ビクトリア トレンド
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2025.12.04 21:00
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明日はビクトリア岩見沢店で遠隔ゴチ盛り収録!
今日交通規制かかってたけど大丈夫なんか?PR https://t.co/F0iYKmZCfQ https://t.co/QTMnIxA9UM December 12, 2025
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欧州でも大陸では男系男子絶対が多数でしたね。ブルボン家もそう。ドイツ諸公たちもそう。「#サリカ法」がありましたから。ビクトリア女王が即位することで、それまで同君連合だった「#ハノーファー王国」とは同君連合を解消しています。尚、あまり知られていないことですが、何故ビクトリア女王が女王になれたか?元々ジョージ3世の息子たちはいたものの、誰も男子を持てなかった。ジョージ4世は唯一の姫が逝去。それで弟ウィリアム4世が即位。父のケント公は結婚をドイツ人であるビクトリアと金のために行い、一人の娘をもうけるが、ジョージ4世と仲が悪かったために「#アレクサンドリア・ビクトリア」とロシア語とドイツ語の名前をつけられる。そしてケント公が亡くなると、ジョージ4世も崩御。伯父のウィリアム4世が即位するが、ケント公妃とは大変仲が悪い。そして嫌われるようなことをケント公妃もやっている。アレクサンドリア・ビクトリアが推定王位継承者になるとそれを知った姫は誰もいなくなると号泣したという。母ケント公妃は実家のザクセン=コーブルク=ゴータ家の公子たちと姫を会わせようと画策し、また実の弟ベルギー国王レオポルト1世が手紙を寄越して近づこうとした。ウィリアム4世は国を乗っ取る気かと怒りました。女性を君主にする時よくあることです。ウィリアム4世は自分の誕生日の晩餐会に「主よ、願わくば我が寿命をあと9か月は延ばし給え。そうすれば(ヴィクトリアが成人して)摂政を置く必要はなくなり、邪悪な相談者を持ち行動も能力も全く信用に値しないあの者(=公然とコンロイという愛人を持ち利己的で倫理感の欠如したケント公妃)など眼中に入れることなく推定王位継承者であるレディー(=ヴィクトリア)が正当に王位を継承することができましょう」とスピーチしケント公妃は途中退席しようとし、姫は泣いたとか。それでも即位したアレクサンドリア・ビクトリアは名称をビクトリアとすることを勅令で決定し、母と離れて暮らすようになりました。ところがビクトリア女王が好きになったのは、ザクセン=コーブルク=ゴータ公エルンスト1世(母ケント公妃の兄)の次男であるアルベルト(英語名アルバート)でした。ビクトリア女王から求婚して結婚しました。最初はアルバート公に政治に関わらせないようにしていましたが、相次ぐ出産で結局アルバート公が関与せざるを得なくなります。アルバート公が賢明だったのは自分を常に中立の立場に置こうとしたことでした。ビクトリア女王か首相と面会する時も同席し、ビクトリア女王の政治家への偏見を修正するように努めました。ビクトリア女王はおじのベルギー国王にこんな手紙を書いています。「#一方私は日増しに仕事が嫌になっています。私たち女性は「#統治」するようには創られていません。善良な女性であるなら、そのような仕事は好きにはなれないのです。」と。アルバート公は1857年に議会から #王配殿下(プリンスコンノート)の称号を得て、名実共に共同統治者になれました。しかし健康を害し薨去します。ある意味それ以上長生きしていた場合、アルバート公がそれまで通りに政治的に振る舞えたかどうかを考えると、不敬な発言ですが、良い時に亡くなったと思えます。アルバート公がドイツやベルギーの国益の為に活動していたらどうなったか?女性を君主にする場合の危険性は常にそういう面であり得るのです。だからエリザベス1世は結婚できなかったし、権力がほとんどなくなったエリザベス2世女王の夫フィリップ殿下は王配殿下にはなれなくて、大変怒っていました。現代の欧州王室が女性を王位につけるのはその国のことですが、女性が王位につくのは大変だということもビクトリア女王のことから学ぶべきかと。 December 12, 2025
昨日猫カフェで出会った子猫ちゃん&膝乗り猫ちゃんが忘れられず、猫カフェおかわりしてきた!久しぶりの釜めしビクトリア美味しかった… https://t.co/yTTqtsn0fh December 12, 2025
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