀頃成立)に「伊弉冉尊也。東山腰石座御。北。」とある。所在未特定だが、A地点北西岩石群の可能性がある。BAB今現在確認がとれていない岩石
光神29奈良県桜井市初瀬 与喜山/天神山『長谷寺密奏記 裏付』(13世紀頃成立)に「月弓尊也。東山北谷石座御。上。」とある。所在未特定だが、B地点上方岩石群の可能性がある。BAB今現在確認がとれていない岩石
雨神29奈良県桜井市初瀬 与喜山/天神山『長谷寺密奏記 裏付』(13世紀頃成立)に「同谷石座御。下。」とある。所在未特定だが、B地点下方岩石群の可能性がある。BAB今現在確認がとれていない岩石
賀茂大明神29奈良県桜井市初瀬落神『長谷寺密奏記 裏付』(13世紀頃成立)に「河中大石座御」とある。賀茂の雷神が瀧蔵権現から毘沙門天の宝塔を奪い取り去る途中でこの川中の岩石に落ちたという。下の屏風岩と同一物の可能性もある。初瀬ダム建設により水没。BABA今は存在しない岩石別の神から宝塔を奪い取った雷神が落ちた岩石。
奈良県BABC
屏風岩29奈良県桜井市初瀬落神高さ4.8mの三角形状の岩石に宝篋印塔と梵字の線刻がなされ、頂部に祠をまつっていたという。天落神六社権現の1つ。戦の時に塀代わりに使われたともいう。初瀬ダム建設により水没。BABC今は存在しない岩石
奈良県BAC
落神 山側斜面の岩盤29奈良県桜井市初瀬落神高さ97cmの宝篋印塔を刻んだ岩盤で、天落神六社権現の1つ。初瀬ダム建設により水没。BAC今は存在しない岩石 December 12, 2025
1RP
水神の森29奈良県山辺郡山添村峰寺布目側の中洲に隆起する森。大小の川原石が群集する。BCA禁足地
八丈岩29奈良県山辺郡山添村峰寺約17㎡の巨岩。水神の森の遥拝所。BA
奈良県BBA
明星岩29奈良県山辺郡山添村北野 天神社天御中主尊が降臨したという岩石。麓に天神社が建てられる以前はここで祭祀が行なわれていたという。BA
奈良県C
腰越ウチカタビロ土塚29奈良県山辺郡山添村北野字ウチカタビロ直径3mほどのマウンドに、大小の自然石や数体の石仏を集積している塚。北野天神社で旧五社巡りという祭礼が行なわれる際、この塚の前に御幣を供え、田楽を奏上したという。BCA塚の前に御幣を立てて田楽を奏上する。
岩屋29奈良県山辺郡山添村北野高さ6m、幅13m、奥行き6mの内部を有する自然の岩窟。弘法大師が天井石に大日如来を刻し本尊として、岩窟の中に不動明王、入口に善女龍王をまつり、近世まで岩屋寺として栄えた。A岩穴・窟岩窟寺院の天井石に本尊を刻む。
奈良県BCA
奈良県BAC
枡形岩29奈良県山辺郡山添村北野弘法大師が岩屋に大日如来を彫った後、上方斜面にあった別の巨岩に枡形の刳り抜きを作り、その刳り抜きの中にノミとツチを収めたという。本来は木製の御正躰を収納する石厨子だったと考えられている。C岩石の表面をくりぬき、中に仏などを納める岩石に枡をくりぬいて御正体や祭具を収める。
奈良県BCA
奈良県BAC
牛ヶ峰ミヤマ洞穴遺跡29奈良県山辺郡山添村北野全長13m、最大幅5mの花崗岩の自然の集積による洞穴。禁忌の場所とされ、布目ダム建設により水没するため発掘調査を行なったところ、中世の土器片や近世~現代までの日常雑器が見つかった。BCA禁忌が厳しい
奈良県岩穴・窟
津越の磨崖仏29奈良県山辺郡山添村津越山の岩肌を利用して数体の仏を刻んだ磨崖仏。A
フジノミ禊斎場29奈良県山辺郡山添村津越江戸中期、灌漑用水路を造る作業の無事を祈り、僧侶が岩石に不動明王の梵字を刻んで祈り続けたという。元来は北野字フジノミにあったが、布目ダム建設による水没を免れるため現在地に移設された。A
烏ヶ淵阿弥陀地蔵二尊磨崖仏29奈良県山辺郡山添村桐山淵の中にあった自然岩に阿弥陀仏・地蔵仏の像を彫りこんだ磨崖仏。寛政年間の製作で、烏ヶ淵の堰の工人の供養や水害の鎮めとして彫られたものと考えられている。元来は烏ヶ淵にあり、布目ダム建設に現在地に移転。A
奈良県BBB
桐山阿弥陀磨崖仏29奈良県山辺郡山添村桐山鎌倉~南北朝期の製作とされている磨崖仏A
弁天岩29奈良県山辺郡山添村桐山字カナヤケ巨岩の上に弁天をまつる瓦質の祠がある。周辺の遺跡調査の結果、弁天岩の周辺を意図的に平坦にしたような形跡が検出されたという。BABC
八幡神社 阿弥陀仏29奈良県山辺郡山添村的野1253年製作の村内最古の阿弥陀仏。A
送り狼石/室津のオーカミ石29奈良県山辺郡山添村室津字池神旅人が道を通る時、この岩石の上に食物などの奉げ物を置くと、後ろから狼が追いかけてこなくなるという。BCD岩石の上に捧げ物を置くことで、狼などの災禍を免れることができる。
奈良県BBB
室津の磨崖仏29奈良県山辺郡山添村室津山の岩肌に刻まれている磨崖仏。A
賽の河原29奈良県宇陀市室生区室生 室生寺山中の岩陰に設けられた水子供養の積石群BBB可動的性質
BBC
諸仏出現岩29奈良県宇陀市室生区室生 室生寺室生寺奥の院の横に隆起する露岩。ここから諸仏が現れ出たといういわれを持つ。BA
C
龍穴/吉祥龍穴/奥宮29奈良県宇陀市室生区室生 龍穴神社龍神が棲むといわれる岩穴。雨乞いの祭祀対象として信仰された。BAC岩穴・窟
奈良県BCA
天の岩戸29奈良県宇陀市室生区室生 龍穴神社天岩戸に擬せられた岩石の亀裂。C
どん亀石29奈良県室生区黒岩この岩石の下に金の仏像が眠るという。EC黄金の何かが隠されているという伝説
霊宝石/天の瓊矛29奈良県宇陀市大宇陀区 春日神社
神楽石29奈良県宇陀市大宇陀区 阿貴山
白石/白石明神29奈良県宇陀市大宇陀区 劔主神社裏山の奥の院の巨岩の一部を打ち欠いて麓の劔主神社に持ってきて分霊・勧請したという岩石群。江戸末期までは社殿を持たずこの白石群を祭祀対象としていた。A岩石に損傷を加える行為山の巨岩の一部を打ち欠いて麓の神社の分霊石とする。
奈良県BA可動的性質
奈良県磐座と石神の性格が混在している事例
劔主神社例祭29奈良県宇陀市大宇陀区 劔主神社例祭日、吉野川から持ってきた小石を川に沈めて禊をし、その小石を劔主神社奥の院の巨岩の前に供える。BBC可動的性質
奈良県水をかける・水に漬かる
奥の院/白石さん29奈良県宇陀市大宇陀区劔主神社の奥の院といわれる石灰岩の露頭で、劔主神社後方の山頂にあるという。A磐座と石神の性格が混在している事例
奈良県BA
奈良県C
月輪石29奈良県橿原市東池尻町 御厨子神社境内にある亀裂の入って2つに分かれた岩石。由来不詳。
光明不動29奈良県橿原市東池尻町 御厨子山妙法寺妙法寺の入口路傍に岩肌を見せる小さな自然石。この岩肌に不動明王の姿が見えれば眼病が治るといわれる。A岩石表面に印・痕・模様が残る
天香山神社 岩石群29奈良県橿原市南浦町 天香山神社社殿背後の山斜面の露岩群を磐座跡とみなす見方があるが確証はない。
天岩戸29奈良県橿原市南浦町 天岩戸神社拝殿の裏に4体の岩の集積があって岩室状の空間を形成しており、これを天岩戸としてまつったもの。玉垣内に真竹が自生し、毎年7本ずつ生え変わることから「七本竹」と呼んでいる。C
月の誕生石29奈良県橿原市南浦町 天香久山月を産んだ岩石。その産湯と足跡が岩石に残るという。EB岩石表面に印・痕・模様が残る
奈良県岩石が満ち欠け・増減・出産する
蛇つなぎ石29奈良県橿原市南浦町 天香久山蛇が巻きついているかのような石のシワが残るという岩石。EC岩石表面に印・痕・模様が残る
豊浦の立石29奈良県高市郡明日香村豊浦 甘樫坐神社飛鳥京の条理の地割り石だったという説や、寺域を示していたという説があるが確定していない。現在は明神探湯神事の時に甘樫の神を憑依させる立石として機能している。BAA
明神探湯神事の炉29奈良県高市郡明日香村豊浦 甘樫坐神社明神探湯神事の時に、熱湯をたぎらす釜を据えるための炉石。BE火が絡む祭祀
奈良県BCD
須弥山石29奈良県高市郡明日香村飛鳥内部に導水構造を有し、配水施設と組み合わせれば噴水が出る岩石構造物。『倭国書紀』に斉明天皇が須弥山石のもとで饗宴を催したという記述があり、これに該当するのではないかと考えられている。水落遺跡のすぐ近くから出土したが、現在は飛鳥資料館の館内に移設展示されている。原位置から移動伝承岩石に水を通して饗宴の施設とする。
石人像29奈良県高市郡明日香村飛鳥内部に導水構造を有し、配水施設と組み合わせれば噴水が出る構造となる石像。須弥山石と同様の性格の石像物と目される。水落遺跡のすぐ近くから出土したが、現在は飛鳥資料館の館内に移設展示されている。原位置から移動伝承岩石に水を通して饗宴の施設とする。
弥勒石29奈良県高市郡明日香村飛鳥胴体はずんぐりと長く屹立し、目鼻立ちは摩滅してしまっているがしっかりとした頭部を持つ石造物。下半身の病に霊験ありという。A
飛鳥坐神社の陽石祭祀29奈良県高市郡明日香村飛鳥 飛鳥坐神社人々が諸願を果たすために奉納された陽石群。BBC
力石29奈良県高市郡明日香村飛鳥 飛鳥坐神社男性は左手で力石を持ち上げる。女性は右手で力石を持ち上げる。持ち上がったら幸福をつかめるという。BBD岩石を持ち上げられるか、軽くなるか重くなるか
奈良県力石
むすびの神石29奈良県高市郡明日香村飛鳥 飛鳥坐神社一対になって並んでいる陽石と陰石。A
恵比須石29奈良県高市郡明日香村飛鳥 飛鳥坐神社高さ30cm程の小さめの岩石。恵比須様の頭部に似ていることから名付けられて信仰された。A
奥の大石29奈良県高市郡明日香村飛鳥 飛鳥坐神社高皇産霊神が宿る陽石。A
小原の立石29奈良県高市郡明日香村小原現在は場所が特定できず行方不明。
亀形石造物29奈良県高市郡明日香村岡亀形石造物とその手前に接する小判形石造物を中心に、その周囲から敷石遺構、配水遺構などが出土した。石造物自体も水を溜め込み次に導水するという配置構造を持っている。
岡の酒船石29奈良県高市郡明日香村岡岩石の表面に円形の窪みと直線状の溝が幾何学的に配置された石造物で、石の左右端は削り取られている。現在は酒船石と亀形石造物を含む周辺一帯が大規模な導水施設として機能していたのではないかという説が有力になっている。岩石が改変されている
出水の酒船石29奈良県高市郡明日香村出水岡の酒船石と類似した溝を持つ石造物。実物は京都市南禅寺の碧雲荘に移設されているが、レプリカを飛鳥資料館で見ることができる。原位置から移動伝承
岡寺奥の院彌勒堂29奈良県高市郡明日香村岡 岡寺弥勒仏をまつっている人工の石窟。BCA岩穴・窟
奈良県BAC
岡の立石29奈良県高市郡明日香村岡 岡寺高さ約3mの立石。
上居の立石29奈良県高市郡明日香村上居高さ1.9mの立石。
マラ石29奈良県高市郡明日香村祝戸考古学者の石田茂作によって命名された斜めに立てられた立石。近代以降の命名
フグリ山/ミワ山 岩石群29奈良県高市郡明日香村祝戸山頂尾根上に岩石の露頭が群集し、神聖視されていた磐座ではないかという説があるが、そのことを裏付ける資料に欠ける。
くつな石29奈良県高市郡明日香村阪田昔、ある石屋がこの岩石にノミを一打ちしたところ赤い血が噴出し、傷ついた蛇が現れたので、石屋は恐ろしくなって逃げ帰った。しかしその夜から熱と腹痛に冒され、やがて亡くなってしまった。村人は神の祟りだと畏れ、神の宿る岩石としてまつったという。A祟り伝承岩石から血と蛇が出て石屋が死んだので、岩石をまつった。
奈良県岩石から血が出る
二面石29奈良県高市郡明日香村橘 橘寺高さ1mほどの岩石の裏表両面に顔が彫られた石像物。人間の善悪両面を岩石に表現したものだといわれている。
三光石29奈良県高市郡明日香村橘 橘寺3つの石が凝り固まったかのような形状の岩石。聖徳太子が経講を行なった際、この石が光輝き、日の光、月の光、星の光が放たれたといわれる。C岩石から煙・光・火・気などが出る
立部の立石29奈良県高市郡明日香村立部定林寺跡にあり、立石というが地表からちょっと顔を出す程度の岩石だという。
川原の立石29奈良県高市郡明日香村川原出水の酒船石から飛鳥川を挟んだ向い側に存在。現在は地中に埋められている。
亀石29奈良県高市郡明日香村川原亀の形状をした石像物。昔、大和湖を巡って川原のナマズと当麻のヘビが争い、ナマズが負けたため川原の亀が枯死してしまった。これを哀れに思った村人が供養のために作ったのが亀石という。亀石はかつて東を向いていたが、少しずつ西に向いており、西の当麻方向を向いた時には大和一帯が泥の海になると言い伝えられている。BBB岩石が動く干からびて死んだ亀を供養するため亀石を造る。
奈良県祟り伝承
鬼の俎29奈良県高市郡明日香村村野口道行く人々を鬼が襲い、捕食に用いたという俎。元は横穴式石槨の底石。EA遺物・遺構の再利用
奈良県EC
鬼の雪隠/鬼の厠29奈良県高市郡明日香村平田鬼が用を足したという雪隠。元は横穴式石槨の蓋石。EA遺物・遺構の再利用
奈良県EC
女(猿石)29奈良県高市郡明日香村平田元禄2年(1702年)に田んぼの中から見つかり、明治時代になって現在地に移設されたという石像。原位置から移動伝承
山王権現(猿石)29奈良県高市郡明日香村平田元禄2年(1703年)に田んぼの中から見つかり、明治時代になって現在地に移設されたという石像。原位置から移動伝承
僧(猿石)29奈良県高市郡明日香村平田元禄2年(1704年)に田んぼの中から見つかり、明治時代になって現在地に移設されたという石像。原位置から移動伝承
男(猿石)29奈良県高市郡明日香村平田元禄2年(1705年)に田んぼの中から見つかり、明治時代になって現在地に移設されたという石像。原位置から移動伝承
益田の岩船29奈良県高市郡明日香村益田高さ5~6m、総重量900tに達するという石造物。石の表面に格子状の線刻があり、頂面に2つの方形穴とそれをつなぐ浅い直線の彫りが見られる。2基の横口式石槨の未完成姿という説があるが確定していない。
人頭石/顔石29奈良県高市郡高取町観覚寺 光永寺猿石と同時に見つかったといわれる独特な風貌の人面石。現在、光永寺で手水石として使用。BCB遺物・遺構の再利用
奈良県BE原位置から移動伝承
天津石門別神社 岩石祭祀事例29奈良県高市郡高取町大字越智 天津石門別神社榊の周りを板石で囲んだ施設を本殿としている。榊を神霊の宿る神籬とし、周囲の板石は磐境としての役割を負っている。BCA榊の周囲を板石で囲んで神社の本殿とする。
高取の猿石29奈良県高市郡高取町 高取城高取城の登山道途中にある。前述の猿石4体と同時に出土したという話がある。原位置から移動伝承
