高倉健 芸能人
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2025.11.17〜(47週)
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浜辺美波×Snow Man 目黒蓮
映画『ほどなく、お別れです』完成報告会🎊
鈴木浩介&永作博美、目黒の姿勢に感心
「高倉健さんってこんな感じだったんだ」
https://t.co/SiUUpQszMF
目黒、祖母に想い馳せる…
仕事中の電話もかけ直し「1回を大事にしたい」
https://t.co/uVZV4nOXwQ
#ほどなくお別れです https://t.co/smdS6kbDzz November 11, 2025
1,353RP
【CINEMA】Snow Man #目黒蓮 を #浜辺美波 が「思っていた50倍忙しそうなのに」と役への姿勢を絶賛‼️
鈴木浩介も「高倉健さんみたい」と惚れ惚れ✨
映画『ほどなく、お別れです』完成報告会🎬
▶️https://t.co/JkHKKMyRFj
#ほどなくお別れです #森田望智 #鈴木浩介 #永作博美 #夏木マリ #三木孝浩 https://t.co/QJhHykD4jw November 11, 2025
370RP
「風潮が色濃く残存している」という文章を読んで、フィクションのヤクザ物語を思い浮かべるのはとてもいいことです。その人の周囲にはヤクザがおらず、生活の中でヤクザとの接点はないけど、フィクションの中ではたくさんのヤクザをみているということですから。ヤクザが身近にいない環境で生まれ育ったから、ヤクザのリアルな実感がなく「ヤクザ=フィクション」になる。でもいまだって、一部の地域では生活の中にヤクザがいます。
かつて、それはなにも特別な地域だけの話ではありませんでした。昭和30年代の暴力団全盛期には、全国に30万人のヤクザがいました。俺が実話時代に入った1995年にも10万人程度いた。2000年を過ぎても大阪のミナミや東京の歌舞伎町のように、地方都市のネオン街で普通にヤクザの姿をみました。銀座のクラブには今の広域団体のトップが頻繁に飲みに来ていました。
2008年はまだその空気が残っている頃です。だから暴力団を反社会勢力(という呼称も、この頃はさほど一般的ではありませんでした。急に警察が言い出したので、俺は原稿ではあまり使いません)にしたい警察は、ああいった文章で釘を刺したのでしょう。いまだ全国の盛り場で、ヤクザは地域に浸透し、肩で風を切って歩いていた。
東倭国大震災が起きる以前は、盛り場に飲みに行くと、知り合いのヤクザの一団とばったり会って仰々しい礼をされたり、焼き鳥屋でザ・ヤクザといった容貌の組長と顔を合わせ、大声で名前を呼ばれたりして、恥ずかしさで顔が真っ赤になったことが何度もあった。サラリーマン生活をしていたらヤクザなんて見たことがないかもしれないけど、盛り場で生きている人には身近な隣人です。この人たちの感覚が警察白書で警察の言う風潮です。
ヤクザの陰が消え、それまであちこちでみかけたヤクザをみなくなった…という情況は、暴排条例によって生まれます。そりゃあもう突然でした。以降、急激にヤクザの姿を見なくなり、現在、ヤクザはめっきり飲みに出ません。
一流ホテルのテーラウンジにうようよいた暴力団幹部は、ホテル側に利用を拒否されました。料亭を借り切って行われた襲名式は事務所の狭い倭国間で行われるようになりました。ホテルの宴会場を借りて行われていた新年会(忘年会は事始めがあってやらない地域・組織が多い)も、目立つと通報が来るため、少人数で小さな店を使い、カタギに見つからないようひっそり行っています。
フィクションの影響は、ヤクザにインタビューした際に感じることがありました。「ヤクザになった理由」は必ずぶつける質問する項目で、戦中・戦後直後にヤクザとなった親分たちは「任侠映画を観て」「高倉健に憧れて」と答えた親分がたくさんいた。
