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2025.12.07 02:00
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荒井由実さん(松任谷由実)の「翳りゆく部屋」は、彼女の「荒井由実」名義で発表された最後のシングルであり、その後の「松任谷由実」としての活動への架け橋となった、非常に象徴的な楽曲です。
7枚目のシングルとして、1976年3月5日にリリースされました。
作詞・作曲: 荒井由実
編曲: 松任谷正隆
この楽曲は、彼女の作品群の中でも異彩を放つ、ゴシックで退廃的な雰囲気が特徴です。
最大のポイントは、楽曲の冒頭から鳴り響くパイプオルガンの音色で、これは東京都目白にある東京カテドラル聖マリア大聖堂で実際にレコーディングされたものです。
曲調は、彼女が影響を受けたというイギリスのロックバンド、プロコル・ハルムの楽曲「青い影」を彷彿とさせるブリティッシュ・ロック的なアプローチが強く、従来の倭国のポップスとは一線を画していました。
歌詞は、過ぎ去った恋への未練や喪失感、そしてそれを受け入れるしかない運命を描いています。
「どんな運命が愛を遠ざけたの 輝きは戻らない 私が今死んでも」
という衝撃的なフレーズは、恋愛の終わりにある深い悲しみと絶望を表現しており、聴く者の心を強く打ちます。
このシングルがリリースされた後、荒井由実さんは音楽プロデューサーの松任谷正隆さんと結婚し、アーティスト名を「松任谷由実」に変更します。
そのため、「翳りゆく部屋」は「荒井由実」名義の有終の美を飾る、ファンにとっても特別な意味を持つ楽曲となりました。
ユーミンは、この曲の原型となる歌詞を14歳の時に「マホガニーの部屋」というタイトルで書いていたとされています。
リリースされた歌詞は恋愛の喪失を歌う内容に変更されましたが、原型の歌詞は恋愛表現がなく、極めて内省的な内容だったそうです。
このエピソードは、彼女の感受性の豊かさと早熟さを示しています。
シングルのジャケット写真でユーミンが喪服のような黒い服を着ているのは、原型の歌詞が持つテーマや、楽曲全体のシリアスな世界観を表現するためだと言われています。
レコーディングには、ベースに細野晴臣さん、ドラムに村上"ポンタ"秀一さん、コーラスに山下達郎さんらが参加しており、当時の倭国の音楽シーンを代表するトップミュージシャンたちが名を連ねています。
彼らの演奏が、楽曲の持つ独特の雰囲気を支えています。
「翳りゆく部屋」は、「荒井由実時代の終焉」と、「松任谷由実としての新たな時代」の始まりを告げる、深く、そして美しい名曲です。
https://t.co/7SiWVf4xeH December 12, 2025
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