良心の自由 トレンド
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倭国人にできて中国人にできにくいもの、或いは公的な場ではできないものの代表例が、「思ったことを好き勝手言う」「偉そうな奴を当てこする」だとは思うんすよ。
少なくとも、「それが刑法に触れる違法行為である場合」と「名誉毀損を成立させる要件を満たす場合」とかでない限りは。
倭国に於ける「表現の自由」「思想の自由」「主張の自由」とかの根源はここらへん。
倭国国憲法で言うところの、
第十九条 思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。
第二十条 信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。
第二十一条 集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。
とかの。 November 11, 2025
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🔴浜田聡の質問主意書🔴(令和7年2月7日)
📌トランプ大統領の宗教顧問ポーラ・ホワイト牧師が倭国政府による家庭連合への解散命令請求について米国国務省及び国連からの報告書を根拠に反対意見を表明している件に関する質問主意書
トランプ大統領の宗教顧問ポーラ・ホワイト牧師が倭国政府による家庭連合への解散命令請求について米国国務省及び国連からの報告書を根拠に反対意見を表明している件に関する質問主意書
世界日報は2024年12月8日、トランプ大統領の宗教顧問であるポーラ・ホワイト牧師が、国際宗教自由連合(以下「ICRF」という。)倭国委員会の講演会へビデオメッセージを送り、「倭国における信教の自由について、世界中で深刻な懸念を引き起こしている」と訴えた旨報じた。
以下、ビデオメッセージの概要である。
「米国国務省の国際信仰の自由室は、2022年及び2023年の報告書の中で、倭国が世界の著名なリーダーであり偉大な自由民主主義国であるにもかかわらず、現在、宗教の自由を侵害しているという深刻な疑問を示した。
米国国務省の特使を務めるラシャド・フセイン大使と、国際信仰の自由室は、この2022年及び2023年の報告書の倭国に関する部分で、倭国に対する懸念を表明した。
2022年の報告書では、パリを拠点とする国連NGOのCAP―LC(良心の自由のための団体と個人の連携)が一連の声明を国連の自由権規約人権委員会に提出したと述べており、この報告書では、安倍元首相の暗殺以降、旧統一教会(世界平和統一家庭連合。以下「家庭連合」という。)が倭国における不寛容、差別、迫害のキャンペーンの犠牲者になっていると述べている。
家庭連合は、メディアによる否定的な注目の結果、信者が攻撃、暴行、殺害予告を受けたと述べた。
2023年の報告書では、家庭連合が刑法に違反していないにもかかわらず、倭国政府が家庭連合の解散を請求したことは、これまでの規範から逸脱していると述べている。
2024年4月30日、国連は宗教の自由並びに人権に関する報告者を通じて国連勧告を発行し、倭国が署名している国連の人権宣言並びに市民的及び政治的権利に関する国際規約の遵守に関する疑問を呈した。
国連の勧告によれば、倭国政府のガイドラインは、子供に教会に行くよう強く勧める親は児童虐待とみなされる可能性があり、エホバの証人の信者に対する暴力や身体的攻撃、また、家庭連合や他の宗教に対する迫害の直接的な原因となっていると述べている。
また、宗教の自由に関する国連報告者は、マイノリティー宗教に対する宗教の自由の侵害の可能性を調査するために、倭国を訪問したいと倭国政府に公式に要請したが、政府は要請を受け入れていない。同要請が拒否されたことは国連のウェブサイトにも掲載されている。」
なお、前記引用文中「倭国政府のガイドライン」とあるのは、「「宗教の信仰等に関係する児童虐待等への対応に関するQ&A」について(2022年12月27日子発一二二七第一号)」であるものと思料される。
以上を踏まえ、以下質問する。
一 米国国務省の国際信仰の自由室による2022年及び2023年の報告書は確認しているか示されたい。確認していない場合でも、本質問主意書を契機に調査した内容があれば、詳細を示されたい。
