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コロナ
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2025.12.02 15:00
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私が倭国語でタイ競馬を発信していた当初の理由は、「廃れゆくものを記録するため」に倭国語という優秀な媒体をお借りしていたからです。しかし今はもう違います。私は本気で「この先」の話がしたい。タイ競馬の未来を見たい。タイの馬の、ホースマン達の夢を繋ぎたい。
我々タイ競馬陣営は、130年という大きな遠回りをしてきました。革命、戦火、疫病、すべてのものが我々の歩みを阻みました。しかし、その中でも私が最も大きな壁だと感じているのは、我々自身の「臆病さ」です。
タイと倭国、同じ年にダービーを始めた二つの国の競馬。どこで差がついたのか。
世界にいくら叩きのめされても挑戦し続け、ついには世界に認められた倭国競馬と、「世界に見られる」という重圧を避け続けてきたタイ競馬。まさに「挑戦する勇気」の分かれ道で道を違えたと言ってよいでしょう。
しかし、今一度、私は伝えたい。タイ人に。倭国人に。皆様に。
タイのホースマン魂というものを。
我々は大輪の花を咲かせられなかった。
日の本菊の下で、大きな花を咲かせることはできなかった。
しかし我々は、雑草のようにあらゆる苦難を耐え忍び、今日まで生き残りました。
そもそもタイという国で競馬が生まれたこと自体が奇跡だった。その奇跡は、誰に踏まれようと、引き抜かれようと、強く根を張り耐え抜いてきたのです。
2020年、人の過ちによって馬の伝染病が蔓延しました。馬を殺したのが人であるのなら、馬を生かしたのもまた人です。コロナ、伝染病、ダービー中止、中央競馬場の廃止。どれを取っても致命傷であったはずのタイ競馬が続いてこられたのは、「タイに馬が残った」からに他なりません。
9割の馬が死にました。
しかし、残りの1割を生かした人がいた。
この事実にこそ、タイ競馬が繋いできたすべてが詰まっています。
生き残った馬たちの中には、「最後のタイダービー」で芦毛の牝馬が逃げ切ったあの夢を見せてくれた馬、その息子もいました。彼が王室杯を勝ったとき、過去と今の競馬が確かに繋がったのです。
我々はしぶとい。我々はあきらめが悪い。
我々が雑草であるならば、世界一強い雑草でなければならない。
だからこそ倭国の皆様、どうか我々の雑草魂、否、ホースマン魂の「この先」を応援してください。
タイは殻に閉じこもって生き残りました。しかし、我々にはその殻を破る勇気がなかった。
皆様の応援が、外からの視線が、我々にその勇気を与えてくれます。
私達を応援しても皆様に得はありません。返せるものもありません。
しかしもし、我々の競馬が「未来」を語ることを許される日が来たなら、約束します。
皆様からいただいた夢を、「ジャパンカップ」でお返しします。
あなた方の杯に恥じない「タイ近代競馬の結晶」と共に。
その日まで、どうか温かい声援をお願いします。 December 12, 2025
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【雑談】昨日、となモ会場で
『ガルパンディーラーが減っている。』という話をお客さんとしました。
理由は版権料がそこそこ高くワンフェスでしか現状
版権が下りず欲しい人全員が安心して買えるように
大量生産するのがリスキー
※版権料は売れた数ではなく「売ろうとした数」に発生し前払いします。
『ガルパンディーラー』にはより一層の敬意をはらいましょう。
それはそれとして、一番の問題は
聖グロより大学選抜の衣装の愛里寿が好きなんです。
それに愛里寿は7年前、完璧な構図で完成させてる
正直、新しい愛里寿を作るにしても
これ以上のアイディアが浮かばない
【余談1】
※実はみぽりんなら構想のアイディアはあります。
コロナでワンフェスが無くなって顔だけ作ってやめた
画像の愛里寿の対をなすデザイン。
あんこうのシュルツェンが破損し宙を舞っている
で、天才の俺はひらめいた。
『この愛里寿を今の造形力でリメイクする』
ってのはどうかな?
7年間で40体くらい?のガレキ販売の経験をして
それなりに成長した自分が
過去の自分の作品を実力でねじ伏せる事ができたら
気持ちいいかもしれない
5章で新衣装愛里寿がでなかったらやるかも。
やるなら潤沢に資金貯めて完璧に作りあげたい。
【余談2】
※スタジオサンフラワーは活動開始から勝手に決めた
「ガレキを作るお金はお客さんから貰ったお金のみを使い。なくなったら活動終了」という謎ルールで活動し
最初はエアブラシが買えず。コッピクの原液をレジンに混ぜてカラーレンジを自作し販売していて
エアブラシが買えるくらいになった頃、元手の10万円を返却して今日までやってこれる機会をくれた最初の幽香を買ってくれた3人を永遠に感謝し続けていて今は3年間売り子を手伝ってくた異常リンゴ愛者がいて彼が今後ディーラー活動を開始するのでどんな作品を作るのか楽しみにしている過去作のリメイクを思いついて天才のひらめきだと思い込んでるクソディーラーです。
やってやる。やってやる。やってやるぜ。
7年前の自分をボコボコに。 December 12, 2025
7RP
🇺🇸マサチューセッツ州でコロナワクチンによる死亡を隠蔽、ワクチン死をコロナ死にすり替えることでコロナによる死者数を水増ししていた
【以下全文】
キャシディ・バラカは7歳でコロナワクチンを接種し、5分で反応が出た
8~10時間にわたり嘔吐した
その後、2回目のワクチン接種を受け、激しい腹痛に襲われ、2回目のコロナワクチン接種により7歳で死亡した
死亡診断書の死因には「コロナ」と記載されている
誰でもこれを調べられる
私を重罪で訴えてもらっても構わない
これは全て真実だから
イアンは11歳だった
アマヤは12歳だった
(内容不明瞭)小脳扁桃ヘルニアと両側鉤ヘルニアに伴う脳卒中
医師には12歳児に起こったこれが何を意味するか理解してほしい
(名前不明瞭)彼女は3回目のコロナワクチンとHPVワクチンを接種
彼女は反応を示し、その月に脳卒中で死亡した
これらは全てマサチューセッツ州の記録にある事実である
したがって、あなた方には調査を行う法的義務がある
この仕事に就いている以上は、あなた方一人ひとりにその法的義務があります
私の主張が真実であり、マサチューセッツ州で重罪レベルの詐欺が日常的に行われているのであれば…コロナ死亡数を水増しし、ワクチン死を隠蔽している事実があれば、それを調査し、明らかにしなければなりません
科学的な話は理解できないでしょう、それは承知しています
しかし現実には、これらの人々はワクチンが原因で死亡したのです
記録上は「ワクチンによる死亡」と認定されていたのに、コードY59.0(ワクチンによる死亡)を削除することで隠蔽されたのです
つまり公衆に知られないよう隠蔽されているのです
私が告発するこの詐欺行為がある中で、君たちの統計データに何の意味があるというのか?
