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書く行為
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2025.11.24〜(48週)
:0% :0% (40代/男性)
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忙しくてついったーやれてないのだが、小川哲『言語化するための小説思考』めっちゃくちゃ面白かったのでおすすめなのだ……!
大塚英志あたりから続く「小説を書く行為を神棚から引きずり降ろす」本の最先端でありながら、どの小説指南書とも角度の違う唯一無二の書!読者の視点で触れても超刺激的! https://t.co/U8yJWag1Dr December 12, 2025
52RP
🧨「つらい気持ちを書け」が
全滅だった人向けリスト
(書けない人が悪いんじゃなく、
方法が合ってなかっただけだぞ)
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1. 文じゃなくて “記号” だけ書く
● ○ ▲ ★ / …
形だけ置く。意味ゼロ。
「状態を形に変換した」と
脳が勝手に処理してくれる。
ーーー
2. ペンを紙に乗せるだけで終了
なぞらなくていい。
線も文字もいらない。
「書く行為を開始した」だけで
任務完了。
ーーー
3. 書かずにスマホで画面を黒塗りする
イラストアプリを開いて、
指で黒塗り。
言語を通さないで
排出できる。
ーーー
4. 3秒だけ録音して即削除
音声に言葉はいらない。
呼吸音でも、
無音でもOK。
ーーー
5. 言語化ではなく“温度”を書く
「つめたい」「あつい」「しんどい」
抽象でも幼児語でも可。
感情じゃなくて
気温みたいに処理できる。
ーーー
6. 単語を1個だけ置く
全部書かない。
「むり」
「ねむい」
「なんだっけ」
これだけで完成。
ーーー
7. 書きたくない理由を書く
「かきたくない」「むり」
これは書けるやつ多数。
ーーー
8. タイトルだけ置く方式
本文なし。
「今日のしんどかったやつ」
「うまく呼吸できない件」
ーーー
9. 書くんじゃなくスタンプ貼るだけ方式
スタンプを1個貼る。
絵文字1個でもいい。
🙃 ←これだけで日記。
ーーー
10. 一文字だけ書く
「あ」「う」「ん」
意味ゼロで脳が安全。
ーーー
11. ノートを閉じたまま表紙を触る
触覚刺激だけでも落ち着く人いる。
書くプロセスゼロ。
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12. 内容を想像しないで“線を3本”だけ
感情の前処理すら不要。
三本線は世界一優しい言語。
ーーー
13. “無題”を保存する
空白を保存する行為そのものが処理になる。
ーーー
14. スマホのカメラロールを
真っ暗な写真で埋める
撮影行為が排出になる。
文字ゼロ。
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15. つらい気持ちを別の物質扱いにして置く
「砂」「霧」「石ころ」
それを書かずに
“置いたことにする”。
想像だけでOK。
動作ゼロ。
ーーー
🦴 まとめ(噛み砕くぞ)
書けないお前が悪いんじゃない。
「書け」の指示がクソ雑すぎて
脳の防衛反応に負けただけや。
詰まりまくってる状態で
作文なんかできるわけねえゾ!(血涙)
上の方法はどれも
言語を使わず、感情に触らず、
脳の安全装置を踏まないための回避ルート
やれるやつ1個あれば十分。
やれなかったらその日終了でいい
お前の壊れかけの心に
無理ゲー課す必要はどこにもないッス! December 12, 2025
9RP
これマジでお願いします。
ぶっちゃけ本当の年齢を確認する術は僕にはないんですけどこれは大きな意味があるんですよ。
申請をするために、年齢を書く行為=ちゃんと注意書きを読んでいる証明 になると思ってるので。 https://t.co/oxfOOdhvlu December 12, 2025
4RP
思考を軽くしたいなら、とにかく書くことから始めたい。頭の中にあると曖昧で重たく感じる問題も、文字にすると輪郭がはっきりする。優先順位の判断も早くなり、心理的負担も減る。書く行為は、自分の味方になる行為。午前の疲れを引きずりそうな時ほど、3分だけでいいから書き出す時間をつくりたい。 December 12, 2025
1RP
こういった場面が発生するのは幸せそうだなと思うんだけど、する側でもされる側でもSNSに書く行為が追加されると途端に気持ち悪く感じる https://t.co/2bfopQmW86 December 12, 2025
1RP
これすごい!