また、倭国国憲法第二十条第一項は「信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。」と規定しており、倭国政府による家庭連合に対する解散命令請求は、信教の自由が保障されていることに違反していると思料するが政府の見解を示されたい。
二 ポーラ・ホワイト牧師は、ICRF倭国委員会の講演会へのビデオメッセージにおいて、「宗教の自由に関する国連報告者は、マイノリティー宗教に対する宗教の自由の侵害の可能性を調査するために、倭国を訪問したいと倭国政府に公式に要請したが、政府は要請を受け入れていない。」旨述べているが、政府は承知しているか。承知していない場合、当該報告者による調査を受け入れるか政府の見解を示されたい。 November 11, 2025
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国防という名のもとに 国民の一体感を高めようとする政治的恣意を感じる🙄
閣僚が愛国心だの何だのとナショナリズムを口にするようになったら要注意⚠️
国民には他から干渉されない思想の自由が保障されています
倭国国憲法第19条「思想及び良心の自由は、これを侵してはならない」 https://t.co/jw8WYRifR3 November 11, 2025
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米山先生、私はあなたに同意見です。
フィフィ氏が言う、反日だから、出ていけというのは、まず、反日の定義を教えて欲しいです。まさか、フィフィ氏の意見と異なる人はそれだけで、反日なのか?それだったら、フィフィ氏の考えだけが、正しいと思っているという事で、思い上がりも甚だしい🤔
倭国には、思想良心の自由、表現の自由がありますが、反日は倭国から出てけと言われるなら、それは戦前の非国民と変わらず、戦前、戦争に反対した人を非国民と言い、逮捕してきた戦前の倭国と変わらないと思います。
フィフィ氏の意見は、大変危険なものと思います🤔 November 11, 2025
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対中包囲網がガチで完成間近!🔥
台湾🇹🇼や米国🇺🇸が強力に倭国をサポートし、
中国を追い詰めてるぞ!
でも、本当にヤバいのは国内の不穏分子
(シロアリ🐜)たち。
国際連携のこの絶好のチャンスに、
🇯🇵の国益を邪魔する勢力を今こそ一気に
クリーンナップすべき!✊✨
https://t.co/f2gdCMen5v
#対中包囲網 #日米台 #台湾加油 #倭国の政治
#スパイ活動 #最終戦争 #国際情勢 #クリーンナップ
中国政府による倭国の水産物輸入停止措置や、特定の外交的な発言をきっかけに加熱し始めた日中間の外交駆け引きの現状と、それに対する国際的な対応、さらには倭国国内における「反日左翼」とされる勢力との対立構造について論じています。
1. 対中包囲網の形成と台湾・米国の動き
現在、中国に対する国際的な包囲網が形成されつつある状況が説明されています。
台湾からの支持と連帯中国が倭国の水産物の輸入停止を発表した後、台湾の総統はX(旧Twitter)上で、鹿児島産のブリや北海道産のホタテ、味噌スープなど、倭国のランチをPRしました。これは、2021年に中国が台湾産パイナップルの輸入を禁止した際に、当時の安倍元首相が台湾産品をPRしたことに対する恩返しであり、安倍外交へのリスペクトであると見られています。台湾政府は「新日」の政府であり、倭国との良好な関係性を示しています。 倭国政府のみならず、台湾政府も中国政府に対して遺憾を表明しています。
米国の外交政策の劇的な変化外交筋の間で最も衝撃的だとされているのは、米国政府が1979年の米台断交以来設けられていた、台湾政府との交流制限を解除する方向で動いていることです。 これは、世界ナンバーワンの地位にある米国が、制限を撤廃して交流を深めることは、遠回しに台湾を国家として承認しているようにも見える解釈が成り立つため、極めて重要な事案とされています。 この米国の動きは、台湾独立に向けた最初のきっかけとなる可能性もあるとして、注目度が高まっています。
