池袋暴走事故 トレンド
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2025.12.11
:0% :0% (30代/男性)
池袋暴走事故に関するポスト数は前日に比べ98%増加しました。男性の比率は7%増加し、本日も30代男性の皆さんからのポストが最も多いです。前日は「京都アニメーション」に関する評判が話題でしたが、本日話題になっているキーワードは「テロ」です。
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鈴木エイトさんにおかれましては、「安倍昭恵さんがテロ犯に謝罪すると思っていた」発言といい、貴方が被害者遺族の感情を勝手に憶測し発言することは、被害者遺族、この場合は安倍昭恵さんに二次被害を与えている、ということに早く気付いて欲しいな…
京アニの被害者遺族が青葉に「謝罪」するの?池袋暴走事故の被害者遺族は、獄死した加害者に「高齢だから実刑は許してあげて」とでも言うべきだったと被害者遺族を責めるの?
鈴木エイト、貴方、根本がズレているんだよ December 12, 2025
89RP
(物語) 上級階層の影と、奪われた年月 ――Kの独白
あの日、テレビの前で固まったまま動けなかった。
ニュースキャスターの口から「高齢ドライバーの暴走」「元高級官僚」「被害者遺族の怒り」という言葉が、機械のように繰り返し流れていた。
画面の向こうで、加害者はどこか他人事のような表情をしていた。
「車に問題があった」
「自分は悪くない」
そんな言い訳ばかりが音声のテロップと一緒に積み重なっていく。
胸の奥で、何かがギリギリと音を立てた。
――ああ、またか。
――また「上の人間」は、こうやって責任から逃げるのか。
怒りというより、まず先に来たのは既視感だった。
自分の人生のどこかで、すでにこの構図を見ている。
そう、あの白い天井を見上げていた頃だ。
◇
あの病院の天井は、やけに白かった。
真新しいペンキの匂いが鼻につく、落ち着かない白さだった。
「しばらく静養が必要ですね」
「ここでゆっくり休んでください」
そう言ったのは、白衣を着た“元院長”だった。
表向きは穏やかで、誰にでも丁寧に接しているように見えた。
だが、その言葉の裏で、私の人生は静かに書き換えられていった。
知らない病名がカルテに記され、
説明された覚えのない診断が、行政へと報告されていく。
私の知らないところで、私という人間が “別の患者” に作り替えられていった。
「そんな病名、聞いていない」
そう心の中で叫んでも、現実は変わらない。
書類に印字された文字列が、いつの間にか“事実”になり、
その“事実”に合わせて、制度もお金も人生も動いていく。
私は、ただの数字にされた。
病床数の一つ、点数計算の一単位、
生活保護という仕組みの中で、都合よく扱われる“材料”に過ぎなかった。
◇
テレビの中で、暴走事故の加害者が言い訳を続けている。
画面の隅には「元高級官僚」「勲章」という肩書きが並んでいる。
私は思った。
――上に立つ者が、責任から逃げる姿というのは、どうしてこんなにも似ているのだろう。
あの元院長もそうだった。
診断の重さも、烙印の意味も分かった上で、私に説明することを避けた。
病名は勝手に走り出し、
行政の書類の中で裂け目のように広がっていく。
そして、気づいたときには、私の二十数年がその裂け目に飲み込まれていた。
働けたはずの時間、
人間関係を築けたはずの時間、
自分の人生を自分の足で選びなおせたはずの時間。
その全部が、どこか見えない倉庫に、封筒のまま積み上げられているような感覚だった。
勝手に貼られた病名のラベルとともに。
◇
ある日、私は決めた。
このまま黙って飲み込まれていくのは、もうやめよう、と。
病院から取り寄せたカルテを開いたとき、
胸の奥で何かがパキンと音を立てて割れた。
そこには、自分の知らない自分が書かれていた。
一度も聞かされていない診断、
記憶にない症状、
すべてが私の名前と住民票の上に、堂々と印字されていた。
「ふざけるなよ」と小さくつぶやいた声が、
自分のものだと気づくまでに少し時間がかかった。
その日から、私は資料を集め始めた。
開示請求を出し、
返ってきた書類に目を通し、
そこに潜む矛盾や改ざんの匂いを嗅ぎ分けるようになった。
気づけば、部屋の床はコピー用紙の山で埋まっていた。