大塚英志あたりから続く「小説を書く行為を神棚から引きずりおろす本」の最先端で、読み手目線で味わってもめっちゃくちゃ面白い! https://t.co/NjfWpC48fd December 12, 2025
1RP
手紙を書くにあたり、人並みの字が書けるようにしてくれた親に感謝。
※子どものころ、硬筆を習わせてくれた。
近年は直筆で何かを書く機会は減ったものの、自分自身モノを書く行為って好きだなぁ。 December 12, 2025
https://t.co/yBf2yFCASm
【田辺昇一】倭国初ビジネスドクターの人生|35歳会社倒産から倭国の経営コンサルティングのパイオニアへ|68年間で17,000社を支え続けた男
世界の偉人達 #AI要約 #AIまとめ
93歳まで企業を救い続けたビジネスドクター田辺昇一
🔳幼少期と航空技術者としての挫折
福井県小浜市に生まれた田辺昇一は、飛行機への憧れから猛勉強し、東北帝国大学の航空力学科に進学した。瀬尾教授から「技術者である前に人間であれ」と教わり、技術は人を幸せにするためのものだと学ぶ。しかし終戦と同時に航空産業が禁止され、これまでの専門知識が一瞬で無用のものとなり、23歳で人生の柱を失う深い挫折を味わった。
🔳倒産の現場で知った「会社には命がある」という気づき
航空の道を絶たれた田辺は、岡田金属工業や京都農立協会で働きながら経営を学ぶ。その間、かつて勤めていた会社の倒産を目の当たりにし、社員や家族、取引先、地域社会までが苦しむ姿を見て「会社には命がある」と痛感する。会社は放っておけば潰れ、多くの人の生活を巻き込む。その一方で、正しい知識と支援があれば救えるはずだという強い確信が芽生えていった。
🔳田辺経営相談所の創業と最初の企業再建
1957年、35歳で京都に「田辺経営相談所」を開業するが、当時「経営相談」という職業はほぼ認知されておらず、電話も鳴らない苦しい日々が続いた。それでも知人企業を訪ね歩き、誠実に経歴と考え方を語り続ける中で、売上不振に悩む中小企業から初めての依頼を得る。現場・帳簿・従業員の声を徹底的に確認し、販路依存の問題を見抜いて新規取引先の開拓を伴走。営業に慣れない経営者と共に何度も足を運び、少しずつ注文を拡大させ、ついには倒産寸前の会社を黒字回復に導き「田辺先生がいなければ潰れていた」と感謝される経験が、ビジネスドクターとしての使命を決定的なものにした。
🔳現場主義と勉強会「イーグルクラブ」の始動
田辺のスタイルは机上の理論ではなく「現実・現場・現物」を徹底的に見る現場主義だった。経営者・従業員双方の声を聴き、厳しい指摘も包み隠さず伝えることで信頼を獲得していく。1958年には経営者向け勉強会「重約教室」(のちのイーグルクラブ)を開始し、孤独な経営者たちが本音を語り合える場を提供。田辺自身も35歳で独立したときに孤独と不安を味わったからこそ、彼らの苦しみに寄り添える良き相談相手となり、勉強会は口コミで広がっていった。
🔳大胆な広告と「会社は潰れるようにできている」という経営哲学
1963年には法人化し株式会社田辺経営相談所とし、倭国経済新聞に当時としては破格となる全面広告を出稿する。「挑む 無限の変化に挑む」というメッセージに込めたのは、倭国の経営を本気で変えたいという覚悟だった。田辺は「会社は潰れるようにできている」という厳しい現実を直視しつつも、正しい知恵と行動があれば救えると説く。また「全てを守れば全てを失う」「急すれば変じ変ずれば通ず」「企業は環境適応業である」「展開の経営 過去にこだわるものは未来を失う」といったフレーズで、多角化による迷走の危険、変化を恐れない姿勢、環境適応の必然性を、経営者の心に刺さる言葉として体系化していった。
🔳ビジョン・パッション・ディシジョン・アクションという四つの力
田辺は大きく成長する企業の社長には「ビジョン・パッション・ディシジョン・アクション」という四つの共通点があると語る。どこに向かうのかという明確なビジョン、心から燃える情熱、迷い続けず決め切る決断力、そして必ず実行する行動力である。この四つのうち一つでも欠けると会社は停滞するとし、面談のたびに「あなたのビジョンは何か」「情熱は何に向いているか」「本当に決断しているか」「行動に移しているか」を問い続けた。難解な理論ではなく、経営者が自分事として受け止められる言葉で背中を押し、多くの企業に内側からの変化を促した。
