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自然災害
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2025.12.05 14:00
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くしぶち万里さんの言う通り。
激甚災害の多い倭国で、災害対策をNPOやボランティアに任せっきりで、ろくに予算をつけない倭国政府。
専門の公務員も足りず知識も蓄積できていない。
こんな悠長なことでは国が国民を守ることは到底無理ですね。
自然災害には負けても良いと考えているのでしょうか? https://t.co/h9dAqyTEMo December 12, 2025
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日野行介さんと山本太郎さんが明らかにした実施不可能なデタラメ避難計画の方針を共有するウラ会議。
結局は、自助努力でなんとか切り抜けてその場から避難しないように仕向ける屋内退避。
原発事故をまるで自然災害であるかのように扱う無責任さを感じますね。 https://t.co/lfe2sakhfW December 12, 2025
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日蓮は何故、南無妙法蓮華経を唱えることによる唱題成仏を創唱したのでしょうか?
古くて新しい素朴な疑問を考えてみましょう。
日蓮が「南無妙法蓮華経」を唱える、唱題による成仏を創唱した理由は、当時の社会状況や仏教思想の変遷、そして彼自身の深い信仰と法華経への確信に基づいているといえるでしょう。
1 当時の社会背景と仏教の状況
鎌倉時代は、北条幕府内の闘争や政治的混乱が度々起こり、自然災害、飢饉、疫病に悩まされた時期でした。平安時代に隆盛を極めた貴族中心の仏教(特に天台宗や真言宗)は、民衆の苦しみから乖離し、難解な教義や儀式が中心となっていました。一方で、浄土教や禅宗など新しい仏教の流れが生まれ、民衆に分かりやすい救済を説く動きも見られました。
日蓮はこの状況を「末法」の時代と捉え、正しい仏法が失われ、人々が苦しみに沈んでいる原因は、法華経以外の教えが広まったためだと考えました。末法思想は釈迦の教えが衰退し、正法が実践されなくなる時期を指し、日蓮はこの危機的状況を打破するために立ち上がったのではないでしょうか。
2 法華経への絶対的な信仰
日蓮は、比叡山での研鑽・修行を通じて多くの仏教経典を学びましたが、特に『法華経』(正式名称 妙法蓮華経)を仏教の最高の教えと確信しました。法華経は、全ての人が仏性(仏になる可能性)を持ち、悟りに至ることができると説く経典です。日蓮は、法華経こそが末法の時代に人々を救う唯一の正法であると結論づけました。彼は、法華経の教えを具現化する最も直接的で力強い方法として、「南無妙法蓮華経」という題目を唱えることを創唱しました。
「南無」は「帰依する」「信じる」という意味で、「妙法蓮華経」は法華経そのものを指します。題目を唱えることは、法華経への信仰を表明し、その功徳を直接受け取る行為とされました。
3 唱題成仏の思想
日蓮が唱題を重視した理由は、以下の点に集約されます。
・実践の簡易性
法華経は内容が深遠で、全文を読誦(どくじゅ)するのは僧侶でも難しいものでした。しかし、「南無妙法蓮華経」を唱えることは、誰でも実践可能な簡単で直接的な方法です。日蓮は、人々が自ら仏法に触れ、救われる道を開きたかったのです。
・即身成仏の実現
日蓮は、法華経の功徳が唱題によって即座に現れると考えました。唱題は単なる祈りではなく、仏性を開き、現世で成仏(自己の真実に目覚める)へと導く実践です。これを「即身成仏(そくしんじょうぶつ)」と呼び、末法の時代にこそ必要な教えとしました。
・法華経の力の顕現
日蓮にとって、題目は法華経のエッセンスを凝縮したものであり、彼は「法華経の肝心南無妙法蓮華経」と何度も教示しています。題目を唱えることで、法華経に説かれる法界の真理や久遠実成の釈尊の救済力が直接働きかけ、人々を苦しみから解放すると力説しました。
4 他宗批判と正法弘通の使命感
日蓮は法然浄土教の専修念仏(せんじゅねんぶつ)や禅宗の坐禅など、当時広まっていた他の仏教実践よりも、法華経に永遠の仏の真実があると主張しました。特に立教から暫くは法然浄土教の「南無阿弥陀仏」を唱える専修念仏を退け、法華経に基づく「南無妙法蓮華経」こそが正しいとの教説を重ねています。この姿勢は、他宗との対立や迫害を招きましたが、日蓮は自らを「法華経の行者」として、正法を広める使命に燃えていました。彼は『立正安国論』等の著作で、国家の混乱や民衆の苦しみは正しい仏法が広まっていないためだと訴え、唱題による信仰が個人だけでなく社会全体を救うと説きました。
5 迫害と信仰の確信
日蓮は唱題を広める中で、幕府や他宗からの激しい迫害を受けました(伊豆流罪、文永8年の法難・佐渡流罪)。しかし、これらの試練を乗り越える中で、彼は法華経の予言(行者が迫害を受けることが経典に記されている)に自らの人生が符合すると感じ、唱題の正しさをますます確信しました。迫害を耐え抜いた経験が、唱題成仏の思想をより強固なものにしたのです。
