見取り図 芸能人
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2025.12.02 03:00
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⚫︎ヌーソロジーは面白いよ
ここ30年以上、ヌーソロジーをやってきて、心から面白く感じることは、ヌーソロジーが「世界は外にある」という常識を、いったん裏返してみせるところから始まる点だ。
ふだん僕らは、光が物に当たり、それを目が受け取って“世界が見える”と思っている。でもヌーソロジーはこう問い直す——その「見えている世界」は、本当に外に最初からあったものなのか? もしかすると、僕らが“外界”だと思っている場所は、自己と他者の関係、観測の仕方、意識の構文が織り上げている一種の投影像ではないのか、と。
この発想が刺激的なのは、スピリチュアルのように「なんとなく」で逃げないことだ。ヌーソロジーは、意識をただの気分や心の美談として扱わない。幾何学・群論・量子論などの言語を借りて、意識と世界の結び目を“構造”として描こうとする。
たとえば「自己視点/他者視点の二重構造」から時空が立ち上がる、という見取り図は、世界を「物の集まり」ではなく「関係の生成」として捉え直す強い道具になる。わたしたちが客観だと思い込んできた時空が、むしろ"自他の視線共通化(等化)"の結果として生まれているのだ、といったように。
さらに面白いのは、ヌーソロジーが“難しい理論”に閉じず、体験の側へ戻ってくるところだ。世界の見え方、他者との距離感、時間の流れの感覚——これらが「ただの主観」ではなく、意識の次元構造の中で起きている出来事として扱われる。
だからヌーソロジーは、宇宙論でありながら同時に、日常の認識を作り替える実践でもある。「自分が見ている世界」を、少しずつ高次の視点から見直すことで、他者や社会との関係さえ違って見えてくる。つまり、世界観の転換がそのまま、生き方の転換に接続するのだ。
要するにヌーソロジーとは、意識・時空・物質をばらばらにせず、ひとつの生成の出来事として統一的に捉え直す試みである。科学の言葉を尊重しながら、科学が前提にしてきた「外部世界の自明性」まるまる精神としての問いに戻す。その往復運動が、知的にも感覚的にも、じわじわ効いてくる。
もし君が、量子論の奇妙さ、哲学の難問、あるいは「世界って結局なに?」という素朴な疑問に引っかかっているなら、ヌーソロジーはかなり強烈な“別の思考”を提示してくれるはずだ。ヌーソロジーをやろう。自信を持っておススメする。 December 12, 2025
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