🔳ビジネスドクターの組織化と後継者・若松高彦への承継
田辺経営は、ドメイン(業種)、ファンクション(経営機能)、リージョン(地域)の専門家を組み合わせた「チーム診療」のような総合病院モデルで企業支援を行う組織へと進化した。1989年に入社した若松高彦は、大学院で経営学を学んだ新世代として田辺の理念を継承し、多様な企業支援を通じて頭角を現す。やがて取締役・専務・副社長を経て2014年に代表取締役社長に就任。田辺は92歳でバトンを渡し名誉会長として見守る立場となるが、その後も現役として企業を訪ね続け、まさに生涯ビジネスドクターとしての姿を貫いた。
🔳上場・グループ化と理念の継続
田辺の死後も組織は成長を続け、2016年には東京証券取引所第一部に上場、小さな六畳間から始まった相談所は一部上場企業となる。その後ホールディングス体制への移行を経て田辺コンサルティンググループとなり、全国10都市に600名以上のメンバーを擁する倭国唯一の全国展開コンサルティング集団へと変貌した。しかし創業時の理念「企業を愛し 企業と共に歩み 企業繁栄に奉仕する」は変わらず受け継がれ、ビジネスドクターズというスローガンのもと、田辺が築いた精神を現場で具現化し続けている。
🔳使命感・変化・他者への奉仕という三つの学び
田辺の人生から得られる学びの一つ目は、使命を持つことの強さである。お金や名声ではなく「この国には企業を救う仕事が必要だ」という使命感が、彼を93歳まで働かせ続けた。二つ目は、変化し続ける重要性だ。23歳で航空技術者の夢を断たれても新たな道を探し、35歳で誰にも理解されない職業に挑み、晩年まで学びと挑戦をやめなかった。三つ目は、誰かのために生きるという姿勢である。自分の利益より企業と人々の幸せを優先し続けたからこそ、多くの経営者が「神様仏様田辺様」と敬意を寄せた。これら三つの要素が、人生を豊かで力強いものにする核だと物語は示している。
🔳現代倭国へのメッセージと視聴者への呼びかけ
少子高齢化やデジタル化で環境変化が激しい2025年の倭国においても、「企業は環境適応業である」「全てを守れば全てを失う」といった田辺の言葉は色あせない。ピンチは変化の契機であり、本当に守るべきものに集中する覚悟が未来を切り開くというメッセージだ。動画の最後には、視聴者一人ひとりに自分の使命を問いかけ、「人生は何歳からでもやり直せる」「使命がある人に年齢は関係ない」と励ましつつ、共に偉人たちの物語から学び合おうと呼びかけている。コメント欄に「100」と書く行為を、自らの決意表明として使う工夫も示され、物語を単なる感動話ではなく、明日を変える行動につなげるメディアとして位置づけている。 December 12, 2025
https://t.co/yBf2yFCASm
【田辺昇一】倭国初ビジネスドクターの人生|35歳会社倒産から倭国の経営コンサルティングのパイオニアへ|68年間で17,000社を支え続けた男
世界の偉人達 RAKUMACHI #AI要約 #AIまとめ
93歳まで企業を救い続けたビジネスドクター田辺昇一
🔳幼少期と航空技術者としての挫折
福井県小浜市に生まれた田辺昇一は、飛行機への憧れから猛勉強し、東北帝国大学の航空力学科に進学した。瀬尾教授から「技術者である前に人間であれ」と教わり、技術は人を幸せにするためのものだと学ぶ。しかし終戦と同時に航空産業が禁止され、これまでの専門知識が一瞬で無用のものとなり、23歳で人生の柱を失う深い挫折を味わった。
🔳倒産の現場で知った「会社には命がある」という気づき
航空の道を絶たれた田辺は、岡田金属工業や京都農立協会で働きながら経営を学ぶ。その間、かつて勤めていた会社の倒産を目の当たりにし、社員や家族、取引先、地域社会までが苦しむ姿を見て「会社には命がある」と痛感する。会社は放っておけば潰れ、多くの人の生活を巻き込む。その一方で、正しい知識と支援があれば救えるはずだという強い確信が芽生えていった。
