ユダヤ人 トレンド
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2025.12.07 17:00
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ざっと見た印象「大量虐殺」とは言ってても「皆殺し」とまでは言ってないので「皆殺しはしてない! 取り立てられてるユダヤ人もいる!」は別に反論になってないのでは…
(それ言い出したらスターリンも毛も「虐殺対象である自国民」を取り立ててはいるし…) https://t.co/Ir4obasUhN https://t.co/HpHZKjKtqI December 12, 2025
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@NeuTabuchi @Cisibasi @koudaiin @dietmokuhyou @SetagayaIstGut @a10205342 @kanna8kanna @mayuki_kiryu @neckfolia_3 @tabuchi_takaaki @dd2dtty @KiodeauxMeiller @iTfu60m1Tp29MdD @sukipparanisake @Neuer_tabutschi @franoma @AAj9m4e @kulenaiDX @keninter @SetagayaIstErst @kannoshigeru @lupus211 @bombonbox @TakaakiTabuchi @kiykun @yoshikotori @fossilecosystem @CCTV @derspiegel @welt @Zeit @sputnik_jp @IvankaTrump @globaltimesjp @47news_official @PDChinese @ChnEmbassy_jp @ChnConsul_osaka イシバシが本気で読むはずがない。CIAとユダヤ人の陰謀で作ったんだものな? December 12, 2025
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〈ヴィシー政権の反ユダヤ・プロパガンダに屈しなかったアルジェリアのムスリム〉
👉 ヴィシー政権下で、アルジェリアのユダヤ人は反ユダヤ法の犠牲となり、1940年10月7日のクレミュー法令の撤廃によってフランス市民権を失いました。彼らは社会から排除され、財産を没収され、多くの男性が収容所に送られ、強制労働を課されました。これらの措置は本国よりも厳しい場合もあり、現地行政の協力によって進められ、ユダヤ人コミュニティへの強い敵意を招く結果ともなりました。
しかしその一方で、ムスリムたちは一般的にユダヤ人を支持し、ヴィシーの反ユダヤ政策を「嘘、中傷、無意味な悪意」と非難していました。この反応によって、両コミュニティの間には、ヴィシー政権の人種政策に対抗する連帯の絆が生まれたのです。
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🎦 クレミュー法が廃止されるやいなや、ヴィシー政権はアルジェリアの先住民行政の担当者たちに対し、この発表に対するムスリムの反応を測るよう求めました。ところが、その反応は期待されていたものとはまったく違っていました。特に喜びの声が上がるわけではなかったのです。アルジェとヴィシーの当局がムスリムを取り込もうと急いでいたにもかかわらず、ムスリム指導者たちは反ユダヤ主義のプロパガンダに屈しませんでした。
彼らの中でも最も重要な人物であり、アルジェリア民族主義の父ともされるメサリ・ハッジは、重い刑で服役していた1931年3月、獄中からこう述べました。「クレミュー法の廃止はアルジェリア人民にとって進歩とはみなされません。あなたがたがユダヤ人に与えていた権利を取り上げても、ムスリムに新たな権利は何一つ与えられていないのです。いま実現したムスリムとユダヤ人の“平等”とは、低いほうへそろえられた平等にすぎません。」
多くの資料が示すところによれば、モスクでは次のような指示が広まっていました。「ユダヤ人は不幸の中にいる。彼らは我々の兄弟であり、彼らの財産を奪うためにこの状況を利用してはならない。」ヴィシー派は、このムスリムとユダヤ人の連帯に苛立ちを見せました。
オランでは、ムスリムの評議員たちがクレミュー法廃止の撤回を求めるユダヤ人共同体の取り組みを支持しました。彼らは、ユダヤ教徒のフランス人との誠実な友好関係を表明する声明に署名したのです。フェラット・アッバスもまた、この法廃止を喜んだことは一度もありませんでした。彼はのちに歴史の流れを変える声明文を発表します。その中では、植民地支配の非難と廃止、アルジェリア全住民の自由と平等が求められていました。その文書は、ムスリムたちがそれまでフランス市民権を得ることを期待していたが、それを拒否されたためについに要求を取り下げたのだとはっきり述べています。
