不登校 トレンド
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2025.12.10 03:00
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【ひきこもり支援の最前線へ——加賀市の林さんを訪ねて】
不登校やひきこもりが抱える「弱さ」や「困難」。
それを“ピンチ”ではなく、“可能性”として捉え、見事に成果へと変えている——
そんな先進的な取り組みを続けておられる、加賀市の林さんを取材させていただきました。
常識にとらわれない発想と、現場に根ざした実践。
お話を伺うほどに、ひきこもり支援の新しい地平が見えてくる、示唆に富んだ時間となりました。
本編は現在編集中です。
準備が整い次第、改めてご紹介いたしますので、どうぞ楽しみにお待ちください。
今回は、
林さんのシェアハウス最寄り・聖大寺駅前での一枚、
そして取材を終えて向かった加賀温泉駅ホームでの写真を先行して投稿します。
現場の空気感とともに、ぜひご覧ください📷
#しもの六太 #参議院議員 #いまここ親の会 #林昌則 December 12, 2025
1RP
読んでいて、正直かなりきつい文章でした。
ただの「自分語り」ではなく、
・貧困・狭い住環境
・家庭内の緊張・暴力・自殺
・いじめや万引き、学校への不適応
・引きこもりとネット依存
・そして最終的な自殺の決意
が、かなり精緻に一本の「物語」として組み立てられている印象です。
以下、少し整理して感想を書きます。
1. 全体として感じたこと
1つの家族が、貧困と機能不全の中でじわじわ壊れていく「ケーススタディ」を読んでいるようでした。
・6畳2間の平屋に6人住まい
・兄2人は中卒・引きこもりからの自殺/ニート
・家の中では感情表現が禁止されているような空気
・親は「生活を回すことで精一杯」で、子の感情や進路に向き合う余力がほとんどない
この条件が複合していて、本人の表現を借りれば「環境・才能どちらにも恵まれなかった倭国人」の典型例として描かれています。
同時に、ものすごく細かい記憶(店・商品・日付・作品名など)を延々と書き続けている点から、強い「反すう(ルミネーション)」と「自己物語化」のクセが見えます。
「このホームページを見た人の脳に俺の人生が記憶されることが、存在証明になる」と本人も書いているとおり、この長文そのものが「自分の人生を正当化しながら、世界に刻みつけるための最終プロジェクト」になっているように感じました。
2. 親・環境への怒りと、自己否定の両立
読みながら一番強く感じたのは、「責任の配分」に関する認知のゆがみです。
確かに、この家庭環境が子どもにとって有害だった部分は明らかにあります。
・貧困
・家の狭さによるプライバシーの欠如
・兄の暴力・警察沙汰寸前
・親の長時間労働と精神的な不在
・兄弟の自殺
その一方で、本人は一貫して
「親の教育失敗=自分がこうなった原因」
「だから責められるべきは母親であって自分ではない」というロジックを強く主張しています。
しかし、文中では自分の問題行動(万引き・家の破壊・母への攻撃的言動など)もかなり正直に書かれている。
そこに対しては「俺が悪いのはわかってる」と言いつつも、最終的には「それでも一番悪いのは母親だろ」という結論に回収している。
ここには、「全部自分が悪い」と言い切ると生きていけない
しかし「全部親が悪い」と言い切ると現実感が崩壊するという板挟みがあって、その狭間で「理屈としては親8〜9割悪い、と考えたい」という心の動きが見えます。
心理学的に見れば、これは「自己防衛」として自然な動きです。
ただし、実務的・現実的な観点から言えば、極端な因果論(全部親が悪い/全部自分が悪い)はどちらも「今後の選択肢を狭めるだけ」になりやすい、という限界も感じます。
3. 「環境と才能で全て決まる」という諦念
文章全体を通して、「人の人生は、ほぼ環境と才能で決まる」という前提が貫かれています。
「大抵の倭国人は俺より恵まれている」