まずは君たちの内情を正すべきだ December 12, 2025
6RP
この中国の移民推進CMと、いちかさんの「やめて下さい✋」ポストを並べて見るとね、まずツッコミどころが二段重ねなんだよ。CMの文言がもう通販番組みたいなのよね。「看護師に全部任せられます」「入院中、家族の付き添い不要」「診察や薬は30%負担だけ」「学校も医療費も無料」「毎月生活手当」「子どもは16歳まで手当」って、これさ、移住の案内というより倭国のお得パックの売り文句じゃん。
でも現実の倭国は、そんなワンボタンで全部無料&おまかせになる国じゃないぞ?
倭国の医療って、保険料を払って成り立つ仕組みで、自己負担も年齢や制度で変わるし、そもそも合法的な身分で保険に入っていればって前提が付くんだぞ?
病院の「付き添い不要」は、コロナ以降の面会制限とか感染対策の文脈なら分かるけど、家族が要らないって話とは別物だぞ?
看護師さんが全部やるって言い方は、現場へのリスペクトが足りない。介護も看護も万能メイドじゃない。現場はすでにパンパンだよ😭
一方でいちかさん、また大事な問題提起をしてくれています。
「年間◯万人」「倭国の中に小さな中国社会」ってさ、もう大袈裟な言い方ではなくて、現実なんだよね。
もちろん、問題は誰が来るかじゃなくて、どう設計するかだよ。来る人の国籍で制度が揺れるなら、その制度が最初から穴だらけなんだよ。
もし本当に「福利厚生てんこ盛りで倭国天国」みたいな宣伝が回ってるなら、やることは1つしかない。
住民負担、保険料給付、医療現場のキャパ、生活保護や各種手当の要件。
ここを「誰に、どこまで、何の条件で」を透明化して、抜け道を塞ぐ。
倭国人だろうが外国人だろうが、ルールに乗る人は守る、抜け道は許さない。これだけだよ。
要するにさ、
「優しさ」と「だまし売り」と「制度の穴」を全部ごちゃ混ぜにして、それ信じてやってきた外国人が一番損なんだよ。
移住してくる人に、全部無料の国だよって夢を売る側も悪いし、受け入れる側がいやいや、無理でしょ?線引きしようよ!って言い続けなきゃ倭国は終わる。結局は、黙ってれば、現場と国民負担に跳ね返る。
倭国ってのはね、お得じゃなくて信用で回ってんのよ?
その信用を、CMの煽り文句で削ってどうすんだって話だよ。
あたしたちは、曖昧な制度とこういう動画みたいな誇張の宣伝を削り落として、本来の国の制度のあり方について考えていかなきゃいけないんじゃないかしら?
やめてください🙅♀️って意味をあたしたちは考えなきゃね。
これは中国人は倭国に来るなって意味じゃないよ?
あたしたちの国は、決して通販でお得なキャンペーンをしている国じゃない。みんなギリギリの中でやりくりしてて、なけなしの金でなんとか教育費や住宅ローン組んで、医療費や光熱費と向き合って、毎日毎日必死にサラリーマンも主婦も学生も子どもたちも生きてるんだよ?
あたしたちは、他人のための生活を支えるために税金納めてない。自分たちの生活をお互いに守り合って、支え合うために税金や社会保障費支払って、何とか生きてる。
現実の生活がみんなあって、辛い悩みも悲しみもどうしょうもない家庭事情や社会の矛盾の中を生きてるのよ?
