結婚 トレンド
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2025.12.07 10:00
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🇦🇺イスラム教徒がオーストラリアの先住民族だ!
イスラム教徒はヨーロッパの植民地化よりはるか以前から先住アボリジニと交流し、物々交換や結婚を通じて信頼と敬意に基づく関係を築いてきた。歴史を学んでほしい。
すげー嘘を平気で言いますね⁉️😂 オーストラリアの先住民族(アボリジニとトレス海峡島民)は、イスラム教徒じゃないですよ🤣
いずれ倭国のイスラム教徒も「イスラム教徒が倭国の先住民族だ!」と言い出して、自民党がそれを認めてアイヌの二の舞になる気がしませんか⁉️😩 December 12, 2025
85RP
奥さんをお母さん代わりにしてる男の特徴
・ご飯作ってもらってるんやから、二人分の食事運べ。
・二人揃うまで食べるのは待て。
・作ってもらってるなら皿洗いはやれ。
いつまでも子供を卒業できない奴は結婚する資格なし。 https://t.co/uEIKobsbY2 December 12, 2025
21RP
昔見た仮面ライダーが思い出せない……
・赤いボディーカラーで……
・身体にタイヤが付いてて……
・武器が剣で……
・変身者がイケメンで……
・後日談でヒロインと結婚した仮面ライダーで……
質問すると怒る…… December 12, 2025
13RP
国民年金受給者「地獄ですね。残り一か月で全財産5万円、口座には20円。電気・水道・光熱費を払うと、現在は食料や現金を自分の子供に支援してもらってます。でも本当は子供や孫と旅行に行きたいんです」結婚もして、国にも尽くしてきた年金受給者の生活が苦し過ぎる…
https://t.co/DMAzVXW0Ja December 12, 2025
11RP
🔻紀子さま「殿下と結婚できなければ学者に」
🔻結婚前に旅行同行 美智子さまの配慮で二人きりに
ロクな会話すら出来ないのに何の学者😩
婚前旅行公認さすが試し乗りの…🤢
当時は皇統に絡まない前提だから甘かった…
もう皇族やめませんか?
#上皇家と秋篠宮家不要 https://t.co/d6kEJy76jl December 12, 2025
10RP
娘を失った女科学者が作ったのが結婚モチーフのブライダンとノーワンワールド=娘の晴れ姿が見たかった女の願いから生まれた
っての見て戦慄してる
そういう…ことかぁ…いや辛……
#ゴジュウジャー https://t.co/OOPlQCDSln December 12, 2025
10RP
これを言ってくれる恋愛or婚活アドバイザーさんって珍しい。ずっと女性にお前がメンヘラだ、我慢しろ、男を育てろという論調だった。男性に改善しろと言っても聞かないから。最近やっと(傷つけてくるヤバい人とするくらいなら)結婚しなくてもいいと言い始めた印象。 https://t.co/I1UWSfNL3M December 12, 2025
10RP
【祝】元乃木坂46・松村沙友理「サンジャポ」生出演で結婚報告
https://t.co/7iEDlpxbZ9
爆笑問題から祝福された松村は「おふたりからもご祝儀いただいちゃってうれしいです」と感謝。また、小倉優子から「どうするのかな?このキャラは」と聞かれると「先輩を見習って臨機応変りんごで」と笑わせた。 December 12, 2025
9RP
いやもうやめたれよ。
若者からバカ高い税金・年金・社会保険料をむしり取っておいて的外れな支援するのヤメロって。
好きに使わせてやれよ、金があったら車も時計も買うだろうし趣味でも勉強でもデートでも合コンでもマチアプでも結婚でも勝手にするだろうよ。
若者が自由に使える手取りを増やしてやれよ。 December 12, 2025
8RP
