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ダイエー
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2025.11.27 07:00
:0% :0% (30代/男性)
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大学卒業後、ダイエーを経て、家業の米菓メーカーに入社
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当時のせんべいは塩か醤油
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「ほかの味にしたらもっと売れるのでは?」と考え、砂糖と醤油で甘塩っぱい味付けにする
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空前の大ヒット!
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以後、開発担当として次々とヒット商品を世に送り出す
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が、ほどなく悲劇が襲う…
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2004年に起きたマグニチュード6.8の新潟県中越地震
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震源地に近かった工場は壊滅的な被害
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当然、生産ラインは全てストップ
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店頭からは自社製品が消え、次々と他社商品に並べ替えられていく
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商品は作れない…売り場は無くなっていく…
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万事休す…これまでか…
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成す術もなく「廃業」を覚悟する
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しかし、社員たちは違った
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電気が止まり暖房も効かない冷え切った工場
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薄暗い中、備品が散乱した場内を必死に片付け、機械にこびりついた汚れを懸命に削り取っていた
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自宅が倒壊したにもかかわらず、避難所から駆け付け復旧作業に当たる社員たち
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「とにかく工場を元の状態に戻したいっ!」
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そんな社員たちの姿に、胸が熱くなり、再び立ち上がる
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「このまま潰すわけにはいかない、自分も頑張らなくては!」
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地域の人も全面的に協力してくれた
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ある家族は、電気が通ると避難所から一時的に自宅に戻り、
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風呂を沸かして、社員たちの冷え切った身体を無償で温めた
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ほどなくして工場も順次復旧し稼働
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比例するように売上も回復
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初めて直面した最大の危機を、社員と社員、社員と地域の絆により乗り越える
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助けてもらった恩を胸に、今度は恩返し
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2011年の東倭国大震災の際は、
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社員がトラックで被災地を回り、
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できたてのせんべいを振る舞い支援
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2020年、大雪による影響で関越道に2,000台以上の車が立ち往生した際は、
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社員がトラックに積んだ商品を自発的に配りまわり、
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この行動がSNSで拡散され、会社の知名度は一気に上がった
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幾多の困難を乗り越え、
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現在は米菓業界第3位にまで躍進!
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原価が上がっても愚直に「国産米100%」でせんべいを作り続けている
『加工品は原材料よりいいものはできない、味付けを変えたとて、素材の元が悪かったらそれ以上の美味しいものは絶対にできない、それが代々伝わる教えです』
そう話すのが、
岩塚製菓株式会社
代表取締役会長 槇 春夫さん! November 11, 2025
273RP
幼児の時は、母に気づかれずにニチイかダイエーに連れ出すことさえ出きれば、トミカか聖闘衣体系買ってくれる魔法使いといった認識だったが、日中戦争で夫を失い、女手一つで6人育て上げ、子や孫を医者とか市会議員にして不機嫌一切みせないとか今思うと名もなき偉人だったな…まさか孫が高校生の時渋々描いた絵がおばあちゃん画界隈のモナ.リザとして広く知られるようになるとは祖母も思わなかったろう November 11, 2025
アメリカ🇺🇸に住んで32年。シカゴで運送屋を22年。現在54歳。
アメリカ🇺🇸は離婚が多い。倭国🇯🇵も多いがアメリカ🇺🇸の数には及ばない💦 俺から見れば、アメリカ🇺🇸人は簡単に結婚し過ぎと思うが、余計なお節介🧐 None of your business!と言われそうだ😅
俺の記憶が間違い😑でなければ、倭国の戦後、ダイエーと言う巨大スーパーマーケットチェーン作った経営者中内さんの名言に、
結婚という物は、「男と女の誤解」で始まり、
「男と女の理解」と言う形で、離婚で終わると。
深くて余韻があって良い言葉だ。
初めて聞いた時は20代後半だったから、結婚や愛❤️だの深い意味は分からなかったが、54歳になり、一通り、結婚、離婚、再婚も経験すると、しんみりと込み上げる物が有る。
倭国🇯🇵の戸籍にバツ❌と本当に「X」と記載されるとは知らなかった。明石屋さんまの意味がわかった。息子には見せたくない。 November 11, 2025
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