それで、こんなCM見せられたらどー思うって話だよ。
だから、何に対しても線引きは大事じゃないかしら? December 12, 2025
5RP
コロナ初期のオーストラリアとニュージーランドはヤバかったよ
もう完全にCCPに落ちてたから
あの時にオーストラリア人たちは度肝抜いたと思うよ
子供を野球場に入れて
ワクチンを順番に撃とうとしたんだから
で、文句いう市民をCCP警察がタコ殴り
あの時まだ倭国は「基本的人権」のお陰で
任意w December 12, 2025
3RP
コロナ禍以降に不登校が激増している背景として、風邪で学校を休むようになった結果学校を休むことのハードルが下がってる点があると思うんだよ。昔の小学生は風邪をひいても箱ティッシュ持って学校に行って、休むのはインフルエンザにかかった時だけだった。コロナで休み癖がついちゃったんだよね。 https://t.co/N1MuC8AcD9 December 12, 2025
2RP
刀ミュはきっと最初から10年の予定だったんだろうな。この2年はきっと予期せぬコロナの延長分なんだろうと思う。今後どういう展開にするつもりか分からないけど、現行キャストで見れるのは後2年。行けるだけ現場行きたい。
そして今剣ちゃん、修行から帰って極になって終わって欲しいのよw December 12, 2025
1RP
他国と比べる気が知れん、倭国はただひとりの高市総理の発言が問題、ノーベル賞やコロナとすじがちがう、倭国はいわんでよいこと言ったんですから、早く撤回しろてはなしですわ!政府が中国になにもかわらないと説明変わる変わらん関係ないのがわからんか!その一言があかんだけ、高市総理がわけわからんのがあかんてなんでわからんの中国悪いか?今回悪くないやんか!高市おかしな発言してないてどうなんわからんの? December 12, 2025
1RP
朝病院に行って帰ってから今まで寝込んでました😖💦インフルもコロナも反応は出なかったけど検査するのが早過ぎて反応がまだ出ないかもって話をされましたね…コロナで酷かったときと同じような症状だから怖いで… December 12, 2025
1RP
@shotaitai
ワンほー🐶
ワンばった
🌹🐶ちゃちゃちゃんとちゃちゃママ👩🌹
コロナや黄砂や風邪やインフル🤒など
気をつけて
おちごと
夕んぽ
おちかれさまでした
ぬくぬくお風呂🛀で温まって
美味しいスープ🥣を飲んでた
おやすみワンっぴ~💕🐩🚶♀️🚶🏻💤💤✨✨ https://t.co/pWST9iuCsx December 12, 2025
1RP
のど自慢放送終了後、ゴールデンボンバーは「令和」を披露したんだけど、その時にアナウンサーの方が「令和になってもう7年が過ぎましたがコロナが流行ったり色々ありましたね」って話になって
鬼龍院さんが「暗いニュースがあった時に(僕らはふざけない方がいいのかな→
#のど自慢 岡山 December 12, 2025
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新型インフルの時、息子は対面で弁当を食べてた子からあっという間に感染。そんな子ではあるが、コロナ以降はインフル含め感染症に罹っていない。マスク等感染対策なしではとてもそんな芸当はできなかっただろう。逆に言えば普通の人でも対策すれば、このくらい健康を維持できるということでもある。 December 12, 2025
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吉沢コーダイさんの「ハリウッド・サバイバル」を一足先に読ませていただきました。本書では、特殊メイクに憧れた長野県飯田市に育つ少年が、一念発起して単身アメリカに渡り、やがてハリウッドの一線で活躍するようになる姿が描かれます。それにとどまらず、吉沢さんはコロナはじめ、いくつかの映画業界の危機的状況の中でも、独自の道でサバイバルします。
本書は特殊メイクや造型のハウトゥではなく、アメリカに渡った吉沢さんが、次々訪れる危機、転機をどう乗り越えたかの物語が綴られます。そしておおよそ「努力」と「機転」によって、夢への道が切り開かれていきます。現在に至るまでに、並々ならぬ吉沢さんの努力があった事が、行間から伺えるのです。本書はドラマチックなサクセスストーリーではなく、地に足のついた「努力」の尊さを感じ取れる一冊だと思います。 December 12, 2025
1RP
泣いちゃった。
カーテンがある部屋で
奥までグリグリされちゃいました😣💓
インフル検査行ってきたよ!
別室に隔離されて
鼻の奥グリグリされちゃいました🥲︎
これほんと辛いよね
恥ずかしいし、ムズムズして
涙出てくる(笑)
結果は、、、
陰性でした!
とりあえずインフルとかコロナでは
ないみたいです
でも、油断はできないから
引き続き安静にします👍
サブ垢遅れちゃってごめんね。
せっかく♡な写真撮れたのに...。
まだ待っててくれますか?🥺💦 December 12, 2025
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@huroropero コロナは無くなってないし、インフルも流行ってる状況で不特定多数と相対する職業の方は予防としてマスクするのは当然のこと。感染すれば仕事できなくなるんだし。
まあ、配送員も変な奴を相手するのが面倒くさいから適当に謝っておいただけだとは思うが。 December 12, 2025
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NHK振返り番組!
この表を堂々と出す気持ちが理解できない。倭国の死亡者は少なかったのに、ワクチンが始まってから死亡者が増えたというグラフにしか見えない。インフルより怖いコロナだからワクチンお勧め!って…感染症学会理事長松本氏の発言に驚くばかり。 https://t.co/b7U9EIxZvg December 12, 2025
1RP
延暦寺
(えんりゃくじ)大津市坂本本町4220
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大阪天満宮
(おおさかてんまんぐう)大阪市北区天神橋2-1-8
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大原野神社
(おおはらのじんじゃ)京都市西京区大原野南春日町1152
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大神神社
(おおみわじんじゃ)桜井市三輪1422
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大和神社
(おおやまとじんじゃ)天理市新泉町306
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帯解寺
(おびとけでら)奈良市今市町734
