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マリンメッセ福岡
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2025.11.30 06:00
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✦✦ Number_i LIVE TOUR 2025 No.Ⅱ✦✦
マリンメッセ福岡A館
2日間ありがとうございました!
THE NEXT CITY ➡️ HIROSHIMA
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後日、ファンクラブサイトでは
福岡公演での企画コンテンツを公開予定!
#Niらいぶ
#Number2_TOUR
#Number_i_LYs https://t.co/kWXdjvBdkB November 11, 2025
アリーナもスタンドも
iLYsが同じくらいの割合だねって(ニュアンス)
MCの時に言ってて
撮影可能タイムで会場を回る時に
見渡したこの光景
これだけのファンを背負ってるんだなぁって
立ち見席や会場の端っこまで
ありがとうを伝える3人に
なんか感動した🥹
ちゃんと見えてるよー
うまく撮れてる?
って…優しすぎ😭
こっちは心臓もドキドキで
手は震えるし大変なんだからね❤️🩵💜
#Niらいぶ
#niらいぶ_福岡day2
#Number_i
#Number2_LIVETOUR
#平野紫耀
#神宮寺勇太
#岸優太
#マリンメッセ福岡 November 11, 2025
「世界青年学会・飛翔の年」
おはようございます😊
「令和6年能登半島地震」「能登豪雨災害」で
被災された方々の早い復興と生活の安定・再建を祈ります。🙏🙏🙏
🔶🔷🔶
〈ストーリーズⅡ 池田先生の希望の励まし〉
第19回 広宣流布は「偉大なる劇場」
2025年11月30日 聖教新聞より抜粋・引用です
🔹🔸🔹
「今」の闘争に醍醐味がある。
波瀾万丈の中を戦うから、おもしろい
🔹🔹🔹🔸🔸🔸🔸🔹🔹🔹
🔷「明るく頑張りなさい!」
音に彩られた、心躍る舞台だった。2001年5月21日の本部幹部会。壇上の袖から、池田大作先生がラッパを両手に持ち、口元にあてながら場内へ。会場はどよめきと歓声に包まれた。
九州青年部から学会本部に届けられた自動演奏の「完勝ラッパ」。先生は青年たちの真心に応え、自ら奏でるしぐさを。スッペの「軽騎兵」序曲などが響き渡った。
この日は、九州、中国、沖縄の総会の意義が込められていた。先生はスピーチで各地の友をたたえた後、フランスの文豪・ユゴーが民衆の決起を呼びかけた言葉を通し、こう語った。
「偉大な力があるのは、権力者でもなければ、有名人でもない。『民衆』である。民衆よ、小さくなるな。民衆が動く、巨大な姿。それを敵に見せつけるのだ!――と。日蓮大聖人の仏法は、『民衆のための仏法』である。民衆よ立ち上がれ! これがユゴーの叫びであり、戸田先生の叫びであり、創価学会の叫びである」
スピーチが終わると、先生は扇子を右手に握り、腕を高々と上げた。壇上の中央へ歩みを運ぶ。「じゃあ、『威風堂々の歌』を!」。音楽隊の演奏に合わせ、先生が指揮を執った。場内に誓いの歌声が轟く。
「じゃあ、またね。ありがとう!」
励ましの“劇”は、まだ続いた。壇上袖に太鼓が設置されていた。先生はバチを握り、太鼓をたたいた。“友よ起て!”との力強い響きは、参加者の胸を打った。
会合を彩った創価グロリア吹奏楽団。その一員として師と共演した孫の活躍を、藤沢サクさんはことのほか喜んだ。九州婦人部長だった娘の佐藤聖子さんは壇上に。3世代で師匠と縁することができた幸福に、母は涙した。
藤沢さんは大正生まれ。戦時中、暮らしていた東京・深川の街は、東京大空襲で壊滅的被害を受けた。炎と爆音の中で生き延びたものの、戦後も悲惨だった。アメ横商店街で菓子問屋を開く。夫は酒乱で暴れた。やむなく、2人の娘を連れて家を出た。塩をなめてでも、2人を育てると決めた。
掘っ立て小屋のような場所で暮らしながら、できる仕事は何でもした。だが、心も体もすり減り、寝たきりに。“このまま人生を終わらせたい”。極限の日々の中で、1954年の秋、信心に出あう。
「学校から帰るまで、生きててね」。娘にそう言われるほどの日々が変わっていく。また働けるようになり、学会活動に家族で励んだ。
