能登半島地震 トレンド
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2025.12.09 04:00
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震度6強…
能登半島地震と同規模との報道も… 津波がまもなく到達するとの情報も。沖合で高い津波を観測。事もあろうか真冬の夜間に。青森県としては過去最大震度とも。冷静かつ迅速な避難は極めて難しいのですが、とにかく高台に逃げるしかない。
青森県八戸市で震度6強 https://t.co/CqBvnogpiP December 12, 2025
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地震びっくりでしたが大丈夫ですか⁉️
こちら2024年1月の能登半島地震の時に撮られた津波の本当の怖さがわかる映像です
皆さんだったら、どう回避する❓
>緊急地震速報 東北地方で震度6強(M7.6)の地震を観測 青森県の太平洋沿岸には3mの津波到達 津波注意報で避難指示
https://t.co/gaVo0I2Dpt December 12, 2025
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こんな真冬の深夜に大地震は勘弁して欲しいと本当に思うが、能登半島地震はよりによって元旦の夕方に起きたんだよな。
倭国列島に生きている限り、いつ何処にいても震災が起きる可能性は常にあるということを思い知る。 December 12, 2025
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#自由民主先出し
📌能登地方の創造的復興へ全力支援
高市総理が石川県能登の被災地を訪問
高市早苗総理は12月7日、総理就任後初となる石川県能登地方を訪問しました。令和6年の能登半島地震・豪雨被害からの復旧・復興に向けた取り組みを自らの目で確かめた高市総理は、能登の活気を取り戻すため、国・県・市が一体となって取り組む決意を示しました。
馳浩知事から要望受ける
高市総理は、能登空港で献花と黙とうを行った後、珠洲市大谷町の土砂災害現場を視察し、同市内の応急仮設住宅を訪れました。午後には輪島市の朝市通りの地震火災現場をした後、穴水町の「あなみずスマイルマルシェ」を訪問し、意見交換を行った。七尾市の和倉温泉の視察も行った高市総理は、馳浩知事から、国と県が一体となった復興に取り組むよう求める要望書を受け取りました。
被災者に励ましの言葉をかけた高市総理は「みんな前向きに、ふるさとのために頑張っている姿を見て、とても感動した。今なお不自由な生活をされている方々を前にして、被災前の活気ある街並みを取り戻すことが国家の責務という思いを強くした」との認識を示しました。
視察後の記者会見で観光産業の復旧や、人材確保に向けた中長期的な取り組みの重要性を指摘。「県・市・町と緊密に連携を取り、被災自治体のニーズに沿った創造的復興を全力で支援する」と約束しました。また、政府与党が進める防災庁の設置についても「発災から復旧・復興までの一貫した政府全体の司令塔機能を担う」として、令和8年度中の設置に向けて次期通常国会での関連法案提出することを改めて強調しました。
#ニュース #購読者募集中
https://t.co/w5QhbpawDS December 12, 2025
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我々は戦争を体験してない。
果たしてそうかな。
東倭国大震災。あれはほとんど戦争に近かったと思う。一万人以上が亡くなり、海岸線に骸がそこかしこに漂着していた。小学校を津波が襲い、子供達まで犠牲になった。
能登半島地震。お元旦に大震災と津波が襲った。家族でのお正月の筈が小さい子供達三人と奥さんの家族四人も土石流に飲まれ旦那さんだけが生き残る。中には親族10人が亡くなったとか。
人の世にはけして癒えない悲しみや痛みがある。時間が経てば経つほど強まる種類の悲しみと苦しみがあると思う。
特に愛する人間を突然奪われた悲しみは計り知れない。ひょっとして、ある日ただいま〜!と帰って来るんじゃないかと思ったりする。
この現代倭国を襲った筆舌に耐え難い悲しみや苦しみ。
これはきっと戦争の痛みに近い。
