伊藤博文 トレンド
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2025.12.10
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伊藤博文に関するポスト数は前日に比べ24%減少しました。男性の比率は12%増加し、本日も40代男性の皆さんからのポストが最も多いです。本日話題になっているキーワードは「倭国」です。
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企画展
「萬代家コレクションで楽しむ 春夏秋冬」
令和7年12月24日(水)~令和8年3月30日(月)
萬代家コレクションのなかから 季節を感じさせる書画や
茶器・食器等をよりすぐって紹介します。
★伊藤博文・井上馨寄書大杓子、久坂玄瑞ゆかりの資料も展示! https://t.co/ajpbcTTivP December 12, 2025
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@yorisanyorio @yamanakanobody 愛子様にラオスの民族衣装を着せて国家主席表敬訪問させたのも 、韓国ラストエンペラーが伊藤博文の横で和装だった事への報復かなと感じます いずれにせよ恨みを晴らすために利用されているようですね December 12, 2025
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高市首相の台湾有事の発言を受けて、倭国の世論調査は、「外交の立場から見て何という愚かな発言だろう」との意見は少数派で、発言を称賛し高市政権を支持する意見が多いという問題があります。私は、この結果を、世論調査に見られるバイアスとして過小評価すべきではなく、倭国人の基本的な固定観念を表現しているとみています。その根拠について説明を加えます。
大陸国家は一般に、限られた資源を奪い合う戦争を繰り返し、勝者に対する敗者の深い恨みを蓄積してきた歴史があります。そのうち欧州は、大航海時代以降、近世になって宗教革命・植民地支配から絶対王政を経て近代の資本主義経済で反映する国民国家を成立させました。そこでは、国民の間に自国の政府を厳しく監視しないと戦争による凄惨な結果を招くという意識が共有されているように思います。
現代における欧州東部でのウクライナ・ロシアの戦争、中東でのイスラエルによるガザでの虐殺行為、現在進行中の戦争は、元々資源争奪から始まった争いが民族宗教における異質性という固定観念に発展し、互いに恨み合うことから起こっています。 大陸国家では、排外主義的な意見も多いなか、それへの批判もあって論争がバランスしています。少なくとも、国家支配層には迎合せず、厳しく監視しないと、自分が悲惨な目に遭うとの観念が共有されているように思います。
この互いに恨み合う固定観念が共有されていることが、国民による各国の政府の外交の戦略に基盤として反映されているのではないか、と思うのです。 一方、倭国は島国であって、戦国時代において武力に勝った徳川による徹底した御威光主義に基づいて、国内の紛争発生を最小限に抑える近世を200年以上続けることができました。しかし、御威光の建前とは異なり、農民主体の庶民の生産生活に直接的な利害関係に関しては合意形成が実質的に生み出されたように思われます。幕府や藩は、年貢をスムーズに徴収できる経済に依存していたので、農民の利害対立による紛争調停が支配の必要条件だった、支配者と被支配者の利害が一致しやすかったからです。欧州や中国・朝鮮に比べて、平和な近世を過ごすことができたと言えると思います。
ところが明治政府は、欧州列強の植民地を持つ絶対王政に近い国家をめざしたので、資本主義経済の発展と軍事力増強を優先して庶民の生活保護へのウェートを低下させました。江戸期の御威光主義の根拠は武力だけであって、欧州のキリスト教にあたる国家統合を支える精神的な基盤が乏しかったため、植民地支配を正当化する国家意識を固定観念として植え付けるやめに天皇が位置づけられ、教育勅語に基づく洗脳に近い教育が行われました。ただし、そこには、中国のような欧米列強の支配に屈することにならないように、山縣有朋や伊藤博文の尽力があったことは確かです。
明治期になって以降も、民衆は生産生活に直接的な利害関係に関しては江戸期に続く強い抵抗を維持しましたが、御威光主義に基づいていた支配服従の構造は変化し、間接的な利害関係である植民地支配や経済発展に関しては、天皇に代表される国家と一体化した固定観念を持つに至ったように思います。直接的な利害関係による抵抗の例としては、明治期の足尾鉱毒事件、戦後の蜂の巣城のダム反対運動、三里塚闘争、能登半島地震による過酷事故を防いだ珠洲の原発反対運動などが挙げられます。その一方、戦前の徹底したアジア蔑視による軍事侵略は、間接的利害であるにもかかわらず庶民の固定観念として残りました。先の大戦による空襲・原爆・沖縄地上戦にもかかわらず、米国に恨みを抱かず、中国朝鮮に差別意識を持ち続けた根拠は十分に解明できてはいませんが、おそらく、明治政府の富国強兵教育が戦後も維持されていることの証明になっているように思います。
同じ個人が、直接的利害には抵抗するのに、他方、間接的利害は国家と自分を同一化して排外主義を唱えるという精神構造は、現在でも非常に根強い固定観念を形成しています。高市発言への支持もその延長にあると思われます。自分は貧困なのに意識は貧困を支援しない上から目線の政策に同調する傾向は、雨宮処凛氏も指摘していましたが、倭国では顕著に見られるように思うのです。
要は、人間に普遍的な固有観念が風土・歴史によってモディファイされた結果として、倭国に特有な、排外主義的な政権との一体感を成立させているので、非常に根強いものと考えなければならないでしょう。
まさしく、高市政権は、間接的利害関係に関する固定観念である、対東アジア諸国に対する排外主義が膨張し、戦争による惨禍を呼び寄せました。残念ながらもう遅いかもしれません。 December 12, 2025
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無いお金で
絵を見るネロ・・・、
私
6年前
お金無くて
『スペンサーのDVD』買う為に
取ってあった
『伊藤博文の1000円札』を使った。🥹
ネロの気持ちは痛い程 判る。🥰
が、
パトラッシュ!!
