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古事記
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2025.11.24 10:00
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🌾新嘗祭…本日11月23日は新嘗祭でございます。
倭国国の根幹をなす尊い日、倭国という国の根源祭祀であり、最も神聖な日であります。
第1.文献上の最古記録と神話の原点
1.文献上の最古記録
(1) 『倭国書紀』推古天皇21年(613年)11月23日条に「是日、天皇新嘗」と明記されております。
(2) すでに5世紀の雄略天皇の時代には「尝新」の名で宮廷で行われていたことが確認されます。
2.神話的原点…稲霊降臨
ア.『古事記』天孫降臨の段で、天照大神が高天原の稲穂を天忍穂耳尊に授け、「豊葦原の瑞穂の国」を治めさせます。
イ.この稲こそ「稲霊」であり、新嘗祭の本質は「天皇が毎年、天照大神から賜った稲霊を新たに迎え入れ、神人共食によって国家の稲霊を更新する儀式」でございます。
第2.大嘗祭との関係と古代の暦日
1.大嘗祭は「一世一度の新嘗」にすぎません
(1) 『延喜式』にも「新嘗の儀を大に行う」とあり、毎年行われる11月23日の新嘗祭が「常儀」でございます。
(2) 即位のそれだけが特別に「大嘗祭」と呼ばれるにすぎません。
2.古代の「二卯の日」の深い意味
ア.奈良時代までは11月の「二卯の日」(卯が二度めの日)に行われていました。
イ.卯は東方・春・再生を象徴し、「二卯=再生の再生」=稲霊の再誕という呪術的意図が込められております。
ウ.平安以降に11月23日(旧暦)に固定された背景には、「二三=ふみ(踏み継ぐ)」の語呂合わせも指摘されます。
第3.令和の御代でも続く宮中の実儀
1.現在も厳粛に執り行われる一連の儀式
(1) 夕刻より悠紀殿・主基殿で新米・新酒を供える「供饌の儀」
(2) 深夜、天皇陛下が純白の大麻の御衣をお召しになり、新米を「神摺り(かみすり)」=神と共にお召し上がりになります
(3) 未明まで神楽・舞楽が奏でられます
2.2600年以上途切れず続けられる「稲霊再生の核心」でございます。
第4.祭日の喪失とその本質的意味
1.明治4年までは立派な国民の祝日でした
2.昭和23年の祝日法で「勤労感謝の日」と改められ、新嘗祭の名と深い意味が公式から消されてしまいました
3.これは天皇・稲霊・国民を結ぶ縦のつながりを意図的に断ち切る行為でもありました
第5.私たちがなすべきこと
今日という日を「ただの勤労感謝の日」ではなく、天照大神から賜った稲霊を天皇陛下が更新してくださる「国の誕生日」としていただき、心から祝い直したいと思います。
お茶碗の一粒のお米にも、太陽と水と土と農家さんの汗、そして歴代天皇が守り続けてこられた祈りが宿っております。
今日だけでも、どうか深く感謝しながらいただきましょう。
そして、いつか必ず「新嘗祭」という美しい四文字が、再び国民の祝日として復活する日が来ると信じております。
その日まで、毎年11月23日は、心の中だけでも「新嘗祭」と呼び続けましょう。
新嘗祭、本当に尊い一日でございます。
天皇陛下におかれましては、本日もご健やかに稲霊と対面され、倭国国の豊穣をお祈りくださいませ。
私ども国民は、心より御恵みをいただいております。
ありがとうございます。謹んで感謝申し上げます。
皇紀2685年11月23日 November 11, 2025
「大和は国のまほろば」
古事記に謳われた奈良は、京都とはまた違う魅力があります。小ぢんまりとまとまった街はひとりでぶらぶらするのにちょうどよく、たびたび訪れています。
今日は今年の春にデビューした観光列車「まほろば」で。車体は蘇芳色の第一編成「安寧」。 https://t.co/H29MJIecXM November 11, 2025
@hashimoto_lo 東京には、もう水害事の水を貯めるドデカイ穴が地下にあるじゃん😺
そこに埋めたらいいねん
大阪も同じ様な穴を掘ったやん
そこに埋めたらいいねん
そんで古事記・倭国書紀にある都は当時災害が少ない所に移住してんだよ
山に囲まれて地盤の硬い場所
奈良なんて埋めるには最適だし
1番いいのは⇩ November 11, 2025
すごい、この人たちVPNだったり自己申告と国が違う状態だけど
古き2chでみたような、「トリップキー(書き込み主を証明するマスターキーのようなもの)思い出せないので本人証明できません…」
で一生話が進まない状態を令和になってみるとは思わなかった。
