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言葉遣い
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2025.12.03 04:00
:0% :0% (40代/男性)
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@jijicom みんながみんな倭国の漫画の台詞知ってるわけないだろ…
初めて聞いた相手は相当乱暴な言葉遣いだと感じたんじゃないのか?
シャラップ上田のドントラフ英会話から何も進歩してないな。
さすがは中世ジャップランド。 December 12, 2025
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こんな言葉遣いありえないんだよ。。百歩譲ってコミコンとかのスピーチならまだしも、国の代表相手にでしょ。しかもサウジアラビアの男性が多かったなのなら、絶対悪印象しかないよ。。女からこんなこと言われたって印象しか残らないと思うもん。漫画のセリフでウケを狙うより、いい悪いは置いといて、相手の文化、歴史的背景とか考えてモノ言った方が絶対にいいと思う。「外交」なんだからさ。しかもこっちは「出してもらう」立場な訳でしょ? December 12, 2025
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台湾は「ウクライナ型の戦争モデル」にはならない。
その理由は、台湾社会の政治観や民族感覚、そして中国との関係性が欧米や報道で語られるほど単純ではなく、人々の意識の底に「生存の優先」「現実主義的な判断」が強く根付いているからだ。
さらに、台湾内部では近年、反中アイデンティティや民主主義のスローガンだけでは生活も安全も維持できないという現実認識が広まりつつある。
話者はまず、台湾社会とアメリカ政府の認識のズレを指摘する。
ワシントンは台湾を「第二のウクライナ」とみなし、中国と戦わせる前線国家として期待する。
一方台湾の独立派は逆で、「アメリカが血を流してくれる」と信じている。
しかし台湾人自身は、戦争になると自分たちの生存を最優先に判断するだろう、という冷めた認識がある。
次に台湾政治における重要人物として「廖」が紹介される。
廖はKMT独裁時代の反体制派で、逮捕・投獄された経歴を持つ。
ところが台湾の民主化後はDPP(民進党)も激しく批判し続けた。
「アメリカは台湾を防波堤として利用する、なぜ我々が高額な兵器を買うのか」と国会で訴え、政府を煙に巻くようなパフォーマンスで注目を集めた。
台湾で長く軽視されてきた彼の主張は、今になって再評価されている。
賃金低迷やインフレ、TSMC移転、米国の安全保障負担の押し付けなど、台湾が失い続けている現実が見えてきたからだ。
廖は常に「台湾が米国の道具にされる構造」を警告してきた。
こうした潮流の中で、今度は庶民派のインフルエンサー「冠章」が流行する。
学者ではない。
ジム経営者で、軍隊経験もあり、元は半グレーな世界に関係していたと言われる人物。
配信で政治の腐敗やアメリカ依存を批判し、若者や一般層に支持を広げる。
ここで語り手は台湾社会のもう一つの現実に触れる。
メディアやデモは派手だが、ふだん台湾人は政治を語らない。
しかし言葉遣いや生活文化に変化が出ている。
例えば以前は中国大陸を「大陸」と呼んだが、2010年代には「中国」へ、そして近年また「大陸」に戻りつつある。
これは「中国=敵」のプロパガンダが揺らぎ始めた象徴だという。
地方では、中国ドラマや中国語コンテンツが普通に視聴されている。
アプリもブロックされておらず、むしろ身近だ。
台湾人が中国に出向けば、銀行口座さえ30分で作れるというエピソードが象徴するように、台湾人と中国人の生活圏は文化的にも経済的にも断絶していない。
つまり台湾は政治スローガンの表層とは裏腹に、社会の深層で中国と不可分な状態にある。
台湾はウクライナとは異なる。
欧米が期待する「最後の一兵まで戦う民主国家」ではなく、歴史的にも遺伝子的にも、極めて現実主義的な社会だ。
DPP政権の反中イメージ戦略やアイデンティティ政治が頂点に達したいま、台湾では静かだが確かな意識の反転が起きている。
・米国は守ってくれない
・中国との関係を切ることはできない
・戦争ではなく生存が優先
こうした直感的な理解が台湾の一般層に広がっているというのが、この対話の核心だ。
倭国にとっての示唆も大きい。
台湾問題は「民主と独裁の戦い」ではなく、大国と小国、覇権と代理戦争、そして生活という現実の問題である。
その視点をもたずに台湾情勢を語ることは、もはや不可能になりつつある。 December 12, 2025
品の良さって、外見の美しさや教養の高さよりも、その人がどんなふうに自分を扱ってきたか、どんな姿勢で生きてきたかがそのまま表に出るものだと思います。だからこそ、品のある人に触れると「この人は丁寧に生きてきたんだな」と感じられて、自然と惹かれるんですよね。
品というのは、派手な振る舞いや言葉では作れません。ちょっとした言い方や歩き方、場の空気の読み方、人に対する態度、自分の感情の扱い方、そういった細かいところに、静かににじむものです。誰も見ていないところでどう振る舞っているかが、そのまま滲んでしまうのが品の正体なんだと思います。
たとえば、苛立っていても相手に八つ当たりしない人や、店員さんへの言葉遣いが自然に丁寧な人、自分にとって得がない場面でも誠実に対応できる人。そういう小さな行動の積み重ねこそが、後から大きく“品の良さ”として感じられます。だからこそ、取り繕った態度よりも「普段の自分」が一番大切になります。
そして、自分を雑に扱わない人は、他人からも雑に扱われません。「私はこの程度でいい」と自分を下に置けば、周りもその基準で接してきます。でも、自分の時間や気持ちを大切にして、嫌なものは嫌と言えたり、境界線を守れる人には、自然と丁寧な扱いが返ってくるんですよね。
品の良さは、特別な振る舞いではなく“自分を大切に扱う姿勢”から育ちます。自分の言葉を雑にしない、自分の心をこき使わない、誰かに軽んじられても自分まで自分を軽んじない。そういう小さな選択の積み重ねが、周囲から見たときに「この人には粗末にできないな」という雰囲気をつくっていきます。
結局、人が惹かれるのは美しさよりも“生き方の美しさ”なんだと思います。品がある人は、自分を大切に扱うことを知っていて、その姿勢が人への優しさにも、自分への誇りにもつながっていくんです。 December 12, 2025
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