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舞鶴引揚記念館
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2025.12.08〜(50週)
:0% :0% ( 30代 / 女性 )
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【あの感動が東京へ!引揚朗読劇2026年に開催決定✨】
昨年、舞鶴市で開催した、引き揚げをテーマにした朗読劇『世界記憶遺産 舞鶴からの⽣還「約束の果て」』が2026年9月に東京で再演されます🎉
舞鶴市にとって大切な「引き揚げの歴史」を多くの人に知っていただく、素晴らしい機会になることを心から期待しています!
東京公演を100倍深く味わうための準備はできていますか?💡
当時の資料や背景を知ることができる「舞鶴引揚記念館」で、物語への理解を深めていただけます!
鑑賞前にぜひ、歴史の舞台となった舞鶴市へお越しください!🌊
東京公演の成功を心よりお祈り申し上げます!🙏
【東京公演】
世界記憶遺産「舞鶴からの生還 約束の果て」(再演)
日程:2026年9月28日(月)・29日(火)
会場:東京国際フォーラム ホールA
※添付のチラシは、2024年舞鶴公演開催時のものです。
🔽詳しくは公式ホームページでご確認ください
https://t.co/Xc0qpprjOo December 12, 2025
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舞鶴引揚記念館です
昨年、今年と舞鶴市で大好評を博した、
引き揚げをテーマにした朗読劇が
2026年 東京で開催決定‼
鑑賞前にぜひ、舞鶴市へ❗️
当時の資料や背景を知ることができる
「舞鶴引揚記念館」で、物語への理解を
深めてみませんか?
#朗読劇 #引揚記念館
#東京 #museum https://t.co/sPgGeZ8Xc4 December 12, 2025
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悠仁殿下の舞鶴引揚記念館御視察ってまだ今年の事なのに
何か物凄く昔のように感じるな
それだけ悠仁殿下のご成長ぶりが早いからかな
やはり成年式が大きいわね https://t.co/i51vQb0dbn December 12, 2025
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ガチで帰国船が魚雷攻撃を受けた事実がないにもかかわらず🤣
>シベリア抑留者の帰国船が魚雷攻撃を受けていた事実はあるか?
いいえ、シベリア抑留者の帰国船(主にソ連のナホトカ港から舞鶴港への引き揚げ船)が魚雷攻撃を受けたという事実は、歴史的な記録や資料には存在しません。
### シベリア抑留者の帰国状況の概要
- シベリア抑留者は、1945年の終戦後から1956年まで、主にソ連側のナホトカ港から倭国の舞鶴港へ帰国船で送還されました。
- 舞鶴引揚記念館などの公式記録によると、346隻の引き揚げ船が舞鶴に到着し、その多くがソ連方面からのものでした。
- これらの船の航行中や到着時に、魚雷攻撃や潜水艦による襲撃を受けた事例は確認されていません。抑留者の苦難は主に抑留中の強制労働や過酷な環境にあり、帰国時の船旅は比較的平穏でした。
### 混同されやすい類似事件
魚雷攻撃を受けた帰国・引き揚げ関連の船として、以下の事件が知られていますが、これらはシベリア抑留者とは直接関係ありません:
- 三船殉難事件(1945年8月22日):樺太(サハリン)からの民間人疎開船(小笠原丸、泰東丸、第二号新興丸)が、ソ連潜水艦(L-12号・L-19号)の魚雷攻撃を受け、小笠原丸と泰東丸が沈没。1,700名以上が犠牲となりました。これは終戦直後のソ連軍の北海道侵攻計画に関連した攻撃です。
- 浮島丸事件(1945年8月24日):朝鮮人労働者を帰還させる船が舞鶴港沖で爆発・沈没(原因は米軍敷設の機雷とされる)。500名以上が死亡しましたが、魚雷攻撃ではなく爆発事故です。
これらの事件は終戦直後の混乱期に発生した悲劇ですが、シベリア抑留者の集団帰国(1940年代後半~1950年代)はこれらとは時期が異なり、魚雷攻撃の記録はありません。抑留者の帰国に関する公式資料(厚生労働省、舞鶴引揚記念館、Wikipediaなど)でも、そうした事実は言及されていません。
もし特定の船名や資料を基にした情報をお持ちでしたら、追加で確認できます。 December 12, 2025
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【舞鶴引揚記念館🕊️視察】
先日、自民党区議団として舞鶴引揚記念館を視察しました。
わたしは舞鶴出身なので、ユネスコ登録のときも署名したし、今年夏帰省した際も、東京から来客があったためご案内しました。
今回は館長さん・元館長さん直々に詳しくお話をお伺いすることができたので、引き揚げの歴史がいつも以上にグッと胸に伝わりました。
① 引き揚げとは?