女性は29、男は35までに結婚しないとやばい説。
これ、感情じゃなくて“統計と市場”の話。
女性:29までが“市場価値のピーク”
理由はシンプル。
•20代後半までは出会いの母数が圧倒的
•男性側の“結婚したい年齢”と一致
•バリキャリ化で選択肢が増えるほど逆に迷いがち
→ 気づいたら30超えて“相手が減る”が現実
男性:35までが“選ばれやすさの限界ライン”
•年収が安定してても、35超えると“結婚の本気度”を疑われる
•「独身の理由ってなに?」と相手にリスク判断が始まる
•40代は“モテるけど結婚にはつながりにくいゾーン”に突入
要するに――
•29超えると女性は 選ぶ→選ばれる側にシフト
•35超えると男性は 結婚対象→恋愛止まりにシフト
恋愛は年齢関係なくできるけど、
“結婚市場”は残酷に年齢で切ってくる。 December 12, 2025
8RP
恋愛をすると、女性がモヤモヤしたり不安定になったりする。
でもこれは「感情のコントロールが下手だから」ではありません。
多くの場合、男性側がその原因を作っているからです。
多くの男性は関係が深まるにつれて、“全部を受け入れてもらおう”とする癖があります。
付き合ってるから、結婚してるからといって、
・何を言ってもいい
・何をしてもいい
・自分に合わせてほしい
という甘えを全開にするから“歩み寄り”をしません。
一方、女性の多くは関係を大切にするために、多少のことは目をつぶったり、自分を押し殺して合わせたりします。
女性は「持ちつ持たれつ」でやってるだけなのに、それに気づかない男ほど調子に乗るんですよね。
そして、そこで線引きができないと、相手はさらに調子に乗ります。
“いつか気づいてくれるだろう”という期待は危険です。
多くの男性は、恋愛関係になった瞬間、
「全部出してもいい相手」 と認識してしまうからです。
そもそも歩み寄りという概念がないと思ってください。
だから世の中の恋愛指南は、女性が我慢する前提のものばかりなんですよね。
もちろん恋愛で情緒不安定になりやすい女性もいますが、そうでないなら必要なのは「感情のコントロール」ではありません。
必要なのは、相手が調子に乗ったとき、“はっきり指摘する勇気”。
あなたが崩れてるんじゃなくて、相手がやりすぎているだけです。 December 12, 2025
7RP
馬の蹄を削り蹄鉄を交換する装蹄師よろしく、龍の角を研磨しより美しく整える砥角師となった人間くん。
そんな彼が先輩砥角師からされた最初の指導は『仕事と割り切れ』『業務外のことはするな』『依頼者の邸宅にある調度品、骨董品、家具、雑貨類、あらゆるものに触れるな』『飲食物は勧められても絶対に口にするな。固辞しろ』『依頼者の龍種様とは絶対に私的な会話をするな』『どんなに見事な角でも決して褒めるな』『本名を明かすな』『角以外に触れるな』『執拗に名前を尋ねられるが無視しろ』『削り取った角の破片は一片たりとも衣服に残すな』『名前を絶対に知られるな。身分証、名札の類は携帯するな』『目を見るな』『できれば姿を見られるな』『鏡越しでも油断するな』『研ぎ終わった角を撫でるな』『研ぎの最中も極力撫でるな』『角に優しく触るな』『婚姻を迫られても無視しろ』『財産の半分と世界の半分を与える代わりに結婚を迫られるが無視しろ』『とにかく無視しろ』『子供みたいにめそめそ泣き出すが無視しろ』『可哀想とか思うな。心を読まれる』『邸宅を出るまで油断するな』『邸宅を出た後も“糸”を付けられている』『会話は龍に聞かれている』『陰口はいい。褒めるな。綺麗だとか素敵だとかポジティブな発言をするな』『俺はダメだった』『お前は、きっと立派な研角師に……』という嫌に具体的で偏重著しいものだったが、それらが果たして的確なアドバイスだったのかどうか確かめる術はもうない。