🔳田辺経営相談所の創業と最初の企業再建
1957年、35歳で京都に「田辺経営相談所」を開業するが、当時「経営相談」という職業はほぼ認知されておらず、電話も鳴らない苦しい日々が続いた。それでも知人企業を訪ね歩き、誠実に経歴と考え方を語り続ける中で、売上不振に悩む中小企業から初めての依頼を得る。現場・帳簿・従業員の声を徹底的に確認し、販路依存の問題を見抜いて新規取引先の開拓を伴走。営業に慣れない経営者と共に何度も足を運び、少しずつ注文を拡大させ、ついには倒産寸前の会社を黒字回復に導き「田辺先生がいなければ潰れていた」と感謝される経験が、ビジネスドクターとしての使命を決定的なものにした。
🔳現場主義と勉強会「イーグルクラブ」の始動
田辺のスタイルは机上の理論ではなく「現実・現場・現物」を徹底的に見る現場主義だった。経営者・従業員双方の声を聴き、厳しい指摘も包み隠さず伝えることで信頼を獲得していく。1958年には経営者向け勉強会「重約教室」(のちのイーグルクラブ)を開始し、孤独な経営者たちが本音を語り合える場を提供。田辺自身も35歳で独立したときに孤独と不安を味わったからこそ、彼らの苦しみに寄り添える良き相談相手となり、勉強会は口コミで広がっていった。
🔳大胆な広告と「会社は潰れるようにできている」という経営哲学
1963年には法人化し株式会社田辺経営相談所とし、倭国経済新聞に当時としては破格となる全面広告を出稿する。「挑む 無限の変化に挑む」というメッセージに込めたのは、倭国の経営を本気で変えたいという覚悟だった。田辺は「会社は潰れるようにできている」という厳しい現実を直視しつつも、正しい知恵と行動があれば救えると説く。また「全てを守れば全てを失う」「急すれば変じ変ずれば通ず」「企業は環境適応業である」「展開の経営 過去にこだわるものは未来を失う」といったフレーズで、多角化による迷走の危険、変化を恐れない姿勢、環境適応の必然性を、経営者の心に刺さる言葉として体系化していった。
🔳ビジョン・パッション・ディシジョン・アクションという四つの力
田辺は大きく成長する企業の社長には「ビジョン・パッション・ディシジョン・アクション」という四つの共通点があると語る。どこに向かうのかという明確なビジョン、心から燃える情熱、迷い続けず決め切る決断力、そして必ず実行する行動力である。この四つのうち一つでも欠けると会社は停滞するとし、面談のたびに「あなたのビジョンは何か」「情熱は何に向いているか」「本当に決断しているか」「行動に移しているか」を問い続けた。難解な理論ではなく、経営者が自分事として受け止められる言葉で背中を押し、多くの企業に内側からの変化を促した。
🔳ビジネスドクターの組織化と後継者・若松高彦への承継
田辺経営は、ドメイン(業種)、ファンクション(経営機能)、リージョン(地域)の専門家を組み合わせた「チーム診療」のような総合病院モデルで企業支援を行う組織へと進化した。1989年に入社した若松高彦は、大学院で経営学を学んだ新世代として田辺の理念を継承し、多様な企業支援を通じて頭角を現す。やがて取締役・専務・副社長を経て2014年に代表取締役社長に就任。田辺は92歳でバトンを渡し名誉会長として見守る立場となるが、その後も現役として企業を訪ね続け、まさに生涯ビジネスドクターとしての姿を貫いた。
🔳上場・グループ化と理念の継続
田辺の死後も組織は成長を続け、2016年には東京証券取引所第一部に上場、小さな六畳間から始まった相談所は一部上場企業となる。その後ホールディングス体制への移行を経て田辺コンサルティンググループとなり、全国10都市に600名以上のメンバーを擁する倭国唯一の全国展開コンサルティング集団へと変貌した。しかし創業時の理念「企業を愛し 企業と共に歩み 企業繁栄に奉仕する」は変わらず受け継がれ、ビジネスドクターズというスローガンのもと、田辺が築いた精神を現場で具現化し続けている。
🔳使命感・変化・他者への奉仕という三つの学び