日蓮が「南無妙法蓮華経」を唱える唱題成仏を創唱したのは、末法の時代に衆生を救うための最も実践的で力強い方法として、法華経の真理を体現する手段を見出したからではないでしょうか。 彼にとって唱題は、単なる言葉ではなく、法華経の功徳を直接受け取り、現世で成仏を実現する道でした。また、社会の混乱を正し、正法を広める使命感もその背景にあります。この思想は、日蓮法華信仰の基盤となり、現代に至るまで多くの信奉者に受け継がれています。 December 12, 2025
マジレス。竜はあの世界の上位存在でしょう。理不尽な雷撃で人々を虚無っていく。頭を下げ通り過ぎるのを待つしかない。正に自然災害。でも人の力でなんとかしようとした跡が無数の剣槍矢跡でしょうね。空の海を見て、ここはバイストンウェルではと。煉獄であると同時に魂の浄化の場と独りごちました。 https://t.co/n1B7FdESje December 12, 2025
大陸と島国の違いが大きいと考えます。戦争を繰り返してきた負けた国の戦禍を受けた民衆の恨みは侵略した勝った国だけではなく、自国の指導者にも向けられます。独裁者は常に民衆の攻撃を受けない配慮が必要です。倭国ではこれに対して、侵略された経験に乏しく自然災害の被害にはあきらめは起こっても恨みは生じません。とはいえ、なぜ民衆は支配者に従順なのでしょうか。
大陸国家は一般に、限られた資源を奪い合う戦争を繰り返し、勝者に対する敗者の深い恨みを蓄積してきた歴史があります。そのうち欧州は、大航海時代以降、近世になって宗教革命・植民地支配から絶対王政を経て近代の資本主義経済で反映する国民国家を成立させました。そこでは、国民の間に自国の政府を厳しく監視しないと戦争による凄惨な結果を招くという意識が共有されているように思います。
現代における欧州東部でのウクライナ・ロシアの戦争、中東でのイスラエルによるガザでの虐殺行為、現在進行中の戦争は、元々資源争奪から始まった争いが民族宗教における異質性という固定観念に発展し、互いに恨み合うことから起こっています。
大陸国家では、排外主義的な意見も多いなか、それへの批判もあって論争がバランスしています。少なくとも、国家支配層には迎合せず、厳しく監視しないと、自分が悲惨な目に遭うとの観念が共有されているように思います。
この互いに恨み合う固定観念が共有されていることが、国民による各国の政府が互いに騙し合う外交の戦略に基盤として反映されているのではないか、と思うのです。
一方、倭国は島国であって、戦国時代において武力に勝った徳川による徹底した御威光主義に基づいて、国内の紛争発生を最小限に抑える近世を200年以上続けることができました。しかし、御威光の建前とは異なり、農民主体の庶民の生産生活に直接的な利害関係に関しては合意形成が実質的に生み出されたように思われます。幕府や藩は、年貢をスムーズに徴収できる経済に依存していたので、農民の利害対立による紛争調停が支配の必要条件だった、支配者と被支配者の利害が一致しやすかったからです。欧州や中国・朝鮮に比べて、平和な近世を過ごすことができたと言えると思います。
ところが明治政府は、欧州列強の植民地を持つ絶対王政に近い国家をめざしたので、資本主義経済の発展と軍事力増強を優先して庶民の生活保護へのウェートを低下させました。江戸期の御威光主義の根拠は武力だけであって、欧州のキリスト教にあたる国家統合を支える精神的な基盤が乏しかったため、植民地支配を正当化する国家意識を固定観念として植え付けるやめに天皇が位置づけられ、教育勅語に基づく洗脳に近い教育が行われました。ただし、そこには、中国のような欧米列強の支配に屈することにならないように、山縣有朋や伊藤博文の尽力があったことは確かです。
明治期になって以降も、民衆は生産生活に直接的な利害関係に関しては江戸期に続く強い抵抗を維持しましたが、御威光主義に基づいていた支配服従の構造は変化し、間接的な利害関係である植民地支配や経済発展に関しては、天皇に代表される国家と一体化した固定観念を持つに至ったように思います。直接的な利害関係による抵抗の例としては、明治期の足尾鉱毒事件、戦後の蜂の巣城のダム反対運動、三里塚闘争、能登半島地震による過酷事故を防いだ珠洲の原発反対運動などが挙げられます。その一方、戦前の徹底したアジア蔑視による軍事侵略は、間接的利害であるにもかかわらず庶民の固定観念として残りました。先の大戦による空襲・原爆・沖縄地上戦にもかかわらず、米国に恨みを抱かず、中国朝鮮に差別意識を持ち続けた根拠は十分に解明できてはいませんが、おそらく、明治政府の富国強兵教育が戦後も維持されていることの証明になっているように思います。
同じ個人が、直接的利害には抵抗するのに、他方、間接的利害は国家と自分を同一化して排外主義を唱えるという精神構造は、現在でも非常に根強い固定観念を形成しています。高市発言への支持もその延長にあると思われます。自分は貧困なのに意識は貧困を支援しない上から目線の政策に同調する傾向は、雨宮処凛氏も指摘していましたが、倭国では顕著に見られるように思うのです。間接的利害に関しては、指導者に反抗せずに従うのが良いとの固定観念が根強いと思います。
要は、人間に普遍的な固有観念が風土・歴史によってモディファイされた結果として、倭国に特有な、排外主義的な政権との一体感を成立させているので、非常に根強いものと考えなければならないでしょう。おそらく、近い将来、間接的利害関係に関する固定観念である、対東アジア諸国に対する排外主義が膨張し、戦争による惨禍を呼び寄せることは、残念ながら避けられないと予想しています。 December 12, 2025
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