何故なら初仕事の日、依頼者は天の水神と渾名される龍の女神、彼女の私室で、その万年を生きた大樹の枝振りの如く荘厳な角の表層を刃で一撫でした瞬間には「貴方です」の一言で邸宅が完全閉鎖空間に変わり「刃の一撫でで十分」「貴方が私の運命」「私の専属になってください」「します」「私だけの研角師になってください」「します」「旦那様」「続きは、閨で……」という熱っぽい囁きを最後に異様な快楽と甘い匂いと激しい疲労感で目が覚めた頃には龍のお嫁さんができた研角師人間くん。
めでたしめでたし。 December 12, 2025
5RP
200話
“透悟静坐編🚀” 第1話+α
「朝刊の4コマ漫画」のつもりで、日々を綴って200話になった🎉皆様に感謝です
今日はちょっと原点回帰
妻が導かれた36年前、僕は本気で大反対した
好きで好きでたまらなかった女性と結婚できて有頂天だった僕🥰
その妻がこともあろうに「#統一教会」に入ってしまったのだ😱
バラ色の新婚生活は、本棚に置かれた一冊の「原理講論」によって、地獄色になった
罵っても、家を追い出しても、殴っても、教会から救い出すことはできなかった
妻は、人生をかけて探し求めていた「神様」に出会ってしまったからだ
そして
神様を愛するように、隣にいた僕を愛した
僕を見捨てるのでもなく、見下げるのでもなく、
ただただ僕を愛した
いったんは地獄色になった家の中が、時々「居心地よさ」を感じてしまう程になっていった
僕には「み言」のひとつも語らなかった
ただただ愛してくれた
1年後、僕の頑なに凍って漂っていた「氷山」のような心は、水面下ではほとんど溶けてしまっていた
挫けなかった妻がいたから、今の僕がいる
⬇️僕が大反対していた頃の2人
#信教の自由 #僕の見た家庭連合
【過去作はプロフィール画面のハイライトに有】 December 12, 2025
4RP
高市早苗総理が「通称使用」(婚前の氏)の公的使用を全般に認める法案を出した! すると今まで「夫婦同氏は婚前の氏が使えないから社会生活できない」という理由で反対してた左翼野党の皆さんが「婚前の氏を使うなんて許せない」と反対の大合唱。頭おかしいな!
そもそも夫婦別氏って何?解説したい。
まずな、「氏・姓・苗字」という3種類の言葉が今日、ごっちゃ混ぜになっているよな。
でも、明治初期まで全く別の概念だった。
氏→血統をあらわす。生涯不変。
姓→684年に制定。血統の「格」を表す
苗字→所属する家族を表す。婚姻や養子で異動したら変更。
徳川家康っているよな。正式には
源朝臣徳川家康(みなもとの あそみ とくがわ いえやす) という。
源→氏
朝臣→姓
徳川→苗字
ところが明治維新が起きると、そういう長ったらしい名称だと混乱を招く、ということで、「氏と姓」を廃止する法律ができた。
姓尸不称令(せいしふしょうれい 1871年)という。
これで、 初代総理の伊藤博文は正式には
藤原宿禰伊藤博文(ふじわらのすくね) なんじゃが、
姓尸不称令で、「伊藤博文」に短縮されたわけじゃ。
ここから、「氏と姓」が廃止されたので、「苗字」のことを「氏」とか「姓」とかいう言い方が明治以降に始まり、現在に至る。
さて、じゃあ「苗字」って何かというと、
743年に墾田永年私財法が出来て、「土地の私有」が認められるようになった。
しかし、不動産登記制度なんてないからな。
そこで、「土地の名称」を「自分たち家族の名称」にすることで「所有権」を主張した。
こうして、「足利」とか「新田」とか有名どころの苗字が生まれたわけじゃ。
すべて、荒れ地を一族みんなで開墾して、自分たちの私有地にした。なので、その土地の名前を名乗ったわけじゃな。
ここで、注意が必要になる。
「貴族」や「寺社」は、部下や信者を使って耕作したので、「結婚」という行為をしなかった。
こう書くと意味わからないよな。
実はな、結婚すると「相続権」というのが生まれてしまうため、「分割相続」が起きてしまい、土地の面積が少なくなってしまい、権力が減退してしまう。
なので、「彼女」のままじゃったんじゃな。
源頼朝と北条政子っているじゃろ?