ほんの80年前に、この悲しみや苦しみを更に上回る大惨禍があった事を私達は絶対に忘れてはいけません。そしてそういった悲しみや苦しみを再び起こさないようにしなくてはなりません。
@takaichi_sanae
@jimin_koho
@baba_ishin
#憲法改悪断固反対
#改憲発議絶対させるな
#緊急事態条項断固絶対反対 December 12, 2025
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能登半島地震のときに役立ったもの
・水
・紙皿
・割り箸
・紙コップ
・アルコール
・ヘルメット
・スマホの充電
・予備バッテリー
・ウェットティッシュ
・寝室に靴と上着を置く
子どもと役立つ☟
・菓子
・ぬりえ
・アニメ
・シール
・ゲーム
・飲むゼリー(食欲落ちる)
・地震ニュースを見過ぎない December 12, 2025
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地震びっくりですが大丈夫でしたか⁉️
こちら能登半島地震で能登町に津波が来て高齢者が間一髪で救助された瞬間の映像です
安全第一に避難してください
>緊急地震速報 東北地方で震度6強(M7.6)の地震を観測 青森県の太平洋沿岸には3mの津波到達 津波注意報で避難指示
https://t.co/8XrH9izVr8 December 12, 2025
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能登半島地震:元日早々極寒の避難
カムチャツカ半島巨大地震:酷暑の避難
今般の地震:寒い中で真夜中の避難
災害発生タイミングなんぞ、人智では分からぬ
阪神・淡路大震災:早朝の大惨事… December 12, 2025
雅子さま、お誕生日おめでとうございます。全文紹介💕
💕皇后陛下お誕生日に際しての御感想(令和7年)です。
今年は、戦後80年という節目の年に当たり、先の大戦において我が国を含む世界の各地で多くの尊い命が失われたことに思いを致しながら過ごしてきました。陛下に御一緒して、4月に硫黄島、6月に広島県を、また、愛子も伴って6月に沖縄県、9月に長崎県、10月に東京都慰霊堂を訪れ、それぞれの地で亡くなられた方々に心から哀悼の意をささげました。
大戦中に戦災に遭われた方々や亡くなられた方々の御遺族、そして、戦争の記憶を語り継ぐ活動をしている方々のお話をそれぞれの地で伺い、多くの方が苦難の道を歩まざるを得なかった歴史を改めて思うとともに、戦中・戦後に多くの人々が経験した悲惨な体験や苦労について、戦争を知らない世代が学び、後世に伝えていくことの大切さを感じました。特に、戦後80年が経過し、戦争を実際に知る世代の方が少なくなってきている中で、これらの方々から直接お話を伺えたことは、愛子も含めて私たちにとってとても有り難いことでした。辛い体験を話して下さった御高齢の方々に心から感謝したいと思います。
これまで、上皇上皇后両陛下からも折に触れて、戦争中の御経験について貴重なお話を伺わせていただいてきましたことに改めて感謝の気持ちを深く致しました。また、私自身の祖父母からも生前に、戦争中の様々な体験を聞いたことを思い出します。終戦から80年といえば、終戦の年に生まれた方がもう80才になられる年であり、あと20年で100年もの月日が経(た)つことになります。この長い年月の間、多くの人々の努力によって我が国に平和が築かれ、守られてきたことを忘れてはならないと思います。
同時に、今後とも永続的に平和を守っていくことの大切さを改めて深く心に刻む年になりました。過去の歴史から謙虚に学び、平和の尊さを忘れず、平和を守るために必要なことを考え、努力していくことが大切なのではないかと感じます。そのためにも、人々がお互いを知り、理解するよう努め、違いも認め合いながら思いやりの気持ちを持って尊重し合い、対話を大事にする、そのような寛容で包摂性のある社会であってほしいと願います。
先の大戦による多くの方々の苦しみを改めて心に刻み、各地で亡くなられた方々や苦難の道を歩まれた方々に、これからも心を寄せていきたいと思います。そして、戦争の記憶が徐々に薄れていくことが心配される今日(こんにち)、当時の写真や映像などの記録や資料が適切に保管・継承され、戦中・戦後の苦難が今後とも語り継いでいかれることを願うとともに、将来にわたる平和と人々の幸せを今後とも祈っていきたいと思います。