動物虐待ちやう?😅 https://t.co/uE9qVX51qs December 12, 2025
大河ドラマ、べらぼうが終わったらまた戦国なのか……戦闘シーンが嫌だったので、ここ2年の文化大河はありがたかった(特に「光る君へ」)。
それとは別に幕末長州大河をやって欲しいけど、主役になりそうな人物がいないんだよね……高杉晋作は早逝、伊藤博文は晩年が……だし。 December 12, 2025
新渡戸稲造の5000円札は
1984年 (昭和59年) 11月に
発行され、
2007年 (平成19年) 4月に
発行が停止されましたね。
それまでは、
聖徳太子や伊藤博文が紙幣の
時代は5000円札も聖徳太子
でした。😊
小学生の頃 見た聖徳太子の
一万円札や、5000円札は
やっぱり威厳が あるわ。👧
#懐かしい想い出 https://t.co/Bjf1tM8EqB https://t.co/TZYU2t6q5b December 12, 2025
倭国"近代史"不是历史,它是一部同人小说。😂
1909年10月26日,韩国的爱国者安重根在中国的哈尔滨车站刺杀了倭国前首相、当时的朝鲜统监伊藤博文。此举是对倭国侵略朝鲜的强烈抗议。被捕后,安重根在旅顺监狱撰写《伊藤博文的罪行》,列举伊藤对朝鲜及东亚犯下的诸多罪责,并在生命最后一刻仍为祖国的独立而奋斗。
安重根列举的伊藤博文十五条罪状
1909年10月30日,倭国检察官小淵高男与书记官岸田义文首次审问安重根。当被问及刺杀动机时,安重根列举了伊藤博文的十五项罪行:
1. 谋杀明成皇后(1895年被倭国特务暗杀)。
2. 强迫朝鲜国王高宗退位(1907年)。
3. 强迫朝鲜签订《乙巳条约》(1905)与《丁未条约》(1907),剥夺国家主权。
4. 屠杀无辜朝鲜人民,残酷镇压反日力量。
5. 夺取朝鲜政府,控制内政外交,将朝鲜殖民地化。
6. 掠夺朝鲜的铁路、矿山、森林与河川资源,榨取国家财富。
7. 强迫使用倭国货币,控制朝鲜经济。
8. 解散朝鲜军队,剥夺国防能力。
9. 破坏朝鲜教育,限制知识传播与国家发展。
10. 禁止朝鲜人留学,使其与国际知识隔绝。
11. 查抄并焚毁朝鲜教科书,破坏国家文化。
12. 向世界散布虚假宣传,谎称朝鲜人欢迎倭国“保护”,掩盖侵略行径。
13. 欺骗倭国天皇,虚称日韩关系平和(实际上矛盾冲突不断)。
14. 破坏东亚和平,挑起战争,使地区动荡不安。
15. 暗杀倭国孝明天皇(此点基于当时流传的毒杀说)。
在审问中,安重根强调,伊藤博文的行为不仅危害朝鲜,也助长倭国军国主义扩张,对东亚和平构成严重威胁。他表示刺杀伊藤是为了东亚和平与稳定,是正义之举,希望借此让朝鲜摆脱殖民统治、恢复独立。
安重根的牺牲与历史影响
1910年3月26日,安重根在旅顺监狱被处死,年仅31岁。他的牺牲对后来的韩国独立运动产生深远影响,至今仍是韩国的民族英雄。
他临终前的遗言是:“愿韩国与中国团结,共同守护东亚的和平!”