2. 中国の「本音」と外交カード
中国政府の外交姿勢は、国際的なメンツを保ちたいという意図や、威圧的な言動に現れていると分析されています。
総領事問題とメンツ倭国政府が問題発言をしたとされる中国の総領事を「ペルソナ・ノングラータ」(国外追放)にする段階に入っていることに対し、中国側は水面下で、それだけは勘弁してほしいと交渉を進めているようです。中国政府は、総領事の国外追放となれば、国際的にも国内的にもメンツを保てなくなると考えているからです。 また、中国政府は現在、倭国に対して何らかの経済制裁を加える効果的な方法を持っていないのが実情であると指摘されています。
軍事的な威圧中日大使館は、国連憲章におけるいわゆる「敵国」条項(かつての枢軸国に向けた制約)を暗にちらつかせ、「場合によっては攻め込むよ」とも受け取れるような、軍事的な背景を持った威圧的な声明を出しています。これは、国家間の円滑な外交を結ぶために設置される大使館の役割から逸脱しており、**「愚か」であり、「中国のスパイ活動」**のようであると批判されています。
スパイ活動の脅威フィリピンのバンバン市で市長を務めていたアリス・グオ氏が、中国国籍を偽って選挙に出馬し、後にスパイ活動および人身売買の罪で終身刑を言い渡された事例が挙げられ、スパイ活動が国家にとって甚大な影響を及ぼす犯罪行為であることが強調されています。
3. 反日左翼との「最終戦争」:国内の不穏分子
国内のメディアや政治家、団体の一部が、中国の意図に沿うような行動を取り、倭国の安全保障や世論形成を妨げていることが、国内の「不穏分子」の問題として提起されています。
国内スパイの結託中国との繋がりが深い議員が現地での混乱を引き起こし、大手メディアがそれを煽り、中日総領事が騒ぎ立てるという一連の出来事は、倭国国内に潜り込んだスパイ同士が結託しなければできない事案だと論じられています。
安全保障に関する透明性の要求倭国の国益にならない、自衛隊の運用に関わる具体的な情報(例:米国の巡航ミサイル「トマホーク」をどこに、どれだけ配備するか)の透明な説明を国会で求める行為は、スパイ活動そのものであると強く指摘されています。これは、中国が自国の武器配備の透明性を一切示していない状況と比較されています。
日弁連(倭国弁護士連合会)の問題点日弁連は強制加入団体であるにもかかわらず、死刑制度の廃止、安保法制反対、集団的自衛権の行使反対、いわゆる従軍慰安婦問題に関する特定の政治的立場に基づく意見を声明として発しており、これは極めて多くの一般会員の思想・良心の自由を著しく侵害しています。 また、日弁連の声明が「弁護士全体の総意であるかのように国民に受け取られ」、社会全体をミスリードする原因ともなっています。このため、日弁連が特定政党(例えば共産党)の傘下組織であるかのように受け止めている国民もいるほど、社会の信頼は低下していると述べられています。
国内一掃の必要性現在、倭国と米国が最も良好な関係を築き、様々な国家と利害の一致が見られている状況は、国内の不穏分子を一掃する絶好の機会であるとされています。 今が、特定の政治思想に沿った政治活動を禁止する法案作成などの動きを逃してはならない時であり、倭国に蔓延るおかしな勢力を一掃するのに最も適した政権が現在の高市政権であるとの見解が示されています。国民が議員の政治的発言や行動をサポートすることが、倭国が変わるチャンスに繋がると結論付けられています。
【理解を深めるための比喩】
現在の倭国国内の状況は、家(国家)の中にシロアリ(不穏分子やスパイ)が潜り込んでいる状態に例えられます。外壁(国際情勢、対中包囲網)を補強している最中(台湾や米国との連携)に、家の中の柱(政治、メディア、司法)が内側から食い荒らされているため、外からの脅威だけでなく、内部の脅威も同時に排除しなければ、根本的な安全は確保できない、という状況です。 November 11, 2025
しかし、疑いを抱く人が食べるなら、罪ありとされます。なぜなら、それは信仰から出ていないからです。信仰から出ていないことは、みな罪です。
ローマ14章23節
(質問)
日常生活で信仰から出ていない行動は全て罪だと言うことになりますが、聖書学者たちはどう解釈していますか?