第二次世界大戦終結後、海外に取り残された約660万人の倭国人が帰国した出来事を「引き揚げ」といいます。
舞鶴港は昭和20年から33年までの13年間、主に旧ソ連、中国から延べ約66万人と約1万6000柱の遺骨を迎え入れた「引き揚げの港」でした。
② シベリア抑留の現実
記念館では、シベリア抑留の過酷な実態が伝えられています。
• 氷点下30度にも及ぶ極寒の環境
• 粗末な衣服と寝床
• 森林伐採や線路敷設などの日常的な重労働
• 飢餓や栄養失調による多数の犠牲
当時の生活資料や現地で作られた品々から「生き抜くことの過酷さと、それでも失われなかった尊厳」を深く学ぶことができます。
倭国にいる家族へ書いたメッセージには、どんな辛い環境でも家族を思う気持ちが書かれており、弱音が記載されていなかったことがとても印象的です。
まさに映画「ラーゲリより愛を込めて」のよう。ぜひこの映画、皆様に見てほしい。
③ 舞鶴市民のおもてなし
舞鶴では、市民が自発的に帰還者を支えました。
お茶や、ふかし芋を振る舞い「おかえりなさい」「ご苦労様」と駅までの道沿い、声をかけていたそうです。
こうした行動は全国的にも特筆され、
「引き揚げの母」「岸壁の母」として語り継がれています。
④ 平和を伝える展示
館内には、タイムトンネル形式の展示、当時の生活資料
収容所を模した実寸台展示、引き揚げ船の模型
などが並び
「戦争は終わっても、苦しみは終わらなかった」
その現実が、伝わってきます。
⑤ ユネスコ世界記憶遺産への登録
2015年、舞鶴引揚記念館が所蔵する引き揚げ関連資料は、
倭国初のユネスコ世界記憶遺産に登録されました。
(他にもユネスコ世界記憶遺産にはアンネフランクの日記なども登録されています。)
背景には、市民・学校・企業などが一体となった
57万筆を超える署名活動があります。
舞鶴の歴史を、世界へと広げた大きな成果です。
⑥ 語り部活動と次世代への継承
体験者が年々減少する中で、記念館では
「次世代が語り継ぐ仕組み」づくりが進められています。
• 語り部育成講座
• 中高生・大学生による学生語り部
• 証言資料の保存・デジタル化
「次世代への継承」から「次世代による継承」へと進んでいる点が、非常に印象的でした。
舞鶴高専の取り組みで、証言動画に音声で問いかけると、証言動画から質問に適した動画を抽出し的した動画を字幕付きで再生するシステムは、目から鱗でした。現在開発を進められているようです。
⑦ 舞鶴市の役割と現在
記念館は2012年から舞鶴市の直営施設となり、
「史実の継承」「平和の発信」「国際交流」を柱に運営されています。
コロナ禍を除き、年間5〜6万人が来館しています。
また、
• ロシア・ナホトカ市との協力
• 旧ソ連抑留地(キルギス)との調査・交流
など、過去を記録するだけでなく、未来につなぐ国際的な取り組みも続けられています。
⑧ 万博・文化芸術との連携
近年は、
• 関西万博(関西パビリオン)への出展
• 学生語り部による展示解説
に加え、
• 劇団四季「異国の丘」
• 音楽劇「君代生きて」
• 映画「ラーゲリより愛を込めて」関連展示
他SnowMan佐久間大介さんらによる朗読劇など文化・芸術・エンタメを通じて記憶を伝える試みも行われています。
今回の視察を通じて、特に印象に残ったのが、舞鶴高専によるデジタル技術を活用した証言継承の取り組みです。
こうした取り組みは、荒川区においても大いに参考になると感じました。
荒川区は本土で最初に空襲を受けた地域であり、尾久初空襲をはじめとする貴重な証言や記録があります。
これらをデジタル化し、将来的にはAI等の技術も活用しながら、より多くの人に、そして次の世代へと伝えていく。
今後新しくなる南千住ふるさと文化館等での展示としても、検討する価値があるのではないかと大きなヒントをいただきました。
また、平和学習の視点からも、荒川区の子どもたちに、
シベリア抑留の歴史や、戦後の厳しい時代を懸命に生き抜いてきた倭国人の姿を知ってもらうことは、とても大切だと感じました。
過去を学び、記憶を未来へつなぐこと。
今回の舞鶴引揚記念館視察で得た学びを、荒川区政にも生かしていきたいと思います。
#舞鶴 #舞鶴市 #舞鶴引揚記念館 #シベリア抑留 #ラーゲリより愛を込めて #snowman #佐久間大介 #二宮和也 #緑川光 #荒川区 #荒川区議会議員 #平和教育 #平和学習 December 12, 2025
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ガチで帰国船が魚雷攻撃を受けた事実がないとは🤣
>シベリア抑留者の帰国船が魚雷攻撃を受けていた事実はあるか?
