バンドマスター スポーツ
0post
2025.11.27 15:00
:0% :0% (-/-)
人気のポスト ※表示されているRP数は特定時点のものです
大森捕虜収容所でのクリスマス劇の様子は、『英国人捕虜が見た大東亜戦争下の倭国人』に詳しく書かれている。
その日の夜、「シンデレラ」初演。「シンデレラ」はチケットが支給されており、そんなところまで本格的だった。
最初、初日には行かないつもりだった。二日目が最高のパフォーマンスになると思ったからだ。しかし、仲の良い連中がみんな行くし、私もクリスマスでウキウキ気分になっていたので、行くことにした。私は一張羅を引っ張り出し、タバコとレーズン、プルーン、角砂糖にチョコレートを包んで持っていった。母国で芝居を観にいくのと同じような感じだ。もっとも、この時のほうが、はるかにワクワクしていたが。
我々が劇場(風呂場)に着くと、すでに開場を待つ行列ができていた。劇場に入ると、紫煙がもうもうと立ちこめている。若い連中はジョークを飛ばして楽しそうだったが、ミック・キャラハン曹長は連中を誘導して、後からくる人のためのスペースを作ろうとしていた。
「おまえら、そこでふざけていると邪魔だ。ひっぱたかれたくなかったらこっちへこい」
舞台に近い列は、観劇を希望する倭国人の職員用に確保されていた。それで私はそのすぐ後ろに座った。場内は寒かったが、座ってチョコレートをかじりながら開演を待っていたので、特に気にならなかった。そうこうするうちに、劇場は人いきれでだんだん暖かくなってきた。
捕虜の大工や電気工の連中のおかげで、とても素晴らしい舞台に仕上がっていた。舞台の幕や場内のいたるところに、クリスマスのデコレーションやヒイラギが飾りつけられていた。
キャンプのバンドによる前奏曲の演奏が始まった。バンドマスターのレン・オースチンが指揮するこのバンドの面々は、ホスピタルブルージャケットを着て、白いマフラーを首に巻いていた。
劇場には、トミーやヤンキー、ノルウェー人にオランダ人、倭国人が大勢詰めかけていた。
トミー以外は誰も英国のパントマイム(無言劇ではない)を観たことがなく、彼らがどんな反応をするのか楽しみだった。今、キャンプは英国人より米国人のほうがはるかに多い。
ミック・キャラハンが「ケイレイ!」と叫び、全員起立した。倭国人が入ってきた。ムラギシ中尉(ジェントルマン・ジム)とワタナベ軍曹(バード)、通訳、それにフジイ軍医だ。
「休め」とムラギシ中尉が言うと、我々は腰を下ろした。
オーケストラが前奏曲を演奏し終わり、幕が開く。
シーンは、ハードアップ男爵のお屋敷。シンデレラが床を拭き掃除している。
シンデレラに「ピィー! フュー!」と口笛。仕込みの連中が、そつなく仕事をこなす。
シンデレラは物語どおりのボロを身につけていたが、それでも“彼女”は最高にセクシーだった。忘れかけていた本能が刺激される。
召使いのバトンズはカナダ軍の士官が演じた。彼は「生まれた部屋はでっかいが、ご覧のとおり、やつはチビ♪」という古い歌を歌った。初めて聞く歌だ。
ハードアップ男爵を演じたのは、私と一緒に台湾からきたマクグラス大尉だ。本当に芸達者だ。
舞踏会への招待状が届き、意地悪姉妹はバトンズが愛するシンデレラにさんざん意地悪をする。
そしてショーは、プロの手によるとしか思えない脚本どおり順調に、踊って歌って飛び跳ねて進行していった。
第一幕が終わって幕が閉じると、ものすごい拍手。満場の大喝采を博す、というやつだ。
米国人たちの様子を見てみた。ものすごく楽しそうで、余すところなくショーを楽しんでいるようだ。
再度幕が開くと、フェアリー・ゴッドマザーが、きらびやかな音楽とともに現れた。雷鳴が轟き、場内が真っ暗に。
再び明かりが灯くと、舞台にはシンデレラ。いつでも舞踏会に出かけられる格好だ。クリノリン・ドレスを身に纏い、バトンズが馬車を引く。バトンズの衣装は召使いの恰好そのものだ。
ブローカーの男ダンと、間抜けな共犯者オオモリ・ビルが気の利いた言葉を発し、よろめき、歌う。見事なドタバタ喜劇だ。前二列の無表情だった黄色い顔がはじけ、出っ歯をむき出しにして笑う。
そしてもちろん王子様は、シンデレラと恋に落ちる。
意地悪姉妹は私がこれまで見た中で最高にヒドい、数々の意地悪をする。
幸せな恋人たちは、「オンリー・ア・ローズ」を歌う。
時計の針が0時を指す。シンデレラは駆け出し、消えた。銀色の靴だけを残して。
ハードアップ男爵はミツィー公爵夫人に恋をし、プロポーズした。過去に4人の夫がいた彼女が、もう一人のセクシー“レディー”である。
彼女は「ヴィリア、森の魔法使い」の調べにのせて、プロポーズに返答した。驚く男爵。
「男爵様、ああ、男爵様、私のお返事は……イエスです」
最終幕では、王子様はついにシンデレラを見つけ出す。召使いのバトンズはシンデレラとの別れに涙を流しつつも、彼女の幸せを祈った。
最後はフェアリー・ゴッドマザーが締めた。
「終わりよければすべてよし、ね」
鐘が鳴り、幕が閉じると、観客は総立ちで拍手喝采。何度か幕が開いては、役者たちが頭を下げた。
そして、プロデューサーのボーエン・ジョーンズが壇上に引っ張り上げられ、喝采を浴びた。彼は短いスピーチで、我々や倭国人の協力に謝意を述べた。
我々が劇場からぞろぞろと出る時も、楽団はショーの時の曲を演奏してくれた。
これまで観た中で、最高のショーだった。とても幸せな気持ちにしてくれた。皆が皆、そう思っていた。
これほどのショーにこれまでお目にかかったことがなく、我々は存分に楽しむことができた(いや、あれから何十年も経つが、あんなショーには出会ったことがない。私は今でも、あの「シンデレラ」が人生で最高のショーだと思っている)。
ムラギシ中尉は消灯時間を0時まで延長してくれた。私はベッドで、冷めた米飯と豚肉の缶詰を食べた。
さて、明日も「シンデレラ」を観にいくとしよう。 November 11, 2025
<ポストの表示について>
本サイトではXの利用規約に沿ってポストを表示させていただいております。ポストの非表示を希望される方はこちらのお問い合わせフォームまでご連絡下さい。こちらのデータはAPIでも販売しております。