わずかな蓄えは、娘たちを富士鼓笛隊に送り出すために使った。次女の佐藤聖子さんは高等部の部長の任命を受ける。部旗授与の席で、池田先生から声をかけられた。「明るく頑張りなさい!」。その一言が佐藤さんにとっての人生の指針となった。
生まれ育った家庭環境への卑屈な思い――。そんな心を、少しずつほぐしてくれたのが先生だった。
さらに、先生の御書講義を受ける機会に恵まれた。母が購入してくれた御書で講義を受けた。ある時、先生は佐藤さんの御書の扉に筆を走らせた。「法華経は冬の如し 冬は必ず春となる」
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🔷「嵐吹く 王者につづけや 弟子の道」
女子部で活動していた1972年のある日。佐藤さんは先生から声をかけられた。
「朝日がさしてきたように明るくなったじゃないか。今の決意を忘れなければ、生々世々、広宣流布の大道を歩んでいける。今の決意を忘れたら後悔するよ」
暗く、消極的だった自分を、長い時間をかけて見守り続けてくれる師匠。その深き慈愛に応えたい――と、心の底から誓った。やがて佐藤さんは、少女部長として、子どもたちに励ましを送る責任を担う。
学会本部で行われていた少年少女部の会合でのこと。メンバーが壇上にあがり、記念品を手渡している時だった。会場に突然、先生が入ってきた。
「未来を担う大切な方々じゃないか。こちらから持っていって、お渡しするのです」
記念品の渡し方を通して、後継の友への尊敬の心を教わった。
76年11月14日、石川文化会館で、少年少女部の代表や「七五三」を迎える子どもたちが家族と集い、記念の勤行会が行われた。この集いに出席した先生は、「『厚田村』を歌おう」と。ところが、緊張や遠慮もあって、少年少女たちは歌い出せずにいた。
先生は「戸田先生の生誕の地から、少年少女部から、『厚田村』の歌を歌っていこう」と。その場にいた佐藤さんは、いついかなる時も師を思い、師と共に戦う心を深く胸に刻んだ。
78年、佐藤さんは夫・政春さんと共に、広布の舞台を九州に移した。師弟を引き裂こうとする第1次宗門事件の渦中。日々、各地を歩き、一人また一人と対話を重ねた。
4年がたった82年10月、先生から政春さんに句が届いた。
「嵐吹く 王者につづけや 弟子の道」
夫婦で九州の地を駆け、師弟共戦の歴史を刻んだ。93年、佐藤さんは九州婦人部長の任命を受けた。
娘の新たな出発を、母の藤沢サクさんは喜び、自らも決意新たに前進した。2022年、102歳まで、師と共に、同志と共に、家族と共に、広布の使命に生き抜いた。
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🟦「胸中の池田先生」とともに歌い上げた「歓喜の歌」
93年12月、九州は翌94年夏から各県で音楽祭・合唱祭などを行い、その総仕上げとして、11月に福岡ドーム(当時)で、ベートーベンの第九の合唱を5万人で行うことを決定した。運営を担ったのは、青年部である。
90年11月、学会創立60周年を祝賀する本部幹部会の席上、第九の演奏・合唱が行われた。先生は創立65周年に5万人、創立70周年に10万人での第九の合唱を提案。“ドイツ語でもやろう”と呼びかけた。師の提案を実現する、九州青年部の誓願の証しが、5万人の合唱であった。
ドームでの合唱は、“歌声が一つにとけ合うか”など、幾つもの難題があった。青年たちは知恵を絞り、粘り強く創意工夫を重ねながら、見事に乗り越えていった。
迎えた当日、自らの人間革命に挑み抜いた5万人の混声合唱は、見事なハーモニーを奏でた。池田先生は、「すごかった。いまだに合唱の響きが残っているよ。よく一つになれたね」「九州は勝った! 完璧だったよ」と最大にたたえた。
第九の合唱から数カ月ほど後、九州青年部長だった新名浩司さんのもとに、福岡の婦人から電話があった。
――大学に通う娘が授業の後、教室で言い争う二人の男子学生の姿を見たという。
一人は学会の悪口を言い、もう一人は反論していた。二人とも学会員ではない。反論する学生は、九大フィルハーモニー・オーケストラの団員だった。
“おれは学会の人たちと一緒に、ベートーベンの「第九」を演奏したんだ。創価学会はすごい団体だよ。お前は自分の目で見たのか。学会のことを知っているのか”
娘は家に帰ると、反論してくれてうれしかったこと、自分が学会員だと言い出せずにいたことなど、さまざまな思いを語った――
第九の合唱は、九州各地に学会理解の輪を大きく広げた。
2001年12月2日には、マリンメッセ福岡(当時)と九州の116会場、東京の学会本部を生中継で結び、「アジア青年平和文化総会」が行われ、10万人の第九の合唱が響き渡った。