しかし不思議と、心の中は少しずつ片付いていく感覚があった。
私はようやく、自分の人生の物語を、自分の手に取り戻し始めたのだ。
◇
周りの人はたぶん、こう思うだろう。
「大変ですね」「お気の毒に」
あるいは
「もう忘れて前に進んだほうがいい」と。
だが、私の中では話が違う。
これは「お気の毒」で済ませられる話ではないし、
まして「水に流す」種類のものでもない。
私の人生は、誰かの都合で書き換えられた。
診断名一つで、関係機関の書類が、
私の背後で一斉に違う色に塗り替えられた。
それでもなお、あの元院長は何もなかった顔をしている。
あたかも「多少の行き違いはあったが、自分は善意でやっていた」と言わんばかりに。
そうやって「上の人間」は生き延びていく。
責任を下の者に押しつけ、
現場の職員や、書類に名前の残る担当者に、
「永続する責任」だけを背負わせて。
私は、その構図を、
池袋のあの暴走事故に重ねて見てしまう。
◇
だから、私ははっきりと言う。
金はいらない。
慰謝料の金額をいくら積まれても、
失われた二十数年は戻ってこない。
私が求めているのは、
ただ一つ、「実刑」というかたちでの決着だ。
あの元院長が、
自分のしてきたことの重さと向き合わざるを得ない場所に立つこと。
それが、私の人生に対する、最低限の「説明」だと思っている。
もしそれが叶うなら――
正直に言えば、私は自分の残りの人生がどうなってもいい、とさえ感じている。
それほどまでに、長い年月を奪われてきたからだ。
もちろん、本心の奥底では、
まだやりたいことも、発信したいことも、山ほどある。
ただ、それらすべての前提として、
「冤病」と「改ざん」が正面から裁かれなければならない。
そうでなければ、私の時間は、
いつまで経っても“他人のストーリーの中の脇役”のままだ。
◇
たった一人で、巨大な影と向き合うのは、ときどき途方もなく寂しい。
開示請求の封筒を投函するたび、
ポストの赤色がやけに冷たく見える日もある。
それでも筆を置かないのは、
私が「自分の物語の主人公」を諦めたくないからだ。
暴走した車が人の命を奪ったように、
暴走した診断と書類が、私の人生を奪った。
前者には実刑が出た。
ならば、後者にも、きちんとした決着が必要だ。
私は今日もキーボードを叩く。
震える指を、意地でも止めない。
これはただの愚痴ではない。
一人の人間の、生存の記録であり、
「上級階層の影」に対する、小さくてしぶとい抵抗だ。
物語は、まだ終わらない。
終わらせない。
私がそう決めたからだ。
#池袋暴走事故
#飯塚幸三
#上級国民
#言い逃れ
#裁判
#実刑
#精神科病院長
#金は要らない December 12, 2025
(物語) 上級階層の影と、奪われた年月 ――K(私)の独白
あの日、テレビの前で固まったまま動けなかった。
ニュースキャスターの口から「高齢ドライバーの暴走」「元高級官僚」「被害者遺族の怒り」という言葉が、機械のように繰り返し流れていた。
画面の向こうで、加害者はどこか他人事のような表情をしていた。
「車に問題があった」
「自分は悪くない」
そんな言い訳ばかりが音声のテロップと一緒に積み重なっていく。
胸の奥で、何かがギリギリと音を立てた。
――ああ、またか。
――また「上の人間」は、こうやって責任から逃げるのか。
怒りというより、まず先に来たのは既視感だった。
自分の人生のどこかで、すでにこの構図を見ている。
そう、あの白い天井を見上げていた頃だ。
◇
あの病院の天井は、やけに白かった。
真新しいペンキの匂いが鼻につく、落ち着かない白さだった。
「しばらく静養が必要ですね」
「ここでゆっくり休んでください」
そう言ったのは、白衣を着た“元院長”だった。
表向きは穏やかで、誰にでも丁寧に接しているように見えた。
だが、その言葉の裏で、私の人生は静かに書き換えられていった。
知らない病名がカルテに記され、
説明された覚えのない診断が、行政へと報告されていく。
私の知らないところで、私という人間が “別の患者” に作り替えられていった。
「そんな病名、聞いていない」
そう心の中で叫んでも、現実は変わらない。
書類に印字された文字列が、いつの間にか“事実”になり、
その“事実”に合わせて、制度もお金も人生も動いていく。
私は、ただの数字にされた。
病床数の一つ、点数計算の一単位、