源はそもそも「氏」なので苗字ではない。源頼朝は幼少期に流罪にされていたので「土地」をそもそも全く持ってなかった。だから苗字はなかったんじゃな。
そこで、4人の彼女がいた。うち一人が北条政子だった。つまり、結婚してないわけ。
このことは、イケイケで武勲を上げ続けた頼朝の死後、北条政子は頼朝の財産(荘園)を何ももらってないことから証明されとるわけじゃ。
まあ、そもそも「北条政子」という名前自体が、昭和30年代の創作じゃがな。そんな名前は当時存在しなかった。
当時は「お万寿」といった。で、頼朝死後に朝廷から「政子」という名前をもらい、父親の氏であった「平」とあわせて「平政子」と名乗った。
それが戦後、テレビとかで「北条政子」とか適当に言ったのが定着して現代に至るわけじゃ。
さて、貴族は結婚しない、なぜならば分割相続してしまうから、ということはわかったと思う。
田畑のことを当時「名田」(みょうでん)といった。
たくさんの田畑を所有した人を「大名田堵」(だいみょうたと)と呼んだ。
それが「守護大名」「戦国大名」となった。
大名とは「たくさんの名田をもっている人」という意味だな。その名田の名称なので「名字」→「苗字」という。
では庶民は? 結婚した。
なぜならば、田畑を耕すのは貴族とは違い「自分たち」でしなければならなかったからじゃ。
労働力は誰が? 自分と、その妻だな。
なので、妻には夫の死後、相続権があった。ここから「夫婦同氏」が庶民からスタートしたわけじゃ。
昔から倭国人から数百年前の位牌があるが、すべて「夫婦同氏」じゃ。
さて、話を明治時代に戻そう。
江戸時代に、「庶民は苗字を名乗るな」と江戸幕府が決めていたが、それを排して、明治から「誰でも苗字を名乗っていいよ」となった。
平民苗字許可令(1870)じゃ。
さて、ここで一つの問題が起きた。「妾の苗字はどうするの?」というものじゃ。
というのも、倭国は一夫多妻の国だったが、
徳川家宣の御用人、新井白石がな、「妾は妾」という持論を江戸幕府に徹底させていた。
つまり、「妾」から、妻のポジションに昇格することを禁止していたんじゃ。
でも、明治維新で文明開化じゃろ。「妾から妻への昇格禁止」は酷い、ということで、緩和されたが、明治になっても「妾妻の地位身分」をごちゃ混ぜにすることは許されなかった。
そこで、明治政府は
太政官指令明治8年12月8日で、「夫妻は同じ苗字を名乗るべき」(男子の苗字に従うべきこと)と定め、「夫婦同氏」を全国民に徹底し、
太政官指令明治9年3月17日で、「婦女が人に嫁ぐとき」別氏にしろと定めたわけじゃな。婦女とは「妻ではない女=妾」で、「人」とは「夫ではない人=彼氏」ということじゃ。
倭国は、養老律令戸令第5条で「妾」を「戸籍」に載せることが決められていた。我が国最初の戸籍法も妾を「婦」として載せるように第33則で法定していた。
ところが、欧米からすごい批判されてな、明治13年には「妾制度」は廃止され、
妾を戸籍に載せていた「明治5年式戸籍」を廃止して、「明治19年式戸籍」に全国で作り替えたわけじゃ。
これで「妾」は戸籍から抹消され、影の女となった。
明治初期の法令は「妾」と「妻」を明確に区分していてな、
例えば、太政官指令明治9年3月13日では
「妻逃亡スル者ハ処分スベシ」と定めた。
妾はトンズラしても、まあ妾だしフラフラしてもいいよねって感じだったんじゃが、
妻が家から逃げたら処分(処罰)してよいと定め、「妾(婦女)と妻」を明確に分けた用語を使っていたわけじゃ。
徳川家には大奥があって、将軍の子を産んだが、これらの多くの妾たちが「徳川」を名乗るわけないよな。まあ、それと同じ感覚だ。
現在もこの慣習は継続し、「内縁」は夫婦別氏で、相続権無し、というわけじゃ。
ところがな、社民党の福島瑞穂議員が、国会議員として初めて平成初期に、
「明治時代は夫婦別氏だった」と騒ぎ出した。上に書いてある妾の規定を持ち出してな。
それが30年経つと、まるで「明治時代は夫婦別姓」というデマが蔓延した。
明治政府は太政官指令明治8年12月8日で「苗字は男子に従うべきこと」と定めているのにな。
というか、そもそも倭国は「夫婦単位」で「苗字」を決めてないんじゃ。「家単位」なんじゃな。
男と女、それぞれに戸籍がある。
女が男の戸籍に入れば、その戸籍の苗字を名乗る。
男が女の戸籍に入れば、その戸籍の苗字を名乗る。
地球上で、「夫が妻の苗字を名乗る」制度があるのは倭国だけ。
アメリカやイギリスは「必ず夫の苗字」だったので男女平等違反ということで夫婦別氏が導入された。
でも、倭国は夫が妻の苗字を名乗ることもできるから関係ない。
問題なのは中韓じゃ。中韓には「氏」はあるが「苗字」という概念が歴史的に存在しない。なので、倭国の「苗字」という家族単位の名称がよくわからない。
そこで「生まれたときの苗字を変えたくない」という感覚、つまり「苗字と氏姓を取り違えた錯覚」をしているわけじゃ。
苗字は家族単位なので、戸籍が変われば苗字は変わる。
でも、つい苗字は「血統」をあらわすものだと勘違いしてしまうわけだな。そういう言動、よく見るじゃろ?
