エルサレム トレンド
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2025.12.08 07:00
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彼女は泣きながら夜を過ごす。涙が頬を伝っている。彼女が愛する者たちの中には、慰める者はだれもいない。その友もみな裏切り、彼女の敵となってしまった。
哀歌 1章2節
(質問)
これは当時のエルサレムの人たちがエジプトやエドムに裏切られたことに悲しんでいると言う世相を表しているのでしょうか?
(回答)
ご指摘の通りです。
哀歌1章2節にある「愛する者たち(恋人たち)」や「友」という言葉は、個人的な友人関係ではなく、当時のユダ王国(エルサレム)が頼みにしていた「同盟国」や「近隣諸国」を指す政治的なメタファー(隠喩)として使われています。
具体的にどのような「裏切り」や「孤立」があったのか、歴史的背景を整理します。
1. 「愛する者たち」= エジプト(頼りにならなかった同盟国)
聖書の預言書(エレミヤ書やエゼキエル書)において、神以外の外国勢力に頼ることは、しばしば「姦淫」や「情欲」に例えられました。
したがって、ここで言う「愛する者たち」とは、主にエジプトを指しています。
* 背景:
当時のユダの王ゼデキヤは、バビロンの支配から逃れるためにエジプトと軍事同盟を結びました。
* 結果:
いざバビロン軍がエルサレムを包囲したとき、エジプト軍は一時的に出兵したものの、結局はバビロンを撃退できずに撤退してしまいました。
* 哀歌の意味:
「慰める者はだれもいない」というのは、頼みの綱であったエジプトが助けに来てくれず、エルサレムが見捨てられた絶望感を表しています。
2. 「友もみな裏切り、敵となった」= エドムや周辺諸国
「友」として親交があったはずの近隣諸国が、エルサレムが弱った途端に手のひらを返し、バビロン側についたり、火事場泥棒のように略奪に加わったりしました。
特に象徴的なのがエドムです。
* エドムの裏切り:
エドム人はイスラエル人と同じ先祖(ヤコブの兄エサウの子孫)を持つ「兄弟民族」とされていました。
しかし、エルサレム陥落の際、彼らはバビロン軍に協力し、逃げ惑うユダの人々の退路を断ったり、破壊を喜んだりしました。
* 他の聖書箇所:
この裏切りは当時の人々にとって深いトラウマとなり、詩篇137篇7節では「主よ。エルサレムの日のことを、エドムの子らに思い知らせてください。『破壊せよ、破壊せよ、その基まで』と言った彼らのことを」と激しい呪いの言葉が残されています。
* その他の国:
モアブやアンモンといった周辺国も、かつては外交関係がありましたが、最終的にはバビロン側につき、ユダの滅亡を加速させました。
○まとめ
哀歌の作者(伝統的にはエレミヤとされる)は、この詩を通して以下の痛烈な世相と教訓を描いています。
* 外交政策の破綻:
人間的な同盟(エジプト頼み)は無力であった。
* 隣人の変節:
親しかったはずの国々(エドムなど)は、自分が苦境に立つと非情な敵に変わった。
* 完全な孤独:
政治的にも軍事的にも、地上のどこにも助けはなく、神の前に独りぼっちで立たされている。
したがって、この節は「国際政治の冷酷な現実と、同盟国に見捨てられ、かつての友好的な隣国に背中から刺されたエルサレムの悲惨な状況」を嘆いているものです。(了) December 12, 2025
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