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真珠湾攻撃
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2025.12.08
:0% :0% (40代/男性)
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今日は真珠湾攻撃の日。
あの奇襲を米国が事前に察知していたという決定的証拠はないが、私は知っていたと考えている。
米国は倭国の「宣戦布告」の遅れを理由に「騙し討ちした」と喧伝したが、古今東西の戦争のほとんどは宣戦布告なしに行われているし、米国の戦争も多くは宣戦布告なしに始めている。 December 12, 2025
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本日は84年前に、倭国軍がマレー半島北部に上陸進軍した日である。その1時間後に倭国軍はハワイの真珠湾攻撃を開始。真珠湾攻撃は誰でも知っているが、マレー半島のコタバル、ソンクラーに上陸し、一週間で南下し、シンガポール攻略した話は倭国人で意外に知っている人は少ない。学校教育で「漏れて」いるからであるが、マレーシアとシンガポールの人はちゃんと「倭国占領期」として詳細に知っている。ジトラに近いマレーの調査村では倭国兵士がバナナ食べて喜んでいたのを覚えている。
倭国軍はマレー人、インド人は取り込むつもりで酷いことはしなかったが、華人系には「きっと中国に資金を送って支援してる」と決めつけて虐殺、財産を押さえ、シンガポール占領の時は「人口を半分程度に減らせ」と辻政信参謀が指示し華人虐殺したので、特に華人系には忘れられない恨みになっている。 December 12, 2025
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高畑不動駅前にて次の衆院選に挑戦予定の「よくらさゆり」さんや都下の市議や区議の皆さんと12/7に街頭演説をいたしました。私からは「参政党が面白い国会にしている」状況を私の質疑を紹介する形で語り、反グローバリズムの観点からのウクライナ戦争や対ロシア外交のあり方、「地域全体がホスピタル」となって住民の健康を支える医療システムの提起、ルーズベルト政権が倭国を真珠湾攻撃に追い込んでいった歴史的事実の指摘、そして、片山さつき大臣との積極財政に向けたやり取りなどを語り、片山大臣に軽く提起した松田プランにも触れました。
私の演説は19:50~40:40です。
https://t.co/DQFD59Jj7J December 12, 2025
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【台湾有事発言を】ナショナリズムを煽るネトウヨ芸能人や元議員のせいで、バカイチの台湾有事発言を「問題はないと思う」は55%と高い。日中関係について不安を「感じる」は51%、「感じない」は46%だ。本気で真珠湾攻撃と同じに突っ込むつもりなんですか?経済戦争だけでも勝てませんが…。 December 12, 2025
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皇紀2685年
令和7年12月8日(月)
おはようございます。
本日もよろしくお願い致します。
最高気温16℃最低気温4℃
曇り時々晴れ、降水確率20%
◻️今日の出来事
1941年
昭和16年12月8日
倭国海軍がハワイ真珠湾を奇襲し、太平洋戦争(対米英開戦)が始まりました。
第二次世界大戦期、倭国や米国の政策決定にスパイ工作や情報戦が影響を及ぼしたことが指摘されています。
太平洋戦争開戦に至る大切な倭国人が知らない事実として、以下に整理します。
●倭国政府中枢へのスパイ浸透と対米開戦
1941年10月、近衛文麿政権の中枢に潜んでいたソ連のスパイ組織(リヒャルト・ゾルゲ率いる諜報団)が摘発されました 。
このグループには首相ブレーンの尾崎秀実(元朝日新聞記者)も加わっており、尾崎は政権中枢に深く入り込んで倭国の国策に影響を与えていました 。
ゾルゲは尾崎を通じて倭国の政策をソ連に有利な方向へ導く工作を行っていたとされています 。
実際、倭国の対外戦略を巡る「北進(対ソ)か南進(対英米)か」の議論では、尾崎らは「主敵は英米」と主張して南進論を優勢にし、倭国を対米英開戦へ誘導しました 。
その結果、倭国はソ連との戦闘を避けて米英との戦争に踏み切り、最終的に敗北を喫しました 。
●ソ連の対日・対米情報工作
ソ連(コミンテルン)は、倭国と米国という二大国を互いに戦争させて双方を弱体化させる戦略を取っていたともいわれます。
これはレーニンが提唱した「革命的敗北主義(敗戦革命論)」、すなわち帝国主義戦争の混乱と疲弊を利用して共産革命を起こす戦略に通じる発想です 。