世界では、この80年の間も、戦争や紛争により各地で多くの人々が犠牲になり、また、困難を強いられてきました。この1年においても、世界各地での戦争や紛争により、子供を含む多くの人の命が失われ、多くの人が故郷を離れることを余儀なくされていることに深く心が痛みます。暴力や武力などの力に訴えることなく、異なる価値観を尊重して受け入れる寛容な社会と平和な世界を築いていくために、人々が対話を重ね、相手の立場を理解しつつ協力していくこと、そして世界中の人々が手を携えて、平和を築いていくための努力を重ねていくことの大切さを切に感じています。
そのような中にあって、今年はJICA海外協力隊が発足60周年を迎えました。これまでも陛下と御一緒に多くの隊員の皆さんとお話しし、海外での活動に対する思いに触れてきましたが、隊員の皆さんが、長年にわたって草の根レベルで活動を続け、各国の地域社会の発展に貢献しながら、我が国と諸外国との相互理解と親善を深めてきたことを感慨深く思います。
自然災害に目を向けますと、今年も、国の内外の様々な所で地震や大雨、林野火災、台風などの大きな災害が発生したことに胸が痛みました。亡くなられた方々とその御遺族に心から哀悼の意を表するとともに、被災された方々にお見舞いをお伝えいたします。また、今年は全国各地で熊による被害も例年になく多く発生しており、心配しています。気候変動との関係を指摘する声もあり、今後の対策や、野生の生き物との調和のとれた共生のあり方について考えていくことがますます必要になってきていると感じます。
昨年12月には、年初の能登半島地震からの復興途上で豪雨災害に遭った石川県をお見舞いのために訪れましたが、多くの方が、震災や重ねての豪雨災害という度重なる試練に直面されていることに心が痛みました。被災された皆さんが、一日も早く安心して生活できるようになることを心から願っております。
本年1月には、阪神・淡路大震災から30年を迎えました。追悼式典に出席するため、陛下に御一緒して兵庫県を訪れましたが、この30年の間に、非常に大きな困難の中から一歩一歩復興を果たしてきた県民の皆さんの姿に深い感慨を覚えました。
来年は、東倭国大震災の発生から15年、熊本地震の発生から10年の節目の年を迎えます。犠牲となられた方々や、被災され、御苦労を重ねてこられた被災地の皆さんに心を寄せながら過ごしていきたいと思います。また、これまでに発生した災害の経験から得た知識や教訓を世代を越えて語り継ぎ、災害への備えを進めていくことの大切さを感じます。
今年は、コロナ禍(か)以降初めて国賓行事が再開され、倭国・ブラジル外交関係樹立130周年に当たり、3月に国賓としてブラジルのルーラ大統領御夫妻をお迎えし、様々なお話を伺えたことをうれしく思いました。
4月からは2025年倭国国際博覧会(大阪・関西万博)が開催され、陛下と御一緒に、4月の開会式の折と10月の閉会間近の時期に会場を訪れました。開催期間中には多くの人が会場を訪れ、様々な形で「いのち」を尊重しながら持続する未来を共に創り上げていく可能性について考えたり、子供たちが世界の国や人々に出会って理解を深め、未来の社会について考えたりする良い機会になったのではないかと思います。
大阪・関西万博を契機に来日された各国の王室の方々ともお会いし、旧交を温められたこともうれしいことでした。
7月には、陛下と御一緒に、国賓として御招待を頂いたモンゴルを訪問しました。フレルスフ大統領御夫妻には、私たちを大変温かく迎えてくださり、歓迎行事、晩餐(さん)会、ナーダムの開会式や競馬競技などに加え、大統領公邸でも心の込もった素晴(すば)らしいおもてなしを頂いたことに改めて心から御礼を申し上げたいと思います。
モンゴルの国民の皆さんにも温かく迎えていただき、滞在を通して、モンゴルの社会や豊かな歴史・文化に触れることができたことを大変有り難く思いました。また、ホスタイ国立公園を訪れた際には、緑の丘の連なる美しい自然の一端に触れ、倭国からの協力も含むモンゴルの自然の保護について理解を深めるとともに、野生に戻すことに成功した蒙古野馬(タヒ)を丘の上に見ることができたこともうれしく思いました。
倭国とモンゴルとの交流に様々な形で携ってこられた幅広い年代の方々にお会いしてお話しする機会もあり、人々の交流を通じて両国の友好親善関係が深まってきたことや、モンゴルの人々が倭国に対して温かい気持ちを寄せていただいていることを実感し、大変うれしく思いました。