(回答)
「信仰から出ていないことは、みな罪です」という言葉は、文字通りに受け取ると「日常生活のあらゆる些細な行動(歯を磨く、散歩をするなど)も、いちいち神への信仰を意識して行わなければ罪になるのか?」という強迫観念を与えかねません。
しかし、聖書学者たちの多くは、この箇所を「文脈」に照らして解釈しており、日常生活の無意識な行動すべてを断罪しているわけではないと説明しています。
1. 現代の福音派・新約聖書学者の解釈
現代の代表的な注解者たちは、ここで使われている「信仰(ギリシャ語:ピスティス)」という言葉を、一般的な「イエスを救い主と信じる信仰」という意味ではなく、「神の前で自分の行動が正しいと信じる確信(良心)」という意味で解釈しています。
* ダグラス・ムー (Douglas J. Moo)
* 著名な新約聖書学者であり、ローマ書注解の権威です。
* 彼は、ここでの「信仰」は「確信 」を意味すると説きます。
* 解釈:
「自分がしようとしていることが、神の御心にかなっているかどうか確信が持てないまま、疑いながら行うこと」が罪であると言っています。
つまり、「自分の良心に反する行動をとること」が罪だという解釈です。
* C.E.B. クランフィールド (C. E. B. Cranfield)
* イギリスの神学者で、彼もまたローマ書の詳細な注解書で知られます。
* 彼は、この箇所を「キリスト者の自由」の文脈で捉えます。
* 解釈:
ある行動(当時は偶像に捧げられた肉を食べることなど)が良いか悪いか判断がつかない時、「これは間違っているかもしれない」と思いながらそれを強行することは、神に対する誠実さを欠くため罪となると説明しています。
2. 宗教改革者の解釈
プロテスタントの基礎を築いた改革者たちも、この箇所を「良心の自由」と関連付けて解釈しています。
* マルティン・ルター (Martin Luther)
* ルターは「良心」を極めて重要視しました。
* 解釈:
彼は「良心に反する行動は、安全でも正しくもない」と語っています。
ルターにとって、この節は「神が許していると確信できないことを行うのは、神への信頼を欠く行為である」という意味でした。
つまり、日常の些細なことすべてというよりは、「善悪の判断が問われる場面で、良心を無視すること」への警告です。
* ジャン・カルヴァン (John Calvin)
* カルヴァンはこの箇所を解説する際、「動機」に焦点を当てました。
* 解釈:
全ての行動は神への服従から出るべきですが、彼もまた文脈(食べ物の問題)を重視し、「疑いを持ちながら食べる者は、神の賜物を乱用している」としました。確信を持って感謝して受け取るならば、それは罪ではありません。
3. 古代教父の厳格な解釈(参考)
一方で、歴史的にはこの箇所を非常に厳格に、あるいは広義に解釈した神学者もいます。
ご質問にある「日常生活の全行動」に近い解釈です。
* アウグスティヌス (Augustine of Hippo)
* 古代教会の最大の神学者の一人です。
* 解釈:
彼はこの聖句を根拠に、「未信者の行う善行(異教徒の美徳)さえも、真の信仰(神への愛)から出ていない以上、本質的には罪(または悪徳)である」という厳しい立場を取りました。
* ただし、これは「未信者が食事をすることが罪」という意味ではなく、「神の栄光という究極の目的を外れているため、救いにつながる善行とはなり得ない」という神学的な意味合いが強いです。
まとめ:
日常生活への適用
学者たちの解釈を総合すると、この聖句が現代の私たちに語っているメッセージは以下のようになります。
* 文脈は「グレーゾーン」の問題:
この言葉は、聖書が明確に禁じていること(殺人や盗みなど)についてではなく、「してもよいかどうかわからない微妙な問題」について語られたものです。
* 「信仰」=「神の前でのやましさのなさ」:
ここでの「信仰から出ていない」とは、「いちいちお祈りをしていない」という意味ではなく、「これは神様が悲しむかもしれない」という疑い(良心のかしゃく)を感じながら、それを押し切って行うことを指します。
* 結論:
ご飯を食べる、仕事に行く、趣味を楽しむといった日常の行動において、それが「神からの賜物だ」と感謝し、良心にやましさがなければ、それは「信仰による行動」であり、罪ではありません。
「感謝して受けるなら、捨てるものは何一つありません。」(テモテへの手紙第一 4章4節)
という聖書の別の言葉が、このバランスを保っています。(了) November 11, 2025
言論も表現も思想・良心の自由も倭国ほど保障されていなさそうな中華人民共和国のシステムを対立回避のためだけに受け入れる9条信者とか自称護憲派は、倭国国憲法前文を暗唱できるまで読み返すか、護憲派の看板を下ろしてほしい November 11, 2025
それは、正確には権利を癒すでは無く、権利は知性化することを、法律家が知りませんでした。その書籍には、良心の自由への不自由があったのです。心的防衛機制という心理学名称を勘違いしていた可能性では無く、使う権利を精神医学側が、厳格に判断した様子です。それは無知の知にどれほど必然なのか! November 11, 2025
"私たち力のある者たちは、力のない人たちの弱さを担うべきであり、自分を喜ばせるべきではありません。"
ローマ人への手紙 15章1節
ユダヤ人クリスチャンは、力がないとか弱いとか言われてしまっています。ほんとにこういう意味かギリシャ語言語から調べてください。また当時これを聞いたユダヤ人クリスチャンは自分たちのことをどう思ったのでしょうか
ご質問ありがとうございます。非常に鋭い視点です。
結論から申し上げますと、ギリシャ語の意味も確かに「力がない」「不可能である」という言葉が使われています。 しかし、これは「人間としての価値が低い」という意味ではなく、パウロ独特の文脈(信仰における良心の自由さ)での「弱さ」を指しています。
当時のユダヤ人クリスチャンがこれをどう受け止めたかという点も含め、ギリシャ語の分析と歴史的背景から解説します。
1. ギリシャ語での「力のない人」の意味
パウロがここで使っている単語は以下の通りです。
* 力のある者(強者): dynatoi (ドゥナトイ)
* 意味:能力がある、権力がある、可能である。(英語の dynamic の語源)
* 力のない人(弱者): adynatoi (アドゥナトイ)
* 構造:否定の接頭辞「a」+「dynatos(力)」
* 直訳意味:「無力な」「不可能な」「(身体的に)不自由な」
辞書的な意味では、質問者様のご指摘通り「力がない」「弱い」という、かなりネガティブな響きを持つ言葉です。
この文脈における「弱さ」の正体
ローマ書14章からの流れを見ると、ここでの「力がない」とは、**「良心の弱さ(過敏さ)」**を指しています。
* 強い人: 「偶像に捧げた肉を食べても、神への信仰は揺るがない」と確信し、律法の規定から自由になっている人(主に異邦人クリスチャンとパウロ自身)。
* 弱い人(力のない人): 「律法で禁じられた食べ物を食べると、神に対して罪を犯しているようで怖い」と感じ、古い宗教的習慣から抜け出せない人(主にユダヤ人クリスチャン)。
つまり、「信仰が薄い」というよりは、**「(律法からの)自由を行使する力(胆力)がない」**という意味で使われています。
2. 当時のユダヤ人クリスチャンはどう思ったか?
