ハンセン病 トレンド
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2025.12.07
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ハンセン病に関するポスト数は前日に比べ34%増加しました。女性の比率は7%増加し、前日に変わり30代男性の皆さんからのポストが最も多いです。本日話題になっているキーワードは「差別」です。
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ワレの半生を振り返ると、後で後悔しないかどうかがワレの行動基準だったように思う。高校生の時同級生に対するいじめに抗議した、院生の時性暴力に抗議して絶交した、ハンセン病訴訟の原告を支援した、立川反戦ビラ事件の被告人を支援した、就職してからセクハラやパワハラに抗議した。どれもこれも、ワレが正しいとは言わないが、ワレの良心からするやむにやまれぬ行動だった。これら全部見て見ぬふりしてたらもっと楽しく有意義な人生だっただろう。ただし後悔を抱えながらの。
今、それこそ、後悔はなく、もうすぐ還暦だ。 December 12, 2025
7RP
「人間が人間でなくなるのはどんな時か」17歳の時に広島の原爆ドームを訪れてから今まで関心を寄せてきた。それは非常に恐ろしく悍ましいからだ。去年のある時にその事実を知り、囚われるようになった。瀬戸内と聞いたら、その事実が頭に去来するようになった。
昨日8月6日に広島を後にし、その島に向かった。
倭国が犯した過ちの中では最大最悪とされるハンセン病患者の強制隔離政策。倭国で一番最初にできたハンセン病患者の隔離施設。長島愛生園。
当時そこは診療所でも療養所でもなく、まさに収容所だった。今までイメージしてきた収容所そのものだった。所長が職員が、彼らの判断だけで、患者に懲罰を自由に与えられるようになった瞬間、そこはもはや療養所ではないのである。治療ではなく絶滅させることを目的とする時、それはもはや療養所ではないのである。
ハンセン病患者の隔離収容を目的とするらい予防法は、僕が生まれた頃にはまだあったのだ。戦後すぐに完治できる病になっていたのに、なぜここが必要なのか?なぜだ?なぜだ?の連続であった。
この島についてだが、現在161名の患者がまだ住んでいる。その倍の数の職員がいる。皆高齢のため中心にある病院の近くにいると思われ、居住区域に人が住んでいる形跡はほとんどない。
この島全体で不思議なことがある。どの場所に行ってもラジオが大音量で流れているのである。森の中でも大音量で流れている。隅から隅までラジオが流れていて監視カメラがあった。
今日までハンセン病については、歴史として学んだことはあった。当時の政策も形成された世論も、それがもたらした被害も学んだ。
らい予防法についても学んだ。多くの患者の手記も読んだ。患者の家族の苦痛苦悩も学んだ。離島であるからこそ起きることも学んだ。強制労働、懲戒検束、不妊堕胎、強制隔離、終世隔離多くのことを学んだ。
ただ1つの答えに行き着く。これらどの問題においても、必ず同じ1つの答えに行き着くのだ。それは、
「偏見や差別は、無知からくるもの」ということである。これが怖いのである。科学的に検証可能かどうかということもあるが、盲目的にそれを真と受け取る、正と受け取る、その無知さが怖いのである。
「ハンセン病はうつる、原爆はうつる、放射能はうつる」と盲目的に信じる無知が怖いのである。
「その時代、その場所で人々が醸し出す空気の伝染、感染」こそが、伝染病より僕が本当に恐れているものなのかもしれない。
近い将来、俺が必ず解決してみせる。それにしても海がきれいだった。わずかな夏休みにも関わらず、今年も広島から長島愛生園まで普段絶対行かないところまで、付いてきてくれてありがとう。
2018年8月7日
高野勇斗 December 12, 2025
5RP
北條民雄読書会終了。皆さんの視野が広いです。医療従事者の方やボランティア経験者の方、ハンセン病回復者と直接交流のあった方など、皆さま経験値が豊富で勉強になりました。年齢の幅も広く、現役大学生の方が「北條と同年代で刺激的だ」と感慨深く仰っていて、良い声を聞けました。写真は戦利品です https://t.co/xNZjQJsNuC December 12, 2025
2RP
ワイツゼッカー元大統領。 ドイツの敗戦40年にあたる1985年に連邦議会で行った「過去に目を閉ざす者は、現在にも盲目となる」との演説がつとに有名だ。
ハンセン病患者のロッカーに🙏 https://t.co/StgYDXlWJZ https://t.co/VW0TvEbQJd December 12, 2025
2RP
菊池事件についてはこの書籍をお勧めいたします
https://t.co/XAeb67pi1q
菊池事件、ハンセン病問題、そして死刑制度と再審請求について非常にわかりやすく書かれています December 12, 2025
1RP
22:12:34 あたりから、国立ハンセン病資料館の夏の展示「戦後80年―戦争とハンセン病」についてもふり返ってくださっています。
南島興さん、ありがとうございます!
