はりぼて 映画
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2025.12.01〜(49週)
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ミルドレッドピアース(★4.5)、サンセット大通り(★4.5)、ウルトラQ(★4.2)、おじさんと孤児(★3.5)、GYPSY MAGIC(★1)、屋根裏の長い髪(★1),記憶の残響(★1),虫の知らせ(★1),進むな危険(★1),居合切り(★1),はりぼてCG(★1),ラプンツェル(★0)
#映画好きと繋がりたい #いいねした人全員フォローする December 12, 2025
11RP
福尾匠『置き配的』読了。
SNSのタイムラインは、言葉を置いておく玄関先のようであり、言葉はサイバー空間内を占有する荷物的なものへと変質しつつあるという所感から出発していく。
よって、SNSの普及により言葉はリアルタイム(=手渡し)で伝達されるという従来の常識が後退していき、置かれた言葉・つぶやきは商品化されているように見えてくる。
商品は顧客=他ユーザーの手に取ってもらえるようにデザイン化されている。
SNSにおける言葉のデザイン化とはポジショントークであり、アテンション・エコノミーのための戦略であり、誰かにとっての陰謀論化である。
表現のセンシティブさという表層の部分だけをユーザーはさらって共有していき、タイムラインは表層の海となってさざめき続ける。
元ポストの本質や真相を探り当てようという知的好奇心は呼び起こされず、「ひとまず流れに乗れ」という刹那的なムーブメントだけが支配する。
福尾はSNSにおいては、言うべきことが過密に提供されるような気がしてくるということから、「言うべきことが〈密〉な空間」としている。
その対抗馬として持ち上がる概念が、「言うべきことが〈疎〉である空間」だ。
ドゥルーズはかつて、言うべきことが何もないのは喜びであり、人が疲弊するのは伝達が妨害されるからではなく、言うに値しないものを見てしまうからだと述べていた。
SNSは大したことがないトピックでも、簡単に政治的・社会的性格へと文脈を組み替えてしまう。
言及し、批判するに値するものであると価値を無理矢理上昇させてしまう。SNSは石ころをはりぼてのダイアモンドに変えてしまう。石を石として見ようとすることは許されないかのように。
〈密〉に対して〈疎〉を持ち上げても、それすらもカウンターカルチャーとして〈密〉の文化に吸収されてしまう。二項対立に還元されないような、本質的な差異を両者から見出すための道のりは、果てが知れない。 December 12, 2025
2RP
@congioia0115 @kawasakihatikan 「はりぼて」で有名な富山市議会だけど、県議会もダメなんですね。せっかくいい町で知られてるのに自らぶち壊しに行く。
地方の議員は地元密着だから後援会が言えば言うこと聞く方だと思うけど。 December 12, 2025
1RP
3年前の番組だけど、これ、知らなかったなぁ…。
こないだ富山チューリップテレビ製作のドキュメンタリー『はりぼて』とセットで観ると富山の地方議会のヤバさがよくわかる。
検証12弾・地方の政界にも旧統一教会浸透【報道特集】 https://t.co/f6hb2In4LB December 12, 2025
なんでも受賞できるのは嬉しいけど、自分の実力が伴ってなく、どんどんはりぼてが出来上がっているだけなのがツラいですね😇 https://t.co/sbTDOjFGDb December 12, 2025
【通販】【#キャラ誕記念に読もう 🐉が如く:佐〇司 誕生祭2025】
本日12/5は🐉が如く:佐〇司さんのお誕生日です🎉
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「をいなり本舗」様(@nariwo_)の発行
『はりぼての夜』が好評販売中!
モブスケベ客にホテルに誘われた真が向かうと、何故か佐の姿が⁉️な佐真本🏩
https://t.co/evlKk3Np0e December 12, 2025
福尾匠『置き配的』読了。
SNSのタイムラインは、言葉を置いておく玄関先のようであり、言葉はサイバー空間内を占有する荷物的なものへと変質しつつあるという所感から出発していく。
よって、SNSの普及により言葉はリアルタイム(=手渡し)で伝達されるという従来の常識が後退していき、置かれた言葉・つぶやきは商品化されているように見えてくる。
商品は顧客=他ユーザーの手に取ってもらえるようにデザイン化されている。
SNSにおける言葉のデザイン化とはポジショントークであり、アテンション・エコノミーのための戦略であり、誰かにとっての陰謀論化である。
表現のセンシティブさという表層の部分だけをユーザーはさらって共有していき、タイムラインは表層の海となってさざめき続ける。
元ポストの本質や真相を探り当てようという知的好奇心は呼び起こされず、「ひとまず流れに乗れ」という刹那的なムーブメントだけが支配する。
福尾はSNSにおいては、言うべきことが過密に提供されるような気がしてくるということから、「言うべきことが〈密〉な空間」としている。
その対抗馬として持ち上がる概念が、「言うべきことが〈疎〉である空間」だ。
ドゥルーズはかつて、言うべきことが何もないのは喜びであり、人が疲弊するのは伝達が妨害されるからではなく、言うに値しないものを見てしまうからだと述べていた。
SNSは大したことがないトピックでも、簡単に政治的・社会的性格へと文脈を組み替えてしまう。
言及し、批判するに値するものであると価値が無理矢理上昇してしまう。SNSは石ころをはりぼてのダイアモンドに変えてしまう。石を石として見ようとすることは許されないかのように。
〈密〉に対して〈疎〉を持ち上げても、それすらもカウンターカルチャーとして〈密〉の文化に吸収されてしまう。二項対立に還元されないような、本質的な差異を両者から見出すための道のりは、果てが知れない。 December 12, 2025
@earthship1957 ほんとうに、誰のため何のための「大賞」なのでしょうね。
はりぼてみたいです。
働いて働いて〜…は、怖い言葉だと思います。おっしゃる通りぶっ壊れるまで、に繋がるしそうしたら切り捨てるんだなと感じます😔 December 12, 2025
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