古事記再発見してる気分だ… https://t.co/Bsmia5Vwjg November 11, 2025
古事記、卑弥呼、本能寺の変、稲荷神社の謎についての考察
少々長いですがよろしくお願いします。
昔から人類は戦争を繰り返してきました。
そして、その中でどうしたら戦争に勝てるかという事が研究されてきました。
孫子の兵法がまさにそれです。
孫子の兵法の中に「兵は詭道なり。」という言葉があります。
「戦争とは騙し合いである。」という意味だそうです。
そして戦わずして勝つ事が一番いいと説いています。
相手を騙し、有利な条件で戦う。
戦いにおいて最も有効な武器は腕力ではなくて、知力、陰謀、工作ということ。
現代においても、孫子の兵法を参考にしてる人もいるのではないでしょうか。
今の政治の世界がまさにそれですから。
ちなみに孫子の兵法は紀元前340年ごろの書物だそうです。
戦争についての定石はこの頃にはできていたということですね🤗
しかし戦争で勝っても統治するというのは難しいものです。
かつての仲間、親戚、自分の子供さえもが王にとっては仮想敵となりえます。
そして、武力で負かした相手を無理矢理服従させるということも難しい。
遺恨が残ればまた別の首長が立てられて内乱が起こる。
騙して奪い取った天下、騙されて奪い取られる未来が嫌でも浮かぶ。だから狂う。
いかに統治すれば王統を繋ぐことができるのか。これが人類史の一つのテーマだったのだと思います。
そして確立されたのが古事記(712年)、倭国書紀(720年)ではないかという事です。
統治の仕方を暗号化して神話に置き換えた。
まず、神話通りに物事を進めていけば神秘性がでます。
そしてその計画は直接的には書くことができない理由があった。
なぜ隠したかったか。
それは悪魔的だったから。
まずは簡単に整理しよう。
素戔嗚・・・部族の長、王
大国主・・・素戔嗚の婿、いずれ天照に国を譲る
事代主・・・大国主の息子、賀茂氏の祖
大物主・・・大国主に祀られた人、賀茂氏の祖
神武天皇・・・天照の血筋の男子
天照・・・素戔嗚の血筋の女性
解釈として目新しい点は天照が素戔嗚の血筋の女性というところだと思います。
私がなぜそう解釈したのか、それは倭国の戦国時代にその闇が垣間見えたからです。
まず倭国の歴史のミステリーの一つ、「本能寺の変」
天下統一を目前に家臣である明智光秀が織田信長を騙し討ち、豊臣秀吉が物凄い速さで駆けつけ天下を取る。
そしてその後、豊臣秀吉は色に耽る。
側室は20人以上。300人いたという説も。
そして最も寵愛を受けたのが淀殿で、のちに秀頼を産みます。
豊臣秀吉は色好きで、側室もこれほどいたのに秀頼しか子供が出来なかったそうです。
これもまたミステリー。
そして、秀吉が死んだ後、秀頼、淀殿は権力を握る。
その後、東軍(徳川)と西軍(豊臣)に分かれて大戦があり、西軍は滅び、江戸幕府が開かれ300年の平和が築かれた。
皆さんも、だいたいこんな感じで記憶していると思います🧐
ここで記紀の記述を当てはめてみます。
まず役者はこうです。
素戔嗚・・・織田信長(族長)
天照・・・淀殿(信長の妹の娘)
大国主・・・豊臣秀吉(淀殿の婿、No.2)
事代主・・・表に出てこない秀吉の子供達、のちの賀茂氏
神武天皇・・・豊臣秀頼(淀殿の息子)
大物主・・・徳川家康(三つ葉葵は賀茂氏の双葉葵から取った説、賀茂氏の長)
1.部族の長、崇拝されてる人物、素戔嗚を見定め、支援する。
2.素戔嗚の部下で一番有能で野心家の大国主に裏切りを提案する。(No.2を寝返らせる)
3.素戔嗚を大国主に騙し討ちさせる。(直接的に手を下すと世間体的に悪いので本能寺の変では明智光秀を挟んだ。)
4.素戔嗚の血筋の娘(茶々、のちの淀殿)を確保する。
5.その娘を天照に仕立て上げる。
6.大国主にはご褒美として好き放題させる。
7.大国主の子供達は事代主→賀茂氏→八咫烏→工作員として闇の舞台で生きることになる。(子供の出来ない秀吉の謎。)
8.大国主の死後、天照、神武に実権を握らせる。(国譲り)
9.天照や神武の醜聞を広める。(悪女説、無能説)
10.天下を二つに分け、反乱分子を炙り出し粛清する。(関ヶ原、大坂の陣などの大戦)
討ち漏らした王朝の子孫が源氏や平氏となって反乱を起こすこともあるため。
11.天照と神武を滅ぼす。
12.黒幕は大物主(徳川家康、賀茂氏の長)
13.かつての大国主の子孫達が大物主を支える手足となって暗躍する。宮司、僧侶、尼、忍者、芸人、巫女、医者(大国主は薬の神と呼ばれている)、武士など
※大物主の支援を受けられる為、一般人では太刀打ちできない。
次へ続く November 11, 2025
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