戦前・戦中、ヤクザ物語は国策として持てはやされ、娯楽映画の鑑賞など非国民とされた時期でも、新作が封切られました。報恩と滅私奉公を是とするヤクザ映画は文科省推薦のような位置にあったんです
戦後もヤクザ映画のブームは続き、客が入らなくなった時代劇に替わり、東映はヤクザ映画を量産します。歌謡曲もそうです。たとえば先日亡くなった橋幸夫の大ヒット曲『潮来笠』はヤクザの歌です。昭和20年代生まれはその影響を受けています。だから団塊の世代に生まれた親分にも、ヤクザ映画に憧れてヤクザになったと言った人がたくさんいました。
でも俺の世代(昭和40年代生まれ)には、もう1人もいませんでした。今の若いヤクザにもいないでしょう。というより、もうヤクザに若い人がいません。
じゃあヤクザ映画やヤクザ歌謡のせいでヤクザが増えたのか…それは一面の事実ではあるけど、世間にヤクザがたくさんいて、ヤクザに憧れる人もたくさんいて、だからヤクザ映画が人気だったのだと思います。鶏と卵、リアルなヤクザとフィクションのヤクザでは、やはり本物のヤクザが先にあって、フィクションがそれを追いかけ、時代の空気が醸成されたはずです。
当時の世相…戦後、腹を空かせていた若者はたくさんいました。そういった若者たちは、闇市や盛り場でヤクザと出会います。NHKの朝ドラでは決して描かれないリアルがそこにありました。
ヤクザは若者に腹一杯飯を食わせ、小遣いを投げる。若い衆が帰省すると聞けば、両親にために仕えと大金を放る。街を歩けばみんなが頭を下げました。縄張りでは派手に金を使い、飲食店にとって縄張りの親分は上得意でした。警察が弱かった時代、ヤクザは地域の顔役として万屋のような立場でした。ヤクザの周辺にいた若者たちは、地域の人は、それをみてヤクザに憧れ、存在を容認したはずです。
こうしたリアルな求心力は、実感があるぶん圧倒的に強い。作り物であるフィクションに影響され、ヤクザを容認する風潮がうっすら生まれても、ヤクザになったり、ヤクザを助けたりはしないでしょう。実際のヤクザと触れ合えばすぐ幻滅して消えるでしょうから。
風潮というほど定着するには、もっと現実的な力…困ったときに金を放ったり、暴力という国家だけが占有する手段を使って問題を解決したりすることでしか無理だと思います。そもそもフィクションのヤクザに憧れるのと、リアルなヤクザに憧れるのは、似て非なるものです。二次元の女の子に憧れるのと、リアルな肉体を持つ女を追い求める程度には違います。適切な比喩かどうか、あまり自信はないですが。
殴り書きなので、少し説明がくどく、わかりにくいと思います。興味があれば猪野健治の本でも、溝口敦の著作でも、図書館にあるはずなので、ぜひ手に取ってみてください。 November 11, 2025
186RP
【映画『ほどなく、お別れです』完成報告会】
鈴木浩介&永作博美、目黒蓮の姿勢に感心「高倉健さんってこんな感じだったんだ」 https://t.co/pqCtyeBJ4C
#ほどなくお別れです #浜辺美波 #目黒蓮 #SnowMan November 11, 2025
121RP
74年『無宿』斎藤耕一監督 勝新太郎、高倉健、梶芽衣子。
61年の『悪名』あたりで勝さんは京都でアラン・ドロンと飲んだそうだ。
のち67年の『冒険者たち』を勝さんは観たはず。さすがの斎藤耕一の美しい絵は、さながらフランスの風景だ。冒険者たちを意識したこの映画で、きっと勝はリノ・ヴァンチュラ、健さんがアラン・ドロン、レティシアが梶さんなのだろう。青い海と船、入江の3人は、童話の中のように無垢な笑顔を見せる。とても任侠映画とは思えない。
賛否両論あったようだが、私はロマン溢れカッコいいビッグスター夢の共演の今作は、終始、心ときめく幸せな気持ちに包まれた作品だった。 November 11, 2025
53RP
鈴木浩介さんが
目黒蓮は高倉健さんを彷彿とさせる
と仰っていて
私もずっとそれは感じていたから