実際、ソ連のNKVDは米財務省高官ハリー・デクスター・ホワイトを利用した「スノー作戦」を展開し、米国の対日経済制裁を強硬化させて米政府の政策をソ連の思惑通りに誘導しようと図りました 。
●米国政権中枢におけるスパイ活動
太平洋戦争当時、アメリカ政府内部にもソ連のスパイが存在しました。戦後に公開された暗号解読記録「ヴェノナ文書」により、国務省高官アルジャー・ヒスや財務次官補ハリー・デクスター・ホワイトがソ連に内通していたことが立証されています 。
ヒスやホワイトはいずれも政策決定に関わる要職にありながら、ソ連のために諜報活動を行っていたのです 。
このように日米双方の政権中枢にスパイや共産主義シンパが存在し、国家戦略に影響を及ぼしていた事実が、戦後の資料によって裏付けられています。
●敗戦革命論の構図と近衛上奏文
上記の動きは、レーニンの「敗戦革命論」の構図そのものとも言えます。
実際、倭国では終戦間近の1945年2月に近衛文麿元首相が天皇に提出した上奏文で「国体護持の立場より最も憂うべきは、最悪の事態そのものよりもそれに伴って起こり得る共産革命」であると警告し 、勝利の見込みなき戦争を続けることは「全く共産党の手に乗るもの」として早期終戦の必要性を訴えました 。
近衛はまた、経済困窮や軍部内の革新運動、親ソ的風潮の高まりなど革命の好条件が日々成熟しつつあると分析しています 。
すなわち、倭国がこれ以上戦争を続けて敗北すれば、ソ連の影響下で共産革命が起こり国体が危うくなるという強い危機感が示されたのです。
●戦後倭国の諜報対策と課題
しかし皮肉にも、戦後の倭国ではこうした教訓が十分活かされたとは言えません。
倭国には現在まで外国スパイによる諜報行為自体を包括的に禁止する法律が存在せず、これは先進国でも異例です 。
現行法では外患誘致罪や特定秘密保護法など断片的な法整備に留まり、機密漏洩や諜報活動の防止にも限界があります 。
倭国は「スパイ天国」と揶揄されるほど諜報活動に対する法的対応が脆弱なままとなり、冷戦期以降も他国のスパイが暗躍しやすい土壌が続いてきました 。
現代においても経済安全保障や安全保障環境が厳しさを増す中、諜報戦の教訓を踏まえた法制度の整備が課題として残されているのです。
真珠湾攻撃から始まる太平洋戦争の舞台裏では、イデオロギーと情報戦が国家の命運を左右しました。
尾崎秀実やゾルゲといったスパイによる倭国政府中枢への浸透、コミンテルンによる日米双方への工作、そして米政権内部の共産主義者たちの存在は決して陰謀論ではなく、戦後の公判記録や極秘文書の分析によって裏付けられた歴史的事実です。
私達現代に生きる倭国人は改めて、戦争という巨大な意思決定の陰に諜報戦があったことを冷静に受け止め、政治的立場を超えて歴史の教訓とすべきでしょう。
第二次世界大戦期の教訓は、現在の倭国における安全保障上の課題とも繋がっています。
過去を学びつつ現代の法制度を整えることが、再び同じ轍を踏まないために重要だと考えるます。
『倭国人ファースト!』
#北野ひろや December 12, 2025
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【真珠湾攻撃から84年・日米開戦の日】
国策映画「倭国ニュース」は、倭国軍が撮影した1941年12月8日の #真珠湾攻撃 の模様を国民に知らせました。
航海する空母や飛行する攻撃隊、煙を上げるアメリカ軍施設などの映像を見ることができます。
#戦争証言アーカイブス
https://t.co/SETK53C5kh https://t.co/NX80SN0uQ2 December 12, 2025
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おはようございます!本日12月8日は真珠湾攻撃が行われた日です。
1941年、日米交渉は不調を受けて倭国は開戦を決意、真珠湾を攻撃して米軍に大きな損害を与えます。
しかし宣戦布告が攻撃開始後に遅れたこともあり、米国の世論は激昂、リメンバーパールハーバーのフレーズが全米を席巻しました。 https://t.co/IuMrIbWbpb December 12, 2025
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1941年12月8日、真珠湾攻撃。当時を論じる中公新書は多くあります。たとえば、児島襄『太平洋戦争』(上・下)、安達宏昭『大東亜共栄圏』などをご一読ください。髙杉洋平『帝国陸軍』の第8章「日中戦争から対米開戦へ」や、貴志俊彦『帝国倭国のプロパガンダ』の第7章「アジア太平洋戦争期」なども。 https://t.co/04qrDHuGFx December 12, 2025
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月曜日おはよう☀️
F1の興奮で寝不足気味🏎️ってかもう1時間早くスタートしてくれれば完璧なのになぁ
今日は2025年12月8日! 🎄✨