「お前は恵まれただけなのに、努力したつもりになって説教するな」
「恵まれていたことに謙虚であれ」という他者へのメッセージ
この視点には、正しい部分もあります。
・階級・教育・家庭の影響が人生に与える影響は、データ的にも非常に大きい
・本人の努力以前に、スタートラインが全く違う人たちがいる
という指摘そのものは、社会学的には妥当です。
一方で、この文章では「だから、俺の人生は最初から詰んでいた」という結論に一直線でつながっており、「そこからどうリカバーし得たか」「別の選択肢があったか」については、ほとんど検討されていません。
つまり、社会批判・構造批判としては鋭い
しかし、本人の生存戦略としては“完全に諦めのロジック”に振り切れているという二面性があると感じました。
4. 家族描写のリアルさと、読んでしまう危うさ
兄たちや母・父の描写は、かなり生々しくリアルです。
・兄との楽しい思い出(クワガタ採集・ゲーム・旅行)
・そこから一気に「不登校・暴れる・自殺」に流れていく過程
・母の働き詰めと、感情的な余裕のなさ
・離婚、遺産相続、遺骨、暴力的な衝動…
この辺りは、支援現場で見る「多問題家族」の典型的な要素がほとんど揃っていて、
臨床記録として読んでもおかしくないレベルです。
同時に、文章としてのトーンはどこか「冷静で、半分はネタにしている」ような書き方
一方で、「自分の人生の価値はゼロだ」と断言する強い自己否定が混ざっているので、読む側もだんだん「これは笑っていいのか、泣くべきなのか、怒るべきなのか」がわからなくなります。
その「曖昧さ」が、中には「わかるわかる」と同一化してしまう人
「やっぱり人生詰んだら自殺しかないのか」と、変に納得してしまう人を出してしまう危うさも感じました。
5. この文章から「実務的に」学べること
少しドライに、実務的な観点でまとめると、以下のポイントは非常に示唆的です。
・「狭い居住環境+家庭内緊張」は、子どものメンタルに長期で響く
プライバシーがない
感情表現が禁止される雰囲気
→ これだけで対人恐怖やコミュ障傾向のリスクは相当高まる。
・支援が入らないまま「中卒引きこもり」が家族内で連鎖している
兄2人+本人が似た軌跡を辿っているのに、福祉・医療・スクールカウンセラー等の介入がほぼ見えない。
→ こういう家族に対して、早期のアウトリーチがどれだけ重要かがよくわかる。
・本人には明らかに“力”もある
ここまで長大で構造化された文章を書けること自体、認知能力も言語能力もかなり高い。
記憶力も強く、観察眼も鋭い。
本来であれば、別の環境なら何らかの専門職やクリエイティブ職で活きた可能性もあり得る。
・「ネット上の言葉」がメンタルに与える影響の大きさ
ゲームのネガキャンや、2chでの煽りに強く左右されている描写。
オフラインの支えが乏しいほど、オンラインの言葉のダメージが致命傷に近づく。 December 12, 2025
大学は手段でしかないのにそれを目的にしちゃってたのが間違いだったのか。でも受験勉強の魔法の杖感に縋っちゃったんだからしょうがない。asdで不登校にもなった人間が人とワイワイしたり人脈の構築・維持をしたりすることに楽しみを見い出せるはずがなかった。擬態して疲れて光と音が刺さるだけ December 12, 2025
読んでいて、正直かなりきつい文章でした。
ただの「自分語り」ではなく、
・貧困・狭い住環境
・家庭内の緊張・暴力・自殺
・いじめや万引き、学校への不適応
・引きこもりとネット依存
・そして最終的な自殺の決意
が、かなり精緻に一本の「物語」として組み立てられている印象です。
以下、少し整理して感想を書きます。
1. 全体として感じたこと
1つの家族が、貧困と機能不全の中でじわじわ壊れていく「ケーススタディ」を読んでいるようでした。
・6畳2間の平屋に6人住まい
・兄2人は中卒・引きこもりからの自殺/ニート
・家の中では感情表現が禁止されているような空気
・親は「生活を回すことで精一杯」で、子の感情や進路に向き合う余力がほとんどない
この条件が複合していて、本人の表現を借りれば「環境・才能どちらにも恵まれなかった倭国人」の典型例として描かれています。