滞在中には、首都ウランバートル郊外の倭国人死亡者慰霊碑を訪れ、現地で亡くなった方々を慰霊し、その御苦労を思いました。ウランバートルの中心部に立つ政府庁舎の建物やオペラ芸術劇場などの立派な建物は、戦後、当地に抑留された倭国の人たちが建設に携わったと伺います。倭国人死亡者慰霊碑では、モンゴルの極寒の地で故郷を思いながら亡くなった方々の苦難や悲しみに思いを馳(は)せながら、花をお供えしました。そして、この慰霊碑がモンゴル赤十字社などの方々によってきれいに維持・管理されてきていることに、深い感謝の念を抱きました。
私たちにとって様々な面で深く心に残る滞在となったモンゴルへの訪問に当たり、準備をしていただいた倭国とモンゴル双方の関係者の皆様の尽力に、心から感謝いたします。
9月には東京2025世界陸上競技選手権大会が開かれ、最終日のリレー競技などを家族で観戦することができました。愛子と私にとっては初めての新しい国立競技場を訪れ、大勢の観客の声援の下で世界各国の選手が熱戦を繰り広げる姿を実際に見ることができ、うれしく思いました。
11月には、デフリンピックの100周年を記念する年に倭国で初めて開催されることとなった、第25回夏季デフリンピック競技大会東京2025の水泳競技を家族で観戦することができました。デフリンピックの競技を観戦するのは初めてでしたが、聴覚に障害のある選手の皆さんの健闘を目の当たりにして、これまでの皆さんの努力の積み重ねを思い、胸が熱くなりました。また、この機会に覚えたほんの片言の手話でも、聴覚に障害のある方々と直接会話できたことに喜びと楽しさを感じました。手話通訳の方々を含め、大会を成功に導かれた関係者の皆さんの尽力にも大きいものがあったことと思います。
そして、この大会を契機として、障害のある方々に対する社会の理解と協力が更に広がり、障害の有無にかかわらず、お互いを尊重し、協力し合う共生社会が形作られていくことを願っています。その意味でも、秋篠宮皇嗣妃殿下や佳子内親王殿下のこれまでの手話への取り組みにも敬意を表したいと思います。
他のうれしいニュースとしては、今年、坂口志文大阪大学特任教授がノーベル生理学・医学賞を、北川進京都大学特別教授がノーベル化学賞を受賞されることとなりました。長年にわたって自らの研究を根気よく続けて来られた業績が世界的にも高く評価されたもので、その功績に敬意を表します。また、米国メジャーリーグの大谷翔平選手が、55本塁打を打つとともに、投手としても本格的に復帰し、3年連続通算4度目のMVPに輝きました。大相撲では、九州場所で安青錦関が初優勝し、祖国ウクライナの戦乱を逃れて倭国にやってきた高校生が、一心に稽古を重ね、倭国の伝統である大相撲で大関まで昇進したことに感銘を受けました。こうした方々が、日々の努力の積み重ねにより、新たな世界を切り開いてこられた姿は、多くの人に勇気と希望を与えてくれたものと思います。
上皇上皇后両陛下には、私たちや愛子を変わらず温かくお見守りいただいていることに感謝を申し上げたいと思います。上皇陛下には、7月に無症候性心筋虚血の治療のために御入院されましたので、天皇陛下を始め、私や愛子も御案じしておりましたが、秋には葉山にもいらっしゃれるようになり、安堵(ど)いたしました。上皇上皇后両陛下には、くれぐれもお体を大切になさり、お健やかにお過ごしになりますよう心よりお祈り申し上げます。
先月末には、常陸宮殿下が卒寿を、そして秋篠宮皇嗣殿下が還暦をお迎えになりましたことを心からお祝いいたします。お二方ともお体を大切に、これからもお元気にお過ごしになりますことをお祈りしております。
9月には、悠仁親王殿下が成年式を立派に挙げられたことを喜ばしく思いました。大学生活も楽しまれている御様子で、これからも充実した学生生活を送られ、成年皇族としても一歩一歩成長していかれることを楽しみにしています。
愛子は、倭国赤十字社の嘱託職員として勤務し、周囲の方々に温かく導いていただきながら社会人としての経験を重ねるとともに、今年は初めて能登半島地震の被災地を訪れたり、防災推進国民大会への出席のために新潟県を訪問したりするなど、公務の幅も少しずつ広がり、一つ一つの公務に心を込めて取り組んでいます。
また、先月には、初めての公式外国訪問としてラオスを訪れ、トンルン国家主席始め政府の方々やラオスの国民の皆さんに大変温かく迎えていただき、ラオスの歴史、伝統、文化や自然にも触れながら、思い出深い滞在をさせていただいたことに深く感謝いたします。今回の愛子の訪問により、私にとりましてもラオスがより身近に感じられるようになりましたが、今後、倭国とラオスの人々の交流により、両国の間の友好の絆(きずな)が更に深まっていくようであればうれしく思います。