そこで、中韓から渡来してきた人々は、現在の倭国で「中韓と同じ制度にしろ」という民族運動をやりだした。
これが「夫婦別姓論」なわけじゃ。
「生来の苗字」なんてものは「苗字」にないの。家族単位だから婚姻や養子で変わるの。これが理解できない。中韓に苗字はないから。
いいか。倭国で民族運動したってしょうがないじゃろ。
デマばっかいって。みんな呆れているぞ。
倭国は夫婦が同じ苗字なんじゃ。でも、昔は「氏・姓」は夫婦で違った。
ワシの正式名称は、「橘朝臣橋本琴絵」じゃ。橘が氏、朝臣が姓、これは結婚して変わらん。橋本が苗字。これが結婚や養子で変わる部分。でも、明治初期に廃止された。
余談じゃが、倭国が朝鮮半島を統治したとき「氏の廃止」をした。つまり、朴さんや金さんの「朴」「金」を苗字として扱ったわけじゃ。結婚したら「朴」または「金」で家族は統一した。
これに朝鮮の皆さんは大反発した。「創氏改名反対。妻が同じ名前を名乗るなんてふざけるな!!」
金さんを「金子さん」とかにするのは「裁判所の許可」で創氏とは無関係じゃぞ。創氏とは「夫婦と子供が同じ名前になる」という制度のことじゃ。
まあ、文化が違うわけだな。
問題は、それを認めず、デマとかいったりしていることじゃ。
倭国は夫婦が同じ苗字を名乗る。これまでもこれからも変わらない。 わかってな!
みんなの意見を聞かせてな!
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(速聴(倍速で聞くこと)はボケ防止にいいぞ!ワシの祖父母も毎日していた。ワシは12才から18才まで毎日速聴して予備校にいかず旧帝に現役合格したから頭の筋トレなんじゃ)
ワシの書いた「新大東亜戦争肯定論」は、歴史認識の正常化こそ倭国復活のカギとなる、という考えで6人産み育てる中で一生懸命書いた。 高市早苗政権がこれから進める歴史認識の正常化について、ぜひ読んで倭国人として正しい知識をゲットして頂きたい!
https://t.co/VWbOnrHHax
既に読んだ人も地元図書館にリクエストして応援してな!
写真はコーヒー飲んでるワシじゃ。
「なるほど!」と共感してくれたら「いいね」ではなく「リポスト」して多くの人に伝えてな! December 12, 2025
4RP
すでに倭国中に、別姓家族は存在し、あなたの隣にも暮らしていることを知らない人が「奇異に」感じているのでしょう。
別姓家庭で育った子の座談会も是非ご覧ください。
https://t.co/BltuEPspRz
すでにいるのだと言われても、法的に結婚できないよう排除しようとするのは、差別、偏見の類ですね。 https://t.co/BWRaCWnDSn December 12, 2025
4RP
「惚れた」と「社会適応にとってプラス」が重なりあう体質の人を例外として、大半の人にとって、配偶の相手として最適な人物と恋愛の相手として最高に思える人物って別じゃないですか。 それならもう、配偶や結婚や人生にとって恋愛は要らない子、なんなら足を引っ張る子でしょう? https://t.co/YuzoUG8zoP December 12, 2025
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美男で知られた大韓帝国の王子を、原爆の巻き添えにして殺した倭国。靖国神社は彼を勝手に合祀し、朝鮮王族の魂を今も侮辱し続けている▲
【イ・ウ王子の紹介記事と関連映像】
朝鮮王室は傾きつつある国運を正すため、1897年に国号を「大韓帝国」に変更した。しかし、日増しに激しくなる倭国の帝国主義侵略を国号変更だけで防ぐことはできなかった。結局、1910年の韓日併合条約で大韓帝国の皇室は崩壊した。518年も続いた朝鮮王朝はこのように終わった。
