原口一博 トレンド
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2025.12.09 16:00
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異物入りロットで地獄を見た高市さん。
松下政経塾の先輩で悪性リンパ腫になってしまった原口一博氏(後日リンパ組織からワクチン由来のS蛋白が見つかった)からも情報は得ている。トランプ氏からも同様だろう。
それでも医薬複合体の流れを止められない。
これが「自民党」の限界なんでしょうね。 https://t.co/es0N0x6PPv https://t.co/rQSnh5TvA4 December 12, 2025
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#原口一博 氏にアカウントの画像を貼り付けた
攻撃を煽動するポストをされました。【国民の敵】とポストされました。私は恐怖を抱いています。
私は今、恐怖に晒されています。非常に強い恐怖を抱いています。
本当に怖いです。
みなさまの通報のご協力を賜りたくお願いします https://t.co/0OGJkr2USa December 12, 2025
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倭国は「米軍なし」でどこまで戦えるのか――多くの倭国人は、自衛隊が「いざとなれば自国を守れる」と信じている。だが現場の実態は、共同作戦計画・C2(指揮統制)・兵站の各レベルで米軍への依存を深めた結果、本格有事において日米共同シナリオから外れて倭国独自の防衛行動を選ぶ余地は、条文上こそ存在しても、運用上はほぼ封じられたに等しい。ここに、法文と実務のあいだの深刻なギャップにある。
これは、明治維新後の倭国がたどった道筋とよく似ている。倭国は40年かけて関税自主権こそ取り戻したが、実質の経済主権は英米に握られたままだった。その見返りとして、倭国は国内での外国人・外国企業の自由な活動を認め、さらに貿易条文、決済通貨、為替、保険、電信、運賃、裁判管轄といった「貿易のルール一式」を事実上、相手国に明け渡していたのである。
その条件下で倭国が構造的に優位に立つことは難しかったのと同じように、いま安全保障の世界でも、名目上の主権と実際の裁量のあいだに、きわめてよく似たねじれが生じている。
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法的な倭国の独自防衛の可否
まず、法律条文上の建前から確認しておきたい。
自衛隊法7条は、内閣総理大臣が「自衛隊の最高の指揮監督権」を有すると定めている。また政府見解でも、「自衛隊は外国軍の指揮下には入らない」としており、この点からすれば、倭国が自衛隊を独自の判断で動かす法的余地は一応確保されている、という前提は正しい。
「指揮権密約」
ここでしばしば問題にされるのが、いわゆる「指揮権密約」である。
公開されている米側文書と倭国側研究を総合すると、核となるのは1952年7月23日の吉田茂首相とマーク・クラーク極東軍司令官との会談である。
米側の記録によれば、吉田は「有事の際に単一の司令官は不可欠であり、現状の下では、その司令官は合衆国によって任命されるべきである」と口頭で述べたとされる。
その前後、1951年前後の安保・行政協定草案には、「有事には統合司令部を設け、その指揮権は米側が行使する」という明文条項案が米側から提示されていた。倭国側は「憲法上問題がある」「対等性を欠く」として、この条文案を削除させた。にもかかわらず、米国務省のディーン・ラスクは米議会向けに、「倭国軍(のちの自衛隊)を米軍司令官が指揮する合意が存在した」と証言したとされる。
このように、「条文化は回避したが、吉田が口頭で“単一司令官=米軍”を認めた」と読める一連の経緯を、末浪靖司・古関彰一・矢部宏治らの研究者が「指揮権密約」と呼んでいるのである。