皆様には、今回の初めてのラオスへの訪問を温かく見守っていただいたことに感謝いたしますとともに、今後とも愛子を見守っていただけましたら幸いに存じます。
6月に、私たち家族にとって大切な存在であった犬の由莉が亡くなりました。16年間、私たちと一緒に暮らし、沢山の喜びや楽しみを与えてくれた由莉との別れは今でも淋しく感じられますが、生前、多くの方から折に触れて由莉への温かい気持ちを寄せていただいたことや、由莉の長寿を支えていただいた方々に心から感謝しております。昨年の夏には猫のみーも亡くなり、猫のセブンが一頭になってしまったこともあり、動物病院の先生からの御紹介で、保護された生後4ヶ月半程の三毛の子猫を8月に迎えました。家族で相談して「美海(みみ)」と名付け、9才になったセブンと共に、私たちに日々の新たな楽しみを与えてくれています。
誕生日を迎えるに当たり、今年も多くの方に支えていただきながら、無事にこの日を迎えることができましたことに感謝しつつ、日頃より皆様から寄せていただいている温かいお気持ちに対し、改めて心からの御礼をお伝えいたします。
これからも国民の皆様の幸せを祈りながら、できる限りの務めを果たすことができるよう努力していきたいと思います。そして、来年が我が国と世界の人々にとってより良い年となることを願っております。 December 12, 2025
昨日は、陸上自衛隊姫路駐屯地の創立74周年記念行事に出席🏃♂️
能登半島地震では姫路からも多くの隊員が現地で活動され、被災者支援に尽力してくださいました。日頃の訓練と備えに深く敬意と感謝を申し上げます。
自衛隊員の働きやすい環境整備は国の責務です。補正予算案にも待遇改善の取組が盛り込まれており、今後も着実に進めてまいります。
その後、神戸市兵庫区の「新開地冬まつり」へ。就労継続支援B型事業所「エスペランサアート」の皆さんの展示を拝見しました。
公明議員の橋渡しで実現した企画で、地域とつながる機会の大切さを改めて感じました。ありがとうございました。 December 12, 2025
「その時何を思い、決断し、行動してきたか――
能登半島地震・豪雨を体験して」
12月6日、金沢市内で開催された「信教の自由を考える石川フォーラム」で、家庭連合の高村栄一・能登家庭教会長の「能登半島地震・豪雨を体験して」と題する講演は大変、感銘を覚えるものでした。講演を編集・要約したものを下記に掲載します。写真は、高村さんの提供です。―――――――――――――――
能登半島地震とその後の体験を率直にお話します。私には父親、8年間の区域の元役員、そして家庭連合の教会責任者という3つの立場がありました。
地震で私の家は、めちゃくちゃに壊れて住めなくなりました。その後すぐに大津波警報が出ました。近所の方も右往左往して、みなさん元役員の私に聞いてきました。私は、「とにかく逃げましょう。高台かもしくは車に乗って、できるだけ海から遠いとこに行きましょう」と呼びかけました。しかし、皆さんなかなか行動を起こしません。
私は自分から率先してやるしかないと判断。すぐ車に家族を乗せて、安全な場所に着きました。そのとき、近所のあの80代のおばあちゃんは車を持っていない。足も悪い。私は役員だった立場で、何であのおばあちゃんを乗せなかったんだろうか、とものすごい罪悪感に駆られました。
警報が解除されて近くの避難所に行くと、そのおばあちゃんがいて、本当にほっとしました。
次に、教会員の安否確認を教会スタッフが手分けして行いました。その報告が次々に届きましたが、3日経っても連絡が取れない家庭がいくつかありました。
そして3日の夜に、家庭連合ボランティア団体のUPeaceのキャプテンから「明日は輪島に物資を届けるので、同行してくれないか」との電話でした。4日の日に向かいました。
妻も4日朝から職場の病院に行きました。余震が続く中、小学校6年の息子1人だけ避難所に置いておくことができず、一緒に被災地に連れて行きました。輪島に向かう途中から道が寸断されて、荷物を手で運んでいきました。足元の危険な道もあり、まだ小学生の子供をこんな危険な場所に連れてきてよかったのだろうかと率直に思いました。しかし、黙々と歩く息子の姿にただ「ありがとう」という思いだけでした。
以来、日曜日の礼拝以外は作業服で、特に被害の多い輪島、門前、穴水、奥能登の方に毎日のように向かいました。そして、信者さんの家を何とか守ってあげないといけないと心に決めていました。なぜならば、彼らは家庭連合の創始者、文鮮明師が掲げた世界平和実現をめざす統一運動に命をかけてくださった方々です。