植田将暉さん、お疲れさま。 https://t.co/tKm20l2ASW December 12, 2025
1RP
今日はハンセン病資料館に行ってきました。急に家族と引き離されて収容された子供たち。治って帰りたいと強く思いながらも差別と偏見により社会復帰は難しかったそうです。
親へ宛てた手紙が展示されてて、胸を打たれました。親子が自由に会えない苦しみは私も同じなので。 December 12, 2025
1RP
「人間が人間でなくなるのはどんな時か」17歳の時に広島の原爆ドームを訪れてから今まで関心を寄せてきた。それは非常に恐ろしく悍ましいからだ。去年のある時にその事実を知り、囚われるようになった。瀬戸内と聞いたら、その事実が頭に去来するようになった。
昨日8月6日に広島を後にし、その島に向かった。
倭国が犯した過ちの中では最大最悪とされるハンセン病患者の強制隔離政策。倭国で一番最初にできたハンセン病患者の隔離施設。長島愛生園。
当時そこは診療所でも療養所でもなく、まさに収容所だった。今までイメージしてきた収容所そのものだった。所長が職員が、彼らの判断だけで、患者に懲罰を自由に与えられるようになった瞬間、そこはもはや療養所ではないのである。治療ではなく絶滅させることを目的とする時、それはもはや療養所ではないのである。
ハンセン病患者の隔離収容を目的とするらい予防法は、僕が生まれた頃にはまだあったのだ。戦後すぐに完治できる病になっていたのに、なぜここが必要なのか?なぜだ?なぜだ?の連続であった。
この島についてだが、現在161名の患者がまだ住んでいる。その倍の数の職員がいる。皆高齢のため中心にある病院の近くにいると思われ、居住区域に人が住んでいる形跡はほとんどない。
この島全体で不思議なことがある。どの場所に行ってもラジオが大音量で流れているのである。森の中でも大音量で流れている。隅から隅までラジオが流れていて監視カメラがあった。
今日までハンセン病については、歴史として学んだことはあった。当時の政策も形成された世論も、それがもたらした被害も学んだ。
らい予防法についても学んだ。多くの患者の手記も読んだ。患者の家族の苦痛苦悩も学んだ。離島であるからこそ起きることも学んだ。強制労働、懲戒検束、不妊堕胎、強制隔離、終世隔離多くのことを学んだ。
ただ1つの答えに行き着く。これらどの問題においても、必ず同じ1つの答えに行き着くのだ。
それは「偏見や差別は、無知からくるもの」ということである。これが怖いのである。科学的に検証可能かどうかということもあるが、盲目的にそれを真と受け取る、正と受け取る、その無知さが怖いのである。
「ハンセン病はうつる、原爆はうつる、放射能はうつる。」と盲目的に信じる無知が怖いのである。「その時代、その場所で人々が醸し出す空気の伝染、感染」こそ、そちらの方が、僕が本当に恐れているものなのかもしれない。
近い将来、俺が必ず解決してみせる。それにしても海がきれいだった。わずかな夏休みにも関わらず、今年も広島から長島愛生園まで普段絶対行かないところまで、付いてきてくれてありがとう。
2018年8月7日
高野勇斗 December 12, 2025
1RP
101歳でやっと故郷に...ハンセン病元患者 差別を恐れて故郷帰れず81年 20歳から過ごした療養所を離れ故郷の大阪に 101歳で初めての一人暮らし 「大阪で死にたい」 https://t.co/PZLqRsYmMM #ニュース #関西テレビ放送 #カンテレ
かっこえーなー。すごいわ。 December 12, 2025
帰郷を決めたのは「自分のことを知っている人はもういない」から