同時に、ものすごく細かい記憶(店・商品・日付・作品名など)を延々と書き続けている点から、強い「反すう(ルミネーション)」と「自己物語化」のクセが見えます。
「このホームページを見た人の脳に俺の人生が記憶されることが、存在証明になる」と本人も書いているとおり、この長文そのものが「自分の人生を正当化しながら、世界に刻みつけるための最終プロジェクト」になっているように感じました。
2. 親・環境への怒りと、自己否定の両立
読みながら一番強く感じたのは、「責任の配分」に関する認知のゆがみです。
確かに、この家庭環境が子どもにとって有害だった部分は明らかにあります。
・貧困
・家の狭さによるプライバシーの欠如
・兄の暴力・警察沙汰寸前
・親の長時間労働と精神的な不在
・兄弟の自殺
その一方で、本人は一貫して
「親の教育失敗=自分がこうなった原因」
「だから責められるべきは母親であって自分ではない」というロジックを強く主張しています。
しかし、文中では自分の問題行動(万引き・家の破壊・母への攻撃的言動など)もかなり正直に書かれている。
そこに対しては「俺が悪いのはわかってる」と言いつつも、最終的には「それでも一番悪いのは母親だろ」という結論に回収している。
ここには、「全部自分が悪い」と言い切ると生きていけない
しかし「全部親が悪い」と言い切ると現実感が崩壊するという板挟みがあって、その狭間で「理屈としては親8〜9割悪い、と考えたい」という心の動きが見えます。
心理学的に見れば、これは「自己防衛」として自然な動きです。
ただし、実務的・現実的な観点から言えば、極端な因果論(全部親が悪い/全部自分が悪い)はどちらも「今後の選択肢を狭めるだけ」になりやすい、という限界も感じます。
3. 「環境と才能で全て決まる」という諦念
文章全体を通して、「人の人生は、ほぼ環境と才能で決まる」という前提が貫かれています。
「大抵の倭国人は俺より恵まれている」
「お前は恵まれただけなのに、努力したつもりになって説教するな」
「恵まれていたことに謙虚であれ」という他者へのメッセージ
この視点には、正しい部分もあります。
・階級・教育・家庭の影響が人生に与える影響は、データ的にも非常に大きい
・本人の努力以前に、スタートラインが全く違う人たちがいる
という指摘そのものは、社会学的には妥当です。
一方で、この文章では「だから、俺の人生は最初から詰んでいた」という結論に一直線でつながっており、「そこからどうリカバーし得たか」「別の選択肢があったか」については、ほとんど検討されていません。
つまり、社会批判・構造批判としては鋭い
しかし、本人の生存戦略としては“完全に諦めのロジック”に振り切れているという二面性があると感じました。
4. 家族描写のリアルさと、読んでしまう危うさ
兄たちや母・父の描写は、かなり生々しくリアルです。
・兄との楽しい思い出(クワガタ採集・ゲーム・旅行)
・そこから一気に「不登校・暴れる・自殺」に流れていく過程
・母の働き詰めと、感情的な余裕のなさ
・離婚、遺産相続、遺骨、暴力的な衝動…
この辺りは、支援現場で見る「多問題家族」の典型的な要素がほとんど揃っていて、臨床記録として読んでもおかしくないレベルです。
同時に、文章としてのトーンはどこか「冷静で、半分はネタにしている」ような書き方
一方で、「自分の人生の価値はゼロだ」と断言する強い自己否定が混ざっているので、読む側もだんだん「これは笑っていいのか、泣くべきなのか、怒るべきなのか」がわからなくなります。
その「曖昧さ」が、中には「わかるわかる」と同一化してしまう人「やっぱり人生詰んだら自殺しかないのか」と、変に納得してしまう人を出してしまう危うさも感じました。
5. この文章から「実務的に」学べること
少しドライに、実務的な観点でまとめると、以下のポイントは非常に示唆的です。
・「狭い居住環境+家庭内緊張」は、子どものメンタルに長期で響く
プライバシーがない
感情表現が禁止される雰囲気
→ これだけで対人恐怖やコミュ障傾向のリスクは相当高まる。