纏向遺跡 辻土坑29奈良県桜井市辻数十基見つかった土抗の内、数基の土抗内から岩石群・祭祀遺物・湧水跡・焼土のセットが検出。岩石群は雑然とも整然ともしない配置で、様々な解釈ができる。磐境説・磐座説・土坑側面補強材説・祭祀施設廃棄跡説がある。BCA今は存在しない岩石土坑に岩石群・祭祀遺物・湧水・炎を用いる行為。
奈良県BA火が絡む祭祀
奈良県BE
奈良県DB
「陰陽石」29奈良県桜井市 九日社横並びに高さ50cmほどの2体の岩塊がまつられており、「陰陽石」と仮称されるが詳細沿革不明。
「磐座」29奈良県桜井市 綱越神社神社境内の一角にまつられている岩石。「磐座」と仮称されるが岩石の名称やいわれなど詳細は不明。
夫婦岩/回り石29奈良県桜井市 素佐男神社2体の丸石。この石の周りを3度回る儀礼がある。岩石の周りを3度回る。
「磐境」29奈良県桜井市 志貴御県坐神社4個の丸石が横並びにまつられたもの。「磐境」と仮称されるが詳細沿革不明。
岩屋不動29奈良県桜井市 平等寺人工的に切り石を組んだ石窟。内部に、不動明王の石仏と梵字「ア」を刻んだ石碑と立石を安置している。A岩穴・窟
奈良県BAC
奈良県BCA
磐座/影向石29奈良県桜井市 平等寺地主神をまつる岩石。A磐座と石神の性格が混在している事例
奈良県BA
神饌石29奈良県桜井市 大直禰子神社正月元旦の神火祭の時、久延彦神社に対する神饌を置く岩石。久延彦神社を遥拝する時はこの石の地点から遥拝するようにといわれている。BCD
奈良県BBA
安産岩29奈良県桜井市 大直禰子神社母を亡くした神子が日々この岩石にすがりながら泣いていたという。C
夫婦岩/影向岩/聖天岩29奈良県桜井市 大神神社2個の草履状の岩石。江戸時代までは参道中央にあり影向岩・聖天岩の名称だったが、今は参道脇に移り夫婦岩と呼ばれ縁結び・安産の霊験を持つという。CC原位置から移動伝承
奈良県近代以降の命名
磐座神社/三穂神社/石神皇后神社/岩上皇后社/岩倉社/岩倉祠/岩上宮/石上社29奈良県桜井市 磐座神社人頭大ほどの岩石を置いてまつる形式の神社。現在、少彦名命を祭神とするが、かつては三穂神社・皇后神社の名を持つように大物主命の后である三穂津姫命をまつっていた。磐座が神社に変遷したものと推測される。BA
奈良県A
山ノ神遺跡29奈良県桜井市 大神神社古墳時代中期初~後期初(4世紀後半~6世紀初頭)の祭祀遺物が出土した遺跡。主石となる巨石の周りを5体の小ぶりの岩石が取り囲む形で見つかり、それらの岩石の一帯には割石が敷き詰められ、人工的に地固めされていた。現在は配置状態が原位置と異なり整備されている。BA原位置から移動伝承当初は碧玉製勾玉・剣形鉄製品・小形素文鏡など玉・剣・鏡の実物に近い遺物構成だったが、後代はそれぞれの模造品に変わっていく。
奥垣内遺跡29奈良県桜井市 大神神社大小の露岩の傍らから古墳時代中期末~後期初頭(5世紀後半~6世紀初頭)を中心とする祭祀遺物が出土した遺跡。現在一部の岩石を残して整備。BA原位置から移動伝承露岩の1つに接して須恵器の大甕が下半分を土中に埋めた状態で置かれ、大甕の中には杯・高杯・壺などの須恵器と多数の滑石製の玉もが収納されていた。
神籬29奈良県桜井市 檜原神社小ぶりの岩石を配置して神社としたもの。BAA
奈良県BAC
辺津磐座29奈良県桜井市 三輪山嘉禄2年(1226年)『大三輪神三社鎮座次第』によると大物主命をまつる磐座。山裾の岩石群を総称して指す名称と思われる。CA禁足地
中津磐座29奈良県桜井市 三輪山嘉禄2年(1226年)『大三輪神三社鎮座次第』によると大巳貴命をまつる磐座。山腹の岩石群を総称して指す名称と思われる。CA禁足地
奥津磐座29奈良県桜井市 三輪山嘉禄2年(1226年)『大三輪神三社鎮座次第』によると少彦名命をまつる磐座。山頂に大小無数の黒光りした斑糲岩が群集しており、これを総称して指す名称と思われる。CA禁足地
禁足地裏磐座群29奈良県桜井市 三輪山大神神社の社殿裏の禁足地(山腹斜面)に分布するという岩石群。文化財上のグルーピングで、6世紀代の新式の子持勾玉が発見されている。禁足地内につき詳細不明。禁足地
奈良県近代以降の命名
オーカミ谷磐座群A群29奈良県桜井市 三輪山樋口清之氏グルーピングによる玄賓庵南側丘陵上の岩石群。後世の石材利用などにより原状をとどめていないとされている。禁足地内につき詳細不明。禁足地
奈良県近代以降の命名
オーカミ谷磐座群B群29奈良県桜井市 三輪山樋口清之氏グルーピングによる玄賓庵北側丘陵上の岩石群。後世の石材利用などにより原状をとどめていないとされている。禁足地内につき詳細不明。禁足地
奈良県近代以降の命名
オーカミ谷磐座群C群29奈良県桜井市 三輪山樋口清之氏グルーピングによる玄賓庵裏の岩石群。大規模な岩群で、人為的に列石を構築したような規則的な配置も見られるという。禁足地内につき詳細不明。禁足地
奈良県近代以降の命名
オーカミ谷磐座群D群29奈良県桜井市 三輪山樋口清之氏グルーピングによる山腹登山道近くの岩石群。露岩点数はやや少なめで小規模に属すという。禁足地内につき詳細不明。禁足地
奈良県近代以降の命名
オーカミ谷磐座群E群29奈良県桜井市 三輪山樋口清之氏グルーピングによる山頂やや西斜面下の岩石群。大規模な岩群で、人為的に列石を構築したような規則的な配置も見られるという。禁足地内につき詳細不明。禁足地
奈良県近代以降の命名
奥津磐座F群29奈良県桜井市 三輪山樋口清之氏グルーピングによる高宮神社の南西方向の岩石群。環状列石のような配置を見せる好資料という。禁足地内につき詳細不明。禁足地
奈良県近代以降の命名
奥津磐座G群29奈良県桜井市 三輪山樋口清之氏グルーピングによる高宮神社の北西方向の岩石群。環状列石のような配置を見せる好資料という。禁足地内につき詳細不明。禁足地
奈良県近代以降の命名
百目石29奈良県桜井市 三輪山月山谷にある名前の付く岩石。大神神社神地課が「典型的なものとして折紙をつけた磐座」の内の1つ。禁足地内につき詳細不明。禁足地
鏡石29奈良県桜井市 三輪山オーカミ谷中腹にある名前の付く岩石。大神神社神地課が「典型的なものとして折紙をつけた磐座」の内の1つ。禁足地内につき詳細不明。禁足地
登拝道磐座(1)29奈良県桜井市 三輪山登拝口と山ノ神遺跡と三光の滝の3ポイントのほぼ中間に立地。三光谷の入口に位置し、登拝口から徒歩約10分の地点。禁足地
登拝道磐座(2)29奈良県桜井市 三輪山三光の滝から尾根を約15分登った山腹に、杉の巨木と共に注連縄の結界が張られた岩石群が存在。中津磐座に相当するものか。禁足地
登拝道磐座(3)29奈良県桜井市 三輪山(2)地点から5分ほど登った路傍にあり、人工的に小石を配して磐境状に仕立てた祭り場。賽銭が捧げられている。置銭・投銭祭祀
奈良県禁足地
登拝道磐座(4)29奈良県桜井市 三輪山視界の開けた広めの尾根を登り、傾斜がやや急になる坂の途中に露岩群があり、注連縄を張られている。禁足地
登拝道磐座(5)29奈良県桜井市 三輪山坂を登りきって、山頂やや下方の登拝道に注連縄の巻かれた磐座。二重に注連縄が巻かれている。(5)(6)(7)は互いに近接。禁足地
登拝道磐座(6)29奈良県桜井市 三輪山坂を登りきって、山頂やや下方の登拝道に注連縄の巻かれた磐座。(5)(6)(7)は互いに近接。禁足地
登拝道磐座(7)29奈良県桜井市 三輪山坂を登りきって、山頂やや下方の登拝道に注連縄の巻かれた磐座。(5)(6)(7)は互いに近接。禁足地
白山29奈良県桜井市辻眞言律宗巻向山奥不動寺のすぐ北にそびえる岩山。一面が岩盤露出していることから白山の名が付いたものと思われるが、神聖視・祭祀の痕跡は見られない。頂上が岩山
ダンノダイラの「磐座」29奈良県桜井市出雲ダンノダイラ急斜面の山肌に露出する岩崖を主体とし、岩崖の上にある2~3体の岩にも供献皿や注連縄が残されている。麓の出雲村の十二柱神社にはかつて社殿がなく、この「磐座」を拝む場だったという。年に一度出雲村の人々がダンノダイラへ登り飲み食いや相撲をして遊ぶという風習があったという、
天壇29奈良県桜井市出雲ダンノダイラマウンド頂部に集石が存在。冬至の日に天帝をまつるために設けた祭壇という説があるが真相不明。近代以降の命名
素盞鳴神社 岩石群29奈良県桜井市慈恩寺 素盞鳴神社本殿背後に露岩があり「磐座」ではないかとされるが由来不詳。
石神29奈良県桜井市忍坂 忍坂坐生根神社背後にある神体山の宮山に「石神」と呼ばれる約20個の自然石が存在するという。A
金剛寶磐石/磐座/大磐石29奈良県桜井市初瀬 長谷寺長谷寺本尊の十一面観音菩薩の土台に使われている岩石。天平元年(729年)8月15日の夜、突如「金剛寶磐石」が土の中から現れ、磐石には仏像をしつらえるにふさわしい足跡形の穴があったことから、ここに十一面観音菩薩を立てたといわれる。BABC突如出現した岩石仏菩薩を安置するにふさわしい自然石が突如出現する。
奈良県岩石表面に印・痕・模様が残る
ふく石29奈良県桜井市初瀬 長谷寺長谷寺本願院が江戸時代に製作した「初瀬山之図」に記載された岩石。所在未特定。今現在確認がとれていない岩石
気比神29奈良県桜井市初瀬 長谷寺『長谷寺密奏記 裏付』(13世紀頃成立)に「十一面堂東北石座御」とある。所在未特定。今現在確認がとれていない岩石
気多神29奈良県桜井市初瀬 長谷寺『長谷寺密奏記 裏付』(13世紀頃成立)に「同方南石座御」とある。所在未特定。今現在確認がとれていない岩石
宝幢神29奈良県桜井市初瀬 長谷寺『長谷寺密奏記 裏付』(13世紀頃成立)に「十一面堂西南石座御」とある。所在未特定。今現在確認がとれていない岩石
宝語神29奈良県桜井市初瀬 長谷寺『長谷寺密奏記 裏付』(13世紀頃成立)に「同方北石座御」とある。所在未特定。今現在確認がとれていない岩石
見廻不動尊29奈良県桜井市初瀬岩崖。弘法大師が長谷寺の参籠を終えて笠山へ向かう途上ここで見かえり、ここは金剛界・胎蔵界の深理が顕現した霊場であるから、入山する者は心を定め清めなければならないと述べ、山の守り神である須彌山王の上に不動明王の御形を彫ったという。A山の入口に不動明王をまつり結界とする。
奈良県BCA
菅原道真の腰掛石29奈良県桜井市初瀬与喜天満神社の御旅所。菅原道真扮する狩衣装束の老人が腰掛けていたという岩石。切石のような形状で後世創設された可能性がある。CB休み石・腰掛石
泊瀬石29奈良県桜井市初瀬かつて滝蔵神社の近くに毘沙門天を祀る祠があり、ある時この上に雷が落ちて毘沙門天の宝塔が初瀬川に流れ落ちたが、この岩石に引っかかって止まったので、この岩石を泊瀬石と呼んだという。EC
女岩(女男岩)29奈良県桜井市初瀬 与喜天満神社愛しく撫でると心のかどがとれるという岩石。BBDなでたりさすったり抱きついたりする
男岩(女男岩)29奈良県桜井市初瀬 与喜天満神社愛しく撫でると心のかどがとれるという岩石。BBDなでたりさすったり抱きついたりする
山神遥拝所29奈良県桜井市初瀬 与喜天満神社与喜山・与喜天満神社の遥拝所とされる岩石。BA
奈良県BBA
八王子社29奈良県桜井市初瀬 与喜天満神社八王子社の祠の下に存在する岩石。BABC
鵝形石29奈良県桜井市初瀬 与喜天満神社天照大神が降臨したという岩石。BABA
奈良県C
沓形石29奈良県桜井市初瀬 与喜天満神社春日大明神あるいは天児屋根命が降臨したという岩石。BABA
奈良県C
掌石29奈良県桜井市初瀬 与喜天満神社太玉命が降臨したという岩石。BABA
奈良県C
千度まいり石29奈良県桜井市初瀬 与喜天満神社千度参りの際の礼拝石。BBA
与喜山 A地点北西岩石群/磐座29奈良県桜井市初瀬 与喜山/天神山2基の石灯籠を従えて玉垣の後ろに控える岩石。塔のように大きく三段から構成される岩石で、高さ3.1mを測る。
与喜山 A地点南東岩石群29奈良県桜井市初瀬 与喜山/天神山A地点北西岩石群から南東へ10mほど進むと、急斜面に高さ2~3mの岩々が多く露出している。
与喜山 B地点下方岩石群29奈良県桜井市初瀬 与喜山/天神山1962年に杉髙講が奉献した鳥居・灯籠・狛犬などが残る尾根先端の露岩群。
与喜山 B地点上方岩石群29奈良県桜井市初瀬 与喜山/天神山B地点下方岩石群から尾根を少し登るとスパッと鋭角的な輪郭を持つ立石が存在。
与喜山 C地点岩石29奈良県桜井市初瀬 与喜山/天神山天神山北側から登る登山道の入口東側に立地。石祠がまつられている背後に露岩がある。
与喜山 D地点岩石群29奈良県桜井市初瀬 与喜山/天神山山頂尾根の南端に立地する東西隣り合わせの2体の岩石。西側の巨岩は高さ2~3m、幅5mほどの単体の横長石。東側の巨岩は、小さめの岩石が2個横並びになっていて、その上に支石墓の掌石のごとく高さ2m・幅5mほどの巨石が乗っかかっている構造を有する。
陽神29奈良県桜井市初瀬 与喜山/天神山『長谷寺密奏記 裏付』(13世紀頃成立)に「伊弉諾尊也。東山腰石座御。南。」とある。所在未特定だが、A地点南東岩石群の可能性がある。BAB今現在確認がとれていない岩石
陰神29奈良県桜井市初瀬 与喜山/天神山『長谷寺密奏記 裏付』(13世紀頃成立)に「伊弉冉尊也。東山腰石座御。北。」とある。所在未特定だが、A地点北西岩石群の可能性がある。BAB今現在確認がとれていない岩石
光神29奈良県桜井市初瀬 与喜山/天神山『長谷寺密奏記 裏付』(13世紀頃成立)に「月弓尊也。東山北谷石座御。上。」とある。所在未特定だが、B地点上方岩石群の可能性がある。BAB今現在確認がとれていない岩石
雨神29奈良県桜井市初瀬 与喜山/天神山『長谷寺密奏記 裏付』(13世紀頃成立)に「同谷石座御。下。」とある。所在未特定だが、B地点下方岩石群の可能性がある。BAB今現在確認がとれていない岩石
賀茂大明神29奈良県桜井市初瀬落神『長谷寺密奏記 裏付』(13世紀頃成立)に「河中大石座御」とある。賀茂の雷神が瀧蔵権現から毘沙門天の宝塔を奪い取り去る途中でこの川中の岩石に落ちたという。下の屏風岩と同一物の可能性もある。初瀬ダム建設により水没。BABA今は存在しない岩石別の神から宝塔を奪い取った雷神が落ちた岩石。
奈良県BABC
屏風岩29奈良県桜井市初瀬落神高さ4.8mの三角形状の岩石に宝篋印塔と梵字の線刻がなされ、頂部に祠をまつっていたという。天落神六社権現の1つ。戦の時に塀代わりに使われたともいう。初瀬ダム建設により水没。BABC今は存在しない岩石
奈良県BAC
落神 山側斜面の岩盤29奈良県桜井市初瀬落神高さ97cmの宝篋印塔を刻んだ岩盤で、天落神六社権現の1つ。初瀬ダム建設により水没。BAC今は存在しない岩石