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カ行
霊場名称住所詳細
橿原神宮
(かしはらじんぐう)橿原市久米町934
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春日大社
(かすがたいしゃ)奈良市春日野町160
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勝尾寺
(かつおうじ)箕面市粟生間谷2914-1
詳細
神峯山寺
(かぶさんじ)高槻市原3301-1
詳細
竈山神社
(かまやまじんじゃ)和歌山市和田438
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賀茂御祖神社
(かもみおやじんじゃ)京都市左京区下鴨泉川町59
詳細
賀茂別雷神社
(かもわけいかづちじんじゃ)京都市北区上賀茂本山339
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観心寺
(かんしんじ)河内長野市寺元475
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観音正寺
(かんのんしょうじ)近江八幡市安土町石寺2
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観音寺
(かんのんじ)京都市東山区泉涌寺山内町32
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元興寺
(がんごうじ)奈良市中院町11
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岩船寺
(がんせんじ)木津川市加茂町岩船上ノ門43
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北野天満宮
(きたのてんまんぐう)京都市上京区馬喰町
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貴船神社
(きふねじんじゃ)京都市左京区鞍馬貴船町180
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清荒神清澄寺
(きよしこうじんせいちょうじ)宝塚市米谷字清シ1
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清水寺
(きよみずでら)京都市東山区清水1-294
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金閣寺
(きんかくじ)京都市北区金閣寺町1
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金峯山寺
(きんぷせんじ)吉野郡吉野町吉野山2498
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行願寺
(ぎょうがんじ)京都市中京区寺町通竹屋町上ル行願寺門前町
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銀閣寺
(ぎんかくじ)京都市左京区銀閣寺町2
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熊野那智大社
(くまのなちたいしゃ)東牟婁郡那智勝浦町那智山1
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熊野速玉大社
(くまのはやたまたいしゃ)新宮市新宮1
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熊野本宮大社
(くまのほんぐうたいしゃ)田辺市本宮町本宮1110
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鞍馬寺
(くらまでら)京都市左京区鞍馬本町1074
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車折神社
(くるまざきじんじゃ)京都市右京区嵯峨朝日町23
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皇大神宮
(こうたいじんぐう)伊勢市宇治館町1
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興福寺
(こうふくじ)奈良市登大路町48
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籠神社
(このじんじゃ)宮津市字大垣430
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金剛寺
(こんごうじ)河内長野市天野町996
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金剛峯寺
(こんごうぶじ)伊都郡高野町高野山132
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金剛輪寺
(こんごうりんじ)愛知郡愛荘町松尾寺874
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御香宮神社
(ごこうのみやじんじゃ)京都市伏見区御香宮門前町174
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御靈神社
(ごりょうじんじゃ)京都市上京区上御霊竪町495
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サ行
霊場名称住所詳細
西教寺
(さいきょうじ)大津市坂本5-13-1
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西大寺
(さいだいじ)奈良市西大寺芝町1-1-5
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西明寺
(さいみょうじ)犬上郡甲良町池寺26
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三千院
(さんぜんいん)京都市左京区大原来迎院町540
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四條畷神社
(しじょうなわてじんじゃ)四條畷市南野2-18-1
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七宝瀧寺
(しっぽうりゅうじ)泉佐野市大木8
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四天王寺