・支援が入らないまま「中卒引きこもり」が家族内で連鎖している
兄2人+本人が似た軌跡を辿っているのに、福祉・医療・スクールカウンセラー等の介入がほぼ見えない。
→ こういう家族に対して、早期のアウトリーチがどれだけ重要かがよくわかる。
・本人には明らかに“力”もある
ここまで長大で構造化された文章を書けること自体、認知能力も言語能力もかなり高い。
記憶力も強く、観察眼も鋭い。
本来であれば、別の環境なら何らかの専門職やクリエイティブ職で活きた可能性もあり得る。
・「ネット上の言葉」がメンタルに与える影響の大きさ
ゲームのネガキャンや、2chでの煽りに強く左右されている描写。
オフラインの支えが乏しいほど、オンラインの言葉のダメージが致命傷に近づく。 December 12, 2025
「私の言い過ぎだった」 不登校問題で「親が悪い」「学校へ行くのは当たり前」などと富士宮市長が発言 撤回した上で自らの非を認める 「過ちては改むるに憚ることなかれ」 発言全文も掲載(FNNプライムオンライン)
https://t.co/VIaNI5Kciz December 12, 2025
不登校は「親が悪い。しつけをちゃんとしていない。家庭での教育が大事」 富士宮市長が“持論” 市議会の質問戦で不適切発言 「学校へ行けないことは悪いこと」 のちに撤回(FNNプライムオンライン)
https://t.co/ltlObO0gmj December 12, 2025
うわぁ……急に鮮明に思い出したけど、中学不登校になって昼夜逆転とかになってた時にお母さんにしつこくかなり奇妙な怒り方(怒れてないもっとタチの悪い何か)をずっとかなりチクチクネチネチ言われまくってたから、特に夜中や明け方にやりたいことに熱中することに対して罪悪感を感じるように December 12, 2025
読んでいて、正直かなりきつい文章でした。
ただの「自分語り」ではなく、
・貧困・狭い住環境
・家庭内の緊張・暴力・自殺
・いじめや万引き、学校への不適応
・引きこもりとネット依存
・そして最終的な自殺の決意
が、かなり精緻に一本の「物語」として組み立てられている印象です。
以下、少し整理して感想を書きます。
1. 全体として感じたこと
1つの家族が、貧困と機能不全の中でじわじわ壊れていく「ケーススタディ」を読んでいるようでした。
・6畳2間の平屋に6人住まい
・兄2人は中卒・引きこもりからの自殺/ニート
・家の中では感情表現が禁止されているような空気
・親は「生活を回すことで精一杯」で、子の感情や進路に向き合う余力がほとんどない
この条件が複合していて、本人の表現を借りれば「環境・才能どちらにも恵まれなかった倭国人」の典型例として描かれています。
同時に、ものすごく細かい記憶(店・商品・日付・作品名など)を延々と書き続けている点から、強い「反すう(ルミネーション)」と「自己物語化」のクセが見えます。
「このホームページを見た人の脳に俺の人生が記憶されることが、存在証明になる」と本人も書いているとおり、この長文そのものが「自分の人生を正当化しながら、世界に刻みつけるための最終プロジェクト」になっているように感じました。
2. 親・環境への怒りと、自己否定の両立
読みながら一番強く感じたのは、「責任の配分」に関する認知のゆがみです。
確かに、この家庭環境が子どもにとって有害だった部分は明らかにあります。
・貧困
・家の狭さによるプライバシーの欠如
・兄の暴力・警察沙汰寸前
・親の長時間労働と精神的な不在
・兄弟の自殺
その一方で、本人は一貫して
「親の教育失敗=自分がこうなった原因」
「だから責められるべきは母親であって自分ではない」というロジックを強く主張しています。
しかし、文中では自分の問題行動(万引き・家の破壊・母への攻撃的言動など)もかなり正直に書かれている。
そこに対しては「俺が悪いのはわかってる」と言いつつも、最終的には「それでも一番悪いのは母親だろ」という結論に回収している。
ここには、「全部自分が悪い」と言い切ると生きていけない