生活保護という仕組みの中で、都合よく扱われる“材料”に過ぎなかった。
◇
テレビの中で、暴走事故の加害者が言い訳を続けている。
画面の隅には「元高級官僚」「勲章」という肩書きが並んでいる。
私は思った。
――上に立つ者が、責任から逃げる姿というのは、どうしてこんなにも似ているのだろう。
あの元院長もそうだった。
診断の重さも、烙印の意味も分かった上で、私に説明することを避けた。
病名は勝手に走り出し、
行政の書類の中で裂け目のように広がっていく。
そして、気づいたときには、私の二十数年がその裂け目に飲み込まれていた。
働けたはずの時間、
人間関係を築けたはずの時間、
自分の人生を自分の足で選びなおせたはずの時間。
その全部が、どこか見えない倉庫に、封筒のまま積み上げられているような感覚だった。
勝手に貼られた病名のラベルとともに。
◇
ある日、私は決めた。
このまま黙って飲み込まれていくのは、もうやめよう、と。
病院から取り寄せたカルテを開いたとき、
胸の奥で何かがパキンと音を立てて割れた。
そこには、自分の知らない自分が書かれていた。
一度も聞かされていない診断、
記憶にない症状、
すべてが私の名前と住民票の上に、堂々と印字されていた。
「ふざけるなよ」と小さくつぶやいた声が、
自分のものだと気づくまでに少し時間がかかった。
その日から、私は資料を集め始めた。
開示請求を出し、
返ってきた書類に目を通し、
そこに潜む矛盾や改ざんの匂いを嗅ぎ分けるようになった。
気づけば、部屋の床はコピー用紙の山で埋まっていた。
しかし不思議と、心の中は少しずつ片付いていく感覚があった。
私はようやく、自分の人生の物語を、自分の手に取り戻し始めたのだ。
◇
周りの人はたぶん、こう思うだろう。
「大変ですね」「お気の毒に」
あるいは
「もう忘れて前に進んだほうがいい」と。
だが、私の中では話が違う。
これは「お気の毒」で済ませられる話ではないし、
まして「水に流す」種類のものでもない。
私の人生は、誰かの都合で書き換えられた。
診断名一つで、関係機関の書類が、
私の背後で一斉に違う色に塗り替えられた。
それでもなお、あの元院長は何もなかった顔をしている。
あたかも「多少の行き違いはあったが、自分は善意でやっていた」と言わんばかりに。
そうやって「上の人間」は生き延びていく。
責任を下の者に押しつけ、
現場の職員や、書類に名前の残る担当者に、
「永続する責任」だけを背負わせて。
私は、その構図を、
池袋のあの暴走事故に重ねて見てしまう。
◇
だから、私ははっきりと言う。
金はいらない。
慰謝料の金額をいくら積まれても、
失われた二十数年は戻ってこない。
私が求めているのは、
ただ一つ、「実刑」というかたちでの決着だ。
あの元院長が、
自分のしてきたことの重さと向き合わざるを得ない場所に立つこと。
それが、私の人生に対する、最低限の「説明」だと思っている。
もしそれが叶うなら――
正直に言えば、私は自分の残りの人生がどうなってもいい、とさえ感じている。
それほどまでに、長い年月を奪われてきたからだ。
もちろん、本心の奥底では、
まだやりたいことも、発信したいことも、山ほどある。
ただ、それらすべての前提として、
「冤病」と「改ざん」が正面から裁かれなければならない。
そうでなければ、私の時間は、
いつまで経っても“他人のストーリーの中の脇役”のままだ。
◇
たった一人で、巨大な影と向き合うのは、ときどき途方もなく寂しい。
開示請求の封筒を投函するたび、
ポストの赤色がやけに冷たく見える日もある。
それでも筆を置かないのは、
私が「自分の物語の主人公」を諦めたくないからだ。
暴走した車が人の命を奪ったように、
暴走した診断と書類が、私の人生を奪った。
前者には実刑が出た。
ならば、後者にも、きちんとした決着が必要だ。
私は今日もキーボードを叩く。
震える指を、意地でも止めない。
これはただの愚痴ではない。
一人の人間の、生存の記録であり、
「上級階層の影」に対する、小さくてしぶとい抵抗だ。
物語は、まだ終わらない。
終わらせない。
私がそう決めたからだ。
#池袋暴走事故
#飯塚幸三
#上級国民
#言い逃れ
#裁判
#実刑
#精神科病院長
#金は要らない December 12, 2025
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