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ニューヨーク
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2025.12.05 19:00
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人気のポスト ※表示されているRP数は特定時点のものです
今後のラインナップは…
📅12/10
棚橋弘至
ウルフアロン
📅12/17
中丸雄一
ニューヨーク
お楽しみに❕ https://t.co/IPM9HBjfNT December 12, 2025
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ニューヨークに行くとき、JALかANAしか使わない
エコノミーでも対応が丁寧
駐在妻だったとき、JAL・ANAの機内に入った途端、倭国に帰った!気持ちになった。 https://t.co/DjJIbBqxqp December 12, 2025
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📢かなりヤバい話が飛び込んできました😡
なんと来週から、アメリカの21の民主党支配州がSNAP(フードスタンプ)=低所得者向けの連邦栄養支援の資金を一斉に打ち切られる見込みです。
理由は、不正調査のためのデータ提供を拒否したから。
連邦政府が「不正利用を洗い出すため、全州にデータを提出せよ」と要請したのは今年2月。
共和党系の29州は協力しましたが、民主党主導の21州は拒否したままだったのです😤
調査に応じた州では…
・死亡した18万6,000人分の社会保障番号が使用されていた😱
・50万人が複数回にわたり不正に受給
・中には6州から同時に給付を受けていた人物も複数いたという異常な事例まで明らかになりました。
その結果、連邦政府はついに堪忍袋の緒が切れたと発表。
「来週から、協力しない州への資金送金を止める。準拠するまで復活しない」と正式に通知しました📉
名前が挙がっているのは👇
カリフォルニア、ニューヨーク、ミシガン、マサチューセッツ、イリノイ、ミネソタ、バーモント、オレゴンなど、民主党が握る州ばかり21州。
💸つまり、**「協力すれば不正が見える」「協力しなければ不正は放置される」**という構図が、全国規模であらわになったということ。
この話、今インスタでトレンド入り中。
タグは「#SNAPFraud」「#DefundTheBlueStates」などが拡散中🔥
食料支援をめぐる前代未聞の資金停止....
次に問われるのは「なぜ拒否したのか?」という、21州の説明です。 December 12, 2025
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フレンチトーストの意外すぎる豆知識4選
① 実は古代ローマ帝国が起源だったんです!
「最近生まれた料理かな?」と思われがちなフレンチトースト。でも最古の記録は1世紀ごろのローマの料理書に見られます。そこには、硬くなったパンを牛乳に浸し油で揚げ、蜂蜜をかけるレシピが紹介されていました。つまり、最初から「捨てられるパンを救う知恵」として生まれていたんですね。
② French toastという名前は17世紀のイギリスで登場!
1660年ごろのイギリスで、「フランス風=洗練された料理」というイメージから名付けられたと言われています。
旅行者たちがフランスの文化に憧れ、それを真似して名前まで輸入した……そんな背景があったのかもしれません。
別説としては、1724年のニューヨークの宿屋主人 Joseph French がつけた名前とも言われますが、イギリスで既に使われていた表現でもあるため、真偽は少し怪しいようです。
③ 「パン・ペルデュ」とは「失われるはずのパン」という意味
フランス語の「pain perdu」は「失われたパン」という意味で、硬くなったパンを再び美味しく救う料理というニュアンスが込められています。似た料理は世界中にあり、ドイツでは「貧しい騎士」を意味する arme ritterと呼ばれています。どの国でも、食材を無駄にしない知恵として発展してきたんですね。
④ フランス王アンリ4世は「ブリオッシュ・ペルデュ」が大好物だった!