あの空気感を纏う役者さんになっていくのかな‥と嬉しかった
彼の芝居をずっと見守っていきたい
奇しくも高倉健さんも2/16生まれのB型
#ほどなくお別れです
#目黒蓮 November 11, 2025
48RP
三木監督
目黒くん美波ちゃんは
「この世代の中でも特に落ち着いている“浮ついてない度”ナンバーワンの俳優たちだと思います」
鈴木浩介さん「現場で目黒くん座らないから『座りなよ』って合図しても『大丈夫です』みたいな。なんか、高倉健さんってこんな感じだったのかな」
#ほどなくお別れです November 11, 2025
31RP
【📺テレビ放送】
高倉健主演の映画「新幹線大爆破」NHK BSでオンエア、犯人・警察・鉄道職員の攻防描く
https://t.co/KoRrFxbWyt
#新幹線大爆破 November 11, 2025
14RP
目黒君のことを
かの名優
『高倉健(敬称略)』のようだ…とか
『三船敏郎(敬称略)』のようだ…
と例える方々がいらして本当に嬉しい
しかも単なる一般人ではなく同じ業界の方やプロのライターさんがだ…
見ている人はちゃんと見てくれているんだな… November 11, 2025
13RP
11/24(月)13時〜 #NHKBS で「#新幹線大爆破」1975年版放送。2025年リブート版のオリジナル。まだ観てない方ぜひ‼️🤩#高倉健 #千葉真一 #宇津井健 #草彅剛 #のん https://t.co/n5ElvzUVh2 November 11, 2025
9RP
今週もたくさんのご来店ありがとうございました😊
11月20日(木)
定休日🍺
11月21日(金)
11:30〜
よろしくお願いします🥬
チャーハンはいつも頑張ってくれてるバイトの福利厚生🍨
🥃
ハイボールありがとうございました((◯┓ペコリ
#タンメン #ラーメン #館林ラーメン #新麦春よ恋 #高倉健 https://t.co/ywItdHD0HU November 11, 2025
9RP
高倉健特集も残り1日、例年通り11月10日のご命日にはお客さまと一緒に献杯をさせて頂きました。その日ご来場の健さん大好きな西南女学院大学教授の中島俊介先生がその日の夜に急逝されました。小倉昭和館シネクラブサポート会会長で当館を愛し、再建を力強く応援して下さった先生を忘れません。多謝! https://t.co/viBr1Kaykg November 11, 2025
7RP
鈴木浩介さんの「目黒くん全然座りませんねって永作さんと話してた、高倉健さんってこんな感じなのかな」が映像に入っていて嬉しい😭😭😭銀幕のスター😭😭😭
浜辺美波&Snow Man目黒蓮、映画「ほどなく、お別れです」完成報告会https://t.co/Vw8u8fEBYl November 11, 2025
5RP
#格言になりそうな映画のセリフ
八甲田山(1977)
高倉健、北大路欣也、緒形拳…
三人の視点から見える八甲田山…
北大路欣也演じる
第二大隊第五中隊長、神田大尉の
『天は我々を見放した…』
あまりに壮絶で哀しすぎる
#八甲田山
#北大路欣也
#天は我々を見放した
#映画好きと繋がりたい https://t.co/jZei5HQ36R November 11, 2025
5RP
「風潮が色濃く残存している」という文章を読んで、フィクションのヤクザ物語を思い浮かべるのはとてもいいことです。その人の周囲にはヤクザがおらず、生活の中でヤクザとの接点はないけど、フィクションの中ではたくさんのヤクザをみているということですから。ヤクザが身近にいない環境で生まれ育ったから、ヤクザのリアルな実感がなく「ヤクザ=フィクション」になる。でもいまだって、一部の地域では生活の中にヤクザがいます。
かつて、それはなにも特別な地域だけの話ではありませんでした。昭和30年代の暴力団全盛期には、全国に30万人のヤクザがいました。俺が実話時代に入った1995年にも10万人程度いた。2000年を過ぎても大阪のミナミや東京の歌舞伎町のように、地方都市のネオン街で普通にヤクザの姿をみました。銀座のクラブには今の広域団体のトップが頻繁に飲みに来ていました。