(してんのうじ)大阪市天王寺区四天王寺1-11-18
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相国寺
(しょうこくじ)京都市上京区相国寺門前町701
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聖護院
(しょうごいん)京都市左京区聖護院中町15
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青蓮院
(しょうれんいん)京都市東山区粟田口三条坊町69-1
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真正極楽寺
(しんしょうごくらくじ)京都市左京区浄土寺真如町82
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慈尊院
(じそんいん)伊都郡九度山町慈尊院832
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寂光院
(じゃっこういん)京都市左京区大原草生町676
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城南宮
(じょうなんぐう)京都市伏見区中島鳥羽離宮町7
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浄瑠璃寺
(じょうるりじ)木津川市加茂町西小札場40
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神護寺
(じんごじ)京都市右京区梅ヶ畑高雄町5
詳細
須磨寺
(すまでら)神戸市須磨区須磨寺町4-6-8
詳細
住吉大社
(すみよしたいしゃ)大阪市住吉区住吉2-9-89
詳細
青岸渡寺
(せいがんとじ)東牟婁郡那智勝浦町那智山8
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赤山禅院
(せきざんぜんいん)京都市左京区修学院開根坊町18
詳細
施福寺
(せふくじ)和泉市槇尾山町136
詳細
泉涌寺
(せんにゅうじ)京都市東山区泉涌寺山内町27
詳細
総持寺
(そうじじ)茨木市総持寺1-6-1
詳細
タ行
霊場名称住所詳細
當麻寺
(たいまでら)葛城市當麻1263
詳細
太融寺
(たいゆうじ)大阪市北区太融寺町3-7
詳細
多賀大社
(たがたいしゃ)犬上郡多賀町多賀604
詳細
建部大社
(たけべたいしゃ)大津市神領1-16-1
詳細
田村神社
(たむらじんじゃ)甲賀市土山町北土山469
詳細
談山神社
(たんざんじんじゃ)桜井市多武峰319
詳細
大安寺
(だいあんじ)奈良市大安寺2-18-1
詳細
大覚寺
(だいかくじ)京都市右京区嵯峨大沢町4
詳細
醍醐寺
(だいごじ)京都市伏見区醍醐東大路町22
詳細
大聖寺
(だいしょうじ)京都市上京区烏丸通り今出川上ル
詳細
大念佛寺
(だいねんぶつじ)大阪市平野区平野上町1-7-26
詳細
智積院
(ちしゃくいん)京都市東山区東大路通七条下ル東瓦町964
詳細
中宮寺
(ちゅうぐうじ)生駒郡斑鳩町法隆寺北1-1-2
詳細
朝護孫子寺
(ちょうごそんしじ)生駒郡平群町信貴山2280-1
詳細
長命寺
(ちょうめいじ)近江八幡市長命寺町157
詳細
壷阪寺
(つぼさかでら)高市郡高取町壷阪3
詳細
天龍寺
(てんりゅうじ)京都市右京区嵯峨天龍寺芒ノ馬場町68
詳細
鬪雞神社
(とうけいじんじゃ)田辺市東陽1-1
詳細
唐招提寺
(とうしょうだいじ)奈良市五条町13-46
詳細
東寺
(とうじ)京都市南区九条町1
詳細
東大寺
(とうだいじ)奈良市雑司町406-1
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豊受大神宮
(とようけだいじんぐう)伊勢市豊川町279
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道成寺
(どうじょうじ)日高郡日高川町鐘巻1738
詳細
道明寺天満宮
(どうみょうじてんまんぐう)大阪府藤井寺市道明寺1-16-40
詳細
ナ行
霊場名称住所詳細
中山寺
(なかやまでら)宝塚市中山寺2-11-1
詳細
長田神社
(ながたじんじゃ)神戸市長田区長田町3-1-1
詳細
長濱八幡宮
(ながはまはちまんぐう)長浜市宮前町13-55
詳細
丹生川上神社
(にうかわかみじんじゃ)吉野郡東吉野村小968
詳細
丹生川上神社上社
(にうかわかみじんじゃかみしゃ)吉野郡川上村迫869-1
詳細
丹生川上神社下社
(にうかわかみじんじゃしもしゃ)吉野郡下市町長谷1-1
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丹生官省符神社
(にうかんしょうぶじんじゃ)伊都郡九度山町慈尊院835
詳細
丹生都比賣神社
(にうつひめじんじゃ)伊都郡かつらぎ町上天野230
詳細
西宮神社
(にしのみやじんじゃ)西宮市社家町1-17
詳細
仁和寺
(にんなじ)京都市右京区御室大内33
詳細
根來寺
(ねごろじ)岩出市根来2286
詳細
ハ行
霊場名称住所詳細
長谷寺
(はせでら)桜井市初瀬731-1
詳細
播州清水寺
(ばんしゅうきよみずでら)加東市平木1194
詳細
日牟禮八幡宮
(ひむれはちまんぐう)近江八幡市宮内町257
詳細
百濟寺
(ひゃくさいじ)東近江市百済寺町323
詳細
日吉大社
(ひよしたいしゃ)大津市坂本5-1-1
詳細
枚岡神社
(ひらおかじんじゃ)東大阪市出雲井町7-16
詳細
平野神社
(ひらのじんじゃ)京都市北区平野宮本町1
詳細
廣瀬大社
(ひろせたいしゃ)北葛城郡河合町川合99
詳細
廣田神社
(ひろたじんじゃ)西宮市大社町7-7
詳細
廣峯神社
(ひろみねじんじゃ)姫路市広嶺山52
詳細
毘沙門堂
(びしゃもんどう)京都市山科区安朱稲荷山町18
詳細
平等院
(びょうどういん)宇治市宇治蓮華116
詳細
伏見稲荷大社
(ふしみいなりたいしゃ)京都市伏見区深草藪之内町68
詳細
葛井寺
(ふじいでら)藤井寺市藤井寺1-16-21
詳細
藤白神社
(ふじしろじんじゃ)海南市藤白466
詳細
平安神宮
(へいあんじんぐう)京都市左京区岡崎西天王町97
詳細
宝鏡寺
(ほうきょうじ)京都市上京区寺之内通堀川東入百々町547
詳細
宝厳寺
(ほうごんじ)長浜市早崎町竹生島1664
詳細
宝山寺
(ほうざんじ)生駒市門前町1-1
詳細
法樂寺
(ほうらくじ)大阪市東住吉区山坂1-18-30
詳細
法隆寺
(ほうりゅうじ)生駒郡斑鳩町法隆寺山内1-1
詳細
法華寺
(ほっけじ)奈良市法華寺町882
詳細
マ行
霊場名称住所詳細
松尾大社
(まつのおたいしゃ)京都市西京区嵐山宮町3
詳細
松尾寺
(まつのおでら)舞鶴市松尾532
詳細
摩耶山天上寺