なんと王様も、固くなったブリオッシュを浸して揚げた贅沢なパン・ペルデュを好んだと言われています。貴族の間でも食品を無駄にしないのが当たり前だった時代。リッチでありながら、根っこには「もったいない精神」がありました。そう考えると、パン・ペルデュって本当に文化と生活が詰まった料理なんですよね。 December 12, 2025
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映画『ジャグラー/ニューヨーク25時 4K修復版』
70年代ニューヨークの猥雑でアングラな街の空気が、とにかくカッコいい。
カーチェイスは最高だし、パパも犯人も、他のキャラも、みんなイカれすぎてて笑った。
最後までノンストップで面白かった!こういう映画、本当にたまらなく好き。最高!! https://t.co/mlbsPDEfAv December 12, 2025
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【CINEMA/DRAMA】『映画ラストマン -FIRST LOVE-』ラストマンがニューヨークに上陸‼️🎬📺
NY撮影中の福山雅治&大泉洋の写真📸を解禁!✨
▶️https://t.co/6YMLaCbYQT
#ラストマン #映画ラストマン #福山雅治 #大泉洋 @LASTMAN_tbs https://t.co/ff9aN6BoHk December 12, 2025
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絶対に川口市民は選挙に行ってください‼️
そして、倭国人🇯🇵全員、外国人が倭国🇯🇵の政治家になろうとしている‼️この事実を知ってください‼️
本当に、倭国🇯🇵のために働いてくれるだろうか、よく考えてください‼️
ニューヨークではイスラム教徒の市長が誕生したら、ビル火災🔥が起きたんですよ⁉️
#川口市長選挙 #帰化人 December 12, 2025
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①『荒野の七人』製作の舞台裏を描いたブライアン・ハナンのThe Making of The Magnificent Sevenを読む。意外な事実がたくさん書かれている。
本によると『荒野の七人』の原作である『七人の侍』は米国では1956年11月、ニューヨークのGuild Theatreという映画館で初公開された。このGuildは→ https://t.co/yMw4mJnX3l December 12, 2025
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ニューヨーク・ロンドン・ドバイ。
富裕層向け物件を見れば分かりますが、
・タッチパネル
・音声操作
・在室センサー
・自動空調
・セキュリティ統合
など、一歩先を進んでます。
しかも、これらは贅沢品というより、
最低限の快適性の基準。
寝具と同じで毎日使う物はいい物を取り揃えたい。 December 12, 2025
ヤンキースのリバーシブルパディングマジで欲しいんだけど出品されてるの見た瞬間心臓バクバクしたわwwww俺の分取っとけよオイイイイ!(笑)
MLB ニューヨークヤンキース スタンドパディングジャケット リバーシブル M
https://t.co/xH703laur4 December 12, 2025
https://t.co/T5vZZANzQj
世界一のクリスマスソングを作った男の壮絶人生|きよしこの夜|フランツ・グルーバー
世界の偉人達 #AI要約 #AIまとめ
清しこの夜を作曲した無名の男フランツ・グルーバーの物語
🔳貧しい機織り職人の家に生まれた少年時代
1787年オーストリアの小村に生まれたグルーバーは、年収70〜100万円程度の貧しい機織り職人の家の5番目として育ち、幼い頃から機織りを手伝わされる一方で、教会のオルガンの音に心を奪われ音楽への憧れを強めていった。
🔳父の反対と秘密のレッスン
父は「音楽なんぞ金にならん」と音楽を禁じたが、小学校教師ペテルレナーが才能を見抜き無償で指導を申し出る。グルーバーは9〜18歳の9年間、昼は機織り、夜は父に隠れて先生のもとへ通い、古い小さなオルガンを宝物のように弾きながら音楽を学び続けた。
🔳教師兼オルガニストとして音楽で生きる道
18歳の時、ペテルレナーが父を説得し、ついに「好きにしろ」の一言を得て進路が開ける。19歳で教員資格試験に合格し、20歳で村の教師兼オルガニストとなり、貧しいながらも音楽を仕事にする人生を歩み始めた。