2008年はまだその空気が残っている頃です。だから暴力団を反社会勢力(という呼称も、この頃はさほど一般的ではありませんでした。急に警察が言い出したので、俺は原稿ではあまり使いません)にしたい警察は、ああいった文章で釘を刺したのでしょう。いまだ全国の盛り場で、ヤクザは地域に浸透し、肩で風を切って歩いていた。
東倭国大震災が起きる以前は、盛り場に飲みに行くと、知り合いのヤクザの一団とばったり会って仰々しい礼をされたり、焼き鳥屋で顔を合わせたりして、恥ずかしく顔が真っ赤になったことが何度もあった。サラリーマン生活をしていたらヤクザなんて見たことがないかもしれないけど、盛り場で生きている人には身近な隣人です。この人たちの感覚が警察白書で警察の言う風潮です。
ヤクザの陰が消え、それまであちこちでみかけたヤクザをみなくなった…という情況は、暴排条例によって生まれます。そりゃあもう突然でした。以降、急激にヤクザの姿を見なくなり、現在、ヤクザはめっきり飲みに出ません。
一流ホテルのテーラウンジにうようよいた暴力団幹部は、ホテル側に利用を拒否されました。料亭を借り切って行われた襲名式は事務所の狭い倭国間で行われるようになりました。ホテルの宴会場を借りて行われていた新年会(忘年会は事始めがあってやらない地域・組織が多い)も、目立つと通報が来るため、少人数で小さな店を使い、カタギに見つからないようひっそり行っています。
フィクションの影響は、ヤクザにインタビューした際に感じることがありました。「ヤクザになった理由」は必ずぶつける質問する項目で、戦中・戦後直後にヤクザとなった親分たちは「任侠映画を観て」「高倉健に憧れて」と答えた親分がたくさんいた。
戦前・戦中、ヤクザ物語は国策として持てはやされ、娯楽映画の鑑賞など非国民とされた時期でも、新作が封切られました。報恩と滅私奉公を是とするヤクザ映画は文科省推薦のような位置にあったんです
戦後もヤクザ映画のブームは続き、客が入らなくなった時代劇に替わり、東映はヤクザ映画を量産します。歌謡曲もそうです。たとえば先日亡くなった橋幸夫の大ヒット曲『潮来笠』はヤクザの歌です。昭和20年代生まれはその影響を受けています。だから団塊の世代に生まれた親分にも、ヤクザ映画に憧れてヤクザになったと言った人がたくさんいました。
でも俺の世代(昭和40年代生まれ)には、もう1人もいませんでした。今の若いヤクザにもいないでしょう。というより、もうヤクザに若い人がいません。
じゃあヤクザ映画やヤクザ歌謡のせいでヤクザが増えたのか…それは一面の事実ではあるけど、世間にヤクザがたくさんいて、ヤクザに憧れる人もたくさんいて、だからヤクザ映画が人気だったのだと思います。鶏と卵、リアルなヤクザとフィクションのヤクザでは、やはり本物のヤクザが先にあって、フィクションがそれを追いかけ、時代の空気が醸成されたはずです。
当時の世相…戦後、腹を空かせていた若者はたくさんいました。そういった若者たちは、闇市や盛り場でヤクザと出会います。NHKの朝ドラでは決して描かれないリアルがそこにありました。
ヤクザは若者に腹一杯飯を食わせ、小遣いを投げる。若い衆が帰省すると聞けば、両親にために仕えと大金を放る。街を歩けばみんなが頭を下げました。縄張りでは派手に金を使い、飲食店にとって縄張りの親分は上得意でした。警察が弱かった時代、ヤクザは地域の顔役として万屋のような立場でした。ヤクザの周辺にいた若者たちは、地域の人は、それをみてヤクザに憧れ、存在を容認したはずです。
こうしたリアルな求心力は、実感があるぶん圧倒的に強い。作り物であるフィクションに影響され、ヤクザを容認する風潮がうっすら生まれても、ヤクザになったり、ヤクザを助けたりはしないでしょう。実際のヤクザと触れ合えばすぐ幻滅して消えるでしょうから。