1936年の選挙後、反ユダヤ主義者たちは激しく暴れました。オランでは、元将校で反人民戦線の急先鋒だったガブリエル・ランベール市長が、ユダヤ人の陰謀の象徴として植民地帽をかぶってみせ、ユダヤ人への総動員を叫びました。ドリオのPPFなどフランスのファシスト政党がムスリムを取り込もうとする中で、主要な民族主義指導者たちはクレミュー法が政治利用されていることを見抜いていました。
戦争の直前、「セティフの薬剤師」と呼ばれたフェラット・アッバスは次のように力強く述べました。「ユダヤ人はフランス人であり、今後もフランス人である。それは当然のことだ。いくつかの“新しいフランス人”たちが、我々に対して、また我々の土地で支配しようとするなど耐えがたい。彼らが私たちを搾取するのは自由だし、彼らが富を得るのも自由だ。それは当分のあいだは許されている。しかしアルジェリアでアルジェリア人に対し人種主義を振りかざすことは、断じて許されない。」
各市役所は政府に対し、雇用する職員の中にユダヤ人はいなくなったと保証しなければなりませんでした。司法や行政など多くの職業がユダヤ人を排除していましたが、中でも学校における排除が最も厳しいものでした。
また、有名な証言としてはデリダ(ジャック・デリダ)が語っているものがあります。「私はアルジェリア生まれのユダヤ人として話したい。私が属していた共同体の一部は、1870年のクレミュー法によってフランス国籍を与えられ、そして1940年にそれを奪われたのです。私は10歳のとき、ヴィシー政権下でフランス市民権を失い、数年間フランス学校から排除され、“先住ユダヤ人”と呼ばれる存在の一部となりました。そのとき私たちが最も多くの連帯を感じたのは、同じアルジェリア人であり、いわゆる“アルジェリアのフランス人”ではありませんでした。これは、私の人生の中で最も大きな衝撃のひとつでした。」
(via Rael Maitreya)
https://t.co/iAf5gwjvwu December 12, 2025
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❑そもそも、アシュケナージは #白人 ではない。
「アシュケナジは民族集団である」というのは正しい。
ただし、ユダヤ教やユダヤ人とは何の関係もない。
ほとんどのアシュケナジ人はムスリムである(トルコに行ってみて)
多くはキリスト教徒で、無神論者である。
ユダヤ教は、アッバース朝時代(西暦8世紀頃)に誕生しました。
https://t.co/2SGwxxMKJo December 12, 2025
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〈最初に現れた一神教はどれ?〉
一番最初の宗教は何でしょうか✨📒
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🎦 ユダヤ教が最初に登場しました。ただし、いつ現れたのか正確にはわかっていません。ユダヤ人の聖典であるヘブライ語聖書によれば、紀元前2千年紀のうちに成立したとされています。しかし歴史家たちは、むしろ紀元前1千年紀に誕生したと考えています。いずれにしても確かなことは、ヘブライ語聖書が書かれたのは紀元前1千年紀だということです。
その頃、ユダヤ人はユダの砂漠やエルサレムなどにいました。そしてこのヘブライ語聖書の中にモーセという人物が登場しますが、考古学的には彼の存在を裏付ける証拠は見つかっていません。
キリスト教はユダヤ教の後に現れ、ユダヤ教から大きな影響を受けています。そのためモーセについても語られます。しかし中心となる人物はイエスです。このイエスについては、歴史家たちは実在した人物だと認めています。奇跡の部分は信仰の領域に属します。イエスはベツレヘムで生まれ、ナザレで育ち、エルサレムで磔にされて亡くなったとされています。
この新しい宗教の基礎を築いたのは弟子たち、マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネで、彼らが聖書の第二部である新約聖書を書きました。これは旧約聖書(ヘブライ語聖書に相当)に続くものです。
その後に現れたのがイスラム教とその聖典コーランで、紀元7世紀のことです。この三番目の一神教の使者がムハンマドです。彼も歴史的に実在した人物です。ムハンマドは570年頃にメッカで生まれました。メッカはイスラム教における第一の聖地です。ムハンマドは生涯を通してこの宗教を広め、アラビアのヒジャーズ地方を巡り歩き、最終的にメディナへ移り、632年に亡くなりました。メディナはイスラム教の第二の聖地です。
コーランの中には、遠くのモスクへの夜の旅についての記述もあります。ムスリムの伝統では、このモスクはエルサレムにあるとされ、エルサレムはイスラム教にとって第三の聖地になっています。
