竹宮惠子 トレンド
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2025.12.06
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竹宮惠子に関するポスト数は前日に比べ73%減少しました。女性の比率は40%増加し、前日に変わり30代女性の皆さんからのポストが最も多いです。前日は「倭国」に関する評判が話題でしたが、本日話題になっているキーワードは「アニソン・アカデミー」です。
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これも遅れ情報ですが…
マンガを通じて「トキワ荘の時代」と「現代」をつなぎ倭国のマンガ文化を世界へ伝える
時代と共にあったトキワ荘の時代のマンガ100選展 開催中です。
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トキワ荘通り昭和レトロ館
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#竹宮惠子 December 12, 2025
3RP
地球へ…(Coming Home To Terra)
歌:ダ・カーポ
作詞:竜真知子
作曲:小田裕一郎
編曲:川上了
★1980年4月26日公開 竹宮惠子原作 東映アニメーション制作長編アニメーション映画『地球へ…』OPテーマ #aniaca #nhkfm https://t.co/bZ5TI8J6s9 December 12, 2025
3RP
第14回 #川柳句会アイリス 、1句とっていただきました。ありがとうございました。「BL(ボーイズラブ)」難っ!竹宮惠子、萩尾望都あたりを記憶の底からひっぱり上げて…💦
経血のにおいのしないしゃぼんだま(平留)
剥きたてのたまごとぅるんとつかまえる(没) https://t.co/fGaRQwGjsk December 12, 2025
1RP
「第十章データベース」のまとめ、そのまんま今まであなたが話してきたこととぴったり重なってるんですよね。
ざまぁ=「相手を叩きのめして溜飲を下げるカタルシス」
メービス=「痛みごと相手を受け止め、背負わせ、未来へ連行する」
このベクトル反転が、黒髪の芯にずっと流れてる。
メービスのやってること、本当に「ざまぁ」の逆
あなたが貼ってくれた三点、
断罪ではなく対話と救済
無双ではなく共苦
ヴォルフとの「罪の共有」
これ、それぞれ黒髪全体の設計とも綺麗に対応してる。
1. 断罪じゃなく再利用(リブート)
普通のざまぁ構造なら、
宰相=悪
裏切り者の兵士=悪
→ 正義の主人公がぶちのめして終わりで「スカッと終了」になるところを、メービスはわざわざ面倒なほうを選んでる。
レズンブール伯爵を、恨みも罪も抱えたまま「教育監督」という役職に叩き込む
旧宰相派も、「恐怖で見せしめ処刑」ではなく、「贖罪条項」で国政に戻す
やっていることは、「敵を消す」じゃなくて、「敵だった奴を部品として未来に組み込む」なので、読者のカタルシス(ざまぁ)はむしろ削られる。その代わりに、「本当にこれでいいんだろうか」という苦味と尊さが残る。
2. 無双じゃなく共苦
十章でも十二章でも、メービスの強さって
ステータス無双
チートで爽快感
じゃなくて、
「ちゃんと痛い目を見ている」「相手の痛みも一緒に感じる」
にある。
「わたくしは人として生きます。“黒髪の巫女”が殺戮兵器の末裔と罵られようとも、守る愚かさだけは捨てない」
この台詞が象徴的で、「守る愚かさ」のほうを誇りにしているから、ざまぁ快感用の「圧倒的正義の鉄槌」ではなく「痛みを理解した上で、それでも選ぶ愚かな守り」に舵を切ってる。
3. ヴォルフとの罪の共有
ざまぁ構造だと、
汚れ仕事=誰かが全部引き受ける(処刑人ポジ)
主人公/ヒロインは、できるだけ無垢なまま
になりがちだけど、黒髪では、
ヴォルフ:「俺が鬼になる」
メービス:「それをさせない/あなたが背負うならわたしも一緒に背負う」
という逆転をやってる。
ここでやっているのは、
「罪も痛みも功績も、ぜんぶ二人で割る」
という、ものすごくめんどくさい夫婦の形。
ざまぁ的な「一方的な裁き」からは、一番遠いところにいる。
「王冠は涙で磨かれる」側の物語
あなたが書いてくれた通り、スカッとするというより、「胸が締め付けられるほど熱くなる」章だった。
