メソポタミア トレンド
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2025.12.07 17:00
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〈最初に現れた一神教はどれ?〉
一番最初の宗教は何でしょうか✨📒
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🎦 ユダヤ教が最初に登場しました。ただし、いつ現れたのか正確にはわかっていません。ユダヤ人の聖典であるヘブライ語聖書によれば、紀元前2千年紀のうちに成立したとされています。しかし歴史家たちは、むしろ紀元前1千年紀に誕生したと考えています。いずれにしても確かなことは、ヘブライ語聖書が書かれたのは紀元前1千年紀だということです。
その頃、ユダヤ人はユダの砂漠やエルサレムなどにいました。そしてこのヘブライ語聖書の中にモーセという人物が登場しますが、考古学的には彼の存在を裏付ける証拠は見つかっていません。
キリスト教はユダヤ教の後に現れ、ユダヤ教から大きな影響を受けています。そのためモーセについても語られます。しかし中心となる人物はイエスです。このイエスについては、歴史家たちは実在した人物だと認めています。奇跡の部分は信仰の領域に属します。イエスはベツレヘムで生まれ、ナザレで育ち、エルサレムで磔にされて亡くなったとされています。
この新しい宗教の基礎を築いたのは弟子たち、マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネで、彼らが聖書の第二部である新約聖書を書きました。これは旧約聖書(ヘブライ語聖書に相当)に続くものです。
その後に現れたのがイスラム教とその聖典コーランで、紀元7世紀のことです。この三番目の一神教の使者がムハンマドです。彼も歴史的に実在した人物です。ムハンマドは570年頃にメッカで生まれました。メッカはイスラム教における第一の聖地です。ムハンマドは生涯を通してこの宗教を広め、アラビアのヒジャーズ地方を巡り歩き、最終的にメディナへ移り、632年に亡くなりました。メディナはイスラム教の第二の聖地です。
コーランの中には、遠くのモスクへの夜の旅についての記述もあります。ムスリムの伝統では、このモスクはエルサレムにあるとされ、エルサレムはイスラム教にとって第三の聖地になっています。
つまり、これら三つの宗教は順番に現れた異なる宗教であり、いずれもエルサレムと深く結びついています。
聖書によれば、アブラハムはノアの遠い子孫です。ノアはセツの子孫で、セツはカインとアベルの兄弟の一人であり、彼らは神が創造した最初の人間アダムとイヴの子どもたちです。もちろん、これらの人物は伝説上の存在です。ヘブライ語聖書の最初の書であり旧約聖書の一部である創世記、さらにはコーランにも登場します。
聖書によれば、アブラハムはメソポタミアのカルデア地方、現在のイラクにあたるウルという場所に住んでいました。当時、人々は雨の神、太陽の神、豊穣の神など、多くの神々を信仰しており、エジプト人のような多神教の世界でした。しかしアブラハムは他の人々とは違い、聖書の記述によれば、唯一の神だけを信じた最初の人物とされています。そこから契約と約束の地の物語が生まれます。
こうしてアブラハムは長い旅に出ることになり、現在のトルコ南部にあたるハラン、そしてカナンの地、いわゆる約束の地へと向かいました。さらにエジプトまで足を延ばし、再びカナンの地に戻り、最終的にはヘブロンで亡くなったとされています。
(via Rael Maitreya)
https://t.co/1HgUidV5tj December 12, 2025
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桓武天皇の母、高野新笠の祖先は確かに百済の武寧王ですが、倭国に渡来してから300年近く経っているので、ほぼ倭国人です。
そして
朝鮮古代史学者の盧重国、金鉉球、洪性和홍성화、金起燮김기섭など韓国の研究者たちは、
百済の第18代の王・腆支王の王妃である八須夫人は倭人だったと主張しており、関連して、金鉉球などは、昆支王、東城王、武寧王の王妃も倭人であり、倭国王家が政策的に婚姻させたと主張しています。
武寧王は、ほぼ倭人です。
百済王家の始祖である仇台は中国東北部の扶余人または高句麗人であり、
