豊臣秀次 トレンド
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2025.12.11
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豊臣秀次に関するポスト数は前日に比べ214%増加しました。男女比は変わらず、前日に変わり30代男性の皆さんからのポストが最も多いです。前日は「静岡県」に関する評判が話題でしたが、本日話題になっているキーワードは「時代」です。
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戦国屈指のモンスターペアレント
『豊臣家の包丁人』の楽屋裏
秀吉の姉に、智という人物がいます。
秀吉よりも3歳ほどの上の女性です。
弥助という人物と結婚し、
豊臣一族である、豊臣秀次、豊臣秀勝、豊臣秀保らのお母さんとなりました。
豊臣秀次は一時期、秀吉の後継者として関白になります。
有力な縁者のいない秀吉にとって、貴重な人材を豊臣家に送り込む存在でした。
ただ、彼女が奇妙なのは、最初の子供の秀次が35歳で出産とかなり高齢出産なんですよね
当時の女性の閉経年齢は今よりずっと早かったともいわれており、
秀次以降に続く子供も36歳46歳と当時としては異例の出産歴です。
で、その彼女なんですがかなり過保護だったようです。
高齢になるまで子に恵まれなかったゆえに仕方なかったかもしれませんが。
特に次男の秀勝が甲斐国の領主になった時です。
これにクレームをつけたのが智でした。
甲斐は遠いから近国の大名にしてあげてといったのです。
凄まじいクレームですが、なんと秀吉はこの願いを聞き届け、岐阜城13万石の領主にしました。
この頃の秀吉はまだ優しかったんですね。
ちなみに、智の次男の豊臣秀勝は、浅井三姉妹の次女の江を娶っています。
後に秀吉は、三姉妹の長女を側室にするので、
秀吉と秀勝は叔父甥であると同時に義理の兄弟ということになります。
気持ち悪いですねーーー笑
しかし、秀長死去後、秀吉の方がモンスターになり、智の息子たちは受難の時代を迎えます。
江を娶った秀勝は朝鮮で病死、秀保は吉野で不審な転落死、そして秀次は殺生関白の汚名を着せられ切腹においやられます。
ただ、智自身は無事で、1625年まで長生きしました。なんと92歳。
ちなみに、秀勝と江の間には娘がおり(智の孫)、江が徳川秀忠の正室となったために、この孫娘は栄達します。関白の九条家に嫁いだのは殺生関白と呼ばれた伯父の秀次のことを考えれば皮肉ですが、その後、孫娘の子孫は帝にも嫁ぎ、帝室の血脈に組み込まれます。
秀吉の母は日輪が腹に宿る夢を見たといいますが、案外、秀吉の出世の予知夢ではなく、姉智の子孫の栄達を暗示していたのかもしれません。
最後に大切なことを書きます
「豊臣家の包丁人」11/12 発売しました
買わなかったら台所焼くぞ
#豊臣兄弟 December 12, 2025
15RP
【12月10日投稿分】 代替わりは、親(トップ) が元気な内に。徳川家康公と秀忠公が、その模範例にて。秀忠公曰く「大名は皆、わしの事を『上様、上様』と呼んでくれておるが、心は皆、駿府(家康公在住の静岡県)に向いておる。その間(親の生存中)に失敗して、叩かれて、徐々に本物(将軍の器)に」と。
今年1月に突然死(中山美穂さんと同じく浴槽内で)された父親(社長、満年齢59歳)の後継をする事になった28歳息子さんが「住職さん、父親の死の哀しみよりも、これからこの会社を後継していかなければならない現実(重圧)に、心が押し潰される思いがして、辛いのですが」と葬式、初七日取り上げ法事の後、拙僧にその胸の内を話してきました。