つまり、これら三つの宗教は順番に現れた異なる宗教であり、いずれもエルサレムと深く結びついています。
聖書によれば、アブラハムはノアの遠い子孫です。ノアはセツの子孫で、セツはカインとアベルの兄弟の一人であり、彼らは神が創造した最初の人間アダムとイヴの子どもたちです。もちろん、これらの人物は伝説上の存在です。ヘブライ語聖書の最初の書であり旧約聖書の一部である創世記、さらにはコーランにも登場します。
聖書によれば、アブラハムはメソポタミアのカルデア地方、現在のイラクにあたるウルという場所に住んでいました。当時、人々は雨の神、太陽の神、豊穣の神など、多くの神々を信仰しており、エジプト人のような多神教の世界でした。しかしアブラハムは他の人々とは違い、聖書の記述によれば、唯一の神だけを信じた最初の人物とされています。そこから契約と約束の地の物語が生まれます。
こうしてアブラハムは長い旅に出ることになり、現在のトルコ南部にあたるハラン、そしてカナンの地、いわゆる約束の地へと向かいました。さらにエジプトまで足を延ばし、再びカナンの地に戻り、最終的にはヘブロンで亡くなったとされています。
(via Rael Maitreya)
https://t.co/1HgUidV5tj December 12, 2025
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@kanno_shigeru @koudaiin @NeuTabuchi @dietmokuhyou @SetagayaIstGut @a10205342 @kanna8kanna @mayuki_kiryu @neckfolia_3 @tabuchi_takaaki @dd2dtty @KiodeauxMeiller @iTfu60m1Tp29MdD @sukipparanisake @Neuer_tabutschi @franoma @AAj9m4e @kulenaiDX @keninter @SetagayaIstErst @kannoshigeru @lupus211 @bombonbox @TakaakiTabuchi @kiykun @yoshikotori @fossilecosystem @CCTV @derspiegel @welt @Zeit @sputnik_jp @IvankaTrump @globaltimesjp @47news_official @PDChinese @ChnEmbassy_jp @ChnConsul_osaka 今でも、イスラエルでは、初心者向けに、母音の入った本が出されているが、正規の本は母音が無く、ユダヤ人以外には、読書そのものが、困難な本である。本でヘブライ語を学ぶ際には注意が必要。 December 12, 2025
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何度もいうがナチを擁護したりナチをあんまり過激じゃないとかほざくのは
大半がメフォ手形も東方生存圏も
東部戦線での虐殺も劇ヤバな
オカルト思想も障害者の殺害計画も
レーベンスボルンも知らないやつ
ナチが歴史に残した罪は
「ユダヤ人虐殺」だけじゃないんだよ December 12, 2025
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『戦場のピアニスト』
ユダヤ人で類まれなる才能を持つ天才ピアニスト
シュピルマンの壮絶な半生を描いた実話
1939年ドイツがポーランドに侵攻
家族とともにワルシャワ・ゲットーに収容される
想像を絶するユダヤ人への迫害と暴力・・・
地味な映画だが、心に刺さる映画
★★★★☆ https://t.co/QRfebQplf7 December 12, 2025
(7)イブラヒムおじさんとコーランの花たち
家族の愛を知らずに育ったユダヤ人少年が年老いたトルコ商人の老人と出逢い、親子のような関係を築くヒューマン・ドラマ
こういう、おじいさんと子どもの組み合わせに弱いのよ私〜
ラストが拍子抜けで素直に感動できんかったけど、トータルすると良かった https://t.co/LAZLKy7T9T December 12, 2025
@ObLaDiOblako2 @nishimas @Cannot_Kaba この言葉尻を捉えてナチ側はユダヤ人迫害を正当化しようとしたわけですが。
21世紀にもなってその轍を踏もうというネトウヨ=ナチがいるわけです。 December 12, 2025
@Creepy_Nuts_ 戦場のピアニスト ユダヤ人なのよ
長くなるから書けない笑
良かったら1度みてみて👋 2002年のカンヌ映画祭で、大賞もらってるね(^^)
愛してるよ♡ December 12, 2025
ナチス政策...?