しかし「全部親が悪い」と言い切ると現実感が崩壊するという板挟みがあって、その狭間で「理屈としては親8〜9割悪い、と考えたい」という心の動きが見えます。
心理学的に見れば、これは「自己防衛」として自然な動きです。
ただし、実務的・現実的な観点から言えば、極端な因果論(全部親が悪い/全部自分が悪い)はどちらも「今後の選択肢を狭めるだけ」になりやすい、という限界も感じます。
3. 「環境と才能で全て決まる」という諦念
文章全体を通して、「人の人生は、ほぼ環境と才能で決まる」という前提が貫かれています。
「大抵の倭国人は俺より恵まれている」
「お前は恵まれただけなのに、努力したつもりになって説教するな」
「恵まれていたことに謙虚であれ」という他者へのメッセージ
この視点には、正しい部分もあります。
・階級・教育・家庭の影響が人生に与える影響は、データ的にも非常に大きい
・本人の努力以前に、スタートラインが全く違う人たちがいる
という指摘そのものは、社会学的には妥当です。
一方で、この文章では「だから、俺の人生は最初から詰んでいた」という結論に一直線でつながっており、「そこからどうリカバーし得たか」「別の選択肢があったか」については、ほとんど検討されていません。
つまり、
社会批判・構造批判としては鋭い
しかし、本人の生存戦略としては“完全に諦めのロジック”に振り切れている
という二面性があると感じました。
4. 家族描写のリアルさと、読んでしまう危うさ
兄たちや母・父の描写は、かなり生々しくリアルです。
・兄との楽しい思い出(クワガタ採集・ゲーム・旅行)
・そこから一気に「不登校・暴れる・自殺」に流れていく過程
・母の働き詰めと、感情的な余裕のなさ
・離婚、遺産相続、遺骨、暴力的な衝動…
この辺りは、支援現場で見る「多問題家族」の典型的な要素がほとんど揃っていて、
臨床記録として読んでもおかしくないレベルです。
同時に、文章としてのトーンはどこか「冷静で、半分はネタにしている」ような書き方
一方で、「自分の人生の価値はゼロだ」と断言する強い自己否定が混ざっているので、読む側もだんだん「これは笑っていいのか、泣くべきなのか、怒るべきなのか」がわからなくなります。
その「曖昧さ」が、中には「わかるわかる」と同一化してしまう人
「やっぱり人生詰んだら自殺しかないのか」と、変に納得してしまう人を出してしまう危うさも感じました。
5. この文章から「実務的に」学べること
少しドライに、実務的な観点でまとめると、以下のポイントは非常に示唆的です。
・「狭い居住環境+家庭内緊張」は、子どものメンタルに長期で響く
プライバシーがない
感情表現が禁止される雰囲気
→ これだけで対人恐怖やコミュ障傾向のリスクは相当高まる。
・支援が入らないまま「中卒引きこもり」が家族内で連鎖している
兄2人+本人が似た軌跡を辿っているのに、福祉・医療・スクールカウンセラー等の介入がほぼ見えない。
→ こういう家族に対して、早期のアウトリーチがどれだけ重要かがよくわかる。
・本人には明らかに“力”もある
ここまで長大で構造化された文章を書けること自体、認知能力も言語能力もかなり高い。
記憶力も強く、観察眼も鋭い。
本来であれば、別の環境なら何らかの専門職やクリエイティブ職で活きた可能性もあり得る。
・「ネット上の言葉」がメンタルに与える影響の大きさ
ゲームのネガキャンや、2chでの煽りに強く左右されている描写。
オフラインの支えが乏しいほど、オンラインの言葉のダメージが致命傷に近づく。 December 12, 2025
読んでいて、正直かなりきつい文章でした。
ただの「自分語り」ではなく、
・貧困・狭い住環境
・家庭内の緊張・暴力・自殺
・いじめや万引き、学校への不適応
・引きこもりとネット依存
・そして最終的な自殺の決意
が、かなり精緻に一本の「物語」として組み立てられている印象です。
以下、少し整理して感想を書きます。
1. 全体として感じたこと
1つの家族が、貧困と機能不全の中でじわじわ壊れていく「ケーススタディ」を読んでいるようでした。
・6畳2間の平屋に6人住まい