ですから、今度は私が教会責任者としてこの教会員の生活と、家という財産を守ってあげる番だと。そう思って、本当は高いところが苦手なのですけど、高い屋根にあがって雨風が入らないよう、ブルーシートをかけました。中には、業者も断った3階建ての屋根の補修作業のときは本当に怖かったです。
信仰生活の中で一番緊張した時だったかもしれません。また、土砂崩れで道路が寸断された信者の家庭に灯油を届ける際には急斜面の崖を下り、護岸を歩き、また昇って運びました。しかし、それは普段から信者の皆さんに助けて下さったことへのお礼です。県内外からたくさんの物資が金沢教会に届けられ、悪路の中を何回も能登まで運んでくださいました。この物資には、本当に心温まる勇気づけられるメッセージが書いてありました。
私が回れなかった信者の家庭には、UPeaceのメンバーたちが1軒1軒全国から届いた物資を届けました。彼らから、ブルーシートの張り方、修理の仕方を手とり足取り教えてもいらいました。
また、私も一般のボランティアにも10数回行かせていただきましたけど、彼らからボランティアに対する姿勢たくさん学び、元気をいただきました。
息子は、中学の発表会で、「この(避難所)生活が嫌いそうになったとき、もっと大変な生活をしている輪島や珠洲の人のことを思い出しました」と話していました。息子なりに成長していくんだなと実感いたしました。
能登地震、続く豪雨災害は大きな試練でしたが、家庭連合の皆さん、家族の協力をいただきながら、乗り越えてこられた、と心から感謝しております。(談) December 12, 2025
2年程度で爪痕が無くなって当然なほど能登半島地震や豪雨災害の被害が軽いと思われてるんかねえ🤔
大災害なら復興に時間がかかるのは当然じゃね?🤔
てからマトモな対応を全然して来なかったって何見て言ってるのか疑問🤔
『終わったこと』には誰もしてないのになあ🤔
今まで何見てきたの、この人?🤔 https://t.co/U4tk9K0Rqn December 12, 2025
✅家族での決め事の1つして覚えておいて欲しい‼️
災害用伝言ダイヤル(171)は、大規模災害(地震、噴火、津波など)が発生した際に、被災地の方々が家族や知人に安否を音声で登録・確認できるNTTのサービスです。
基本的な使い方(電話から)
1. 伝言を登録する
電話で「171」をダイヤル → ガイダンスに従って操作
• 1 を押す → 登録
• 被災地の電話番号(市外局番から)を入力
• 30秒以内の音声メッセージを録音
2. 伝言を聞く
• 2 を押す → 再生
• 登録したであろう相手の電話番号を入力
• メッセージがあれば聞ける
主な電話番号一覧
• 固定電話・公衆電話・携帯電話・PHS・IP電話などから:171
• 一部の光電話からは:0570-171-171(ナビダイヤル、有料)
ウェブ版(web171)
パソコンやスマホのブラウザからも利用可能
URL: https://t.co/8AAltzniVQ
• 音声だけでなくテキストでも登録・確認可能(文字数は100文字まで)
• 災害時以外でも毎月1日・15日、正月三が日、防災週間などに体験利用が可能
いつ使える?
• 大災害が発生した場合、NTTがサービスを開始(自動開始ではない)
• 東倭国大震災、熊本地震、北海道胆振東部地震、令和6年能登半島地震などでは実際に運用されました
• 開始されるとテレビ・ラジオ・緊急速報などで「災害用伝言ダイヤル171がご利用いただけます」と案内されます
覚えておくと便利なポイント
• 登録した伝言は48時間保存(サービス終了まで繰り返し更新される)
• 1つの電話番号につき伝言は20件まで登録可能
• 携帯各社の「災害用伝言板」(docomo/au/SoftBank/Rakuten)とは別サービスですが、併用するとより確実
体験利用日(実際に試せる日)
• 毎月1日 00:00 ~ 翌日1:00
• 毎月15日 00:00 ~ 翌日1:00
• 正月三が日(1月1日00:00~1月3日24:00)
• 防災とボランティア週間に(1月15日~21日)
• 防災週間(8月30日9:00~9月5日17:00)
家族で事前に「171を使う」と決めておくと、いざという時に慌てません。
ぜひ体験利用日に実際に登録・再生してみることをおすすめします! December 12, 2025
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