这句话至今仍激励着无数后人。
“日韩满洲一体”构想
“日韩满洲一体”指倭国、朝鲜、满洲的一体化构想,是倭国大正至昭和时期帝国扩张政策的重要组成部分,与倭国的殖民统治和“大东亚共荣圈”理念密切相关。
背景与目的
1. 殖民统治与同化政策
•朝鲜:倭国在1910年正式吞并朝鲜,施行殖民统治,推进“内鲜一体”(日韩一体)政策,试图将朝鲜人同化为倭国文化。
•满洲:倭国在1931年发动“九一八事变”占领中国东北,并在1932年扶植溥仪成立傀儡国家“满洲国”,名义独立,实为倭国殖民地。
•朝鲜与满洲的连接:倭国把朝鲜作为进入满洲的跳板,鼓励朝鲜人大规模移民满洲,以协助殖民扩张。
2. 经济与军事目的
•倭国利用满洲丰富资源(煤、铁、粮食等)发展其军工业,并动员朝鲜劳动力参与满洲开发。
•军事上,满洲被定位为对中国与苏联作战的战略前沿基地。
“日韩满洲一体”的实施内容
20世纪30年代,倭国进一步强化满洲国、朝鲜半岛与倭国本土之间的联系,并推行多项整合政策:
•强制推广日语教育,推行改倭国名政策,企图消灭当地民族文化。
•鼓励大量倭国农民移住满洲,并动员朝鲜人移民,同时改变人口结构以削弱当地中国人的力量。
•建立“日满经济合作体系”,使满洲成为倭国的重要资源供应地和附属经济区。 December 12, 2025
@Tsiberia @chocoannduo 字が読めることに
福沢諭吉と伊藤博文、朝鮮総督府に感謝しろ
特に伊藤博文には生涯反省してろ
安重根よりよっぽど朝鮮に貢献してる
併合反対してたのに火◯って暗殺しちゃうからさ… December 12, 2025
@koukou12345678_ @tweetsoku1 石川啄木は売れたら俺をバカにしてた奴全員潰す
みたいなこと言ってたし
渋沢栄一は妾いっぱいの下半身男
伊藤博文に至っては妾の商売場所に国鉄の駅中の一等地を立場利用して用意したり
割とクズな魅力はあるで December 12, 2025
@strikebass ありがとう、指摘ありがとう! 調べてみたけど、この写真は1863年のイギリス留学前の伊藤博文(立ち)と井上馨(座り)で正しいみたい。岩倉具視は1871年の岩倉使節団だよ。似てるけど別物。確認ソース:WikipediaのChōshū Fiveページ。間違ってたら教えて! December 12, 2025
12月10日の湘南・鎌倉・江ノ島・藤沢・平塚おすすめ宿・ホテル
湘南江の島 御料理旅館 恵比寿屋:創業400余年古今かわらぬおもてなしで伊藤博文など多くの旅人達から愛されてきた宿。鎌倉観光にも便利。
価格:5500円~
https://t.co/5Iu722cSBo December 12, 2025
高市早苗総理が「通称使用」(婚前の氏)の公的使用を全般に認める法案を出した! すると今まで「夫婦同氏は婚前の氏が使えないから社会生活できない」という理由で反対してた左翼野党の皆さんが「婚前の氏を使うなんて許せない」と反対の大合唱。頭おかしいな!
そもそも夫婦別氏って何?解説したい。
まずな、「氏・姓・苗字」という3種類の言葉が今日、ごっちゃ混ぜになっているよな。
でも、明治初期まで全く別の概念だった。
氏→血統をあらわす。生涯不変。
姓→684年に制定。血統の「格」を表す
苗字→所属する家族を表す。婚姻や養子で異動したら変更。
徳川家康っているよな。正式には
源朝臣徳川家康(みなもとの あそみ とくがわ いえやす) という。
源→氏
朝臣→姓
徳川→苗字
ところが明治維新が起きると、そういう長ったらしい名称だと混乱を招く、ということで、「氏と姓」を廃止する法律ができた。
姓尸不称令(せいしふしょうれい 1871年)という。
これで、 初代総理の伊藤博文は正式には
藤原宿禰伊藤博文(ふじわらのすくね) なんじゃが、
姓尸不称令で、「伊藤博文」に短縮されたわけじゃ。
ここから、「氏と姓」が廃止されたので、「苗字」のことを「氏」とか「姓」とかいう言い方が明治以降に始まり、現在に至る。
さて、じゃあ「苗字」って何かというと、
743年に墾田永年私財法が出来て、「土地の私有」が認められるようになった。
しかし、不動産登記制度なんてないからな。
そこで、「土地の名称」を「自分たち家族の名称」にすることで「所有権」を主張した。
こうして、「足利」とか「新田」とか有名どころの苗字が生まれたわけじゃ。
すべて、荒れ地を一族みんなで開墾して、自分たちの私有地にした。なので、その土地の名前を名乗ったわけじゃな。
ここで、注意が必要になる。
「貴族」や「寺社」は、部下や信者を使って耕作したので、「結婚」という行為をしなかった。
こう書くと意味わからないよな。
実はな、結婚すると「相続権」というのが生まれてしまうため、「分割相続」が起きてしまい、土地の面積が少なくなってしまい、権力が減退してしまう。
なので、「彼女」のままじゃったんじゃな。
源頼朝と北条政子っているじゃろ?