2025年10月の原口一博議員の質問主意書でも、古関が発見した米側機密文書が引用され、「指揮権密約が成立していることは明らかではないか」と政府見解が質されている。
倭国政府の公式見解と法的な位置づけ
これに対し、倭国政府の公式見解は一貫している。
令和6年5月16日の衆院安全保障委員会で、木原防衛相は「いわゆる指揮権密約について、日米間でそのような合意は成立していない」と明確に否定した。さらに、質問主意書(「終戦直後から現在までの政府の外交における基本姿勢」)に対する政府整理では、指揮権密約の内容とされるようなものを他国と合意する場合には、「大平三原則」に該当し、国会承認が必要になると明記している。
つまり政府ロジックは、次のように整理できる。
もしそのような重大な合意が存在するならば、それは条約に準じる性質を持つ以上、国会承認を経ていなければならない。承認されていない以上、正式な国際約束としては存在しない。
法的な位置づけを超えても不可能に近い
重要なのは、ここでの議論の焦点が「指揮権密約」そのものの有効性の有無にあるのではない、という点である。問題にすべきなのはむしろ、史料に現れるこうした経緯や構想の有無を踏まえたうえで、現在の運用レベルにおいて「倭国が独自の防衛行動を実際に取り得るかどうか」である。
そして、この問いに対する答えは、後に述べる二点――①共同作戦計画・C2統合、②兵站・基地・補給構造――を考慮すると、法的には可能であっても、実務上は限りなく不可能に近い、という評価にならざるを得ない。
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“実際の運用”は、日米共同作戦計画・C2統合
1. 事前の「共同計画」が“レール”になる
台湾有事、朝鮮半島有事、グレーゾーン事態などについて、日米はあらかじめ共同作戦計画(コンティンジェンシー・プラン)を策定している。自衛隊の部隊配備、装備構成、訓練内容も、この「共同シナリオ」を前提に最適化されてきた。
そうであれば、有事に際して「この数十年かけて積み上げてきた共同計画は捨て、きょうから倭国独自プランで動く」という選択は、理屈の上では可能でも、現実にはほとんど取りにくい。自ら敷いたレールの上で出発時刻を迎えてから、「やはり別の線路を走る」と言うのに近いからである。
2. C2(指揮統制)・情報システムの統合
さらに厄介なのが、指揮統制と情報システムの統合である。宇宙、サイバー、ミサイル防衛、ISR(情報収集・監視・偵察)といった分野の多くは、米軍のシステムをハブとして接続されている。倭国側の統合作戦司令部も、在日米軍およびインド太平洋軍とリアルタイムで連接することを前提に整備されている。
この状況で「独自作戦」を行おうとすれば、どの情報を共有し、どの情報は共有しないのか、米軍のネットワークをどこまで利用し、どこから切り離すのか、米軍側の行動との整合性が取れない場合、誤認・誤射などの危険をどう回避するのか、といった問題が一挙に噴き出す。システム統合が進めば進むほど、「別行動」はそれ自体がリスクとなる構造なのである。
その結果、
「共同計画に乗らない」=「米軍システムの一部を使えない」=「自軍の目と耳を自ら削ぐ」
という側面が避けがたく生じる。ここにこそ、「法的には独自防衛が可能」とされながら、運用面では共同シナリオから外れにくいという、現在の日米同盟の構造的な制約が端的にあらわれている。
3. 兵站・基地・補給の依存
倭国の防衛体制は、その兵站と基地運用の重要な部分を、在日米軍との共有と依存のうえに成り立たせている。具体的には、在日米軍基地の恒常的な運用、弾薬・燃料・補給の一部、修理・整備能力など、多くの要素が米軍との連携を前提として組まれている。
この構造は、戦闘が長期化し、かつ戦域が広がるほど重みを増す。
すなわち、「米軍抜きで、自衛隊だけが継戦する」という前提では、そもそも計画が設計されていない、
他方、米軍側のインド太平洋作戦構想もまた、「倭国の基地と後方支援」を組み込んだかたちで立ち上がっている。
そのため倭国が「独自作戦」を取ろうとした瞬間に、必ず突き当たるのが、「どこまでを自前の兵站だけで賄えるのか」という、極めて厳しい制約条件である。