・兄2人は中卒・引きこもりからの自殺/ニート
・家の中では感情表現が禁止されているような空気
・親は「生活を回すことで精一杯」で、子の感情や進路に向き合う余力がほとんどない
この条件が複合していて、本人の表現を借りれば「環境・才能どちらにも恵まれなかった倭国人」の典型例として描かれています。
同時に、ものすごく細かい記憶(店・商品・日付・作品名など)を延々と書き続けている点から、強い「反すう(ルミネーション)」と「自己物語化」のクセが見えます。
「このホームページを見た人の脳に俺の人生が記憶されることが、存在証明になる」
と本人も書いているとおり、この長文そのものが「自分の人生を正当化しながら、世界に刻みつけるための最終プロジェクト」になっているように感じました。
2. 親・環境への怒りと、自己否定の両立
読みながら一番強く感じたのは、「責任の配分」に関する認知のゆがみです。
確かに、この家庭環境が子どもにとって有害だった部分は明らかにあります。
・貧困
・家の狭さによるプライバシーの欠如
・兄の暴力・警察沙汰寸前
・親の長時間労働と精神的な不在
・兄弟の自殺
その一方で、本人は一貫して
「親の教育失敗=自分がこうなった原因」
「だから責められるべきは母親であって自分ではない」というロジックを強く主張しています。
しかし、文中では自分の問題行動(万引き・家の破壊・母への攻撃的言動など)もかなり正直に書かれている。
そこに対しては「俺が悪いのはわかってる」と言いつつも、最終的には「それでも一番悪いのは母親だろ」という結論に回収している。
ここには、「全部自分が悪い」と言い切ると生きていけない
しかし「全部親が悪い」と言い切ると現実感が崩壊するという板挟みがあって、その狭間で「理屈としては親8〜9割悪い、と考えたい」という心の動きが見えます。
心理学的に見れば、これは「自己防衛」として自然な動きです。
ただし、実務的・現実的な観点から言えば、極端な因果論(全部親が悪い/全部自分が悪い)はどちらも「今後の選択肢を狭めるだけ」になりやすい、という限界も感じます。
3. 「環境と才能で全て決まる」という諦念
文章全体を通して、「人の人生は、ほぼ環境と才能で決まる」という前提が貫かれています。
「大抵の倭国人は俺より恵まれている」
「お前は恵まれただけなのに、努力したつもりになって説教するな」
「恵まれていたことに謙虚であれ」という他者へのメッセージ
この視点には、正しい部分もあります。
・階級・教育・家庭の影響が人生に与える影響は、データ的にも非常に大きい
・本人の努力以前に、スタートラインが全く違う人たちがいる
という指摘そのものは、社会学的には妥当です。
一方で、この文章では「だから、俺の人生は最初から詰んでいた」という結論に一直線でつながっており、「そこからどうリカバーし得たか」「別の選択肢があったか」については、ほとんど検討されていません。
つまり、
社会批判・構造批判としては鋭い
しかし、本人の生存戦略としては“完全に諦めのロジック”に振り切れている
という二面性があると感じました。
4. 家族描写のリアルさと、読んでしまう危うさ
兄たちや母・父の描写は、かなり生々しくリアルです。
・兄との楽しい思い出(クワガタ採集・ゲーム・旅行)
・そこから一気に「不登校・暴れる・自殺」に流れていく過程
・母の働き詰めと、感情的な余裕のなさ
・離婚、遺産相続、遺骨、暴力的な衝動…
この辺りは、支援現場で見る「多問題家族」の典型的な要素がほとんど揃っていて、
臨床記録として読んでもおかしくないレベルです。
同時に、文章としてのトーンはどこか「冷静で、半分はネタにしている」ような書き方
一方で、「自分の人生の価値はゼロだ」と断言する強い自己否定が混ざっているので、読む側もだんだん「これは笑っていいのか、泣くべきなのか、怒るべきなのか」がわからなくなります。
その「曖昧さ」が、中には「わかるわかる」と同一化してしまう人
「やっぱり人生詰んだら自殺しかないのか」と、変に納得してしまう人を出してしまう危うさも感じました。