風潮というほど定着するには、もっと現実的な力…困ったときに金を放ったり、暴力という国家だけが占有する手段を使って問題を解決したりすることでしか無理だと思います。そもそもフィクションのヤクザに憧れるのと、リアルなヤクザに憧れるのは、似て非なるものです。二次元の女の子に憧れるのと、リアルな肉体を持つ女を追い求める程度には違います。適切な比喩かどうか、あまり自信はないですが。
殴り書きなので、少し説明がくどく、わかりにくいと思います。興味があれば猪野健治の本でも、溝口敦の著作でも、図書館にあるはずなので、ぜひ手に取ってみてください。 November 11, 2025
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入荷情報
⇒ https://t.co/01EiKRV86L #アメブロ @ameba_officialより
「吸血鬼・夢の浮橋」
「揃 マザー・グースのうた第1~5集」
「追悼!永久保存版 高倉健と菅原文太 ここに漢ありけり」
「人間 高倉健」
「朗読CD 南極のペンギン」
アートシアターバックナンバーなど入荷しました。 https://t.co/ZuiLyx55PI November 11, 2025
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「風潮が色濃く残存している」という文章を読んで、フィクションのヤクザ物語を思い浮かべるのはとてもいいことです。その人の周囲にはヤクザがおらず、生活の中でヤクザとの接点はないけど、フィクションの中ではたくさんのヤクザをみているということですから。ヤクザが身近にいない環境で生まれ育ったから、ヤクザのリアルな実感がなく「ヤクザ=フィクション」になる。でもいまだって、一部の地域では生活の中にヤクザがいます。
かつて、それはなにも特別な地域だけの話ではありませんでした。昭和30年代の暴力団全盛期には、全国に30万人のヤクザがいました。俺が実話時代に入った1995年にも10万人程度いた。2000年を過ぎても都市部の繁華街なら、大阪のミナミや東京の歌舞伎町のように、地方都市のネオン街で普通にヤクザの姿をみました。銀座のクラブには今の広域団体のトップが頻繁に飲みに来ていました。
2008年はまだその空気が残っている頃です。だから暴力団を反社会勢力(という呼称も、この頃はさほど一般的ではありませんでした。急に警察が言い出したので、俺は原稿ではあまり使いません)にしたい警察は、ああいった文章で釘を刺したのでしょう。いまだ全国の盛り場で、ヤクザは地域に浸透し、肩で風を切って歩いていた。
東倭国大震災が起きる以前は、盛り場に飲みに行くと、知り合いのヤクザの一団とばったり会って仰々しい礼をされたり、焼き鳥屋で顔を合わせたりして、恥ずかしく顔が真っ赤になったことが何度もあった。サラリーマン生活をしていたらヤクザなんて見たことがないかもしれないけど、盛り場で生きている人には身近な隣人です。この人たちの感覚が警察白書で警察の言う風潮です。
ヤクザの陰が消え、それまであちこちでみかけたヤクザをみなくなった…という情況は、暴排条例によって生まれます。そりゃあもう突然でした。以降、急激にヤクザの姿を見なくなり、現在、ヤクザはめっきり飲みに出ません。
一流ホテルのテーラウンジにうようよいた暴力団幹部は、ホテル側に利用を拒否されました。料亭を借り切って行われた襲名式は事務所の狭い倭国間で行われるようになりました。ホテルの宴会場を借りて行われていた新年会(忘年会は事始めがあってやらない地域・組織が多い)も、目立つと通報が来るため、少人数で小さな店を使い、カタギに見つからないようひっそり行っています。
フィクションの影響は、ヤクザにインタビューした際に感じることがありました。「ヤクザになった理由」は必ずぶつける質問する項目で、戦中・戦後直後にヤクザとなった親分たちは「任侠映画を観て」「高倉健に憧れて」と答えた親分がたくさんいた。
