佐藤友祈 スポーツ
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2025.11.22
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佐藤友祈に関するポスト数は前日に比べ39%減少しました。女性の比率は8%増加し、前日に変わり50代男性の皆さんからのポストが最も多いです。本日話題になっているキーワードは「サッカー」です。
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ここのところ、武井壮さん@sosotakei のポストが話題になっているので、僕の体験談と思うことを少しポストします。
あまり大々的に発信もしていなかったので佐藤友祈は、スポーツにおいて、どんな才能があったのか?どんな幼少期を過ごしていたのか?
紐解きます。
幼少期から中学に上がるまでの期間、親の影響で地元のレスリングクラブに入り週2で練習に参加していました。小学4年生くらいでは、みんなの輪に入りたくてサッカークラブに入ったし(小6まで)、5年生のころは地域の陸上教室に何年間か通いました。
残念ながらいずれのスポーツでも結果(小中高と大会において)を出す事はできない少年期でした。
その時点では、才能がありませんでした。というよりも才能を開花させることが無理でした。
1番の要因は、好きになりきれなかった。ただこれだけです。ここで誤解しないで欲しいのは、僕が幼少期から青年期に掛けてやってきたスポーツはどれも素晴らしいです。その経験があるからこそ、今パラリンピックで活躍できています。
そんな僕が20歳の頃、病気にかかり健常者から障害者へチェンジします。(車いす生活をすることになります。)
競技を始めると僕が決めたきっかけは、ロンドンパラリンピックを2012年に観たことです。
その当時(2010年〜2012年)は自分にリミット(制限)を無意識下で掛けまくっていました。
そして、経験したことのない立場に変わったことにより言葉を選ばず言うなら絶望していました。
そして今よりも20キロ以上、ポチャっていました。
ただ当事者になり見るパラリンピックは、まさに超人そのもの。
障害者だの健常者だのどうでも良くなりました。
僕の脊髄炎と言う病気が、ただただ神様から贈られたギフトだと思いました。
「佐藤友祈なら大丈夫」そう言われている気すらしました。
途中、障害(病気)から投げ出したくなった人生だったけど、パラリンピックを見て人生かけてチャレンジしようと腹の底(心の底)から思いました。
純粋にその世界(パラリンピックの舞台)に憧れたし、残された機能を使い最大限発揮する姿に心打たれました。
その時その瞬間から僕の目標(夢)は決まりました。次のリオパラリンピック(約4年後)に出場して金メダルを獲るとこです。
それをどうしたら達成できるか?
そんな頭で考えて動くなんて器用なこと、当時の僕はできません。
気がついたら行動していました。
トレーニングもしていない、競技用具もない状態で地元静岡から近いところ、そして日程的にもすぐエントリーできる大会を探してエントリーしていました。そこから競技用の調達、先輩車いすランナーとの出会い、さまざまな道を経て今に至ります。
そこから逃げ道を無くす(自分が迷わない)ために、当時から"あることを徹底していました"
そのあることとは?
簡単だけど誰もができない一度は躊躇してしまうことです。これをすることで、逃げ道がなくなる気がしませんか?
「夢(目標)を語る」
僕は、初めて出た大会でも入社した会社でも知り合いでも知らない競技者や関係者問わず、"佐藤友祈です!次のリオパラリンピックに出場して金メダルを獲得します!"ただこれだけを言い続けてきました。
そして夢は現実に。
あとは、この繰り返し。
他人が無理だとか、辞めとけだとか、君のためだから夢を見るな。とか言ってきたとして
そこで諦めるのも諦めないのも自分の選択した人生。
つまり、自分の才能信じようぜ。って話です。
長くなったので、東京パラリンピックや種目転向の話しは気が向いたら書きたいと思います。 November 11, 2025
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