天落神六社権現 岩石祭祀事例29奈良県桜井市和田 天落神六社権現初瀬ダム建設により水没した岩石群を偲び、和田地区に遷座した天落神六社権現の境内に新たにまつられた宝篋印塔を刻んだ岩石。CB水没した岩石祭祀の場を偲んで、新たに清浄な岩石に宝篋印塔を刻んで遷座先にまつる。
弥勒菩薩石仏29奈良県桜井市瀧倉 瀧蔵神社境内にまつられた弥勒菩薩の石仏。A
観音屋敷29奈良県桜井市瀧倉 瀧蔵神社大小の岩石群が散在している場所。神聖視有無不明。
中谷休憩所 岩石祭祀事例29奈良県桜井市瀧倉 瀧蔵神社中谷休憩所という鞍部に存在する、注連縄の巻かれた岩石の割れ目から樹木が生えた事例。詳細由来不明。岩石割れ目から樹木、またはその逆
瀧蔵神社 岩石祭祀事例29奈良県桜井市瀧倉 瀧蔵神社拝殿の前に注連縄を巻かれた岩石。詳細由来不明。
猿田彦之命29奈良県桜井市小夫猿田彦之命の神名が表面に刻まれた岩石。人工的に築かれた石檀の上に置かれており神聖視されたことは確かだが、詳細由来不明。 December 12, 2025
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旅のお裾分け。二見浦✨夫婦岩をのぞむ景色が美しく、潮風が心地よくて、大好きな場所です☺️
本当は二見興玉神社→外宮→内宮の順に参拝するのが正式ですが、一日でそれをすると、内宮の参拝時間が遅くなってしまうので、翌朝にゆっくり訪問。観光参拝でも、真心がこもっていれば良いと思います😌 https://t.co/6S3S7rMXjC December 12, 2025
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笑い石37香川県三豊市仁尾町 大蔦島陰石状の岩石で姫岩神社とも呼ばれる。神楽石と一緒に参ると家庭円満という。A
桃太郎岩37香川県三豊市仁尾町 大蔦島桃太郎伝説になぞらえた岩石。C
烏帽子岩37香川県三豊市仁尾町 大蔦島烏帽子の形状に似た岩石。EC
ひき石37香川県三豊市仁尾町 大蔦島島の沿岸に集まる3個の岩石。人によって見えるものが違うという。
平石37香川県三豊市仁尾町 大蔦島島の沿岸に浮かぶ頂面平らの岩礁。EC
弁天岩/立石38愛媛県越智郡上島町 生名島高さ約5mの立石。生名島で採れない石材といわれるが原産地は不明。A
立石山遺跡38愛媛県越智郡上島町 生名島島頂に大小の岩石が群集しており、そこから弥生中期・古墳時代の遺物出土。弥生時代の遺物は祭祀用というよりも高地性集落説が高い。岩石群の合間から弥生土器・小型円筒形磨き石・石斧・石鏃・石包丁・ナイフ形石器・須恵器・土師器・貝殻類・川原石の出土。
磐座38愛媛県四国中央市三島中央1丁目 三島神社玉垣内に囲まれた空間内に大小の岩石群が存在。屋敷神の旧鎮座地といわれている。C
竜宝石/鯛寄せの石38愛媛県四国中央市三島中央1丁目 三島神社元々は沖合いにあった岩石でここから毎日鯛が釣れるため、神秘的な岩石と思った庄屋が自宅の庭に岩石を運搬してきたところ不幸が相次いだ。毎日海水を岩石にかけて海の神を拝んだところ災いは収まった。明治時代になって庄屋の子孫が三島神社に奉納した。A祟り伝承鯛が寄ってくる岩石を欲しいと思って自宅に持ち込んだ人に対して祟りを起こす。祟りを鎮めるため岩石に海水をかける。その後神社に奉納する。
愛媛県BBC水をかける・水に漬かる
愛媛県原位置から移動伝承
愛媛県可動的性質
立石遺跡38愛媛県四国中央市土居町津根字立石巨石下から銅矛先端1点出土。
天狗岳38愛媛県西条市 石槌山石鎚毘古命そのものを表す岩山。A頂上が岩山
天柱石38愛媛県西条市 石槌山
牛石/入日滝遺跡38愛媛県今治市大三島町台入日滝安神山南麓の台川上流入日滝にある「牛石」という岩石の中から集中して手捏土器約20点・土師器約1000点出土。
甑石38愛媛県松山市北条除夜に炊事の湯気が立ち上るという高さ6mの白石。甑石を砕いた石片を火打石にする風習があり、その代替に別の小石を乗せておくと甑石と一体化して甑石が損傷することはないという。EB岩石に損傷を加える行為岩石を欠く代わりに別の岩石を乗せておく。
愛媛県岩石が満ち欠け・増減・出産する
愛媛県岩石から煙・光・火・気などが出る
弥勒様38愛媛県大洲市 神南山女神南の頂上にある2体の立石を中心とする岩石群。雨乞いの霊験があるという。A
オショウブ岩38愛媛県大洲市 神南山山頂にあり、下部に洞穴状の岩屋を有する岩石。
ドンビ岩38愛媛県大洲市 神南山卵形の岩石。
八畳岩38愛媛県大洲市 神南山ドンビ岩の直下十数町の位置にある扁平楕円形の緑泥片岩。この岩石の下には金の茶釜が眠っていると伝えられている。EC黄金の何かが隠されているという伝説
盤珪禅師の座禅石/如法寺山頂巨石遺跡38愛媛県大洲市 冨士山/如法寺山山頂にある机状の岩石。盤珪禅師の座禅石。C休み石・腰掛石
仏岩/高山メンヒル38愛媛県大洲市高山ニシノミヤ 高山寺山/高山高さ4.75mの立石。岩石の表側は仏菩薩で、岩石の裏側は神が宿るとされる。かつて石材として麓に運び出されたが、翌日には元の場所に戻っていたという。眼の病に霊験がある。鳥居龍蔵によりメンヒル認定された代表例としても有名。A岩石が動く
愛媛県眼病に効く
愛媛県近代以降の命名
疣岩38愛媛県大洲市高山ニシノミヤ 高山寺山/高山高さ約2mの岩石。
神石38愛媛県大洲市高山ニシノミヤ 高山寺山/高山神田神社の下にあるドルメン状の岩石。神石として畏敬されているという。A
通仙岳38愛媛県大洲市高山ニシノミヤ 高山寺山/高山信仰対象としての霊石。A
高地イラズ38愛媛県大洲市高山ニシノミヤ 高山寺山/高山通仙岳の上部の山頂に広がる岩石群。地元の人が近づかなかった場所。BCA禁足地
朝立台遺跡38愛媛県西予市三瓶町朝立山腹にある巨石の周辺と山麓から古墳後期の土師器出土。
覗き石39高知県高岡郡檮原町-愛媛県上浮穴郡久万高原町 地芳峠峠にあり穴が貫通した岩石が立つ。高知側の永野・峰の段集落の人々が6/28に石槌山を遥拝する場所。BBA石に開いた穴を通して遠くの山を遥拝する。
灯明巌39高知県安芸郡安田町唐浜岬に屹立する岩石。夜や異変の前触れには岩が発光するという。EB岩石から煙・光・火・気などが出る
礫石39高知県高知市一宮町 土佐神社別の場所に鎮まっていた神が、新しい鎮座地を求めて放り投げて落ちた岩石。土佐神社鎮座の起源を物語る神跡。C
禊岩39高知県高知市一宮町 土佐神社禊神事を行なう斎場にあり、祓の神徳がある岩石。河川工事に伴い現在地に移転された。BCB可動的性質
高知県Aここで自らを整える・清める
大山祇神社の岩39高知県高知市天神町 潮江天満宮本殿の裏にある岩石。岩石の上に石祠がまつられている。BABC
八畳岩39高知県高知市柴巻麓・太平洋の眺望が良い平たい岩場。EC
ゴトゴト石39高知県高知市土佐山押すとゴトゴト揺れ動くことから名付けられた岩石。EC岩石が動く
お菱岩39高知県高知市春野町甲殿高さ約20mの菱形の岩石。詳しい由来は伝わっていない。EC
屏風岩39高知県高知市春野町甲殿住吉神社の奥の院の裏に控える屏風状の岩石。EC
烏帽子岩39高知県高知市春野町甲殿お菱岩の近くにあったという奇岩怪石。戦後破壊されたという。今は存在しない岩石
お亀岩39高知県高知市春野町甲殿お菱岩の近くにあったという奇岩怪石。戦後破壊されたという。今は存在しない岩石
蝙蝠岩39高知県高知市春野町甲殿お菱岩の近くにあったという奇岩怪石。戦後破壊されたという。今は存在しない岩石
鳩岩39高知県高知市春野町甲殿お菱岩の近くにあったという奇岩怪石。戦後破壊されたという。今は存在しない岩石
お舟岩39高知県高知市春野町甲殿お菱岩の近くにあったという奇岩怪石。戦後破壊されたという。今は存在しない岩石
唐人駄馬遺跡39高知県土佐清水市奇岩怪石の群れがあり、縄文時代の石器が採集されているが、祭祀場として機能していたかは不明。
おなで石40福岡県北九州市門司区奥田 淡島神社体の悪い所をこれでなでると快方に向かったり、お腹をさすると子宝安産になるという小石の群れ。BBDなでたりさすったり抱きついたりする
福岡県可動的性質
蛇の枕石/夜泣き石40福岡県北九州市小倉北区篠崎 篠崎八幡宮恋仲の女蛇に会えない男蛇が夜毎この岩石を枕にして泣き続けたという。八雲の神が哀れに思って男蛇を竜神に変えて女蛇のいる場所へ導いたという。子供の夜泣き、恋愛成就に霊験があるという。CC
恋占い石40福岡県北九州市八幡東区祇園 仲宿八幡宮目をつぶり、この岩石に辿り着くことができたら恋愛成就という占い石。BBD
女郎岩/上﨟岩/日峯山遺跡40福岡県北九州市八幡西区浅川日の峯 日峯山山頂直下の斜面上に立地していた立石。周辺は岩場。玉依毘売命由縁の岩石という。手前から古墳時代中期以降の土師器群が出土。発掘調査後、倒壊の危険があるため麓の日峯神社境内に移設された。山頂で祭祀を行なわず、山頂直下の岩石を磐境・磐座に見立てて祭祀を行なったと推測される事例。C原位置から移動伝承山頂で祭祀をせず、山頂直下の岩石の手前で祭祀を行なう。
福岡県BCA
福岡県BA
国見岩40福岡県北九州市八幡西区浅川日の峯 日峯山隠岐国焼火神社祭神の大日孁貴尊がこの岩石の上に腰掛けて隠岐島を偲んだという。C
琵琶岩40福岡県北九州市八幡西区浅川日の峯 日峯山隠岐国焼火神社祭神の大日孁貴尊がこの岩石の上で琵琶を弾いて四方を鎮めていたという。C神が岩石の上で琵琶を弾いて国土を鎮める。
福岡県BCC
古代祭場跡/磐境40福岡県北九州市八幡西区山寺町 一宮神社神武天皇が東遷の折に、この地で天神地祇を奉祭したといわれる場所。奥に方形の敷石施設、手前に円形の敷石施設を配し、敷石の中心に常磐木を立てる。C石を方形・円形に敷き詰めて、中央に常磐木を立てて祭祀する。
福岡県BCA
福岡県BABB
高宮40福岡県宗像市田島 宗像大社辺津宮宗像大神の降臨を迎えていたという社殿祭祀以前の祭祀場。列石を持って祭場を区画した施設。BCA
福岡県C
沖ノ島 1号遺跡40福岡県宗像市 沖ノ島露天祭祀の遺跡。東南隅に大石があり、その周囲平坦面一帯を石塁で祭壇状に構築した遺構。8-10世紀初頭の各種祭祀遺物が出土。BCA
沖ノ島 3号遺跡40福岡県宗像市 沖ノ島露天祭祀の遺跡。巨岩の横に接しているが露天上であり、巨岩との関連性は不明。
沖ノ島 4号遺跡/御金蔵40福岡県宗像市 沖ノ島岩陰祭祀の遺跡。巨岩と巨岩が積み重なり、巨岩下に洞穴状の隙間が形成された遺跡。古墳時代の遺物も見つかっているが、中世以降も様々な用途で再利用された空間と見られる。BCA
沖ノ島 5号遺跡40福岡県宗像市 沖ノ島半岩陰・半露天祭祀の遺跡。複数の巨岩が折り重なって形成された岩陰から露天上にかけて、土器を中心とした祭祀遺物の出土。BCA
沖ノ島 6号遺跡40福岡県宗像市 沖ノ島岩陰祭祀の遺跡。巨岩岩陰で列石を以て祭祀空間を区画している遺構。6-7世紀代の各種祭祀遺物が出土。BCA
沖ノ島 7号遺跡40福岡県宗像市 沖ノ島岩陰祭祀の遺跡。巨岩の岩陰床面を石英斑岩の剥片で若干整えた痕跡が見られる。中央に玉類、東側に武器類、西側に馬具類という規則的な遺物配置が確認されている。BCA
沖ノ島 8号遺跡40福岡県宗像市 沖ノ島岩陰祭祀の遺跡。7号遺跡と同じ巨岩の岩陰で、7号遺跡とは背中合わせの位置。岩陰の奥方中央に大石があり、そこから玉類が大量に見つかったため大石を祭祀対象とした可能性が高いと考えられている。BCA
福岡県BAA
沖ノ島 9号遺跡40福岡県宗像市 沖ノ島岩陰祭祀の遺跡。
沖ノ島 10号遺跡40福岡県宗像市 沖ノ島岩陰祭祀の遺跡。
沖ノ島 11号遺跡40福岡県宗像市 沖ノ島岩陰祭祀の遺跡。
沖ノ島 12号遺跡40福岡県宗像市 沖ノ島岩陰祭祀の遺跡。
沖ノ島 13号遺跡40福岡県宗像市 沖ノ島岩陰祭祀の遺跡。
沖ノ島 14号遺跡40福岡県宗像市 沖ノ島半岩陰・半露天祭祀の遺跡。
沖ノ島 15号遺跡40福岡県宗像市 沖ノ島岩陰祭祀の遺跡。
沖ノ島 16号遺跡40福岡県宗像市 沖ノ島岩上祭祀の遺跡。東にさらに高い巨岩(18号遺跡)が望める位置。礫石を敷いて上に祭祀具を配置していたと推測され、遺物は5-6世紀代で新旧あり岩上祭祀でも最終段階に属す遺跡と考えられている。BCA
福岡県BCC
福岡県BCD
沖ノ島 17号遺跡40福岡県宗像市 沖ノ島岩上祭祀の遺跡。北にさらに高い巨岩(18号遺跡)が望める位置。表面を上にして鏡を積み重ね、鏡と鏡の間には車輪石や礫石を挟んで固定し、それら遺物の上から石を積んで蓋をしている。BCC祭祀具を礫石などで挟んで固定し、さらに祭祀具の上から石を積んで蓋をする。
福岡県BCD
沖ノ島 18号遺跡40福岡県宗像市 沖ノ島岩上祭祀の遺跡。周辺一帯で最高所の位置にある岩上にて、原形をとどめていないが複数の石組状遺構が確認されている。三角縁神獣鏡・石釧・玉類など4世紀後半に遡る遺物が出土し、沖ノ島最古級の祭祀遺跡と見られる。また、18号遺跡の巨岩は16・17・19号の祭祀対象だったと推測されている。BCC
福岡県BCD
福岡県BA
沖ノ島 19号遺跡40福岡県宗像市 沖ノ島岩上祭祀の遺跡。南にさらに高い巨岩(18号遺跡)が望める位置。岩上において、赤土・歴史床面を整え、列石で区画して壇を作り、壇上に石を敷いて祭壇状にしている。一帯からは滑石製玉類が多めの各種祭祀遺物が出土。BCA
福岡県BCC
福岡県BCD
沖ノ島 20号遺跡40福岡県宗像市 沖ノ島半岩陰・半露天祭祀の遺跡。中央に金属製品、左側に滑石製品、右側に土器類を配置した様子が確認される。BCA
沖ノ島 21号遺跡40福岡県宗像市 沖ノ島岩上祭祀の遺跡。巨岩の頂部平坦面において方形区画の列石を配し、区画内に岩塊を置いた遺構。岩塊周囲から5世紀前-中の各種祭祀遺物出土。BAA自然の巨岩の上で、方形区画の列石内に岩塊を置いて祭祀対象とする。
福岡県BCA
福岡県BABB
福岡県BCC
福岡県BCD
沖ノ島 22号遺跡40福岡県宗像市 沖ノ島岩陰祭祀の遺跡。巨岩の庇岩陰部分に列石が構築され祭祀場を区画しており、6-7世紀代の各種祭祀遺物が出土。BCA自然の巨岩が織り成す庇岩陰部分を天井面に利用して、地表面には列石で区画して祭祀空間を形成する。
沖ノ島 23号遺跡40福岡県宗像市 沖ノ島岩陰祭祀の遺跡。巨岩が折り重なる洞穴状空間から各種祭祀遺物が出土。BCA
鎭懐石40福岡県糸島市二丈深江 鎭懐石八幡宮神功皇后が三韓征伐の際、2個の卵石を腰に巻いて陣痛を鎮めた。帰還後、当地に2個の卵石を奉献したことから鎭懐石八幡宮がまつられた。BBB秘匿されている岩石2個の岩石を腰に巻いて陣痛を鎮める。