戦前・戦中、ヤクザ物語は国策として持てはやされ、娯楽映画の鑑賞など非国民とされた時期でも、新作が封切られました。報恩と滅私奉公を是とするヤクザ映画は文科省推薦のような位置にあったんです
戦後もヤクザ映画のブームは続き、客が入らなくなった時代劇に替わり、東映はヤクザ映画を量産します。歌謡曲もそうです。たとえば先日亡くなった橋幸夫の大ヒット曲『潮来笠』はヤクザの歌です。昭和20年代生まれはその影響を受けています。だから団塊の世代に生まれた親分にも、ヤクザ映画に憧れてヤクザになったと言った人がたくさんいました。
でも俺の世代(昭和40年代生まれ)には、もう1人もいませんでした。今の若いヤクザにもいないでしょう。というより、もうヤクザに若い人がいません。
じゃあヤクザ映画やヤクザ歌謡のせいでヤクザが増えたのか…それは一面の事実ではあるけど、世間にヤクザがたくさんいて、ヤクザに憧れる人もたくさんいて、だからヤクザ映画が人気だったのだと思います。鶏と卵、リアルなヤクザとフィクションのヤクザでは、やはり本物のヤクザが先にあって、フィクションがそれを追いかけ、時代の空気が醸成されたはずです。
当時の世相…戦後、腹を空かせていた若者はたくさんいました。そういった若者たちは、闇市や盛り場でヤクザと出会います。NHKの朝ドラでは決して描かれないリアルがそこにありました。
ヤクザは若者に腹一杯飯を食わせ、小遣いを投げる。若い衆が帰省すると聞けば、両親にために仕えと大金を放る。街を歩けばみんなが頭を下げました。縄張りでは派手に金を使い、飲食店にとって縄張りの親分は上得意でした。警察が弱かった時代、ヤクザは地域の顔役として万屋のような立場でした。ヤクザの周辺にいた若者たちは、地域の人は、それをみてヤクザに憧れ、存在を容認したはずです。
こうしたリアルな求心力は、実感があるぶん圧倒的に強い。作り物であるフィクションに影響され、ヤクザを容認する風潮がうっすら生まれても、ヤクザになったり、ヤクザを助けたりはしないでしょう。実際のヤクザと触れ合えばすぐ幻滅して消えるでしょうから。
風潮というほど定着するには、もっと現実的な力…困ったときに金を放ったり、暴力という国家だけが占有する手段を使って問題を解決したりすることでしか無理だと思います。そもそもフィクションのヤクザに憧れるのと、リアルなヤクザに憧れるのは、似て非なるものです。二次元の女の子に憧れるのと、リアルな肉体を持つ女を追い求める程度には違います。適切な比喩かどうか、あまり自信はないですが。
殴り書きなので、少し説明がくどく、わかりにくいと思います。興味があれば猪野健治の本でも、溝口敦の著作でも、図書館にあるはずなので、ぜひ手に取ってみてください。 November 11, 2025
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習近平は民族で言えば秦と云う事らしい。高倉健晩年の単騎千里を走るでは雲南省の李家村が舞台で日中友好のプロパガンダ映画と見えるがその後の倭国人の中国旅行には田舎からも随分出かけ中国の隆盛に寄与した。偽ブランドが本物の製造を始めるまでになった。習は南宋架橋鄧小平達とは違う。
続く https://t.co/yfxxacgoud November 11, 2025
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映画「#TOKYOタクシー」主演 #倍賞千恵子 東京の風景と記憶 木村拓哉は「高倉健さんのような存在感」:東京新聞デジタル https://t.co/0YsNgFCfMa
取材前に「お腹空いてない? これ食べて」と柴又の高木屋老舗のお団子を勧めていただき、「男はつらいよ」のさくらみたいで気さくな方でした。 November 11, 2025
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