もし私が当時のローマにいるユダヤ人クリスチャンで、この手紙が朗読されるのを聞いたとしたら、最初はかなり心外に思い、プライドが傷ついたと推測されます。その理由は3つあります。
① 「私たちは『敬虔』なのであって、『弱い』のではない!」という反発
ユダヤ人クリスチャンにとって、食べ物の規定(カシュルート)や安息日を守ることは、何千年もの間、命がけで守ってきた「神への忠誠の証」でした。彼らは自分たちを**「律法を忠実に守る、意志の強い者」**だと思っていたはずです。
それをパウロ(同じユダヤ人なのに!)から、「それは強さではなく、良心の弱さ(未熟さ)だ」と断定されたのです。これは彼らのアイデンティティを根底から覆す発言でした。
② 異邦人への劣等感の刺激
当時のローマ教会では、ユダヤ人がローマから追放されていた時期(クラウディウス帝の時代)があったため、異邦人(非ユダヤ人)クリスチャンが多数派となり、実権を握っていました。
「何でも食べる異邦人」が「強者」と呼ばれ、「伝統を守る自分たち」が「弱者」と呼ばれる構図は、少数派に転落していたユダヤ人信徒にとって屈辱的だった可能性があります。
③ しかし、パウロの「結論」に救われる
ここがパウロの巧みなところですが、彼はユダヤ人を「弱い」と呼びつつも、最終的な命令は「強い者(異邦人)」に対して下しています。
> 「力のある者たちは、力のない人たちの弱さを担うべき」
>
パウロは、「強いなら、弱い人たちを切り捨てるな。彼らのペースに合わせろ。自分の自由を誇示して彼らを傷つけるな」と、強者側に我慢と奉仕を命じました。
これを聞いて、ユダヤ人クリスチャンたちは、
「自分たちが『弱い』と言われたのは悔しいが、パウロは私たちの良心と立場を、全力で守ろうとしてくれている」
と感じ、最終的には安堵と、共同体への受容を感じたのではないでしょうか。
まとめ
* ギリシャ語の意味: 確かに「無力な」「不可能な」という強い言葉ですが、ここでは「古い掟から自由になれない良心の弱さ」を指します。
* ユダヤ人の心情: 「伝統を守る敬虔さ」を「弱さ」と言い換えられ、最初はショックを受けたはずです。
* パウロの意図: 強い言葉でレッテルを貼ることで現実を直視させつつ、**「本当に強い者は、相手のために自分の権利を放棄できる者だ(だから異邦人はユダヤ人に配慮せよ)」**と説得し、分裂していた両者を和解させようとしました。
パウロは、「知識としての強さ」よりも「愛による配慮」こそが、キリスト者の本当の「力」であると定義し直したと言えます。(了) November 11, 2025
「極めて多くの一般会員の思想・良心の自由を著しく侵害するものだ」
日弁連は以前より極左発言が多く、犯罪者から金を貰いすぎて正常な判断ができなくなっているのだと考えていたが、まともな人も多いよう
「日弁連の政治活動禁止を」保守党・北村晴男氏、国会初質問で提案 https://t.co/ozirXissPl November 11, 2025
私たち力のある者たちは、力のない人たちの弱さを担うべきであり、自分を喜ばせるべきではありません。
ローマ人への手紙 15章1節
(質問)
ユダヤ人クリスチャンは、力がないとか弱いとか言われてしまっています。
本当にこういう意味かギリシャ語原語から調べてください。
また当時これを聞いたユダヤ人クリスチャンは自分たちのことをどう思ったのでしょうか?
(回答)
非常に鋭い視点です。
結論から申し上げますと、ギリシャ語の意味も確かに「力がない」「不可能である」という言葉が使われています。
しかし、これは「人間としての価値が低い」という意味ではなく、パウロ独特の文脈(信仰における良心の自由さ)での「弱さ」を指しています。
1. ギリシャ語での「力のない人」の意味
パウロがここで使っている単語は以下の通りです。
力のある者(強者): dynatoi (ドゥナトイ)
* 意味:
能力がある、権力がある、可能である。(英語の dynamic の語源)
力のない人(弱者): adynatoi (アドゥナトイ)
* 構造:
否定の接頭辞「a」+「dynatos(力)」
* 直訳意味:
「無力な」「不可能な」「(身体的に)不自由な」
辞書的な意味では、質問者様のご指摘通り「力がない」「弱い」という、かなりネガティブな響きを持つ言葉です。
・この文脈における「弱さ」の正体
ローマ書14章からの流れを見ると、ここでの「力がない」とは、「良心の弱さ(過敏さ)」を指しています。
* 強い人:
「偶像に捧げた肉を食べても、神への信仰は揺るがない」と確信し、律法の規定から自由になっている人(主に異邦人クリスチャンとパウロ自身)。
* 弱い人(力のない人):
「律法で禁じられた食べ物を食べると、神に対して罪を犯しているようで怖い」と感じ、古い宗教的習慣から抜け出せない人(主にユダヤ人クリスチャン)。
つまり、「信仰が薄い」というよりは、「(律法からの)自由を行使する力(胆力)がない」という意味で使われています。
2. 当時のユダヤ人クリスチャンはどう思ったか?