(まやさんてんじょうじ)神戸市灘区摩耶山町2-12
詳細
曼殊院
(まんしゅいん)京都市左京区一乗寺竹ノ内町42
詳細
三井寺
(みいでら)大津市園城寺町246
詳細
御上神社
(みかみじんじゃ)野洲市三上838
詳細
水間寺
(みずまでら)貝塚市水間638
詳細
水無瀬神宮
(みなせじんぐう)三島郡島本町広瀬3-10-24
詳細
湊川神社
(みなとがわじんじゃ)神戸市中央区多聞通3-1-1
詳細
三室戸寺
(みむろとじ)宇治市莵道滋賀谷21
詳細
妙法院
(みょうほういん)京都市東山区妙法院前側町447
詳細
室生寺
(むろうじ)宇陀市室生78
詳細
ヤ行
霊場名称住所詳細
薬師寺
(やくしじ)奈良市西ノ京町457
詳細
八坂神社
(やさかじんじゃ)京都市東山区祇園町北側625
詳細
吉田神社
(よしだじんじゃ)京都市左京区吉田神楽岡町30
詳細
善峯寺
(よしみねでら)京都市西京区大原野小塩町1372
詳細
霊場名称住所詳細
霊山寺
(りょうせんじ)奈良市中町3879
詳細
六波羅蜜寺
(ろくはらみつじ)京都市東山区五条通大和大路上ル東
詳細
ワ行
霊場名称住所詳細
海神社
(わたつみじんじゃ)神戸市垂水区宮本町5-1
詳細
役行者霊蹟札所会
https://t.co/GV6ysdkhUX
役行者の遺徳と修験道の世界により多くの人々に触れていただき、その目指す所をご理解いただくべく、役行者ゆかりの寺院が集まって、この「役行者霊蹟札所会」を結成するはこびとなりました。
それは、平成の世における、新たな修験道の出発でもあります。
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札所会について
役行者(えんのぎょうじゃ)とは、大峰山(おおみねさん)においては蔵王権現(ざおうごんげん)を、葛城山(かつらぎさん)においては法起菩薩(ほうきぼさつ)を感得され、山岳抖藪(さんがくとそう)の実践行を通じて得られたという神通力によって、人々を済度した在家の修行者として信仰されてきた人です。
倭国古来の山岳信仰に、役行者に代表される山林修行者たちによって、仏教や道教・儒教など外来の宗教が結びつけられ、次第に組織・体系化されたのが、「修験道(しゅげんどう)」です。
その精神と実践は、理源大師聖宝(しょうぼう)や智証大師円珍(えんちん)をはじめ、累代の修験の祖師と仰がれる仏教者達によって伝承され、今に至る1300年の長きにわたって伝えられてきました。
修験道の開祖としての役行者への信仰は、その長い歴史において、50年ごとに御遠忌法要などを執りおこなうことによって盛り上がってまいりましたが、それがそのまま修験道の歴史でもあったと申せましょう。
ただし、その歴史は、決して平穏なるものであったわけではなく、中世後期以来、修験の組織は、聖護院を中核とする天台系の本山派修験道と、醍醐寺を中核とする真言系の当山派修験道の二つに分かれ、互いに競合して相争うなど円満でない時代もありました。
明治維新を迎えると、明治政府から神仏分離政策にともなう「修験道廃止令」が1872年に発布されたことにより、全国各地の修験道組織は解体を余儀なくされ、修験道寺院も次々と廃寺の憂き目に遭いました。
そして、それにともない人々の修験道への信仰も衰退していったのです。
しかしながら、さる平成13年、役行者神変大菩薩1300年御遠忌を機として、修験教団たる真言宗醍醐派総本山醍醐寺・本山修験宗総本山聖護院・金峯山修験本宗総本山金峯山寺の三つの本山が一堂に会し、御遠忌合同大法要を、山上ヶ岳の大峯山寺本堂において厳修。
さらにこの機会をもって、役行者の遺徳と修験道の世界により多くの人々に触れていただき、その目指す所をご理解いただくべく、役行者ゆかりの三十六寺社が集まって、この「役行者霊蹟札所会」を結成するはこびとなりました。
それは、平成の世における、新たな修験道の出発でもあります。
このサイトで紹介されております「役行者霊蹟札所巡礼」は、その一つの表現であります。
皆様が、役行者ゆかりの寺々、山々を巡り、その遺徳に触れ、大自然を道場とした山岳抖藪の実践行を共有され、霊蹟札所を巡られることは、修験道の長い歴史に新たなる一ページを加えるものと確信しております。
役行者霊蹟札所会
役行者霊蹟札所総会
去る令和三年六月二十五日、紀州根來寺湊御殿において、役行者霊蹟札所総会が開催されました。
総会では小松新会長・大塚副会長・近藤副会長など新役員の就任等が審議され、承認されました。
また、今期の総会法要は例年行われてきた平和祈願祭ではなく、時勢を鑑みてコロナ感染症疫病退散祈願会として執行し、根來寺一山修法による護摩供で、役行者霊蹟札所会疫病退散の御札を製作し、開眼いたしました。
この御札は、一字院に三体配布し、各加盟寺社で一年間、札所会として疫病退散の祈念することを決定いたしました。
新・旧会長挨拶
今般、以下の通り就任いたしました。
役行者尊の御霊威にあやかり、誠に微力ではございますが、これよりは当札所会の円滑な運営と更なる充実の為に全力を尽くしてまいります。
何卒、ご指導ご鞭撻の程、よろしくお願い申し上げます。
会長:法樂寺住職 小松光昭
副会長:千光寺住職 大塚静弘
副会長:神峯山寺副住職 近藤孝道
役行者霊蹟札所会 会長 小松光昭
平成二十三年より三期十年間に亘り、皆様のお力添えのもと役行者神変大菩薩顕彰に勤めてまいりましたが、今後は若い世代に引き継いでいただくことと相成りました。
これまでのご懇情いに感謝申し上げと共に、今後も相変わらませず当札所会発展の為にお力添え賜ります様、宜しくお願い申し上げます。
前会長:七宝瀧寺貫主 東條仁哲
前副会長:泉州松尾寺住職 高岡保博
前副会長:金峯山寺長臈 田中利典
役行者霊蹟札所会 旧会長 東條仁哲
三十六寺社紹介
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ここでは、役行者霊蹟札所となっている三十六の寺社のそれぞれご紹介しております。
以下に挙げている画像、または寺社名をクリックすると、各寺社の簡単な縁起や交通情報、GoogleMapを利用した周辺地図など、個別にご紹介しているべージを表示します。
画像:きんぷせんじ
金峯山寺
奈良県
画像:にょいりんじ
如意輪寺
奈良県
画像:ちくりんいん
竹林院
奈良県
画像:さくらもとぼう
櫻本坊
奈良県
画像:きぞういん
喜蔵院
奈良県
画像:ぜんぷくじ
善福寺
奈良県
画像:だいにちじ
大日寺
奈良県
画像:とうなんいん
東南院
奈良県
画像:ほんざんじ
本山寺
大阪府
画像:おおみねさんじ
大峯山寺
奈良県
画像:りゅうせんじ
龍泉寺
奈良県
画像:すぎょうじ
菅生寺
奈良県
画像:きっしょうそうじ
吉祥草寺
奈良県
画像:せんこうじ
千光寺
奈良県
画像:ほうざんじ
寶山寺
奈良県
画像:りょうせんじ
霊山寺
奈良県
画像:まつおでら
松尾寺
奈良県
画像:ちょうごそんしじ
朝護孫子寺
奈良県
画像:むろうじ
室生寺
奈良県
画像:おおのじ
大野寺
奈良県
画像:しょうごいんもんぜき