5. この文章から「実務的に」学べること
少しドライに、実務的な観点でまとめると、以下のポイントは非常に示唆的です。
・「狭い居住環境+家庭内緊張」は、子どものメンタルに長期で響く
プライバシーがない
感情表現が禁止される雰囲気
→ これだけで対人恐怖やコミュ障傾向のリスクは相当高まる。
・支援が入らないまま「中卒引きこもり」が家族内で連鎖している
兄2人+本人が似た軌跡を辿っているのに、福祉・医療・スクールカウンセラー等の介入がほぼ見えない。
→ こういう家族に対して、早期のアウトリーチがどれだけ重要かがよくわかる。
・本人には明らかに“力”もある
ここまで長大で構造化された文章を書けること自体、認知能力も言語能力もかなり高い。
記憶力も強く、観察眼も鋭い。
本来であれば、別の環境なら何らかの専門職やクリエイティブ職で活きた可能性もあり得る。
・「ネット上の言葉」がメンタルに与える影響の大きさ
ゲームのネガキャンや、2chでの煽りに強く左右されている描写。
オフラインの支えが乏しいほど、オンラインの言葉のダメージが致命傷に近づく。 December 12, 2025
身内にこれいる
同じ義務教育を受けてないのではと思ってしまうレベルや(一応高卒で不登校歴等はない)
まあそろそろ縁切る予定だけど。
でもその家庭には小さい子供がいるからそこだけは気になってしまう...子は親を選べないから可哀想すぎて...陰謀論好きの親は毒親と似たようなもんやろ... https://t.co/c8kq8kso0S December 12, 2025
これに不登校児等ドロップアウター達が猛反発してるけど、どちらかと言うとハラスメントを楽しみ他者を不登校に追い込んだ加害児童に対する忠告でしょ。
「周囲の子の社会性や倫理観が育ち選択肢が増えるにつれ、君の優位性は失われる。いつまでも子供の特権でひどい事は出来ないから気をつけろ」と。 https://t.co/f9UQujgeVF December 12, 2025
不登校多い学校だったから、自分がヤングケアラーにされて殆ど登校できなくても、誰も気にしなかった。
教師に相談しても「時間は作るもの。時間がないなんて言い訳は恥ずかしい」って言われて終わったし、児相や子どもの人権110番も似たようなものだった。 December 12, 2025
自分が思いついたのは、
・一時的にせよ不登校or1限欠席で遅れていくになり、生活と勉強を見直す
・せめて睡眠を内服込みで改善させる
だったが、本人の強い拒否で選べなかった。
それを見た妻が長男に、
「分かった。
じゃあ、他には口を出さないから、今日からリビングで寝なさい。」
と言った。 December 12, 2025
「いじめ防止対策推進法を知らない親御さんが、実はすごく多いです。
学校側も『知らない』を前提に『揉めたら子どもに影響が出るよ』と脅してくることが…。 でも知っていれば、絶対に守れる権利があります。
もう誰一人、黙って我慢しなくていいんです。
同じ思いをした方、ぜひここで教えてください。
あなたの声が、次の誰かを救います。
#いじめ #不登校 December 12, 2025
繊細で優しいいい子がくらってしまい不登校になってしまうのは、全体指導もその一つであると納得できます。。
息子も学校行っているとき、友達が怒られると心を痛めていた💦
休み始めた時も学級崩壊の小5の冬で、翌年により厳しい先生になり適応障害が強くなったが、先生は〇〇は学校では大丈夫と言う https://t.co/7dK8g3MmEA December 12, 2025
深夜なのに次男が部屋に見当たらなくて。長男部屋で寝落ちした?と覗いたら、次男はしっかり自分の掛け布団を持ち込んで、計画的に長男の布団で2人仲良く寝てた🤣最近は一緒にプログラミングや難読漢字をやってるみたい。不登校でも兄弟こんなに仲良しなら間違えてないような気がして嬉しくなった夜。 December 12, 2025
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