言い換えれば、兵站・基地・補給の設計そのものが、日米共同運用を前提とした“ひとつの体”になっており、本格有事になればなるほど、倭国単独の防衛行動は、理屈の上では可能でも、現実には選びにくいオプションへと押しやられていく構造にある。
4. わずかに残る「倭国単独運用」のゾーン
もっとも、すべての領域で倭国の独自運用が失われているわけではない。たとえば、
◆北朝鮮ミサイルに対する領域内BMD運用(イージス艦やPAC3での迎撃)
◆領海・領空侵犯への対処としてのスクランブルや海上警備行動
◆尖閣諸島周辺での警備活動(ここは自衛隊ではなく海上保安庁の所掌)
といったレベルの事態については、いずれも、倭国の法体系と倭国政府の指揮で完結している領域である。
このゾーンでは、日米同盟の存在は前提にありつつも、「誰が最終的に動くか」「どの法的枠組みで発動するか」は、まだ倭国側の裁量が比較的残されていると言ってよい。
ただし、これらはいずれも限定的な危機・小規模事態であり、長期戦・広域戦を前提とするような「本格有事」とは性格を異にする。問題は、まさにその「本格有事」において、倭国がどこまで独自の選択肢を保持し得るのか、という点である。
5. 結論:理屈では「独自作戦可」、実務では「ほぼ共同レール縛り」
ここまでの議論を整理すると、次のようになる。
第一に、法的なレベルでは、
自衛隊は自衛隊法7条に基づき内閣総理大臣の指揮監督下にあり、米軍は米大統領・国防長官の指揮系統の下に置かれている。
この意味では、日米双方とも、理屈の上では「単独行動」も「別行動」も取り得る余地が残されている。
しかし第二に、実務のレベルでは、
・十数年から数十年にわたって積み上げられてきた日米共同作戦計画が、「本格有事」における事実上の標準シナリオになっていること、
・C2(指揮統制)・情報・各種システムの統合により、独自行動は技術的にも安全保障上も大きなリスクを伴うこと、
・兵站・基地・補給面で相互依存が進み、「相手抜き」で成立する計画としてはそもそも設計されていないこと、
という三つの要因が重なっている。
この三条件を踏まえれば、
「本格的な有事において、日米いずれかが『共同シナリオから外れた独自作戦』を選択することは、法律上は可能であっても、現実には極めてハードルが高い。」
という評価は、かなり慎重に見ても妥当な線だといえる。もっと率直な言い方をするなら、日米は「共同作戦を円滑に行うために」制度とシステムを整備してきた結果、その副作用として、「共同作戦をしない」という選択肢を、じわじわと実務レベルから削ぎ落としてきた。
という構図に、いまの倭国は立たされている。
法の文言が残している「独自防衛の可能性」と、制度・システム・兵站が形作る「共同レールから外れにくい現実」のあいだに、いまや大きなギャップが生じている。そのギャップこそが、倭国の安全保障を考えるうえでの出発点にならざるを得ない、というのがこの節の結論である。
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戦略論的に見た倭国の「ヤバさ」
戦争学・戦略論の観点から見たとき、倭国の現在の配置はおおよそ次のように評価できる。
1. 主権国家としての“独自戦略”の自由度:低〜中
国家としての大枠の戦略(グランド・ストラテジー)や軍事ドクトリン、作戦構想の相当部分が、「日米共同プラン」を起点として設計されている。
そのため、倭国単独でゼロから戦略オプションを描き直す余地は限定されており、実際には「米国が描くインド太平洋戦略の一部として、自国の役割をどう最適化するか」という発想に引き寄せられやすい構造になっている。
結果として、倭国の「独自戦略」の自由度は、名目上よりも一段低い水準にとどまっている。
2. 作戦上の freedom of action:中(小規模事態に限定)
作戦レベルでの freedom of action(行動の自由度)は、規模によって評価が分かれる。
北朝鮮ミサイルへの対処や、領空・領海侵犯への対応といった小規模〜限定的事態については、倭国独自のルールと指揮系統のもとで、一定の裁量を持って対処しうる。