「数的に過剰に存在するユダヤ人科学者を排除し、非ユダヤ人学生に公正さを回復する」という根拠で行われたナチスの政策に、現代で行われているDEI施策との類似点(similarities)がある、とイスラエルの科学史研究者が査読付学術論文で指摘していたりします。 https://t.co/w4tDpzu8qe https://t.co/B27CeOIg0D December 12, 2025
@Nathankirinoha えー・・変なもんをAIに読み取らせるなぁぁ・・先日もナチスのユダヤ人虐殺を擁護するAI回答が問題になったばっかり・・これで反ワク回答までするようになったらもうファクトチェックでも使えなくなる。 December 12, 2025
彼はこうした罪について赦しを求めています──
神とユダヤ教の名を汚した罪、人質を救出するというミツヴァ(戒律)を放棄した罪、隣人に死と破壊をもたらした罪、自らの苦しみを他者に押しつけた罪、隣人の生きる権利を否定した罪、他の人間の尊厳を踏みにじった罪、復讐の戦争を行った罪、人々を、とりわけ無実の子どもたちを飢えさせた罪、他者の土地を奪った罪、他者への支配と優越の罪、無関心と盲目の罪──
これが私の言いたいすべてです。
私は、ガザの映像を前にしてパリのテレビ番組のスタジオに座って話すことに、とてもつらさを感じています。昨夜、夫が言いました。「アルテ(テレビ局)でガザの最初の映像が出ているから見てごらん」と。私は眠れませんでした。あの映像は言葉にできないほどの、言葉を失うほどのものでした。
なぜネタニヤフ政権はジャーナリストの立ち入りを禁止するのでしょうか?
なぜ私たちは今日になっても、ガザで実際に何が起きたのかすら分からないのでしょうか?
なぜイスラエルの秘密サービスは、10月6日に何が起こるか予見できなかったのでしょうか?
私たちはまだ同じ問いの前に立ち尽くしています。
そして誰も調査をしようとしない。
言わせてもらえば、ネタニヤフの手は汚れています。
これは本来、私たちが知るべきことです。人質の家族たちが知りたいことでもあります。
なぜイスラエル政府は何も察知できなかったのか?
私はガザに行ったことがあります。イスラエルにも行きました。20歳の頃、キブツの美しさを体験しました。本当に素晴らしかった。
東欧から来た開拓者たちはこう言っていました。「パレスチナのこの土地は、二つの国家が共存するには十分に広い」と。
それは、偉大な作家アモス・エロンが語った時代でもありました。
彼はこう言いました──
「かつてユダヤ人は歴史の補助席に座らされていた。しかし彼らは歴史の中に入った。シオニズムとは、彼らを歴史の中へと押し出す方法だった」。
そしてアモス・エロンは去っていきました。あの国の空気にもう耐えられず、イタリアへと移り住んだのです。
私も同じです。私も去りました。もう耐えられなかったのです。
あなたも、今まさに苦しんでいるのが分かります。怒り、深く動揺しているのが伝わります。
ダヴィド・メイヤーもこう言いました。
「私たちは被害者ではない。加害者になってしまったのだ」。
はい、私たちは加害者になってしまったのです。
彼はさらに、とても衝撃的なことを言っています。そしてあなたもそれを引用しておられます。
「おそらく歴史上かつてないほど、多くの人間をユダヤ人が殺した時代はない」と。
ユダヤの歴史全体を通して、こんなことはかつて一度もなかった──と。
RAELselect https://t.co/OLftGqpf3V December 12, 2025
来年、ポーランドで研修を積む
アウシュヴィッツ強制収容所の収容者は、ソ連兵から次第にユダヤ人が中心になる
収容所では28ヵ国110万人の犠牲者
『アンネの日記』の著者:アンネ・フランクも一時収容
この強制収容所の写真を見ていると、私自身は勿論被収容の経験は無いが、恐怖と絶望を感じる https://t.co/dZPfgMelsK December 12, 2025
@MyoyoShinnyo 厳密に言えば、ナチスが勝手に決めたユダヤ系の血が入ってるだけのユダヤ人という自認さえないドイツ人殺しまくりで、そしてユダヤ人の集団虐殺より先に大規模にやったのがドイツ人の共産主義者と障害者虐殺で、さらに同性愛者やロマ(ジプシー)など全て血統的にユダヤ人と無関係な人を殺した。 December 12, 2025
カースト制度が悪いものである、という価値観は、
フリーメイソンの自由平等博愛の精神に由来している。
このフリーメイソンの源流はナザレのイエスであり、ユダヤ人のルーツである。
しかし、彼自身、人間という動物の喩えの中でカーストを推奨していたのである。 December 12, 2025
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