いいえ、シベリア抑留者の帰国船(主にソ連のナホトカ港から舞鶴港への引き揚げ船)が魚雷攻撃を受けたという事実は、歴史的な記録や資料には存在しません。
### シベリア抑留者の帰国状況の概要
- シベリア抑留者は、1945年の終戦後から1956年まで、主にソ連側のナホトカ港から倭国の舞鶴港へ帰国船で送還されました。
- 舞鶴引揚記念館などの公式記録によると、346隻の引き揚げ船が舞鶴に到着し、その多くがソ連方面からのものでした。
- これらの船の航行中や到着時に、魚雷攻撃や潜水艦による襲撃を受けた事例は確認されていません。抑留者の苦難は主に抑留中の強制労働や過酷な環境にあり、帰国時の船旅は比較的平穏でした。
### 混同されやすい類似事件
魚雷攻撃を受けた帰国・引き揚げ関連の船として、以下の事件が知られていますが、これらはシベリア抑留者とは直接関係ありません:
- 三船殉難事件(1945年8月22日):樺太(サハリン)からの民間人疎開船(小笠原丸、泰東丸、第二号新興丸)が、ソ連潜水艦(L-12号・L-19号)の魚雷攻撃を受け、小笠原丸と泰東丸が沈没。1,700名以上が犠牲となりました。これは終戦直後のソ連軍の北海道侵攻計画に関連した攻撃です。
- 浮島丸事件(1945年8月24日):朝鮮人労働者を帰還させる船が舞鶴港沖で爆発・沈没(原因は米軍敷設の機雷とされる)。500名以上が死亡しましたが、魚雷攻撃ではなく爆発事故です。
これらの事件は終戦直後の混乱期に発生した悲劇ですが、シベリア抑留者の集団帰国(1940年代後半~1950年代)はこれらとは時期が異なり、魚雷攻撃の記録はありません。抑留者の帰国に関する公式資料(厚生労働省、舞鶴引揚記念館、Wikipediaなど)でも、そうした事実は言及されていません。
もし特定の船名や資料を基にした情報をお持ちでしたら、追加で確認できます。 December 12, 2025
7月
『ラーゲリより愛を込めて』を観て、シベリア抑留のことを深く知るために舞鶴引揚記念館へ。
私が久しぶりに胸を打たれた映画『ラーゲリより愛を込めて』。その映画では一切涙を流さず、むしろ「何かしらの形でこの情景を伝えられれば」と感じ、思い切って舞鶴引揚記念館へ。
その時に描いた絵でコンクールで初入選しました。 December 12, 2025
7月
『ラーゲリより愛を込めて』を観て、シベリア抑留のことを深く知るために舞鶴引揚記念館へ。
私が久しぶりに胸を打たれた映画『ラーゲリより愛を込めて』。その映画では一切涙を流さず、むしろ「何かしらの形でこの情景を伝えられれば」と感じ、思い切って舞鶴引揚記念館へ。
その時に描いた絵でコンクールで初入選しました。 December 12, 2025
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