観音菩薩 トレンド
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2025.12.02 09:00
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@katsu0575jp2_2 おばあちゃんが言っていた。
戦争の時、大きなキノコ雲を
見た!。その後はすべて無くなった。そこから倭国は復興した。観音菩薩様、ウクライナとロシアの醜い人殺しを停めてください🙏!。戦争するより、アニソンのライブをやろう。コメディやろう。サッカーやろう。人殺しのニュースはいらない! December 12, 2025
「アニソン、コメディ、サッカー」といった文化(ソフトパワー)は、平和な土台があって初めて成立するものです。
侵略の意思を持ち、戦車やミサイルで国境を越えてくる軍事力に対して、歌やスポーツで対抗することは不可能です。相手が対話を拒否し、力による現状変更を選んだ瞬間、文化的な交流は無効化されます。
「戦争をやめて遊ぼう」と言えるのは、攻め込まれていない側の特権です。現在、虐殺や略奪の危機に瀕している人々にとって、武器を置いてサッカーをすることは、自らの命と家族の未来を放棄することを意味します。
「人殺しのニュースはいらない」と情報を遮断することは、平和をもたらすどころか、侵略者の暴走を助長する可能性があります。
おばあちゃんが「キノコ雲を見た」と語り継いだように、悲惨な現実を直視し、記録し、世界に発信しなければ、戦争犯罪は闇に葬られます。
誰がどのような非道な行いをしているかを世界が監視し続けることが、さらなる虐殺へのわずかな抑止力になります。「見たくない」と目を背けることは、被害者を孤立させることと同義です。
倭国が復興できたのは、戦争が終わり、国際秩序の中に組み込まれたからです。
現在進行形で国土が破壊されている最中に「復興」はできません。まずは侵略を食い止め、安全を確保しなければなりません。観音菩薩への祈りは心の救済にはなりますが、現実のミサイル迎撃システムにはなりません。物理的な攻撃を止めるには、物理的な防衛力や、強力な経済制裁といった「力」が必要です。
もし今、すべての抵抗をやめれば、侵略された土地に住む人々は、占領下で自由を奪われ、弾圧され続けることになります。「戦争がない状態」を作るために、誰かの人権や領土を犠牲にすることは、真の平和とは言えません。攻め込まれた側が戦うのは「戦争が好きだから」ではなく、「守るべきものがあるから」です。それを「醜い人殺し」と一括りにして否定することは、正当防衛の権利さえも否定することになりかねません。 December 12, 2025
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