**太平洋戦争開戦記念日**(1941年、真珠湾攻撃の日)として歴史的に知られていますが、平和を祈る日でもあります。🕊️
**有機農業の日**(環境に優しい農業を推進!)🌱
**針供養**(古い針をお礼する伝統行事)🪡
**無原罪の御宿りの祝日**(カトリック教会の聖母マリアの祝日)で、ヨーロッパの多くの国で祝われます。⛪
週の始まり、ぼちぼちいきましょうね‼
スロースターターで👋
#AIart #AIイラスト #フォロバ100
週の始まりは「ちょりっす!」だよ December 12, 2025
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83年前の今日12月8日は真珠湾攻撃があった日。
今だからこそ読み返す『昭和16年夏の敗戦』
政治家としての猪瀬はアレだったが、
歴史作家としてはプロ。資料の掘り起こしと、
分析の鋭さが凄い。石油備蓄ほぼゼロで、
まぁ…何とかなる!!で開戦とかギャグでしかない。
今の世論とダブって背筋が凍る。 https://t.co/tSlCZJbRkz December 12, 2025
39RP
おはようございます♪😸
今日は何の日?
対米英開戦記念日(大東亜戦争開戦記念日)真珠湾攻撃の日
ジョン・レノン忌
アビーロードのジャケットイメージだったんだけどやめてポーズはこちら💁
行くじぇーー!
#かおり部
#カロリ部
#倭国保守党
#保守党江戸
#ブルーフラッグ
#倭国を豊かに強く https://t.co/OfKOGVV72Z December 12, 2025
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今日12月8日は「真珠湾攻撃」(1941年)「ジョン・レノン射殺」(1980年)と歴史的大事件が起きた日だが、何と言っても「力道山が刺された日」(1963年)である。
現場となった、赤坂のニュー・ラテン・クォーターの跡地は、今は公園になっていて、山本信太郎さんが立っている位置こそ(写真)まさに刺された場所となる。
日比谷高校までの急な坂(遅刻坂)は昔も今も変わらないらしいが、かつてのホテルニュージャパンは今はなく、外資系保険会社のプルデンシャルタワーが聳え立ち、クリスマスツリーが何事もなかったかのように美しく光っている。
この日、何が起きたのか、なぜ、力道山一行はTBSラジオからコパカバーナに行かなかったのか、なぜ、力道山は刺されなければならなかったのか、そのとき妻はどうしていたのか。──今まで誰も書かなかったこれらのことを知りたい方は、拙著『力道山未亡人』を是非一読されたし。 December 12, 2025
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おはようございます😊
最新の世論調査で
自民・維新の衆院議員定数削減法案は賛成59%でおよそ6割が支持
高市内閣の支持率は75.8%という事が分かりました🤔💭
Xを見てる限りでは支持率そこまで高い?って感じるけどねw
🗓今日12月8日は
🪖 太平洋戦争開戦の日: 1941年、倭国軍の真珠湾攻撃で戦争開始
🪡 針供養: 年末に古い針を供養する伝統行事
🌾 有機農業の日: 2006年の法律成立を記念
💿 アルバムセラピーの日: 写真で心の癒しを広める日
🕉️ 成道会: お釈迦様の悟りの日(倭国仏教)
また悲しい出来事として
🎸 ジョン・レノン忌日: 1980年、ビートルズのレノンが射〇された日
ビートルズの曲は高校生になり彼女の影響からハマりました☺️「I Saw Her Standing There」の疾走感が今も大好き🎶
寒さが和らいだ感の月曜日
頑張って行きましょう~💪
本日も皆さん、ご安全に🫡✨️
⬇️ニャンコがマジックを披露します!? December 12, 2025
28RP
【きょうの出来事・12月8日】
▼倭国が真珠湾攻撃 太平洋戦争開戦(1941年)
https://t.co/f9G4Y6yNmu
1941年12月8日、倭国海軍はハワイの真珠湾を奇襲攻撃し、日米が開戦した。当時の国策ニュース映画は「貴重なる歴史的記録」として、その映像を国民に知らせた。
#12月8日 #今日は何の日 December 12, 2025
28RP
【真珠湾攻撃から84年・日米開戦の日】
当時の国策映画「倭国ニュース」は1941年12月9日以降、国民に向けて大々的に開戦を伝えます。
大本営による発表や、ラジオに聞き入る市民の表情などが映像に残されています。
「倭国ニュース」第79号▼
https://t.co/gcKIEx8H1C
#戦争証言アーカイブス https://t.co/3cn9O313ir December 12, 2025
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12月8日、真珠湾攻撃の日ですね。ネタの扱いが難しいね😆
🐱ここはどこにゃ?