聖護院門跡
京都府
画像;だいごじ
醍醐寺
京都府
画像:かぶさんじ
神峯山寺
大阪府
画像:ほうらくじ
法楽寺
大阪府
画像:せんしゅうまつおでら
松尾寺
大阪府
画像:しっぽうりゅうじ
七寶瀧寺
大阪府
画像:ひろかわでら
弘川寺
大阪府
画像:かんしんじ
観心寺
大阪府
画像:てんぽうりんじ
転法輪寺
奈良県
画像:せんじゅうじ
千手寺
大阪府
画像:てんりゅういん
天龍院
大阪府
画像:こうほうじ
興法寺
大阪府
画像:ねごろじ
根来寺
和歌山県
清荒神清澄寺
兵庫県
画像;すまでら
須磨寺
兵庫県
画像;いぶきさんじ
伊吹山寺
滋賀県
三十六寺社マップ
https://t.co/f25ucnW4Ho
ここでは、二府四県にまたがって点在している、役行者霊蹟札所の分布図を、ご紹介しております。
札所それぞれの詳細な位置情報、ならびにアクセス方法などは、三十六寺社紹介の各寺社それぞれを紹介するなかに記載しておりますので、そちらをご参照下さい。
修験道とは何か
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修験道とは
修験道は、山を聖域と見、その聖域の奥深くまで分け入って修行することによって、神秘的な力を得、その力によって自他の救済を目指そうとする山岳信仰の宗教です。
このようなことから、修験を「山伏(やまぶし)」と言うこともあります。
修験との名称は、その字の如く、「修行して験力を顕す道」であるということから名づけられたものです。
修験道は、自然の中でも特に「山」を神聖視してきた倭国人古来の山岳信仰に、インドの宗教である仏教や、中国の宗教である道教や儒教など、外来の宗教が結びつき、さらにそこに神道や陰陽道、民間信仰などまでが取り入れられ、次第に形成されてきました。
修験道の教義や世界観、修行方法は、ほとんどの場合仏教、とりわけ密教のものが取り入れられており、そのため仏教や密教についての知識がなければ、まず修験道を理解することは出来ません。
しかし、では「修験道=仏教」かというと、そうとは言えません。
これは、中世より修験道を伝えたのが、役行者のような在俗の者だけではなく、仏教僧のなかでもとりわけ密教僧が主体であったためです。
よって、「修験道は仏教の一部」と見なされる場合が多く、修験道を仏教の修行法の一つとして考えられています。
修験道とは、倭国古来のきわめて漠然とした宗教的心情を、主に仏教の思想体系によって整理し、さらにその他の宗教をも換骨奪胎して形成されてきた「倭国独自の宗教」である、と捉えるのが妥当かもしれません。
修験道の歴史
修験道は、7~8世紀に大和葛城山で活動していた呪術者、「役小角(えんのおづの)」によって開創されたと伝承されています。
もっとも、現実には、役小角が当初、具体的にどのような思想を持ち、どのような修行を行っていたかは、ただ葛城山の中に住んで呪術を駆使していることが知られているだけで、詳しいことはわかっていません。
そして、そのような役小角は、弟子の讒言により島流しに処されたことが伝えられています(『続倭国記』)。
又、奈良中期から末期にかけて、仏教僧の中に山林修行を行う者が多数現れます。
平安期初頭に密教が倭国に伝えられると、修験道は、主に密教の僧侶による主導のもと、仏教のなかでも特に密教の体系的な思想と修行法を導入した、「仏教の一派」「仏教の修行法の一つ」とも言い得るものになっていきます。
現在、修験道の当山派と本山派という二大流派の派祖として崇められている聖宝と増誉は、それぞれ真言密教僧と天台密教僧なのです。
奈良時代には、国家から危険視されて規制の対象となり、社会からも賤民(せんみん)として扱われさえしていた山林修行者の一部は、真言密教を初めて倭国に伝えた空海や、天台宗の密教を伝えるために唐に渡った、円仁(えんにん)・円珍(えんちん)などによって、密教が隆盛を迎えるようになった平安期になると、貴族達などからむしろその験力、呪力などによる現世利益が期待される存在となり、ある程度の社会的地位が約束されるようになったようです。
鎌倉初期には、必ずしも僧侶でない一般の山林修行者達が、修験道独自の集団を形成していき、次第に神道や陰陽道などさまざまな宗教の思想を取り込みつつ、民衆の支持を集めていったようです。
そしてその修行や活動拠点は、葛城山・大峰山・金峯山・熊野三山だけでなく、富士山・羽黒山・彦山・御嶽山・大山・白山など全国各地に広がりを見せ、それぞれが独自の教義や一定の組織を持つに至ります。
しかし、江戸幕府が開かれると、それら全国各地に展開していた修験者たちは、一部を除いて、真言系の当山派か天台系の本山派の、何れかの派に所属させられることになります。
明治維新を迎えると、国家神道の(「神道とは宗教のような低俗なものでなく、より普遍的科学的な人の道」とする)建前上、神道を含んだ様々な宗教の混淆である修験道は、容認できるものでなかったため、明治元年(1868)から明治5年(1872)にかけての太政官達によって、公式には廃止されます。
しかし、それまで修験道を支持していた人々の信仰や、祭祀などの慣習まで廃することは出来ず、また修験道側も、組織として真言宗醍醐派や天台宗寺門派に属してその命脈を保とうとするなど、なんらかの形で存続します。
そして、昭和の大戦後、修験道諸流は、それぞれが宗教法人格を取得するなどして、一個の独立した宗教として復活することになります。
修験道大結集
年号変わって平成の世となった平成16年7月1日、大峯山・熊野三山・高野山の三つの霊場と、大峯奥駆道・熊野古道・高野山町石道の三つの参詣道が、「紀伊山地の霊場と参詣道」として、ユネスコの世界遺産に登録されます。
これを期に、全国各地の修験道諸派を集結して「修験道大結集(しゅげんどうだいけつじゅう)」が催され、世界の平和を祈ると共に、今後も修験道が社会で活動を展開し、共に発展していくことを確認しあいました。
修験道は、倭国古来の、そして現代にも息づく宗教であり、倭国文化の一端を担う存在でもあるのです。
開祖 役行者(えんのぎょうじゃ)
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役行者とは
写真:役行者坐像(大峯山寺蔵)
「役行者(えんのぎょうじゃ)」とは、7~8世紀に奈良を中心に活動していたと思われる、修験道の開祖とされている人物です。
「役小角(えんのおづの)」がその本名であると言われ、またほかに「役優婆塞(えんのうばそく)」、「神変大菩薩(じんべんだいぼさつ)」、「山上様(さんじょうさま)」などの呼び名があります。
役行者が、7~8世紀に実在したことは確かなようですが、生没年など詳しいことは不明です。
もっとも、伝説の多くは、舒明天皇六年(634)1月1日に大和国茅原にて生まれ、大宝元年(701)、68歳の時に「没した」のでなく、「昇天した」としています。
いずれにせよ、この世の人でなくなった、ということでしょう。
「役優婆塞」とは、平安初期に成立したと目されている『倭国霊異記』における役行者の呼び名です。