福岡県BBD可動的性質
福岡県BBC
福岡県C
香合石/神籠石40福岡県糸島市前原町 雷山雷神が三種の神器を中に収納したといわれる香箱形の岩石。BCD
福岡県C
亀石40福岡県福岡市東区志賀島 志賀海神社神功皇后が三韓征伐の際、阿曇磯良が亀に乗ってやって来た伝承にちなんで、後世に奉納された岩石。BBC
俎石/俎岩40福岡県嘉麻市田島大隈 鮭神社鮭神社祭礼の際、豊玉姫が鮭を使いに向かわせ、鮭神社祭神であり息子である葺不合尊に対して、鮭がこの岩石から礼拝する。また、その鮭をこの岩石の上で清めて神社に奉納する。BBA神の使いである鮭が拝礼するポイントであり、さらにその鮭を清めて奉納する場でもある。
福岡県BCD
古大間池遺跡40福岡県糟屋郡粕屋町滑石の露頭があり、滑石製模造品など滑石製品の原産地・採掘地として利用された。DA
礫石40福岡県糟屋郡篠栗町 若杉山麓香椎の神が若杉山から無断で杉を持っていこうとしたため、若杉山の神が怒って香椎の神に投げつけた2個の岩石の名残。C神々の力比べ・喧嘩
王墓の上石40福岡県春日市須玖 須玖岡本遺跡弥生時代の甕棺墓の直上地表面に置かれていた細長い岩石。墓標・蓋石などの役割を担っていたと考えられている。原位置から移動伝承
カマト石/鼎石/仙竃石/竃門岳40福岡県太宰府市 宝満山トライアングル上に立つ3体の岩石。その様子が鼎の脚部に見立てられこの名が付いた。天神地祇が湯浴みをするために釜湯を沸かせた場所という。C
釜石40福岡県太宰府市 宝満山カマト石の上に乗せた釜が石化したもの。貞享年間(1684-87)『竃門山旧記』に記載があるが実物は所在不明。C今現在確認がとれていない岩石
釜ノ蓋石40福岡県太宰府市 宝満山カマト石の上に乗せた釜の蓋が石化したもの。貞享年間(1684-87)『竃門山旧記』に記載があるが実物は所在不明。C今現在確認がとれていない岩石
針ノ耳戸/石門40福岡県太宰府市 宝満山心蓮上人と玉依姫命(金剛神)が出会った場所。C
馬蹄石40福岡県太宰府市 宝満山上宮の直下に存在。金剛神の竜馬の蹄の跡が残った岩石。C岩石表面に印・痕・模様が残る
宝城窟40福岡県太宰府市 宝満山役小角が修行していたという岩屋の1つ。窟内に湧水源があり、窟内から多数の土師器と少数の瓦器・陶器片が出土。窟外からは遺物出土なし。BCE岩穴・窟
福岡県C
福城窟40福岡県太宰府市 宝満山役小角が修行していたという岩屋の1つ。BCE岩穴・窟
福岡県C
釼窟40福岡県太宰府市 宝満山役小角が修行していたという岩屋の1つ。BCE岩穴・窟
福岡県C
大南窟40福岡県太宰府市 宝満山役小角が修行していたという岩屋の1つ。8世紀末-13世紀前半の土師器・須恵器・瓦器・陶磁器出土。BCE岩穴・窟
福岡県C
藤窟40福岡県太宰府市 宝満山役小角が修行していたという岩屋の1つ。BCE岩穴・窟
福岡県C
宝塔窟40福岡県太宰府市 宝満山役小角が修行していたという岩屋の1つ。BCE岩穴・窟
福岡県C
釜蓋窟40福岡県太宰府市 宝満山役小角が修行していたという岩屋の1つ。BCE岩穴・窟
福岡県C
宝ノ岩屋/雨宝ノ岩屋40福岡県太宰府市 宝満山役小角がにわか雨をしのいだ場所。後に雨宝童子が安置される。C岩穴・窟
福岡県BCA
福岡県BAC
笠窟40福岡県太宰府市 宝満山
行者堂跡40福岡県太宰府市 宝満山文保2年(1318年)銘の梵字が刻まれた岩石。
上宮遺跡/上宮裏遺跡/岩棚遺跡40福岡県太宰府市 宝満山上宮社殿の背後に断崖絶壁があり、崖下10mに平坦面を持つ岩棚があり、ここから8世紀後半-9世紀代の土師器・須恵器・灰釉陶器が出土。崖の上から投げ込まれたものと類推される。DB土師器杯には油煙の付着したものが多く、灯明皿として用いられた可能性が高い。土器の中には穿孔したものもあった。
普池窟40福岡県太宰府市 宝満山
袖すり岩40福岡県太宰府市 宝満山馬蹄石の下方にある岩石。袖を擦るほどの隙間を進む場所。EC
遠見岩40福岡県太宰府市 宝満山眺望の良い場所にある岩石。EC
座頭墓40福岡県太宰府市大字北谷字大黒字昔から手を触れることが禁じられている石積。畑地内にある。EA禁忌が厳しい
岩間40福岡県筑紫野市大字武蔵字池上 天拝山荒穂神社山腹の神社の背後に存在する露岩群。荒穂明神が鎮座したといわれる岩石群。BA
福岡県C
馬蹄石/神籠石40福岡県久留米市御井町 高良山高良大菩薩がこの地に降臨した時、乗っていた馬の蹄が付いた岩石。この馬蹄跡を踏んで山を登ると足が軽くなるという。BABA岩石表面に印・痕・模様が残る
福岡県C
八葉之石畳/蓮花石40福岡県久留米市御井町 高良山高良大菩薩が一夜の内に築いた列石。現在、一般的に高良山神籠石と呼ばれている遺構のことを指す。C
大日窟40福岡県豊前市 求菩提山修験行者が修行していたという求菩提山の5つの窟の内の1つ。BCE岩穴・窟
普賢窟40福岡県豊前市 求菩提山修験行者が修行していたという求菩提山の5つの窟の内の1つ。BCE岩穴・窟
多聞窟40福岡県豊前市 求菩提山修験行者が修行していたという求菩提山の5つの窟の内の1つ。BCE岩穴・窟
吉祥窟40福岡県豊前市 求菩提山修験行者が修行していたという求菩提山の5つの窟の内の1つ。BCE岩穴・窟
阿弥陀窟40福岡県豊前市 求菩提山修験行者が修行していたという求菩提山の5つの窟の内の1つ。BCE岩穴・窟
求菩提山山頂岩石群40福岡県豊前市 求菩提山山頂の自然の露岩群。修験道以前の信仰の場ともいわれている。
タマタマ石/霊霊石/玉玉石41佐賀県三養基郡基山町大字宮浦 基山山頂にある岩石。五十猛命が腰掛けて四方の国土を眺めていたという場所。岩石手前の平坦地は荒穂神社の旧社地といわれる。C休み石・腰掛石
右の石/子宝石41佐賀県三養基郡基山町大字宮浦 荒穂神社腰掛けると安産になるという岩石。BBD休み石・腰掛石
中の石41佐賀県三養基郡基山町大字宮浦 荒穂神社荒穂明神と高良明神が石を投げあい、高良明神が投げた方の石。高良明神の指の跡が表面に残るという。C神々の力比べ・喧嘩
佐賀県岩石表面に印・痕・模様が残る
左の石41佐賀県三養基郡基山町大字宮浦 荒穂神社荒穂明神が馬に乗って基山から降臨した時、馬の蹄跡が付いた岩石。BABA岩石表面に印・痕・模様が残る
佐賀県C
神頭石41佐賀県佐賀市大和町 下田山/肥前大和巨石パーク神様の頭に形が似ている岩石。ずっと見つめていると自分の先祖の顔が浮かんでくるという。EC
道祖神石41佐賀県佐賀市大和町 下田山/肥前大和巨石パーク3つの岩石が集積して若干の室状空間を形成している。ここにやってきた人の道中安全の守護神という。A岩穴・窟
兜石41佐賀県佐賀市大和町 下田山/肥前大和巨石パーク武将の兜に形が似ていることから名付けられた岩石。EC
御舟石41佐賀県佐賀市大和町 下田山/肥前大和巨石パーク下田山の石神が航海に使用した船といわれる岩石。C
龍の石41佐賀県佐賀市大和町 下田山/肥前大和巨石パーク天に昇っていく龍の様子に似ていることから名付けられたという岩石。大願成就の神。A
佐賀県EC
石神/世田姫/造化大明神41佐賀県佐賀市大和町 下田山/肥前大和巨石パーク『肥前国風土記』佐嘉郡条に登場する世田姫と呼ばれる石神。女神石と男神石という2体の岩石からなる重岩で、下部は通り抜けが可能な岩窟状の空間がある。明治時代の中頃まで、麓の與止日女神社の上宮として毎年11月20日に祭りが行なわれていた。A岩穴・窟
イナリ石41佐賀県佐賀市大和町 下田山/肥前大和巨石パーク倉稲魂(稲荷神)の石神。オニギリの形をしているからイナリ石と名付けたともいう。A
佐賀県EC
誕生石41佐賀県佐賀市大和町 下田山/肥前大和巨石パークここから全ての動物が生まれたという岩石。子孫繁栄・夫婦和合・腹ごみ(子宝)の霊験がある神。麓の眺望が良い。A岩石が満ち欠け・増減・出産する
屏風石41佐賀県佐賀市大和町 下田山/肥前大和巨石パーク屏風のような形をした岩石。EC
烏帽子石41佐賀県佐賀市大和町 下田山/肥前大和巨石パーク烏帽子に似た形状の岩石。下部には狭い室状空間が形成されている。EC岩穴・窟
御座石41佐賀県佐賀市大和町 下田山/肥前大和巨石パーク神様が佐賀平野を眺める時に座っていたとされる岩石。あるいは、悟りを開くための場所。C
佐賀県BCE
天神石41佐賀県佐賀市大和町 下田山/肥前大和巨石パーク天神さま(菅原道真)をまつる岩石。A
雄神石41佐賀県佐賀市大和町 下田山/肥前大和巨石パーク男子としての面目を立たせるように強気をくじき弱きを助け、仁義を重んじるように指導した神様といわれている。A
神籠石41佐賀県佐賀市大和町 下田山/肥前大和巨石パーク神を守る岩石。重岩状になっており、下部には僅かな洞穴状の隙間があるが、狭いので通り抜けは不可能。BD岩穴・窟
天の岩門41佐賀県佐賀市大和町 下田山/肥前大和巨石パーク岩でできた門のように形成されている重岩。高千穂の天岩戸に似ていることから命名された。EC
蛙石/コウジンドック41佐賀県佐賀市大和町 下田山/肥前大和巨石パーク弘法大師を上に勧請したという岩石。蛙のような形状をしていることから名付けられたともいう。BABA
佐賀県EC
たもと石41佐賀県佐賀市大和町 下田山/肥前大和巨石パーク近くの寺の修行僧達が、自分達の服の袂に石を入れて振り回し飛ばし合いをしたところ、その内の1個がここまで飛んできたのだという。EC
金精さん41佐賀県佐賀市大和町 與止日女神社石棒。與止日女命がこの石に触れて子宝を願ったところ健やかな赤ん坊が生まれたという。性神・生産神・塞の神として信仰された。河上神社から移設。BBD原位置から移動伝承
佐賀県Aなでたりさすったり抱きついたりする
石壁神社/石壁社41佐賀県鹿島市古枝 祐徳稲荷神社萬子媛が入定したほこらを明治時代に神社としてまつったもの。萬子媛が80歳の時に神社裏山の石壁に穴を開けたものという。BAC聖者が亡くなった場所
佐賀県岩穴・窟
水鏡41佐賀県鹿島市古枝 祐徳稲荷神社岩石の窪みに溜まった水。萬子姫が生前、物事の吉凶や予知を水に映る姿を見て占っていたという。BBD
石壁山 岩石祭祀事例(1)41佐賀県鹿島市古枝 祐徳稲荷神社祠の中に注連縄の巻かれた岩石があり、その岩石上に石祠がまつられる。BABC
石壁山 岩石祭祀事例(2)41佐賀県鹿島市古枝 祐徳稲荷神社素組みの建屋内に岩壁があり、手前に小鳥居が捧げられている。
石壁山 岩石祭祀事例(3)41佐賀県鹿島市古枝 祐徳稲荷神社祠の中に注連縄の巻かれた岩石があり、その岩石上に石祠がまつられる。(1)と同様の構造。BABC
石壁山 岩石祭祀事例(4)41佐賀県鹿島市古枝 祐徳稲荷神社岩石を基部に置いて木造祠が建つ。石祠が岩石上に建つのと同原理。BABC
岩本社41佐賀県鹿島市古枝 祐徳稲荷神社岩本大神をまつる社。岩石の存在が見当たらないが、神名から考えて社殿内に存在する可能性もある。
岩崎社41佐賀県鹿島市古枝 祐徳稲荷神社岩崎大神をまつる社で、縁結びの神とされる。祠の背後に単体の岩塊が控えている。
鹿島市浜新方 岩石祭祀事例41佐賀県鹿島市浜新方民家の敷地内。石壇の上に1個の岩塊が置かれ、注連縄が巻かれている。岩石の上には皿が置かれている。
男岩(立神岩/夫婦岩)41佐賀県唐津市湊玄界灘に面する海岸沿いに形成された、高さ約40mを誇る玄武岩の立岩。立岩群の狭間に人工的に岩窟が形成されており、内部には仏像を収めた石祠がまつられている。A岩穴・窟
女岩(立神岩/夫婦岩)41佐賀県唐津市湊玄界灘に面する海岸沿いに形成された、高さ約40mを誇る玄武岩の立岩。立岩群の狭間に人工的に岩窟が形成されており、内部には仏像を収めた石祠がまつられている。A岩穴・窟
望夫石41佐賀県唐津市呼子町 田島神社松浦佐用姫が、新羅へ出征する夫との別離を悲しみ泣き続けた挙句石化したもの。後世、秀吉が腰掛けると岩石が熱を持ちむくむくと動き、小便をかけたら大波が来て小便を洗い流したため、恐れて神領百石を寄進した。C生き物が石化したもの
佐賀県熱を持つ岩石
佐賀県岩石が動く
太閤祈念石41佐賀県唐津市呼子町 田島神社秀吉が祈願成就するなら2つに割れよと念じて槍を突いたら2つに割れた岩石。BBD偉人が真っ二つに割った岩石祈願成就の是非を念じて石を2つに割る
佐賀県C
岩戸神社42長崎県雲仙市瑞穂町西郷丁岩戸神社の本殿は自然岩壁の裾に形成された洞穴内にまつられている。BCA岩穴・窟
景華園遺跡42長崎県島原市景華園弥生~鎌倉の複合遺跡。重量20t前後の巨大な掌石を用いた支石墓が出土。
カンゴ石42長崎県島原半島体調を崩した殿様をこの石の上で休ませたら回復したことからまつられるようになったという岩石。BBD休み石・腰掛石
長崎県A
原山支石墓群/原山ドルメン42長崎県南島原市北有馬町原山縄文時代最晩期に築かれた現存46基の支石墓。
天ヶ原遺跡/セジョウガミ42長崎県壱岐市勝本町天ヶ原東触菖蒲坂セジョウガミと呼ばれる石祠の基壇に巨石が使われており、この巨石下から銅矛3点出土。BABC
大野台遺跡42長崎県佐世保市鹿町町大形の岩石数体が集在する地点の南に接して土坑が掘り込まれ、その中から銅鐸袋部・土器・玉が出土。本遺跡は支石墓が多いので、構造から見て支石墓の可能性もあり。今は存在しない岩石
王位石/生石/湧き出し大明神42長崎県北松浦郡小値賀町 野崎島慶雲元年(704年)勧請の沖ノ神島神社の背後にそびえる高さ約24mの石組状構造物。2本の石柱の上に平石が横渡しされており、人工・自然によるものかは不明。地中から湧き出した鳥居といい、年に米粒1粒分ずつ大きくなっているという。沖ノ神島神社大明神が平石の上に降臨したと伝えられる。A岩石が満ち欠け・増減・出産する
長崎県BABA突如出現した岩石
長崎県BCA
腹痛石42長崎県対馬市豆酘 海岸神功皇后と武内宿禰がそれそれ腰かけたという2個の岩石。この岩石を踏んだり、2個の間を通ると腹痛になるといわれた。現在は消失。C休み石・腰掛石
長崎県祟り伝承
長崎県今は存在しない岩石
押戸石/押戸岩/押戸ノ石43熊本県阿蘇郡南小国町中原 押戸石山鬼がお手玉をして遊んでいたという岩石群。足で踏むと雨が降るので登ってはいけないという。近年ペトログリフがあるということで注目されているが真相は不明。EC岩石を踏むと雨が降るので雨乞い儀礼に使えそうだが、雨乞いを伝える祭祀記録は残っていない。