101歳でやっと故郷に...ハンセン病元患者 差別を恐れて故郷帰れず81年 20歳から過ごした療養所を離れ故郷の大阪に 101歳で初めての一人暮らし 「大阪で死にたい」 https://t.co/G7WdI4SodE December 12, 2025
>帰郷を決めたのは「自分のことを知っている人はもういない」から
101歳でやっと故郷に...ハンセン病元患者 差別を恐れて故郷帰れず81年 20歳から過ごした療養所を離れ故郷の大阪に 101歳で初めての一人暮らし 「大阪で死にたい」
https://t.co/AVKEwMBKy8 December 12, 2025
今日は江戸川区立小松川図書館(東京都)が主催する市民向け講座で講演を行いました。国立ハンセン病資料館では無料で講師を派遣する出張講座を行っています。詳しくは下記のページをご覧ください。
https://t.co/QfKrNjpSs8
#ハンセン病 #講師派遣 #無料 https://t.co/kT6laKYvJw December 12, 2025
これたまたま見て切なくなりました😢
けれど101歳とは思えぬ、お元気で、若々しくて🥲
ドジャースの真新しい野球帽🧢お似合いだった⋯
故郷大阪。無理なく暮らして欲しい、しんどかったら元に戻るもありで🙏
#ハンセン病
#北野さんがんばれ https://t.co/C6X4AJZ0Kr December 12, 2025
本日は日置市の人権イベント。
ジュニアオーケストラの演奏も児童生徒の朗読も素晴らしかった。
圧巻は、#伊集院高校演劇部 の舞台「その人の名前」。
ハンセン病「問題」を知るのにこれ以上ない教材。
ぜひ、多くの方に観劇の機会があればいいなと、思いました。
まずは九州大会、頑張ってください! December 12, 2025
@nhk_takamatsu 人権週間にちなんだハンセン病特集、重いテーマですね。当時はまだ医療が乏しく痛みや偏見など、それこそ生涯を棒に振る悲劇的な人生を過ごされた方々もいて、また一方で外の世界からは閉ざされた環境下ではありましたが、豊かな自然の中で楽しみを見つけて過ごす姿もあり複雑ですね。孤独こそ大問題。 December 12, 2025
読んでて切なくなった
生まれ育った大阪で死にたい、か
101歳でやっと故郷に...ハンセン病元患者 差別を恐れて故郷帰れず81年 20歳から過ごした療養所を離れ故郷の大阪に 101歳で初めての一人暮らし 「大阪で死にたい」 https://t.co/TXFu75FUP9 #ニュース #関西テレビ放送 #カンテレ December 12, 2025
今日は酒々井町(千葉県)教育委員会が主催する「人権教育セミナー」で講演を行いました。国立ハンセン病資料館では無料で講師を派遣する出張講座を行っています。詳しくは下記のページをご覧ください。
https://t.co/QfKrNjpSs8
#ハンセン病 #講師派遣 #無料 https://t.co/FjrejD8Uj1 December 12, 2025
初版は1993年
アフガニスタンで、らい(ハンセン病)の診療を行っていた頃の中村哲さん
アフガニスタンの診療所から
[ 中村 哲 ]
https://t.co/nSd5DM5AIw December 12, 2025
101歳でやっと故郷に...ハンセン病元患者 差別を恐れて故郷帰れず81年 20歳から過ごした療養所を離れ故郷の大阪に 101歳で初めての一人暮らし 「大阪で死にたい」
「実家があった場所には、まだ行くことができていません」が重い
https://t.co/AWX7OM6pQW #ニュース #関西テレビ放送 #カンテレ December 12, 2025
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