夫人は中国遼東太守公孫度の宗女であり、
百済王家のルーツは中国です。
百済支配層は殆どが、中国の楽浪郡、帯方郡にいた中国人であり、倭人の官僚もいました。
朝鮮は殷の遺民、
韓国は周王の一族が、
ともに北京周辺に3000年前に建国しています。
朝鮮も韓も支配層は中国人。
新羅王家は朴氏と昔氏は倭人で、
金氏は匈奴休屠王の太子である金日磾の子孫(京兆金氏)で中国人です。
金官加羅の首露王も少昊金天氏の子孫ですから中国人であり、
妃はインドのアヨーディヤーの王女です。
朝鮮半島土着の無文土器人は、縄文土器や弥生土器、中国の黒陶のような優れた土器を作ることもなく、被支配層のままでした。
朝鮮半島に文明を持ち込んだのは中国人であり、
朝鮮半島で最初に鉄器を作ったのは九州弥生人でした。
これは考古学から明らかです。
無文土器時代人の女性は、農奴として倭国に連行され、倭国人の女系祖先の一部にはなっています。
倭国の支配層となった漢系渡来氏族も、楽浪郡帯方郡を経由してきた中国人であり、朝鮮半島土着の原住民ではありません。
百済系とされる渡来人も大半は百済支配層となっていた中国人か元倭人です。
高句麗系も中国東北部の遊牧民です。
私たち倭国人の祖先の中に、朝鮮無文土器時代の素朴な土器を作っていたオモニたちがいたのは間違いありませんし、
祖先であるオモニたちを貶めてはならないですが、
然し客観的に見て、
オモニたちが夜なべして作ってくれた無文土器や無文土器系の弥生土器は形が歪で、
技術集団が作成した形の整った縄文土器や縄文系弥生土器、
中国人が作った楽浪土器とは比べものになりません。
倭国人の祖先は15%が縄文人
15%が無文土器時代人
70%が中国人です。
支配層は、ほぼ中国人と倭人(縄文系弥生人)です。
これはゲノム解析から明らかです。
画像1 3000年前朝鮮半島の無文土器
画像2 3000年前の縄文土器
画像3 13000年前の縄文土器
明らかに無文土器はヘタクソで13000年前の縄文土器と比較しても技術的に劣っています。
画像2は、黒陶の技術が中国山東半島から朝鮮半島を飛び越えて直接、倭国に渡っていることを示す縄文時代晩期の黒陶です。
画像3の土器は非常に薄く焼かれており高い技術が示されています。
当時、エジプトやメソポタミア、インダスにはそもそも土器を作る技術が無く、
中国にも、このような精緻な土器はありません。
当時の世界最先端の土器です。
画像4 現代倭国人のゲノム
赤が縄文系
黄が弥生系(北東アジア~朝鮮半島系)
青が古墳人(中国人)
倭国人は、
縄文時代に海洋進出し、早くから中国文明と交流していた倭人が、
朝鮮半島よりいち早く中国文明を受け入れたために、
卑弥呼は親魏倭王として中国から、韓地の酋長たちより遥かに高い地位を得ました。
倭王武は使持節都督倭・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓六国諸軍事安東大将軍倭王と半島南部の名目的な軍事権を得た、
という点から、祖先たる縄文系弥生人(倭人)に感謝しなければならないですし、
文明を携えて渡来してきた中国系祖先に感謝しなければならないでしょう。
そして、ヘタクソだけど愛情込めて土器を手作りしてくれた朝鮮から縄文男子が強制連行してきたオモニたちにも感謝しなければなりません。
そして、倭人が古代から未開であった朝鮮半島で我がもの顔で振舞ってきた事実に心傷める必要もあるでしょう。
然し、朝鮮にお住いの方々も、古代の倭人を見下すのはやめて、朝鮮韓国高麗の中国起源を認め、中国に感謝すべきでしょう。
韓国の名家の祖先は、だいたい中国に本貫があります。
卵から生まれたとか天から下ってきた、とかいうのも中国由来です。
高麗初代王建の先祖は、中国の唐の皇帝の粛宗または宣宗です。
高麗王も中国人です。
支配層は倭国も朝鮮も、殆ど中国人です。
天孫族も中国東夷族。
倭国の天皇、ヤマト大王も中国から渡来した東夷族の可能性が高いと倭国人研究者は昔から言っています。
朝鮮由来というのは、在日の学者が唱えている説ですが、
韓国の研究者は意外と冷静で、
百済支配層の多くは中国人と倭人と見ています。
楽浪郡、帯方郡は衛氏朝鮮も含めると550年間、中国だった‼️という事実を忘れてはいけません
文明は直接中国から来たのです。 December 12, 2025
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