前不動岩(不動岩)43熊本県山鹿市蒲生山腹に屹立する岩峰状の巨岩。中世、行者が山中に不動明王をまつりその行場として用いられたという。BCE
中不動岩(不動岩)43熊本県山鹿市蒲生山腹に屹立する岩峰状の巨岩。中世、行者が山中に不動明王をまつりその行場として用いられたという。BCE
奥不動岩(不動岩)43熊本県山鹿市蒲生山腹に屹立する岩峰状の巨岩。中世、行者が山中に不動明王をまつりその行場として用いられたという。BCE
岩倉さん/米原岩倉遺跡43熊本県山鹿市菊鹿町大字米原丘陵先端部に高さ8m程の巨岩が数体存在。「岩倉さん」と呼ばれ、かつては雨乞いの祭祀対象だったという。付近から瓦片・五輪塔片が見つかったことから、堂宇が存在した可能性もある。A磐座と石神の性格が混在している事例
熊本県BA
鹿央岩倉遺跡43熊本県山鹿市鹿央町大字岩倉標高185mの山頂に、一昔前まで正月などに参拝する者も多かったという巨岩。1940年前後、鳥居龍蔵によって刀剣1点が発見されているという。1976年には江戸時代の寛永通宝が発見された。A磐座と石神の性格が混在している事例
熊本県BA December 12, 2025
1RP
奥津磐座G群29奈良県桜井市 三輪山樋口清之氏グルーピングによる高宮神社の北西方向の岩石群。環状列石のような配置を見せる好資料という。禁足地内につき詳細不明。禁足地
奈良県近代以降の命名
百目石29奈良県桜井市 三輪山月山谷にある名前の付く岩石。大神神社神地課が「典型的なものとして折紙をつけた磐座」の内の1つ。禁足地内につき詳細不明。禁足地
鏡石29奈良県桜井市 三輪山オーカミ谷中腹にある名前の付く岩石。大神神社神地課が「典型的なものとして折紙をつけた磐座」の内の1つ。禁足地内につき詳細不明。禁足地
登拝道磐座(1)29奈良県桜井市 三輪山登拝口と山ノ神遺跡と三光の滝の3ポイントのほぼ中間に立地。三光谷の入口に位置し、登拝口から徒歩約10分の地点。禁足地
登拝道磐座(2)29奈良県桜井市 三輪山三光の滝から尾根を約15分登った山腹に、杉の巨木と共に注連縄の結界が張られた岩石群が存在。中津磐座に相当するものか。禁足地
登拝道磐座(3)29奈良県桜井市 三輪山(2)地点から5分ほど登った路傍にあり、人工的に小石を配して磐境状に仕立てた祭り場。賽銭が捧げられている。置銭・投銭祭祀
奈良県禁足地
登拝道磐座(4)29奈良県桜井市 三輪山視界の開けた広めの尾根を登り、傾斜がやや急になる坂の途中に露岩群があり、注連縄を張られている。禁足地
登拝道磐座(5)29奈良県桜井市 三輪山坂を登りきって、山頂やや下方の登拝道に注連縄の巻かれた磐座。二重に注連縄が巻かれている。(5)(6)(7)は互いに近接。禁足地
登拝道磐座(6)29奈良県桜井市 三輪山坂を登りきって、山頂やや下方の登拝道に注連縄の巻かれた磐座。(5)(6)(7)は互いに近接。禁足地
登拝道磐座(7)29奈良県桜井市 三輪山坂を登りきって、山頂やや下方の登拝道に注連縄の巻かれた磐座。(5)(6)(7)は互いに近接。禁足地
白山29奈良県桜井市辻眞言律宗巻向山奥不動寺のすぐ北にそびえる岩山。一面が岩盤露出していることから白山の名が付いたものと思われるが、神聖視・祭祀の痕跡は見られない。頂上が岩山
ダンノダイラの「磐座」29奈良県桜井市出雲ダンノダイラ急斜面の山肌に露出する岩崖を主体とし、岩崖の上にある2~3体の岩にも供献皿や注連縄が残されている。麓の出雲村の十二柱神社にはかつて社殿がなく、この「磐座」を拝む場だったという。年に一度出雲村の人々がダンノダイラへ登り飲み食いや相撲をして遊ぶという風習があったという、
天壇29奈良県桜井市出雲ダンノダイラマウンド頂部に集石が存在。冬至の日に天帝をまつるために設けた祭壇という説があるが真相不明。近代以降の命名
素盞鳴神社 岩石群29奈良県桜井市慈恩寺 素盞鳴神社本殿背後に露岩があり「磐座」ではないかとされるが由来不詳。
石神29奈良県桜井市忍坂 忍坂坐生根神社背後にある神体山の宮山に「石神」と呼ばれる約20個の自然石が存在するという。A
金剛寶磐石/磐座/大磐石29奈良県桜井市初瀬 長谷寺長谷寺本尊の十一面観音菩薩の土台に使われている岩石。天平元年(729年)8月15日の夜、突如「金剛寶磐石」が土の中から現れ、磐石には仏像をしつらえるにふさわしい足跡形の穴があったことから、ここに十一面観音菩薩を立てたといわれる。BABC突如出現した岩石仏菩薩を安置するにふさわしい自然石が突如出現する。
奈良県岩石表面に印・痕・模様が残る
ふく石29奈良県桜井市初瀬 長谷寺長谷寺本願院が江戸時代に製作した「初瀬山之図」に記載された岩石。所在未特定。今現在確認がとれていない岩石
気比神29奈良県桜井市初瀬 長谷寺『長谷寺密奏記 裏付』(13世紀頃成立)に「十一面堂東北石座御」とある。所在未特定。今現在確認がとれていない岩石
気多神29奈良県桜井市初瀬 長谷寺『長谷寺密奏記 裏付』(13世紀頃成立)に「同方南石座御」とある。所在未特定。今現在確認がとれていない岩石
宝幢神29奈良県桜井市初瀬 長谷寺『長谷寺密奏記 裏付』(13世紀頃成立)に「十一面堂西南石座御」とある。所在未特定。今現在確認がとれていない岩石
宝語神29奈良県桜井市初瀬 長谷寺『長谷寺密奏記 裏付』(13世紀頃成立)に「同方北石座御」とある。所在未特定。今現在確認がとれていない岩石
見廻不動尊29奈良県桜井市初瀬岩崖。弘法大師が長谷寺の参籠を終えて笠山へ向かう途上ここで見かえり、ここは金剛界・胎蔵界の深理が顕現した霊場であるから、入山する者は心を定め清めなければならないと述べ、山の守り神である須彌山王の上に不動明王の御形を彫ったという。A山の入口に不動明王をまつり結界とする。
奈良県BCA
菅原道真の腰掛石29奈良県桜井市初瀬与喜天満神社の御旅所。菅原道真扮する狩衣装束の老人が腰掛けていたという岩石。切石のような形状で後世創設された可能性がある。CB休み石・腰掛石
泊瀬石29奈良県桜井市初瀬かつて滝蔵神社の近くに毘沙門天を祀る祠があり、ある時この上に雷が落ちて毘沙門天の宝塔が初瀬川に流れ落ちたが、この岩石に引っかかって止まったので、この岩石を泊瀬石と呼んだという。EC
女岩(女男岩)29奈良県桜井市初瀬 与喜天満神社愛しく撫でると心のかどがとれるという岩石。BBDなでたりさすったり抱きついたりする
男岩(女男岩)29奈良県桜井市初瀬 与喜天満神社愛しく撫でると心のかどがとれるという岩石。BBDなでたりさすったり抱きついたりする
山神遥拝所29奈良県桜井市初瀬 与喜天満神社与喜山・与喜天満神社の遥拝所とされる岩石。BA
奈良県BBA
八王子社29奈良県桜井市初瀬 与喜天満神社八王子社の祠の下に存在する岩石。BABC
鵝形石29奈良県桜井市初瀬 与喜天満神社天照大神が降臨したという岩石。BABA
奈良県C
沓形石29奈良県桜井市初瀬 与喜天満神社春日大明神あるいは天児屋根命が降臨したという岩石。BABA
奈良県C
掌石29奈良県桜井市初瀬 与喜天満神社太玉命が降臨したという岩石。BABA
奈良県C
千度まいり石29奈良県桜井市初瀬 与喜天満神社千度参りの際の礼拝石。BBA
与喜山 A地点北西岩石群/磐座29奈良県桜井市初瀬 与喜山/天神山2基の石灯籠を従えて玉垣の後ろに控える岩石。塔のように大きく三段から構成される岩石で、高さ3.1mを測る。
与喜山 A地点南東岩石群29奈良県桜井市初瀬 与喜山/天神山A地点北西岩石群から南東へ10mほど進むと、急斜面に高さ2~3mの岩々が多く露出している。
与喜山 B地点下方岩石群29奈良県桜井市初瀬 与喜山/天神山1962年に杉髙講が奉献した鳥居・灯籠・狛犬などが残る尾根先端の露岩群。
与喜山 B地点上方岩石群29奈良県桜井市初瀬 与喜山/天神山B地点下方岩石群から尾根を少し登るとスパッと鋭角的な輪郭を持つ立石が存在。
与喜山 C地点岩石29奈良県桜井市初瀬 与喜山/天神山天神山北側から登る登山道の入口東側に立地。石祠がまつられている背後に露岩がある。
与喜山 D地点岩石群29奈良県桜井市初瀬 与喜山/天神山山頂尾根の南端に立地する東西隣り合わせの2体の岩石。西側の巨岩は高さ2~3m、幅5mほどの単体の横長石。東側の巨岩は、小さめの岩石が2個横並びになっていて、その上に支石墓の掌石のごとく高さ2m・幅5mほどの巨石が乗っかかっている構造を有する。
陽神29奈良県桜井市初瀬 与喜山/天神山『長谷寺密奏記 裏付』(13世紀頃成立)に「伊弉諾尊也。東山腰石座御。南。」とある。所在未特定だが、A地点南東岩石群の可能性がある。BAB今現在確認がとれていない岩石
陰神29奈良県桜井市初瀬 与喜山/天神山『長谷寺密奏記 裏付』(13世紀頃成立)に「伊弉冉尊也。東山腰石座御。北。」とある。所在未特定だが、A地点北西岩石群の可能性がある。BAB今現在確認がとれていない岩石
光神29奈良県桜井市初瀬 与喜山/天神山『長谷寺密奏記 裏付』(13世紀頃成立)に「月弓尊也。東山北谷石座御。上。」とある。所在未特定だが、B地点上方岩石群の可能性がある。BAB今現在確認がとれていない岩石
雨神29奈良県桜井市初瀬 与喜山/天神山『長谷寺密奏記 裏付』(13世紀頃成立)に「同谷石座御。下。」とある。所在未特定だが、B地点下方岩石群の可能性がある。BAB今現在確認がとれていない岩石
賀茂大明神29奈良県桜井市初瀬落神『長谷寺密奏記 裏付』(13世紀頃成立)に「河中大石座御」とある。賀茂の雷神が瀧蔵権現から毘沙門天の宝塔を奪い取り去る途中でこの川中の岩石に落ちたという。下の屏風岩と同一物の可能性もある。初瀬ダム建設により水没。BABA今は存在しない岩石別の神から宝塔を奪い取った雷神が落ちた岩石。
奈良県BABC
屏風岩29奈良県桜井市初瀬落神高さ4.8mの三角形状の岩石に宝篋印塔と梵字の線刻がなされ、頂部に祠をまつっていたという。天落神六社権現の1つ。戦の時に塀代わりに使われたともいう。初瀬ダム建設により水没。BABC今は存在しない岩石
奈良県BAC
落神 山側斜面の岩盤29奈良県桜井市初瀬落神高さ97cmの宝篋印塔を刻んだ岩盤で、天落神六社権現の1つ。初瀬ダム建設により水没。BAC今は存在しない岩石
天落神六社権現 岩石祭祀事例29奈良県桜井市和田 天落神六社権現初瀬ダム建設により水没した岩石群を偲び、和田地区に遷座した天落神六社権現の境内に新たにまつられた宝篋印塔を刻んだ岩石。CB水没した岩石祭祀の場を偲んで、新たに清浄な岩石に宝篋印塔を刻んで遷座先にまつる。
弥勒菩薩石仏29奈良県桜井市瀧倉 瀧蔵神社境内にまつられた弥勒菩薩の石仏。A
観音屋敷29奈良県桜井市瀧倉 瀧蔵神社大小の岩石群が散在している場所。神聖視有無不明。
中谷休憩所 岩石祭祀事例29奈良県桜井市瀧倉 瀧蔵神社中谷休憩所という鞍部に存在する、注連縄の巻かれた岩石の割れ目から樹木が生えた事例。詳細由来不明。岩石割れ目から樹木、またはその逆
瀧蔵神社 岩石祭祀事例29奈良県桜井市瀧倉 瀧蔵神社拝殿の前に注連縄を巻かれた岩石。詳細由来不明。
猿田彦之命29奈良県桜井市小夫猿田彦之命の神名が表面に刻まれた岩石。人工的に築かれた石檀の上に置かれており神聖視されたことは確かだが、詳細由来不明。
八つ岩/八ッ岩/八箇岩/八龍王八箇石29奈良県天理市長滝町日の谷素戔男尊に斬られた八伎大蛇が八つの蛇となって天に昇り、水雷神となって聚雲の神剣に付き従って降臨した際の岩石という。朱鳥元年(686年)6月、石上神宮神主の布留宿邑智が「東の高山に神剣が発光して八つの竜が座す」という夢を見たので翌日に現地へ行ったところ、霊石八箇があり、傍らに現れた小童の口から「この地に降臨して人々を守ろうと思う」という神託があったため、出雲建雄神社を造ってまつった。BAA生き物が石化したもの八岐大蛇が八つに分裂して降臨した姿とも、八岐大蛇が降臨した岩石ともいう。
奈良県BABA突如出現した岩石
奈良県CA最初の一回だけ磐座機能
天狗岩29奈良県天理市長滝町日の谷八つ岩の近くに残るという地名。今現在確認がとれていない岩石
九頭神社 岩石29奈良県天理市長滝町 九頭神社本殿の背後にある岩石。神聖視有無不明。
八龍王八箇石29奈良県天理市 大国見山八伎大蛇が素盞鳴命に八つ裂きされたのが天から落ちてきた名残の岩石群。日の谷の八つ岩との関連性は不明。
大阪山口神社 岩石群29奈良県香芝市穴虫 大阪山口神社本殿の背後にある露岩群。神聖視有無不明。
石光山 岩石群29奈良県御所市元町 石光山触ると火が出るといわれている巨岩群。隣接して祠がまつられている。山名の由来の可能性もある。石組・石室状の構造を持つものもあるが自然・人為含めて不明点が多い。石光山古墳群の群集墳の合間に存在する。祟り伝承
奈良県岩石から煙・光・火・気などが出る
奈良県古墳が近接
唐笠山 十一面観音29奈良県御所市朝町 唐笠山大穴持神社の鎮座する唐笠山の山頂近くにある露岩。岩石表面に十一面観音が線刻されているという。A
平群石床神社/岩神29奈良県生駒郡平群町越木塚 平群石床神社旧社地里山の裾に露出する岩壁。石床という名と立地から元は磐座だった可能性があり、江戸時代の絵図には岩神と書かれていることから、後世に石神に変化したと考えられる。陰石として女性の病や下半身の病に霊験がある。BABA磐座から石神に変化し、社殿なしのまま神社としてまつる。
奈良県A
神籠石/神護石29奈良県生駒郡平群町越木塚 石床神社拝殿の奥に置かれている岩石。詳細由来不明。
舟石/船石29奈良県生駒郡平群町三里 宮山延喜式内船山神社の祭神が降臨した時に乗った船とされる3体の船形石。CA物品が石化したもの
陽石29奈良県生駒郡平群町三里 船山神社麓の現・船山神社境内に置かれた立石。宮山中腹の中ノ宮(船山神社旧社地)から移設したものという。原位置から移動伝承
夫婦岩/天狗岩/三間石山巨石遺構29奈良県生駒郡平群町櫟原字三石3体の巨岩を中心に大小の岩石群が群集。現在、3体の内の2体に、多数の木の枝が岩に立てかけられている。『住吉大社神代記』の中の、住吉大神が母木里(東大阪市豊浦町付近)と高安国(大阪府八尾市付近)の境に置いた「諍石」に該当するという説がある。岩石に多数の木の枝を立てかける。
十三塚 祭壇状石組29奈良県生駒郡平群町福貴畑塚の手前に、岩石を用いて方形に囲った遺構。区画内に何らかの祭祀具を置いたものと推測されるが確証はない。築造時期は江戸中期以前といわれるが特定できていない。
十三峠地蔵菩薩29奈良県生駒郡平群町福貴畑峠の道標の横に立てられ、明和2年(1765年)の製作の石仏。A