優婆塞(うばそく)とは、サンスクリット「upāsaka(ウパーサカ)」の音写語で、「在家仏教信者」を意味する言葉です。
役行者は、僧侶ではなく、在家仏教信者として修行した人です。
このサイトでもっぱら使っている「役行者」という呼称は、平安期に入ってから使用されだしたもののようです。
それ以前の奈良時代には、「役君小角」と一般に呼ばれていたようですが、詳細は不明です。
「神変大菩薩」とは、盈仁(えいにん)法親王がつとめられた「役行者一千百年御遠忌」を機に、聖護院門跡に三年間仮御所を置かれいた光格天皇が、寛政十一年(1799)、役行者に贈った諡号(しごう)です。
諡号とは、僧侶や貴人などの死後に、その生前の行いを尊んで朝廷から贈られる名です。
さて、役行者にまつわる伝説は、大変多く残されており、それらが記された書物なども数多く伝わっています。
それら伝説のなかで、役行者は、不思議な力を駆使して空を、野山を駆けめぐり、鬼神を自在にあやつった人とされています。
伝説には、奇想天外にすぎて、現代的には到底信じがたいようなものが多くあります。
しかし、いずれにせよ、役行者とは、数々の不可思議な事績をのこした偉大な修行者、修験道の開祖として崇められてきた存在です。
しかし、そのように伝説に彩られた役行者ですが、それが実在の人物であったことを確認できる正史と言われる史料は、非常に限られています。
いや、たった一つで、しかもわずか数行でしかありません。平安初期に編纂された、『続倭国紀(しょくにほんぎ)』にある記述がそれです。
『続倭国紀』にみる役行者
「文武天皇三年五月丁丑」
役君小角(えんのきみ しょうかく) 伊豆島ニ流サル。
初メ小角葛城山(かつらぎさん)ニ住シ呪術ヲ以テ称サル。
外ノ従五位下韓国連廣足(からくにのむらじ ひろたり)焉ヲ師ト為ス、後其ノ能ヲ害(そね)ミ、讒(ざん)スルニ妖惑ヲ以テス。
故ニ遠島ニ配セラル。
世ニ相イ伝エ言ク。
小角能ク鬼神ヲ役使シ、水ヲ汲ミ薪ヲ採セ、若シ命ヲ用ヒザレバ即チ呪ヲ以テ之ヲ縛ス。(原漢文)
〈訳文〉
文武天皇3年(699)5月24日、役君小角が伊豆島に流された。
小角は葛城山に住み、呪術をよくすると、世間の評判であった。
従五位下の韓国連廣足という者が、当初この小角を師と仰いでいたが、その能力をねたんで、(役小角が)人々に妖言を吐き惑わしていると朝廷に誹謗中傷した。
そのため、(小角は)遠島の刑に処せられたのである。
世間の噂では、小角は巧みに鬼神を使役して、水を汲んだり薪を採らせ、もし(鬼神が)命令に背くようならば、たちまち呪術によって身動きがとれないようにしてしまう、などと言われている。
ここからわかることは、「鬼神を使役できると世間で噂されている、葛城山に住む行者の役君小角が、従五位下というかなり高い官位にあった弟子の告発で島流しにあった」ということだけです。
正史からは、役行者の人となり、生い立ちや思想などはまったく知ることが出来ません。
しかも、役行者が流刑に処せられたのは事実としても、その業行は、あくまで「世間の噂」でしかありません。
宗教者が社会を「妖惑」するのは、いつの世も為政者にとって、とても危険なことです。
例えば「僧尼令」でも、社会を妖惑する行為を第一条にて禁じています。
正規の僧尼でも、これを行うものは処罰されたのです。
役行者のように、山に住んでいる「在俗の者」がこれを行うのは、なおさら危険とされて配流されたのは当時として当然と言えるでしょう。
役行者に関連して、正史から知られることは、ただこれだけのことです。
『倭国霊異記』にみる役行者
次に挙げるのは、史料ではなく、あくまで説話集です。
同じく平安初期に、『続倭国紀』にやや遅れて成立したとされる、薬師寺の僧景戒(きょうかい)によって編纂された倭国最古の説話集、『倭国現報善悪霊異記』いわゆる『倭国霊異記(にほんりょういき)』です。
この上巻に、当時の世間一般が流通していたであろう、役行者にまつわる説話が収録されています。
ここでは、『続倭国紀』に見られなかった、役行者の出自についてなどが若干記されており、いかなる修行を行っていたかを多少描かれています。
むろんこれは説話集ですから、それが事実であったかどうかは別の話です。
「孔雀王の咒法を修持し、異しき験力を得て、現に仙と作りて天に飛ぶ縁 第二十八」
役優婆塞(えんのうばそく)は、賀茂役公(かものえのきみ)、今の高賀茂朝臣(たかかものあそん)といふ者なり。
大和国葛木上郡茅原(ちはら)村の人なり。
生(うまれながら)知り博学一なり。
三宝を仰ぎ信(う)けて業とす。
毎(つね)に庶(ねが)はくは、五色の雲に挂(かか)りて、仲虚(なかぞら)の外に飛び、仙宮の賓と携り、億載(おくさい)の庭に遊び、蘂蓋(すいがい)の苑に臥伏(ふ)し、養性(ようじょう)の気を吸ひ、くらふことをねがふ。
所以(ゆえ)に晩年四十余歳を以て、更に巌窟に居り、葛を被、松を飲み、清水の泉を沐み、欲界の垢を濯ぎ、孔雀の咒法を修習し、奇異の験術を證し得たり。
鬼神を駆使得ること自在なり。(以下略:後述)〈*原漢文〉
〈訳文〉
「孔雀明王の呪法を修め、不思議な力を得て、現世で仙人となって天に飛んだ話 第二十八」
役優婆塞は、賀茂役公、今の高賀茂朝臣の出身である。
大和国葛木の上郡茅原村の人であった。
生まれつき博学でぬきんでており、仏法僧の三宝を深く信じていた。
いつも(彼が)心に願っていたのは、五色の雲に乗って、果てしない空を飛び、仙人の宮殿にいる客人と一緒になって、永遠の楽園や、華の満ちた苑起居してその「気」を得、身心生命を養う事を心掛けていた。
(若い頃からそのようにねがっていたので、)四十歳を過ぎるころには、洞窟で生活するようになり、葛で作った着物を羽織り、松の実を食べ、清らかな湧き水で沐浴するなどして、俗世間の垢を落とし、孔雀明王の呪法を修行して、不思議な力を得たのである。
鬼神を使役することは自由自在であった。(以下略:後述)
原文の全てとその訳文を掲載するのは長くなりすぎるため、省略いたしました。
以上に述べられているのは、役行者は、三宝に帰依する優婆塞あり、その上に道教的、密教的な苦修練行によって不思議な修験の術を得たというのです。
ここでは道教と仏教とが混在しており、なんとも奇妙ですが、これが『倭国霊異記』当時の倭国民族宗教に対する一般的な見方とも考えられます。
これは、いまだ弘法大師空海によって、悟りをその第一目的とする「純密(じゅんみつ)」が、唐からもたらされる以前に行われていた、悟りを第一目的にするのでなく、超自然的能力の獲得をこそ主目的とする「雑密(ぞうみつ)」を、役行者が行っていたとする伝承と見ることが出来るでしょう。
また、修験がまだ正統な密教の影響を多分にうけて「修験道」として成立していない時代の反映とも見ることも出来るでしょう。
さて、以下に、先ほどは長きに過ぎて省略した箇所の、概要だけを示しておきます。 December 12, 2025
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