スキンシップ トレンド
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2025.12.10 09:00
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同棲始めて1ヶ月くらいでスキンシップなくなって私が仕事から帰ってきてもベッドから動かずずっと携帯扱ってるし生理の時🩸ソファに漏れてたみたいで「大丈夫?」よりも「拭いてたけど、次から気をつけてね」って言われた時めっちゃ腹たったこと思い出した。 https://t.co/zoOsExIWKv December 12, 2025
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なるほど。こんな感じの育成環境なのね。スキンシップが足りないから、求めるという方向になるのかと思っていたけど、慣れたり、スキンシップが逆に苦痛になったりするんだろうね。 https://t.co/tvWhoig8Ec December 12, 2025
初めましてからめっちゃ撫でられに来たかわいい子wVRC堪能してるなぁっておもったw
この撫でが好き!を語ってくれるから撫でがいあるし
ぶいちゃでのスキンシップ?だって舐めちゃだめだなって気づかせてくれた子でもある
かわちーこだよ(*-ω-)ヾ(・ω・*)ナデナデ https://t.co/lxeTeNH6Au December 12, 2025
泣きながら相談した時に「辛かったね」って言って頭をポンポンしてくれる人が最強だと思う理由って、優しさが欲しいからとか甘やかしてほしいからとかじゃないんですよね。本気でしんどいときって、アドバイスより原因分析より正論より、まず“味方がいる”と感じさせてくれる安心のほうが必要だから。涙を流している瞬間って、自分の弱さも未熟さも全部丸見えになってしまっている状態で、そこに寄り添ってくれる人というのは、心にとって避難所みたいな存在になる。
「辛かったね」という言葉って一見シンプルなのに、すごく難しい言葉でもある。相手の話を自分の価値観で上書きせず、解決策を押しつけず、ただ受け止める姿勢がないと出てこない。相手の感情を急いで片づけようとする人は「でもさ」「仕方ないよ」で正論を被せたり、「じゃあこうすれば?」とサッと解決に向かわせたりしてしまう。悪気はなくても、弱っている側には“理解されなかった感”だけが残ってしまう。それに比べて「辛かったね」という言葉には、評価や判断が一切ない。安心だけがある。
頭をポンポンという行動も、ただのスキンシップじゃない。落ち込んでいるときって、自分に自信がなくて価値が見えなくなっていて、誰にも必要とされてないように感じてしまう瞬間でもある。そこにそっと触れてくれるというのは「拒絶してないよ」「ここにいていいんだよ」というサインになる。大げさじゃなく、心の安全を回復させてくれる行為なんですよね。大人になって泣くことって、子どもの頃とは比べ物にならないくらい苦しいのに、その涙を優しく受け取ってくれる存在がいると、人はもう一度立ち上がれる。
それに、「辛かったね」で終わらせる男って、本当はすごく強い。相手の涙に飲まれない強さがあって、傷ついている相手と一緒に感情に沈むんじゃなくて、落ちている手を上からそっと握ってくれるような余裕がある。自分の正しさを証明する必要も、論破する必要も、支配する必要もない。寄り添うだけで関係を成立させられる男は、心が成熟している。自分が満たされていないとできない行動なんですよね。
そしてそんな男性のすごいところは、不安や涙に寄り添ってくれるだけじゃなくて、それを“重い”と思わないところ。泣かれたから逃げるんじゃなくて、泣いたからこそ守りたいと思える、そういう感性の深さ。愛って理屈じゃなくてこういう“向き合う姿勢”で信じられていくんだと思う。
泣きながら相談した時に投げかけた言葉って、忘れられないんですよね。慰めようとしてくれたか、責められたか、突き放されたか、寄り添ってくれたか。その対応で、その人とこれから幸せになれるかどうかがほぼ見えてしまう。勢いやデートの楽しさや外見やテンションより、しんどい時にどう扱ってくれるかで未来は決まる。
結局のところ、最強の男って「守ろうとするんじゃなくて、支えようとする男」なんですよね。弱さを否定せず、涙を面倒がらず、言葉より安心を先に渡してくれる男。そういう人と一緒にいると、恋は楽以上に「生きやすさ」に変わっていく。
安心させてくれる人を選んだ恋は、最後まで強い。
泣いてもいい相手がそばにいるというだけで、人はどこまでも幸せになれるんですよね。 December 12, 2025
舞台横って狭いし1列に退場するから、大抵の場合は前後にいる彼氏彼女に近付いてポーズを取ることが多い印象がある。きんりのが最初から腕を組んでいるのは、普段通りの自然なスキンシップなのか、大舞台が終わってホッとして、安心できる相手に寄りかかっているのか。
https://t.co/89RecwS97T December 12, 2025
わたしは回避性愛着障害だ。
わたしの母は、わたしに対して一切のスキンシップを拒んだので、わたしは物心ついてから母にろくに触れたことがない。
小学校一年生のときの参観日の帰り道、同級生がお母さんと手を繋いでいるのを見てわたしも母と手を繋ごうとしたら「やめてや!」と思い切り振り払われたのは衝撃だった。
母がわたしに触れるのは耳かきのときと、刺さった棘を抜いてくれるときくらいだった。
一度、田舎で栗拾いしていたときに、わたしが前かがみになって落ちた栗を拾っているところめがけて大量の栗が降り注いできたことがある。祖母が栗を落とそうと栗の木を揺すったのだった。
わたしの背中には大量の栗の棘が刺さったのだけど、それを母に抜いてもらうことが、ヒリヒリしてかなり激痛だったのにも関わらず、子供心にどこかうれしかったように記憶している。
こんなふうにわたしはかなり愛情に飢えた子供時代を送った。
殊スキンシップが壊滅的に足りていなかった。
そんなわたしが今子育てをしている。
回避性愛着者のわたしがどんな葛藤を抱えて、どのように子育てしているのかについて今日は書いてみる。 December 12, 2025
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