源はそもそも「氏」なので苗字ではない。源頼朝は幼少期に流罪にされていたので「土地」をそもそも全く持ってなかった。だから苗字はなかったんじゃな。
そこで、4人の彼女がいた。うち一人が北条政子だった。つまり、結婚してないわけ。
このことは、イケイケで武勲を上げ続けた頼朝の死後、北条政子は頼朝の財産(荘園)を何ももらってないことから証明されとるわけじゃ。
まあ、そもそも「北条政子」という名前自体が、昭和30年代の創作じゃがな。そんな名前は当時存在しなかった。
当時は「お万寿」といった。で、頼朝死後に朝廷から「政子」という名前をもらい、父親の氏であった「平」とあわせて「平政子」と名乗った。
それが戦後、テレビとかで「北条政子」とか適当に言ったのが定着して現代に至るわけじゃ。
さて、貴族は結婚しない、なぜならば分割相続してしまうから、ということはわかったと思う。
田畑のことを当時「名田」(みょうでん)といった。
たくさんの田畑を所有した人を「大名田堵」(だいみょうたと)と呼んだ。
それが「守護大名」「戦国大名」となった。
大名とは「たくさんの名田をもっている人」という意味だな。その名田の名称なので「名字」→「苗字」という。
では庶民は? 結婚した。
なぜならば、田畑を耕すのは貴族とは違い「自分たち」でしなければならなかったからじゃ。
労働力は誰が? 自分と、その妻だな。
なので、妻には夫の死後、相続権があった。ここから「夫婦同氏」が庶民からスタートしたわけじゃ。
昔から倭国人から数百年前の位牌があるが、すべて「夫婦同氏」じゃ。
さて、話を明治時代に戻そう。
江戸時代に、「庶民は苗字を名乗るな」と江戸幕府が決めていたが、それを排して、明治から「誰でも苗字を名乗っていいよ」となった。
平民苗字許可令(1870)じゃ。
さて、ここで一つの問題が起きた。「妾の苗字はどうするの?」というものじゃ。
というのも、倭国は一夫多妻の国だったが、
徳川家宣の御用人、新井白石がな、「妾は妾」という持論を江戸幕府に徹底させていた。
つまり、「妾」から、妻のポジションに昇格することを禁止していたんじゃ。
でも、明治維新で文明開化じゃろ。「妾から妻への昇格禁止」は酷い、ということで、緩和されたが、明治になっても「妾妻の地位身分」をごちゃ混ぜにすることは許されなかった。
そこで、明治政府は
太政官指令明治8年12月8日で、「夫妻は同じ苗字を名乗るべき」(男子の苗字に従うべきこと)と定め、「夫婦同氏」を全国民に徹底し、
太政官指令明治9年3月17日で、「婦女が人に嫁ぐとき」別氏にしろと定めたわけじゃな。婦女とは「妻ではない女=妾」で、「人」とは「夫ではない人=彼氏」ということじゃ。
倭国は、養老律令戸令第5条で「妾」を「戸籍」に載せることが決められていた。我が国最初の戸籍法も妾を「婦」として載せるように第33則で法定していた。
ところが、欧米からすごい批判されてな、明治13年には「妾制度」は廃止され、
妾を戸籍に載せていた「明治5年式戸籍」を廃止して、「明治19年式戸籍」に全国で作り替えたわけじゃ。
これで「妾」は戸籍から抹消され、影の女となった。
明治初期の法令は「妾」と「妻」を明確に区分していてな、
例えば、太政官指令明治9年3月13日では
「妻逃亡スル者ハ処分スベシ」と定めた。
妾はトンズラしても、まあ妾だしフラフラしてもいいよねって感じだったんじゃが、
妻が家から逃げたら処分(処罰)してよいと定め、「妾(婦女)と妻」を明確に分けた用語を使っていたわけじゃ。
徳川家には大奥があって、将軍の子を産んだが、これらの多くの妾たちが「徳川」を名乗るわけないよな。まあ、それと同じ感覚だ。
現在もこの慣習は継続し、「内縁」は夫婦別氏で、相続権無し、というわけじゃ。
ところがな、社民党の福島瑞穂議員が、国会議員として初めて平成初期に、
「明治時代は夫婦別氏だった」と騒ぎ出した。上に書いてある妾の規定を持ち出してな。