もし私が当時のローマにいるユダヤ人クリスチャンで、この手紙が朗読されるのを聞いたとしたら、最初はかなり心外に思い、プライドが傷ついたと推測されます。
その理由は3つあります。
① 「私たちは『敬虔』なのであって、『弱い』のではない!」という反発
ユダヤ人クリスチャンにとって、食べ物の規定(カシュルート)や安息日を守ることは、何千年もの間、命がけで守ってきた「神への忠誠の証」でした。彼らは自分たちを「律法を忠実に守る、意志の強い者」だと思っていたはずです。
それをパウロ(同じユダヤ人なのに!)から、「それは強さではなく、良心の弱さ(未熟さ)だ」と断定されたのです。これは彼らのアイデンティティを根底から覆す発言でした。
② 異邦人への劣等感の刺激
当時のローマ教会では、ユダヤ人がローマから追放されていた時期(クラウディウス帝の時代)があったため、異邦人(非ユダヤ人)クリスチャンが多数派となり、実権を握っていました。
「何でも食べる異邦人」が「強者」と呼ばれ、「伝統を守る自分たち」が「弱者」と呼ばれる構図は、少数派に転落していたユダヤ人信徒にとって屈辱的だった可能性があります。
③ しかし、パウロの「結論」に救われる
ここがパウロの巧みなところですが、彼はユダヤ人を「弱い」と呼びつつも、最終的な命令は「強い者(異邦人)」に対して下しています。
「力のある者たちは、力のない人たちの弱さを担うべき」
パウロは、「強いなら、弱い人たちを切り捨てるな。彼らのペースに合わせろ。自分の自由を誇示して彼らを傷つけるな」と、強者側に我慢と奉仕を命じました。
これを聞いて、ユダヤ人クリスチャンたちは、
「自分たちが『弱い』と言われたのは悔しいが、パウロは私たちの良心と立場を、全力で守ろうとしてくれている」
と感じ、最終的には安堵と、共同体への受容を感じたのではないでしょうか。
まとめ
* ギリシャ語の意味:
確かに「無力な」「不可能な」という強い言葉ですが、ここでは「古い掟から自由になれない良心の弱さ」を指します。
* ユダヤ人の心情:
「伝統を守る敬虔さ」を「弱さ」と言い換えられ、最初はショックを受けたはずです。
* パウロの意図:
強い言葉でレッテルを貼ることで現実を直視させつつ、「本当に強い者は、相手のために自分の権利を放棄できる者だ(だから異邦人はユダヤ人に配慮せよ)」と説得し、分裂していた両者を和解させようとしました。
パウロは、「知識としての強さ」よりも「愛による配慮」こそが、キリスト者の本当の「力」であると定義し直したと言えます。(了) November 11, 2025
@Sunstock174 @8kinx 3行すらまともに読めないんですか❓
「零細低収入だ‼️」👈🏻違う。反論があるなら証拠をどうぞ😅
「心の中で零細低収入だと思っておく‼️」👈🏻 倭国の憲法『思想・良心の自由』でも保証されているのでご自由に😅 November 11, 2025
@qRizPJYG2sd6pww @kouskk @CE5laVmGT724yUi @kbkpUhMhuKcDzGX @zuP3TfDW8p86933 @takowakatendon 具体的なことには触れてないのは見たらわかるでしょ
その貴方が訊いてるのは内心の部分ですよね
思想良心の自由って知ってます?
公になってる部分は名誉毀損にはなりますが内心の部分は名誉毀損にはなりませんよ
なので、訊くだけムダですよ
あと、名誉毀損を知らないことは既にバレてますよ笑 November 11, 2025
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