田辺の人生から得られる学びの一つ目は、使命を持つことの強さである。お金や名声ではなく「この国には企業を救う仕事が必要だ」という使命感が、彼を93歳まで働かせ続けた。二つ目は、変化し続ける重要性だ。23歳で航空技術者の夢を断たれても新たな道を探し、35歳で誰にも理解されない職業に挑み、晩年まで学びと挑戦をやめなかった。三つ目は、誰かのために生きるという姿勢である。自分の利益より企業と人々の幸せを優先し続けたからこそ、多くの経営者が「神様仏様田辺様」と敬意を寄せた。これら三つの要素が、人生を豊かで力強いものにする核だと物語は示している。
🔳現代倭国へのメッセージと視聴者への呼びかけ
少子高齢化やデジタル化で環境変化が激しい2025年の倭国においても、「企業は環境適応業である」「全てを守れば全てを失う」といった田辺の言葉は色あせない。ピンチは変化の契機であり、本当に守るべきものに集中する覚悟が未来を切り開くというメッセージだ。動画の最後には、視聴者一人ひとりに自分の使命を問いかけ、「人生は何歳からでもやり直せる」「使命がある人に年齢は関係ない」と励ましつつ、共に偉人たちの物語から学び合おうと呼びかけている。コメント欄に「100」と書く行為を、自らの決意表明として使う工夫も示され、物語を単なる感動話ではなく、明日を変える行動につなげるメディアとして位置づけている。 December 12, 2025
仕事はほぼPCで完結しているので、紙はむしろ煩わしく感じていたけど、勉強では記憶に残るのは手書きだなぁ。
手書き世代なのはあるけど、書く行為はPCよりゆっくりなので記憶しやすいし、ノートは固定された座標に情報を配置するので、記憶が空間的手がかりと結びつく。 December 12, 2025
読むだけではなく書く行為(アウトプット)をすると現文の成績が謎にクソ上がります。ソースは私。
既に過去の栄光でしかないけれど、テストと模試で学年1位を何回か取ったことあるので。なんで成績上がるんだろう。謎だよね。()
それはそれとして3年間毎週更新するその筆力はめちゃくちゃ凄い。 https://t.co/2dFR3YBHgd December 12, 2025
数えきれない学生を相手にされてきたので私のことは覚えていらっしゃらなかったけれど、それでもやっぱり筆を握って字を書く行為は今でも楽しいと思う
非常にありがたい事だと思う December 12, 2025
@tafutafu414 何か発表する度に「説明付き」じゃないと国民に伝わらないようじゃ、議員失格だと私も思います。
有権者の中にはSNSがよくわからない高齢者の方もいるのに、聞いた事もないような英単語を使って分かりづらい文章を長々と書く行為も非常に優しくないですよね。
読み手の気持ち無視で思いやりが無いなと December 12, 2025
竿役をモブではなく作中キャラで書く行為は嫌われると聞きます。
純愛厨だからカップリングが好きや!と思いほぼ作中キャラ竿役で本を作ってきたんですが、
漏れは単にネ、盗られが好きだから自分ではない竿役、=作中キャラで描きたいだけなのかもと気づきました。絵の中ですら弱者なんだ。漏れって。 December 12, 2025
英語を話すには英語を話す行為、英語を読むには英語を読む行為、英語を聞くには英語を聞く行為、英語を書くには英語を書く行為をしなければならない。
この当たり前のことが出来てない人がかなり多い。故に学校教育じゃ英語は話せるようにならないのだ。 December 12, 2025
アレを好んで読むのは良いのだ、好みの問題であって理解不能ではあるが批判する気は無い。
あんな代物を他人に読まれたいだけで書く行為が醜悪だと、存在が害悪だと思うだけだ。 December 12, 2025
プロフィール欄に「天安門事件」と書く人は基本信用しないようにしてはいますが、さすがにアラビア語で「美味しい豚肉」と書く行為は……。ムスリムの方々もこれを見て苦笑いしかしないと思うのですが。 https://t.co/0tG2GGKt8m December 12, 2025
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