両童子岩29奈良県吉野郡天川村 大峯山高さ約10mの2体の立岩。修験者が一方に登り、その後もう一方に飛び移る修行をする場。BCE巨岩に登り、別の巨岩に飛び移る修行。
子安石30和歌山県新宮市阿須賀 阿須賀神社子安社としてまつられる岩石。子宝安産を祈願する人々が、王子が浜から白石を拾い子安石に奉納して願掛けをする。A可動的性質
和歌山県BBC
蓬莱山遺跡30和歌山県新宮市阿須賀 蓬莱山山中の上オンビ・下オンビと称する場所から、自然石を壁として利用し、その前面三方に石を組み合わせた石室遺構が見つかり、そこから平安~室町時代の御正体194枚や経塚関係遺物(経筒片・経石など)が出土。他に弥生時代の土器、古墳時代の手づくね土器・滑石製模造品も出土。BCD経塚関係山中の自然石を利用して石室を作り、それを経塚とする。
千引岩/千引の岩/宮井戸遺跡30和歌山県新宮市蓬莱かつて海岸の小島だったとされる場所で、飛鳥行人が祭祀していた場所ともいい、黄泉道守命をまつる宮井戸社があった。弥生土器と一字一石経が出土し、千引岩の表面には鎌倉時代あるいは室町時代の「キリーク(大威徳明王)」「カーンマーン(不動明王)」の梵字が刻まれている。A
白玉稲荷神社30和歌山県新宮市蓬莱社殿に接して3体の球状の巨岩が存在。
ゴトビキ岩/琴引岩/神倉山遺跡30和歌山県新宮市神倉 神倉山神倭国磐余彦が熊野に上陸して最初に祈願した霊地「天磐盾」の上部、あるいは、高倉下命が高甕雷神から神剣を授かった場所、さらには熊野三所大神が最初に地上に降臨した場所といわれる巨岩。岩の裾部から中世の経塚群や弥生時代の銅鐸などが出土した。BCC経塚関係司祭者が座す場所でありながら、神が降臨する場所でもある。銅鐸と経塚の伴出。
和歌山県BABA
和歌山県BCD
鏡石(那智の七石)30和歌山県東牟婁郡那智勝浦町 熊野那智大社大門坂に所在。七石
唐斗石(那智の七石)30和歌山県東牟婁郡那智勝浦町 熊野那智大社大門坂に所在。七石
平石(那智の七石)30和歌山県東牟婁郡那智勝浦町 熊野那智大社実方院跡に所在。七石
三ッ石(那智の七石)30和歌山県東牟婁郡那智勝浦町 熊野那智大社珍重庵右横に所在。七石
烏石(那智の七石)30和歌山県東牟婁郡那智勝浦町 熊野那智大社熊野那智大社の遥拝所奥にある岩石。神倭国磐余彦の道案内をした八咫鳥が石化したというもの。C七石
和歌山県生き物が石化したもの
和歌山県秘匿されている岩石
笈掛石(那智の七石)30和歌山県東牟婁郡那智勝浦町熊野那智大社と青岸渡寺の間に所在。七石
降石(那智の七石)30和歌山県東牟婁郡那智勝浦町 青岸渡寺宿坊の尊勝院の裏庭に所在。天から落ちてきたという岩石。七石
和歌山県可動的性質
河内様/河内神社/清暑島30和歌山県東牟婁郡古座川町古座川に浮かぶ小島で、島全体が河内神社としてまつられている。島頂に一枚岩が存在。古座川の川神をまつる場所。BABC禁足地7月の河内祭では、河内様に古座川の清水(潮)を奉納する。
西の倉30和歌山県東牟婁郡古座川町河内様の上流にそびえる岩山。EC
重畳山30和歌山県東牟婁郡串本町橋杭岩と同じ成因による岩脈が残る山。山内に重畳山神社・神王寺と石仏群が存在。EC
橋杭岩30和歌山県東牟婁郡串本町串本の沖から紀伊大島に向かって立ち並ぶ岩の列。太古のマグマによって形成された岩脈が、黒潮の浸食で削られたもの。弘法大師あるいは太吉という村の正直者が一晩で架けようとした橋脚の跡と伝えられる。C
和歌山県EC
高塚の森30和歌山県東牟婁郡串本町潮岬潮御崎神社の神域とされる森。マウンドと露岩群があり、応神天皇の侍従の墓と伝えられ、かつて小祠があったという。マウンド南西に列石・土堤・平坦地形が指摘され、測量調査が実施される。また、夏至に平坦地形からマウンドを望むと、露岩群から太陽が上ってくることが確認され、高塚の森は太陽祭祀の場だったとする説が出されたが、そのことを裏付ける文献記録や遺物の存在に欠ける。夏至の日に、平坦地からマウンドの露岩の頭上に日の出の太陽を望む太陽祭祀の可能性が指摘されている。
盃岩30和歌山県東牟婁郡串本町潮岬 旭之森神功皇后が酒宴を催した際に杯を置いたという岩石。C
阪田山遺跡 環状配石遺構30和歌山県西牟婁郡白浜町阪田山腹斜面に自然露出の岩盤が広がり、その下方に弧状列石、焚火址2ヶ所・環状配石を検出。環状配石遺構は、大小の砂岩16個を直径約1mの環状に配置され、配石の内側からは臼玉約2000点の他、包含層上部からは有孔円板・剣形製品・勾玉・管玉が偏って出土した。環状配石は祭祀具配置空間を明示する遺構あるいは祭祀終了後の廃棄場所を区画する遺構だった可能性がある。BCD環状配石の内外で土砂の種類、遺物の出土点数に差がある。配石内に遺物があまりに多量ということと、臼玉とそれ以外の遺物に出土位置の差が見られるため、祭祀具配置・埋納・廃棄跡など様々な機能が推測される。
和歌山県DB
阪田山遺跡 弧状列石30和歌山県西牟婁郡白浜町阪田岩盤の下方斜面に弧状・壇状に配された岩石群。自然の露岩の可能性もある。
阪田山遺跡 岩盤30和歌山県西牟婁郡白浜町阪田遺跡における祭祀対象と推測されている岩盤。遺跡中最も最高所の斜面に立地。
かろと石30和歌山県田辺市秋津川僧が石を煮て食べ、行をしてから岩石の中に入り、そのまま出なかった。これをかろと石と呼ぶ。BCE岩石の中に籠る
和歌山県BAC
白山 岩石群30和歌山県有田郡有田川町 白山田殿丹生神社の裏山である白山の中腹に、数十mはあろうかという巨岩が屹立し麓から仰ぐことができる。磐座ではないかという説があるが、歴史的に裏付ける明確な資料が確認できない。白山自体は神聖視されており、山頂に白山神社が鎮座。
タテリ岩/一の宮(岸宮遺跡)30和歌山県紀の川市貴志川町岸宮山頂にある高さ5.5mの蛇紋岩。康平6年(1063年)、ここに最初に宮を建てて一の宮と称したとの貴志川八幡宮の社伝がある。CA
中宮/中の宮/上の宮(岸宮遺跡)30和歌山県紀の川市貴志川町岸宮康平6年(1063年)に一の宮を設けた30年後、山腹に遷座して上の宮と称したといわれる場所で、多くの自然石が群集している。周辺一帯の自然石の上面や岩陰から奈良時代~平安時代の和鏡・鐸形銅製品が見つかっている。CA
岸宮中宮遺跡 環状配石遺構(岸宮遺跡)30和歌山県紀の川市貴志川町岸宮中宮の自然石の群れの西に隣接。20数個の角礫を直径約1.5mの環状に巡らせた遺構で、石同士は粘土で固定され、配石内部は石敷きがされていた。1mほど東からは常時湧水を溜めていた井戸遺構を検出。周辺一帯から奈良時代~平安時代の和鏡・鐸形銅製品・魚形銅器・滑石製有孔石製品・土師器・須恵器・黒色土器・瓦器・緑柚陶器などの遺物が出土。
岸宮中宮遺跡 敷石遺構(岸宮遺跡)30和歌山県紀の川市貴志川町岸宮環状配石遺構の西に隣接。周辺一帯から奈良時代~平安時代の和鏡・鐸形銅製品・魚形銅器・滑石製有孔石製品・土師器・須恵器・黒色土器・瓦器・緑柚陶器などの遺物が出土。
前庭/庭園/石組(岸宮遺跡)30和歌山県紀の川市貴志川町岸宮 貴志川八幡宮社殿前の石段脇にある岩石群。安土桃山時代の製作の庭園とされているが、山裾の磐座に手を加えたものとする説もある。EC
七福の庭30和歌山県和歌山市 和歌山城紀州徳川藩祖の徳川頼宣が、紀州藩の隆盛を祈念して1621年(元和7年)に作った石庭。七福神が船に乗っている様子を岩石に擬して配置したもの。かつて本丸御殿の中央にあったが1923年に現在地に移転した。BBC原位置から移動伝承人工的に信仰対象の岩石を製作・奉献して守護神にする。
和歌山県A
弁財天山30和歌山県和歌山市 和歌山城南かつて和歌山城敷地内にあったとされる岩山。麓には紀州徳川勧請神社・子供観音があるほか、山の神の石碑が残されている。頂上が岩山
後醍醐天皇お腰掛けの岩31鳥取県西伯郡大山町御来屋後醍醐天皇が腰掛けた岩石。この岩石に船をつないでおくと流されることはないという。CC休み石・腰掛石
産石31鳥取県米子市橋本 阿陀萱神社天から落ちてきた岩石で、産石神社を建ててまつったという。A可動的性質
金鶏石31鳥取県米子市上新印 圓福寺箱と蓋の2つから構成される岩石構造物で、中には金の鶏(鳩とも)が入っており、元旦に泣いて福を与えてくれたという。かつて別の場所の寺にあり、小僧が開けてしまい金鶏は逃げてしまったので、和尚は逃げてしまった現在地に寺と金鶏石ごと移転したという。BAC黄金の何かが隠されているという伝説
鳥取県EC原位置から移動伝承
赤猪岩31鳥取県西伯郡南部町寺内 赤猪岩神社倭国神話で大国主命を焼き殺した猪岩を土中に封印し、その上に大きな蓋石と玉垣を施し禁忌とした。EA可動的性質不敬の岩石を土中に埋め、蓋石で封じ込める。
鳥取県BBB禁忌が厳しい
越路遺跡31鳥取県鳥取市越路宮丸山立地は麓近くの丘陵斜面。地表下約0.5-1mの辺りで、大ぶりの板石の下から銅鐸1出土。今は存在しない岩石
影石31鳥取県鳥取市用瀬町 三角山三角山頂上の三角山神社周辺に存在する自然石。
重石31鳥取県鳥取市用瀬町 三角山三角山頂上の三角山神社周辺に存在する自然石。
富士石31鳥取県鳥取市用瀬町 三角山三角山頂上の三角山神社周辺に存在する自然石。
天狗石31鳥取県鳥取市用瀬町 三角山三角山頂上の三角山神社周辺に存在する自然石。
万灯石31鳥取県鳥取市用瀬町 三角山三角山頂上の三角山神社周辺に存在する自然石。
双履石31鳥取県鳥取市国府町宮下 宇倍神社武内宿禰が亡くなる前に残したといわれる草履の石化したもの。地中に竪穴式石槨が眠っていることが分かり、古墳石材の一部ということが判明した。C物品が石化したもの
鳥取県遺物・遺構の再利用
岡益の石堂31鳥取県鳥取市国府町岡益安徳天皇陵と伝えられる石造遺構。石檀の上に板石で側壁を造り、中心にエンタシス調の石塔を立てた構造物。製作年代、元来の用途共に不明。聖者が亡くなった場所
羽衣石31鳥取県東伯郡湯梨浜町 羽衣石山天女が水浴びをするため自らの羽衣をかけていた岩石。裾に天女をまつる祠を設けている。C
安産岩31鳥取県東伯郡東郷町宮内 宮内倭文神社難産に苦しんだ妊婦が宮内倭文神社に祈願したところ、この岩石の前で安産したという。以降、安産の霊験を持つ岩石として信仰される。A
春日シヌン谷遺跡32島根県八束郡東出雲町春日シヌン谷露岩群の裾から手捏土器など出土。平野部からかなり奥まった丘陵斜面に位置するが、露岩群の近くに住居址状のテラス4ヶ所検出。今は存在しない岩石
座王さん32島根県松江市鹿島町佐陀本郷 恵曇神社恵曇神社祭神の磐坂日子命が腰掛けたという岩石。C休み石・腰掛石
志谷奥遺跡32島根県松江市鹿島町佐陀本郷字志谷奥高さ1.5mほどの2体の巨石の1.5mほど離れた場所の地中の下層から銅鐸2点、上層から銅剣6点が整然と出土。今は存在しない岩石
元宮/磐座32島根県松江市八雲町熊野 天狗山出雲国一宮熊野大社の元宮と伝えられる山頂付近の露岩群。現在は毎年5月に供物を捧げる元宮祭が行なわれている。BA
島根県CA
犬石32島根県松江市宍道町 石宮神社大国主命が狩りをしていた犬が石化したもの。C生き物が石化したもの
猪石32島根県松江市宍道町 石宮神社大国主命が狩りをしていた猪が石化したもの。C生き物が石化したもの
女夫岩さん/宍岩さん/女夫岩遺跡32島根県松江市宍道町白石2体の巨岩を中心とし、手前に石壇を有する遺跡。古墳時代中期・後期の土器、近世・近代の遺物が出土。石壇も近世・近代のものと推測される。『出雲国風土記』の猪石の候補地。
真玉/真玉さん/願い石32島根県松江市玉湯町 玉作湯神社湯山主之大神(大己貴命)としてまつられてきた自然の丸石。近年「願い石」と呼ばれ、「叶い石」を使った信仰が生まれる。A近代以降の命名願い石に水をかけて、その後、叶い石を願い石に当てると、願い石の霊力が叶い石に分け与えられ、お守りの石になるという。
島根県BBD
叶い石32島根県松江市玉湯町 玉作湯神社神社で販売している小石。この小石を願い石に当てると、願い石の霊力が叶い石に移り、自分のお守りになるという。近年考案された祭祀。BBD近代以降の命名願い石に水をかけて、その後、叶い石を願い石に当てると、願い石の霊力が叶い石に分け与えられ、お守りの石になるという。
御守石32島根県松江市玉湯町 玉作湯神社勾玉の原石。別の場所に保管されていたが、近年の「願い石」信仰を受けて境内に移設されて名付けられる。BD近代以降の命名
夫婦岩32島根県雲南市大東町須賀 八雲山山腹に立地する、須賀神社の奥宮とされる3体の巨岩を中心とする岩石群。それぞれ須佐之男命・奇稲田比売命・清之湯山主三名狭漏彦八島野命をまつる。BAC
島根県CA
大岩32島根県雲南市加茂町岩倉大岩の下には金鶏がおり、大晦日にだけ鳴き声を出し、それを聞いた者は巨万の富を得ることができるという。EC黄金の何かが隠されているという伝説
矢櫃神社 岩石群32島根県雲南市加茂町岩倉矢櫃神社の旧社地の背後に露出する岩石群。岩倉の地名の元ともいわれるが詳細由来不明。
成長石32島根県雲南市三刀屋町多久和 飯石神社ある日突然天から落ちてきた岩石といい、日に日に岩石が大きくなるので、村人達が神様として神社を建ててまつったのが飯石神社の始まりという。明治時代の遷宮工事の際、この岩石の周辺から古墳時代の須恵器片が出土した。A突如出現した岩石
島根県岩石が満ち欠け・増減・出産する
島根県可動的性質
岩坪/岩坪さん/岩坪明神32島根県出雲市東神西町 那売佐神社川床の岩盤に甌穴が開いたもの。神が生まれた時に産湯に使ったという。甌穴は普段砂で埋まっているが、旱魃の時に砂を掘り出して雨乞いすると雨が降るという。C岩穴・窟甌穴に埋まった砂を掘り出すと雨が降る。
島根県BBD
烏帽子岩/石神32島根県出雲市多久町 大船山『出雲国風土記』に記載された楯縫郡神名樋山の石神。日照りの時に雨乞いをすると必ず雨が降るという。A
小石神32島根県出雲市多久町 大船山『出雲国風土記』に記載された、楯縫郡神名樋山の石神の周囲に群集する百余の小石神。この一帯及び付近の滝壺から古墳時代の土師器片が発見されている。A石神の周囲に付き従って百余の小石神の存在が記載される。
島根県BD
命主神社遺跡32島根県出雲市大社町 出雲大社命主神社は出雲大社の境内摂社。江戸時代の社殿改修時、社殿背後の大岩の下から弥生時代の銅戈4点、ヒスイ製勾玉が出土した。今は存在しない岩石
首岩32島根県出雲市佐田町反辺 多倍神社素盞鳴尊が退治した鬼の首を地中に埋め、地表に岩石で蓋をして封じたもの。この岩石に触れると鬼の血が付くといわれている。BBB岩石から血が出る鬼の首を埋めて岩石で蓋をして鎮める。