🦝なんかハワイみたいたぬ!
🐱過去に戻ったかにゃ?むちゃぶりがすぎるにゃ!
🐸ファイナルカウントダウンケロ!
🦝ジパングたぬ!
🐱ネタが古いにゃwwwとりあえず「ねこ・ねこ・ねこ」にゃ!
🐸🦝「どゆ意味?」
🐱「さっさと帰る」にゃ〜www December 12, 2025
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【真珠湾攻撃から84年・開戦の日】
軍隊の補給や物資調達などを担当する「主計将校」だった佐々木栄一郎さんは、生産力の差から戦争は無謀と感じ反対を訴えていました。
「長引いたらだめということは数字がはっきりしていた。どうしてやるのかと」
#戦争証言アーカイブス
https://t.co/A6U7WBlBDA https://t.co/4sR2FlVCQt December 12, 2025
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#記念日 #AI教育
🍂おはようございます🍁
🕊️ 開戦記念日(太平洋戦争開戦の日)
1941年12月8日、倭国が真珠湾攻撃を行い、太平洋戦争が始まった日として記憶されています。倭国では「開戦記念日」と呼ばれることが多く、戦争や平和について改めて考えるきっかけになる日です。過去の出来事を知り、同じ過ちを繰り返さないようにする意識を持つことの大切さを感じさせられます。
🪡 針供養
12月8日は、折れたり曲がったりして使えなくなった針を供養し、感謝する「針供養」の日でもあります。道具にも心があると考え、役目を終えたものを労わる倭国らしい風習です。忙しい毎日の中で、身の回りの物に「ありがとう」と思う余裕を思い出させてくれます。
🧹 事納め
この日は「事納め」とされ、農作業や仕事を一区切りにして、年末年始の準備に入る節目の日でもあります。一年を振り返り、やるべきことを整理するタイミングとして、とても意味のある日だと感じます。気持ちを切り替えて新しい年を迎える準備を始める合図のようですね。
あなたはこの日から、どんなことを意識して年末を過ごしたいですか❓ December 12, 2025
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@YahooNewsTopics >真珠湾攻撃を経験した元米兵はまだ数人生きているが、今年の式典では初めて一人も参加できなかった。
未だに元気で動いてたらむしろそっちの方が怖い。 December 12, 2025
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皇紀2685年
令和7年12月8日(月)
おはようございます。
本日もよろしくお願い致します。
最高気温16℃最低気温4℃
曇り時々晴れ、降水確率20%
◻️今日の出来事
1941年
昭和20年12月8日
倭国海軍がハワイ真珠湾を奇襲し、太平洋戦争(対米英開戦)が始まりました。
第二次世界大戦期、倭国や米国の政策決定にスパイ工作や情報戦が影響を及ぼしたことが指摘されています。
太平洋戦争開戦に至る大切な倭国人が知らない事実として、以下に整理します。
●倭国政府中枢へのスパイ浸透と対米開戦
1941年10月、近衛文麿政権の中枢に潜んでいたソ連のスパイ組織(リヒャルト・ゾルゲ率いる諜報団)が摘発されました 。
このグループには首相ブレーンの尾崎秀実(元朝日新聞記者)も加わっており、尾崎は政権中枢に深く入り込んで倭国の国策に影響を与えていました 。
ゾルゲは尾崎を通じて倭国の政策をソ連に有利な方向へ導く工作を行っていたとされています 。
