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公園のベンチで
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2025.12.05 21:00
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本当に好きな人と一緒にいる時間って、特別なイベントがあるから満たされるわけじゃなくて、むしろ何気ない日常の中に幸福が染み込んでいくような感覚なんですよね。派手なデートじゃなくていいし、高級レストランじゃなくてもいい。ただ公園をのんびり歩くだけで楽しくて、夜中に「コンビニ行こっか」って並んで歩く時間すら忘れられない。サイゼリアのミラノ風ドリアがいつもより美味しく感じてしまったり、帰り際の「またね」が胸の奥にじんわり残ったりする。特別なことをしたから嬉しいんじゃなくて、その人と一緒だから嬉しい。これって、恋愛の本質にかなり近いと思うんです。
たとえば旅行に行けなくてもいい、誕生日に盛大なお祝いがなくてもいい、それでも幸せを感じられる関係って、心がいい意味で緩んでいる証拠なんですよね。「楽しませなきゃ」「嫌われないようにしなきゃ」「良く見せなきゃ」と気を張っていると、人は日常から幸福を受け取れません。だって意識は未来や不安に向いてしまうから。でも、好きな人の隣だと無理しなくていい、素でいられる、自分のままで愛されていると感じられるから、何もない時間こそ心地よくなる。だから、公園のベンチで座ってただ喋っているだけで満たされるし、コンビニの明かりの下で笑っているだけで、「ああ、こういう時間がずっと続けばいいのに」と思ってしまうんです。
本気で惚れた相手って、“特別な思い出を作ってくれる人”じゃなくて、“日常を特別にしてくれる人”なんですよね。豪華なデートしか楽しくない相手は、刺激やイベントに依存しているだけで、相手そのものを愛しているわけではない。でも、どんな場所でも笑顔になれる人は、思い出ではなく“人”に幸福を感じている。だからこそ、恋が深まると季節の匂いも景色の色も変わって見えるし、街の灯りさえ自分たちのためにあるように錯覚する。恋って本当に不思議で、ただの帰り道を宝物に変えてしまう力がある。
そしてこの手の幸せは、派手な恋よりずっと強い。なぜなら、努力や無理で成立しているわけじゃなく“安心”を土台にしているから。特別なことをしないと続かない関係は、どこかで息切れする。でも、ただ隣にいるだけで満たされる恋は、時間とともに深まっていく。恋人というより居場所になっていく。外でどれだけ疲れても、“あの人と過ごす日常”が回復させてくれる。
結局のところ、本当に好きな人とは「幸せを与えてくれる人」じゃなく「一緒にいるだけで幸せを思い出させてくれる人」なんです。全力で楽しませてくれなくていい、いつでも優しくしてくれなくてもいい、完璧じゃなくていい。ただ隣にいるだけで、今日を生きてよかったと思わせてくれる人。その存在に出会えたら、それだけで人生は十分に豊かになると思います。 December 12, 2025
グリーンパークの木々も、ほとんどが落ちてしまっている。公園のベンチで原稿を執筆中。とても寒いので頭は鮮明だが、耳や足先が冷たい。
12:28分だが眠いので、自宅に帰る。シエスタが必要だね。 https://t.co/iBxRqrVdph December 12, 2025
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