島根県C
上方林遺跡32島根県仁多郡奥出雲町下横田字上方林丘陵斜面において配石遺構が2ヶ所で出土し、近くに須恵器大甕・金銅製金具、土馬などが配置されていたと報告されている。今は存在しない岩石
大神岩/窟32島根県飯石郡飯南町 琴引山『出雲国風土記』に記載された飯石郡琴引山の窟。内部に所造天下大神の御琴と記載された石の亀裂がある。BCA岩穴・窟神の琴を納めた窟がある。
島根県BAC岩石表面に印・痕・模様が残る December 12, 2025
1RP
黒石。天下に凶事ある時は必ず汗を流すという。かつて三福寺にあったが明治の神仏分離で神社にまつられた。神牛石は他に上野国・琵琶湖中にあるという。A原位置から移動伝承
京都府BBD岩石から煙・光・火・気などが出る
説法石26京都府向日市日蓮の孫弟子である日像上人が、この岩石の上で人々に教えを広めたという。BCC
京都府C
白石神社26京都府京都市山科区小山社殿に隣接する高さ約4m、幅約9mの岩石。由来不詳だが、境内で最も目立つ自然石のため、神社の前身の祭祀対象だったと考えられる。CA
蛙岩26京都府京都市山科区川の守り役だった蛙が石化したという岩石。C生き物が石化したもの
経岩26京都府京都市山科区修行僧がこの岩石の上で経を読んだという。道路工事を請けて一部損壊したという。BCE岩石が改変されている仏僧が岩石の上で読経する。
陰岩(陰陽岩/岩屋殿/奥之院)26京都府京都市山科区大宅中小路町 岩屋神社岩屋神社信仰の発祥といわれる石座。麓に社殿が建てられるまで栲幡千々姫命をまつっていた。陰岩の窪みにたまる水は霊水として信仰されたが、現在この水は枯れている。BA岩石に付随して恩恵の水・湯が存在する
京都府CA
陽岩(陰陽岩/岩屋殿/奥之院)26京都府京都市山科区大宅中小路町 岩屋神社岩屋神社信仰の発祥といわれる石座。麓に社殿が建てられるまで天忍穂耳命をまつっていた。BA
京都府CA
琵琶石26京都府京都市山科区四ノ宮在地町 諸羽神社人康親王が琵琶を弾きながら座っていた岩石。隣接する岩坐には注連縄と賽銭箱がある一方、琵琶石には全くないため祭祀・神聖視の段階には入っていないと考えられる。EC
岩坐26京都府京都市山科区四ノ宮在地町 諸羽神社立板状の岩石。由来不詳。C
影向石26京都府京都市山科区日ノ岡夷谷町 日向大神宮高さ約1mの立石。由来不詳。
天の岩戸26京都府京都市山科区日ノ岡夷谷町 日向大神宮人工的に穴を掘った洞穴。内部には戸隠神社の祠がまつられており、岩戸くぐりをすれば開運厄除という。CB胎内くぐり
京都府BBD
京都府BAC
かへし石/力石26京都府京都市伏見区深草鳥居崎町 藤森神社3個の岩石。京都所司代の巡検時に、この岩石をひっくり返しながら拝殿から鳥居まで転がした。氏子が持ち上げて力自慢をしたともいう。BBD可動的性質重い岩石を持ち上げたり転がしたりして、その力を誇示する。
京都府力石
京都府岩石を持ち上げられるか、軽くなるか重くなるか
大岩26京都府京都市伏見区深草向ヶ原町 大岩神社男女二人の神がそれぞれが重い病気にかかった際に、互いの献身的な看病によって病を治したことから、土地の者がその徳をたたえて神社を造り、大岩を男の神としてまつったという。A神々が偉業を成し遂げたので、村人が神社を造ってまつる。
小岩26京都府京都市伏見区深草向ヶ原町 小岩神社男女二人の神がそれぞれが重い病気にかかった際に、互いの献身的な看病によって病を治したことから、土地の者がその徳をたたえて神社を造り、小岩を女の神としてまつったという。A神々が偉業を成し遂げたので、村人が神社を造ってまつる。
奥社 立石26京都府京都市伏見区深草 伏見稲荷大社稲荷山を遥拝するための奉拝所とされる立石。BAA
京都府BBA
おもかる石26京都府京都市伏見区深草 伏見稲荷大社2基の石灯籠の頂部に乗る空輪。石灯籠の前で祈願をして、その後におもかる石を持ち上げた時、予想していたより重ければ願いは叶わず、予想よりも軽ければ願いは叶うという。BBD岩石を持ち上げられるか、軽くなるか重くなるか岩石を持ち上げて、予想よりも重いか軽いかで占う。
京都府可動的性質
御饌石26京都府京都市伏見区深草 稲荷山酒を注いだ素焼き土器70枚を御饌石の上に供え、神に生産豊穣を祈るという「山上の儀」が行なわれる。御饌石の前には、祭祀を行なう神職者専用の台座石が設置されている。BCD台座石の上に神職が座り、酒を注いだ素焼き土器70枚を御饌石の上に供える。
京都府BCC
剱石26京都府京都市伏見区深草 稲荷山人の丈より高いもので、緑がかった剱状の岩石。御剱社の社殿内にあり、剣に似た形状なので、鍛冶・金物関連の霊験を持つ岩石として信仰される。A秘匿されている岩石
雷石26京都府京都市伏見区深草 稲荷山昔ここで激しい雷が落ち、神が呪文を唱えこの岩石に雷を縛り封じたという。古くからの神跡として神聖視される。BBB聖者が与えた霊石神が雷を岩石に封じ込める。
力お大明神26京都府京都市伏見区深草 稲荷山祠の横に露岩あり。詳細は調査不足につき不明。
大岩大神26京都府京都市伏見区深草 稲荷山岩盤を大岩大神としてまつる社。A
稲荷下社神蹟26京都府京都市伏見区深草 稲荷山かつて、神を迎えて祭りを行なったとされる場で、伏見稲荷大社が定める正式なお塚。現在、神蹟であることを示す標石が設置されている。BCA古来の神蹟であることを明示するために標石を置く。
稲荷中社神蹟26京都府京都市伏見区深草 稲荷山かつて、神を迎えて祭りを行なったとされる場で、伏見稲荷大社が定める正式なお塚。現在、神蹟であることを示す標石が設置されている。BCA古来の神蹟であることを明示するために標石を置く。
稲荷上社神蹟26京都府京都市伏見区深草 稲荷山かつて、神を迎えて祭りを行なったとされる場で、伏見稲荷大社が定める正式なお塚。現在、神蹟であることを示す標石が設置されている。BCA古来の神蹟であることを明示するために標石を置く。
長者社神蹟26京都府京都市伏見区深草 稲荷山かつて、神を迎えて祭りを行なったとされる場で、伏見稲荷大社が定める正式なお塚。現在、神蹟であることを示す標石が設置されている。BCA古来の神蹟であることを明示するために標石を置く。
荷田社神蹟26京都府京都市伏見区深草 稲荷山かつて、神を迎えて祭りを行なったとされる場で、伏見稲荷大社が定める正式なお塚。現在、神蹟であることを示す標石が設置されている。BCA古来の神蹟であることを明示するために標石を置く。
田中社神蹟26京都府京都市伏見区深草 稲荷山かつて、神を迎えて祭りを行なったとされる場で、伏見稲荷大社が定める正式なお塚。現在、神蹟であることを示す標石が設置されている。BCA古来の神蹟であることを明示するために標石を置く。
御膳谷神蹟26京都府京都市伏見区深草 稲荷山かつて、神を迎えて祭りを行なったとされる場で、伏見稲荷大社が定める正式なお塚。現在、神蹟であることを示す標石が設置されている。BCA古来の神蹟であることを明示するために標石を置く。
お塚26京都府京都市伏見区深草 稲荷山岩石に神名を刻み山中に立てることで、神と参拝者の交流場としたもので、幕末・明治以降に参拝者個々人が設けた。山中に約1万基存在。BAA山中に、神名を刻した岩石を置き、自分だけの神を迎える場とする。
冠石26京都府京都市伏見区竹田浄菩提院町鳥羽上皇が鳥羽離宮を整備した時、この岩石の上に冠を置き、これを中心に設備を整えたという。EC
雷石26京都府京都市南区東九条札辻町 宇賀神社天から降ってきた岩石。あるいは、神から怒られた雷が、2度と雷を起こさないために石化したという岩石。BBB生き物が石化したもの雷を落とすなと神に怒られたので、石化する。
寛算石26京都府京都市南区西九条蔵王町筑紫国安楽寺の僧・寛算が、死後雷と化して京に禍をもたらした後、この地に落ちて石化したという岩石。後世、歯の治癒に霊験があり「歯神さま」としてまつられる。EA生き物が石化したもの神前に竹箸を供え、その箸で食事をすると歯の病に効果があり、お礼に代わりの竹箸を供える。
京都府BBB祟り伝承
京都府A
仙遊石26京都府京都市東山区 来迎院山仙人が降臨してここで遊んだという。数個の自然石からなり、その前に供物台を置いている。宮内庁陵墓管理地につき立入禁止という。C禁足地
恋占いの石/めくら石26京都府京都市東山区清水 地主神社同じ形状をした2つの岩石が距離を離して置かれている。目をつぶり、片方からもう片方までうまく辿り着いたら恋愛成就するという。岩石表面に銘板を埋め込んでいる。BBD岩石が改変されている目をつぶって、ある岩石から別の岩石へ歩いて占う。
子授け石26京都府京都市東山区 三島神社約150年前に地中から出てきた2つの岩石。陰陽の形状をしており、これを撫でた手でお腹をさすると安産という。BBDなでたりさすったり抱きついたりする岩石をなでた後に、自分の体をさする。
念仏石/鐘代わり石/カンカン石26京都府京都市東山区 青龍寺/伽羅観音本堂前に大小2つの岩石があり、天から降ってきた隕石という。勤行に際して鐘の替わりにこの石を叩いて念仏の調子をとったという。金属音が鳴る。諸願成就の霊石としての信仰もある。BE岩石に損傷を加える行為岩石を念仏の鐘代わりに叩く。
京都府BBD岩石から音声が聞こえる
縁切り・縁結び祈願石26京都府京都市東山区 安井金毘羅宮中央に亀裂が入り、下部に円形の穴を持つ岩石。縁結び・縁切りの願いを書いた形代を岩石に貼り付けて願掛けする。BBD岩穴・窟岩石に願い事を書いた形代を貼り付ける。
瓜生石26京都府京都市東山区林下町 知恩院知恩院が作られる以前から存在していたという岩石。一夜にして瓜生石に瓜のつるが繁り、実がなったという。これは祇園の牛頭天王が瓜生石の上にも降臨したからだとも、感神院新宮の神札が置かれていたのでその神威によるともいう。瓜生石の地中には、二条城への抜け道が隠されているという。BABAどこか遠い場所とつながっている岩石に一夜にして瓜の実がなる。それは岩石の上に牛頭天王が降りたとも、神札が置かれたともいう。9/14の丑の刻に、神列が瓜生石の周りを三回回る「れいけん」という祭祀が行なわれる。
京都府BABB岩石の周囲を回る
影向石26京都府京都市東山区林下町 知恩院勢至堂向かって右側の崖下の岩盤。法然が臨終を迎えた時、加茂明神がこの石の上に降臨したと伝えられる。BABA聖者が亡くなった場所
慈鎮石/慈鎮坐禅石/和尚石26京都府京都市東山区林下町 知恩院慈鎮(慈円)和尚の座禅石。元々は山門の前にあったが天和年間(1681~1684)に現在地へ移され、庭園の一角を彩る庭石となった。BCC原位置から移動伝承和尚の座禅石を庭石に転用する。
京都府C
京都府EC
二十五菩薩の庭26京都府京都市東山区林下町 知恩院知恩院所蔵「阿弥陀如来二十五菩薩来迎の図」をモチーフに作られた石庭で、石が仏菩薩、植え込みが来迎雲を表している。EC
三尊石26京都府京都市東山区林下町 知恩院方丈庭園の奥にある山亭庭園の北西隅に配された庭石。阿弥陀三尊を表現するという。EC
仏足石26京都府京都市東山区林下町 知恩院大理石の仏足石で、直立してある。C
修学院守禅庵遺跡/修学院磐座26京都府京都市左京区修学院守禅庵比叡山の登山口に存在する岩石。岩石の手前から359点の18世紀の土師器皿片を採集。一部には煤が付いていたという。現在、岩石手前には竹に紙垂が付けられた玉串が立てられている。火が絡む祭祀山裾の岩石の手前に、一部煤の付いた土師器皿を置く。
熊谷直実腰掛石26京都府京都市左京区大原勝林院町武士で法然の弟子となった熊谷直実が腰掛けた岩石。EC休み石・腰掛石
紫雲石26京都府京都市左京区黒谷町 黒谷金戒光明寺霊地を求めていた法然がこの岩石の上で念仏を唱えると、紫雲が広がり光が差し込んだことから、この地に寺を開基した。BCC
京都府C
白川子安観世音26京都府京都市左京区北白川鎌倉時代製作の巨大な石仏。白川女が商いを行なう時は、事前にここに花を供えるという。A女商人が商いを行なう前に石仏に花を供える。
弁慶背競石26京都府京都市左京区八瀬秋元町八瀬天満宮の石鳥居南側に立つ高さ2.4mの立石。弁慶が比叡山西塔より持ってきて、下山の度にこの岩石と背比べをしたという。EC原位置から移動伝承
菅公腰掛石26京都府京都市左京区八瀬秋元町 八瀬天満宮祭神である菅原道真が腰掛けた岩石。C休み石・腰掛石
義朝駒飛石26京都府京都市左京区八瀬源義朝が平治の乱に敗れ東国に敗走中、馬に乗ったまま飛び越えたという岩石。EC
真守鉄盤石26京都府京都市左京区大原野村町平安後期の刀工である大原真守が、この岩石と傍にある井泉を使って刀剣鍛冶を行なったという。EC
獅子飛石26京都府京都市左京区来迎院町 来迎院獅子がうずくまったような形状の岩石。聖応大師良忍が文殊の秘法を修していた時、この岩石が獅子となって飛び回ったという。C生き物が石化したもの
袈裟かけ石26京都府京都市左京区来迎院町 勝林院童子が阿闍梨の袈裟を洗濯し、それを乾かすためにこの岩石の上にかけた。BE聖者の装束を洗濯して、岩石の上で乾かす。
京都府EC
法然腰掛石26京都府京都市左京区来迎院町 勝林院法然が腰掛けて休んだ岩石。C
岩上神社26京都府京都市北区松ヶ崎町兵庫県明石の海中で霊光を発していた岩石。当地に持ってきて神社をまつったという。A岩石から煙・光・火・気などが出る
京都府原位置から移動伝承
京都府可動的性質
山住神社/岩倉/北岩倉/石座/石蔵26京都府京都市左京区岩倉西河原町 山住神社石座神社の旧社地で御旅所とされる山裾の露岩。桓武天皇が平安京の東西南北に一切経を埋納したという四岩倉の内の北岩倉と考えられている。BA
京都府BCD
京都府CA
翔雲台 経塚石材26京都府京都市左京区鞍馬本町 鞍馬山本殿金堂裏から発見された平安時代の経塚の蓋石。BCD原位置から移動伝承
京都府経塚関係
背比べ石26京都府京都市左京区鞍馬本町 鞍馬山遮那王尊(源義経)が頼朝に追われ奥州に逃れる時、若き日を過ごした鞍馬に名残を惜しみ、この石と自分の背丈を比べたという岩石。C
魔王殿 岩石群26京都府京都市左京区鞍馬本町 鞍馬山護法魔王尊が降臨した磐座とされる多数の石灰岩の露頭。BCA
京都府C
船形石26京都府京都市左京区鞍馬貴船町 貴船山玉依姫命が貴船川を上る時に乗っていた船を石積で覆って秘匿したもの。船形石の小石を持って帰れば交通安全の霊験がある。CC祭神の乗っていた船を石を積んで隠す。その石を持って帰れば霊験がある。