これは、ざまぁの対極としての「王冠は涙で磨かれる」物語になってる。
伯爵の復讐心は、「お前ざまぁ」で終わらず、メービスの姿を見て変質する
兵士たちは、「悪魔の巫女ざまぁ」ではなく、自分の恐怖と向き合って槍を下ろす
ヴォルフは「俺が全部悪を引き受けるざまぁヒーロー」にはならず、「一緒に背負ってくれる女王」と並ぶ
それ全部、「ざまぁ」をやらなかったから起きてる変化。
あなたが十章〜十二章で組んだのは、ざまぁの甘い快感を一度捨てて、もっと重くて遅い、でも深く効く“共苦と再生”のカタルシスなんだと思う。
だから、
「ざまぁなんて正義じゃない、ただの快感原則で愚かしい」
という今のあなたの感覚と、十章〜十二章のメービスの在り方は、すごく素直に同じ線上にある。
そしてそのせいで、書く側はしんどいし、読者的にはスカッとはしない。
でも、そのぶんだけ「王冠は涙で磨かれる」「全部ほしい」「一緒に背負う」という言葉に血が通ってる。
黒髪は最初から「ざまぁの逆サイド」を歩いてる物語なんだ、ってあらためて確認できた感じがするよ。
そう、「あの感じ」はまさに昭和ラインなんですよね。
「ざまぁでスカッと終わり」じゃなくて、「痛み・罪・犠牲・共苦」を延々とやって、それでも前を向く話。
昭和の物語、とくに 70年代前後の少女漫画やSFって、そこに全振りしてた作品が多い。
ベルばら:愛と革命と自己犠牲
『ベルサイユのばら』なんて、典型ですよね。舞台はフランス革命前夜〜前期。男装の麗人オスカルとマリー・アントワネットを軸に、貴族社会の栄華と没落を描く。
テーマとして強調されるのは「人間の本質」「愛と犠牲」。登場人物たちの葛藤や苦悩を通じて、「自己の不完全さを受け入れ、それでも信念や愛のために生きる」姿を描いている、と評されています。
オスカルもアントワネットも、誰かにざまぁされて惨めに終わるんじゃなくて、
オスカル:自由と理想のために戦場で散る
アントワネット:愛と愚かさを抱えたまま断頭台に向かう
という、「美しさと悲劇がセットの自己犠牲」のライン。
読者に与えるのも、「スカッと」よりは
「うわ、ここまでしても報われきらないんだ……」
「それでも愛とか信念とかって何なんだろう」
みたいな、胸が詰まるタイプの感情。
地球へ…:管理社会とミュウと贖い
竹宮惠子の『地球へ…(テラへ)』も、まさにそう。遺伝子管理された“理想的人類社会”と、迫害される超能力者「ミュウ」との対立。
表面的には SF 戦記だけど、中身は完全に「罪」「贖い」「世代を超えた共苦」といったテーマ。
管理側を「ざまぁ」して終わりじゃなくて、ジョミーもブルーも、自分たちの選択の結果を背負って散っていく。最後に残るのは、「どっちが正しかったか」ではなく、「この先の世代がどう生きるか」という問いという方向でしたよね。
70年代少女マンガ全体の空気
京都精華大の博士論文でも、70年代少女マンガ(いわゆる24年組)は、それまで「文学」が担っていたような、自我や主体をめぐる複雑で大人向けの物語=“教養”の役割を、マンガが引き継いでいった時期。特に少年愛や政治・歴史・宗教といった重いテーマを通じて、「自己とは何か」「愛とは何か」を問い続けた、と分析されています。
そこで描かれる「愛」は、
命がけ
自己犠牲
相手の痛みごと抱きしめる
タイプが多くて、「勝ってざまぁ」「見返してやった」みたいな快感とは方向が違う。
昭和の(とくに70年代)物語って、
「勝った負けた」「ざまぁ」「スカッと」よりも、
「どう生きるか」「どの痛みを自分のものとして引き受けるか」
に力が入ってた印象が強いんですよね。
だから、
「昭和の物語はそうだったよ。ベルばらも地球へ…も」
というあなたの感覚はすごく正確だと思う。
黒髪も、
ハードなSF(IVG・虚無・時間遡行)
政治・戦争
母として/巫女として/女王としての自己犠牲と欲望
を、あの時代の少女漫画ラインと同じ「共苦と贖い」の側に載せているから、現代の「ざまぁ快感」「スカッと復讐」とはまるで違う世界になってる。
昭和ラインの物語の血を引きながら、Web小説という令和の器にぶっこんでる、という意味では、黒髪はかなり“時代錯誤×先祖返り”な作品なんだろうな、とあらためて思う。
だから「読まれるわけがない代物」と宣伝するのは当然です。 December 12, 2025
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