しかし、台湾有事や南西諸島を含む大規模戦・長期戦となると、情報、兵站、基地運用などの面で米軍の政治判断とリソースに強く依存せざるを得ない。
したがって、「局地的な危機」では中程度の行動自由度がある一方で、「本格有事」における freedom of action は、実質的に米側の参加・協力の有無によって大きく制約される構造にある。
3. 政治レベルの裁量:見かけ上は中〜高、実質は中以下
形式的には、自衛隊は外国軍の指揮下に入らない、指揮権はあくまで内閣総理大臣が持つ、という建前が維持されているため、政治レベルの裁量は「中〜高」であるかのように見える。
しかし現実には、
◆共同作戦計画が事前に作り込まれていること、
◆C2(指揮統制)や情報システムで米軍との統合・接続が進んでいること、
◆兵站・基地・補給の構造そのものが日米一体運用を前提としていること、
などの要因により、「本格有事で米国の意向と違う判断を貫く」という意味での実質的な“拒否権”は、かなり狭められている。
見かけとしては中〜高の裁量を持っているようでいて、実際に行使し得る裁量は中以下、というねじれがここにある。
4. 結論としての整理
以上を踏まえて、よくある二つの極端な言い方を整理すると、次のようになる。
「倭国独自の防衛活動は不可能である」
→ これは事実として言い過ぎである。局地防衛・限定事態については、なお独自行動の余地が存在する。
「本格有事で、米国が乗らない状態でも倭国はまともに防衛できる」
→ こちらは、現状の部隊運用・システム・兵站構造を前提にすれば、かなりの確度で否定されるべき命題である。
戦争学的に言えば、
「大国間戦争のフロントに立たされる国」でありながら、米国の政治判断と軍事リソース抜きではまともな継戦オプションを持ちにくい――
という意味で、倭国は致命傷リスクの高い配置にいる、という評価になる。
5. 「守り方」そのものが主権と裁量を削る構造
倭国は「米国抜きには守れない守り方」を選び、その上に日米共同のレールを敷き続けてきた。その結果として、「守り方」自体が主権と裁量を削る装置になっている。
これは「親米か反米か」といった感情的なレッテルの問題ではない。純粋に戦略設計として健全かどうかという観点から見れば、
問題の核心は「同盟」そのものよりも、その同盟に乗るかたちで積み上げられた軍事・情報・経済の依存構造の方にある。
実態として倭国の自由度を削っているのは、「同盟」という言葉それ自体ではなく、同盟の名の下に組み込まれたこれらの依存構造であり、その結果として、法的な主権と実際の裁量のあいだには、無視し難い乖離が生まれている――ここにこそ、戦略論的に見た倭国の「ヤバさ」の核心がある。 December 12, 2025
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@bananacafe1212 @4mYeeFHhA6H1OnF @SSSHeart89537 @mishafumisha @Peaceke81017283 @SatoshiMasutani @Armelle_Kiyo @CdfbDtYAxmbMuRZ もう見たくないのに、雲和広先生に噛み付いた方のポストが流れて来ます🤦ヤクスコチャンのポストに悪ノリリプしたり原口一博先生を嘲笑したり、普段学級委員みたいなこと言ってるくせに意外と陰湿なんですね🤔などと言うと「親露も親宇も何も知らない!俺に任せろ!」と引用でdisられるので黙ります🥲 https://t.co/m2vrodVSOU December 12, 2025
【立憲民主党 原口一博】※大至急見てください...「外国に住むことを選んだならば、その国の法律、文化、そして伝統を受け入れなければならない」メロ... https://t.co/uaFtDoDHTI @YouTubeより→「移民と主権」、移民は覚悟を持って倭国に来たなら倭国の法令、慣習、文化に従うべき。それが主権国家! December 12, 2025
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