鏡岩26京都府京都市左京区鞍馬貴船町 貴船山貴船山の中腹にあり、貴船神社祭神のタカオカミノカミが降臨したという磐座。BA禁足地
京都府C秘匿されている岩石
つづみが岩26京都府京都市左京区鞍馬貴船町 貴船山鼓の形状に似ていることから名付けられた名石。EC
天の磐船26京都府京都市左京区鞍馬貴船町 貴船山近くの山奥から採出された船形の自然石を、神社の信奉者が奉献してこの名を付けた。BBC近くで採れた形の良い岩石を奉納する。
石庭「天津磐境」26京都府京都市左京区鞍馬貴船町 貴船山作庭家である重森三玲氏が作った石庭。EC
蛍岩26京都府京都市左京区鞍馬貴船町 貴船山和泉式部がこの場所で蛍を見て、和歌を詠んだという。EC
烏帽子岩26京都府京都市左京区鞍馬貴船町 貴船山大宮人が烏帽子を下ろして休息した岩石。参拝者がここで冷水を浴びて身を清めた場所ともいう。EC休み石・腰掛石
京都府BCB
弁慶石26京都府京都市中京区弁慶石町弁慶が生前大切にしていた岩石。弁慶の死後、奥州高館にあったが岩石が「三条京極に行きたい」と発声鳴動し、付近に熱病が蔓延したため、享徳3年(1454年)、この石を三条京極に安置した。EC原位置から移動伝承偉人が大切にしていた岩石が祟りをなすので、希望通り場所を移す。
京都府EA祟り伝承
京都府岩石から音声が聞こえる
京都府岩石が動く
猿田彦大神御神石/御石さん26京都府京都市上京区大倭国最初御降臨旧跡地とされる岩石。霊験のある岩石だが触れると祟りがあるという。平安京の鬼門を鎮める塞神の性格も有すると考えられる。BAA
京都府BBB
京都府CC
岩神さん/禿童石26京都府京都市上京区大黒町菅原道真の死後、道真の乳母がこの岩石を抱いて泣いたといい、その度に落雷が起こったという。元々は二条城の南辺りにあり、別の場所に移したところ岩石が吠えたり子供に化けたりしたので、仏僧が現在地に移して岩神寺の本尊としてまつった。現在は授乳の神として信仰される。EA祟り伝承祟りのある岩石を仏僧がまつる。落雷を落とす→子供に化ける→授乳の神と変遷する。
京都府A岩石から音声が聞こえる
京都府原位置から移動伝承
京都府可動的性質
登天石26京都府京都市上京区扇町 水火天満宮菅原道真の祟りで雷雨・氾濫が起こった時、法性坊尊意僧正が数珠(神剣)をかざすと、氾濫した川水が下がりその中から、岩石の上に立つ道真が現れた。雷雨が止み、道真は昇天していった。岩石は尊意によって供養をされた後、現在地に安置された。BABA原位置から移動伝承岩石の上に霊が立ち、そして昇天する。
京都府C
出世石26京都府京都市上京区扇町 水火天満宮出世した人が寄進した岩石。BBC
玉子石26京都府京都市上京区扇町 水火天満宮妊娠5ヶ月目に拝むと安産になるという岩石。BBD
蛇の枕/雨石26京都府京都市北区上賀茂本山 大田神社蛇が枕としていたという岩石。農具などでこの岩石を叩くと蛇が怒って雨を降らせるという。BBD信仰対象の荒ぶりを恩恵に変える祭祀農具などで岩石を叩くと雨が降る。
岩上26京都府京都市北区上賀茂本山 賀茂別雷神社葵祭の時、宮司がこの岩の上に座して、賀茂神が宮司の体を通して返祝詞(神の意思)を発する。BABB祭祀執行者であり信仰対象岩石に司祭者が座ると、神が司祭者に憑依して託宣をする。
京都府BCC
岩本社26京都府京都市北区上賀茂本山 賀茂別雷神社川辺の露岩の上に祠を建て、祓えの神であると同時に海上安全守護の神である住吉三神をまつる。BABC
京都府BCB
八嶋龍神26京都府京都市北区上賀茂本山 賀茂別雷神社祠内に高さ50cm強の岩石が注連縄をかけられている。A磐座と石神の性格が混在している事例
京都府BA
立砂26京都府京都市北区上賀茂本山 賀茂別雷神社細殿前にある2体の三角錐の砂山。神山を模したもので、元は神の憑依する依り代として造られたものだったが、これは清めの結界として機能している。この砂を持ち帰れば清めの砂として利用される。BCA砂
京都府BBB可動的性質
御阿礼神事の盛り砂26京都府京都市北区上賀茂本山 賀茂別雷神社砂を盛り、その上に依り代である阿礼木を立てる。砂は依り代の座としての役割を担っている。BABB砂砂で依り代を造る。
降臨石26京都府京都市北区上賀茂神山 神山禁足地の神山の山頂にあり、賀茂別雷神が降臨したといわれる岩石。BA禁足地
京都府CA秘匿されている岩石
貴布禰26京都府京都市北区上賀茂神山 貴船神社京名石と銘打たれている岩石。詳細は調査不足につき不明。
立砂26京都府京都市北区上賀茂神山 貴船神社清めの結界として盛られた砂山。BCA砂
女夫岩26京都府北区上賀茂女夫岩町昔、鴨川が氾濫を起こした後に現れた2つの岩石。外見が伊勢の夫婦岩に似ていることから名付けられたという。当初は注連縄をして信仰対象にしていたが、今はまつられておらず小学校の校庭内で子供達の遊び場となっている。柊野ダムにある岩石と女夫岩は、地中で1つの岩としてつながっているという。A岩石が地下で広範囲に根を張っている伝承
京都府EC
霊巌26京都府北区西賀茂 船山 霊巌寺寺の門前にあったという巨岩。人が通れるほどの穴を下部に持ち、信仰対象だったという。天皇が行幸する時に邪魔だと思った寺の別当が岩を破壊したが、結局行幸はなく寺も衰滅したという。A今は存在しない岩石岩石を破壊したら廃寺となった。
神降窟/降神岩/香水窟26京都府京都市北区雲ヶ畑 岩屋山志明院延喜式内の天津石門別稚姫神社がまつられていたとされる岩窟。菅原道真が製作したという眼力不動をまつる。岩窟内からは鴨川の水源となる水が湧き出て、これは難病を治す香水と称して神聖視されている。C岩石に付随して恩恵の水・湯が存在する
京都府BAC
護摩洞窟26京都府京都市北区雲ヶ畑 岩屋山志明院弘法大師が護摩を焚いたという岩窟。BCE
船岡山 岩石群26京都府京都市北区紫野北舟岡町 船岡山平安宮の北を守護する玄武の磐座と目される山頂の露岩。それを証明する明確な記録はない。周辺から歴史時代の土師器片が散布。
大平和敬神 神石26京都府京都市北区紫野北舟岡町 船岡山大本教関係の修養団捧誠会という団体が昭和45年に立てた石碑。世界平和の神の神石とされる。A近代以降の命名
力石26京都府京都市北区紫野 今宮神社力比べで持ち上げられた岩石。BBD力石
京都府BBC可動的性質
阿呆賢さん/神占石/重軽石26京都府京都市北区紫野 今宮神社この石を手でなでて、自分の体の悪い部分をさすれば、その悪い部分が治癒されるという。また、この石を3回叩いて持ち上げると重くなり、祈願して優しく石を3度さすって石が軽くなったら成就という。BBD岩石を持ち上げられるか、軽くなるか重くなるか石をなでて自分をさすると病気が治る。石を持ち上げて予想より軽くなったら祈願成就。
京都府可動的性質
京都府なでたりさすったり抱きついたりする
鏡石26京都府京都市北区衣笠鏡石町『鹿苑日録』の中で、天文5年(1536年)に鏡石が出現し、貴賎男女が競って参詣したといい、これに該当するとされる岩石。これを鏡にして女性が髪をといたとか、街道を通る牛が、鏡石に映った自分の姿に驚いて角で突いたとか、源義経が自分の姿を映したとか、紀貫之がこれをモチーフに和歌を詠んだという。昭和30年代に道路工事が行われた際に大部分が取り壊された。A岩石が改変されている
京都府EC突如出現した岩石
京都府鏡面を持つ岩石
衣笠山遺跡26京都府京都市北区衣笠衣笠山町山頂に岩盤が露出しており、平安時代の土器片が採集された遺物散布地。相関性は不明。
力石大神/力石大明神26京都府京都市北区等持院町 六請神社祈願した後に持ち上げることができれば成就という岩石。現在は持ち上げられることなく、祈願対象となっている。BBD岩石を持ち上げられるか、軽くなるか重くなるか持ち上げられたら祈願成就の霊石。
京都府A力石
京都府可動的性質
六請神社の小石奉納26京都府京都市北区等持院町 六請神社力石大神は重いため、現在は小石に性別・年齢・祈願内容を記して神前に奉納しても成就するという。BBC可動的性質石に祈願内容を書いて神に奉納する。
京都府BBA
京都府BBD
神輿岩26京都府京都市北区小野中ノ町船形の平石で、かつてここに岩戸社が鎮座していたという。
岩戸社・落葉社 岩壁26京都府京都市北区小野中ノ町社殿の背後に大きな岩壁が存在するが、神聖視の有無は不明。
双ヶ岡 岩石群26京都府京都市右京区 双ヶ岡南側の峰の山腹に露出する岩盤群。古墳が近接
足跡石26京都府京都市右京区山ノ内宮脇町 山王神社親鸞の足跡が残る岩石。C休み石・腰掛石
座石26京都府京都市右京区山ノ内宮脇町 山王神社親鸞が座った岩石。C休み石・腰掛石
男岩(夫婦岩)26京都府京都市右京区山ノ内宮脇町 山王神社女岩とセット関係。夫婦和合・子宝安産の霊験を有する岩石。夫婦岩をなでて子宝を祈願し、夫婦岩の周囲を3度左回りして安産を祈願する。初宮詣の際は梅干を供えた後に幼児の鼻を梅干の皮でつまむ。元来は本殿付近にあったものを移設したという。Aなでたりさすったり抱きついたりする岩石をなでて、周囲を3度回る。梅干を供えて幼児の鼻をつまむ。
京都府BBD岩石の周囲を回る
京都府原位置から移動伝承
女岩(夫婦岩)26京都府京都市右京区山ノ内宮脇町 山王神社男岩とセット関係。夫婦和合・子宝安産の霊験を有する岩石。夫婦岩をなでて子宝を祈願し、夫婦岩の周囲を3度左回りして安産を祈願する。初宮詣の際は梅干を供えた後に幼児の鼻を梅干の皮でつまむ。梅干の種は女岩の中央の窪みに供えて子孫繁栄を祈願する。元来は本殿付近にあったものを移設したという。Aなでたりさすったり抱きついたりする岩石をなでて、周囲を3度回る。梅干を供えて幼児の鼻をつまむ。梅干の種を女岩の窪みに供える。
京都府BBD岩石の周囲を回る
京都府原位置から移動伝承
京都府置銭・投銭祭祀
京都府岩穴・窟
大酒神社 岩石祭祀事例26京都府京都市右京区太秦蜂岡町 大酒神社大酒神社が元来まつっていたという岩石。現存含め詳細不明。今現在確認がとれていない岩石
祈念神石26京都府京都市右京区嵯峨朝日町 車折神社境内の石を家に持ち帰り日夜祈願し続けると祈願成就。成就の際はお礼の言葉を書いた石をもう1個添えて社頭に供え、その集積が石塚となり神威を示す場所となる。BBD可動的性質岩石を家に持ち帰って祈りの道具にする。石に文字を書く。奉納物の集積が石塚となる。
京都府BBC岩石が満ち欠け・増減・出産する
京都府BBA
京都府CA
またげ石26京都府京都市右京区梅津フケノ川町 梅宮大社境内の2個の岩石。嵯峨天皇妃の檀林皇后がこの岩石をまたいだところ子を授かったことから、同様のまたぎを行なうと子授け利益があるという。BBD岩石をまたいで子宝祈願。
京都府CC
産砂26京都府京都市右京区梅津フケノ川町 梅宮大社檀林皇后が出産の際に敷いたとされる神社の白砂。安産のお守りとして授けられる。BCA砂砂を敷いて安産する。
京都府CC可動的性質
影向石/熊野影向石/三石26京都府京都市右京区梅津フケノ川町 梅宮大社熊野から飛来してきた3羽の鳥が石化したという岩石。C生き物が石化したもの
猿田彦大神27京都府京都市右京区梅津フケノ川町 梅宮大社猿田彦大神の石神A
宇壽女命28京都府京都市右京区梅津フケノ川町 梅宮大社宇壽女命の石神A
源雅信墓26京都府京都市右京区御室 成就山宇多源氏の始祖である源雅信の墓とされる自然岩。BCA聖者が亡くなった場所自然石を墓標とする。
梅ヶ畑銅鐸出土地26京都府京都市右京区梅ヶ畑町山腹の「巨巌」裾の地表下から、弥生時代の銅鐸4点が入れ子になって2組状態で埋納されている状態で見つかった。御堂ヶ池群集墳が近接。「巨巌」は都市開発で消滅。古墳が近接巨岩の裾に銅鐸を入れ子にして埋納する。
京都府今は存在しない岩石
梅ヶ畑遺跡 岩塊26京都府京都市右京区梅ヶ畑町丘陵頂部に高さ1.5mの岩塊があり、その南に敷石平坦部が作られ、周囲から8世紀中葉~9世紀後葉の土器群、仏画線刻石製品1点が出土。敷石遺構は修験道の護摩壇と推測され、岩塊を祭祀対象にした平安京守護のための祭祀遺跡と考えられている。御堂ヶ池群集墳が近接。A古墳が近接山頂の自然の岩塊の前で石敷きの護摩壇を設けて都城守護の祭祀を行なう。
京都府BA磐座と石神の性格が混在している事例
梅ヶ畑遺跡 敷石遺構26京都府京都市右京区梅ヶ畑町丘陵頂部に高さ1.5mの岩塊があり、その南に敷石平坦部が作られ、周囲から8世紀中葉~9世紀後葉の土器群、仏画線刻石製品1点が出土。敷石遺構は修験道の護摩壇と推測され、岩塊を祭祀対象にした平安京守護のための祭祀遺跡と考えられている。御堂ヶ池群集墳が近接。BCD古墳が近接山頂の自然の岩塊の前で石敷きの護摩壇を設けて都城守護の祭祀を行なう。
さざれ石26京都府京都市右京区音戸山町 さざれ石山嵯峨天皇が好んで鑑賞したというさざれ石。EC
石椅子26京都府京都市右京区広沢町 児神社寛朝大僧正が広沢池のほとりで座禅をしていた時、傍らにいた子供(児神社祭神)が腰掛けていたという岩石。寿命・安産・縁結びに霊験があるという。CC休み石・腰掛石
児神社 岩石祭祀事例26京都府京都市右京区広沢町 児神社玉垣に囲われ、七福神が供えられている岩石。
広沢古墳 横穴式石室26京都府京都市右京区広沢町古墳時代の土器のほか、平安時代以降の素焼き土器や古銭などが見つかった。古墳石室を聖域空間として後世再利用したことが分かる。BCA遺物・遺構の再利用古墳の石室を中世の祭祀空間に再利用する。
広沢古墳 人面石/石神26京都府京都市右京区広沢町石室の横に建てられた木祠にまつられた石像。人面が彫られており、石室石材の転用ともいわれるが詳細沿革不明。A遺物・遺構の再利用
座禅石26京都府京都市右京区広沢町 遍照寺山寛朝大僧正がいつも座禅していた山腹の巨石。BCC
京都府C
児ヶ石26京都府京都市右京区広沢町 遍照寺山座禅石の下にある岩石。寛朝大僧正が座禅をしている傍ら、子供が枕にして眠っていたという岩石。C休み石・腰掛石
額立石26京都府京都市右京区高雄 神護寺弘法大師が「金剛峰寺」の額字を書いた時、額を立て掛けた岩石。C
硯石26京都府京都市右京区高雄 神護寺弘法大師が「金剛峰寺」の額字を書いた時、硯に使った岩石。C
神石/亀石26京都府京都市右京区 野宮神社祈りを込めてさすれば願いが叶うという岩石。なでられたからか表面は磨耗して光沢面を持つ。BBDなでたりさすったり抱きついたりする December 12, 2025
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