ヴィンランド・サガ アニメ
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2025.12.06 14:00
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世の中の物語の多くは、「夢を成し遂げる」「復讐を果たす」、あるいは「恋を成就させる」までで終わる。
なぜなら、その先にある「リアリティのある生活」からドラマを掬い上げ、エンタメとして成立させるのは、作家にとってあまりに過酷で難しい作業だからだ。
僕自身、『宇宙兄弟』という作品に関わる中で、「夢を叶えた後の日常」を描き続けることの難易度を小山さんが感じているのを、ずっと見てきた。
だからこそ、一ファンでしかないけど、『ヴィンランド・サガ』が到達している領域には畏怖すら感じる。
ヴァイキングの物語と聞けば、僕たちはつい「力」と「征服」のイメージを思い浮かべる。しかしこの作品は、その中心に「戦わないこと」を選ぶ勇気を据えた特異な物語だ。
主人公トルフィンは幼少期に父を失い、復讐だけを支えに育つ。だが、その復讐心こそが彼を戦場に縛りつけ、人間性を殺していく。憎しみによって生きる者は、相手を否定することでしか自分を肯定できなくなる。そこにあるのは「戦う者の論理」への従属でしかない。
面白いのは、彼の人格を形成したアシェラッドという男が、暴力に最も精通しながら、最後の瞬間に暴力の物語を裏切る点だ。暴力の果てには虚無しかないことを、彼は知っていた。アシェラッドを失い、復讐の軸が消えたとき、トルフィンは再び考え始める。「人は何のために生きるのか」と。
父トールズの言葉がそこで再び響く。「お前に敵などいないんだ。誰にも敵などいないんだ」
これは単なる平和主義ではない。敵を想定しなければ自己を保てないという、近代社会の脆さを射抜く視線だ。
他者を排除して成立する強さは、結局のところ常に敵を探し回らねばならない。
今のSNSの議論。毎日、誰かがフォロワーを増やすプロレスだとしても新しい議論をしてる。
トルフィンが辿り着いたヴィンランドは、暴力の物語を降りた者たちが、傷だらけのまま「共に生きる道」を試みる場所だ。争わずに存在するという、極めて困難な哲学実験である。
作品は問いかける。「あなたが『敵』と呼んでいるものは、本当に敵だろうか」と。
この物語構造を見ていて思う。
僕たちは今、「勝つことを目指す時代」から「継続することを目指す時代」の転換点にいる。この作品を20年描き続けた幸村さんは、思想的に時代の最先端にいる。古い時代を描きながら。
遠藤周作が描いた愛は、幸村さんに影響を与えていたのだろうか?
『ヴィンランド・サガ』は、単なる歴史漫画ではなく、この新しい時代をどう生きるべきかを示す、教科書のような作品だと思う。
戦いを捨てることこそが、最も困難で、最も高貴な選択なのだと、この作品は教えてくれる。
月曜日の対談を前に読み直しているのだが、静かな興奮が止まらないし、心の中で作者とたくさん話してる。
対談の時間が足りないが、楽しみすぎる。 December 12, 2025
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あまり大袈裟だったり大上段な言い方はしたくないけれど『ヴィンランド・サガ』は21世紀で最も重要な作品の一つだと思う。
「漫画」というメディアや形式の枠組みを越えて。
幸村先生が影響を公言している坂口尚先生の『石の花』も今こそ読まれてほしい。 https://t.co/kTvY77XvWS https://t.co/GpR1RFdPBJ December 12, 2025
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ヴィンランド・サガは本当に凄まじい作品だった。
> 作品は問いかける。「あなたが『敵』と呼んでいるものは、本当に敵だろうか」と。
敵か味方かは環境や社会の構造によってそうなってしまう大きな流れがあり、その構造に対して目を向けなければいけないのではないか、というメッセージだと感じた。 https://t.co/MUyxsjBCUu December 12, 2025
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@sadycork @genroncafe @makotoyukimura フリーレンは大きな物語が終わった後の物語っすね。ヴィンランドサガは二項対立の物語を反対側の視点で見たって印象すかね。
なので、どういう結末に向かうかが気になるんですけど。 December 12, 2025
ヴィンランドサガはプラネテスの愛の哲学が素晴らしかっただけにどうなんだろうと思って読み進めたけど、アシェラッドがキレたら辺といいアル中神父の極まり方といいやっぱり素晴らしかった。 December 12, 2025
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