その息子さんに「今日の会葬者は、何人ほど来られていたね」と尋ねると「500人程だったと思います」と。「そうか、これから君は父親に代わって、その500人を相手にしていかにゃならん。例えば、武田勝頼公だが、才覚のない大将だったという声もあるが、実はそうではない。信玄公亡き後、父親と戦っていた上杉謙信公、織田信長公、徳川家康公などと、やり合わにゃならんかった。豊臣秀次公も父親(豊臣秀吉公)の亡き後、古狸の徳川家康公を相手にせにゃならんかった。普通に考えたら、到底敵うはずがない。あまりにも経験値が違い過ぎる。代替わりの時には、どの分野であれ、この問題は必ず後継者が背負わにゃならん事となる。そんな百戦錬磨と互角に渡り合おうと思ったら、親の右腕、左腕だった人達の助言を、自分が力を付けるまで、素直に受け入れるしかない。つまり、経験豊富な人達の助言に対し、聞く耳を持てるかどうか、それが今後を大きく左右する事になる。『俺は社長だ』という心(意地)を抑える事だ」と、この28歳の息子さんに。
拙僧の話を黙って聞いていた息子さんが「だけど、なんで親父は、こんなに早く逝かなきゃならなかったんだろ。せめてあと10年、70歳まで生きていてくれたら」と。対し拙僧「君のお父さんが、59歳という若さで他界した理由だが、本当のところは拙僧に分かるはずもないが、今日までに1000人以上もの葬式、それ以上の人の『生き死に』に携わってきた拙僧の印象で言わせてもらうならば、人間は病気じゃ死なない。人間は、必ず寿命にて。この世での役目が終わった人から、旅立って逝っている様な気がする。君の父親が早く他界した理由は、君が今後どうなっていく(繁栄、衰退)かで、その答えは違ってくるだろうね。10年後、20年後、30年後に『今、振り返って考えてみると、恐らく親父は、俺を一人前にする為に、早く旅立ってくれたんではないか』という答えが出せるかどうかは、君次第だよ。拙僧もこの経験は、させてもらった人間の1人だよ」と。
【付録】
拙僧はこれまでに法話の本を3冊、世に出して頂きました。そのご縁がきっかけとなり、テレビ(約半年、週1回)、ラジオ、新聞、雑誌などや、教育委員会、学校、幼稚園、病院、老人ホーム、デイサービス、町内会老人の集い、倫理法人会、他宗寺院、葬儀斎場、社員研修などへの講演(北九州在住の拙僧が、遠方では九州南部、関西、関東、北陸、東北まで)にも呼んで頂き、方々で法話交流を。あらゆる話とまでは言えませんが、様々なジャンルである程度(仏教仏事系の他にも、癒し系、漫談系、人生系、目から鱗系、子育て系など)の話が出来ると思いますので、何かのお役に立ちそうでしたら、時間調整の許す限り、集いの大小問わず(参加者数人でも)足を運ばせて頂きますので、お気軽に、facebook、X、Instagram のメール(コメント欄)で、お声を掛けてくださいませ。勿論、この様なお話でいいなら、でございますが。拙僧も今年で63歳。これより先の残された時間を、1人でも多くの人のお役に立てれば、との思いです。『今、自分に出来る事を、今やる』ですね。
約10年間でSNSに投稿した3000話の長短法話を下記で読む事が出来ます。
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拙僧が持つグループ「出会うは運命、出会ってからは努力、最後は感謝」
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【追伸】尚「法話が長い」と不快感を示されておられる方々には、大変心苦しく申し訳ないので、拙僧の法話が目に入らない様に『ブロック』をさせてもらっております。楽しみにされている方々もおられますので、ご理解頂きまして、それでどうか、ご容赦くださいませ。
次回の投稿法話は、12月15日になります。 December 12, 2025
#京都一人旅
#高台寺ライトアップ
高台寺のライトアップを見に東山へ。先斗町を抜けて行こうと思い瑞泉寺の前を…。豊臣秀次の菩提寺、とても悲しい😞悲惨な所以のお寺。ここでは手を合わせずにはいられない…⤵️ https://t.co/xS0RsrEwji December 12, 2025
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