ジークムント・フロイト トレンド
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2025.12.06 00:00
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ミルトン・エリクソンのセミナーに参加し、あらためて心理療法という営みの根底には、その実践者自身の生い立ちや経験が色濃く反映されるのだと痛感いたしました。エリクソンは幼少期から身体疾患に苦しみ、その制約の中で他者のわずかな身体の動きや姿勢、体幹の使い方に敏感な観察者として育っていきました。こうした背景は、彼の臨床技法に直接的な影響を与え、クライエントの微細な振舞を的確に把握し、理解へとつなげる独自の姿勢を形成したのだと思われます。
この傾向は、ミルトン・エリクソンに限らず、フロイトをはじめとする多くの精神分析家にも顕著にみられます。精神分析のみならず、心理療法を実践する者は、どの立場の技法を選び、どのように臨床に臨むのかという点において、生育歴や個人的体験から多大な影響を受けているように思われます。これは私自身も、個人分析や教育分析、訓練分析を受ける過程で徐々に理解しつつある点であり、なぜ自らが心理療法という営みに身を投じるようになったのか、その動機の深層が少しずつ明らかになってきました。
さらに、エビデンスを重視する認知行動療法の実践家についても、同様の傾向があるのではないかと推測いたします。表向きにはエビデンスに基づく実践という建前が掲げられますが、実際には各人の生い立ちが、その理論や手法に向かわせる動機づけとなっている可能性は十分に考えられます。実際、私のもとには教育分析を希望される方が一定数おられ、その中には認知行動療法やブリーフセラピーを主軸とし、精神分析を志向しない方も含まれています。しかし、そうした方々の語りを丁寧にうかがうと、生い立ちや個人的経験が、特定の技法を志向する過程に深く関与していることがしばしば認められます。
このように考えると、心理療法とは単にエビデンスの有無や技法の優劣だけで語り得るものではないと感じます。むしろ、そこには実践者の生き様が必然的に立ち表れ、その人が歩んできた人生そのものが、関係性や言葉、介入の微細なニュアンスとして現れてくる営みだといえます。したがって、心理療法は単にスキルを習得すれば実践できるものではなく、実践者が何を見つめ、何に突き動かされて臨床に向かっているのかという内的基盤こそが、重要な意味をもつのだと思われます。そして、それを自己分析することが臨床に深みをもたらすものだと私は考えます。 December 12, 2025
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