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八重山郡
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2025.11.25 01:00
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よく知らないのでAIに訳してもらいました
この画像は、1920年(大正9年/中華民国9年)に、当時長崎に駐在していた中華民国の領事から、沖縄県八重山郡石垣村長(豊川善佐氏)に対して贈られた「感謝状」です。
1919年に中国福建省の漁民が遭難して尖閣諸島(魚釣島)に漂着した際、石垣島の人々が救助を行ったことに対するお礼状です。
以下に、書いてある文字の書き起こしと、現代語訳をまとめました。
1. 原文の書き起こし(右から左へ)
感謝状
中華民國八年冬福建省惠安縣漁民
郭合順等三十一人遭遇風遇難飄泊至
倭国帝國沖繩縣八重山郡尖閣列島
內和洋島承
倭国帝國沖繩縣八重山郡石垣村長
豐川善佐君熱心救護使得生還故國
洵屬救災卹鄰當仁不讓深堪感佩特
贈斯狀以表謝忱
中華民國駐長崎領事 馮冕
中華民國九年五月二十日
2. 現代語訳(倭国語)
感謝状
中華民国8年(1919年)の冬、福建省恵安県の漁民である
郭合順ら31名が強風に遭って遭難し、漂流して
倭国帝国 沖縄県 八重山郡 尖閣列島
内の和洋島(現在の魚釣島のこと)に漂着しました。
(そこで)倭国帝国 沖縄県 八重山郡 石垣村長である
豊川善佐 君が、熱心に看護・救助をしてくださったおかげで、生きて故国へ帰ることができました。
これはまことに、災害を救い隣人をあわれむ「当仁不讓(仁に当たっては譲らず=人助けのために全力を尽くす)」行いであり、深く感謝と感銘に堪えません。
よって特にここにこの状を贈り、感謝のまごころを表します。
中華民国 駐 長崎領事 馮冕(ヒョウ・ベン)
中華民国9年(1920年)5月20日
3. この資料の歴史的なポイント
この感謝状は、単なるお礼状としてだけでなく、歴史的な資料として非常に有名です。
「尖閣列島」の表記: 中国(当時は中華民国)の公的な外交官(領事)が発行した文書の中に、はっきりと「倭国帝国 沖縄県 八重山郡 尖閣列島」と書かれています。
領有権に関する証拠: これにより、「当時、中国側も尖閣諸島を倭国(沖縄県)の領土であると認識していた」という有力な史料として、現在でもよく引用されます。 November 11, 2025
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