滅びた国の皇族の末路は悲惨だった。大多数は倭国人と望まない政略結婚をしなければならず、時には無念な死を遂げることもあった。
大韓帝国悲運の皇族には高宗の孫で、義親王イ・ガンの息子の李鍝(イ・ウ)もいる。
1912年に生まれたイ・ウは、他の皇族と同様に平坦でない人生を送った。1945年、日帝が敗亡するその年、32歳の若さで悲劇的な最期を迎えた。
「悲運の王子」「朝鮮の最後の皇族」など悲しい修飾語で呼ばれるイ・ウ王子の波乱万丈な人生史を振り返ってみよう。
1. だれでも一度見たら振り返るほどの美男
イ・ウ王子が人々に名前を知られようになったのは、他でもない彼のずば抜けた容貌のためだった。彼の容姿は現在、韓国の有名な美男たちと比べても遜色がないほどだ。
映画「徳恵翁主」ではイケメン俳優のコ・スがイ・ウ王子を演じた。アイドルグループEXOのリーダースホもイ・ウ王子に似ていることで有名だ。
実際、イ・ウ王子のずば抜けた容貌は朝鮮人だけでなく、倭国人の間でも有名だったという噂が伝えられている。
2. 倭国軍人になるため人質に取られる
1926年、旧朝鮮王族は満18歳になると、倭国帝国陸軍や海軍に武官として任官しなければならないという政策が設けられた。
1922年、11歳の若さで倭国に連れて行かれたイ・ウは、1926年4月から倭国陸軍幼年学校に強制的に入学させられた。イ・ウは1929年まで学業を続けた後、同年、倭国陸軍士官学校への進学を強制された。
学校を卒業した後は、砲兵少尉に任官し、東京で砲兵将校として勤めた。太平洋戦争が勃発した後は、各戦線を視察しながら兵士たちを激励する仕事をしたりもした。
3. 倭国人との政略結婚、結局、拒否
大韓帝国の皇族の中で数少ない独立運動家の義親王イ・ガンの息子、イ・ウは父親に似て豪放な気質を持っていたという。
日帝は徳恵翁主や英親王イ・ウンのようにイ・ウ王子を倭国人華族の娘と結婚させようとしたが、イ・ウはこれを拒否した。幼い頃から知っていたパク・ヨンヒョの孫娘パク・チャンジュと急いで結婚してしまったのだ。
民族意識が強かったイ・ウは、倭国人ではなく朝鮮女性と結婚するという意志が強かった。イ・ウが日帝の監視の間にも独立運動団体を助けたという説があるが、真偽はまだ確認されていない。
4. 広島原爆で死亡
日帝は太平洋戦争を始め、イ・ウを中佐に進級させた後、広島で赴任することを命じた。そこは大規模な原子爆弾の被害があった場所だった。イ・ウは自分の運命を直感したのか、急いで除隊申請をするなど戦争に派兵されないためにあらゆる努力をしたが水泡に帰した。
1945年8月6日、イ・ウが赴任して1ヵ月後、米国は広島に原子爆弾を落とした。
赴任地に出勤して被爆したイ・ウは結局、祖国の解放を見ることができず、残念な思いで息を引き取った。
32歳の若い「イケメン王子」イ・ウの人生はこのように虚しく終わってしまった。
5. 家族の同意なしに靖国神社に合祀
イ・ウは悲劇的な最期を迎えたにもかかわらず、結局安らかに眠ることができなかった。倭国が遺族の同意なしに彼を靖国神社に合祀したのだ。
靖国神社側は、イ・ウが死亡当時、倭国国籍だったという理由で英霊として合祀するのが当然だという立場だ。この事実はイ・ウが死亡して62年が過ぎた2007年になってメディアを通じて国内に知らされた。
生前、あれほど故国の懐に帰りたいと言っていた「悲運の王子」イ・ウ王子は、死後も倭国の戦犯たちと共に合祀され、魂さえ故国に戻ってこられずにいる (了) December 12, 2025
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