🔳度重なる家族の死と深い悲しみ
最初の妻マリアとは二人の子を授かるも、いずれも幼くして死亡し、後にマリア自身も他界。再婚した元教え子マリア・ブライトフスとの間には10人の子が生まれたが成人したのは4人のみであり、1841年には妻と新生児を同じ日に失うなど、家族の死に幾度も打ちのめされながらも音楽だけは決して手放さなかった。
🔳私生児として生まれた相棒ヨーゼフ・モール
1816年、オーベルンドルフで若き司祭ヨーゼフ・モールと出会う。モールは私生児として生まれ、処刑人に後見人を持つという社会的最底辺出身だったが、ザルツブルク大聖堂の聖歌隊長に才能を見出され学問と音楽の道を与えられた、逆境を乗り越えた人物であり、音楽と信仰を愛する二人は深い友情で結ばれた。
🔳清しこの夜誕生のクリスマスイブ
1818年のクリスマスイブの午後、モールは「シュティレ・ナハト」と書かれた詩を持ってグルーバーを訪ね、「今夜のミサで歌いたい」と作曲を依頼する。戦争に疲弊したヨーロッパの平和を祈るようなシンプルで深い詞に心を打たれたグルーバーは、ギター伴奏用の穏やかなメロディを数時間で書き上げ、その夜ギターを弾くモールのテノールとグルーバーのバスで初演され、村人たちの涙を誘った。
🔳世界に広がるが消えた作曲者の名前
この「単純な作品」はオルガン修理工マウラッハーやチロル地方の民謡一家ライナーらによってヨーロッパ各地に広まり、1839年にはニューヨークでも歌われる。しかし写譜される過程でグルーバーの名前は消え、チロル民謡と誤解され、ハイドンやモーツァルト、ベートーヴェンの曲だと噂されるほど有名になりながらも作曲者不詳のまま広がっていった。
🔳教会音楽家としての地位とそれでも来なかった名声
グルーバーは教会音楽で60以上のミサ曲や多くの聖歌・舞曲を作り、地方の大巡礼祭の音楽監督やハライン教会の聖歌隊長・オルガニストとして28年間務めるなど、地域では名声を得た。しかし「清しこの夜」の作曲者として広く認められることはなく、1854年のベルリン王室礼拝堂からの問い合わせに報告書を送り、経緯を詳述しても、生前に世界的な名声を手にすることはなかった。
🔳貧者に尽くした詩人モールの最期
モールはその後も貧しい村のために学校建設や学費基金を自らの給料を投じて進めるなど、ほとんどの収入を慈善に捧げた。死の床に残った持ち物は黒い祭服1着とギター、パイプ袋だけという質素さであり、「清しこの夜」の詩には、差別と貧困を知る彼の深い祈りと弱者への共感が刻まれているとグルーバーは感じていた。
🔳第一次世界大戦での「クリスマス休戦」
グルーバーの死後半世紀、1914年の第一次世界大戦・西部戦線で、ドイツ兵とイギリス兵が塹壕から「清しこの夜」をドイツ語と英語で歌い合い、一時的に銃声が止み、無人地帯で握手や贈り物の交換が行われた。約10万人が参加したとされるこの「クリスマス休戦」は、単純なこの曲が敵同士の心さえ一つにした象徴的な出来事となった。
🔳直筆楽譜の発見と作曲者の正式な復権
長くオリジナル楽譜は失われていたが、1995年にモールの自筆譜が発見され、左下には「詩:ヨーゼフ・モール(1816)」、右上には「メロディ:フランツ・クサーヴァー・グルーバー」と明記されていたことから、両者の役割が公式に確認される。2011年には「清しこの夜」がオーストリアの無形文化遺産として登録され、グルーバーの功績はようやく歴史の中に位置づけられた。
🔳今も続く清しこの夜の祈りとグルーバーの願い
現在「清しこの夜」は300以上の言語に翻訳され、13万7000回以上録音される世界で最も有名なクリスマスソングとなり、オーベルンドルフの礼拝堂やハラインの博物館には誕生の地の記憶が刻まれている。貧しい機織り職人の息子が数時間で書いた「単純な作品」は、名声ではなく「誰かの悲しみに寄り添い、少しでも安らぎを届けたい」というグルーバーの静かな願いとともに、今も世界中のクリスマスの夜に歌い継がれている。 December 12, 2025
ロンドンとかニューヨークみたいな都会も好きやけど、やっぱり自分は自然が好きやなと実感した旅やった🇿🇦🇸🇿
来年はケニアとかタンザニア行こう🙃 https://t.co/KHkODS0wUi December 12, 2025
30年前に初めてニューヨーク🗽へ行った時に泊まったのがウォルドーフ🏨ティファニー💍の本店へも行ったので、今回のコラボは私にとってはスペシャル✨ https://t.co/7UgOsHCUIt December 12, 2025
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