豪雨 トレンド
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2025.12.09 03:00
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#自由民主先出し
📌能登地方の創造的復興へ全力支援
高市総理が石川県能登の被災地を訪問
高市早苗総理は12月7日、総理就任後初となる石川県能登地方を訪問しました。令和6年の能登半島地震・豪雨被害からの復旧・復興に向けた取り組みを自らの目で確かめた高市総理は、能登の活気を取り戻すため、国・県・市が一体となって取り組む決意を示しました。
馳浩知事から要望受ける
高市総理は、能登空港で献花と黙とうを行った後、珠洲市大谷町の土砂災害現場を視察し、同市内の応急仮設住宅を訪れました。午後には輪島市の朝市通りの地震火災現場をした後、穴水町の「あなみずスマイルマルシェ」を訪問し、意見交換を行った。七尾市の和倉温泉の視察も行った高市総理は、馳浩知事から、国と県が一体となった復興に取り組むよう求める要望書を受け取りました。
被災者に励ましの言葉をかけた高市総理は「みんな前向きに、ふるさとのために頑張っている姿を見て、とても感動した。今なお不自由な生活をされている方々を前にして、被災前の活気ある街並みを取り戻すことが国家の責務という思いを強くした」との認識を示しました。
視察後の記者会見で観光産業の復旧や、人材確保に向けた中長期的な取り組みの重要性を指摘。「県・市・町と緊密に連携を取り、被災自治体のニーズに沿った創造的復興を全力で支援する」と約束しました。また、政府与党が進める防災庁の設置についても「発災から復旧・復興までの一貫した政府全体の司令塔機能を担う」として、令和8年度中の設置に向けて次期通常国会での関連法案提出することを改めて強調しました。
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https://t.co/w5QhbpawDS December 12, 2025
1RP
おはようさんです❣️
12月8日(日)
昨日 高市首相が就任後初めて石川県を訪問し 能登半島地震 奥能登豪雨の被災地を視察しました
ありがとうございます🙇♀️
復興に向けさらなる支援よろしくお願いします
🚨本日もご安全に🚨
#高市早苗
#がんばろう能登
#Yahooニュース
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「その時何を思い、決断し、行動してきたか――
能登半島地震・豪雨を体験して」
12月6日、金沢市内で開催された「信教の自由を考える石川フォーラム」で、家庭連合の高村栄一・能登家庭教会長の「能登半島地震・豪雨を体験して」と題する講演は大変、感銘を覚えるものでした。講演を編集・要約したものを下記に掲載します。写真は、高村さんの提供です。―――――――――――――――
能登半島地震とその後の体験を率直にお話します。私には父親、8年間の区域の元役員、そして家庭連合の教会責任者という3つの立場がありました。
地震で私の家は、めちゃくちゃに壊れて住めなくなりました。その後すぐに大津波警報が出ました。近所の方も右往左往して、みなさん元役員の私に聞いてきました。私は、「とにかく逃げましょう。高台かもしくは車に乗って、できるだけ海から遠いとこに行きましょう」と呼びかけました。しかし、皆さんなかなか行動を起こしません。
私は自分から率先してやるしかないと判断。すぐ車に家族を乗せて、安全な場所に着きました。そのとき、近所のあの80代のおばあちゃんは車を持っていない。足も悪い。私は役員だった立場で、何であのおばあちゃんを乗せなかったんだろうか、とものすごい罪悪感に駆られました。
警報が解除されて近くの避難所に行くと、そのおばあちゃんがいて、本当にほっとしました。
次に、教会員の安否確認を教会スタッフが手分けして行いました。その報告が次々に届きましたが、3日経っても連絡が取れない家庭がいくつかありました。
そして3日の夜に、家庭連合ボランティア団体のUPeaceのキャプテンから「明日は輪島に物資を届けるので、同行してくれないか」との電話でした。4日の日に向かいました。
妻も4日朝から職場の病院に行きました。余震が続く中、小学校6年の息子1人だけ避難所に置いておくことができず、一緒に被災地に連れて行きました。輪島に向かう途中から道が寸断されて、荷物を手で運んでいきました。足元の危険な道もあり、まだ小学生の子供をこんな危険な場所に連れてきてよかったのだろうかと率直に思いました。しかし、黙々と歩く息子の姿にただ「ありがとう」という思いだけでした。
以来、日曜日の礼拝以外は作業服で、特に被害の多い輪島、門前、穴水、奥能登の方に毎日のように向かいました。そして、信者さんの家を何とか守ってあげないといけないと心に決めていました。なぜならば、彼らは家庭連合の創始者、文鮮明師が掲げた世界平和実現をめざす統一運動に命をかけてくださった方々です。
ですから、今度は私が教会責任者としてこの教会員の生活と、家という財産を守ってあげる番だと。そう思って、本当は高いところが苦手なのですけど、高い屋根にあがって雨風が入らないよう、ブルーシートをかけました。中には、業者も断った3階建ての屋根の補修作業のときは本当に怖かったです。
信仰生活の中で一番緊張した時だったかもしれません。また、土砂崩れで道路が寸断された信者の家庭に灯油を届ける際には急斜面の崖を下り、護岸を歩き、また昇って運びました。しかし、それは普段から信者の皆さんに助けて下さったことへのお礼です。県内外からたくさんの物資が金沢教会に届けられ、悪路の中を何回も能登まで運んでくださいました。この物資には、本当に心温まる勇気づけられるメッセージが書いてありました。
私が回れなかった信者の家庭には、UPeaceのメンバーたちが1軒1軒全国から届いた物資を届けました。彼らから、ブルーシートの張り方、修理の仕方を手とり足取り教えてもいらいました。
また、私も一般のボランティアにも10数回行かせていただきましたけど、彼らからボランティアに対する姿勢たくさん学び、元気をいただきました。
息子は、中学の発表会で、「この(避難所)生活が嫌いそうになったとき、もっと大変な生活をしている輪島や珠洲の人のことを思い出しました」と話していました。息子なりに成長していくんだなと実感いたしました。
能登地震、続く豪雨災害は大きな試練でしたが、家庭連合の皆さん、家族の協力をいただきながら、乗り越えてこられた、と心から感謝しております。(談) December 12, 2025
そういえば中学の時一度だけ記録的豪雨が来てそれでも学校は休校にならなくて膝下まで雨水が浸水してた事あったな。
学校着いたら皆でグジョグジョの靴下を水道で洗って更衣室で体操着に着替えて皆それぞれいろんなところに靴下干してて面白かったな。自分のやつに付箋つけたりしてた。 December 12, 2025
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