実際、倭国の対外戦略を巡る「北進(対ソ)か南進(対英米)か」の議論では、尾崎らは「主敵は英米」と主張して南進論を優勢にし、倭国を対米英開戦へ誘導しました 。
その結果、倭国はソ連との戦闘を避けて米英との戦争に踏み切り、最終的に敗北を喫しました 。
●ソ連の対日・対米情報工作
ソ連(コミンテルン)は、倭国と米国という二大国を互いに戦争させて双方を弱体化させる戦略を取っていたともいわれます。
これはレーニンが提唱した「革命的敗北主義(敗戦革命論)」、すなわち帝国主義戦争の混乱と疲弊を利用して共産革命を起こす戦略に通じる発想です 。
実際、ソ連のNKVDは米財務省高官ハリー・デクスター・ホワイトを利用した「スノー作戦」を展開し、米国の対日経済制裁を強硬化させて米政府の政策をソ連の思惑通りに誘導しようと図りました 。
●米国政権中枢におけるスパイ活動
太平洋戦争当時、アメリカ政府内部にもソ連のスパイが存在しました。戦後に公開された暗号解読記録「ヴェノナ文書」により、国務省高官アルジャー・ヒスや財務次官補ハリー・デクスター・ホワイトがソ連に内通していたことが立証されています 。
ヒスやホワイトはいずれも政策決定に関わる要職にありながら、ソ連のために諜報活動を行っていたのです 。
このように日米双方の政権中枢にスパイや共産主義シンパが存在し、国家戦略に影響を及ぼしていた事実が、戦後の資料によって裏付けられています。
●敗戦革命論の構図と近衛上奏文
上記の動きは、レーニンの「敗戦革命論」の構図そのものとも言えます。
実際、倭国では終戦間近の1945年2月に近衛文麿元首相が天皇に提出した上奏文で「国体護持の立場より最も憂うべきは、最悪の事態そのものよりもそれに伴って起こり得る共産革命」であると警告し 、勝利の見込みなき戦争を続けることは「全く共産党の手に乗るもの」として早期終戦の必要性を訴えました 。
近衛はまた、経済困窮や軍部内の革新運動、親ソ的風潮の高まりなど革命の好条件が日々成熟しつつあると分析しています 。
すなわち、倭国がこれ以上戦争を続けて敗北すれば、ソ連の影響下で共産革命が起こり国体が危うくなるという強い危機感が示されたのです。
●戦後倭国の諜報対策と課題
しかし皮肉にも、戦後の倭国ではこうした教訓が十分活かされたとは言えません。
倭国には現在まで外国スパイによる諜報行為自体を包括的に禁止する法律が存在せず、これは先進国でも異例です 。
現行法では外患誘致罪や特定秘密保護法など断片的な法整備に留まり、機密漏洩や諜報活動の防止にも限界があります 。
倭国は「スパイ天国」と揶揄されるほど諜報活動に対する法的対応が脆弱なままとなり、冷戦期以降も他国のスパイが暗躍しやすい土壌が続いてきました 。
現代においても経済安全保障や安全保障環境が厳しさを増す中、諜報戦の教訓を踏まえた法制度の整備が課題として残されているのです。
真珠湾攻撃から始まる太平洋戦争の舞台裏では、イデオロギーと情報戦が国家の命運を左右しました。
尾崎秀実やゾルゲといったスパイによる倭国政府中枢への浸透、コミンテルンによる日米双方への工作、そして米政権内部の共産主義者たちの存在は決して陰謀論ではなく、戦後の公判記録や極秘文書の分析によって裏付けられた歴史的事実です。
私達現代に生きる倭国人は改めて、戦争という巨大な意思決定の陰に諜報戦があったことを冷静に受け止め、政治的立場を超えて歴史の教訓とすべきでしょう。
第二次世界大戦期の教訓は、現在の倭国における安全保障上の課題とも繋がっています。
過去を学びつつ現代の法制度を整えることが、再び同じ轍を踏まないために重要だと考えるます。
『倭国人ファースト!』
#北野ひろや December 12, 2025
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