この日、総合リハーサルの直前、学会本部で見守っていた先生は、「最初から最後まで全部見るよ」と伝言を届けた。文化総会の演目が終わるたび、「よくやった!」「素晴らしい!」と賛嘆した。さらに、第九の演奏終了後、「満点でした!」「明年の先駆を見事に切ってくれました。本当にありがとう!」と祝福を寄せた。
05年には、沖縄と韓国の友も参加した「アジアの第九」を実現している。
「第九」の合唱とともに、先駆の歴史を刻んできた九州。その幕が再び上がった。今月23日、31年前と同じ日、同じ場所――みずほPayPayドーム福岡で、「Asia Peace Festa 2025」(世界平和の第九)が開催された。
九州・沖縄の青年を中心に、5万人の合唱団。アジア9カ国・地域から駆け付けた友。一人一人の胸に、それぞれの「歓喜の歌」があった。
合唱団には、与論島や加計呂麻島など離島の友がいた。全盲で、楽譜を読むことができない中で、懸命に歌った友もいた。子育てや介護の合間を縫って、何度も練習に通った友がいた。
大きな音が苦手な人もいた。人混みに苦痛を感じる人もいた。「誰一人置き去りにしない」と、団員が歌う場所にもこまやかに心が配られた。直前に病に伏し、悔しさに胸を震わせながら、自宅で思いを合わせた人もいる。
1994年の「第九」の日、福岡ドームを遠くに見つめ、任務に徹する青年がいた。創価班として、歩道橋の下で整理・誘導の役割を担った。
31年後、その青年の5人の子どもが、「世界平和の第九」でドームの舞台に立った。父が寒風の中、無事故の運営に力を尽くした「第九」。その誇りは、子どもたちに受け継がれた。
舞台の上、会場の外、148の中継会場――。そこにいる一人一人に、ストーリー(物語)があった。
「世界平和の第九」のクライマックス。94年の時と同様、ドームの屋根がゆっくりと開いた。柔らかな光が差し込む。一人一人が「胸中の池田先生」とともに、「歓喜の歌」を歌い上げた。
「天までも 轟きわたらむ 母たちの 祈りの深きは 仏と等しく」――94年の第九の大成功をたたえ、先生が詠んだ和歌。あの日と同じように、一人一人の祈りと挑戦が勝ち開いた「人間勝利の大絵巻」となった。
新たな広布の幕が開いた九州。池田先生はかつて、九州総会を兼ねた本部幹部会で、「喜び」は戦いの中にあると述べ、語っている。
「本当は、途中が全部、『映画』であり、『絵画』であり、『詩』であり、『音楽』なのである。人生も、最後の勝利を目指して、『今』を、どう生きるか。その『今』の闘争に醍醐味がある。波瀾万丈の中を戦うから、おもしろいのである。広宣流布は『偉大なる劇場』である」
🔷ここまでが、抜粋・引用です🎵 🔷
https://t.co/geJ2xYtsPw November 11, 2025
マリンメッセ福岡2days✨
本当に最高な2日間でした 1日目と2日目セトリが違くてLIVEでは初めましての曲も聴けた🧡 優里 バンドメンバー ゆーりんち 関係者の皆様 本当に素敵な2日間をありがとうございました🫶🏻✨
#優里アジアツアー
#ゆーりんち https://t.co/v96xPgbC1O November 11, 2025
今日の優里くんのライブ最高でしたね😭
ところでキッチンカーから会場入り口に行く途中で指輪を拾いました💍
ピンクゴールドぽい色です
安いものかもだけど本人にとっては大事かもしれないので
😊拡散おねがいします🙇
#福岡マリンメッセ #ゆーりんち #優里 #yuuri_staff #yuuri_official https://t.co/89l8qvlAui November 11, 2025
#優里アジアツアー2025
🥳🥳🥳🥳🥳
最幸すぎた2日間🤟セトリも神🤟
盛り上がったなぁ~✨✨✨
またすぐ聴きたくなるのが優里の魅力🫶そしてお会いしたゆ~りんちの方々ありがとう🩷感謝🩷
『愛してる~🎤🎠🎠🎠』yeah🤟
#優里の声はギフト🎁
#マリンメッセ福岡
#ゆーりんち
#ありがとう大好き https://t.co/INIGVnh73y November 11, 2025
昨日、マリンメッセ行きたかったな。
PayPayドーム行きの、バス車内から2度見た
行かなかった理由。出演時間が分からなかったから。
1曲目で歌われてる。セットリスト確認。
PayPayドーム17時開演の時間に間に合いそう November 11, 2025
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