それが30年経つと、まるで「明治時代は夫婦別姓」というデマが蔓延した。
明治政府は太政官指令明治8年12月8日で「苗字は男子に従うべきこと」と定めているのにな。
というか、そもそも倭国は「夫婦単位」で「苗字」を決めてないんじゃ。「家単位」なんじゃな。
男と女、それぞれに戸籍がある。
女が男の戸籍に入れば、その戸籍の苗字を名乗る。
男が女の戸籍に入れば、その戸籍の苗字を名乗る。
地球上で、「夫が妻の苗字を名乗る」制度があるのは倭国だけ。
アメリカやイギリスは「必ず夫の苗字」だったので男女平等違反ということで夫婦別氏が導入された。
でも、倭国は夫が妻の苗字を名乗ることもできるから関係ない。
問題なのは中韓じゃ。中韓には「氏」はあるが「苗字」という概念が歴史的に存在しない。なので、倭国の「苗字」という家族単位の名称がよくわからない。
そこで「生まれたときの苗字を変えたくない」という感覚、つまり「苗字と氏姓を取り違えた錯覚」をしているわけじゃ。
苗字は家族単位なので、戸籍が変われば苗字は変わる。
でも、つい苗字は「血統」をあらわすものだと勘違いしてしまうわけだな。そういう言動、よく見るじゃろ?
そこで、中韓から渡来してきた人々は、現在の倭国で「中韓と同じ制度にしろ」という民族運動をやりだした。
これが「夫婦別姓論」なわけじゃ。
「生来の苗字」なんてものは「苗字」にないの。家族単位だから婚姻や養子で変わるの。これが理解できない。中韓に苗字はないから。
いいか。倭国で民族運動したってしょうがないじゃろ。
デマばっかいって。みんな呆れているぞ。
倭国は夫婦が同じ苗字なんじゃ。でも、昔は「氏・姓」は夫婦で違った。
ワシの正式名称は、「橘朝臣橋本琴絵」じゃ。橘が氏、朝臣が姓、これは結婚して変わらん。橋本が苗字。これが結婚や養子で変わる部分。でも、明治初期に廃止された。
余談じゃが、倭国が朝鮮半島を統治したとき「氏の廃止」をした。つまり、朴さんや金さんの「朴」「金」を苗字として扱ったわけじゃ。結婚したら「朴」または「金」で家族は統一した。
これに朝鮮の皆さんは大反発した。「創氏改名反対。妻が同じ名前を名乗るなんてふざけるな!!」
金さんを「金子さん」とかにするのは「裁判所の許可」で創氏とは無関係じゃぞ。創氏とは「夫婦と子供が同じ名前になる」という制度のことじゃ。
まあ、文化が違うわけだな。
問題は、それを認めず、デマとかいったりしていることじゃ。
倭国は夫婦が同じ苗字を名乗る。これまでもこれからも変わらない。 わかってな!
みんなの意見を聞かせてな!
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(速聴(倍速で聞くこと)はボケ防止にいいぞ!ワシの祖父母も毎日していた。ワシは12才から18才まで毎日速聴して予備校にいかず旧帝に現役合格したから頭の筋トレなんじゃ)
ワシの書いた「新大東亜戦争肯定論」は、歴史認識の正常化こそ倭国復活のカギとなる、という考えで6人産み育てる中で一生懸命書いた。 高市早苗政権がこれから進める歴史認識の正常化について、ぜひ読んで倭国人として正しい知識をゲットして頂きたい!
https://t.co/VWbOnrHHax
既に読んだ人も地元図書館にリクエストして応援してな!
写真はコーヒー飲んでるワシじゃ。
「なるほど!」と共感してくれたら「いいね」ではなく「リポスト」して多くの人に伝えてな! December 12, 2025
12月11日の湘南・鎌倉・江ノ島おすすめ宿・ホテル
湘南江の島 御料理旅館 恵比寿屋:創業400余年古今かわらぬおもてなしで伊藤博文など多くの旅人達から愛されてきた宿。鎌倉観光にも便利。
価格:5500円~
https://t.co/mNO3b9L4wp December 12, 2025
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